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イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【7.5】
今。俺の勤める屋敷の使用人の間では、ブラックコーヒーが大流行りしている。
庭園で。俺の勤める屋敷の主人と、その『奥さま』の。一連の流れを、同じ庭師兼門番である相棒と、一頻り見遣ってしまった後。
お2人が屋敷へと戻られるところまで見届けてから、フラフィーさまの落としたじょうろを拾って、俺たちも屋敷へと戻る。
その後で。2人して無言で向かった先は、打ち合わせることもなく厨房だった。
誰も居ない厨房で、相棒がコーヒー豆をミルに突っ込む。そのまま、えらい勢いでごりごりと豆を挽き始めた。
それを見遣りながら、ネル式ドリップの準備にかかる。昼間は火が絶やされることのない炉の一基には、いつでも湯が沸いている。一度火が消えてしまうと、また火を起こすのが大変と言うのが、火が絶やされることのない昔からの理由だが、最近はもう一つ理由が増えた。『いつでもコーヒーを淹れられるように』。…どんだけ、今の俺らにはコーヒーが必要なのか。そんなことに苦笑しながら、湯を掬ってネルフィルターをくぐらせた。
ここで。ふんわりと柔らかい笑顔を浮かべて。我らが主人やご自身の分は勿論、俺たちの分まで料理をつくってくれる、うちの奥さまは。…あの分だと、当分ここに来られることは無いだろう。下手したら、このまま明日の朝まで、ご主人様と寝室に篭られるコースだ。その様子を思わず思い浮かべてしまって、おかしな笑みが顔に浮かぶ。…あー、やばいやばい。
「…お前、俺の主人と奥さまで変な想像するな。この変態が」
「お前に言われたかないわ」
ていうか俺のってなんだ。俺にとっても大事な旦那様と奥さまだわ。お前だけ、って顔してんな。そんなことを考えながら、今度は密かに歯を剥いた。笑っているような怒っているような顔で、豆を挽いている相棒は、そんな俺の顔に気付いている様子はない。良し。
あっという間に豆を挽き終わった相棒が、雑な音を立てて椅子に座った。
お湯を今度はドリップポットに移してから、座った相棒から挽いた豆を受け取って、用意したフィルターのなかにコーヒー粉を入れる。適度な量とか知らん。もっと言えば、豆を挽いた相棒も、豆の粗さがどうとか気にしてないだろう。苦きゃいい。それが、俺たちがコーヒーに望むことだ。コーヒーの苦さと濃さ。今の俺たちはまさにそれを求めている。
俺たちが、厨房でコーヒーを淹れる頻度は、この半年で格段に上がった。…俺たちの主人と奥さまを見た後は、特に。
今も。さっき庭園で見かけた光景が、胸を渦巻いて口に拡がっている。甘味として。…まさか、視覚で得た光景に味がつく日が来るとは、半年前には思ってなかったわ。
最初は、俺が特殊能力に目覚めたのかと驚愕したが。同じように、苦みを求めてコーヒーを淹れる仕事仲間を見て、俺だけではないと安堵した。同時に、これだけの人数に、視覚の甘さを味覚として感じさせる、我が主人と奥さまにも、再度驚愕したものだ。
特に、今日みたいに何をしている訳ではなくても。例えば、お互いを見遣って話しているだけで。手を繋いで歩いているだけで。顔を合わせて、笑っているだけでも。見ている俺たちに、多大なるにやけと照れと、…幸福と。それから、焼けるような甘さを与えてくれる、俺たちの主人夫妻。
俺たちは、…少なくとも俺は。そんな、リジット様とフラフィーさまを、心の底から敬愛している。
普通、こういう屋敷なら、厨房にはコックが居て、コーヒーの一つでも淹れてくれるもんかもしれないのだけど。うちの屋敷には、所謂コックはいない。というか、この屋敷の主人であるリジット様のご意向で、専門職のみで雇われている者がいない。俺と相棒も、庭師と門番を兼ねているし、数人いるメイドも、誰が長とか無く、皆平等に家事を請け負っている。
だから、今まではメイドのなかでも料理のうまい奴が数人、順番で料理を担当していたし。フラフィーさまがこちらにいらしてからは、彼が一手に引き受けてくれている。…普通は、屋敷の、しかも貴族出身の『奥さま』が。料理、というか家事をするなんて、有り得ないと思うんだけど。フラフィーさまは、初めてここにいらしてから、そういうことを全部、俺たちと一緒にやってくれている。
この屋敷に勤めている仕事仲間のなかには、貴族って存在に、嫌な思いをしたことがある奴が大体で。だからこそ、獣人の軍人である現主人に、雇用を願ったって言う奴がほとんどだ。かくいう俺もそうだし。
