ケモナーおっさん転生記(2)

  第6話:不器用な熊と、はじめてのお使い

  この世界で目が覚めてから、一ヶ月が過ぎた。

  俺の今の生活は、控えめに言って最高だ。

  空気は美味いし、水は清らか。村人たちはみんな親切で、ご飯も(俺が狩ってくれば)腹一杯食べられる。

  前世で満員電車に揺られ、ディスプレイと睨めっこしていた日々が嘘のような、スローライフの極みがここにはある。

  だが、たった一つ。

  どうしても無視できない、切実な問題があった。

  バキッ。

  朝、顔を洗おうとして手桶を持った瞬間、乾いた音が響いた。

  俺の手の中で、木製の手桶が無惨にもひしゃげている。水が虚しくこぼれ落ち、俺の足元を濡らした。

  「……またか」

  俺は溜息をついた。これで五個目だ。

  【STR(筋力):26】。

  この異常なステータスは、戦闘においては頼もしい武器になる。だが、平和な日常においては「呪い」でしかない。

  ドアを開けようとすれば取手をもぎ取り、コップを持てば粉砕し、ウィルに肩もみをしてやれば瀕死に追い込む。

  俺の指先は、繊細な作業を許さない。

  【DEX(器用さ):04】という数値が、俺のQOLを著しく下げているのだ。

  (……このままじゃ、いつか村中の家具を破壊し尽くしてしまう)

  俺は決意した。

  なんとかしなければならない。

  ***

  その日の昼。俺は村長の家を訪ねていた。

  「……ドウグ。……ホシイ」

  「道具、とな? 狩りの道具ならガントに……」

  「……チガウ。……チカラ、ヨワメル」

  俺が身振り手振りで「コップを優しく持ちたい」「ドアを壊したくない」と伝えると、村長は立派な口髭を揺らして「ふむ」と唸った。

  「なるほどのう。ガク殿の怪力は、確かに生活するには不便じゃろう」

  「……(コクコク)」

  「残念ながら、この村にはそんな気の利いた魔道具は売っておらん。だが……西へ三日ほど行ったところに『交易都市グランキース』がある。あそこなら、何か見つかるかもしれんぞ」

  グランキース。

  その名を聞いたガントが、横から口を挟んだ。

  「グランキースか。確かにあそこには魔術師ギルドの支部もあるし、ドワーフの鍛冶師も店を構えてる。力を増幅する腕輪や、指先の動きを補正する手袋なんて話も聞いたことがあるな」

  それだ。俺が求めていたものは、まさにそれだ。

  ゲームでは、ステータスを増減させる装備品があった。

  俺の目が輝いたのを察してか、村長がニヤリと笑った。

  「どうじゃ、ガク殿。自分の買い物のついでに、村のお使いも頼まれてくれんか?」

  「……オツカイ?」

  「うむ。ガク殿が狩ってくれたグラスホーンの素材を街で売れば、魔道具を買うこともできるじゃろう。そのついでに、村で採れた薬草や魔獣の素材を売って、冬を越すための小麦や調味料を仕入れてきて欲しいのじゃ。お主のその怪力とあの荷車があれば、普通の竜車三台分は運べるじゃろう?」

  願ってもない話だった。

  ただ自分のために行くだけじゃなく、村の役にも立てる。それに、大都市に行けば村にはない美味い飯や、珍しい食材にもありつけるかもしれない。

  俺の胃袋が、期待に震えてグゥと鳴った。

  「……マカセロ」

  俺が力強く親指を立てると、村長たちは嬉しそうに笑った。

  ***

  翌朝。

  俺は村の入り口で、旅の支度を整えていた。

  愛車の荷車(特大サイズ)には、魔獣の角や皮、森で採れた薬草などが山のように積まれている。

  総重量はかなりあるだろうが、今の俺にはリュックサック程度の重さだ。

  「ガクさーん! 待ってー!」

  出発しようとした時、大きな荷物を背負ったウィルが走ってきた。

  旅装束に身を包み、腰には小さな短剣を下げている。

  「……ウィル? ……ミオクリ、カ?」

  「違うよ、僕も行くの!」

  ウィルは荷車のふちに飛び乗ると、えっへんと胸を張った。

  「ガクさん一人じゃ、街の入り口の検問で困るでしょ? 名前や目的を聞かれても上手く答えられないし、書類の記入だってあるんだから。僕が一緒に行って、その辺の手続き係をやるよ!」

  ……確かに。

  俺は言葉が片言だ。「ナマエ、ガク、カイモノ」くらいしか言えない。役人相手に込み入った説明をするのは不可能に近い。

  ましてや大都市の検問ともなれば、荷物の内容確認や滞在許可証の発行など、面倒な手続きが山ほどあるだろう。俺一人なら、入り口で立ち往生して途方に暮れるのがオチだ。

  「それに僕、村の大人たちについて行って、何度か街まで行ったことがあるんだ」

  ウィルが得意げに尻尾を振った。

  「道順もバッチリだし、どのお店で買い取ってもらえばいいかも知ってるよ。それに、村長さんも最初からそのつもりだったみたいだよ。だから、僕に案内させて!」

  それは心強い。

  ただの子供の付き添いではなく、経験豊富なガイド役というわけだ。

  どうやら、村長が俺にお使いを頼んだ時点で、ウィルの同行もセットで考えられていたらしい。俺だけが気づいていなかったようだ。

  俺の【INT(知性):04】を補うには、この聡明な相棒が不可欠だと思えた。

  「……ワカッタ。……タノム」

  「うん! 任せてよ!」

  見送りに出てきたマーサや村人たちが手を振っている。

  「ガク! ウィルを頼んだよ! あと、あたしへの土産は甘い酒がいいね!」

  「気をつけてなー! 無駄遣いするなよー!」

  まるで遠足に出かけるような明るい声援。

  俺は鼻を鳴らして応え、荷車の持ち手を握った。

  「……イクゾ」

  「出発進行ー!」

  ズシン、という足音と共に、俺たちは歩き出した。

  目指すは交易都市グランキース。

  俺の不器用さを治す魔法のアイテムと、まだ見ぬ美味い飯を求めて。

  俺とウィルの、初めての二人旅が始まった。

  [newpage]

