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第4話:夜宴と闇の来訪者

  夜明け前の天幕の中で、シンは地図を睨んでいた。

  炭の線が、羊皮紙の上を縦横に走っている。

  谷の形、斜面の角度、水源の位置。

  帝国軍が使える道と、使えない道。

  この一週間で、アキンたちが命がけで刻んだ数値が、ようやく一枚の絵になりつつあった。

  三人の名前が、その絵の裏側に貼りついている。

  ゴル、ラン、テッシュ。

  地図には残らない。

  戦略には関係ない。

  それでも、シンはその名前を忘れなかった。

  忘れないことだけが、今の自分にできる唯一の「人間的な行為」だという確信が、どこからともなく根を張っていた。

  (……俺の中にいる俺の記憶が、そうしろと言っている。)

  現世の自我が、静かに応じた。

  (……損失が減るなら、それに従う。)

  二つの声が、また折り合った。

  完全な和解ではない。

  ただの、暫定的な停戦だ。

  天幕の入口が、音もなく動いた。

  「……起きてたんだね。」

  ヒディが入ってくる。

  薄緑の肌が、焚き火の残り火に照らされている。

  小柄な体躯。

  だが、その目の色が――いつもと違った。

  丸い瞳の奥に、決意に似た何かが静かに燃えている。

  「眠れなかったのか。」

  「シンこそ。」

  「考えることがある。」

  「私も。」

  ヒディは天幕の中に入り、シンの隣に腰を下ろした。

  羊皮紙を覗き込む。

  「……これ、地図?」

  「ああ。」

  「ゴルたちが作ったやつ。」

  「そうだ。」

  短い沈黙。

  ヒディは羊皮紙を、しばらく見ていた。

  「……シン。」

  「なんだ。」

  「次、私も連れて行って。」

  シンは手を止めた。

  ヒディを見た。

  その目を見た。

  懇願ではない。

  子供のわがままでもない。

  これは――申し出だ。

  「……お前は拠点防衛がある。」

  「アキンたちがいる。私じゃなくてもできる。」

  「危険だ。」

  「知ってる。」

  「わかっているのか。」

  「わかってる。」

  即答だった。

  シンは、その即答の質を、少しの間だけ測った。

  軽くない。

  「……理由を言え。」

  「ゴルたちの分も、戦いたい。」

  シンは、返答を失った。

  論理ではなかった。

  感情だった。

  だが――感情を理由に申し出てくる者を、シンは今まで一度も、軽く扱えたことがなかった。

  (……カイルも、そうだった。)

