Ad
イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【71ーハンデットとシイスの話】
軍の休日。いつものように、シイスの家に向かおうと、街中の裏路地を歩いている時だった。
「お前さ、ほんとにあいつと付き合ってんの?」
…そんな声が路地裏の角向こうから聞こえて来て、思わず足を止めた。声の感じは低く、若く聴こえるけれど若干太い。おそらく男だろう。その言葉と、端々から感じる剣呑な雰囲気からしても、…これは修羅場だ。
まさか、いくら裏道とは言え昼間っからこんな場面に出くわすとは。本来なら、他人が聞き耳を立てていい問題ではねえんだろうけど、…俺は軍人だからな。このまま刃傷沙汰にでもなろうものなら、止めなきゃならねえ。この国を護る軍人としてもそうだし、…こんな近所でそんな事件でも起ころうもんなら、きっとあいつは哀しむだろうから。
だから、様子見も兼ねて足を止めたまま姿の見えないそいつらの会話に耳を傾けた。ただの口喧嘩で済みそうならば、俺が仲裁に入る必要はない…と言うか、仲裁に入ることが出来ない。暴力沙汰に発展する可能性がないようなら、周りから止めてくれって声を掛けられない限りは、軍人でも市井の口論に口をはさんだり出来ない決まりだからな。仲裁に入って、逆に煙たがられることもあるし。まあ、止めには入れなくても、ちょっと俺たちが姿を見せれば、やましいことがある奴は口論を止めて立ち去っちまうことも多いし。
そんなことを考えながら。今、軍人である俺が此処にいることを、どうこの男に知らしめようか、と頭の隅で暫し長考して。けれど。
「あいつって?」
…聴こえた、その声に思わず眼を見開いた。俺が、この声を聞き間違えるなんてこと、ある訳がない。シイスだ。一体あいつは、どんな修羅場に巻き込まれてんだ。思わず耳を峙てて、会話の続きに耳を傾けてしまう。
「だから、あいつだよ。あの黒豹の獣人。…ハンデット、だっけ?」
今度は俺の名前まで出て来て、肩がびくっと跳ねた。…この誰だか分からん男は、どうやら俺のことを名前まで知っているらしい。まあ、休みの日のたびにシイスの家に訪れては、店先でおじさんやおばさんと一緒に店員もどきのことをやってたりするから、よく店に来るお客さんたちの間では俺の名も知られるようにはなってんだけど。…でも、常連となっているのはおばさんと同じような、近所の家の奥さんたちばかりで。シイスや俺と同年代の男なんかは、来た覚えがない。一度でも店に来てたら、物珍しさもあって、きっと、いや絶対に覚えているだろう。
「え、勿論付き合ってるけど。俺、ハンデットのこと大好きだし!…それがどうかした?」
不思議そうな声が、柔らかく舞うように辺りに響く。途中で弾むように、嬉しそうな声色になって、最後にはまた不思議そうな声へと着地。…あいつがどんな顔で、その言葉を口にしたのか。それすら、手に取るように分かる口調に、思わず笑う。…本当に、あいつはどれだけ俺が好きなんだ。呆れたように呟いたつもりの声は、…あいつと同じ様に、こころのなかで弾んで響く。
そんなシイスの言葉に、…唐突に、爆ぜるような大声が宙を裂いた。その大声に、俺まで眼を剥いて、勝手に路地の角まで足が進む。
「どうかした?じゃないだろ!なんであんなのと付き合ってんだよ、よりにもよって獣人だぞ!?何してくるか分かんねえし、あんな奴危ないだろ!」
きっと角の向こうにいるだろうあいつらには、ばれないように。静かに覗き込んだ路地の向こうには、思った通りにシイスと、…シイスのほうを向いている、人間の男の姿があった。激昂するような声が発する言葉は、けれど思ったよりもこころにも耳にも刺さらず。ただ、ああ、と頭の片隅で納得する。
