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イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【4】

  俺よりも。幾分もまだ幼い俺の妻は、俺の肉球が随分と気に入っているらしい。

  「リジットさん、肉球触っていいですか?」

  今日も。ベッドの上で正座をして、畏まってそうフラフィーが聞いてくる。…別に畏まる必要などないのだが。と言うか、お前ならば、触りたければ好きなだけ、自由に触ってくれていいのだが。そう言っても、何故だか律儀に、俺の妻はいつも、そう俺に問いかけてから触れてくる。そんな、妙な律儀さも、俺にとっては愛らしい。

  「ああ」

  だから、俺も軽く頷いてから、上向きに手を差し出した。ぱ、っと柔らかなラインを描く頬が輝いて、ふくふくとした手が、俺の掌を緩く掴む。

  俺の肉球は、猫科の獣人たちと違って、柔らかくもなければ手触りも悪い。色も黒いし表面はざらざらとして硬いし、別に触っても何も楽しくないだろうに。寧ろ、お前の手の方が肉付きもよく柔らかであたたかくてもちもちと滑らかで、万倍も触り心地がいいだろう。少なくとも、俺にとっては。

  それでも、とても嬉しそうな顔で、この子は肉球に触れるのだ。まるで壊れものでも触るように、丁寧な手つきで。

  俺とは違う、先までつるりと木目細かい指先が、そうっと肉球をなぞる。その感触に、…喉奥で、静かに息を呑んだ。俺の後ろで、尻尾が勝手にふぁさふぁさと揺れているのが分かる。肉球に気を取られているフラフィーは気付いていないのが救いだろうか。

  肉球を撫ぜていた指先が、ぷにぷにと、それを軽く摘まみ始める。確かに俺の肉球は、表面こそざらざらと硬いが、その下は少し柔らかい。その微妙な感触を俺の妻は好んでいるのか、こうやって、肉球を撫ぜては緩く摘まんでくる。痛くはない、寧ろ、この子の柔らかな指先で優しく摘ままれると、まるでマッサージをされているようで、心地好い。

  ぱたぱたと喜びに遠慮なく揺れ始めた尻尾が、フラフィーにばれないかと冷や冷やする俺の前で。当の妻が、楽しそうに笑って無邪気に声を上げた。

  「俺、リジットさんの手、好きだなあ」

  そんな愛らしいことを言いながら、肉球を摘まんでいた手で、今度は俺の手を掴む。そのまま、俺の手が、フラフィーの頬に当てられた。まるで離れるな、とでも言うように、今度はその手が俺の手の甲に重ねられる。

  16というその歳よりも、少し幼く見える仕草。そんな彼が微笑ましくて、俺の口角も自然と緩む。自分の手を、フラフィーの好きにさせながら、揶揄うように問いかけた。

  「肉球が、か?」

  「違うよ!肉球もだけど、手が好きなの!」

  俺の揶揄いに、打てば響くような勢いで否定してくる、俺の愛妻。

  ていうか、と、声を続けて。俺の手を頬に当てたまま、照れたようにはにかんだ。俺を見て、団栗のように円い目を、ぎゅう、と細めて。

  「俺、リジットさんのこと、全部好き」

  そう言って、幸せそうに笑う。…俺が彼を初めて見た、あの時のように。

  あの日。俺が一瞬で眼を奪われた、あの笑顔で。

  **************************************

  俺が。フラフィーを初めて見たのは、今から4年と少し前。俺が齢22にして近衛師団の兵士長に就任したばかりの頃。親交のある伯爵の舞踏会に招かれた時だった。

  この国では、20歳で成人したと認められる。そして婚姻は、娶る側が成人していれば、娶られる方がいくつだろうと成立する。その所為か、成人を迎えると、まるで配偶者を斡旋されるように、舞踏会に招かれることが多くなっていた。舞踏会は、まだ配偶者の決まっていない者が出逢う、最適の場だからだろう。

  

  その日も、舞踏会に招かれた俺は、伯爵夫人より紹介された幾人かとダンスを踊り、精神的に疲労して別室に逃げていた。…ああいう場は、滅法苦手だ。見知らぬ誰かに触れられるのも、値踏みするように見られるのも、感情のない世辞を並べられるのも。

