11

  洞穴の奥にこもる空気は、昼を越えてもまだ重かった。

  肌に触れなくても、互いの体温が分かる距離。

  近すぎて、離れすぎていない、危うい間合い。

  ガレンは、距離を保ったまま黙っていた。

  選ばせると決めた以上、押さない。

  ——だが、逃げもしない。

  沈黙を破ったのは、エリアスだった。

  「……ガレン」

  声は、先ほどより落ち着いている。

  震えは、ない。

  ガレンが視線を向ける。

  エリアスは一度、深く息を吸った。

  「きちんと言えずにごめん…

  私も、ガレンを愛している」

  はっきりと。

  逃げない声で。

  「拾われたからでも、守られたからでもない」

  一歩、近づく。

  今度は、止められても退かない。

  「強さに……惹かれた。力じゃない。美しく強い心に、だ」

  ガレンの喉が、わずかに鳴った。

  その瞬間、エリアスの中で、ひとつの記憶が形を結ぶ。

  ——子どもの頃、城の寝台で読まされた絵本。

  ——美しい挿絵と、静かな語り口。

  人の形をした存在が、ある日「獣」と呼ばれるようになり、

  名を失い、声を奪われていく話。

  ただ、少し見た目が違い、呼び方が変わるだけで、世界から切り離されていく。

  城を追われる前日にも見た夢。

  あの夢は、絵本の内容だったのか。

  ——怖い話だと思っていた。

  ——悪夢だと、信じていた。

  だが、今なら分かる。

  あれは恐怖ではなく、哀しみだった。

  声を上げることも許されず、それでも誰かを守ろうとして、最後には獣と呼ばれるしかなくなる存在の話。

  (……知らなかった、じゃ、足りない)

  視線が、ガレンへ戻る。

  力を抑え、選び、待つことができる獣人。

  獣であることを理由に、奪う側にも、壊す側にもならなかった存在。

  「私は……」

  エリアスは、拳を握った。

  「知らないまま、線を引いた」

  視線を上げる。

  「だから——」

  息を整え、言葉を紡ぐ。

  「いいと言った。……ガレンと交尾する。したい」

  言葉にした瞬間、頬が熱くなる。

  それでも、逸らさない。

  「ガレンを、受け入れたい。

  知らなかったことを、知りたい……逃げないで」

  沈黙が落ちる。

  長く、深い沈黙。

  やがて、ガレンは一歩、近づいた。

  額と額が触れる。息が混じる距離。

  低い声。

  「あまり、お前の口から“交尾”という言葉は…」

  正直な声音。

  だが、すぐに小さく笑う。

  「……いや、俺が言わせたな」

  そして、はっきりと告げる。

  「なら、最後まで責任を取る」

  空気が、張りつめる。

  「選べ、エリアス」

  穏やかで、逃げ場を残した声。

  「できるだけ、優しく努める」

  「人の姿か——」

  一拍。

  「獣の姿か」

  エリアスは唇を噛む。

  「……獣の、」

  声が、自然と小さくなる。

  「……いや獣じゃなくて、くまの…方……」

  ガレンの目が、わずかに見開かれた。

  (この期に及んで獣という言い方まで気を遣うのかこいつは…)

  「……本気か」

  エリアスは、静かに頷く。

  「私は…どんな現実もこの目で身体で…受け止めたい」

  ガレンは、短く息を吐いた。

  「……厄介な王だ」

  だが、その腕は、迷いなく伸びる。

  「離さない。前も言ったが…熊は、執念深い」

  夏の熱が、二人を包んだ。

  逃げ場は、もうなかった。