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雷狼のBeast プロローグ

  その悪夢は、今宵も彼を襲う。

  「うっ…」

  焼け落ちていく家々、踏みつけにされ、無残にも潰れた桃の実。

  そして、人々の悲鳴をかき消すように、夜空に浮かぶ満月へと向かって発せられた、狼の咆哮。

  「う…ぐっ…!」

  シャツの胸元を鷲掴み、うなされる金髪の青年。

  その青年の脳裏に、自分へと駆け寄る一匹の子狼の姿が蘇った。

  “死ぬな!”

  「はっ…!」

  その声に、青年こと我妻善逸はすぐさま飛び起きた。

  息は荒く、汗で濡れたシャツが、べっとりと体に張り付いて気持ち悪い。

  「またかよ…」

  何度も繰り返す夢に、善逸は額に手を当て、深いため息を吐いた。

  (もうすぐ満月だ。悲鳴嶼さんに連絡しないと)

  善逸はゆっくりとベッドから降りると、ぐっしょりと汗を吸ったシャツを脱ぎ捨てた。

  その胸元には、花のような痣がある。

  月に黒百合が重なったような、妖しくもどこか美しい、花の痣。

  けれど、善逸はこれを誰かに見られることを極端に嫌がっていた。

  長年、自分を苦しめる存在を隠すように、手早くシャツのボタンを留め、胸元を隠す。

  「ヤバッ!もうこんな時間!」

  壁掛け時計が示す時刻に、善逸は慌てて残りの着替えを済ませ、黒革のブーツを履くと、足早に私室を後にしたのであった。

  雷狼のBeast~一途な狼は稲妻に焦がれる~

  “魔法騎士”

  かつて、陰陽師や退魔師などと呼ばれていた者の一部がそう呼ばれるようになったのは、そう昔の話ではない。

  遥か海を向こうの異国から入ってきた、西洋の魔法。

  元々、善逸達が生まれ育ったこの島国は、異国の文化に寛容で、その文化を取り込み、融合させることで、独自の文化を発展させてきた。

  当然、異国からもたらされた西洋の魔法も例外ではなく、魔法はあっという間に取り込まれ、そしてこの国独自の魔法が誕生した。

  元々、この国で主流だった妖術や法術に、西洋の魔法が組み込まれた、新たなる魔法。

  それを、圧倒的剣術と合わせて使いこなし、妖や邪の者から人々を守る存在。

  それが、魔法騎士だ。

  彼、我妻善逸はそんな魔法騎士の一人であり、政府公認組織:魔法騎士団第七番隊、名称《鳴神》の隊長を務める人物である。

  「兄貴」

  善逸が屋敷を出て、離れにある工房を覗く。

  彼の声に、工房で黙々と机に向かっていた人物は不機嫌そうにこちらを振り返った。

  「遅せぇ」

  苛立ちを隠そうともせず、善逸を睨みつけてくるこの人物は、善逸の義理の兄だ。

  名前を獪岳。

  《鳴神》の前隊長であり、この工房兼自宅の主でもある。

  獪岳は、現在この工房で魔法技師として魔法道具を作り、生計を立てていた。

  雷魔法の使い手であった彼は、元々コツコツと技を磨く性格であったこと、そして魔法工学に興味があったことから、三十歳になったことを境に、善逸に隊長の座を押し付けて引退。

