14

  その夜、エリアスは眠れなかった。

  洞穴は静かで、風の気配もない。

  昼間に塗られた薬草の匂いが、まだ薄く岩肌に残っている。

  それだけのはずなのに、身体の奥が落ち着かなかった。

  熱がある。

  だが、火照りというほど単純ではない。

  どこが熱いのか分からないまま、

  内側からじわじわと集まってくる感覚だけがある。

  (……おかしい)

  横になっても、呼吸が浅い。

  背を向けても、膝を抱えても、逃げ場がない。

  王宮の夜を思い出す。

  整えられた寝具、冷たい石、薬湯の匂い。

  眠るためだけに用意された夜。

  ——だが、こんな感覚はなかった。

  身体が、誰かの存在を前提にして反応する感覚。

  触れられていないのに、触れられた記憶をなぞるように熱を持つこと。

  (……誰も、教えてくれなかった)

  エリアスは無意識に背を丸めた。

  昼間、背に置かれた掌。

  薬草を伸ばす、ゆっくりとした動き。

  触れているのに、踏み込まない距離。

  ——あれは、教えだった。

  (……慣らす、って……こういう……)

  身体が勝手に続きを探してしまう。

  恥ずかしいと思うのに、止め方が分からない。

  喉が渇く。

  息が、やけに浅い。

  「……ガレン……」

  名を呼んだ声は、かすれて闇に溶けた。

  返事はない。

  眠っているのか。

  発情期の中我慢をして日中も気を張っているのだろう、仕方がなかった。

  ——それでも、言われた言葉が浮かぶ。

  《何かあったら、すぐ俺を起こせ》

  (…無視?……やっぱり、起こしたほうが……)

  エリアスは、そっと身体を起こした。

  だが、どう声をかけていいか分からず、また横になる。

  胸が上下し、呼吸が乱れる。

  (……どうして……こんな……)

  落ち着こうとして、腹に手を当てた。

  ただ、それだけのつもりだった。

  指が、少しだけずれた。

  頭をもたげている昂ぶりに、手が当たってしまった。

  「……んぁ、っ」

  喉の奥から、思いがけない音が漏れた。

  自分でも信じられないほど、熱を含んだ、情けない声。

  (……な……)

  慌てて手を引こうとした、その瞬間。

  「……エリ、」

  低い声と同時に、ガレンが跳ね起きる。

  洞穴の空気が、一気に張り詰める。

  「……はっ、ぇ…ごめ…なさ……」

  エリアスは慌てて身体を縮める。

  顔が、どうしようもなく熱い。

  「…ぁ…起こそうとして……言われたから…ん、…でも、起きなくて…」

  言葉が、途切れ途切れになる。

  ガレンは、すぐに近づかなかった。

  だが、視線だけで状況を把握しているのが分かる。

  浅い呼吸。

  濡れた睫毛。

  とろけた瞳と上気した頬。

  まだ残る薬草の匂い。

  「……これは、俺が悪い…量を誤った。

  効きやすいお前に対して、」

  低く、明確な自己判断。

  ほぼ独り言のようなそれに、エリアスが目を見開く。

  「……ふ、ぇ…?」

  「……それとすまない。

  さっきは、眠っているふりをしていた」

  ガレンの正直な告白だった。

  「……耐えていた、から」

  その一言で、エリアスの胸がぎゅっと詰まる。

  「…ガレン、…無視して…」

  「ない」

  即答。

  「ただ、今は近づけない」

  短い沈黙。

  「……多分フェロモンが、強すぎる」

  低く、噛みしめるように。

  「お前の身体が反応しているのは、異常じゃない」

  エリアスは、布の中で小さく頷く。

  恥ずかしい。

  だが、否定されなかった。

  「……眠れるか」

  「……ん、わか、ない……」

  「なら、俺は起きている。また何かあったら、すぐに呼べ」

  ガレンは背を向けたまま、動かない。

  だが、完全に起きている気配があった。

  (ガレンの背中、大きい…)

  そのまま、いつの間にかエリアスは眠りに落ちた。

  ——そして、夢を見る。

  触れられていないのに、

  確かに包まれている感覚。

  重さと熱。

  逃げ場のない、守られる距離の中で。

  名を呼ばれている気がして、返そうとして、喉が震える。

  目を覚ましたとき、身体は汗で濡れていた。

  胸が、どくどくと鳴っている。

  隣で、ガレンはきっと起きていた。

  背を向けたまま、じっと動かない。

  ——耐えているのだ。

  洞穴の奥で、

  二人とも眠らないまま、同じ熱を抱えて朝を待っていた。

  王宮では、決して教えられなかったこと。

  それを身体が先に理解してしまった夜だった。