目を覚ましてから、しばらくして。
エリアスは、寒さより先に渇きを自覚した。
喉がひりつく。
息を吸うたび、内側が乾いた音を立てる気がする。
「……水……」
声は、思ったより小さかった。
それでも、すぐに影が動く。
ガレンは洞穴の奥から水袋を持ってきた。
口を付けさせる前に、鼻先を近づけ、短く息を吸う。
水の匂い。
皮袋の匂い。
そして、人間の弱い呼吸。
問題はないと判断したのか、ようやく口元に寄せる。
「……少しずつだ」
水袋を傾ける角度は、妙に慎重だった。
一気に飲ませない。喉が驚くからだ。
エリアスは言われた通りに、ゆっくり喉を鳴らす。
冷たい水が、少しずつ舌に落ちてくる。
「……生き返る……」
無意識に零れた言葉に、ガレンの手が一瞬だけ止まった。
「死にかけは、だいたいそう言う」
淡々とした返事。
だが、水を引く角度は、さらに慎重になる。
次は食事だった。
干し肉を、火で軽く炙っただけのもの。
香りが立ち、脂がわずかに滲む。
エリアスはそれを見て、戸惑った。
「……これを……?」
「噛めるか」
聞かれたのは、それだけ。
恐る恐る口に入れる。
硬い。だが、歯が立つ。
噛んでいるうちに、獣臭さの奥から脂の甘みが広がった。
「……思ったより……」
言葉を探し、
「……食べられる」
ガレンは短く頷く。
「“食える”なら問題ない」
腹に入るにつれ、身体の奥で、じわじわと熱が戻ってくるのが分かった。
問題は、そのあとだった。
ガレンは、エリアスの様子を一瞥すると、何の前触れもなく距離を詰めた。
近い。
声を出す前に、顔が寄せられる。
鼻先が、頬に触れるほど。
エリアスは完全に固まった。
ガレンは匂いを嗅いでいる。
首元。髪。吐く息。
生きている匂い。
冷えと恐怖が混じった、弱い匂い。
そのまま、舌が頬に触れた。
「……っ!?」
濡れた感触。
思った以上に、はっきりとした温度。
「……な、なにを……!」
ガレンは少しだけ首を傾げる。
「塩」
短く言う。
「汗の跡だ。放っておくと、冷える」
説明は、それで終わりだった。
一度だけで終わらない。
頬の端、顎の下、首筋へと、短く、確かめるように舌が触れる。
拭う、というより、整える動き。
エリアスの耳まで、じわりと熱が上る。
「そ、そういう……っ」
抗議しようとして、言葉が続かない。
触れられているのは、顔と首だけだ。
だが、距離が近すぎる。
息がかかる。
視界が、ガレンで埋まる。
「嫌なら言え」
低い声。
「……い、いや……」
即答できなかったことに、エリアス自身が一番驚いた。
ガレンは、それ以上気にしない。
毛皮をかけ直し、ずれた端を整える。
だが、その手は離れない。
指先が、エリアスの手に触れる。
そのまま包み、ゆっくり擦る。
強くない。
逃げられない程度の圧。
「冷えてる」
「だ、大丈夫だ……」
言い切る前に、手首を取られる。
親指が脈を探し、押さえる。
少し間を置いて、もう一度。
「……弱い」
評価だった。
次に、首元。
毛皮をずらし、鎖骨の下に指が滑る。
今度は舐めない。
指でなぞり、温度を確かめる。
「……っ、な……」
抗議にならない声。
ガレンは気にしない。
首に顔を寄せ、深く息を吸う。
エリアスの身体が、びくりと跳ねる。
近い。
近すぎる。
「……冷えてるな」
そう言って、再び舌が触れた。
今度は、首筋。
一度。
二度。
短く、確かめるように。
「……ひ……!」
思わず肩がすくむ。
濡れた感触が残り、冷たい空気の中で、そこだけが熱を持つ。
「水分と塩分」
淡々と。
「人間は、すぐ乾く」
納得は、求められていない。
次は肩。
衣の上から掌で押さえ、ゆっくりと動かす。
揉む、というより、毛並みを整えるような手つき。
「……痛くないか」
「……だい、じょうぶ……」
声が震える。
背に回った手が、肩甲骨の間を押す。
親指が、骨の際を辿る。
「……っ、ぁ……」
小さな声。
動きが止まる。
「……痛いか」
「……ちが……」
少しだけ力が抜かれる。
「……ここ、硬い」
診断。
そのまま、額が肩に触れる。
体重はかからない。だが、距離は消える。
呼吸が、近い。
吐く息が、首にかかる。
「……温める」
短く言って、そのまま動かない。
じっと、そこにいる。
エリアスは何もできなかった。
逃げる力も、拒む理由も、見つからない。
ただ、身体の奥に、ゆっくりと熱が戻ってくる。
しばらくして、ガレンは顔を上げる。
額に触れ、鼻先で軽く、二度。
匂いを確認する仕草。
「……少し、マシだ」
満足したように言い、何事もなかったように毛皮をかけ直す。
「寝ろ」
命令ではない。
判断だった。
エリアスは、自分の心臓が早く打っていることに、今さら気づく。
触れられた場所が、まだ熱を持っている。
怖い。
近い。
理解できない。
それでも。
——ガレンは、私を“生かす”気だ。
そう思った瞬間、意識がふっと落ちた。
洞穴の中で、火は静かに燃え続けている。
長い冬の夜は、まだ始まったばかりだった。