  第7話:道中、あるいは静寂の夜

  旅に出て、最初の数時間で分かったことがある。

  この世界の旅は、ゲームのように快適なファストトラベルではないということだ。

  「……ガク、さん。ストップ。……ストップ」

  荷車の荷台から、青ざめた顔のウィルが弱々しい声を上げた。

  俺が足を止めると、ウィルはフラフラと地面に降り立ち、自身の尻をさすりながらへたり込んだ。

  「……これ、拷問だよ……。歩いたほうが百倍マシだよ……」

  無理もない。

  俺が引く荷車には、衝撃を吸収するサスペンションなんて上等なものはない。木の車輪が石や轍を踏むたび、その衝撃はダイレクトに荷台へ伝わる。

  しかも俺の歩幅は大きく、一歩一歩の踏み込みも重い。荷台の上のウィルは、まるでシェイカーの中身みたいに撹拌され続けていたのだ。

  「……スマヌ。……オレ、ワカラナカッタ」

  「ううん、ガクさんのせいじゃないよ。前に行商について行った時も、揺れがすごくてすぐ降りちゃったんだった……。やっぱり、横着しないで歩くのが一番だね」

  結局、ウィルは荷車に乗るのを諦め、俺の横を歩くことになった。

  自分の足で歩く疲れはあるだろうが、内臓を揺さぶられるよりは健康にいい。

  ***

  日が落ち、街道沿いの開けた場所で野営をすることになった。

  ウィルは慣れた手つきで焚き火の準備をし、手早く火をおこしてくれた。

  俺はと言えば、下手に手伝って大事な鍋を握りつぶさないよう、直立不動で見守ることしかできない。

  夕食の干し肉のスープを飲み干すと、ウィルは少し不安げに、暗い森の奥へと視線を向けた。

  「……ガクさん。今夜は、少し気をつけたほうがいいかも」

  「……ナニカ、イル?」

  「うん。最近、この辺りの街道で夜盗が出るって噂があるんだ。街に向かう商人を狙って、夜中に襲ってくるらしいよ」

  夜盗、か。

  今の俺たちには護衛もいないし、この目立つ大荷物だ。格好の標的になりかねない。

  「だから、火の番は絶対にサボっちゃいけないんだ。……本当は僕、先に見張りの番をするつもりだったけど……」

  「……イイ。……ネル。……オレ、オキテル」

  ウィルは強がってはいるが、歩き疲れて瞼が重そうだ。

  俺がそう言うと、彼は「ありがとう……後半は代わるから、絶対に起こしてね」と言い残し、焚き火のそばに敷いた毛布にくるまった。

  数秒もしないうちに、安らかな寝息が聞こえてくる。

  俺は焚き火に薪をくべ、その燃え上がる炎を見つめながら、静かにあぐらをかいた。

  パチパチと薪が爆ぜる音だけが、夜の森に響く。

  俺は自分の大きな掌をじっと見つめた。

  岩をも砕く破壊的な剛腕と、コップひとつ満足に掴めない不器用さ。

  この歪なステータスは、決して偶然の産物ではない。かつて俺が『プレイヤー』として、ゲームの周回プレイ特典を使って作り上げた『素手特化のネタビルド』そのものだ。

  周回特典によるステータス底上げのおかげで、ウィルが心配していた夜盗や、その辺の雑魚モンスター相手なら負けることはない。過剰なほどのSTR(筋力)が全てを解決してくれる。

  だが、俺は知っている。この身体には明確な弱点があることを。

  空を飛ぶ魔物には拳が届かない。素早く動き回る小動物のような敵には翻弄される。ただ腕力が強いだけで、対応力があまりに低いのだ。

  そもそも、元となったゲームには『レベルアップ』というシステムが存在しなかった。

  キャラクターを強くするためには、『剣技能』や『弓技能』といった技能を強化するか、あるいは装備や道具で能力を補うしかなかった。

  だが、俺は特性スキルの制約で、武器を装備することができない。剣も弓も、俺が持てばただの鉄屑と化す。

  俺に残された道は、この不器用な拳一つで立ち回ることだけ。

  だが、今のままじゃ、いつかウィルを守りきれない時が来るかもしれない。

  空からの奇襲や、俺の拳が届かない距離からの攻撃に、俺はどう対処すればいい?

  (……なにか、いい方法はないか)

  ふと、足元に手頃な石が落ちているのに気づいた。

  俺はそれをおもむろに拾い上げた。拳大の、ちょうどいい重さの石だ。

  (……投石、とかどうだ?)

  元となったゲームには『投擲』というアクションは存在しなかった。

  つまり、これはシステム外の攻撃だ。

  剣や弓といった「武器」の扱いには制限がかかるが、ただ「石を投げる」という原始的な動作なら、『武器の装備不可』のデメリットに引っかからないかもしれない。

  試してみる価値はある。

  幸い、周囲に人の気配はない。

  俺は音を立てないようにゆっくりと立ち上がり、三十メートルほど離れた場所にある大木に狙いを定めた。

  振りかぶって、投げる。ただそれだけ。

  イメージするのは剛速球。

  「……フンッ!!」

  風を切り裂く音が鳴った。

  放たれた石は、俺の想像通りの凄まじい速度で飛んでいく。

  ――が、その軌道は狙った大木から大きく逸れ、あさっての方向へ吸い込まれていった。

  ドゴォォォォン!!

  石が着弾した茂みで、何かが爆発したような轟音が響いた。土煙が舞い、木々が揺れる。

  やはり【DEX(器用さ):04】の影響か、コントロールは絶望的だ。

  だが、その破壊力は期待以上だった。

  「ヒッ……!?」「ば、化け物……!」「撤退だ!!」

  ん?

  着弾した茂みの奥から、何やら短い悲鳴と、慌ただしく逃げていく足音が聞こえた気がする。

  小動物でもいただろうか。脅かしてしまって悪いことをした。

  (……狙いは外れたが、威力は十分だ)

  俺は自分の手応えに満足して頷いた。

  今はノーコンだが、練習すれば遠距離攻撃の手段として使い物になるかもしれない。これは大きな発見だ。

  俺は少し軽くなった気分であぐらをかき直し、再び焚き火の番に戻った。

  「ガクさん。何かあったの?」

  「スマヌ、ナンデモナイ、ダイジョウブ」

  大きな音で、起こしてしまったようだ。

  大丈夫だと答えると、再び眠りにつくウィル。

  俺はウィルに掛かった毛布がめくれないよう、自分の大きな体を風上に移動させ、壁になった。

  夜明けまで、まだ時間はある。

  グランキースに行けば、このノーコンを補正する道具だって見つかるかもしれない。

  俺は満天の星空を見上げながら、まだ見ぬ街で待つ「何か」に淡い期待を寄せた。

  [newpage]

