本山(もとやま)くんは灰色の猫獣人。
電車の高架下の旅館を改装した安い賃貸に部屋を借りている。
本山くんは失敗をして怒られて立場が気まずくなる度に毛玉と食べたものを吐いてしまうほど不安にかられ、どうにかそれを何とかしようともがいて、
さまざまな遊戯に熱中したり、他の猫獣人に電話をかけてみたりするのだ。
今日も、本山くんは自分のしでかしたことで怒られて意気消沈して、自分が悪いとは思いつつも、そうだねえと受け止めてくれて、やんわりと咎めてくれるような猫獣人を記憶からこねくり回して決める。
あの友達は話を聞いてくれるけど辛口で落ち込んでしまいそうだ…あの猫は話をしてて楽しいけど、とても自分の悩みを聞いてくれるようなテンションじゃない…あっあの猫に、でも、最近電話かけすぎたから時間空けたほうがいいかも…
しばらく仕事から帰って制服のスカーフをたらいに水を汲んで洗ったり、炊けた白飯と鰹節と醤油でねこまんまを作って食べたり、自分の身体の汚れをブラッシングしている間にちまちま考えた末に、
本山くんは公園のベンチでたまたま知り合った年上の三毛猫獣人の花山さんに電話をかけることにした。少し長く生きた話せそうなあの猫のお兄さんに話してもやもやを解消させて勇気をもらおう、と。
二回三回の呼び出し音のあとに花山さんの少し高めなお兄さん声でもしもし。と聞こえてきた。
もしもし~とおそるおそる軽い感じを装って。
花山さんとは仕事の休憩時間に公園で弁当を食べているときに知り合った三毛猫のお兄さんだ。
何度も同じタイミングの休憩時間を過ごす内に、なんとなく仲良くなって、電話番号も交換した。
それで、電話するのは今日が初めてだ。
「も、本山です。こんばんは。」
「本山くん。こんばんは。」
安定した声で意をつかれたように名前をおうむ返しする花山さん。
ガヤガヤとした音と雑踏が後ろで聞こえる。
「あ、あの、今日は、ですね。」
「うん。」
「少し、話したくて。」
「いいよ。ちょうど僕も仕事終わって、今帰るとこだから。」
「よかった…。ありがとう、ございます。」
「どういたしまして。」
「えっと…」本山くんは花山さんの声に安心して灰色のしっぽをほわんと膨らませつつ、ふう…と息を落ちつかせて話し出した。
「花山さんは、他の猫との関係が険悪になったりすることってありますか?」
「うん?あるよ。全然。」
「そういう時って、なんだかつらくなりませんか…?」
「うん、つらくなるね。」
「なりますよね…そういう時ってどうしてます?」
「うーん…僕はまず、気にしないようにするかな?」
「…気にしない、ですか?」
コンビニの入場音といらっしゃいませぇという声が聞こえる。コンビニで買い物をしながらも電話を続けてくれているようだ。聞いた方がいいよね?
そう思った本山くんは買い物終わるまで黙っておいた方がいいですか?と、聞いた。
いや、大丈夫。続けていいよ。と花山は返して、ガサッと商品をとる音の後に、レジスターの入力音が聞こえ、肉まん2個お願いします。という花山さんの声が聞こえた。
「えっと…気にしないって、楽しみとかやって…忘れるってことですか?」
「そうだねえ。それもあるし…せっかくやることが終わったのに怒られたことで気持ちが暗くなったままなのは嫌だもん。」
「なるほど。まあ…そうですね…。」
「本山くんは…どうするの?」
ザッザッと足音がはっきりするくらい、人気のない道に入ったようだ。
「ぼくは…こうやって花山さんに話したり、するんです。誰かに電話して話すと多少気分がマシになる、というか…あっあっえと、その花山さんの方が話せるかもと思ったのもあって。」
「そうかぁ。それはうれしいねぇ。」
花山さんの足音が止まった。
家の上を通る電車が線路をガタガタ走る音が本山くんの家中に響き、電話の向こうでも電車のガタガタ音が聞こえる。
「本山くん。着いたよ。」
コンコンと玄関の戸を叩く音がする。
「えっ?花山さん?花山さんなんですか?」
おそるおそる、本山くんは戸を開けた。
すらりとした三毛猫お兄さんの花山さんがコンビニで買ったらしいビニール袋の荷物を手に握り、
