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イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【72話】
俺の所属している精鋭師団に。特例と言って新兵が入団してきたのは、少し前のことだ。
就業中、軍の廊下を歩いている時だった。前から歩いてくる、俺と同じ色の軍服を着た犬獣人の姿に、思わず眉を寄せた。この軍では、一般兵は師団によって軍服の色が分かれている。例えば俺の所属している精鋭師団の一般兵は皆青で、近衛兵団は赤だ。黒色の軍服は、師団問わず階級が上の軍人で、だから近衛兵長も師団兵長もその軍服は黒になる。それもあってだろう、師団問わず『黒軍服を見たら偉いひとと思え』と訓練兵時代に先輩から教わったし、俺たちも後輩にはそう教えている。黒軍服を着るほどに階級が上の軍人はそういねえからな、まず黒軍服が偉い軍人だと覚えれば、自ずと顔も名前も覚える。
だから、前から歩いてくる青色の軍服は、確かに俺の所属する精鋭師団を示していて。けれど、俺はその犬獣人に見覚えがなかった。精鋭師団は、その名の通りに『精鋭』だ。それもあって、他の師団に比べても人数が少ない。少なくとも、顔も見覚えがなく、名前も分からないような団員は居ない筈だ。
…誰だアイツ。喉奥で呟いた声は、口から出る前に其処で消える。犬獣人だと一目で分かるその様相は、けれど一見すると狼にも似ていた。犬獣人のなかには、祖先に狼の血を引く種族もいると言われているから、そいつもそういう種族なのかもしれない。この軍の近衛兵長のような狼獣人となると、非常に珍しいが。…まあ、それは俺みてえな豹獣人も同じか。片方が肉食獣人でも、もう片方が犬獣人や猫獣人の場合は、その子どもも犬や猫の獣人の血を受け継ぐことが多いとされているからな。だから、肉食獣人は徐々に減って、今や珍しい種族みてえになってる。
…いやでも、肉食獣人と人間が夫婦になると、その子どもが獣人だったら完全に肉食獣人だからな。例えばリジット兵士長とフラフィーの子どもは、二人が狼獣人だって聞いている。…そうすると、俺とシイスに子どもが出来たら、その子は俺と同じ豹獣人の可能性もあんのか。そんなことが思い浮かんで、獣毛の下でちょっとだけ赤くなった。…まだ結婚もこれからなのに、気が早えか。いや、でももうすぐ結婚はするんだし、そうしたらそういうことにだってなるだろう。子どもを授かったり、家族が増えたり、…そう言う。そうか、そうだよな。
にやけそうになる口元を片手で隠しながら、歩みを進めた。数メートルの距離が近づくたびに、向かいから来る犬獣人の、その見覚えのなさに首を傾げて。…それから、漸く思い当たる。確か、慰安パーティーが開かれる少し前だったか、特例だと前置きをされて、精鋭師団に入団してきた犬獣人。そうだ、そいつが確か、あんな感じの奴だった。確か、名前は『玻璃』と言っていた。あまり聞き馴染みの無いような名前だったから、逆に覚えている。
この近辺では聞き慣れない名はその通りで、俺が前にいた国よりももっと先、この国とは逆端の国から来たらしい。…俺がいた国だって、この国からは相当遠かったと思うんだが。この大陸の逆端と言えば、その距離も俺の元いた国の比じゃねえ。…まあ、そんな距離を越えてくるくらいの何かがあったんだろうから、そこは俺が踏み入っていいもんじゃない。それは皆そう思っているようで、特にそこに突っ込む奴はいなかった。この国の出身じゃない奴が、わざわざこの国を選んでここに来るということは、…過去に何かあった奴だ、と言うのは皆分かっているからだ。俺も含めて。