  第8話:大都市と、金貨の重み

  村を出発してから三日。

  道中は拍子抜けするほど平和だった。

  結局、心配していた野盗と遭遇することもなく、西の大都市『交易都市グランキース』へとたどり着いた。

  ただ、街に入るための関門、あそこだけは少し大変だった。

  巨大な城壁に感動した俺が、衛兵たちに「最高の笑顔」で挨拶をしたのがまずかったらしい。

  俺としては「こんにちは」のつもりだったが、衛兵たちには「貴様らを喰い殺して通る」という宣戦布告に見えたらしく、危うく防衛部隊を呼ばれるところだった。

  結局、ウィルが必死に頭を下げ、俺が狩った獲物を見せて「この人は凄腕のハンターなんです! 顔が怖いだけなんです!」と必死に説得して、ようやく通行許可が下りたのだ。

  「はぁ……。疲れたよ、ガクさん」

  「……スマヌ。……オレ、ワラウ、ダメ」

  「うん。街の中では、なるべく歯を見せないでね。約束だよ」

  ウィルに釘を刺され、俺はマスク代わりの布を口元に巻くことになった。

  ともあれ、無事に街へ入ることができた。

  石造りの建物が並び、多くの人々が行き交う大通り。

  荷車を引く俺の姿は嫌でも目立つが、ここは大都市だけあって、様々な獣人や大型の荷物を運ぶ商人も多い。村にいた頃よりは、奇異の目で見られることも少ないようだ。

  「ガクさん、まずはこの荷物を売りに行こう」

  ウィルが手元のメモを見ながら言った。さっきの検問で、衛兵たちから情報を仕入れてきてくれたらしい。

  「いつもなら冒険者ギルドに行くところだけど、このグラスホーンは素材としての価値が高いから、『商人ギルド』に直接持ち込んだ方が高く買い取ってくれるって」

  「……ショウニン。……ワカッタ」

  俺たちはウィルの先導で、大通りに面した立派な建物を目指した。

  ***

  商人ギルドのカウンターは、ちょっとした騒ぎになっていた。

  それもそうだろう。受付の目の前に、巨大な「グラスホーン」の素材――立派な角と、分厚い皮、そして太い骨が、ドスンと積み上げられたのだから。

  「通常、グラスホーンの討伐には大掛かりな罠か、高火力の魔法が必要です。ですが、そうするとどうしても皮が焼け焦げたり、角が折れたりしてしまう。……なのに、これはどうだ」

  査定係の猫獣人の男が震える手で、傷一つない皮を手に取った。

  「打撃による内部破壊で仕留めているのか……? 外傷が全くない。この品質の素材が、あろうことか二頭分も……」

  査定係は、信じられないものを見る目で俺と素材を交互に見つめた。

  「一体どうやって仕留めたんですか?」

  「……ナグル。……オワリ」

  「な、殴る……?」

  俺が拳を握って見せると、ヒッと息を呑んで後ずさった。

  ウィルが慌ててフォローに入る。

  「あ、あの! それで、買い取り額はいくらになりますか?……」

  「あ、ああ、そうですね。この品質の素材なら十分な価値がありますよ。少しお待ちを……」

  査定係は奥へ引っ込み、数分後、重そうな革袋を抱えて戻ってきた。

  提示された金額の詳細を聞いて、ウィルが「ふえっ!?」と変な声を上げた。

  「き、金貨で……こんなに!?」

  「当然です。これほど状態の良いグラスホーンの素材は、騎士団でも滅多に持ち帰れませんからね。防具や武器の素材として、高値で取引されます」

  ウィルが目を回している横で、俺は腕組みをして考え込んでいた。

  (……グラスホーンって、そんなに強い魔物扱いなのか?)

  ゲームでは、草原エリアに出てくる雑魚モンスターに過ぎなかった。

  動きは単調だし、装備が整えばノーダメージで倒せる。

  それが、この世界では「騎士団が対応するレベルの強敵」扱いらしい。

  (まあ、確かに……)

  ゲーム画面越しならただのデータだが、現実であの質量の突進を受け止めるとなると、話は別だ。

  生身の人間がアレと戦えば、大型トラックに轢かれるようなものだろう。

  この世界の人々にとって、あの魔物は「ちょっと倒すのが大変な相手」どころか、命がけの脅威なのかもしれない。

  (俺の感覚の方がズレてるのか。……気をつけないとな)

  自分の常識(ゲーム知識)と、この世界の常識(リアル)のギャップを再認識し、俺は密かに気を引き締めた。

  ***

  ギルドを出た後、ウィルが興奮冷めやらぬ様子で革袋を確認していた。

  「すごいよガクさん! 村の薬草の売り上げとは桁が違う……。こっちの大きい袋二つは、ガクさんの取り分だね。はい」

  村から持ってきた薬草や雑多な素材の売り上げは微々たるものだった。袋の中身のほとんどは、俺が狩ったグラスホーンの代金だった。

  ウィルは村の分の売り上げを分けると、残りの重そうな袋を二つ、俺に渡そうとした。

  だが、俺は首を横に振り、その袋をウィルの方へ押し戻した。

  「……ムラ、カネ。……ゼンブ、ヤル」

  「えっ? だ、ダメだよ!」

  ウィルが慌てて手を振る。

  「グラスホーンを倒したのはガクさんだし、ここまで運んだのもガクさんだよ。売り上げはガクさんの報酬だもん。受け取れないよ。」

  ウィルは真面目だ。子供なのに、しっかりと線を引こうとしている。

  だが、俺にも考えがあった。

  俺はウィルの頭に大きな手を乗せ、ぽんぽんと軽く撫でた。

  「……ムラ、セワ、ナッタ。……オレイ」

  「お礼って……でも、こんな大金……」

  「……オレ、ムラ、ヤク、タチタイ」

  俺は拙い言葉を紡いだ。

  この一ヶ月、身元不明の怪しい熊(俺)を受け入れ、寝床と食事を与えてくれた村への感謝は、こんな金貨数枚じゃ足りないくらいだ。

  それに――俺は自分の太い指先を見つめ、苦笑した。

  「……ヒトリ、カイモノ、デキナイ」

  「あ……」

  「……カネ、アッテモ、ツカイミチ、ナイ。……ドウグ、カウ、ダケ」

  俺の【INT(知性):04】と【CHA(カリスマ):04】では、一人で店に入って交渉することすらままならない。

  金を大量に持っていても、騙されるか、怖がられて売ってもらえないのがオチだ。

  俺に必要なのは、不器用さを治す魔道具を買う金だけ。それ以上持っていても、宝の持ち腐れなのだ。

  「ダカラ……ウィル、モッテテ。……ムラ、タメ、ツカウ」

  俺がそう言うと、ウィルは少し考え込み、やがて真剣な眼差しで俺を見上げた。

  「……わかった。ガクさんがそう言うなら、僕が責任を持って預かるね。村のみんなのために、大事に使わせてもらうよ」

  ウィルは革袋をしっかりと抱きしめた。

  その顔には、村の未来を託された責任感が宿っていた。

  「……ヨカッタ。……コレデ、カエル」

  「うん! あ、そうだ。ガクさんの目的も忘れてないよ」

  ウィルが懐をポンと叩き、キリッとした顔で俺を見上げた。

  「魔道具を買うお金はちゃんと避けるからね。さあ行こう、ガクさんの力を抑える『魔道具』を探しに!」

  そうだ。それが一番の目的だ。

  この有り余る破壊力を制御し、コップ一つまともに持てるようになるための道具。

  俺は深く頷いた。

  「……イクゾ。……ドウグヤ、サガス」

  俺とウィルは、再び賑やかな大通りへと歩き出した。

  懐には村への土産代を、胸には魔道具への期待を膨らませて。

  [newpage]

