「佐倉くん…こんなとこまで来ちゃったの?」
いつもの優しげな顔で、エプロンを真っ赤な血で汚して、その右手に血まみれのしゃれこうべの血で濡れた髪を取っ手にして。素多さんはワンオペでのんびり働いているようだった。というよりも人肉を精肉として加工し、生計を立てていたようで。
「佐倉くんのこと、気に入ってたんだけどねぇ…」
「僕、素多さんのこと、言いません。」
「はは…いや、言っちゃうよ、君なら。いつも友達に悩みを打ち明けるようにさ、僕のことぽろっと言いふらしちゃうよきっと。」
「僕は、…素多さんになら、屠殺されても…いい、です。」
「ふぅん。そう?」
「…はい。」
「そっか…。じゃあさ、一つだけもらおうかな。今日の仕事終わりに、右腕、噛んでもいい?」
「…っ、は、はい…。」
「それと、今日は泊まっていってね。夜遅いから。」
「わかりました。」
素多さんはそう言って、佐倉くんに睡眠薬を渡して飲ませ、ベッドに寝かせると、仕事に戻った。
翌日、佐倉くんは激痛で目が覚めた。起き上がれず、天井の吊りランプが揺れ、両足が焼けるようにびりびりと痛む。
「薬の効果が消えちまったね。ほら、ご飯だよ。たくさんあるからね。」
そう言って出された肉入りのスープ、足はあったかい布団がかけられて見えなかった。
「痛みで気が狂いそうだろう?この肉はね、君の足だよ。君が自分の体で証明できるように、逃げ道を絶ってあげたよ。せめて自分の体の味ぐらい知っておきたいだろうと思ってね。僕からの手料理さ。味付けは塩と臭み消しの香辛料だけだけどね。」
「…っ」
佐倉くんは素多さんの化け物じみた狂気に震え、恐怖心と絶望に彩られた胸痛で、一瞬息が止まりかけたように感じた。文字通り骨が断ち切られる痛みに声も出なかった。だけれども、それが佐倉くんにとっては、素多さんの屈折した愛のように感じられ、心を掴まれた。運ばれるスプーンを拒まず、自分の足のスープを飲み、肉を噛んで、味わい飲み下した。布団の中でぎりぎりと痛む苦しみさえ、目の前の優しい猫お兄さんの好意だと感じると、佐倉くんの下半身は静かに奮起してしまう。
素多さんは佐倉くんにとって唯一の理想的な猫お兄さんだった。
いつも、人気のない個室のホテルで、首を絞めたり、爪や牙で傷をつけたり、自分のことを食肉のように味わってくれる猫お兄さん。その表情はいつも優しげで決して怒鳴ったり、顔をしかめたりすることがない。
もう今までのように時間を気にすることなく、素多さんの獲物になれるのだ。と、佐倉君は悦に入る。佐倉くんは学生で、家族と実家暮らし。素多さんは生計を立てるのに精一杯で佐倉くんのいる町まで遊びに行く余裕がなかった。しかし、今は、佐倉くんは社会人二年目。親元から離れ、家族は存命しているものの、あまり連絡は取らず、社会生活もだいぶ疲れ果て、未練はほとんどない。この、誰にもわからない、助けも呼びようのない山奥の屠殺場でゆっくりと僕は優しい猫お兄さんに食べられちゃうんだと、佐倉くんは自分の境遇を思い返した。わかっている。素多さんが人間の男を食べるのが初めてじゃないってことくらいは。
(僕は素多さんが食べてきた子達の中の一人ってだけなんだって…僕はただの都合のいい食肉でしかないってこと…)
しかし、だからこそぞんざいに、愛玩人形と食事を兼ねられて消費されることで、今この時の素多さんの猫生の彩りとして、僕が肉として食卓を彩ることができるなら、ここで食べられる意味をそのまま、佐倉くんは生きる意味に変えることができると思っている。
佐倉くんは、小さい頃から誰かに認められたいと思って生きてきた。
だが、認められたい欲求には際限がない。十分に認められても、そこからは、期待を裏切らないように、失望されないように。見捨てられないように、頑張り続けるしかない終わりのないレース、佐倉くんはその渦中にいるかのように感じ、絶えず苦しむことになった。佐倉くんはいつしか、生きるうちに頑張る姿を見せて認められ続けることに対して人生の意味を感じられなくなっていた。人間不信に陥っているうちに、レンタル猫お兄さんという怪しげなチラシにやけくそで電話をかけて、やがて、辿り着いたのが素多さんだった。
素多さんは佐倉くんの何十歳ぐらい精神年齢が上で、人間の年齢に換算すると実年齢も父親と息子ぐらい離れていた。本来、レンタル猫お兄さんのシステム的には、借主側が猫お兄さんに対して仲介料込みのレンタル料を払う仕組みだが、素多さんのように、気に入った借主に対して猫お兄さん側が仲介料のみをレンタル会社に払うという関係もよくあることだった。
次第に、何度か、お茶やカラオケや宿泊をして交際するうちに、その代金を素多さん側が払うようになり、佐倉くんは自分が買われて擬似的に支配されるような感覚に居心地の良さを感じていった。人間社会に疲弊すればするほど、猫お兄さんこと素多さんに理想像を抱いて疑う余地はなくなっていった。佐倉くんがどんなに彼にゆっくりと傷をつけられてマーキングされても受け入れて喜び、自分が人間であることの根源を見いだせた。そしてついに、生理的欲求から逃げ出そうとする足も、素多さんが切ってくれた。
邪魔するものはなにもないのだ。ゆっくりと、素多さんの大きなエプロンの下に隠されたふっくらとした体毛に覆われたお腹の中に、僕の身体が残さず飲み込まれていくのを黙って見ていればいいのだ。
未練がましい人間社会に戻りたがろうとする欲が、恐怖によって湧き上がってくる。
戻りたくとももう戻れないからね、安心して。と血まみれの肉球で撫でて、寄り添ってくれる素多さんの優しさが僕は、好きだ。