  そもそも俺は、自分以外の他人が苦手だった。人間も獣人も関係ない。俺のなかに、立ち入らないで欲しい。関わらないで欲しい。多分、俺の過去に起因するそれは、顔にも態度にも雰囲気にも出てしまっているんだろう。もとより表情が乏しいと言われて久しい上に、他人を拒絶するような空気を醸してしまっている俺に、関わろうとする者は団内でも少なかった。唯一と言っていい戦友の犬獣人は、少し前に怪我で退役してしまっていたから、余計に。

  けれどこういう場に来ると、軍人、と言うだけで持ち上げられる。それが王家付きの近衛師団に属しているとすれば、余計に。俺がどれだけ相手を拒絶しようとも、関係ない。『俺』、ではなく、俺の後ろに在る権力や、俺が持つ財産や、そう言うもの。こういう場で俺の前に立つ誰かは、俺を通してそういうものを見て、褒めそやした。

  それが悪いとは言わない。社交界とはそういう場で、その者の中身よりも、それがもつ影響力が何よりもものをいう世界なのだから。…それに、俺がいつまで経っても適合できないだけで。

  俺が逃げ込んだ別室は、軽食や飲み物が用意されている場所だ。そこでこの舞踏会の参加者たちは、腹を満たし喉を潤し、また舞踏会場へと戻っていく。…皆、精力的なことだ。

  ため息をつきながら、用意されている飲み物からワインを選んで手に取った。別室と言えども、そもそも舞踏会への参加者が大人数だ。いつ、誰が休みに来てもいいようにだろう、この部屋も広間と言っていい程度には広い。

  椅子に座る気力もなく、壁に背を置いてぼんやりと辺りを見回した。料理の置かれている円卓が並び、そこで談笑する令息や令嬢が幾らか。椅子に座っている者もいれば、俺のように立ったままグラスを傾けている者もいた。

  …その中に。明らかに浮いている姿が視界に入って、思わず眼を見張る。

  俺とは逆端の、料理の並ぶ円卓に座っているその姿。そこにいたのは、まだ年端も行かない子供だった。成人などしているわけもない、小さな。齢にして10…前後だろうか。幾分も肉付きのいい、ふっくらと柔らかそうな子供だった。

  しかし、なぜこんなところに。あまりにも場違いな姿に、なんとなく彼を見遣ってしまう。確かに、婚姻は娶られる側なら幾つでもいい、となってはいるが、いくら何でも小さすぎだろう。とすれば、親が招かれているのだろうか。この時代、配偶者と離別や死別をしてしまうことも少なくない。後添えを求めて、こういう場に参加する者もいるのだろう。

  だから、親を待って、ここで食事をしているのだろうか。そんなことを考えながら、部屋の端からなんとなく、その小さな子供を眺めた。

  俺は、狼獣人の能力のひとつとして、視聴嗅覚ともに人間よりも優れている。だから、俺からあの子は見えても、あの子からは俺は見えることはないだろう。現に、彼は部屋の逆隅に居る俺にはまるで気付かないように、用意されたサンドイッチを口にしていた。

  一口食べて、噛み締めるように口を動かして、…幸せそうに笑う。

  サンドイッチのなかに、余程好きなものでも入っているのだろうか。そう思ったけれど、違うものに手を伸ばしても、それは同じだった。

  ゆっくりと、大事そうに口にしては、丁寧に咀嚼して、にっこりと笑う。ふっくらとした頬をほころばせて、団栗のように円い目を惜しげもなくぎゅう、と細めて。…まるで花の咲くようだ、と、似合わないことが頭に浮かんだ。

  どうやら、食べること自体が好きらしい。あんなに幸せそうな顔で食されたら、料理人も、食材も本望だろう。

  無意識に、彼が手にしていたサンドイッチへ、俺も手が伸びた。一口齧る。高級な食材が挟まれたそれは、確かに美味いんだろう。けれど。…あんなに幸福そうに、ものを食べる誰かを、俺は初めて見た。…いや、違う。

  あんなに、幸せそうに。まるで幸福が詰まったような顔で笑う、誰かを。…俺は、初めて見た。

  たったそれだけだ。俺が見ているのは、とても幸福そうな顔で、食事を頬張るふっくらとして幼い子ども。なのに、俺は、その笑顔から眼を離せなかった。

  彼と同じタイミングで、手のなかのサンドイッチを口に運ぶ。彼の顔を見ながら、それを咀嚼する。それだけで、…口に含んだそれが、先程よりも美味く感じた。別に腹も空いていなかったのに、手にしたサンドイッチが、あっという間になくなるほど。

