リーゲル峡谷──そそり立つ岩壁のあいだに、すっぽりと収まる小さな町。
その傍らに巣を作り、人々を怯えさせているのは紅鏡竜。
陽光を浴びたその鱗は赤く煌めき、まるで鏡のように光を跳ね返していた。
すでに峡谷を通った冒険者を数十人も呑み込んでいるという。
フリーレン一行は、これ以上の被害を防ぐため、紅鏡竜の討伐に向かった。
「じゃあ、始めようか」
「はい。攻撃します」
フリーレンの合図とともに、フェルンが杖を構える。
「えぇ~……やっぱやめようよ。あんなのにやり返されたら死んじゃうって……」
フリーレンの袖を引っ張りながら、アルタが泣きそうな声を上げた。
「やめない。逃げ足だけは早いんだから、もしもの時は頼んだよ、アルタ」
「えぇ~」
情けない声をあげるアルタを横目に、フェルンがゾルトラークを放つ。
魔法は見事に命中したが、紅鏡竜の鱗に当たった瞬間、光は霧散した。
「効いてるようには見えませんけど……これでいいんですか、フリーレン様」
グゴオオオ、と紅鏡竜が咆哮を上げ、翼を広げて迫ってくる。
「やっぱりね。この手の竜は魔法耐性が強すぎる。逃げるよ」
そう言い終える前には、すでに飛行魔法で空へ逃げ出しているフリーレン。
「えっ」
「フェルン、早く乗って!」
いつの間にか狼の姿になったアルタが、魔法で体を大きくして待ち構えていた。
フェルンはその背に跨る。
「はい、お願いします!」
アルタが地を蹴ると、風が弾けたように景色が流れ出す。
森の中を駆け抜け、フリーレンの影に追いついた二人。
「死ぬかと思いました……」
「うん、これを何回か繰り返せば、あの竜も倒せるでしょ」
「嫌です」「もうやだぁ~!!」
二人の悲鳴に、フリーレンが肩をすくめる。
「……じゃあ、頼ってみるか。アイゼンの弟子とやらに」
────
アイゼンから「旅の途中で拾ってやってくれ」と言われていた、この町の英雄──シュタルク。
だが、その英雄はなんとも頼りない戦士だった。
「助けてくれよ~フリーレン~!」
情けない声を上げながら、フリーレンの服の袖で涙を拭くシュタルク。
その姿に、フリーレンは無言でため息をつき、軽く彼を突き放した。
「一晩だけ時間をやる。シュタルク、このままじゃいけないことくらい、わかってるはずだ。」
その背中は冷たくも、どこか期待を残していた。
「……が、がんばって」
去り際に、アルタは小さく拳を握った小声で励まそうとする。
少し前の自分を重ねて情けなさに共感してしまい、見ていられなくなったのだ。
────
次の日、紅鏡竜の前に一人の戦士が立っていた。
固く握った拳が震えている。
赤いジャケットが峡谷を吹き抜ける風に揺れ、砂埃が舞い上がった。
崖の上では、フリーレンたちがその姿を見守っている。
「大丈夫かな……」
「いつでもサポートできるようにしておきますね」
「うん、一応お願い」
互いが間合いに入り、竜の咆哮が峡谷にこだました。
地面が震え、砂がぱらぱらと崩れ落ちる。
──だが、その戦いはほんの数瞬で終わった。
「うわ~ん! 勝ててよがっだ~~~!」
「うわ~ん! 死ぬかと思ったぜ~~~!」
緊張の糸が切れ、抱き合って泣き崩れるアルタとシュタルク。
その様子にフェルンがぽかんと口を開け、フリーレンは肩をすくめた。
「竜は賢い生き物だからね。そもそも、自分より強いやつに喧嘩は売らないんだよ。
シュタルクがあの町に来てから竜の被害がなかったのは──つまり、そういうことだ」
「必要なのは、たった少しの勇気だったということですね」
フリーレンが拾い上げた古びた魔導書の表紙が、光を反射する。
長く続いた冷戦にようやく終わりが訪れ、
峡谷に差し込む朝の光が、静かに町を照らしていた。