きっとコイツは、この怒っている男は、…シイスのことが好きなんだろう。後ろ姿からも分かる、肩を怒らせて息を吐くような人間の男は、…きっと俺とシイスが付き合っていること、その一点に激昂していた。だからだろうか、コイツの言葉は俺には何も響かない。これこそ、負け犬の遠吠えと言う奴なんだろうか、なんてそんなことすら思う余裕がある。それは、きっとシイスが、…何があっても、俺を選んでくれると。誰よりも、俺が好きだと、いつも、こんな俺に伝えてくれているからなんだろう。
寧ろ、その男の発した言葉に顔色を変えたのは、俺ではなくて。
「危ないってなんだよ!ハンデットはいつだって優しいよ!?俺のことすげえ大事にしてくれるし、お前に『あんなの』なんて言われるようなひとじゃないよ!何でそんなこと言うんだよ!」
同じ様に、辺りに響いた怒鳴るような大声。けれど、…それは俺が聞き慣れているような、怒っていてすらも何処か優しさの見える、元気の良い柔らかい声じゃなく。硬さを含んで、哀しそうな、…本気で憤っていることが、分かるような声だった。少なくとも、俺は聴いたことのないような、…心底傷ついたような声。
相手の男は、俺よりも低いがシイスよりは背が高い。そんなソイツを見上げるようにした目が、睨むように歪んでいた。…俺だって、拗ねたコイツに睨まれることは多々あって。けれどそれが、コイツにとって全く本気ではなかったことを、今知った。声と同じに、傷ついているような色を乗せた目は、本来なら明るい色の筈なのに、…何故か哀しそうに萎れて見える。
そんなシイスの様子に、…堪らなくなる。コイツはいつだっておおらかに、元気よく明るく笑って。勢いよく俺に突っ込むように抱き着いてきて、幸せそうに目を細めるのが誰より似合ってる奴なのに。
…これはもう、俺が飛び出してもいいだろう。ただの口論かもしれない、けれどこの会話では俺も当事者だ。何よりシイスが、…俺の、誰よりも大事な婚約者が。あんな顔で、傷ついたように顔を歪ませているのに、俺が黙ってるわけにはいかない。
しかし、どんな感じに出て行けばいいだろうか。この会話を全部聞いてました、と言う顔で俺が出て行ったら、あの激昂してる男を更に憤らせかねん。それはシイスが危険だ、なるべくあの男をシイスから離さねえと。
そんなことを考えながら、足を路地向こうに踏み出しかけて。再度辺りに響く激昂した怒鳴り声に、一瞬立ち止まる。
「何でって…あいつは獣人だって言ってるだろうがよ!しかも黒豹だぞ?肉食じゃん!今は優しぶってるかもしんないけど、気に食わないことがあったら豹変するに決まってる!お前のこと、食おうとしてくるかもしんないんだぞ?そんな奴止めとけって!俺はお前のことを心配して言ってやってんだぞ、分かれよ!」
聞こえてきた言葉は、さっきと同じに今まで散々言われてきたことで。…散々、俺の胸を抉ってきた言葉だった。けれど、その言葉はやっぱり俺の心をもう抉らない。傷つかない振りじゃなくて、強がりでもねえ。…本当に、なんとも思わなかったんだ。
それよりも、…それを聞いた、シイスの方が心配だった。さっきは、あんなに顔色を変えてまで憤ってくれた、俺の恋人。…俺への言葉で、お前が怒ることも、ましてや傷つくことなんて、なくていいんだ。
そう思いながら、シイスへと眼を移す。その丸い目で懸命に睨みながら、…シイスが唇を震わせた。身体の両側で、きつく握りしめている手も、同じ様に震えている。その様が痛々しくて、俺の眼も歪んだ。
「…それ以上言ってみろ。本気で引っ叩くからな」
普段は明るく、元気よく響くシイスの声が、…唇や手と同じ様に、震えていた。何かを懸命に押さえているかのように静かだった声が、弾けるように大きくなる。
