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イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【78ー玻璃とももの話】
夜の帳も疾うに下りた、静かな時間。床のなかで、もも様を腕に抱いて、その寝顔を見つめるのが、俺の至福の一つだった。
俺のもも様は、規則正しい早寝早起きをされる方だ。あの屋敷でも、もも様が就寝されるのは早かったから、きっと幼少の頃からの習慣なのだろう。この国に移住してからも、もも様は夜の遅くなる前に床に就くことも多い。
勿論それは毎日ではなく、例えば俺が帰るまでは、どれほど遅くなろうとも、もも様は起きて待っていてくださる。遅くなるときには、先にご就寝くださいと申してはいるのだが、それでももも様は、俺が帰ることを待っていてくださるのだ。…その姿を想えばこそ、俺は何としても終業して直ぐにあの方の元へ帰ろうと心に決めている。
情愛を交わす時にも、朝まで睦み合うことは数知れない。もも様のその柔らかくふんわりとしたお身体に手を這わせると、それだけで俺の本能が全てを凌駕するようだった。この夜の俺をもし軍の者共が見たとしても、…これが俺だとは誰も信じないだろう。もも様のお傍に侍り、その優しさや愛らしさに触れ、以前よりは感情と言うものを大分覚えてきた今でさえ、軍の者からは感情が無い奴だと思っているようだ。あの者らが傭兵だった頃の俺を見たら、どう思うのだろうな。まあ、そんなことはどうでもいいが。
この至福の時間に、無粋なことを考えるのも勿体ない。なによりも愛らしいもも様の寝顔を今日も堪能すべく、そのお顔へと自分の顔を寄せる。…これだけ顔を寄せても、もも様は目覚める気配がない。それすら、俺に気を許してくださっていることの証明に思えて、自然と眼が細まった。
俺は、殆ど睡眠を必要としない。元からの体質だったのかもしれないし、養成所での訓練でそうなったのかもしれない。暗殺も諜報も、こちらの動きを知られることなく相手の隙を見つけることが重要な任務だ。寧ろ、闇に紛れて動ける夜こそ、自分たちの絶好の活動時間だった。
そんな時に眠気を催したり、ましてやうっかり眠ってしまったなどと言う失態は許されない。あの頃の俺たちの失態は、イコールで死を意味していたのだから。それ故、『眠らないこと』は初歩にして、最も重要な訓練のひとつでもあった。それに耐えきれず、そこで脱落した者もいる。けれど自分は、睡眠がとれない訓練にもそれほど苦労した覚えはないから、矢張り体質もあったのだろうか。
そんな生き方をしてきたからだろう。今でも、俺の身体は寝るという行為を必要としなかった。幼い頃に叩きこまれ、ずっと習慣としてきたことが、今更変わる筈もない。今でも、ほんの一瞬眼を閉じれば、それで済む。
傭兵として生きてきたあの頃は、それが当然過ぎた余りになんとも思ってはいなかったが。…今は、眠りを必要としない身体を有難く思う。
今も、腕の中で健やかな寝息を立てる稚い寝顔に、口の端を小さく緩めた。…あの屋敷に居た頃は、夜にもも様のお傍に侍ることなどそうは無かった。夜こそが俺の活動時間だったのはあの頃も変わらず。昼はもも様のお傍で護衛を務めることが出来ていても、夜になれば、本来の俺の任務をこなす為に屋敷を空けることが度々で。…こんな風に、もも様の寝顔を見られることなど、そうは無かった。そも、見られたとしてももも様の護衛の為に天井裏から見つめたり、寝室の外から襖越しに見つめたり出来るか、任務終わりにこっそりともも様の寝室に忍ぶか、どちらかで。…そのお身体を腕に抱きながら、こんなに間近で寝顔を見つめることが出来るなど、あの頃の俺には思いもしなかった。きっと、あの頃の俺に、この身には過分な程の今の幸福を話したとしても、絶対に信じないだろう。
