遠見の守りから速鳥が寄越されたのは、ブレート様が執務の最中だった。この街に向かって黒竜が飛んできていると聞いた途端、ブレート様は慌てた様に仕事を放り出して、街の端にある広場へ向かうべく俺たちをせき立てた。
ダダ鳥に乗って屋敷から数頭で広場に乗り付けると、そこには既に街の獣人達が集まって空を見上げている。ブレート様の飛翔は見た事があったけれど、その黒竜の飛翔は何と言うか印象的だった。
明らかに大きく無駄のない動きで広場に降り立った黒竜は、足に掴んだ荷物をドサリと置くと、手を地面につけて広げた。そこからのそのそと何か小さなモノが這い出てきた。子供だろうか?それにしては小さい。俺がそれに気を取られていると、いつの間にか黒竜は、白髪に黒の混じった長い髪の老竜人に姿を変えていた。
俺は辺境の地にいると言う、世捨て老竜人を思い出した。噂では武人で有名だったと言うその老竜人と、目の前の人物は同じだろう。
ブレート様が少し緊張を滲ませて老竜人と小さな子供?の側に近づいて行くのを、俺たちは慌てて追いかけた。側に寄ると、少しも侮れない人物だと言うことが老竜人の眼差しで直ぐに感じられたし、小さな子供は見たことがない可愛らしさだった。
柔らかな真っ黒な髪がふんわりと繊細な顔を包んでいて、ぱっちりとした明るい緑色の瞳は好奇心で煌めいていた。特筆すべきはその幼さだろう。こんなに儚げな小さな人型の者は見たことがない。
竜人は獣人より時間を掛けて人型になるが、だからと言ってこんなに小さくはないはずだ。抱きしめて頬ずりしたいその可愛らしさは、俺をすっかり虜にした。ブレート様と老竜人のパーカス様が挨拶を交わしている時も、気もそぞろでその幼な子ばかり見ていた。
だから幼な子とは言え、荷物を受け取る際に尻尾を寄せるような無作法な事をしてしまったのは本当に無意識だった。その子が俺の尻尾の先をぎゅっと握って、まじまじと手の中の尻尾を見つめているのに気づいた時、俺はこの可愛いらしい子をやっぱり抱きしめて頬ずりしたくなってしまった。
獣人にとって尻尾というのは夫婦や恋人、自分の子供以外に触れさせると、小さな子供と言えどもゾワゾワする様な嫌悪感が湧いて出てくるものだ。けれど、この時の気持ちは何て言うか、もっと触って弄り倒して欲しいと言うか、グルーミングして欲しいそんな感覚に近かった。
ブレート様の大事な客に、しかも幼な子にそんな感覚を覚えてしまった俺は動揺した。一方で頭の中で『番は出会ったら分かるらしいぞ』と言う友人達の戯言が不意に浮かび上がってきて、俺は思わずこの場所から逃げ出してしまった。
荷物を運びながら動揺した俺の後をつけてくる下働き達が、ヒソヒソと話しているのを聞くともなしに聞いていた。
「黒竜様はどうもブレート様の大事な客みたいだな。それより見たか?めちゃくちゃちっこくて可愛いあの子を。あんな可愛い子は見たことねぇよなあ。きっと大きくなったら凄い美人になるぜ?」
俺はそんな風にあの子が獣人の噂のネタにされる事が我慢ならなかったけれど、そう言ったところで下働きが戸惑うのも分かっていた。どうも俺は過剰反応している。
彼らの荷物を馬車に乗せさせると、ブレート様がこちらへ戻って来た。俺の顔を見るとニヤリとしたが、それ以上何も言わなかった。それはそれで居た堪れない。それから思い出した様に俺に言った。
「ロバート、あの養い子は可愛すぎる。そう思わないか?この街は平和だが、時には他所から変な輩も紛れ込む。まして昨日からの双頭魔魚の件で今日は領民以外の者も多いだろう。
あの養い子が心配だ。パーカス殿は元騎士団中枢でお強いが、慣れない場所で目を離してしまわないとも限らない。お前護衛についてくれないか?…その方がお前も安心だろう?」
ブレート様が俺を揶揄っているのか、それとも俺の動揺を感じているのか分からなかったけれど、俺は頷くとその場から急いであの二人を追いかけた。俺の後ろ姿を見つめながらブレート様が何か呟いた声は俺には聞こえなかったけれど、聞き返す時間も惜しい気がして俺は足を早めた。
結局道行く獣人達に尋ねて、昼食に入った食事処に辿り着いた。俺は息を整えながらホッとして耳をすませた。店の中からあの子のメニューをたどたどしく読む可愛い声が聞こえて来て、俺は胸が温かくなった。
あんなに小さな子なのにメニューが読めるのか?そうだとすれば何て賢いのだろう。それにあの子は一体何の種族なんだろう。あからさまな耳も尻尾も見えなかった。竜人?いや、竜人の子が人型になる時期は、獣人と同じ様な5~6歳の見かけになると聞いたことがある。
道行く獣人達を眺めながら、俺はあの子の事ばかり考えていた。ふと軽い足音がトトトと店の入り口に聞こえて来て、俺は扉が押されるのを感じて、手を貸して開けるのを手伝った。あの子が俺を見上げていた。しかも俺のことを覚えていてくれたらしい。
俺が思わずかがみ込んで話をしていると、不意にあの子が後ろから来たパーカス様に抱き上げられていた。睨む様な不機嫌なパーカス様に慌てて護衛の件を伝えると、断られるかと思ったが、あの子が自分は弱いから護衛してもらうと助け舟を出してくれたんだ。…可愛い。
それからあの湖での出来事は、俺のこれからの獣生の中でも二度と起きることはないだろう。あの子とパーカス様が眉を顰めて何事かを話している時には、恐ろしい事が起き始めていたんだ。
あの子は誰よりも幼い人型だけれど、明らかにパーカス様と対等だった。パーカス様はあの子の言葉を信じて、そして対処した。あの子は唇を引き締めながら、まるで大人びた眼差しで俺の手をぎゅっと握って、恐怖と不安に抗っていた。俺はこの儚げに見えて、その実強いこの子を絶対に守りたいと思った。
パーカス様が見事恐ろしい魔物を倒した時、この子は俺の尻尾を手の中で一生懸命にぎにぎしていた。それはまるでそうする事で自分の不安を必死で耐えている様にしか見えなくて、俺が好きだから尻尾を触ってしまうのとは違うのだと何となく分かってしまった。
幼くても自分の番は分かると酒の席で言われがちな伝説は、やはり伝説に過ぎないのかもしれない。俺は息を吐き出して妙にガッカリした気持ちのままテディを抱き上げると、パーカス様の元へと急いだ。
結局この子が俺を番だと認識してなかったとしても、俺はやっぱりこの子が可愛いし、こうして抱き上げて運んでいると、その甘い匂いに庇護欲は恐ろしい勢いで膨れ上がるのは自覚できた。
ボロボロになったパーカス様を見て、溢れ出る涙を必死で手のひらで拭いながら、怪我の事ばかり心配するこの子とパーカス様の絆を感じて、もしこの子が大人になった暁に俺の存在を見て欲しかったら、まずはパーカス様に認められなければ駄目なのだとよく分かった気がした。
可愛いテディ、大人になった君に相応しい俺になろう。縁あれば君と俺はまた近づくだろう。その時まで君の事を忘れないよ、君が俺を忘れてもね。