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翌朝、午前十時。
夏休みに入ったばかりの蒼陽小学校は、人影もまばらだった。
校門の前で待っていた陸は、腕時計へ目を落とす。
「そろそろかな。」
隣では結衣が日傘を差しながら校舎を眺めていた。
「ゲームの運営さんと現実で会うなんて、不思議な感じ。」
昨日、エターナルコネクトは緊急メンテナンスへ入った。
ログアウト直前、ノアから届いたメッセージ。
『明日午前十時、蒼陽小学校正門前へお越しください。』
その理由はまだ聞かされていない。
すると、校門の向こうから五人の姿が見えてきた。
先頭を歩くのは、肩まで伸びた黒髪の女性。
白いブラウスに紺色のジャケットという、どこにでもいる会社員のような服装だった。
その後ろを、小学生三人が楽しそうに話しながら歩いている。
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女性は二人の前まで来ると、丁寧に頭を下げた。
「お待たせしました。」
「イー・トライアングル社運営部の野上茜と申します。」
穏やかな笑みを浮かべたまま続ける。
「ゲーム内では、運営オペレーター『ノア』として、皆さんをサポートしています。」
陸と結衣は顔を見合わせた。
「……ノアさん。」
「ゲームの時と全然雰囲気が違いますね。」
「よく言われます。」
野上は少し照れくさそうに笑った。
「ゲーム内では公平性を保つため、なるべく感情を表に出さないようにしていますので。」
その一言で、場の空気が少し和らぐ。
野上は後ろの三人へ目を向けた。
「まずは皆さん、自己紹介をお願いできますか。」
真っ先に前へ出たのは、一番背の高い男の子だった。
「城島蓮です!」
元気よく頭を下げる。
「ゲームではレントって名前で騎士をやってます!」
続いて、短髪の少年が勢いよく手を挙げた。
「橘翔!」
「ゲームではショータ! モンクです!」
最後に、小柄な少女が少し恥ずかしそうに会釈する。
「春日花音です。」
「ゲームではカノ。ハイウィザードです。」
三人の自己紹介を聞き終え、陸も一歩前へ出た。
「神谷陸です。」
「ゲームではリュミエ。」
結衣も笑顔で続く。
「白石結衣です。」
「ゲームではユリシア。ハイプリーストをしています。」
「よろしくお願いします!」
四人の声が重なり、思わず笑いが起きた。
野上は全員を見渡して頷く。
「ありがとうございます。」
「実は昨日、皆さんに事情を伺った際、この三人から『自分たちも最後まで話を聞きたい』という申し出がありました。」
翔が照れ笑いする。
「昨日のPK、すごかったし。」
「不正ツールなんて初めて見たからさ。」
蓮も頷いた。
「何が起きたのか知りたいんです。」
「もちろん。」
野上は優しく答えた。
「今日は皆さんにも立ち会っていただきます。」
「では、近くの市民センターへ向かいましょう。」
市民センター二階。
小さな会議室には長机が並べられ、その一角に一人の男性が座っていた。
三十代半ばほど。
やや痩せた体格。
疲れの色が隠せない表情。
陸はすぐに気付いた。
「……ヴォルフ。」
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男性は静かに立ち上がる。
「昨日は……申し訳ありませんでした。」
深々と頭を下げた。
「田渕誠と申します。」
部屋に少し重い空気が流れる。
翔たちも思わず黙り込んだ。
野上が静かに口を開く。
「今日は誰かを責める場ではありません。」
「昨日、なぜあのような事件が起きたのか。」
「それを皆さんに知っていただくための場です。」
田渕は再び頭を下げる。
「すみません……。」
「全部、私が悪いんです。」
野上は椅子を勧めた。
「どうぞ、お話しください。」
田渕はしばらく俯いたままだった。
やがて、小さく息を吸い込む。
「私は、たんぽぽスペース社という会社で働いています。」
「コールセンターのシステム管理を担当しています。」
陸と結衣は黙って耳を傾けた。
「毎日、朝から夜まで働いています。」
「残業は当たり前。」
「休日出勤も珍しくありません。」
「残業代も……ほとんど支払われません。」
蓮が思わず声を漏らす。
「えっ……。」
田渕は苦笑した。
「会社では、それが普通なんです。」
「みんな疲れていて。」
「辞めたくても辞められない。」
「私も、その一人でした。」
翔が首をかしげる。
「でも、たんぽぽスペース社って、あの……。」
「野球場の名前になってる会社だよね?」
蓮も頷く。
「うちの親父も、あそこの名前がついたスタジアムでよく観戦してるって言ってました。」
「なんか、ちゃんとした大きい会社なんだと思ってた。」
野上も静かに同意した。
「たんぽぽスペース社は、国内の主要施設のネーミングライツを複数取得しています。」
「対外的なイメージは、決して悪くありません。」