  「……考える。」

  「うん。」

  ヒディは頷いた。

  それ以上、押さなかった。

  ただ、羊皮紙の上の炭の線を、静かに指でなぞった。

  「……これ、ゴルたちが歩いたところ?」

  「そうだ。」

  「じゃあ、ここにいるね。ずっと。」

  シンは、その言葉を聞いた。

  何も言わなかった。

  ただ、炭を持ち直して、地図の続きを描き始めた。

  ヒディは、その隣で黙って座っていた。

  夜明けまで、二人はそうしていた。

  帝国軍が来たのは、昼前だった。

  斥候の報告は正確だった。

  二百。

  正規の歩兵部隊。

  旗はエディルリア神聖帝国の白地に金。

  神聖騎士団や帝国の本軍の直属ではない――地方の駐屯軍だ。

  練度はそこまで高くない。

  だが数は、この集落の戦力の三倍を超える。

  シンは、天幕の外に出た。

  集落の入口に、ムパンギが立っていた。

  その後ろに、アキン。

  そしてゴブリンの戦士たち。

  全員の顔に、緊張がある。

  だが、先週とは違う緊張だ。

  恐怖ではなく――覚悟の緊張だ。

  「シン。」

  「ああ。」

  「お前の地図通りか。」

  「ほぼ。西の斜面から来る。谷の手前で一度止まるはずだ。地形を確認してから進む――それが正規軍の動き方だ。」

  「その間に?」

  「叩く。」

  ムパンギは頷いた。

  シンは全員を見渡した。

  「聞け。今日の敵は先週の斥候とは違う。練度が高い。正面からぶつかれば、数で押し切られる。だから正面からはぶつからない。」

  アキンが前に出た。

  「じゃあどうする。」

  「地形を使う。」

  シンは羊皮紙を広げた。

  谷は細長く、中央だけがわずかに広い。

  西の岩場はその中央を見下ろし、反対の東側は木々が密集しているが、奥に一本だけ獣道が伸びていた。

  逃げるなら、そこしかない。

  「西の斜面、この岩場。ここに半数を伏せる。俺とセリナが指揮する。残りはムパンギが率いて、谷の出口を塞ぐ。敵が谷に入った瞬間、両側から挟む。」

  「挟撃か。」

  「ただし――退路を完全に断つな。」

  アキンが眉をひそめた。

  「なぜだ。退路を断てば敵は逃げられない。皆殺しにできる。」

  「逃げ場のない敵は死に物狂いで戦う。それが一番危ない。退路を一本だけ残せ。敵は逃げることを選ぶ。その方が、こちらの損耗が少ない。」

  沈黙。

  アキンは、その論理を咀嚼するように黙っていた。

  それから、短く頷いた。

  「……わかった。」

  シンは全員を見渡した。

  「一つだけ言っておく。今日の目的は皆殺しではない。この集落を守ることだ。敵を退けることができれば、それで十分だ。余計なことに力を使うな。」

  誰も、反論しなかった。

  「……それに、何があったかを語らせることも大事だ。――恐怖を伝染させなければならないからな。」

  戦闘は、シンの読み通りに進んだ。

  帝国軍は谷の手前で止まった。

  地形を確認する。

  その間、三分。

  その三分で、全員が配置についた。

  帝国軍が谷に入った瞬間、セリナの弓が鳴った。

  先頭の指揮官が落ちた。

  次の瞬間、岩場からゴブリンの戦士たちが躍り出た。

  アキンが先頭だった。

  その動きに迷いはなかった。

  先週とは違う。

  地図を作った男が、今日は地図の上で戦っている。

  帝国軍に混乱が走った。

  退路を一本だけ残してある。

  敵の後方指揮官が、それを見つけた。

  「退けッ! 罠だ、退けッ!」

  帝国軍が崩れ始めた。

  その瞬間――

  「シン。」

  セリナの声が、隣から飛んだ。

  シンが振り返る前に、小さな影が風のように横を抜けた。

  両手に短剣を持ったヒディ。

  体が低い。

  地面を這うように疾走する。

  その速さは――アキンより、速かった。

  崩れかけた帝国兵の一人が、逃げながら後ろを向き、弓を引いた。

  標的はアキンだ。

  矢が放たれる。

  それより早く、ヒディの短剣が弓手の喉を断っていた。

  着地。

  振り返らない。

  次の標的へ。

  シンは、その動きを、一瞬だけ目で追った。

  (……速い。)

  単純な感想だった。

  だが、その速さの質が――尋常ではなかった。

  体格の小ささを補うどころか、武器にしている。

  重心が低い。

  死角から来る。

  捌けない。

  (……これは、才能だ。)

  前世の記憶が、静かに応じた。

  (小柄な剣士の強みを最大化している。リーチの短さを速度と角度で補う。歴史上、同じ戦い方をした者たちがいた――)

  現世の自我が、その思考を打ち切った。

  (今は戦場だ。)

  「セリナ、右だ。」

  「見えてる。」

  弓が鳴った。

  帝国軍の残存部隊が、退路へ向かって崩れていく。

  ムパンギの部隊が、その退路を「塞がずに」追い立てる。

  五分で、谷は静かになった。

  戦闘が終わった後、アキンがヒディの前に立った。

  「……お前、いつの間にそんなに速くなった。」

  「ずっと練習してた。」

  「俺に黙って?」

  「アキンは止めるから。」

  アキンは、しばらくヒディを見ていた。それから、深く息を吐いた。

  「……俺より速かった。」

  「うん。」

  「……悔しい。」

  「ごめん。」

  「謝るな。」

  アキンは、ヒディの頭を乱暴に撫でた。

  ヒディは、少しだけ目を細めた。

  シンは、そのやり取りを遠くから見ていた。

  (……双子だ。)