  第9話:ミスリルの握り飯と、平和への手錠

  商人ギルドで教えてもらった店は、大通りの喧騒から少し離れた、職人街の一角にあった。

  煙突から黒煙を上げ、槌音が響く工房。その軒先に『鉄の爪』という看板が掲げられている。

  「ごめんくださーい!」

  ウィルが声を上げながら重い扉を開けると、熱気とともに鉄と油の匂いが漂ってきた。

  店内には所狭しと剣や鎧、そして用途不明の怪しい金属製品が並んでいる。

  「へいらっしゃい。……ん?」

  カウンターの奥から顔を出したのは、目の周りに黒い隈取のような模様がある、ずんぐりむっくりした体型の獣人だった。

  アナグマの獣人だ。

  身長はウィルと同じくらい低いが、横幅は倍ほどもある。樽のような胴体に、地面を掘り進むための強靭な腕と爪。その毛皮は煤と油で黒ずみ、職人としての年季を感じさせた。

  店主は俺の姿を見ると、一瞬だけ鼻先をひくつかせたが、すぐにニヤリと笑った。

  「こりゃあデカイ客だ。特注のフルプレートでも入り用かい? その体格なら、ドラゴンの鱗でも使わねぇと合う鎧はねぇぞ」

  「……チガウ。……ヨロイ、イラナイ」

  「あ、あの! 僕たちは魔道具を探しに来たんです」

  ウィルが一歩前に出て説明する。

  俺の力が強すぎて困っていること。日常生活に支障が出るので、力を「抑える」道具が欲しいこと。

  話を聞き終えた店主は、呆れたように鼻を鳴らした。

  「力を抑える、だぁ? 世の中、少しでも強くなりたいって奴ばかりだってのに、贅沢な悩みだなオイ」

  「……コマッテル。……コップ、モテナイ」

  「はんっ、不器用なだけだろうが。力の加減くらい、気合いで覚えな!」

  店主は取り付く島もない。

  まあ、普通はそう思うだろう。俺の【STR:26】が、気合いでどうにかなるレベルを超えているとは想像もつくまい。

  (どう説明したものか……)

  俺は困って視線を泳がせた。

  ふと、カウンターの端に、文鎮代わりなのか手頃な大きさのインゴットが置いてあるのが目に入った。

  銀色に輝く、綺麗な直方体だ。

  (……綺麗だな。鉄か? いや、もっと軽い気がする)

  俺は何気なくそれを手に取った。

  ひんやりとしていて、手触りがいい。

  無意識のうちに、手持ち無沙汰を紛らわせるように指先で弄んでしまった。

  むにゅっ。

  (お?)

  意外と柔らかい。粘土か?

  俺は掌で転がしながら、キュッキュッと形を整えてみた。

  三角形にして……そう、おにぎりの形だ。

  綺麗に角が立った、銀色のおにぎり。我ながら良い出来だ。

  俺は満足して、それをコトッとカウンターに戻した。

  「……オニギリ」

  俺が呟くと、店主の目が点になった。

  彼はカウンターの上の「それ」を凝視し、次に俺の顔を見て、また「それ」を見た。

  「……おい、兄ちゃん」

  「……?」

  「それ、なんだか知ってるか?」

  「……ネンド?」

  「ミスリルだ」

  時が止まった。

  ミスリル。

  ゲーム知識で言えば、鉄よりも軽く、ダイヤモンドよりも硬いとされる伝説の金属。

  魔法金属の中でも最高峰の硬度を誇り、加工するには専用の炉と熟練の技術が必要なはずの……。

  「……ア」

  俺は「おにぎり」を見た。

  店主の指差す先には、かつてインゴットだったものが、俺の肉球の痕をくっきりと残して三角形に成型されている。

  「……ゴ、ゴメン。……カッテニ、サワッタ」

  俺は慌てて頭を下げた。やってしまった。売り物か素材か知らないが、貴重な金属をダメにしてしまった。

  弁償と言われたら、さっきのグラスホーンの金が全部吹っ飛ぶかもしれない。

  だが、店主は怒るどころか、引きつった笑いを浮かべていた。

  「……信じらんねぇ。冷えた状態のミスリルを、素手で捏ね回したのか? 専用の炉でガンガンに熱して、ハンマーで叩いてようやく曲がる硬さだぞ……?」

  「……スマン。……モト、モドス?」

  俺が再び手を伸ばそうとすると、店主は「やめろやめろ」とその手を払った。

  「どうせ溶かして使う予定だったから形はいいんだよ! ただ……なるほどな。こりゃあ確かに『コマッテル』わけだ」

  店主は額の汗を拭い、深くため息をついた。

  「ウィル坊主、だったか。苦労してるんだな」

  「はい……。家具がいくらあっても足りないんです。扉の取っ手は消耗品だし、スプーンは一回食事するたびに折れちゃうし……」

  「違いない」

  店主は納得したように頷くと、「ちょっと待ってな」と言って店の奥へ消えた。

  ガサゴソと何かを漁る音がして、やがて埃っぽい木箱を抱えて戻ってきた。

  「力を抑制する魔道具なんてのは、需要がねぇから滅多に作らねぇんだが……昔、訳ありの客に頼まれて作った試作品が残ってたはずだ」

  店主が箱を開け、中からジャラリと金属製の「それ」を取り出した。

  黒ずんだ二つの分厚い鉄輪。そして、それを繋ぐ鎖。

  「……コレ、テジョウ」

  ガクが正直な感想を述べると、店主は悪びれもせずに頷いた。

  「そりゃそうだ。力を抑制するなんて、拘束具くらいでしか使い道がねぇからな。こいつには魔法の術式が刻んである。着けた者の筋力に負荷をかけ、無理やり出力を落とす。お前のそのデタラメな怪力を抑えるにゃ、これくらい強力な呪いが必要だろ」

