「次は終点、花丘村、花丘村。ご乗車いただき、誠にありがとうございました」
車内のアナウンスで意識が浮上する。窓の外を眺めると、強い陽光に一瞬目が眩んだ。視界が馴染むにつれ、そこには都会では決して見ることのない、圧倒的な密度の緑──のどかな田園風景が広がっていた。
「お客さん、着きましたよ」
運転手に声をかけられ、我に返る。
「すみません、今降ります。ありがとうございました」
バスのステップを降りた瞬間、むせ返るような草いきれと土の香りが鼻腔を突いた。アスファルトの照り返しに焼かれる都会では、絶対に得られない感覚だ。
ふと、数日前のやり取りを思い出す。
SNSに残したコメントに「クマゴン」さんから返信があったのは、翌日のことだった。内容は丁寧な礼状と、プログラムの詳細。
イベントの企画運営から記録まで、村のPRに関する業務全般を他の参加者と協力してこなす。その対価として住居が提供される。
前職でイベント企画を経験していた俺にとって、それは願ってもないチャンスに思えた。何より、転職先も決まらず、亡霊のような後悔に苛まれていた自分を、誰も知らない場所へ連れ出してくれる切符のように感じたのだ。
迷わず参加を決め、ミニマリストゆえの身軽さで、俺は今日ここへ辿り着いた。
端末で地図データを表示する。集合場所の役場までは徒歩で数分。11時45分の待ち合わせには十分余裕がある。
民家が並ぶ傾斜道を歩いていると、不意に声をかけられた。
「あらあら、見ない顔ねぇ。観光の方?」
振り返ると、そこにいたのは見事な毛並みの虎獣人の女性だった。
「いえ、今日からお世話になる[[rb:宗方 > むなかた]]といいます。よろしくお願いします」
「そうなのねぇ! アタシは[[rb:大河典子 > たいがのりこ]]。気軽に典ちゃんって呼んでおくれ!」
典子さんの放つ圧倒的な「陽」のオーラに気圧されつつも、挨拶を交わす。
「今日は七夕だからね、夜には役場前で星見祭りもあるよ。お願い事はよく叶うって評判さ。あんたも短冊、書いていきなよ」
止まらないマシンガントークを丁重に切り抜け、俺は先を急いだ。
坂を登りきると、趣のある時計が埋め込まれた建物──村役場が見えてきた。
その前には、涼やかな和装に身を包んだ熊獣人の男性。隣には、対照的な体格をした二人の狼獣人が立っている。
熊獣人の男性が俺を見つけるなり、大きく手を振った。
「こんにちは! プログラム主催者、クマゴンこと[[rb:熊野幸太郎 > くまのこうたろう]]です。……陸さん、ですね?」
「そうです。今日からよろしくお願いします」
幸太郎さんの隣で、小柄な狼獣人の少年が弾けるような声を上げた。
「はいはーい! 僕は[[rb:狼関竜斗 > ろうぜきりゅうと]]。こっちは兄さんの[[rb:亮太 > りょうた]]。よろしくな!」
紹介された亮太さんは、190センチはあろうかという巨体を縮こまらせ、申し訳なさそうに会釈した。
「……狼関亮太です。よろしくお願いします。あの、あまりジロジロ見られると、その……恥ずかしいです」
弟の後ろに隠れようとして、全く隠れきれていないその姿に、思わず頬が緩む。
不意に、俺の腹がグゥと情けない音を立てた。
「はは、もうお昼時ですからね」
幸太郎さんが朗らかに笑い、二つの大きなバスケットを持ち上げた。
「歓迎会として、僕が腕によりをかけて作ってきました。交流スペースで食べましょう」
木陰のベンチで広げられた料理は、目を見張るほど豪華だった。
おにぎり、サンドイッチ、色とりどりのおかず。手作りのハンバーグを一口頬張ると、肉の旨味が溢れ出す。
「すごい……これ、お店に出せるレベルですよ!」
「そんな、大袈裟ですよ。口に合ってよかった」
幸太郎さんは少し照れたように目を細めた。その横顔は、夏の光を浴びてとても穏やかだった。
「そういえば、幸太郎さんはこの村の生まれなんですか?」
竜斗くんの問いに、幸太郎さんは頷く。
「ええ。村育ちの母と、都会から移住した父の間に生まれました。ずっと、ここですよ」
にこやかに答える幸太郎さん。だがその瞬間、彼の瞳に一筋の、深い影が過ったのを俺は見逃さなかった。