  今更のように、その事実が目に入った。

  同じ顔の輪郭。

  同じ目の形。

  だが、中身は全然違う。

  (……似ているが、似ていない兄妹だ。)

  前世の記憶が、ふと滲んだ。

  (兄妹というのは、そういうものだ。血が同じでも――)

  現世の自我が、その先を打ち切った。

  感傷は、後でいい。

  夕暮れが山を赤く染めた頃、集落に宴の準備が始まった。

  ムパンギが大声で笑いながら、酒の入った大きな壺を担いでいる。

  アキンが焚き火を大きく起こしている。

  ヒディが煮炊きを手伝いながら、何かを歌っている。

  勝利だった。

  死者はゼロだった。

  その事実が、集落全体に火を灯したように広がっていた。

  セリナが、シンの隣に来た。

  「……珍しい顔をしているわ。」

  「どんな顔だ。」

  「少し、楽そうな顔。」

  シンは、何も言わなかった。

  「悪いことじゃないわ。」

  「……そうか。」

  「たまには休んでもいい。」

  「休み方がわからない。」

  セリナは、少しだけ目を細めた。

  それから、静かに言った。

  「なら、今夜教えてあげる。」

  宴が深まった頃、三人は自然と輪から離れていた。

  シンが人の多い場所を好まないことを、セリナもヒディも、もう知っていた。

  集落の外れ、小さな岩場の上。

  眼下に焚き火の光が揺れている。

  遠くから笑い声と歌声が届く。

  空には星が出ていた。

  「……綺麗だね。」

  ヒディが空を見上げながら言った。

  「エトセニアの星は多い。帝国の街では見えない星が、ここにはある。」

  シンが答えた。

  「帝国では、星が見えないとこにいたの?」

  「城塞の中だ。空が狭い。」

  「じゃあ、ここの方がいいね。」

  「……そうかもしれないな。」

  セリナは、その会話を横で聞きながら、静かに夜風を受けていた。

  この男が「そうかもしれない」と言う時、それは本心に近い。

  断言できないのは、まだ自分の感情を信用していないからだ。

  (……少しずつ、変わってきている。)

  その変化が、セリナには――

  思考が、途切れる。

  空気が、変わった。

  一瞬で。

  セリナの耳が、音のない異変を拾った。

  空気が冷えた。

  吐息が、白くなる。

  「――シン。」

  その声と同時に、闇が動いた。

  何かが、岩場の上に降り立った。

  音がなかった。

  人間ではない。

  その着地の静けさだけで、それがわかった。

  シンが立ち上がる。

  腰の剣に手をかける。

  セリナが弓を引き絞る。

  ヒディが両の短剣を抜く。

  三人の視線の先に、人影が立っていた。

  女だった。

  星の光を弾く銀色の長い髪と白い肌。

  その美しさは――この世界の理から外れていた。

  完璧すぎる。

  完成されすぎている。

  まるで、美しさという概念を人の形に押し込めたような。

  赤い瞳が、三人を順番に見た。

  品定めをしている。

  だが、その品定めの視線が――シンの上で、止まった。

  「……ふふ。」

  声は低く、柔らかく、そして奇妙なほど愉快そうだった。

  「聞いた通りだな。」

  「……誰だ。」

  シンの声は、感情を抜いていた。

  女は答えなかった。

  代わりに、一歩前へ出た。

  その瞬間、セリナの矢が放たれた。

  女は身を動かさなかった。

  矢が、女の頬の横を――通り抜けた。

  通り抜けた?