  今は富裕層をターゲットにした魔法道具を製作する店を開き、この屋敷と工房を作れるほどの富を築き上げていた。

  そして、その商売の傍ら、善逸の装備のメンテナンスを行ってくれているのである。

  勿論、有料だ。

  「とっくにメンテナンス終わってるぞ。いつまで寝てんだ、このカス」

  そう言って、獪岳が顎をしゃくると、そこには善逸の愛刀と、白地に金の飾りが入った騎士服が綺麗に折りたたまれていた。

  態度こそ悪いが、手入れを引き受けてくれたり、屋敷に善逸の部屋を用意し、いつでも帰って来れるようにしてくれていたりと、何だかんだと善逸の世話を焼いてくれる。

  そんな義兄に善逸は相変わらずだなと苦笑する。

  「おら、とっとと支払うもん支払え」

  そう言って、彼が差し出してきた請求書を目にした瞬間、善逸は目玉が飛び出るほど慄いた。

  「高っ!ぼったくりもいいとこじゃん!」

  「うるせぇ、注文したのはお前だろうが。毎回戦闘が怖いからって理由で騎士服にかける防御魔法を増し増しで!とか言って泣きつきやがって」

  「そうだけどさ!だからって身内からこんなに踏んだくる!?オレ義弟だよ?」

  「身内であっても商売は商売だ。それとも何か?俺以外にお前の注文を全部聞ける、腕の良い魔法技師がいるか?」

  「ううっ~…」

  獪岳がそう言うのも仕方なかった。

  雷魔法は使い手が少なく、また取得しにくい魔法。

  よって、雷魔法に精通した人間が少ない為、専用の装備や魔法道具を作れる者も少なかった。

  それに、獪岳はこの数年で技術を取得した為、経験値は浅いものの、彼自身の真面目さと努力が実を結び、既に有能な魔法技師として名を連ねるようになっていた。

  よって、その腕はお墨付きなのである。

  「それに、生きていくには金が必要不可欠だ。金はいくらあっても困らねえ。持ってる奴から搾れるだけ搾り取るのは当然だろ」

  「このクズ!人でなし!」

  あくどい笑みを浮かべる獪岳に善逸は抗議したが、彼がきちんと仕事をこなすことは知っていた為、泣く泣く高額な支払いをすることになったのである。

  「なあ」

  善逸からむしり取った金を数える獪岳が声をかける。

  「何?」

  さめざめと泣きながら、財布の中身を確認する善逸。

  そんな彼に対し、金勘定を終えた獪岳は、どこか責めるような口調でこう尋ねた。

  「いつまで、あの狼を隣に置くつもりだ?」

  義兄の問いに、それまで和やかだった善逸の雰囲気が変わる。

  「獪岳。何度も言っているけど、彼には宇髄天元って名前があるんだ。そんな言い方はやめろよ」

  善逸が、どこか怒ったような声でそう返す。

  けれど、獪岳も引かず、逆にギロッと睨み返す。

  「実際、狼だろうが」

  「狼の獣人なだけだ。獣人はどこにでもいる。珍しくないだろ?」

  獣人は、太古の昔、八百万の神々や精霊が人と交わり、生まれた種族の一つだ。

  動物の特性と、強靭な肉体を持つ以外、人間とほぼ変わらない存在である。

  「そこじゃねぇよ。お前、狼苦手だろ」

  「………」

  「何でそんなトラウマ刺激する奴を副官として傍に置くのかって聞いてるんだ」

  苛立ったような獪岳の言葉に、善逸は静かに目を伏せる。

  「……狼は、今でも苦手だよ」

  「だったら、さっさと―――」

  「でも」

  義兄の言葉を遮り、善逸は言葉を続ける。

  「でも、宇髄さんはオレの故郷を襲った魔狼じゃないよ」

  「………」

  「それに、じいちゃんが言ってたじゃないか。全ての狼が悪いわけじゃない。狼だからって理由で偏見を持つなって」

  師である、祖父のことを出されたからだろう。

  獪岳は口を噤み、チッと舌打ちした。

  押し黙った義兄に、善逸は一転して明るい口調で彼に声をかける。

  「獪岳。アンタの心配はありがたいと思ってるよ。でも、オレは信じたいって思った人を信じたいんだ」

  「………後で、泣きを見るのはお前だぞ?」

  義兄の忠告に、けれど善逸は静かに首を振る。

  「これがオレの性分なのは、兄貴も知ってるだろ?それに、この一年、宇髄さんと組んで二人で部隊を回してきたんだ。だから彼の人となりはよく分かっているつもりだよ」

  善逸の言葉に、獪岳は再び舌打ちすると、一言だけ、俺はお前の心配なんてしてねぇと釘を刺し、金を握りしめたまま背中を向けた。

  「オラ、支払い終わったならとっとと宿舎へ戻れ。隊長殿」

  「うん、ありがとう兄貴。また来る」

  「ふん」

  善逸は笑顔で手を振り、魔法騎士団の宿舎へと帰っていった。

  その後ろ姿を見送りはせず、獪岳は前方を睨んだまま、ぎゅっと金を握る手に力を込める。

  「俺は信用しない。たとえ、産屋敷様の後見があったとしてもな」

  そう呟くと、善逸から貰った金を分け、一つは商売用の金庫に、残りをカス用と書かれた魔法貯金箱に入れると、机に大きな紙を広げた。

  「見ていろ。必ず尻尾を掴んでやる」

  忌々しげにそう呟くと、獪岳は広げた紙に手を翳し、何かしらの作業を始めたのであった。

  “痣持ち”

