38

  その日、エリアスは一人で起きていた。

  ガレンは外に出ている。

  ギルバートも、今日は来ない。

  巣穴は静かだった。

  火の残り香と、雪で冷えた空気だけ。

  エリアスは膝を抱えるように座り、腹に手を当てる。

  食べすぎたあとのように少しだけお腹が前に出ていたが、見目はそこまで変わらない。

  前にギルバートが聞かせてくれた鼓動。

  必死に生きる音だった。

  自分の中で、もう一つの命の音がした。

  「……がんばってるんだね」

  雪が溶ける前にはもう生まれる命に告げた。

  時間はすぐに過ぎていくのだろう。

  そのとき――

  もご、

  内側で、身じろぎしたような小さな感覚があった。

  エリアスは、息を呑んだ。

  「……?」

  もう一度、手を当てる。

  しばらく、何も起きない。

  気のせいか、腸の動きか、思い込みなのか。

  そう考えかけた、その瞬間。

  ――もご、もご

  今度は少しだけ、でも、はっきりとわかった。

  エリアスの喉が、小さく鳴った。

  「……あ」

  驚きと直感が同時にやって来た。

  (……今の……)

  指先が、自然と腹を包む。

  胸の奥が、じんと熱を帯びていった。

  「……ふふ、こんにちは」

  自然とまた話しかけた。

  その直後、巣穴の外で足音がした。

  重く、ゆっくりしたそれはガレンのものだ。

  エリアスは、思わず立ち上がりかけて、やめた。

  『動くなよ、一歩もだ』

  ふと出会ったばかりに言われたガレンの言葉を思い出したからだ。

  座ったままガレンが近くに来るのを待った。

  ガレンが姿を現す。

  咥えた獲物からは選び抜かれた匂いがした。

  ガレンは、すぐに異変に気づいた。

  エリアスの表情が、いつもと違う。

  驚きと喜びの顔をしている。

  「……ねえ」

  エリアスは、そっと言った。

  「今……」

  言葉を探す。

  「……動いたんだ」

  ゆっくりと近づき、エリアスの前に伏せた。

  鼻先が、腹の前で止まる。

  低く、深い喉鳴りは受け取った、という音だった。

  エリアスは、思わず微笑んだ。

  「……分かるんだ」

  答えはない。

  代わりに低い喉鳴りが、しばらく途切れなかった。

  ガレンは伏せたまま動かない。

  鼻先は腹の前。

  吐く息はゆっくりで、深い。

  エリアスは、その様子を見下ろしながら、ふっと肩の力を抜いた。

  「……ねえ」

  独り言の延長のような声。

  「明日……ギルバートが来たら、言おうね」

  ガレンの耳が、わずかに動いた。

  「動いたよ、って」

  腹に置いた手を、今度は少しだけずらす。

  さっき感じた場所を、覚えているように。

  喉鳴りが、少しだけ低くなる。

  同意の音だった。

  エリアスは、焚き火のほうを振り返った。

  火は小さく、穏やかに燃えている。

  この巣穴で過ごす時間が、いつの間にか“待つ時間”に変わっていたことに気づく。

  不安の待ち時間じゃない。

  恐怖の予感でもない。

  ――迎えるための、あたたかい時間。

  エリアスは、そっと言った。

  「雪が溶ける前には、生まれるんだよね」

  ガレンは身体をわずかに寄せる。

  エリアスは、その毛並みに額を預けた。

  温かい。

  雪と森の匂いがする。

  「……大丈夫、」

  言い聞かせるようでもあり、確信でもあった。

  腹の奥で、もう一度、かすかな動きを感じた。

  今度は、驚かなかった。

  「……あ」

  小さく笑って、息を吐く。

  「ちゃんと、ここにいるね」

  ガレンの喉鳴りが、また深く響く。

  巣穴の外では、雪が静かに降り続いている。

  世界はまだ冬の中にある。

  けれど、この場所には、確かに“次の季節”が息づいていた。

  エリアスは、腹に手を置いたまま、ゆっくり目を閉じる。

  明日、ギルバートに話そう。

  この小さな動きのことを。

  今日という日を、ちゃんと、生きていた証として。

  ガレンその時間そのものを守るように、静かに、呼吸を合わせ続けていた。