  否。

  女の指が、矢を摘まんでいた。

  放たれた矢を、指二本で。

  「……エルフの弓か。なかなかに速い。いい腕だ。でも、まだ足りない。」

  矢を、無造作に地面へ落とした。

  セリナの顔から、血の気が引いた。

  ヒディが踏み込んだ。

  低い体勢。

  速い。

  風のような疾走。

  右の短剣が、女の脇腹を狙う。

  女は半歩だけ退いた。

  その半歩が、ヒディの軌道を完全に外した。

  「速いな。だが――」

  女の手が、ヒディの手首を掴んだ。

  「まだ動きが若い。」

  そのまま、軽く――投げた。

  ヒディの体が宙を舞い、地面の上に転がった。

  「ヒディ!」

  セリナの声が、遠くから聞こえた。

  シンは、その間に距離を詰めていた。

  剣が、女の首を狙う。

  女は、それを――小剣で受けた。

  刃が交差するが、それ以上びくとも動かない。

  シンの手に、全く相手の刃が動かない感触が返ってきた。

  (……力が、強い。とてつもなく。)

  「ここまで攻めてきたやつは初めてだ。誇れ。」

  女は、至近距離でシンを見た。

  赤い瞳が、シンの目を、正面から覗き込む。

  「……面白い目をしているな。ただの軍人じゃないな、貴様は。」

  「何者だ。」

  「それはまだ教えてはやらん。」

  女は一歩退いた。

  シンも追う。

  女の手が、シンの剣を持つ手首を掴んだ。

  冷たかった。

  氷のような冷たさ。

  人間の体温ではない。

  「そう焦るな。また来る。」

  そして――

  女の顔が、シンの首筋に近づいた。

  一瞬だけ。

  鼻先が、肌の近くを掠めた。

  まるで、匂いを嗅ぐように。

  「……いい血だな。」

  囁きだった。

  次の瞬間、女は闇に溶けた。

  音もなく。跡もなく。

  残ったのは、冷たい夜気と、シンの手首に残る氷の感触だけだった。

  三人は、しばらく動けなかった。

  最初に口を開いたのは、ヒディだった。

  「……誰、あれ……。」

  「……わからん。」

  シンは、剣を鞘に戻した。

  手が、わずかに震えていた。

  認めたくなかったが――あれは、強い。

  圧倒的に。

  シンの今までの経験が通用しない強さだ。

  「ヴァンパイアね。」

  セリナが静かに言った。

  「……見たことがあるのか。」

  「ハルティアメッツァの書物に。東の魔皇国の魔族の中に、そういう種族がいると。南東のカルミネスティアもヴァンパイアたちの国になっている。」

  「東、か。」

  シンは、夜の闇を見つめた。

  東には、魔族のディアベルスキア魔皇国がある。そして西には人間のエディルリア神聖帝国。

  (……二方向から挟まれる可能性がある。)

  前世の記憶が、静かに補足した。

  (二正面作戦は最も避けるべき状況だ。ナポレオンも、ヒトラーも、それで滅んだ――)

  現世の自我が、その思考を引き取った。

  (だが、まだ断定できない。あれが東の勢力かどうか、確認が取れていない。)

  「……セリナ。あの強さは、どの程度だと思う?」

  「……私が知る限り、ヴァンパイアの中でもかなり上位の存在でしょうね。普通の戦い方では、まず勝てない。」

  「弱点は。」

  「日光にはあんまり得意じゃないと聞いたことがある。……ただし、あの強さなら、弱点を突いても無効化される可能性がある。」

  シンは、しばらく黙っていた。

  「……ムパンギに報告する。今夜の宴は終わりだ。」

  三人が立ち上がりかけた、その時――

  「シン。」

  ヒディが、シンの袖を引いた。

  「……なんだ。」

  「怖かった?」

  シンは、ヒディを見た。

  その目が、真剣だった。

  責めているのではない。

  ただ、知りたがっている。

  「……少し、な。」

  珍しく、正直に答えた。

  「私も。」

  ヒディは、そう言って小さく笑った。

  「でも、シンが怖いって言ってくれると、なんか安心する。」

  「……なぜだ。」

  「シンが怖くないって言ったら、嘘だと思うから。正直な方が、信用できる。」

  シンは、その言葉を受け取った。

  何も言わなかった。

  だが、その言葉の重さを、静かに飲み込んだ。

  (……この子は。)