なんでわざわざ、『特例』だと前置きをされてこっちに紹介されたのかと言えば。途中入団でありつつも、階級が俺たちと変わらんから、らしい。だから、新兵と言えど同僚になるのか。それもあって、特例で入ったんだと俺たちにも知らされたのだそうだ。普通は特例と言えども、それをわざわざこっちに言うこともないだろうからな。どうやら精鋭師団の中でも特殊な業務を任せられているようで、最初に挨拶を受けてからほとんど逢ったことがねえ。だから見覚えもなかったんだが、…そうか、あいつが『玻璃』か。
そんなことを思い返しながら、歩調は変えずに前から歩いてくる玻璃を見遣った。玻璃が特例だと前置きされたとき、精鋭師団でもちょっとした騒ぎになった。けれども、聞けばこの軍に『特例』と言って新兵が入軍してくるのは、確かに珍しくはあるがそこまで稀有な出来事でもないらしい。例えば、あの黒狼の近衛兵長などは、訓練兵となったのはまだ幼い子どもの年齢だったが、特例として入軍したそうだ。それは獣人の仲でも珍しい肉食獣人だったからだと言われていて。だから、特例と言えば肉食獣人だと思う風潮もあったらしい。俺なんかは、皆と同じに入軍したが、それでも何故だか俺が特例として入ったと勘違いしている奴もいた。それもあって、…特例の妬みから俺を避けていたんだと、王城で開催された慰安パーティーの後に謝られて、少なからず驚いたもんだ。その内容よりも、…俺に対して謝ってきたという、その行為自体に。
俺が、師団のやつらと打ち解けられたのは、間違いなくあのパーティーの時からで。…もっと言えば、きっと、あのパーティーにシイスと一緒に参加したからだろう。いつもなら、独りで隅で飲んでるしかないような場で、…初めて俺は、誰かと一緒に過ごすことが出来た。シイスがずっと俺と一緒にいてくれて、俺の傍で、楽しそうな顔で過ごしてくれていたから。それが嬉しくて羽目を外して、…皆の前だというのにシイスにキスをした。
…今思い出しても、我ながら頭を抱えたくなるようなとんでもねえやらかしだし、その後でスティケート先生からもえらい説教を食らったモンだけど。何故だかそれから、皆が俺を怖がることがなくなった。それが、一体何故だかは正直分からん。『お前も、普通の男だったんだな』。それが、パーティーの後で一番言われた言葉だ。『恋愛とか恋人とか、興味ないのかと思ってた』ともよく言われたし、『恋人にはあんな優しそうな顔になるんだな』とか、『お前も笑えるなら、恋人だけじゃなくて俺たちにも笑えよー』とか、そんな軽口を言われたりもして。
それに、最初はうまく返すことが出来なかったが、…今ではもう、周りと普通に話せるようになった。不思議だな、あんなに周りと馴染めねえことを今まで悩んでたのに。自分が世界から疎外されていることを、つらいと思いながらも諦めてたのに。…受け入れられたら、存外あっさりと俺は周りに馴染んだ。馴染めた。今や、…休日の前日に、飲みに誘われることすら珍しいことじゃない。まあ、酒のつまみにされるのは、シイスのことなんだが。…それでも、きっと、俺が小さい頃からずっと欲しかったもの。それが、今や俺の手のなかにあって、それはきっと数えきれない。
なんとなく、自分の手を見遣ってから、握りしめる。きっと、…俺がこのことを話したら、シイスは満面笑顔になって、大喜びするんだろう。『友達が出来たの!?すごいじゃん!よかったね、ハンデット!』そう言って、俺に抱き着いて、…まるで自分のことのように喜んで、はしゃいでみせるんだ。その、嬉しそうに破顔する大きな丸い目と、ふくふくした柔らかい頬を想い出して、小さく笑う。
そんな俺が、視界に入っているのかいないのか。こっちへと歩いてくる玻璃の顔は、遠目からも無表情だった。その顔は、俺のように『周りから拒絶されて、結果孤立している』ようには、到底見えない。寧ろ、あいつのほうが周りを何一つ欲していない。それどころか、あいつの眼に俺や、精鋭師団の奴らや、そういうあいつ以外の存在が映っているかどうかも怪しい。そのくらいに、玻璃と言う犬獣人は世界から乖離しているように、俺には映った。
