空には細い月。
鋭く研いだナイフみたいに。
都心にほど近い一角の、とあるマンションの前。
それを見上げて――、
「……チッ」
俺は舌打ちをした。
――イカれてんだろ、オイ。
そのまま歩を進めれば、オートロックのはずのドアがするりと開く。
もし誰か見ていたら、時代錯誤の心霊現象とでも腰を抜かしたかもしれない。
見た目には、俺の姿は消えている。監視カメラにも映らない。
簡単な光学迷彩だ。こんなもの、数世紀以上も前からある。
欠点は俺からも視界が暗視スコープを通して見たようになるくらいだが、この程度の隠密には十分だ。
それにしても、セキュリティはこんなもんなのか?
本当に、普通のマンションと変わらないじゃねえか。
エレベーター横の階段を上がって、目的の部屋の前。
ステルスモードを解除する。
頭の角に引っかからないようパーカーのフードも取って、前髪を掻き上げた。
「……さて。どうする、か」
想像した光景のバカバカしさに自分で笑ってしまう。
そのバカバカしさに押されるようにして。
俺は壁に備え付けのチャイムを鳴らした。
「あ、はーい」
すぐに届く、間の抜けた声。ガチャリと開くドア。
おい、チェーンすらかけてねえ。何考えてんだ、こいつ?
「…………えっ、ギアンサル?」
「よう。久しぶりだな」
まさか俺がやって来るとは思っていなかったのだろう。
そいつは、想像以上のアホ面を晒してぽかんと立ち尽くしていた。
気分がいい。安堵して過ごしているつもりだったのかもしれない。
実際、部屋にも特別なセキュリティの匂いはない。護衛代わりに誰かを連れ込んでいるような様子も。
――いや、本当に無防備すぎるだろ。
そいつは何度か瞬きを繰り返してから、言った。
「終電なくなっちゃったの?」
「んなワケねえだろうが!!」
[chapter:「暁に消える」]
「で、どこ向かってるんだよ」
「え? 取りあえず街のほう……」
「…………」
「だ、だってコーヒー飲む? って聞いたらすごい怒ったじゃん!」
「……ハァ」
溜め息。さっきから溜め息しか出ない。呆れてものも言えないってのはこのことだ。
街の中心に向かって並んで歩いているが……何やってんだ、ったく。
俺の複雑な内心はともかく、しかめっつらにビビったのか、言葉を続ける能天気。
「それにほら、人がいっぱいいるところのほうがいいのかなって」
「気ぃ遣ってんじゃねえよ」
街中の監視カメラ程度、ほんの少し録画時間をズラすだけで対処できる。
それくらい、今もオートで作動させているのだ。
とはいえ人混みなら紛れやすいのは事実でもあるので、またそれが少しムカつく。
「あのあと、どうしてたの?」
「なんでそんなこと話さなきゃならない」
「えー……久しぶりに会ったから?」
「疑問形だろ」
「社交辞令ってことで」
「下らねえこと言うな」
「じゃあしりとりしよ」
「お前ってそこまでバカだったのか?」
「ひどっ」
他に誰もいない夜道。
あるのはただ、細い月。ポケットに忍ばせたナイフみたいに。
……本当に、何やってんだろうな。俺は。
街に近づいてきたところで、こいつがパッと顔を上げた。
「あ、ちょっと待って」
「あんだよ」
「買い物!」
「買い物って……」
俺の言葉も待たず、小走りで深夜営業しているスーパーへ入っていく。
俺は目を細める。――もしかして、罠か?
ありえない話じゃない。
店内で誰か――パラレルフライト社の誰かか、あるいはあのカタブツあたりと連絡を取って……?