  前世の自我が、ふと滲んだ。

  (賢い。感情で動きながら、本質を掴む。これは――)

  現世の自我が、その思考を静かに閉じた。

  今は、それだけでいい。

  集落に戻りながら、シンは空を見上げた。

  星が出ている。

  あの女は、どこへ消えた。

  そして――なぜ、首筋の匂いを嗅いだ。

  その問いに、答えは出なかった。

  ただ、手首に残る氷の感触だけが、しつこく残っていた。

  山を隔てた場所に、二つの人影があった。

  夜の木々の間、月明かりだけが届く岩場の上。

  一方は、先ほどまで三人を翻弄していた女だった。

  長い銀髪を夜風に遊ばせ、赤い瞳で月を見上げている。

  その横顔に、まだ先ほどの愉悦が残っていた。

  もう一方は――

  夜の色に溶け込むような、黒い外套の女。

  フードを深く被り、顔は見えない。

  だが、その立ち姿には、隠しようのない優雅さがあった。

  「で、どうだった?」

  フードの女が、先に口を開いた。

  その声は低く、柔らかく、そしてどこか楽しげだった。

  まるで、答えを知りながら聞いているような。

  「思ったより面白かった。」

  銀髪の女――カリッサが、月を見上げたまま答えた。

  「ほう。」

  「あの目。あれは普通ではないな。ただの軍人の目ではない。戦場にいるのに、戦場の外から戦場を見ている目をしている。」

  「……そう。」

  「お前が面白いと言った意味が、――少しわかった。」

  フードの女は、小さく笑った。

  「ふふ。少し、ね。」

  「……お前は全部わかっているつもりだろうがな。」

  「さあ、どうかしら。」

  カリッサは、フードの女を横目で見た。

  「あの血の匂い。古代種の血だ。間違いない。」

  「ええ。ところでいつ嗅ぎ当てたの?そんな機会あった?」

  「――偶然、な。」

  カリッサは、少しだけ目を細めた。

  「ふうん、偶然、ね。」

  

  フードの女は、妖しく笑う。

  夜風が、二人の間を通り抜けた。

  「カリッサ。」

  「ん?なんだ。」

  「……あの子、どうするつもり?」

  カリッサは、月から視線を外した。

  山の向こう、集落の方角を見た。

  焚き火の光が、遠くに揺れている。

  「……まだ決めていない。」

  「へー、珍しい。」

  「……そうか?」

  「いつもは、なんでも即断即決じゃない。」

  カリッサは、少しの間だけ黙っていた。

  「……迷っているわけじゃない。」

  「じゃあ?」

  「……楽しみにしている。」

  その言葉に、フードの女がわずかに肩を揺らした。

  笑っているのかもしれない。

  「それも珍しい。」

  「うるさい。」

  カリッサは、再び月を見上げた。

  「あと、お前の報告にはなかった点が一つ。あれは魂に揺らぎがある。」

  「私が見ていたときには揺らぎなんてなかったから、最近になってからってこと?」

  「おそらくな。何かがあったのかもしれん。」

  「……壊れる可能性は?」

  「大丈夫だ。あれは、その程度では壊れん。」

  断言だった。

  迷いのない、確信だった。

  「なぜそう思うの?」

  「あの目がそう言っていた。あれは――まだ、何かを諦めていない目だ。」

  そしてにやりと微笑む。

  「それにすぐ傍で健気に見守っている者がいるしな。」

  フードの女は、それ以上何も言わなかった。

  ただ、夜風の中で、かすかに――ほんの一拍だけ遅れて、笑った。

  その笑みを、カリッサは見ていなかった。

  二人の影が、夜の森に溶けていく。

  焚き火の光だけが、遠くで揺れ続けていた。

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