  それは、妖や堕ちた神々…つまり魔物と呼ばれるモノから受けた呪いを持つ者の総称だ。

  呪われた者は、全員体のどこかに痣が刻まれる。

  そのことから、痣持ちと呼ばれる人間は、魔物を呼び寄せる、または魔物の手先になるなどと、謂れのない迷信を囁かれ、迫害されてきた歴史を持つ。

  十年前、当時七歳だった善逸は、故郷の村を魔狼に焼かれた。

  そして、彼だけが唯一生き残ったのだが…気付けば善逸の胸には、この黒百合の痣が刻まれており、そのせいで自分を引き取ってくれた祖父や義兄の住む村で、彼は白眼視されて育った。

  追い出されなかったのは、祖父が元“鳴神”の隊長だったこと、そして義兄こと獪岳が魔法騎士となったからだった。

  けれど、善逸が通るだけで痣持ちと陰口を叩かれ、何故か通りすがりの狼や犬に噛まれる。

  そんな経緯から、善逸は狼が苦手になった。

  その後、祖父とともに町に出て、魔法騎士となるべく、養成学校に入った。

  魔法騎士の適正があった善逸はそこで頭角を現し、竈門炭治郎や嘴平伊之助といった、初めて友人と呼べる存在にも出会えた。

  しかし、長年他者から白眼視された恐怖心から、彼らに痣のことを打ち明けることはできなかった。

  だから、魔法騎士団の中で、善逸が痣持ちだと知っているのは、魔法騎士団総指令であり僧侶の悲鳴嶼と、医務官の胡蝶カナエ、そして彼女の妹であり、二年前まで善逸の副官を務めてくれた胡蝶しのぶだけだった。

  半年前までは…ーーー

  「ゲッ」

  思わず顔を歪め、歩みを止める。

  獪岳の屋敷の正門の前。

  それは、魔法騎士団からの迎えの馬車だった。

  しかし、問題は馬車ではなく、馬車の前に佇む巨体のほうであった。

  「よう、お疲れ。善逸」

  低くも美しい声が、善逸の名を呼ぶ。

  そこには、一人の獣人が彼を待っていた。

  ピアスのついた尖った耳と、勢いよく振られる大きな尻尾。

  髪は耳や尻尾と同じく白銀色をしており、印象的な深紅の瞳と高い鼻、薄い唇が彼の顔立ちの良さを物語っている。

  そんな美しい顔立ちの割には、かなり上背があり、盛り上がった筋肉が、着崩された黒い騎士服の上からも目視できた。

  そんな充分すぎるほど存在感を放つ青年の登場に、善逸はジロッと彼を睨んだ。

  「……宇髄さん」

  善逸がその名を呼ぶと、彼は片手を上げ、こちらへと歩み寄ってきた。

  そう。

  この人物こそ、先程まで獪岳との話題で出てきた人物。

  狼の獣人:宇髄天元。

  善逸の副官である。

  今年で二十五歳となる年上の相棒の登場に、けれど善逸はジトッとした目で彼を睨んだ。

  「……オレ、村田さんに迎えを頼んだんだけど?」

  「村田は用事があるらしくてな。だから、俺様が代わりに来てやった」

  「……オレが頼んだ仕事は?」

  「頼まれてた報告書の作成なら、とっくに終わらせたぜ。隊長殿」

  「今日はオレ達の部隊、夜の見回り入ってないよね?もう終業時間だと思うけど?」

  「安心しろ。今はプライベートだ。それで、飯を食うついでにお前を迎えにきた」

  ああ言えばこう言う相棒の姿に、善逸はガックリと肩を落とした。

  (ちょっとは、オレから離れてくれよ)