「ハンデットは優しいんだよ!肉食獣だからって、なんでそれだけでそんな酷いこと言うんだ!ハンデットが、お前に何か酷いことした!?してないだろ!?それなのに、なんで肉食獣人ってだけでそんな色眼鏡で見るんだよ!お前みたいなのがいるからっ、…ハンデットはっ」
その男を睨みつけるように歪めていたその目が、…くしゃりと崩れた。ぼたぼたと、その目から大粒の涙が幾筋も零れて、…けれどそれを拭おうともせず、相手を睨みつけている。
そんなシイスの、悲痛にすら見える姿が、…胸を打った。俺の為に泣いてくれる奴なんて、今まで誰もいなかったから。シイスの言葉は、俺がコイツに出逢う前、…この世界に思っていたことと同じだった。俺は何も悪いことをしてないのに。何で避けられるんだろう、除け者にされるんだろう。…俺が肉食獣人だからか?ずっとそう思って、生きていた頃の。
誰も、理解してくれないと思ってた。俺が何を思って生きてきたのか。当然だ、俺がそれを隠して生きてきたんだから。なのに。
…お前は、過去の俺の想いまで理解して、寄り添ってくれようとしてるんだな。
目の前が、一瞬滲んで掠れた。路地の壁に背を預けて、片手で両眼を拭う。…本当に、俺には過ぎた嫁さんだよ。俺の人生、ろくでもねえって思ったこともあったけど。お前に出逢えたことで、そんなもん帳消しだ。寧ろ幾らでも釣りが来る。
なあ、シイス。…俺の人生で、一番幸運だったのは。あの日、お前に逢えたことだよ。間違いない。誰が何と言おうと…俺が、断言する。
眼を数度拭ってから、顔を上げた。シイスの前の男が、大きく手を振り被ったのが眼に入る。…一瞬、思考が停止した。シイスが、怯えたように腕で頭を庇う様が眼に映って、頭に一気に血が上る。
「シイス!」
弾かれるように、足が出た。一歩を踏み出してしまえば、俺の脚は速い。それこそ、軍では純粋な速さならあの黒狼の近衛兵士長と並んで一、二を争う。一気に距離を詰めて、その手がシイスへと降り降ろされる前に、その腕を掴んだ。
「うわっ!お、お前…!」
いきなり出てきた俺に、大袈裟なほどに狼狽えながら、その男が俺を見上げる。腕を振りほどこうとしているのか、掴んだ腕が藻掻くように動いた。…こんな力で、俺が振り解けると思うのか。お前が散々言ってた『肉食獣』だぞ、俺は。尚も、締め上げるように掴んだ腕の力を強めれば、男が呻いて顔を顰めた。…俺のシイスに手を上げようとしたんだ、こんなもんで済ますわけねえだろうが。
「お、俺はお前なんか認めねえぞ!お前なんか、シイスに似合わねえよ!薄汚え肉食獣のくせに!」
俺に手を掴まれたまま、名前も知らないその男が俺に向かって怒鳴ってくる。けれどそれは、やっぱり俺のなかに何のショックも動揺も与えなかった。…あれだけ嫌だった、怖かった、俺が肉食獣だということを揶揄されていると言うのに。そんなものはどうでも良かった。
それよりも、…俺のコイツにこんな顔をさせているこの男に対して、更に怒りが募る。コイツは、いつも楽しそうに笑ってるような奴なのに。元気よく俺の元へと駆け寄ってきて、満面の笑顔で俺の名を呼んで、…幸せそうに笑う姿が、何より似合う奴なのに。
「別に、お前なんぞに認められなくても構わねえよ。お前がどう思おうが、俺が肉食獣だろうが、…シイスが選んだのは俺なんだからな。」
ぎりぎりと、音すらしそうに腕を締めあげながらそう返せば。ただでさえ顰められているその顔が、悔しそうに歪んだ。…ああ、やっぱな。コイツはシイスが好きだから、俺を必要以上に貶めてんだ。馬鹿な奴だな、と内心で呟きながら、無感情にソイツを見下ろした。…あのシイスが、こんなことを言うような奴に、万が一にも好意を持つはずないだろうが。
「今度、コイツに手を挙げようなんてことをしてみろ。何があっても俺が、…お前を八つ裂きにしてやるからな」