  「……ナルホド」

  確かに理にかなっている。

  俺は納得して腕を差し出した。

  これをつければ、もうドアノブを破壊することもなくなるのか。なら、多少の不自由は我慢しよう。

  「ダメダメダメぇッ!!」

  ウィルが悲鳴を上げて俺の腕にぶら下がった。

  「ガクさん、正気!? そんなもの着けて歩いてたら、どう見ても犯罪者だよ! ただでさえ見た目が怖いのに、手錠なんてしてたら関所で一発アウトだよ!」

  「……ア」

  「それに見てよ! サイズ全然合ってないじゃん!」

  言われてみれば、その鉄輪は一般的な獣人のサイズで作られている。俺の丸太のような手首には、指輪くらいのサイズにしかならないだろう。

  「……ハイラナイ」

  「ちっ、やっぱそうか。規格外もいいとこだからな」

  店主は舌打ちをして、手錠をカウンターに放り投げた。

  「だが、仕組みはこいつで合ってるはずだ。サイズを合わせ、見た目をもう少しマシなデザインに作り直してやることはできる。……ただし」

  店主は親指と人差し指を擦り合わせた。

  「特注だ。術式の書き換えが必要になる。安くはねぇぞ?」

  ウィルがゴクリと喉を鳴らし、「い、いくらですか?」と尋ねる。

  店主が提示した額は、決して安くはなかった。だが、さっき商人ギルドで受け取った大金があれば、十分に払える額だった。

  「……払えます! お願いします、ガクさんのために最高のものを作ってください!」

  「毎度あり! 金払いのいい客は大好きだぜ!」

  店主はニカッと笑い、俺の腕の太さを紐で測り始めた。

  「デザインはどうする? いっそ首輪にするか?」

  「犯罪者感が増すからやめて! 普通に、腕輪っぽくしてください!」

  「へいへい。んじゃ、鎖は外して、バングル型にするか。……それと、緊急時には外せるようにしておいてやるよ」

  店主は俺の顔を見て、ニヤリと笑った。

  「いざって時に、そのミスリルを握りつぶす怪力が使えねぇんじゃ、宝の持ち腐れだからな。一瞬でロックが外れる仕組みを組み込んでやる」

  「……タスカル」

  それはありがたい。

  普段はリミッターとして機能を制限し、魔物との戦闘時や緊急時にはパージして全力を出す。

  なんだか、ヒーローの変身アイテムみたいで少しワクワクしてきた。

  「改造には時間がかかる。二日後の昼過ぎに取りに来な」

  「わかりました! 行こう、ガクさん」

  俺たちは店主に礼を言い、店を後にした。

  手には、代金を支払って少しだけ軽くなった革袋。だが、心は羽が生えたように軽かった。

  完成すれば、俺は「普通の生活」を手に入れられるのだ。

  店を出て、俺は空を見上げた。

  太陽はまだ高い位置にあり、白い石畳を眩しく照らしている。

  「……ウィル。……メシ、イクカ」

  「うん! お昼まだだったもんね。今日は奮発して、美味しいもの食べよう!」

  「でもその前に……ガクさん、もう一つ行きたい場所があるんだ」

  ウィルが俺を指差した。

  「服を買いに行こうよ」

  「……フク?」

  「そう。ガクさんの今の格好、よく見たらボロボロでしょ?」

  言われて、俺は自分の姿を見下ろした。

  身につけているのは、村の孤児院長であるマーサが、シーツや余り布を繋ぎ合わせて作ってくれた特注の簡易服だ。

  村には犬獣人しかいないため、俺のような巨大な熊に合う服などなかった。マーサの優しさには感謝しているが、正直なところ「継ぎ接ぎだらけの布を巻きつけただけ」に見えなくもない。

  「この街なら、牛や虎の獣人さんもいるから、きっと『大型獣人専門店』があるはずだよ!」

  「……ナルホド」

  「せっかくお金もあるんだし、ガクさんも格好いい服を着ようよ!」

  ウィルの提案は魅力的だった。

  文明的な服を着る。それもまた、「普通の生活」への第一歩だ。

  俺は大きく頷いた。

  「……イイナ。……フク、カウ」

  「決まりだね! じゃあ、そっちの方も探検しに行こう!」

  ウィルが嬉しそうに駆け出す。

  魔道具に、新しい服。そして美味い飯。

  俺たちは期待に胸を膨らませ、賑わう大通りへと歩き出した。

  [newpage]