一人で思案する俺。
ポケットの中で握りしめる指に、自然と力が入る。
「ねー、バナナすごい安くなってた。あとで食べよ。バナナ好きでしょバナナ!」
「…………」
……ないな。こいつが底抜けに能天気すぎるだけだ。
「それでどうする、ファミレスでも入る? それともカラオケ、ゲーセン……」
「ガキかなんかかよ」
「えー、じゃあどこ行きたいの?」
「アホか。遊びに来たわけじゃねえんだよ」
「じゃあ何しに来たの……」
聞くな。俺はそっぽを向いた。
「なんなのもう……あ! じゃあさ、あそこ行こ」
そう言ってこいつが指さしたのは――。
◆◆◆
「すご、結構広いね」
「最近の、こんなになってんのか」
ネカフェだった。まあ、ファミレスとかカラオケよりはマシ、か。
当然、部屋は選べる中でのハイグレードを選ばせている。
完全防音の二人用個室。広い座席シートに、しっかりしたローテーブル。
ゲーム程度にはもったいないくらいの高性能パソコン、体感型没入モニター。設備は悪くない。
となりのこいつは――買ってきた駄菓子やらカップ麺やらを広げて、ごそごそやっている。
その無防備な背中にいい加減ムカついて、俺はその肩を掴んで押し倒した。
「あっ――」
ほとんど伸し掛かるように身体で覆う。
息がかかるくらい、顔をぐいと近づけてやる。
「で? こんなところに連れこんで、ナニしたいんだよ。足腰立たないようにされたいのか?」
本当に[[rb:そういうこと > ・・・・・・]]がお望みなら、応えてやったっていい。
アホ面が後悔に歪むところを間近で見るのも悪くない。
そうすりゃこいつにも、こいつの周りの奴らにも、思い知らせてやれるはずだ。
「――!」
と、俺の鼻面に突き付けられるゲームのコントローラー。
「勝負しようよ」
「はあ? ……マジでゲームすんのかよ」
「負けるの嫌いでしょ」
「――ハッ。いいぜ。格ゲーか? FPSか? なんだろうと俺に勝てるとは到底思えねぇけどな」
「じゃあ何やるか選ばせてくれる?」
「言ってみろよ」
「碁」
「碁!?」
そして――。
「ウッ……」
「やったーまた勝ったー」
まさかの連敗。
こんなもん、と思うもののどんなだって負けは悔しい。死ぬほど。
しかも選ばせると言ったのはこちらでもあるので。だが文句は言う。
「おい! こっちは定石どころかルールもロクに知らねぇんだぞ!
[[rb:初心者 > ヌーブ]]いたぶって楽しいかよ!?」
「クッッッッソ楽しいでえす」
「煽ってんじゃねえ! お前マナー最悪だぞ!」
「ハッキングでもしたらー?」
「ふざけんな……!」
コノヤロウ。わかっちゃいたが、こいつ、相当いい性格してる。
ただの能天気オペレーターじゃない。それはともかく死ぬほどボコる。
「今度は俺の選んだヤツで勝負しろ!」
俺が選んだのはFPSだ。
戦場を走り回って、物資を集めて戦うバトルロイヤル。の、対戦モード。
んで、わかっちゃいたが――当然、俺の圧勝。
「ぶはははは! ヘタクソ! どこ見てやがる!!」
「なんでそんなに弾当たんないの!? ズル!?」
「バーカ、前見ながら後ろ見て射線管理しつつライフに気を配るんだよ!」
「ゲーマーこわ!」
「オラ、ヘッショいただき!」
「ぎゃー!!」
悲鳴を上げて机に突っ伏すこいつ。すぐにガバッと起きて、
「ちょ、強すぎ! もしかしてリグザより強い!?」
「ハァ? あんなヤツと比べんなよ。つーか、アイツとゲームしてんのかよ」
「よくやってるよ。昨日もした」
「ったく……」
俺以外の男と遊んでんのかよ。
なんて、くだらないことまで言いたくなるのは深夜のテンションのせい。死んでも言わないが。
隣のこいつを改めて見る。簡単に壊せそうな華奢な身体。
筋肉すらロクについてない。力任せに組み敷くなんて簡単だろう。
ついでに、こいつ周りの通信を俺の制御下に置いて、完璧に管理してやってもいい――。
そんな考えに耽って一瞬気が抜けていると、
「もー対戦終わり! こっちのモード!!」
「――えっ、[[rb:協力モード > コープ]]かよ……」
「あ、ここちょうどロビー空いてるから入っちゃお。早く参加ボタン押して!」
「るせえな」
下半身に覚えたわずかな熱を、俺はアイスティーで流し込んだ。欲求不満。
――でも。ああクソ。
なんで、こんなに……楽しいんだ?
◆◆◆
「あー! ああー! 当たっ、当たたっ、たあー!」
「うるせえ」
こいつ死ぬほどうるせえ。
絶対一緒にゲームしたくないタイプ。やってるが。
そうでなくてもエイムブレブレ、身体出し過ぎ、射線管理も甘すぎる。根本的にFPSに向いてない。
俺がペアを組むなんて一生あり得ない。見てるだけでイライラしてくる。
しかし、だからって俺が負けていい理由にはならない。
このモードは[[rb:二人一組 > ツーマンセル]]。やりようはある。
単純。こいつを囮にして、敵を撃つ。一番確実で、完璧な計画。
フラフラ身を晒すこいつをカモと見て安易に狙ってきたヘタクソを、俺はまた一人撃ち倒した。
「すごっ! 百発百中!!」
「よそ見してないで指定ポイントまで走れ。雑魚は俺が片付けてやる」
「超頼りになる! 味方だと!」
「言ってろ」
そして残り時間も僅か。
今残ってる奴らはそれなりの経験者。おそらく、ゲームだけなら俺より上手いやつもいるだろう。
時間経過でエリアが狭まってくるから、交戦確率も上がる。
お荷物を抱えて勝てるかは結構怪しい。
「どうする? このまま時間まで……」
「戦績上位だろうが、エリア取らなきゃ優勝できねえんだよ」
「行くってこと」
「当然」
幾度かの交戦を経て、指定された最終ポイントへ。
遮蔽のない広場の中心に立つエリアフラッグが見えた。
「あれだっ――オレが行くよ!」
「――っ、待て!」
突如、肌が刺されたみたいにビリビリくる。
確かに取れば即ゲーム終了だが――他のチームが見てないわけがない。
そうじゃなくても突っ走りすぎる。ちょっとは警戒しろよ!!
