ギルバートの読みは当たった。
エリアスは、はっきりと目を覚ましたのは診察から二日後の夜が明ける頃だった。
腹の奥に、これまでとは違う張りがある。
鈍く重い痛みと、確実に「始まっている」と分かる感覚だった。
「……ガレン」
声は落ち着いていた。
震えも、切迫もない。
ただ、呼吸が少しだけ深い。
ガレンはすでに起きていた。
伏せていた身体を起こし、すぐにエリアスの前に来る。
鼻先が腹の前で止まり、低い喉鳴りが巣穴に満ちた。
落ち着かせる音。
自分とエリアスに対してなのだろう。
エリアスは、ゆっくりと身を起こす。
「……始まった、かも」
その言葉を合図にしたかのように、腹の奥が、ぐっと収縮した。
「……っ」
感じたことのない痛みに思わず顔を歪める。
ガレンの動きが、そこで変わった。
一度だけ、エリアスの顔を見る。
匂い、呼吸、姿勢――
確認は短く、だが十分だった。
低く短い喉鳴り。
それから、踵を返す。
「……行ってきてくれるの?」
エリアスがそう言うと、ガレンは一瞬だけ振り返り、喉を鳴らした。
――待っていろ
そう言われた気がした。
そうしてガレンは、雪の中へ出ていった。
エリアスは、ギルバートに言われたとおりに煮出した薬草を湯で薄めて口に含んだ。
苦味と、ほのかな甘さ。
痛みが消えるわけではない。
だが、角が取れた気がした。
「……これなら、耐えられるかも」
自分に言い聞かせる声。
痛みは間隔をあけて波のように来た。
じわじわと内を拡げられるような圧迫感と、鈍い痛み。
エリアスは声を上げない。
腹の中の命も頑張っていると信じて、ただ、呼吸を合わせる。
――
どれくらいの時間が経ったのか。
巣穴の外で、足音が重なった。
熊の足取りと、人の歩幅。
「……エリアス、」
ギルバートの声だった。
ガレンが先に巣穴へ入り、すぐエリアスの側に伏せる。
ギルバートは状況を一目で把握する。
顔色、呼吸、姿勢。
「始まったな」
それだけ言って、側についた。
――
数分、数時間と時間は流れていった。
時間経過に比例して、痛みは鋭く、間隔をあけずに刺すようになった。
本当は叫びたいくらい痛い。薬を飲んでもだった。
しかし、エリアスは呼吸を乱さない。
ガレンがエリアスの背後に寄り、体温を分け与える。
「……っ、は……」
痛みの波が引くたび、エリアスは小さく息を吐いた。
額に汗が滲む。
ギルバートは、必要なときだけ指示をした。
と言っても立ち会いなんてしたことはない。
エリアスの顔色や腹の動きを見て、手探りだった。
「今だ、いきめ」
「いい、力を逃せ。あまり踏ん張るな、」
やがて――
エリアスの体内の感覚が変わった。
腹の奥の重さが、前へ、下へと移動する。
「……あ、また、」
エリアスがそう言った瞬間、ガレンの喉鳴りが、これまでで一番深く響いた。
そして世界に受け入れられた一つの命。
――産声
甲高くなく、しかし、しっかりとした泣き声。
生きている、という音。
「……生まれた、」
ギルバートの声が、はっきりと告げた。
手際よく湯で小さな体を洗い、きれいな布で背を覆った。
エリアスは、しばらく動けなかった。
ギルバートによって、自身の胸に、温もりが乗せられる。
小さい。
思っていたより、ずっと。
どんな見た目で会えるのだろうと思っていた。
「……っ、」
言葉が出ない。
小さな身体が、胸の上で動く。
匂いを探し、体温を求める。
エリアスは、震える手で抱き寄せる。
涙が、静かに滲んだ。
「…君が、お腹にいてくれたんだね、」
声が、掠れる。
ガレンはすぐ側に身体を寄せ、その小さな命とエリアスを包むように伏せた。
鼻先を赤子の頭の上で止めて、匂いを確かめ、低く、長く喉を鳴らす。
ギルバートは、二人を急かさない。
必要な処置だけを終え、静かに言った。
「……よくやったな、エリアス」
それは医師としてだけでなく、同じ命を知る者としての労いだった。
赤子は、小さく、男の子だった。
獣の特徴はなく、見た目はほとんど人間。
だが、どこか――
エリアスにも、ガレンにも似ている。
エリアスは、涙を拭いながら、笑った。
「……小さいね、でも元気だ」
胸の上で、命が呼吸をしている。
巣穴の外では、雪が静かに降り続いていた。