  第10話:「普通」の値段と、温かなベッド

  『鉄の爪』を出た後、僕たちは大通りの向こう側にある衣料品店エリアへと足を運んだ。

  目的のお店はすぐに見つかった。

  道に面して大きく跳ね上げられた板戸の奥に、僕なら毛布として使えそうな大きさのシャツやズボンが、梁から何着も吊るされている。

  軒先には太い幹を持つ大樹の看板が掲げられ、『大樹の装い亭』という屋号が刻まれている。ここならきっと、ガクさんに合う服も見つかるはずだ。

  「ここだよ、ガクさん。入ろう」

  「……オウ」

  僕が入り口をくぐると、奥から店主さんが顔を出した。

  丸い耳に、がっしりとした体格。店主さんは、ガクさんと同じ熊獣人のおじさんだった。

  同族なら話も早いだろうし、サイズ感もわかってくれるはずだ。

  ……と、思ったのだけれど。

  「デカイねぇ……。お客さん、どこの山から降りてきたんだい?」

  店主のおじさんは、ガクさんを見上げて口をあんぐりと開けていた。

  僕から見れば、店主さんも十分に見上げるほど大きい。でも、その店主さんがさらに首を痛めるほど見上げているのが、隣にいるガクさんだ。

  同じ熊獣人でも、大人と子供……いや、親熊と小熊くらいの体格差がある。

  「あの、この人に合う服を探しているんですけど……」

  「うーん、悪いねぇ坊主。こりゃあ在庫にはねぇな」

  店主さんは困ったように頭をかいた。

  「ウチはサイ族や牛族、それに熊族向けの特大サイズを専門に扱っちゃいるが……この兄ちゃんは規格外だ。熊獣人でも、こんなに縦も横もある奴はそうそういねぇよ」

  そうなんだ。

  僕たち犬獣人からすると、大型獣人の人はみんな「すごく大きい」で一括りになっちゃうけれど、やっぱりガクさんの大きさは、同族から見ても異常らしい。

  ガクさんは「……オレ、デカイ?」と不思議そうに自分の体を見下ろしている。自覚がないのがガクさんらしいけれど。

  「どうしてもって言うなら、完全なオーダーメイドになるね。生地も通常の五、六人分は使うし、普通の糸じゃ弾け飛んじまうから、テント用の太い糸で縫わなきゃなんねぇ」

  オーダーメイドか。高くなりそうだ。

  でも、ガクさんは今、マーサ院長がくれた簡易服一着しか持っていない。これからの生活に着替えは絶対に必要だ。

  「わかりました。……あの、洗い替えも含めて、全部で三着お願いできますか?」

  「三着かい? そいつはまた……」

  店主さんがカウンターで試算を始める。

  時間が経つ毎に、緊張感が高まっていく。

  「……生地代だけで通常の五倍、それに縫製の手間賃を入れて……一着につき銀貨五十五枚ってところだな。端数はまけてやって、三着で締めて銀貨百六十枚だ」

  「ひゃ、百六十枚……ッ!?」

  僕は息を呑んだ。

  銀貨百六十枚。

  この国の通貨は、金貨一枚が銀貨二十枚の価値だ。つまり、金貨八枚ということになる。

  都市の労働者のおじさんたちが、朝から晩まで汗水流して働いても、一年間で稼げるのは銀貨三百枚程度だと聞いたことがある。

  つまり、たった服三着に、大人の年収の半分以上が吹き飛ぶ計算だ。

  (高い……高すぎるよ……!)

  一般庶民の感覚なら、絶対に「じゃあいいです」と言って逃げ出す値段だ。

  でも、これだけの布地と、職人さんの特注技術を考えれば、決してぼったくりではない。適正価格なのだとわかる。

  僕は震える手で、懐にあるずっしりと重い革袋の感触を確かめた。

  この中には、商人ギルドで受け取った金貨が、推定で三百枚近く詰まっている。

  一般人が二十年働いてようやく稼げる額だ。

  だけど今の手持ちからすると、金貨三百枚のうちの、たった八枚。

  ……全体のほんの一部だ。

  (……払える。全然、余裕で払えちゃう)

  僕はハッとして、首を横に振った。

  あぶないあぶない。

  大金を手にしたからって、金銭感覚までおかしくなっちゃダメだ。金貨八枚は大金だ。絶対に大金なんだ。

  ……でも、これはガクさんのための「必要経費」だ。

  サイズが合う服はここでしか作れないんだから、迷っちゃダメだ。

  そう、これは必要な出費なんだ……!

  僕はそう自分に言い聞かせて、震える手で革袋の紐を解いた。

  「は、払います! 金貨八枚……はい、ちょうどです!」

  「おっ、金貨払いかい。景気がいいねぇ!」

  店主さんはニカッと笑い、僕が差し出した金貨を受け取った。

  「よし、兄ちゃん。採寸するからじっとしててな」

  店主さんが脚立を持ってきて、ガクさんの周りを忙しなく動き回る。

  胸囲を測るメジャーが足りなくて、二本繋いでいるのを見て、店主さんがまた呆れたように笑っていた。

  「採寸は終わったよ。特注を三着となると大仕事だが……まあ、他の客を待たせてでも優先してやるよ。明後日の昼間にまた来てくれ」

  「明後日……二日後ですね」

  僕は日数を数えて、ポンと手を叩いた。

  さっきの『鉄の爪』の店主さんも、魔道具の改造には「丸二日はかかる」と言っていた。

  つまり、服も魔道具も、完成するのは二日後だ。

  「ちょうどよかったです。僕たち、他の用事もあるので。じゃあ二日後、楽しみにしています!」

  「おうよ。期待して待ってな!」

  店主さんに見送られ、僕たちは店を出た。

  二日後。

  その時こそ、ガクさんはボロボロの服と、溢れすぎる力から解放されて、「普通の生活」を手に入れるんだ。

  「……ガクさん。楽しみだね」

  「……オウ。……フク、ウレシイ」

  ガクさんが嬉しそうに頷く。

  さて、今日の予定はこれで終わりだ。

  僕たちは美味しい匂いの漂う、夕暮れの大通りへと歩き出した。

  ***

  買い物を終えた僕たちは、美味しそうな匂いに誘われて、大通りに面した賑やかな大衆食堂に入った。

  懐は温かいし、今日は奮発していいお肉を食べようと決めていたんだ。

  「いらっしゃい! ……うおっ、デカイな!」

  店員のお兄さんが目を丸くする中、僕たちは一番奥の広いテーブル席に案内された。

  ガクさんが恐る恐る椅子に座る。

  ミシミシッ……。

  木製の椅子が、聞いたことのない悲鳴を上げた。

  ガクさんは「……ッ」と息を止め、空気椅子のような体勢で動きを止めた。

  「ガ、ガクさん、無理に座らなくていいよ! 床に座ろうか!」

  「……スマヌ」

  結局、ガクさんは椅子のない側の床に胡座をかいて座ることになった。

  行儀は悪いけれど、こうするとガクさんの胸のあたりにテーブルが来て、むしろちょうど良い高さになるのだ。

  「ご注文は何にします?」

  「えっと……今日の焼き物はなんですか?」

  「今日は草竜の香草焼きだよ。脂が乗ってて美味いぞ」

  「じゃあそれを、特大サイズで二つ! あとパンも山盛りで、スープもお願いします!」

  しばらくして運ばれてきた料理は、湯気を立てて輝いていた。

  木の大皿に、ドスンと乗った骨付き肉。その香ばしい匂いに、ガクさんの喉が鳴る。

  「……ウマソウ」

  「いただきます!」

  ガクさんが嬉しそうに、肉を切り分けるためのナイフを手に取る。

  ガクさんは慎重に、ナイフの切っ先を肉に向けた。

  ……あ。

  パキッ。

  乾いた音がした。

  ガクさんの手の中で、分厚い鉄製のナイフが、まるで枯れ枝のようにへし折れていた。

  柄の部分だけを握りしめたガクさんは、「……ア」と悲しそうな顔で、肉に突き刺さったままの刃を見つめている。

  「……マタヤッタ」

  「ど、ドンマイだよガクさん!」

  やっぱり、今のガクさんに食器を使うのはハードルが高すぎたみたいだ。

  「ガクさん、切り分けるのは諦めよう。お行儀は悪いけど、丸ごと齧り付いた方が安全だよ」

  「……オウ。……イタダク」

  ガクさんは気を取り直し、素手で骨付き肉を掴んだ。

  そして、ガブリと豪快に食らいつく。

  その瞬間、ガクさんの目がカッと見開かれた。

  「……!! ……ウマイ!!」

  村で食べていた干し肉とは違う、噛むほどに染み出す肉汁と、香草の香り。

  ガクさんは夢中で肉を頬張り、パンを吸い込むように平らげていく。

  周りの人たちが興味深そう(というか、猛獣を見るような目)で見ていたけれど、気にしないことにした。

  ガクさんは、たくさんおかわりもして、お腹いっぱい食べて、お会計は銀貨五枚。

  村での僕の一ヶ月分の食費が、たった一食で消えてしまった計算だ。

  正直、かなり痛い出費だ。財布の紐がキュッと締まる思いがする。

  でも、ガクさんのあの山のような巨体を維持するためには、これくらいの量は必要なんだろう。普通の人の五倍は体が大きいんだから、食費だってたくさんかかって当然だ。致し方ない。