こうして、夜にはもも様のお身体を腕に抱き、その寝顔を見つめることが、俺の夜の日課となっていた。自分の睡眠を必要としない身体に対して、今までは当然だとしか思っていなかったが。もも様との共寝を許された今となっては、それすら喜ばしい。…自分の身体や、あの訓練や生き方にすら、喜びを見出すことがあろうとは。決して胸を張れる生き方ではないと自覚してはいるが、それでも。
そんなことを、取り留めもなく考えながら。もも様のそのふっくらして優しい線を描く頬に、静かに指を這わせた。あたたかく優しいぬくもりが、肉球を通してじんわりと俺のなかに浸透していく。…未だに、どの程度の力でもも様を抱き締めて良いのか、その加減が分からない。このようにもも様が眠られている時は、特にそうだ。無意識に強まってしまう力は、…俺の怯えなのだろうか。この方だけは、俺から奪われてなるまいと、俺の本能がそう訴えている所為なのか。今も、ともすれば腕に抱く、この小さく柔らかな身体をきつく抱き込んでしまうそうで。力の調整に気を付けながら、腕の力を緩くした。
その代わりに、と、首から下げている小さな袋をきつく握りしめる。王城へと任務に赴いている時は勿論のこと、湯を浴びる時にも寝る時にも、肌身離さず着けているこの袋の。その中に入っているものは、俺の名の元となり、俺の名の元となり、初めて出逢った時にもも様が俺へと下賜くださった、もも様の宝物だという透明な護り石。これを身に着けていると、もも様と離れている時でも、石を通じてもも様のぬくもりを、存在を感じられているような。もも様と繋がることが出来ているような、そんな不思議と安堵した感情が沸き起こる。…その分、早く帰って本物の、俺のもも様に逢いたいとも、強く想うのだが。
袋の上から、俺の名と同じ玻璃の石を、なぞりながら。もも様の健やかであどけない寝顔を見つめて、再度小さく口の端を緩めた。そんな、俺に。
『玻璃はねえ。きっと、かみさまがももにくれた、ももの宝物なの』
…不意に。もも様の幼く、柔らかな声が、思い出すように耳を掠めて。それが、蕩けるように耳を溶かした。何度も矯めつ眇めつするように、大事に想い起こしてきた言葉。この言葉は、忘れもしない。この国に来たばかりの頃に、…もも様が、俺に与えてくださった言葉だ。
あの時のもも様は、この家のリビングの隅にある『ソファ』と呼ばれる長椅子に座られて、玻璃の石を丁寧に磨かれていた。この玻璃と言う石は、どうやら魔除けや浄化作用があるとも言われているらしく、その持ち主を邪気や厄災から護ってくれる、護り石だということだった。その役目に違わず、玻璃の石は俺とは全く違う透明に澄んだ、綺麗なもので。本来なら雑味と捉えるであろう、そこに混ざる白い筋でさえ、その透明度を彩るように、美しさを増していた。
もも様の柔く幼い手が、そんな護り石を磨く様を。俺は、その隣に侍りながら、ただ見つめていた。
もも様の宝物を賜ったのだ、俺だってこの護り石を、何よりも大切に扱っている。だが、不思議なことに俺がどれだけ丁寧に磨こうが、綺麗にはなれどその透明度は変わらないのに。もも様が磨かれると、まるで輝かんばかりにその透明度が上がるのだ。きっと、この石も何よりももも様が好きで、もも様を大切に想っているのだろう。…流石、俺の名の元になっただけある。
きっとこの石にとっても、もも様は何よりも大事な持ち主で、きっと愛していたのだろう。そんな持ち主から離されて、俺などのところへ来てしまって、…この石は俺を恨んでいるのではないか。もし俺がこの石だったら、もも様から離された時点でこの世の全てを呪ったに違いない。例えそれがもも様のご意思であったとしても、…それだけはどうしても、俺には到底受け入れられない。それこそ、何の躊躇いもなく新しい持ち主の命を奪い、もも様の元へ戻ろうとする。もも様のお傍に侍ること、それこそが俺の存在意義で、俺の全てなのだから。
