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夜の港は静まり返っていた。
昼間の賑わいはすでになく、波の音だけが静かに響いている。
幽霊船が停泊する桟橋へ向かおうとした、その時だった。
「待っておくれ。」
聞き覚えのある声に、二人は足を止める。
「ガリウスさん。」
港の外れで待っていたのは、老人ガリウスだった。
その表情には、どこか覚悟を決めたような静けさがあった。
「やはり……あの船へ行くのじゃな。」
リュミエは力強く頷く。
「はい。
あの船には、きっと何かがあります。」
「そうか……。」
ガリウスはゆっくりと懐へ手を入れる。
取り出したのは、小さな木箱だった。
蓋を開けると、中には一つの銀色の指輪が納められている。
年月を経てもなお、美しい輝きを失ってはいなかった。
[uploadedimage:25181143]
「これは……?」
「四十年前、渡せなかった婚約指輪じゃ。」
ガリウスは指輪を見つめ、懐かしそうに微笑む。
「ミレイユと結婚する約束をした時に用意したものじゃが、とうとう渡せんままになってしまった。」
しばらく沈黙が流れる。
やがてガリウスは、そっと木箱をリュミエへ差し出した。
「もし……あの船でミレイユに会えたなら。」
「どうか、この指輪を渡してやってくれんか。」
リュミエは静かに木箱を受け取る。
「必ず届けます。」
その言葉に、ガリウスは小さく頷いた。
「ありがとう。」
その時、不意に聞き慣れた声が響く。
「やっぱり行くのね。」
二人が振り向くと、そこにはセラが立っていた。
「セラ。」
「もちろん、わたしも一緒に行くつもりだったわ。」
そう言ってセラは二人と並び、幽霊船へ向かって歩き出す。
三人が桟橋を進み、船まであと数歩というところで――
バチッ。
青白い光が走った。
「きゃっ!」
セラの身体が見えない壁に弾かれ、小さく後ろへよろめく。
「セラ!」
リュミエが駆け寄る。
セラは見えない壁へそっと手を伸ばく。
指先が触れた瞬間、淡い光の波紋が広がった。
「……やっぱり。」
セラは苦笑する。
「幽霊船の先には、生者を拒む結界が張られているみたい。」
「わたしは、この先へは行けない。」
ユリシアも結界へ手を伸ばす。
しかし何事もなく、そのまま通り抜けた。
「わたしたちは平気なの?」
「ええ。
選ばれた人だけが通れる結界なんでしょうね。」
セラは腰のポーチから、小さな青い水晶を取り出した。
「だから、これを持っていって。」
リュミエは水晶を受け取る。
「これは?」
「通信結晶よ。」
「結界の向こうでも、お互いに連絡が取れるはず。」
そして、少しだけ真剣な表情になる。
「でも、助けに行くことはできない。」
「だから――」
「必ず二人で帰ってきて。」
リュミエは通信結晶を大切に受け取る。
「約束する。」
ユリシアも静かに微笑んだ。
「行ってきます。」
セラは小さく手を振る。
「いってらっしゃい。」
その瞬間。
リュミエとユリシアの視界に、青白いシステムウィンドウが浮かび上がった。
──────────────────
【クエストアイテムを入手しました】
■ ガリウスの指輪
■ 通信結晶
※クエストアイテムはストーリー進行に必要です。
捨てる・売却する・預けることはできません。
──────────────────
「クエストアイテム?」
リュミエが首をかしげる。
「つまり、絶対になくせないってことね。」
ユリシアは表示を確認し、小さく頷く。
やがてシステムウィンドウは静かに消えた。
二人は改めて幽霊船へ向き直る。
──────────────────
【特殊エリアへ進入します】
このエリアでは、一定時間通常エリアへ帰還できません。
よろしいですか?