  そう心の中で愚痴を溢す。

  誤解のないように言っておくが、この副官は仕事は非常に優秀である。

  優秀なのだが、一つだけ悪癖があった。

  それは、善逸のそばを片時も離れないことだった。

  仕事中だけならともかく、プライベートも何かとそばに居ようとする

  だから、迎えは本部の事務員である村田に頼んだのだ。

  少し息抜きをしたかったから。

  そして、彼にもまた、ちゃんと息抜きをして欲しかったから。

  「あのさ、宇髄さんも少しはオレのいない時間を楽しんだら?」

  善逸の視線に、けれど宇髄は気にする様子もなく、その美しい顔を近づけ、クンクンと匂いを嗅いでくる。

  「装備のメンテナンスは無事終わったみたいだな」

  「話聞いてる?」

  「できれば、工房にもついて行きたいんだがな。お前んとこの兄貴が睨むから入れないし、何よりこの屋敷に入ることを許可してくれねぇ…ったく、いつになったら許可して貰えるんだか…」

  「だ~か~ら~!」

  善逸は声を張り上げ、ビシッと人差し指を突きつける。

  「何度も言っているけど、偶には羽を伸ばして好きなことしろって言ってるの!それに、オレ来週で十八よ!?目が離せない子どもじゃないの!つーか、四六時中アンタが付きまとうせいでオレのほうが息が詰まる――って、イデデデ!?」

  片手で頭を鷲掴みされ、喚く善逸。

  宇髄は青筋を浮かべたまま、笑顔でこう言った。

  「それが迎えに来た副官様に言う言葉ですかね?隊長殿」

  「イデデデ!いや、離してよ!痛いんだって!」

  「まずは言うことあるだろ?人としての礼儀はちゃんと守れよ。隊長」

  「痛い!痛いってば!ありがとうございます!神様、仏様、宇髄様!」

  涙ながらに叫べば、ようやく解放された。

  地べたに蹲り、頭を抱える善逸に、宇髄は何事もなかったか彼を見下ろした。

  「ほら、さっさと立て」

  「誰のせいでこうなったと!」

  「まだ頭への刺激が足りねぇようだな?」

  「帰りましょう!」

  そう言って、物凄いスピードで馬車に乗る善逸。

  宇髄も続けて馬車に乗る。

  二人が隣り合って座ると、馬車がゆっくりと動き始めた。

  ガタ、ゴト…――

  夜の帳が降り、美しい上弦の月が昇る。

  綺麗に整えられた大通り。

  そこにある街灯に明かりがつき始める。

  そんな風景を見ながら、善逸は隣にいる青年に声をかけた。

  「ーーー宇髄さん」

  「ん?」

  「……ごめんね」

  「……何がだ?」

  「……迎えに来てくれるのも、オレから片時も離れられないのも、全部オレのせいだよね?」

  「………」

  「オレが、犬や狼の獣人を狂わせるから、そばを離れられないんでしょ?この痣のせいで」

  顔を伏せ、胸元を握りしめる善逸に、宇髄はポンと彼の頭に手を置いた。

  「そんなんじゃねぇよ」

  「でも…」

  「そもそも、全ての犬系獣人が狂ってるわけじゃねぇだろ?現に俺は狂っていない」

  「…………」

  「お前のことが心配なんだよ。だから、今回みたいに妙な気を遣うな。息抜きをさせようと思わなくていい」

  「………気付いてたんだ?」

  「当たり前だろ」

  わしゃわしゃと頭を撫でられながら、肩を震わせる善逸。宇髄はそのまま彼の頭を抱き寄せた。

  「いつも泣きわめくくせに、妙なとこで一人で抱え込みやがって。何のために俺がいると思ってんだ」

  「………っ…」

  「あの日、お前が襲われなくてよかった…」

  宇髄の言葉に、善逸は縋るように彼の胸に顔を埋めると、暫しの間声を殺して泣き始めたのだった。

  事の発端は、半年前だった。

  満月の輝く夜。

  夜の見回りをしていた善逸の騎士団。

  途中、魔物の群れと遭遇し、手下の魔物を宇髄達部下に任せ、善逸は一人逃げた魔物のリーダーを追いかけた。

  そして、襲われていた犬の獣人達を守り、リーダーを倒した直後ーーーそれまで、雲に隠れていた満月が現れ、善逸を照らした。

  その瞬間、突如助けた犬の獣人が理性を失い、善逸に襲い掛かってきたのだ。

  犬や狼の獣人達は、満月が近づくにつれて力が強くなる。

  それに、魔法騎士は一般人に対し、魔法を含む不必要な攻撃は禁止されてた。

  加えて、圧倒的な体格差があるのだから、小柄な善逸が勝てるわけがなく、その場に押し倒され、騎士服を破かれた。

  あの時、善逸の異変をいち早く察知した宇髄が駆けつけてくれなければ、きっと乱暴されていただろう。

  その結果、善逸が痣持ちだということが宇髄にバレてしまった。

  後にわかったことだが、彼の胸に刻まれた黒百合の痣は、人間には感じられないが、犬系の獣人、特に狼の血を引く獣や獣人を虜にする香りを発しているらしく、今回満月が引き金となり、その香りが強くなったことで、力の弱い獣人が理性を奪われ、このような事態が起こってしまったらしい。