『石の『玻璃』も、玻璃のことが好きなのねえ』
けれど、そんな俺の思考とは裏腹に。もも様がそう口にして、嬉しそうに手の中の石を見つめる。…俺の思考とは正反対の言葉に、思わず眼を見開いた。この石が、俺を、好き?この石から、もも様を奪ったようなものである俺が?恨まれる覚えこそ多分に在れど、好かれる要素など思い浮かばない。もも様の手の中の『玻璃』を見遣りながら、そんな疑問が口から漏れる。
『…そうでしょうか?』
『うん。だって、こんなにきらきらしてるもの』
ももがもってたときよりもね、玻璃は、もっときらきらしてるの。そう言って、もも様が天井に下げてあるランプの光に、磨かれていた玻璃の石をかざした。その温かみのある橙の光を受けて、透明な玻璃の石があたたかく輝く。…まるで、もも様のお傍にいる俺のようだ、と、そんなことが脳裏を過ぎった。
この石を俺に授けてくださった時に。もも様は、この石と俺が似ている、と、そう仰った。もも様が、俺の何処を見て、そんなことを思ってくださったのかは分からない。もしかして、俺の内面を察知して、…俺の中に何も無いことを『透明だ』と。そこが、俺とこの玻璃の石が似ていると、…そう想ってくださったのかもしれない。もも様は、とても感受性豊かな、優しい方だから。
けれど、俺は透明なのではない。言葉の通りに、何も無いのだ。もも様に出逢うまでは、空虚であり、虚無だった。文字通りの伽藍洞。命じられたことを行い、それと引き換えに対価を貰う。そこに何の感情も挟むことはなかった。殺す相手にも、何の感情も芽生えたことはない。例え相手が無垢な女だろうが幼い子どもだろうが、おれを殺せと命ぜられたならば躊躇いもなく屠っただろう。もも様に出逢う前、あの頃の俺ならば。
ただの道具であり、兵器だった。それに対しても、なんとも思っていなかった。そんな俺が、…もも様と言うひかりに出逢い、与えられて、初めてひかりが美しいものだとを知った。ひかりと言うもののあたたかさも。それが、どれだけ目映く輝き、周りを照らすものなのかも。
俺は、ただの何も持たない伽藍洞で、透明ではない。けれど、…もも様のお傍にいると、このあたたかなひかりで俺のなかが満たされていくのが分かる。それこそ、ランプの光の受けて橙に輝く、この玻璃の石のように。
この石が、俺のこと好きかどうかは、矢張り俺には掴めないが。もも様のひかりを受けて、満たされ輝く、そう言うところならば、玻璃の石と俺が似ていると言う言葉にも頷ける。そんなことを密かに思って感じ入る俺に、もも様が俺を見遣って、はにかむように愛らしく笑った。
『玻璃も、『玻璃』のことをすきでしょう?それが、もももとっても嬉しいの』
もも様の仰る二つの『玻璃』が、俺と石と、何方を指すか。もも様の言い方で、俺には分かる。きっと、俺が石を大事にしていることが嬉しいと、…そう想ってくださっているのだ。俺が、この石自体を好きかどうかは自分でも分からんが。元はもも様の宝物で、もも様が俺に与えてくださったものだ。大事にするなど、当然のこと過ぎる。そもそももも様から賜ったものでなければ、きっと疾うに失くしているのだ。その上、失くしたことも気づいていないだろう。いや、それ以前に受け取ってすらいないかもしれない。本来であればそれが常である俺が、例外的にこの石を大事にしているのは。…俺にそれを与えてくださった相手がもも様だから、それに他ならない。
『もも様の宝物を賜ったのですから。俺がこの石を大事にするのも当然です』