  それに、あんなに幸せそうに食べる顔を見たら「高い」なんて言えなかった。

  美味しいご飯をお腹いっぱい食べられる。それだけで、なんだかすごく幸せな気分だった。

  ***

  お店を出ると、日は西に大きく傾き、石造りの街並みを茜色に染め上げていた。

  「……ウィル。……ヤド、サガス」

  「えっ、宿?」

  ガクさんの言葉に、僕は思わず立ち止まった。

  宿に泊まる。それは僕にとって、ものすごく贅沢なことだ。

  村からの行商では、いつも荷竜車の荷台で寝るか、市壁の外で野宿をするのが当たり前だったから。

  (お金は十分ある。でも……)

  懐の金貨は、ガクさんが命がけで稼いだ、大事な財産だ。

  ガクさんの服や魔道具みたいな「必要なもの」には惜しみなく使うべきだけど、さっきの食事でもかなり贅沢をしてしまったし……。野宿でも僕は平気だし……。

  「……カネ、ナイ?」

  僕が考え込んでいると、ガクさんが心配そうに顔を覗き込んできた。

  「い、いえ! あります! お金はいっぱいあります!」

  「……ンジャ、トマロウ。……フカフカ、ネル」

  そうだ。ガクさんは疲れているんだ。

  都市に着くまでずっと荷車を引いてきたし、慣れない街を歩き回ったんだもの。硬い地面じゃなくて、ちゃんとしたベッドで休みたいよね。

  僕の節約心のために、ガクさんに無理をさせるわけにはいかない。

  「うん、そうだね。ガクさんがそう言うなら、泊まろう! なるべく頑丈で広い部屋があるところがいいね」

  僕たちは何軒かの宿を回ったけれど、規格外に大きいガクさんの姿を見ただけで「満室だ」と断られたり、入り口のドアが小さすぎて入れなかったりで、なかなか決まらなかった。

  数軒目でようやく、中庭に離れがある高級宿『銀の蹄亭』を見つけた。

  「一泊、銀貨十枚になりますが……」

  受付のヤギ獣人のお姉さんが申し訳なさそうに言ったけれど、僕は迷わず支払った。

  案内された離れの部屋は広くて、床も石造りで頑丈そうだ。これならガクさんが歩いても床が抜ける心配はない。

  部屋の真ん中には、立派な木彫りのベッドが置かれている。

  藁ではなく、羽毛が詰まった高級な寝具は、見るからに柔らかそうだ。

  「……オォ。……フカフカ」

  ガクさんの目が輝いた。

  旅の間は、ずっと硬い地面で寝ていたんだ、こういう柔らかい寝床に憧れていたんだろう。

  ガクさんは嬉しそうにベッドに歩み寄り、そっと腰を下ろそうとした。

  ――ミシッ。

  部屋中に、不吉な音が響き渡った。

  ガクさんの動きがピタリと止まる。

  高級なベッドの脚が、悲鳴を上げていた。

  「あ……」

  「……」

  ガクさんはスローモーションのように、そぉーっとお尻を浮かせた。

  ベッドはまだ原形を留めているけれど、ガクさんの全体重をかければ間違いなくバラバラになる。

  ガクさんの顔から、さっきまでの輝きが消え失せていた。

  丸い耳がぺたんと垂れ下がり、背中には哀愁が漂っている。

  「……オレ、デカスギル」

  「ガ、ガクさん……」

  「……オレ、ユカ、ネル」

  ガクさんはとぼとぼと部屋の隅へ移動すると、床に敷かれた厚手の絨毯の上に、ゴロンと横になった。

  さすがは高級宿、毛足の長い立派な絨毯が敷き詰められている。

  まるでふかふかの草原が広がっているみたいだ。

  「……コレモ、フカフカ……ウィル、ベッド、ツカエ」

  「う、うん。ありがとう、ガクさん……」

  落ち込むガクさんを慰めつつ、僕は一人で広すぎるベッドに潜り込んだ。

  ふかふかの布団。温かい部屋。そして、満腹のお腹。

  村の孤児院での、みんなで身を寄せ合って寝る夜も好きだったけど、こうして安心して眠れる夜は特別だ。

  床の方からは、すぐにガクさんの寝息が聞こえてきた。

  ふと、布団の中で考える。

  服も、魔道具も、完成するのは「明後日」だ。

  ということは……明日は丸一日、予定がないということになる。

  (……観光、できるのかな)

  僕はかつて、村のお手伝いで大人たちに同行して、何度かこの都市に来たことがある。

  でも、それはいつも「仕事」だった。

  村からこの都市までは、竜車に揺られて片道三日もかかる長い旅だ。

  道中は野宿が当たり前。ようやく都市に着いても、宿に泊まるお金なんてないから、荷竜車の荷台で藁にくるまって寝るか、安く済む市壁の外で野宿をするのが常だった。

  だから、賑やかな大通りも、美味しそうな屋台も、いつも横目で見るだけだったんだ。

  でも、明日は違う。

  帰る時間を気にしなくていいし、荷台の藁じゃなく、このふかふかのベッドがある。

  お金は……無駄遣いはできないけれど、見て回るだけならタダだ。

  (あそこの屋台で売ってた、甘い匂いの焼き菓子。……一つくらいなら、買ってもいいかな)

  (大通りの噴水広場も、近くで見てみたい)

  初めての「観光」。初めての「自由時間」。

  想像するだけで、胸がトクトクと高鳴った。

  「明日はどこに行こうかな……」

  僕は天井に向かって小さく呟いた。

  ガクさんのイビキが、相槌のように「グゥ」と鳴る。

  明日はきっと、僕の人生で一番楽しい一日になるはずだ。

  僕は期待に胸を膨らませながら、瞼を閉じた。

  [newpage]

  第10.5話:月明かりと、あどけない罪

  ふかふかの高級ベッド。

  水鳥の羽毛が詰まった掛け布団。

  それは僕がずっと夢見ていた、貴族のような寝心地のはずだった。

  けれど、僕はちっとも眠れずにいた。

  (……広い。広すぎるよ)