▶ YES NO
──────────────────
リュミエは迷わず「YES」を選択する。
ユリシアも頷いた。
青白い文字が静かに消えていく。
同時に、背後で船への入口が重々しい音を立てて閉ざされた。
ギィィィ……。
船内は静まり返っている。
人の気配はない。
聞こえるのは船体が軋む音と、どこからともなく滴る水音だけだった。
「……行こう。」
「ええ。」
二人は薄暗い船内へ足を踏み入れた。
◆
廊下には古びたランタンが並び、青白い炎だけがゆらゆらと揺れている。
長い年月を経ているはずなのに、船内は不思議なほど崩れていなかった。
「誰かいる……?」
リュミエが周囲を見回した、その時だった。
カタ……。
物音が響く。
振り向くと、一体の骸骨が立っていた。
朽ちた船員服。
錆び付いたカトラス。
眼窩の奥には青い炎が揺れている。
[uploadedimage:25182802]
「来る!」
骸骨が剣を振り上げる。
リュミエは素早く受け止め、そのまま剣を弾き返した。
「はあっ!」
一閃。
骸骨は音を立てて崩れ落ちる。
しかし。
カタカタ……。
奥の通路から、さらに数体の骸骨船員が姿を現した。
「まだいる!」
ユリシアが光魔法を放つ。
柔らかな光が船内を照らし、骸骨たちを次々と浄化していく。
やがて静寂が戻った。
「船員だった人たち……。」
ユリシアが静かに呟く。
「でも、まだ終わりじゃない。」
リュミエは船の奥を見据えた。
「操舵室へ行こう。」
船の最奥には、この船を支配する存在が待ち受けていた。
◆
二人は操舵室の前へ辿り着く。
重い扉が静かに軋んだ。
リュミエはゆっくりと剣を構える。
「開けるよ。」
「ええ。」
扉を押し開く。
そこには、一体の骸骨が立っていた。
豪華な船長服。
風化した船長帽。
手には大きなサーベル。
その姿は海賊船の船長を思わせる威圧感を放っていた。
[uploadedimage:25182811]
「……船長?」
骸骨はゆっくりと顔を上げる。
眼窩の奥に青い炎が灯る。
「侵入者。」
低く響く声。
「この船に、生者の立ち入りは許されぬ。」
リュミエは剣を構え直した。
「行くよ!」
次の瞬間。
バルトロメウが床を蹴った。
「速い!」
鋭い斬撃が襲う。
リュミエは辛うじて受け止め、そのまま反撃へ転じる。
「はあっ!」
剣がバルトロメウの肩を深く斬り裂いた。
確かな手応え。
白い骨が露わになる。
「やった!」
しかし、その傷口から青白い光が溢れ出した。
砕けた骨がひとりでに動き始め、まるで時を巻き戻すように元の姿へ戻っていく。
「傷が……塞がってる!?」
ユリシアが目を見開く。
すぐさま光魔法を放つ。
「ライトジャベリン!」
無数の光槍がバルトロメウを貫く。
胸を。
腕を。
脚を。
確かに貫いたはずだった。
だが、青白い光が全身を包み込む。
砕けた骨は瞬く間に修復され、何事もなかったかのように立ち続けていた。
「そんな……。」
「効いているはずなのに……!」
リュミエは歯を食いしばる。
傷は与えられる。
だが、その傷が消える速度の方が圧倒的に速い。
まるで、この海そのものがバルトロメウを守っているかのようだった。
[uploadedimage:25317205]
次の瞬間。
バルトロメウがサーベルを構える。
「終わりだ。」
一瞬の隙。
横薙ぎの一閃が走る。
リュミエは吹き飛ばされ、壁へ叩き付けられた。
「リュミエ!」
ユリシアが駆け寄ろうとする。
だが、その目前へバルトロメウが立ちはだかる。
振り下ろされたサーベルが二人を薙ぎ払う。
激しい衝撃。
視界が揺れる。
二人はそのまま床へ崩れ落ちた。
[uploadedimage:25182816]
冷たい。
身体から熱が消えていく。
耳に届く水音が少しずつ遠ざかる。
深い海へ沈んでいくような感覚。
やがて、すべての音が消えた。
静寂。
その中で、低い声だけが響く。
「ならば、お前たちも死者となれ。」
バルトロメウは静かにサーベルを掲げた。
青白い光が刀身を伝い、操舵室全体を淡く照らしていく。
次の瞬間。
二人の身体が、ゆっくりと宙へ浮かび上がった。
[uploadedimage:25182818]
「えっ!?」
「身体が……!」
もがこうとしても動けない。
見えない力が全身を支配していた。
やがて、サーベルから溢れ出した青白い光が二人を包み込む。
「な……何これ……!」
ユリシアが腕を見る。
指先から青白い光の粒子となって、静かに崩れ始めていた。
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「リュミエ!」
「身体が……!」
痛みはない。
だが、自分という存在が少しずつほどけていくような、不思議な感覚だけが全身を満たしていく。
光はさらに強く輝き、二人の姿を完全に包み込んだ。
光が収まる。
そこに立っていたのは、生者ではなかった。
身体は半透明となり、青白く淡い光を放っている。