別に、それであいつがいいなら、別にいいんだけどよ。そんなことを思いながらも、…前から歩いてくるその同僚の、何もその眼に映していないような玻璃の無機質が、なんとなく気になった。それは、…今まで独りだった自分自身を見ているような気になるからか。それとも、…世話好きでお人好しで、困ってる奴を放っておけないような、そんな俺の恋人の優しい気質が、俺にも移ってきているからか。
全く俺らしくねえ。そんなことを思いながら、玻璃とすれ違おうとして。玻璃の服の裾から、何かが落ちそうになるのが視界に移って、足を止めた。あ、と思うが早いか、通り過ぎようとする同僚へと足を一歩踏み出して。間に合わないとは分かりつつも、その落ちそうになるそれに、手を伸ばす。…けれど、それが落ちる前に、玻璃の手がそれを掬うように受け止めた。その手つきは、…とても大事なものを手にするように、丁寧な優しいもので。その無機質さからは想像もつかねえような優し気な手つきに、感嘆と共に眼を見開いた。
「凄えな」
思わず口から出た言葉は、どうやら数歩離れたその同僚にも届いたらしい。玻璃が、眼だけでこっちを見遣った。怪訝そうですらない、体温の無い眼が、それでも俺を映したのが分かって、軽く片手を上げる。
「ああ、悪い。お前が何か落としそうだったから、声を掛けようと思ってな。そしたらお前が落とす前に受け止めてたから、凄えなって」
感情の見えない、…と言うよりも感情が無いような眼で俺を見ている同僚に。そんでも気にしない態で、話を続けた。今までは、こんな真似は出来なかっただろう。いつだって、俺は自分のことで手いっぱいで、精一杯で。他の奴に気を配る余裕なんて、ひとつもなかった。俺から手を伸ばして拒絶されることに、…いつだって怯えていた。
…俺がこんな風に振舞えるようになったのは、紛れもなくあいつのおかげだ。あいつが、シイスが、いつも、…いつだって俺の気持ちに寄り添って、傍にいてくれるから。俺が伸ばした手を、一度だって拒まなかった小さくて柔かい手。それどころか、あっちから俺の手を繋いで、嬉しそうに俺に笑う満面の笑顔。…離れてたって、俺のこころにはあいつがいる。そう想うだけで、何よりも力が湧く気がした。例えば、…こうやって、世の中から剥離しているような同僚に、声を掛けることだって。
そんな俺を、相変わらず玻璃の眼は感情無く見遣るだけで。俺の言葉にも態度にも、何の反応もないままに、その眼がゆっくりと手のひらに視線を移す。その瞬間、…奴の眼に微かに、けれど確かに体温が灯ったことが分かった。今まで、何の色も体温も感情も無かった眼に、初めて見えた何某かの感情。その眼が見つめる先には、手のひらに乗る程の、白く小さな布袋があった。その布袋には長めの紐が通してあって、多分首に掛けたり、手に巻いたりして使うに違いない。きっと玻璃は、それを首にでも掛けていたけれど、結び目が緩んだか何かで解けたんだろう。それが落ちたのを受け止めたのか。…いや、本当に凄えな。
俺の見ている前で、玻璃の指が、その白色の布袋をゆっくりとなぞった。その手つきだけでも、とても大事なものに触れているような。何よりも大切な宝物を扱っているかのようだと、伝わってくる。ぴんと峙った耳からも、それが分かる。それを通して、まるで何かを、誰かを想い浮かべているように、…その眼差しは愛おしげだった。
さっきまでの、感情のまるで無いような無機質さとは、全く違うその眼差しに。内心で軽く驚愕している、俺の前で。
「これだけは、落とすことなど出来ない」
廊下に響いた声に、少しだけ眼を見張った。返ってくるとは思ってなかった言葉は、俺に向けてなのか、それとも独り言だったのか。それでも、確かにその声は辺りに響いて。聴こえた言葉に、奴を見遣りながら更に問い掛ける。
「大事なもんなのか?」
答えが返ってきても来なくても、どっちでも良かった。それが奴にとって大事なもんだというのは、見ているだけで充分に伝わってきてたから。そんでも、俺の問いかけに、もう一度廊下に声が響く。