斜め前方、草葉の影に動く何か。キラリと光る――スコープの反射光。ライフルだ。
間に合わない。撃たれる。
「!」
俺の思考を駆ける二つの判断。
見捨てるか、割って入るか。
九割以上の理性が叫んでいる。
――見捨てる。そうだよな。
弱いやつは、強いやつのエサになるだけ。
別に非道でもなんでもない。それが世界を動かす基本戦略。勝利のための当然の判断。
――なのに。
「しゃがめ!」
俺は遮蔽から飛び出していた。
こいつを狙う射線に身体を捻じ込む。
衝撃。赤く染まる画面。アラート。だが一撃死は回避。
射線の向こう。アホを仕留めるために身を晒したバカな狙撃手。
――ブチ殺す。
向こうも俺に気付いて構えなおすのが見えた。
手にはリロードが必要な長距離ライフル。遅すぎる。
俺の得物は――大口径のハンドガン。
[[rb:距離減衰 > 遠いと威力が下がる]]? 知るか、死ぬまで当てればいいんだ!
[[rb:反動 > リコイル]]を完璧に制御して、狙った一点に打ち込む。
倒れる人影。俺の画面に刻まれるキルスコア。
雑魚が。こんなもん、バナナの皮を剥くより容易いんだ。
――だが当然。
このゲームは二人一組。
倒した奴の相方が、反対の建物の陰から俺を狙うのが視界の端に見えた。
確実な勝利を掴む。それが何事にも通じる基本戦略。
……バカなのは、俺も同じか。
そうして、俺の画面は暗転した。
世界はいつだってそうやって、現実を突きつけてくる。
◆◆◆
「…………。」
「ごめん! オレが下手だから……」
見れば、こいつもあっさりやられていた。まあ仕方ない。そんなもんだろう。
コントローラーを放り出して俺は言う。
「雑魚をキャリーできなかった俺の実力だ」
そうだ。本当に強いやつは、どんな不利な状況でもひっくり返す。それもまた戦場の原則。
たった一人でも、最強のヒーローだったら。
また深く入り込もうとしていた思考が、能天気な歓声に中断される。
「わ、見て! ギアンサル、個人成績ダントツじゃん!!」
「お前がキル取れねえから、俺が二人分以上働いたんだろうが」
「うん!」
「うんじゃねえ」
俺の成績に興奮してる。なんなんだよこいつ、本当に。
「すご、新記録だって! あ、名前残っちゃう」
「本名なわけねえだろ。たかがゲーム……それに、勝たなきゃ何の意味もねえ」
「そんなことないよ! ギアンサル超カッコよかった!」
「……やめろ」
「すごい助けてくれたし! [[rb:やっぱり > ・・・・]]ヒーローの素質あるって!」
「そういうこと言うんじゃねえ!!」
喉の奥で[[rb:爆 > は]]ぜる声。反射的に跳ねた膝がテーブルに当たった。
コップが倒れて、わずかに残っていたアイスティーがこぼれる。
こいつは俺の上げた声に驚いて固まって――そしてわずかに俯いた。
「ごめん」
「――やめろ。俺が拭く」
テーブルを拭こうとするのを、俺は乱暴に奪い取った。
視界の端がくらくらする。脳に糖分が足りてない。下らないゲームをしすぎた。
「……腹減った。なんか寄越せ」
「バナナあるよ」
「食う」
「あーんしてあげよっか」
「ふざけんな」
空気悪いのを引きずらないためのアホ発言。
さっきから気を遣って……わかってやってるに決まってる。
だからムカつくんだ。死ぬほど。
――なのに。
「……カリウム。食物繊維。糖質。腹持ちもいい」
「な、なに急に」
「バナナ。バナナはいいんだ。サプリばっか飲んでるよりはずっと」
「健康志向」
「自分の体調管理もできないやつが生きてけるかよ。この世界で」
「でもさっきカップ麺食べてたじゃん」
「一緒にプロテインバー食ったからセーフ」
「ええ……」
くだらない会話。どこにもたどり着かない空虚なやり取り。
朝になれば消える一夜の夢。
なんの意味もない……。
なのに。
「お代わりもらってきてあげるよ」
「ウーロン茶」
「おっけー」
なのに。
どうして。
こんなに涙が出そうになってるんだ。
◆◆◆
「わー、ねっむー……」
「……ハァ」
そして今は、早朝の、人の姿のほとんどない街を二人して歩いている。