  あの視界に、俺が映らないだろうか。あの顔で、俺に笑わないだろうか。不意にそんなことを思ってしまって、慌てて頭を振る。

  そんなことを思ってどうするというのか。俺の今居る位置は、あの子からは見えるはずもない。それに、この国の獣人は、ほぼ軍人だ。であれば、普通に暮らしていたのなら、目にすることは少ないだろう。…獣人、なんて、怯えられるかも知れない。特に俺は、肉食の狼獣人だ。もし、今、彼に俺が見えたとしても。怖がられこそすれ、笑うなんて、到底。

  

  『フラフィー』

  俺の思考を遮るように。壮年の男性の声が、交わされていた談笑を割って響く。それに、…俺の見ていた彼が、顔を上げた。誰かを認めて、…その顔が、まるで萎れるように色褪せた。

  『はい』

  それでも、その顔は笑っている。けれど、先程までの幸福そうな笑顔とは、似ても似つかぬ其れは、まるで何かを諦めきっているようだった。無理をしているのではなく、泣き出しそうなものでもなく、ただ無機質に貼り付けたような笑顔。

  その顔を向けられた相手は、俺も覚えのある侯爵だった。…確か、奥方はご存命で、彼よりも大きな子が居たはずの。少なくとも、あの子の父親ではない。それは分かる。

  侯爵の腕が、ふっくらとした彼の背に回る。色褪せた笑顔が、一瞬だけ震えたのが分かった。

  瞬間、全身の毛が逆立つ。気付けば、両手できつく拳を握っていた。胸に渦巻くのは、嫌悪より、憎悪と言った言葉が似合うような感情。…何故、何が、こんなに。

  自分でも分からない激情の向こうで。あの子が、壮年の侯爵に背を抱かれて、部屋から出ていくのが、眼に映る。知らず、喉奥で唸っていた。周りで囀る談笑に消されるくらい微かに、けれど確かに。

  

  よく分からない激情のまま、俺も部屋を後にした。招いてくれた伯爵に声を掛け、いとまを願い、屋敷からも一足早く辞去する。

  そのまま家に帰って、あの侯爵を調べ上げた。フラフィー、と呼ばれていた、あの小さな子供のことも。

  その結果、数日のうちに、あの侯爵に関してのあまりよくない話がいくつも届いた。

  金と権力を笠に着て、自分の性癖に合う者を手籠めにする、ということ。彼の性の対象が、ふくよかな子どもだと言うことも。まだほんの幼い時期から、男女問わず目をつけた子どもと婚約して、その子が趣味の範囲まで成長したら婚姻し、嫁と言う名の玩具にすると言うことも。

  …その。目をつけられた子どもの一人に、『フラフィー』と言う名の男爵子息がいる、ことも。

  もうすぐ、侯爵の好みである12歳、にあの子はなってしまうらしい。そうすれば、有無もなく、あの子は侯爵の元に嫁ぐのだろう。あの幸せそうな笑顔は消え失せ、色褪せて貼り付けた笑顔で。年老いて尚盛んな男性の、慰み者になる為に。

  それを思うだけで、身体中が煮えくり返るようだった。自分でもおかしいと分かっている。たった数刻目にしただけの子どもに、何故、こんなに執着するのか。こころが、惹かれるのか。

  それでも、戸惑う理性とは逆に、俺の行動は早かった。あの時、俺を動かしていたのは本能だったのだろう。

  少ない伝手を辿って、あの子の親を紹介してもらった。是非話がしたいと伝えてもらって、その屋敷まで出向いて。

  『貴殿の御子息のフラフィー殿を、我が花嫁として娶りたい』

  通された応接室で。挨拶もそこそこに、彼の両親、男爵夫妻にそう、申し出た。

  あの子が、名目上とはいえ、既に侯爵と言う婚約者のある身だと言うことは、百も承知だ。けれど、この国で俺の手にする権力は、かの侯爵よりも上だった。俺の行為が横入であったとしても、彼は、俺に文句は言えない。

  例外として、あの子の両親である男爵夫妻が、侯爵への嫁入りを強く望むのであれば、話は別だが。けれど夫妻は、俺の申し出を断らないだろうと踏んでいた。彼等は、俺が舞踏会でよく目にした、権力や財産、影響力のある者に傾倒する人間であったから。自分が侯爵よりも権威の強い、王家付きの軍人だと言うことを、初めて有難いと思った。