「ああ。俺の、……妻から戴いたものだ」
その言葉に、…今度こそ眼を見開いた。『妻』。確かに聴こえたその一語は、この無機質な男からは一番縁遠く響くもので。けれど、…さっきの、唯一熱を以て愛おしげな眼差しを想い返すと、それはすとんと腑に落ちた。
「お前、嫁さんいるのか」
「いる。俺の光であり、全てであり、誰よりも大事な方だ」
その視線は、相変わらず手のひらの布袋に注がれていて、こっちを見ることはない。淡々として、抑揚のない言葉は一見すると冷淡にも聴こえて。…けれど、その短い言葉のなかに、どれだけの熱量と愛情が詰まっているのか。この男をよく知らない俺にも、それが伝わってくるような熱っぽい温度で、耳に響く。その声色と言葉に、…俺も、自然と口を開いた。
「そうか。…嫁さんが大事なのは、いいな」
俺と同じだ。口から出てくる言葉は、そこまで自ずと口から零れて。それが聴こえたかのように、玻璃が、視線を投げるようにしてこっちを見た。その眼には、さっきまで布袋に注がれていたような熱のこもった温度は無く、モノを見るように無機質で。…それでも、初めて俺を認識したように、その眼は俺を映していて。奴が何に反応したのか、それが分かって小さく笑った。…きっと、玻璃が反応したのは、『嫁さんが大事』で『俺も同じ』ってところだろう。
何処までも無機質で、この世に何の興味も執着もなさそうに見えた、この同僚が。…唯一反応を示したのが、嫁さんだと言うことに。笑みと共に浮かんだ感情は、…もしかしたら『親近感』と言う奴なのかもしれない。
「俺にも、嫁さんがいるんだ。物凄え可愛い奴」
正確には、結婚はこれからなんだけどさ。もうすぐ嫁さんになる奴だからよ、嫁さんって言ってもいいよなって。自然と、そんな言葉が口から零れて。照れ隠しのように、無意識に後頭部を掻いた。他の同僚には、まだ照れくさくて口に出したことのない言葉は、…この男の前だと、何故だか存外あっさりと口から出て来る。俺に興味がないということが分かるから逆に言いやすいのか。…それともやっぱり、。嫁が大事だと言う点で、俺と同類だからか。
俺の言葉に、玻璃がさっきと変わらない体温の無い眼で俺を見遣る。それから。
「俺のもも様の方が、この世で何よりも可愛い」
相変わらずの無機質な眼で。真っ直ぐに、奴が俺に向かって言った言葉は、一瞬理解できなかった。思わずぽかん、と奴を見返す俺に、玻璃の眼が興味も何も無さそうに、俺から逸らされる。そのまま、何の会釈も挨拶もなしに、その場から玻璃が一歩を踏み出して。当たり前のように歩み去って行く後ろ姿を、ぽかん、としたまま見送ってから、…思わず噴き出した。
「…なんだよ、本当に嫁さんが好きなんだな」
笑いながら呟いた言葉は、それでも消えることなく廊下に響く。何の衒いも躊躇いもなく、自分の嫁が世界一可愛いと言い切った、無機質で体温のない同僚。自分の嫁さんのことに対してだけ、熱量の上がるその姿に、…何故だか黒狼の近衛兵長の姿が重なって見えた、と言ったら、本人は怒るだろうか。いや、きっと他の奴らから見たら、俺も、やっぱり玻璃や近衛兵長と同類なんだろう。
俺と奴に、何ひとつ共通点がないとしても。…嫁さんが、世界一可愛いと言うところで。それを俺たちが想っているというところで。…きっと、これ以上ないくらい分かり合える。
ああ、きっとあの近衛兵長ともそうなんだろうな。そんなことを思いながら、俺も前へと一歩踏み出して、廊下を歩いた。
…ああそうだ。今度、近衛兵長に、前に相談に乗ってもらったお礼をしなくては。それから、…シイスと旅行に行きたいことも、更に相談してみたい。その時に、…この無機質な同僚と、近衛兵長が似ていると思ったことも話してみようか。頭に浮かぶ色々なことを、脳内で指折り数えながら。これからのことを考えて、もう一度小さく笑った。
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