寝不足特有のどんよりした空気感。本当に、ガキみたいなことをしちまった。
「このあとどうする? ウチ泊まってく?」
「……お前ホント、どういう神経してるんだ?」
寝不足頭で嫌味にも力が入らない。
夜には強いほうだが、朝までゲーム三昧はさすがに自分でもバカだと思う。
「朝の空気っていいよね」
「ああ? ……ああ」
言われて、つられて見上げれば昇り始めの朝日が眩しい。
それに、澄んだ朝の空気。少しだけ胸を張って大きく吸い込んだ。
日の当たらないところを行く身だからって、この雰囲気まで嫌いになるわけじゃない。
髪を掻き上げて気づく。……あぁ、フードすら被ってなかった。
そんな独りよがりの気まずさを掻き消すように、俺は言った。
「お前、家の周り監視されまくってんの、わかってんのか」
「えっ。……あー」
こいつのマンション。
簡単に外からスキャンしただけで、通信周りに異常なまでの監視が張られているのがわかったのだ。
けど、こいつの部屋やこいつ自身には何も施されてない。
どういうことだ? 泳がされてる? 様子見?
わからない。ムカつく。合理的じゃない、そういうこと全部が。
「う、うん。よくわかってないけど、何人かから、なんとなく聞いてる……」
「そうかよ」
「でも、悪いことだけじゃないって!」
「お前みたいなイカれた[[rb:観測者 > オブザーバー]]、デカい組織がほっとくわけねぇからな」
つまり――そこには日本政府も噛んでいるだろう。
[[rb:あのカタブツ > サダヨシ]]が関与してるかどうかは知らんが。
仕事ってのは、生きてくってことは、綺麗ごとじゃないんだ。
「でもでも、普通の会話とかは聴かれてないよね?」
「そんなこと知らん。なんだ、普段から聞かれちゃマズイエロ通話でもしてんのか」
「してないって。さっきから――下半身ヴィラン!」
「あ?」
思いっきり顔をしかめてガンつけると、こいつはさっと逃げた。……ったく。
俺はまたひとつ溜め息を付いて、ポケットに手を突っ込んだ。ナイフが入ってるのとは反対の。
「やるよ」
「なに? それ」
「端末用チップ。セットしたら、半径周囲十数メートルの通信機器を強制シャットダウンして、俺へのホットラインを繋げる」
「……ヤバいやつなんじゃ?」
「ヤバいに決まってるだろ。俺をただのヴィランとでも思ってんのかよ」
牙を剥いて笑ってやる。
それから、ついでみたいに付け加えた。
「……クソみたいな現実に、嫌気が差したら使えよ」
本当は。
本当はこれを使ってひと騒ぎでも起こしてやろうと思っていたのだ。
こいつがあまりにアホだから。
自分がどれだけ危険な場所にいるのか、わからせてやろうと。
なのに、こいつの顔を見ていたらそんな気もいつの間にか失せていた。
不意に浮かぶ、口にするはずもない言葉。
バカバカしい。言うはずもないのに。
――俺と一緒に来るか、なんて。
少しだけ考えるような素振りを見せてから、伸ばされる手。
わずかに指と指が触れる。
「使わないと思うけど……ありがとう」
「ハァ……ヴィランからモノもらってありがとうはねえだろ」
「――あのさ。ヴィランでもヒーローでも……どっちでもいい、んだ」
「――――。」
「ちゃんとありがとうって言いたいだけだよ。ギアンサル」
俺は――何も言わずフードを被った。付き合ってられん。
そしてこいつの背後、白く輝く太陽を指差す。
背が向けられたのを見届けてから、ステルスモードをオンに。世界が色を失っていく。
「まぶし……なに? ――って、え? あれ? ギアンサル!?」
慌ててる。見えなくなった俺を探して。
見つけたとして、どうするつもりなんだか。
「ギアンサル!? どこ!? ……ま、またねー!」
またね、じゃねーよ。バーカ。
あの夜の、約束でもない約束を果たしに来たわけなんかじゃ、ないんだ。
誰もいない交差点。
[[rb:冴 > さ]]えた朝の空気が[[rb:沁 > し]]みる、気怠い感覚に身を委ねて。
背を向けてゆっくり歩きだす。あいつとは反対の方へ。
そして俺は暁に消える。
◆「暁に消える」
――了。