  そのことから、善逸は宇髄に別な部隊に異動するよう伝えた。

  痣持ちであることがバレた以上、もう傍にはいてもらえないと思ったからだ。

  しかし、宇髄はそれを拒否した。

  痣持ちなんて関係ない。

  善逸が今後も理性を失った獣人に襲われる危険性があるなら、尚更力が強い狼である自分が傍がそばにいるほうが安全だと言ってーーー

  だから、宇髄は今も善逸の副官として傍にいる。

  「もうすぐ満月だろ?悲鳴嶼の旦那には早く連絡しろよ。満月の夜はお前にとっては危険だからな」

  「うん、わかってる。迷惑かけてごめん」

  「何で謝んだよ。誰だって事情抱えてんだから気にすんな」

  半年前の一件以来、“鳴神”は満月の夜には見回りが入らないよう配慮されている。

  更に善逸は日中はともかく、任務中であっても、夜に一人で出歩くことを禁止され、特に最も香りが強くなる満月の夜は、僧侶の悲鳴嶼が管理する離れに隠るようになっている。

  表向きは、病を患った為ということにしているので、宇髄以外の“鳴神”の魔法騎士達は、善逸の痣のことは知らないままだ。

  「情けないよね。隊長が夜に一人で出歩けないなんて」

  分厚い胸板に顔を埋めたままそう告げれば、宇髄は大きな掌で善逸の頭を優しく撫でた。

  「情けなくなんてねぇよ。それにお前は隊長としてよくやっている」

  「そうかな?」

  「自信持て」

  そう言って笑う年上の副官に、善逸は宇髄を見上げた。

  「本当にさ。宇髄さん、オレを励ますのがうまいね」

  「隊長のサポートは副官の仕事だろ?」

  「普通は内面のサポートまではしないって。本当、何で宇髄さんオレなんかの副官を希望したの?アンタなら、引く手数多だったでしょ?」

  彼の美しい顔を見上げ、そう尋ねる。

  事実、宇髄は優秀だ。

  獣人は、一般的に身体能力は優れているが、魔力は全くないか、あったとしても少ない。

  そんな中、宇髄は従来の獣人よりも魔力が強く、更に身体面、頭脳面、そのどちらも飛びぬけていた。

  だから、九つある騎士団の大半が彼を欲しがった。

  そんな彼が志望したのが、善逸の率いる“鳴神”だった。

  当時副官の胡蝶が異動となり、副官を募集していた善逸の元へ、いきなり志願書を持って執務室に押し入ってきた衝撃は、今も覚えている。

  “副官志望だ。よろしく、我妻隊長?”

  「………本当、突然だったよね。急に部屋に入ってきたと思ったらグイグイ迫って来てさ。あの時はアンタのデカさと威圧感にオレ体が固まって声も出なかったよ」

  「嘘つけ。猫のように素早く資料棚の上に逃げたくせに。オマケに、即答で無理!って言い切ったじゃねぇか。そのあとも、狼苦手なの~ごめんなさいね~!とか言って泣きわめきやがって」

  「当たり前じゃん!本当に狼苦手なんだから…っていうか、アンタも相当しつこかったよね?逃げ回るオレを捕まえて、顔近づけてさ。俺が慣れさせるから問題ねぇとか言っちゃってさ!絶対試験で落としてやるって心に誓ったからね?」