まるで幽霊そのものだった。
[uploadedimage:25182828]
リュミエは震える手を見つめる。
「これが……俺?」
足元を見る。
影はない。
床を踏む感覚もほとんどない。
「わたしたち……死んだの?」
ユリシアの問いに、バルトロメウは静かに首を横へ振る。
「否。」
「境界を越えただけだ。」
「死者の姿でなければ、この海の底へ辿り着くことはできぬ。」
その言葉と同時に。
船全体が大きく揺れた。
ゴゴゴゴゴ……。
船体がゆっくりと傾き始める。
「な、何!?」
窓の外を見ると、港の景色が遠ざかっていく。
幽霊船そのものが海の底へ沈み始めていた。
暗い海。
魚の群れ。
青白く光る海草。
二人は言葉を失う。
やがて海底に、巨大な宮殿が姿を現した。
無数の柱が立ち並ぶ、幻想的な神殿。
その入口へ向かって、幽霊船は静かに進んでいく。
「ネレイスの宮……。」
バルトロメウが静かに呟いた。
やがて船はゆっくりと停止する。
重い扉が音もなく開いた。
「来い。」
二人の身体は意思とは無関係に動き始める。
歩くのではない。
見えない力に導かれるように、静かに漂いながら宮殿の中へ進んでいった。
[uploadedimage:25182835]
広間の中央には、巨大な魔法陣が刻まれていた。
複雑な紋様が幾重にも重なり、淡い青い光を脈打たせている。
「そこに留まれ。」
二人は見えない力に導かれ、魔法陣の中央で動きを止める。
[uploadedimage:25317229]
バルトロメウは静かに両手を掲げた。
その手には、透明な水晶が二つ握られている。
低く、重々しい詠唱が宮殿中へ響いた。
「深き海を統べる御魂よ。」
「この者たちを、ネレイスの民としたまえ。」
魔法陣が眩く輝く。
透明な二つの水晶も呼応するように光を放ち始めた。
「な、何……!?」
次の瞬間。
リュミエとユリシアの胸元から青白い光が溢れ出す。
[uploadedimage:25317233]
光は細い糸を描くように、それぞれの水晶へ吸い寄せられていった。
「身体が……!」
全身から力が抜けていく。
命そのものを吸い取られているような感覚だった。
やがて一つの水晶は柔らかな桃色へ。
もう一つは深みのある茶色へと染まっていく。
光の流れが止まると同時に、二人の幽霊の身体がゆっくりと変化を始めた。
半透明だった輪郭が実体を持ち始める。
腕。
脚。
身体。
すべてが肉体として再び形作られていく。
しかし、その肌は生者のものではなかった。
淡い青色を帯び、血の温もりは感じられない。
「戻った……?」
リュミエは自分の手を見つめる。
確かに肉体はある。
それでも、生きている頃とはまるで違う身体だった。
さらに青白い光が全身を包み込む。
光が収まると、二人の衣服も変わっていた。
薄い青と黒の横縞模様の服。
囚人服にも似た意匠。
海を思わせる青が織り込まれたその装束は、この世界の住人であることを示す証だった。
[uploadedimage:25182846]
拘束具はない。
だが、その衣服をまとった瞬間、自分たちがこの世界へ組み込まれてしまったような感覚が全身を駆け巡る。
バルトロメウは桃色と茶色に染まった二つの水晶を静かに見つめ、小さく頷いた。
「これで、お前たちはネレイスの民だ。」
二人は顔を見合わせる。
「ネレイスの……民?」
バルトロメウは感情を交えず、静かに続けた。
「いずれ、その仮初めの肉体も失われる。」
「肉は朽ち、魂はこの海に縛られる。」
「やがて骨のみとなり、永遠にネレイスの住民として彷徨い続けることとなろう。」
二人は言葉を失った。
それは脅しではない。
この世界の理を、淡々と告げているだけだった。
バルトロメウは踵を返す。
「行け。」
「お前たちの居場所は、もはや宮ではない。」
重い扉がゆっくりと開く。
見えない力に押されるように、リュミエとユリシアの身体が宮殿の外へ運ばれていく。
「待って!」
「まだ聞きたいことが――!」
二人の声も虚しく、そのまま広場へ放り出された。
背後で巨大な扉が静かに閉ざされる。
ゴォン――。
重い音が海底へ響き渡った。
二人はゆっくりと立ち上がる。
目の前には、青白い光に包まれた町が広がっていた。
薄い青と黒の横縞模様の服をまとった人々が、静かに行き交っている。
誰も争わない。
誰も笑わない。
ただ、感情を失ったように漂うような足取りで、この町を歩き続けていた。
リュミエは自分の胸元へ手を当てる。
「ここが……ネレイス。」
ユリシアも町を見渡し、小さく息を呑む。
「わたしたち、本当に死者の世界へ来てしまったのね。」
二人は静かに顔を上げる。
海底世界での、新たな物語が始まろうとしていた。
[uploadedimage:25182851]
――第10話 了
第11話 8月22(土)公開予定
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