  …けれど、当のあの子が、どう想うか。それは、俺には分からなかった。

  王城に入ることが出来るのは、爵位が伯爵から上の貴族たちだ。男爵は王城に入ることは無い。逆に、獣人はほとんどが軍に属し、俺も近衛師団として、王城のなかで任務を務めている。

  そうであれば、あの子からしたら、俺などあまり目にしないだろう獣人で。身近ではないだろう軍人で。狼と言う肉食獣人の上に、表情も乏しく愛想も何もない、ともすれば威圧的に見えるだろう俺の外見。恐れられこそすれ、好かれる要素など何一つ思いつかない。

  金や権力ばかりに目を向けられて誰も俺を見ない、と思っていたが、…『俺』という者には、何があるというのだろう。この子の気を惹ける何かを、俺は持っているのだろうか。

  

  それでも、あの壮年の侯爵の慰み者として嫁入りするよりかは、…幸福なはずだ。自分に言い聞かせるように、喉奥で呟く。

  そうだ、例え俺と共に在るのが、嫌だとしても。あの、幸せそうな笑顔を、俺が見ることは無いとしても。…少なくとも、あの彼よりは。俺の方が、きっと。

  じっとりと、掌や指先の肉球に、汗が滲む。心臓が早鐘を打ち、吐き気さえしそうな程。あんな緊張、後にも先にも、どんな戦いに赴いたときにも、感じたことは無い。

  

  歓声をあげる男爵夫人の声を遠くに聞きながら。ただ、夫妻の隣に座る、あの子の姿だけを見つめた。

  ぽかん、と驚いたように円い目が、はっきりと俺を映して。その目が、数度瞬きをした。それから、…ふっくらと柔らかそうな線を描く頬が、薄っすらと上気しながら、ほころんだ。ぎゅう、とその円い目が細められる。…嗚呼、と心のなかで、感嘆が零れた。

  目の前で。あの子が、あの笑顔で、俺を見ていた。あの時、目を奪われてしまった、花の咲くように幸せそうな。まるで幸福が詰まったように笑う、あの。

  その笑顔で、彼が口を開く。いつの間にか、吐き気を催すほどの緊張は、弾むような高揚感に変わっていた。その口が紡ぐ言葉に、期待をする。この幸福そうな笑顔で、俺の申し出に。

  『喜んで!』

  そう頷いて、笑ってくれる、この時を。

  あの瞬間に。俺は改めて、…あの子に、恋に落ちたのだ。

  ****************************************

  「どうしたの?」

  どうやら、長いことぼうっとしているように見えたのだろう。不思議そうなフラフィーの声に、我に返る。

  見れば、俺の両手を、そのふっくらとした両頬に当てながら。声と同じに不思議そうな顔で、彼が俺を見ていた。きょとん、とした円い目は、あの頃から寸分変わっていない。

  「いや」

  

  その頬を、今度は俺の意思でゆっくりと撫ぜる。肉球のざらつきがくすぐったいのだろうか。少しだけ目を細めながら、フラフィーがはにかむように笑う。

  その顔に額を寄せながら。…あの瞬間からずっと、感じていることを、囁くように口にした。

  「…俺は、世界一の幸せ者だな、と思ってな」

  そう言うと。一瞬だけきょとん、と俺を見遣った円い目が、今度は惜しげもなく細められた。…俺が、初めて見たときから。今も、きっとこれからも。ずっと恋焦がれてやまない、幸福の詰まった彼の笑顔。ぎゅ、と細まった目のなかで、自分でも驚くほどに優しい顔をした俺の顔が、同じように笑っている。

  ふくふくとあたたかい手が、俺の手の上から、肩へと移った。そのまま、首の後ろに回ったその手が、俺に抱き着く。

  「俺も!」

  弾むような声を、耳を揺らして聴き惚れながら。どこもかしこも柔らかい、俺の妻の身体を、腕に収めて眼を閉じた。

  …きっと。舞踏会の別室で、あの笑顔を見た、あの時から。俺は、この子に、尽きることのない恋をしているのだろう。

  何もないと、思っていた俺自身に。かけがえのないものが出来た幸せを、噛み締めながら。

  この、幸せに笑う顔を護る為ならば、何でもしようと、こころに誓った。

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