もも様のお言葉に、俺も口端を上げてそう返してから。…けれど、本当に良かったのだろうか、と心の中で密かに思う。もも様の宝物を、俺などが賜るなど、…本当に良かったのか。身の程知らずにも程があるのではないか。この石を授かってから、何度となく思案していた思考が頭を巡って。…それが分かったかのように、もも様が俺を見つめて、その大きな目を惜しげもなく細めた。
『ももにはね、玻璃がいてくれるでしょ?』
あの時に分かったの。このひとが、きっと、ずっともものそばにいてくれるひとだって。だから、ももは『玻璃』に、玻璃を護ってほしかったの。ゆったりとした幼い口調で、もも様がそう、言葉を続ける。
もも様の仰る『あの時』が、いつのことなのかなど俺には分かる。それはきっと、俺ともも様が初めて出逢った、あの春の庭のことだろう。俺が初めてもも様のお姿を眼にし、世界が色づいたあの瞬間。
あの時、…もも様は。いや、もも様も。俺がもも様こそを一代一主、唯一のひかりとしてお傍に侍ることを、分かっておられたのだろうか。俺がもも様へ、…この方こそが、俺が命を賭して護りぬく、たったひとりの方なのだと。この方を護るためにこそ、俺は存在しているのだと、…そう想い誓ったのと同じ様に。もも様も、…俺に、そう想ってくださっていたというのか。俺が、俺こそが、…この方のお傍に生涯侍りその身を護る、ただ唯一の者だと。そう、感じてくださっていたと言うのだろうか。
そう想うと、心臓が感極まるように強く打ち鳴る。そんな俺を覗き込むように見つめながら、…俺の獣毛を撫ぜたもも様が。俺に与えてくださったのが、あの言葉だった。
『玻璃はねえ。きっと、かみさまがももにくれた、ももの宝物なの』
あの時のことを思い出すだけで、胸が締め付けられるようだった。…息が詰まるような喜悦と、泣き出したいような愛おしさ。言いようのない、ほんの少しの苦しさは、…きっと切ない、と評されるものなのだろう。それが綯い交ぜになって、思い出すたびに俺の胸を甘く締め付ける。それは、甘美なまでに心地好い痛みだ。俺の誰より大事な、ただひとりの狂おしいほどに愛しい主が、俺にくださったこの言葉。…それこそが、俺にとっては何にも代えられない、何よりの宝だった。
今も、蕩けそうに甘やかな胸の締め付けを覚えながら、もも様の稚い寝顔に眼を細める。…俺が、この方の『宝物』など。身に余る光栄すら過ぎて、分不相応も甚だしい。この方こそ、俺の至宝であり、ただひとつのひかりだと言うのに。
…こんな、何も無い伽藍洞の俺に。宝物と似ている、と笑って、護り石と共に同じ名を授けてくださった方。何も無いくせに薄汚れた俺を、…綺麗だと、嬉しそうに目を細めて見つめてくださる方。そんな方は、この世にこの方以外、誰も在ない。これほどまでに、…こんな俺に、こころを寄せてくださる方は。
首から下げた、俺と同じ名の護り石を握りしめて。その柔らかで稚い寝顔に、顔を寄せた。そのまま、啄むように唇を重ねれば、あどけなく眠ったまま、もも様が優しく笑う。まるで、眠っていてすらも俺の行いを分かり、…受け入れてくださっているように。
そんなもも様の身体に再度両腕を回し、抱き込むように緩く抱き締める。ともすれば、また力強く抱き締めてしまいそうになる腕を叱咤しながら、甘やかな匂いのするもも様の首筋に顔を埋めた。
健やかに眠っている筈のもも様が、そんな俺の行為にすら気づいているように。…その幼く小さな両手で、俺の身体を抱き返してくださって。…そのあたたかなぬくもりを享受しながら、もも様の柔さを全身で堪能した。
例え眠らないとしても、自分には眠りが必要ないとしても。矢張り、この時間は俺にとって至福の時だ。
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