  「だから、あんな過酷な選定試験にしたのか?そこまでするか?ってくらい…」

  「……それが一番良いと思ったんだよ。アンタ以外の志望者もいたし。実際、命の危険もある部隊だからね」

  「その結果、俺様以外全員脱落だったけどな?お前、マジで叫んでたよな。何でこうなるの!って」

  思い出したようにクツクツと笑う宇髄に、善逸も抗議する。

  「しょうがないじゃん!狼に慣れるわけないって本気で思ってたし……オレかなり悩んだのよ!?」

  「実際、慣れただろ?」

  「うっ…」

  得意気に笑う宇髄に、善逸は言葉を詰まらせた。

  そんな彼を優しく見下ろし、宇髄は言葉を続ける。

  「言っただろ?俺は、お前のド派手な戦いぶりに惹かれて副官を志望したって」

  「………でも、オレは臆病だよ。すぐ泣くし」

  「でも、お前は逃げないだろ」

  「そんなことは…」

  「善逸」

  宇髄の深赤色の瞳が、優しく細められる。

  「確かにお前は臆病だし、すぐ泣く。でも、お前は絶対に誰かを置いて逃げたり、責任から逃げたりしないだろ?」

  「それは……」

  「それに、あんなに俺のこと怖がっていたお前が、それでも俺にチャンスをくれて評価してくれた。そして、今こうやって副官としてそばに置いてくれる。お前はちゃんと公平に見れる奴だ。十分隊長の器だよ」

  「宇髄さん…」

  「お前が雷魔法で人を守る姿に、俺は惹かれた。少しは認めろよ、自分のこと。自分で自分を認めなくてどうすんだよ」

  宇髄の言葉に、善逸はまたもや泣きそうになり、再び彼の胸に顔を埋める。

  “臆病者”

  “泣き虫”

  過去に、善逸が言われた言葉だ。

  獪岳が、当時副官だった善逸に隊長の座を譲り、引退すると表明した時、一部の善逸を見下す騎士から反対意見が上がったのだ。

  その意見に、獪岳は善逸との対戦試合をさせた。

  勝った人間に隊長の座を譲ると言って―――

  結果は、善逸の圧勝。

  それでも反論し、善逸のことを罵る一人の騎士がいた。

  獪岳が身内である善逸だけに秘密の訓練をさせているんだろうと罵って―――

  贔屓だと、隊長の為についてきたのにと罵る騎士に、獪岳は冷たい目で彼を見下ろすと、一生そうやって他者を妬んで生きろと言い捨て、彼を解雇した。

  それから、三年近く経ち、今や善逸のことを罵る者はいない。

  けれど、善逸自身どこか不安だった。

  自分が、本当に騎士隊長で良いのかと…ーーー

  「ま、すぐにその後ろ向きな性格が治るわけないからな。とりあえず…」

  キイィッーーー

  不意に、馬車が止まる。

  「息抜きしようぜ?俺と二人で」

  たどり着いた場所を窓から覗くと、そこは宿舎ではなかった。

  「えっ?ここって…」

  先に馬車から降り、馬に変身していた筋肉質なネズミに褒美の魔法菓子を与えた宇髄が、ニッと悪戯っぽく笑う。

  「言っただろ?飯を食うって。ここで食ってから戻ろうぜ」

  「でも…」

  「蛇猫亭の季節限定桃パフェ。食べたかったんだろ?」

  心の内を見透かすかのような言葉に、けれど気恥ずかしい善逸はつい悪態を吐いてしまう。

  「べ、別にどうしても食べたいわけじゃ…」

  「せっかく、来週誕生日の隊長殿に桃パフェ食わせてやろうと思ってたんだがな~」

  「ううっ!………食べたいです…」

  あっさりと降参する善逸に、宇髄はおかしそうに笑う。

  「最初から素直にそう言えって。まあ、隊長の素直じゃないとこ、俺は可愛いから気に入っているけどな」

  「そういうことは女の子に言え!」

  キーッ!と声を上げて怒る善逸に、宇髄は彼にポカポカと背中を叩かれながらも、楽しそうに笑う。

  そして、善逸も怒りながらも、内心このやり取りを楽しんでいた。

  なかなか素直になれないが、善逸は宇髄に心から感謝していた。

  願わくば、彼とはずっと気のおけない友人として一緒にいたい。

  (宇髄さん、ありがとう)

  心の中だけでそう告げると、善逸は宇髄とじゃれ合いながら、魔法騎士達の憩いの場である、洋食屋《蛇猫亭》へと入っていったのであった。

  この時、善逸は知らなかった。

  痣の本当の恐ろしさを…

  善逸が願った、宇髄とはずっと友人でいたいという望みが、十八歳になったと同時に潰えることを…――――

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