⑨臆病者に告ぐ

  リーゲル峡谷──そそり立つ岩壁のあいだに、すっぽりと収まる小さな町。

  その傍らに巣を作り、人々を怯えさせているのは紅鏡竜。

  陽光を浴びたその鱗は赤く煌めき、まるで鏡のように光を跳ね返していた。

  すでに峡谷を通った冒険者を数十人も呑み込んでいるという。

  フリーレン一行は、これ以上の被害を防ぐため、紅鏡竜の討伐に向かった。

  「じゃあ、始めようか」

  「はい。攻撃します」

  フリーレンの合図とともに、フェルンが杖を構える。

  「えぇ~……やっぱやめようよ。あんなのにやり返されたら死んじゃうって……」

  フリーレンの袖を引っ張りながら、アルタが泣きそうな声を上げた。

  「やめない。逃げ足だけは早いんだから、もしもの時は頼んだよ、アルタ」

  「えぇ~」

  情けない声をあげるアルタを横目に、フェルンがゾルトラークを放つ。

  魔法は見事に命中したが、紅鏡竜の鱗に当たった瞬間、光は霧散した。

  「効いてるようには見えませんけど……これでいいんですか、フリーレン様」

  グゴオオオ、と紅鏡竜が咆哮を上げ、翼を広げて迫ってくる。

  「やっぱりね。この手の竜は魔法耐性が強すぎる。逃げるよ」

  そう言い終える前には、すでに飛行魔法で空へ逃げ出しているフリーレン。

  「えっ」

  「フェルン、早く乗って!」

  いつの間にか狼の姿になったアルタが、魔法で体を大きくして待ち構えていた。

  フェルンはその背に跨る。

  「はい、お願いします!」

  アルタが地を蹴ると、風が弾けたように景色が流れ出す。

  森の中を駆け抜け、フリーレンの影に追いついた二人。

  「死ぬかと思いました……」

  「うん、これを何回か繰り返せば、あの竜も倒せるでしょ」

  「嫌です」「もうやだぁ~!!」

  二人の悲鳴に、フリーレンが肩をすくめる。

  「……じゃあ、頼ってみるか。アイゼンの弟子とやらに」

  ────

  アイゼンから「旅の途中で拾ってやってくれ」と言われていた、この町の英雄──シュタルク。

  だが、その英雄はなんとも頼りない戦士だった。

  「助けてくれよ~フリーレン~!」

  情けない声を上げながら、フリーレンの服の袖で涙を拭くシュタルク。

  その姿に、フリーレンは無言でため息をつき、軽く彼を突き放した。

  「一晩だけ時間をやる。シュタルク、このままじゃいけないことくらい、わかってるはずだ。」

  その背中は冷たくも、どこか期待を残していた。

  「……が、がんばって」

  去り際に、アルタは小さく拳を握った小声で励まそうとする。

  少し前の自分を重ねて情けなさに共感してしまい、見ていられなくなったのだ。

  ────

  次の日、紅鏡竜の前に一人の戦士が立っていた。

  固く握った拳が震えている。

  赤いジャケットが峡谷を吹き抜ける風に揺れ、砂埃が舞い上がった。

  崖の上では、フリーレンたちがその姿を見守っている。

  「大丈夫かな……」

  「いつでもサポートできるようにしておきますね」

  「うん、一応お願い」

  互いが間合いに入り、竜の咆哮が峡谷にこだました。

  地面が震え、砂がぱらぱらと崩れ落ちる。

  ──だが、その戦いはほんの数瞬で終わった。

  「うわ~ん! 勝ててよがっだ~~~!」

  「うわ~ん! 死ぬかと思ったぜ~~~!」

  緊張の糸が切れ、抱き合って泣き崩れるアルタとシュタルク。

  その様子にフェルンがぽかんと口を開け、フリーレンは肩をすくめた。

  「竜は賢い生き物だからね。そもそも、自分より強いやつに喧嘩は売らないんだよ。

  シュタルクがあの町に来てから竜の被害がなかったのは──つまり、そういうことだ」

  「必要なのは、たった少しの勇気だったということですね」

  フリーレンが拾い上げた古びた魔導書の表紙が、光を反射する。

  長く続いた冷戦にようやく終わりが訪れ、

  峡谷に差し込む朝の光が、静かに町を照らしていた。