経っていた。
「僕、家言いましたっけ?」
「本山くん、前に高架下のほうに部屋を借りてると言っていたろ?実は、君の隣人とは仲が良くてね。もしかしたら本山くんのことじゃないかと思って、戸を叩いてみたんだよ。本山くんが電話を掛けてくれたし、ちょっと確かめてみようかなって。」
「へえぇ…な、なるほど。びっくりしちゃいました。」
本山くんはもしかしたら、花山さん危ない猫かもしれないと思いつつも、猫恋しくてつい入れてしまう。
「本山くんがきっとすごく悩んでるなと思って、肉まん買ったんだよ。一緒に食べながら話そうか。」
「あっありがとうございます…」
本山くんは優しくされるのに弱かった。
その後は普通に肉まんとあったか~い猫草茶350mlを花山さんからもらって、本山くんは一緒に食べながら話した。
「こたつがあるんだね。とても良い部屋じゃないか。肉まん、どうだい。」
「おいしいです…。花山さん。」
「うん。」
肉まんをかじって、猫草茶の橙色の飲み口に口をつけながら相づちをうつ花山さん。
「花山さんはどうして、僕とよく話してくれるんですか?」
「ん。」
少し間をおいてから、
「んんん、それはね。ぼくが本山くんに似てるところがあるって思ったからだよ。」
「ん、え、そうなんですか…でも、僕、花山さんが言ったみたいに、嫌な出来事を気にしないほどメンタル強くないですよ。」
「ぼくもメンタルが強いわけではないんだよ、もとやまくん。君のようなすなおで話しやすそうな良い子の前では、落ち着いて話せるんだ。でもね、例えばぼくはちょっと水の商売をしていてね、色んな猫がいるのさ。気持ちよくできなくて、怒られたときとか、気持ちよくなってもらっても、店長とか他の猫が余計に一言囁くように、チェックアウトを終わらせたときなんかは、やってられない気持ちになるもんだよ。」
「…そうですね。」
「でも、君のようにぼくも話せる相手がいるから、気にしないでいられるんだよ。もとやまくんが、他の猫に話して不安を発散させようという気持ちはとても共感するよ。」
「僕、花山さんを気持ちよく、できてたんですか?」
花山さんはまた、一瞬だけにやっとして、
「そうだねえ。もとやまくんと話すと気持ちがよくなる。これからのことを思うと、ほんとにね。」
そう言いながら、花山は自然に右手肉球をあぐらの真ん中に置いた。
「これからのこと…ですか。」
「ん…あ、ああ、うん。…もとやまくんはこれから、たくさん経験するだろうし、ねえ。」
花山さんは本山くんのことを好いていた。
おしゃべり相手としても。
この気の弱い昔の自分を思い出すような年下猫に、
性に狂う喜びを味わせて、もっと生きるのを楽にしてあげたいと、花山は遠い昔の自分を慰めるような心地で眺めていた。しかもそれは美しい感情ではなく、久しぶりにご馳走にありつけるというような欲望も混じっていた。
本山くんとはじっくりと仲良くなって、まぐわう気持ちよさから抜け出せぬようになるまで、教え込みたい。犯したい。仲間が欲しい。そんなよこしまな感情が一見優しそうな花山という三毛猫の雄の中に渦巻いていた。
「そうですねえ…」
「まあ、もとやまくんも考えすぎないことさ。僕には僕の、本山くんには本山くんの現実逃避方法が他にあるだろう?」
「ですね。花山さんの現実逃避方法、知りたいですね~」
「ふふ、今度は本山くんが僕の家に来て、何でもいいからなんかごちそうしてくれたら、教えてあげる。」
「…ええ~じゃあまた今度ってことですか。」
「だねえ。僕もそろそろ指名が入る時間だ。行かなきゃ。僕の家の住所はここの806号室さ」
そう言って、花山さんはレシートに走り書きしたメモを本山くんの手に直に握らせた。しっかりと熱を確かめるように。
「来るときは連絡してね。」がちゃりと玄関を開けて、振り返り、「じゃあ 」と言って、
「花山さぁん。気をつけて、くださいねえ。」
「うん、連絡まってるよ。じゃあね。」
バタンッと玄関が締まり、少しだけ残った花山さんの気配とおさそいに、本山くんは胸が躍った。
「行こうかな…あ、でもちょっと遠いや。休日に行ってみようかな。」