「むしろ、優良企業として名前が知られています。」
結衣がそっと呟く。
「そのイメージと、実態が全然違う……。」
田渕は自嘲するように笑った。
「そうですね。」
「表からは、絶対に見えません。」
少し間を置いて、田渕は続けた。
「実は……数年前までは、在宅勤務を推奨していたんです。」
「会社の説明会でも、『働き方改革』『在宅勤務推進』って、大きく謳っていました。」
「でも、私は結局、在宅勤務をさせてもらえませんでした。」
陸が尋ねる。
「え、なんでだ? 推奨してたんだろ?」
「成果は出していたつもりです。」
「タイピング数……つまり対応件数も、他の人より多かった。」
「それでも、駄目でした。」
「ある日突然、『あなたはタイピング数が少ないから、在宅勤務は禁止です』と言われたんです。」
翔が眉をひそめる。
「多かったのに、少ないって言われたの?」
「はい。」
田渕は静かに頷いた。
「基準がどこにあるのか、最後まで分かりませんでした。」
「文句を言えば、次はもっと悪い評価をつけられるだけです。」
「だから、黙って従うしかありませんでした。」
部屋に、重い沈黙が流れた。
蓮がぽつりと言う。
「……なんか、思ってた会社と全然違う。」
野上は静かに目を伏せた。
「立派な名前を掲げている会社でも、中で何が起きているかは、外からは分かりません。」
「今回、お話を伺えて、私たちも初めて知ることばかりです。」
田渕は小さく頭を下げた。
「恥ずかしい話ですが……。」
「唯一の息抜きが、エターナルコネクトでした。」
「ゲームの中だけは、自分でいられたんです。」
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結衣が静かに尋ねる。
「それで、不正ツールを……。」
田渕はゆっくり頷いた。
「もっと強くなりたい。」
「もっと稼ぎたい。」
「そう思っていた時でした。」
「ネット広告で見つけたんです。」
『絶対にバレません。』
『最新版チートツール販売中。』
「販売者の名前は……マサヨシ。」
部屋の空気が再び重くなる。
「最初は買うつもりなんてありませんでした。」
「でも。」
「仕事で何もかも嫌になって。」
「ゲームくらい楽をしてもいいんじゃないかって……。」
田渕は拳を握りしめた。
「本当に、愚かでした。」
「昨日、皆さんを倒した瞬間。」
「嬉しいどころか。」
「自分でも何をやっているんだろうって思ったんです。」
翔が静かに口を開く。
「だから、逃げなかったんだ。」
田渕は小さく頷いた。
「はい。」
「逃げても、何も変わりませんから。」
野上は静かに立ち上がった。
「ご説明、ありがとうございました。」
田渕は鞄の中から一本のUSBメモリーを取り出した。
「これです。」
「購入した不正ツール本体です。」
「インストールプログラムも、そのまま入っています。」
野上は両手で受け取った。
「ご協力ありがとうございます。」
ノートパソコンを開き、USBメモリーを接続する。
画面には大量のプログラムコードが表示され始めた。
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野上は全員へ向き直る。
「これから、このプログラムの解析を開始します。」
「解析には、弊社が政府機関および一部大企業と共同運用している生成AI『AXIOM』を使用します。」
陸が尋ねる。
「AIが全部やるんですか?」
野上は首を横に振った。
「いいえ。」
「AXIOMは解析支援AIです。」
「プログラムの構造を高速で分析し、不正コードやセキュリティホールの候補を抽出します。」
「最終的な判断と修正内容の確認は、私たち人間が行います。」
そう説明すると、野上は静かにキーボードへ手を置いた。
「それでは、解析を開始します。」
画面には無数のコードが流れ始めた。
誰も言葉を発しない。
キーボードを叩く音だけが、静かな会議室へ響いている。
やがて、画面には次々と解析結果が表示され始めた。
不正コード検出……
権限昇格プログラム確認……
PK制限改変モジュール確認……
戦力判定改ざん確認……
蓮たちは思わず画面を見つめた。
「こんなのが入ってたの……?」
翔が呟く。
「これじゃ、勝てるわけないじゃん。」
野上は静かに頷いた。
「はい。」
「昨日のPKは、本来のゲームシステムでは絶対に成立しません。」
画面にはさらに赤い文字が並ぶ。
セキュリティホール検出
修正プログラム生成開始
陸が尋ねる。
「この穴を塞げば、もう同じことは起きないんですか?」
「現時点で確認できたものについては、すべて修正します。」
野上は画面から目を離さず答えた。
「ですが……。」
少しだけ間を置く。
「昨日のログには、一つだけ気になる点がありました。」
結衣が首を傾げる。
「気になる点?」
「通常の不正アクセスとは異なる痕跡です。」
部屋が静まり返る。
「ただし、現段階では断定できません。」
「今回の件との関連性も不明です。」
