その日、エリアスは一人で起きていた。
ガレンは外に出ている。
ギルバートも、今日は来ない。
巣穴は静かだった。
火の残り香と、雪で冷えた空気だけ。
エリアスは膝を抱えるように座り、腹に手を当てる。
食べすぎたあとのように少しだけお腹が前に出ていたが、見目はそこまで変わらない。
前にギルバートが聞かせてくれた鼓動。
必死に生きる音だった。
自分の中で、もう一つの命の音がした。
「……がんばってるんだね」
雪が溶ける前にはもう生まれる命に告げた。
時間はすぐに過ぎていくのだろう。
そのとき――
もご、
内側で、身じろぎしたような小さな感覚があった。
エリアスは、息を呑んだ。
「……?」
もう一度、手を当てる。
しばらく、何も起きない。
気のせいか、腸の動きか、思い込みなのか。
そう考えかけた、その瞬間。
――もご、もご
今度は少しだけ、でも、はっきりとわかった。
エリアスの喉が、小さく鳴った。
「……あ」
驚きと直感が同時にやって来た。
(……今の……)
指先が、自然と腹を包む。
胸の奥が、じんと熱を帯びていった。
「……ふふ、こんにちは」
自然とまた話しかけた。
その直後、巣穴の外で足音がした。
重く、ゆっくりしたそれはガレンのものだ。
エリアスは、思わず立ち上がりかけて、やめた。
『動くなよ、一歩もだ』
ふと出会ったばかりに言われたガレンの言葉を思い出したからだ。
座ったままガレンが近くに来るのを待った。
ガレンが姿を現す。
咥えた獲物からは選び抜かれた匂いがした。
ガレンは、すぐに異変に気づいた。
エリアスの表情が、いつもと違う。
驚きと喜びの顔をしている。
「……ねえ」
エリアスは、そっと言った。
「今……」
言葉を探す。
「……動いたんだ」
ゆっくりと近づき、エリアスの前に伏せた。
鼻先が、腹の前で止まる。
低く、深い喉鳴りは受け取った、という音だった。
エリアスは、思わず微笑んだ。
「……分かるんだ」
答えはない。
代わりに低い喉鳴りが、しばらく途切れなかった。
ガレンは伏せたまま動かない。
鼻先は腹の前。
吐く息はゆっくりで、深い。
エリアスは、その様子を見下ろしながら、ふっと肩の力を抜いた。
「……ねえ」
独り言の延長のような声。
「明日……ギルバートが来たら、言おうね」
ガレンの耳が、わずかに動いた。
「動いたよ、って」
腹に置いた手を、今度は少しだけずらす。
さっき感じた場所を、覚えているように。
喉鳴りが、少しだけ低くなる。
同意の音だった。
エリアスは、焚き火のほうを振り返った。
火は小さく、穏やかに燃えている。
この巣穴で過ごす時間が、いつの間にか“待つ時間”に変わっていたことに気づく。
不安の待ち時間じゃない。
恐怖の予感でもない。
――迎えるための、あたたかい時間。
エリアスは、そっと言った。
「雪が溶ける前には、生まれるんだよね」
ガレンは身体をわずかに寄せる。
エリアスは、その毛並みに額を預けた。
温かい。
雪と森の匂いがする。
「……大丈夫、」
言い聞かせるようでもあり、確信でもあった。
腹の奥で、もう一度、かすかな動きを感じた。
今度は、驚かなかった。
「……あ」
小さく笑って、息を吐く。
「ちゃんと、ここにいるね」
ガレンの喉鳴りが、また深く響く。
巣穴の外では、雪が静かに降り続いている。
世界はまだ冬の中にある。
けれど、この場所には、確かに“次の季節”が息づいていた。
エリアスは、腹に手を置いたまま、ゆっくり目を閉じる。
明日、ギルバートに話そう。
この小さな動きのことを。
今日という日を、ちゃんと、生きていた証として。
ガレンその時間そのものを守るように、静かに、呼吸を合わせ続けていた。