  寝返りを打っても、背中に触れるものがない。

  村の孤児院では、みんなでぎゅうぎゅう詰めになって寝ていたし、この旅の間も、夜はいつも焚き火のそばでガクさんに寄り添っていた。

  だからなのか、この広すぎるベッドは、なんだか夜の草原に一人で放り出されたみたいで、心細くてたまらない。

  静かな部屋に、規則正しい寝息が響いている。

  床の方からだ。

  僕は布団を抜け出し、音を立てないようにベッドから降りた。

  窓から差し込む月明かりが、部屋の床を青白く照らしている。

  分厚い絨毯の上に、巨大な影があった。

  ガクさんだ。

  仰向けに寝ているガクさんは、まるで休息する山脈みたいだ。分厚い胸板がゆっくりと上下し、深い呼吸を繰り返している。

  (……ガクさん)

  僕は吸い寄せられるように近づき、そのそばに座り込んだ。

  ガクさんの近くに来ると、ほっとする。

  体から発せられる熱気が、少し離れた場所にいる僕の肌にも伝わってくる。

  じっとその寝顔を見つめていると、不意に――あの時の記憶が蘇った。

  川でガクさんの背中を流した時のこと。

  僕の手の中で熱く脈打ち、大量に吐き出された白濁。

  あの時は、ガクさんが苦しそうだったから、助けてあげたいという一心だった。

  でも、今は違う。

  誰も見ていない夜の闇の中で、僕の胸の奥が、トクトクと妙な音を立てていた。

  (……もう一度、見たい)

  そんな考えが頭をよぎり、喉がカラリと乾いた。

  僕は息を潜め、ガクさんの左足の太ももに手をかけた。丸太のような太さだ。

  僕は慎重に、そこへ跨がった。

  ガクさんは起きない。深い眠りの中にいる。

  僕は震える指先で、ガクさんの腰布の上から、股間のあたりに触れた。

  熱い。

  布越しでも分かるほどの熱量と、質量。

  普段は柔らかく眠っているはずなのに、それでも僕の手のひらに余るほどの存在感がある。

  (……だめだ。我慢できない)

  僕は腰布の紐を緩め、隙間から手を滑り込ませた。

  指先が、熱い皮膚に触れる。

  黒っぽい肉塊をそっと引きずり出すと、それは月明かりの下で湯気を立てているように見えた。

  「……っ」

  僕の息が荒くなる。

  あの時とは違う。ただ見ているだけで、お腹の底が熱くなって、頭がくらくらする。

  気づけば、僕自身の下半身も硬く勃ち上がり、ズボンを押し上げていた。

  こんなに興奮している自分に驚きながらも、僕はもう止まれなかった。

  僕は自分のズボンを下ろし、露わになった自分自身を、ガクさんの熱い塊に押し当てた。

  熱い。

  ガクさんの体温が、直接僕に移ってくる。

  「ん……、ふぅ……」

  僕はガクさんの太ももに跨ったまま腰を振り、自分の性器をガクさんのそれに擦り付けた。

  柔らかく沈黙している肉塊は、それだけで僕の昂りよりも遥かに大きく、重たい。

  対照的な二つの竿が触れ合い、擦れる感触に、ドクン、と鼓動が早くなるのを感じた。

  今まで感じたことのない、甘くて切ない感情がこみ上げてくる。

  もっと触れたい。もっと一つになりたい。

  僕が夢中で腰を振っていると、その刺激のせいか、ガクさんのモノがビクンと跳ねた。

  (……え?)

  見る間に血液が充填され、赤黒く膨れ上がっていく。

  ふにゃりとしていたそれは、あっという間に鋼鉄のような硬度を持ち、天を突く巨塔へと変貌した。

  ガクさんの呼吸が少し荒くなる。

  けれど、目は閉じたままだ。旅の疲れが出ているのか、それとも僕の重さなんて羽毛程度にしか感じていないのか、目覚める気配はない。

  (……あっ……)

  屹立した先端から、透明な雫が滲んでいる。

  僕は衝動に突き動かされ、覆いかぶさるようにして顔を寄せた。

  そして、その巨大な先端を口に含んだ。

  「んむ……ッ!」

  大きい。

  口を限界まで開けても、先端の部分しか入らない。

  鉄の味がするような独特の匂いと、圧倒的な雄の味。

  僕は舌を絡め、夢中で吸い付いた。

  高まった興奮は収まらない。

  僕はガクさんのそれに吸い付きながら、自分の熱く勃ち上がったモノを片手で強く握りしめた。

  ジュル、チュプ、という水音が部屋に響く。

  口の中の熱と、掌で扱く摩擦。

  二つの快感が同時に脳髄を揺さぶる。

  ガクさんの吐息が熱くなり、腰がわずかに浮き上がった。

  「ん……ッ、んんーッ!」

  限界だった。

  ガクさんの圧倒的な存在感と匂いに包まれ、僕は目の前が真っ白になった。

  ――ビクンッ!!

  ガクさんの巨体が大きく震えた。

  口の中に、熱い奔流が叩きつけられる。

  飲みきれない。大量の精液が口から溢れ出し、顎を伝って胸へと滴り落ちる。

  それと同時に、自分の手の中で限界まで張り詰めていた僕自身も、絶頂を迎えた。

  ビュル、と白濁が飛び散り、ガクさんの太ももを汚してしまう。

  「はぁ……っ、はぁ……!」

  僕は力を失い、ガクさんのお腹に突っ伏した。

  心臓が破裂しそうなほど脈打っている。

  しばらくして、熱が引いていくにつれ、冷ややかな理性が戻ってきた。

  (……僕、なんでこんなことを……)

  寝ているガクさんに、勝手にこんなことをしてしまった。

  もし起きちゃったら、なんて言い訳すればいいんだろう。

  罪悪感と、事後の生々しい匂いに、顔がカッと熱くなる。

  僕は慌てて身を起こし、部屋にあった手拭いと水差しを使って、ガクさんの体を拭き清めた。

  綺麗にしても、僕の胸に残る「してしまった」という事実は消えない。

  後片付けを終えた僕は、ふかふかのベッドを見上げた。

  あそこに戻れば、また「良い子」のウィルに戻れる気がした。

  ……でも、足が動かなかった。

  (……戻りたくない)

  僕は再び、ガクさんのそばに座り込んだ。

  そして、太い腕の隙間に自分の体を滑り込ませた。

  筋肉の塊のような腕は重たいけれど、そこに包まれていると、世界で一番安全な場所にいる気がする。

  「……好きです、ガクさん」

  誰にも聞こえないような小さな声で、呟いた。

  この「好き」は、きっと違う。

  孤児院のみんなや、マーサ院長に向ける「好き」とは、明らかに違う熱を持った「好き」だ。

  まだそれが何なのか、はっきりとは分からないけれど。

  ガクさんの体温が、僕の罪悪感を溶かすように温めてくれる。

  僕はその温もりに縋るように体を丸め、深い眠りへと落ちていった。