「ですので、もう少し調査を続けます。」
陸は小さく頷いた。
「わかりました。」
その直後。
画面に緑色の文字が表示された。
解析完了
修正プログラム生成完了
野上は安心したように息を吐く。
「これで修正は完了です。」
パソコンを閉じると、野上は田渕へ向き直った。
「それでは、処分についてお伝えします。」
田渕は静かに頭を下げた。
「本来であれば、不正ツールの使用は永久利用停止、いわゆる永久BANの対象です。」
その言葉にも、田渕は何も言わなかった。
覚悟を決めたような表情で、ただ前を見つめている。
しかし野上は穏やかな口調のまま続けた。
「今回は情状酌量を適用します。」
田渕がゆっくり顔を上げる。
「田渕さんは不正を認め、自らプログラムを提出し、入手経路についても包み隠さず説明してくださいました。」
「その協力により、セキュリティホールの早期修正が可能となりました。」
部屋の空気が少しだけ和らぐ。
「処分は、ゲーム内三日間の利用停止とします。」
「……え?」
田渕は目を見開いた。
翔も思わず声を上げる。
「よかった……。」
蓮は胸をなで下ろし、花音も安心したように微笑んだ。
田渕は何度も頭を下げる。
「ありがとうございます……。」
「もう二度と、このようなことはしません。」
野上は優しく微笑んだ。
「利用停止期間終了後、ご希望であればキャラクターをリメイクする特例措置をご用意します。」
「新しいキャラクターで、もう一度冒険を始めてください。」
田渕の目に涙が浮かぶ。
「……はい。」
「今度は正々堂々と遊びます。」
午後三時。
野上のスマートフォンへ通知が届いた。
画面を確認すると、小さく頷く。
「修正プログラムの適用が完了しました。」
「エターナルコネクトは、ただいまをもって緊急メンテナンスを終了します。」
翔が勢いよく立ち上がる。
「やった!」
花音も嬉しそうに笑った。
「またログインできますね!」
蓮は拳を握り締める。
「今度こそ、もっと強くなります!」
野上は全員を見渡し、穏やかに頭を下げた。
「本日はご協力、ありがとうございました。」
「皆さんのおかげで、迅速な対応を行うことができました。」
会議室を出る頃には、夏の日差しが少しだけ傾き始めていた。
数日後。
テレビからニュース速報が流れる。
「たんぽぽスペース社に労働基準監督署が立ち入り調査。」
「違法な長時間労働および残業代未払いの疑い。」
「警察も関係資料を押収し、実態解明を進めています。」
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自宅でニュースを見ていた田渕は、静かに画面を見つめていた。
「……やっと。」
長年、当たり前だと思っていた働き方。
誰にも変えられないと思っていた日常。
それが少しずつ動き始めている。
田渕は深く息を吸った。
「俺も……。」
「やり直そう。」
ゲームも。
人生も。
もう一度。
◇ ◇ ◇
その頃。
陸の家でも、同じニュースが流れていた。
「たんぽぽスペース社……。」
結衣がテレビを見つめる。
「本当に、あんな環境だったんだね。」
陸も静かに頷いた。
「だからって、不正をしていい理由にはならない。」
「でも……。」
「追い詰められていたのは事実なんだろうな。」
結衣はリモコンでテレビの音量を少し下げた。
「田渕さん。」
「今度こそ、ちゃんと冒険を楽しめるといいね。」
「そうだな。」
陸は小さく笑う。
「今度ゲームで会うときは、敵じゃなくて仲間として会いたい。」
結衣も微笑んだ。
「きっと、その方が田渕さんも嬉しいよ。」
窓の外では、夏空に大きな入道雲が広がっていた。
セミの鳴き声が響き、穏やかな午後が流れていく。
その空の向こうでは――
緊急メンテナンスを終えた《エターナルコネクト》の世界で、新たな冒険が静かに始まろうとしていた。
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しかし、その裏側では。
イー・トライアングル社の運営室。
モニターへ向かっていた野上は、一人、昨日のログを見返していた。
「……やはり、おかしい。」
不正ツールによる改ざんログとは別に。
ごく短時間だけ記録された、説明のつかないアクセス履歴。
外部から侵入した形跡とも違う。
内部プログラムの異常とも一致しない。
まるで――
ゲームシステムそのものを知り尽くいている何者かが触れたような痕跡。
野上は画面を見つめたまま、小さく呟く。
「あなたは……誰なんですか。」
返事はない。
モニターには、解析不能の文字列だけが静かに点滅していた。
その正体を知る者は、まだ誰もいない。
そして陸たちもまた。
これから始まる新たな冒険の先で、その存在と向き合うことになるとは――
まだ知る由もなかった。
――第4話 了
次回第5話「入れ替わる城」 7/19公開
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