わざと顔を寄せて、目の前の男を睨みつけた。何もしなくても、俺の眼光は鋭い。それが原因で、避けられることも多々あった。そんな眼で、肉食獣人の俺が睨みつけてやったんだ、コイツは生きた心地がしないだろう。さっきまでの威勢はどこへやら、真っ青になって必死に俺から眼を逸らそうとするこの男に、内心で呆れる。…お前、そんな覚悟もなくて、シイスに手を上げようとしたのか。…おれから、シイスを奪おうとしたかったのか。
馬鹿な奴だとため息を吐いて、手を離してやる。尻もちをつくように地面へ落ちたソイツが、へっぴり腰でその場から立ち去ろうと足を藻掻いた。その様を無感情に見送ってから、シイスの方へ向き直る。
「だ」
いじょうぶか、と。そう声を掛ける前に、シイスが勢いよく、俺へと突っ込むように抱き着いてくる。…流石のこいつでも、いきなり男に殴りかかられたら、怖かっただろう。ぎゅう、と俺の背に腕を回して、強いちからで抱き着いてくる俺のこいつを。同じ様に強く抱き返して、その頭を慈しむように撫ぜた。
怖かったよな。ごめんな。そう告げようと、口を開きかけて。…またしても、シイスの大声で俺の声は出てくる前に喉奥で消えた。
「ハンデット、あんな奴の言うことなんて気にしなくていいからね!あんなの、ハンデットが世界一格好良くて優しくて、おばちゃんたちから大人気だからやきもち妬いてるんだよ!だから、何にも気にすることないよ!?俺も、とうちゃんもかあちゃんも、おばちゃんたちも、みんなハンデットが大好きだからね!」
声すら涙ぐむように、少し掠れた嗚咽混じりの言葉は、…殴られかけたことへの恐怖でもなければ、あの男に迫られていたことへの憤りでもない。あいつが、俺に掛けてきた言葉への、…真っ直ぐな心配だった。その言葉に、思わず眼を見張ると。シイスが俺の胸に顔を埋めて、尚もぎゅうぎゅうと俺に抱き着く。その背を宥めるように撫ぜられて、思わず笑った。
「あんなの、気にしてねえよ。だって、俺が肉食獣人だろうが、…お前は俺が好きだろう?」
口から、自然と零れるように出てきた言葉は、自分ですら意図していなかったもので。…耳に届いたその言葉に、俺自身で驚いた。言い終わってから、心臓が爆ぜるように脈を打つ。一気に獣毛下の皮膚に熱が集まって、獣毛までが赤く染まってるんじゃないかと思うくらいに、熱くなった。
…今までだったら、こんなこと、口が裂けても言えなかっただろう。いや、思いすらしなかったかもしれない。それは、今までの人生で削り取られてきた、俺の自己評価の低さから来るものだ。『こんな俺を、好きになってくれる奴なんかいない』。ずっとそう思って、諦めて、…だけど。
俺の言葉に、シイスが俺の旨から顔を上げた。真ん丸い目を更に丸くして、驚いたように俺を見上げて。…その顔が、嬉しそうに破顔する。真ん丸くした目を惜しげもなく細めて、柔かそうな頬を蕩けそうに緩めて、…俺の言葉に大きく頷く。
「うん!大好き!世界で一番大好きだよ!」
そう言って、今度は嬉しそうに俺に抱き着いてくる俺の、…もうすぐ嫁さんになる、最愛の恋人に。その身体を抱き締めて、尻の下へ腕を回して抱え上げる。急な体勢に、驚いたようにその濃い茶色の明るい目を、丸くする顔を見遣りながら。…ああ、やっぱりお前はそういう顔の方がいいな、と内心で小さく笑った。
「…俺も、お前が世界で一番大事だよ」
目線を近づけて、真っ直ぐにシイスを見つめながらそう告げると。…その目が過去一で大きく見開いて、一拍置いてから、音がしそうな勢いで一気に赤くなる。えっ、とかどっ、とか言葉にならない声を上げながら、わたわたとシイスが両手を振って。…それから、蕩けそうな顔で、幸せそうに笑う。そんなシイスに、俺も眼を細めて。抱き上げる腕に、力を込めた。
なあ、シイス。俺は、お前に出逢えて、本当に良かった。
Ad