そして、リジット様は、厳格だし冷徹だし寡黙だし表情も読みづらい。少なくとも、今から5年以上前、俺がここに勤め始めた頃はそうだった。けれどその分、公平で平等で、何事にも正当に評価をしてくれた。どんな些細な仕事でも、それに気づいて、認めてくれた。贔屓とは無縁のその高潔さに、俺たち使用人は皆安堵して、尊敬の念を抱いたし。メイドのなかにはリジットさまに、恋慕の情を抱く奴もいた。
だから最初、…リジット様が、貴族の御子息と婚約したって聞いたときは、みんな理由は違えど、多かれ少なかれショックを受けたもんだ。だって、相手は『お貴族様』だし。そのときフラフィーさまはまだ12歳でいらしたし。自分の尊敬する主人が、12歳の貴族の息子と婚約、と言うのは、なかなかに衝撃的だった。
俺たちから見ても、厳格で冷徹で高潔な、俺たちの主人。そんなリジット様が、心奪われた貴族の御子息とはどんな人間なのか、と、…正直気が気じゃなかった。
婚約時代の4年間は、フラフィーさまがこちらに来ることはなかったから、誰もその姿を見ることは無かったのも、一因だろう。その分リジット様の外出や外泊が大分増えたから、リジット様のほうがフラフィーさまのほうへ赴かれていたんだろうが。
そんなフラフィーさまに、初めて俺たちがお逢いしたのは。ご婚姻時。まだ、半年前のことだ。
リジット様が、そんなに年若い貴族の御子息に心奪われるくらいだから、どれだけ美形なのか、とみんなで噂をしては戦々恐々とした。…ぶっちゃけ、美形の貴族は、普通の貴族の二割増しで気位が高いとみんな思っていたから。そして、そんな気位の高いお貴族様に、苦労した経験を割とみんな持っていたから。少なくとも、貴族に関して嫌な思いをしたことのない奴の方が、珍しいだろう。
こんなだから。初めて、フラフィーさまを見たとき、…みんな驚愕した。と、思う。少なくとも、俺は仰天した。
だって、リジット様に優しく肩を抱かれて、緊張した面持ちで俺たちの前に現れた、リジット様の『奥さま』の姿は、俺たちの想像と、まるで真逆だったから。
きっと、涼やかに大人びたクールビューティーで。色白の膚に長い睫で、嫋やかに細い、美少年。その美しい外見に似合うプライドと自信を持って。まるで氷の女王のように、俺たちを見下してかかるんだろう。そんな、自虐も入った俺たちの予想。けれど、そこに立っていたのは。
顔も体型もふっくらと丸い、柔らかそうなフォルム。ただでさえ16歳と若いのに、円い目とふくふくとした頬の所為か、その顔は歳よりも更に幼く見えた。背も低いから、尚更か。
所作もマナーも完璧なのに、緊張した感じが危なっかしくて。ぎゅう、と心臓の上あたりで握られた両手が、微かに、…だけど震えていて。その緊張を如実に表しているようで、こっちの方が心配になった。少し前まで、俺たちの方が戦々恐々としていたはずなのに。
一生懸命、を具現化したような面持ちで、俺たちに自己紹介する、その姿。胸の上できつく握られて震える手を、…そうっと、黒色の毛並の手が包み込んだ。
緊張した顔が、隣に立つこの屋敷の主人の顔を見遣って、…はにかんだように笑う。ただでさえふくふくと柔らかそうな頬がほころんで、ああ、と想った。さっきまで震えていた手が、リジット様に包まれただけで、安心したように震えを止めたことにも。
そんな光景に、皆一様に毒気を抜かれた。リジット様に恋をしていたメイドの醸す、針鼠のようにとげとげしい雰囲気さえ。…フラフィーさまを見て、一気に霧散したのを覚えている。
なにより、フラフィーさまを見遣る、我が主人の。見たこともない程に優しくて、愛おしさを隠さない甘い眼と、醸す柔らかい雰囲気と。そんなリジット様を見上げては、安心するように笑う、フラフィーさまの。その、まるで砂糖とかスパイスとか、そういった甘くて優しいものをぎゅうぎゅうに詰め込んだような、幸福そうな顔。
…そんな光景を、目の前で見せられて。フラフィーさまに反発しようなどと思う奴なんて、もういなかった。
いつだったか。いつもにこにこと笑って、この屋敷の仕事を手伝ってくれてるフラフィーさまに。リジット様を好きだった、メイドの一人がつぶやいていた。
『もっと、あの方が嫌なやつだったらよかったのに』、って。そしたら、嫌うことも、反発することも出来て。…リジット様を好きでい続けられたのに、って。
それは、彼女の失恋宣言だったんだろう。リジット様が婚約するよりも随分と前から、この屋敷に勤めて。その間、ずっとリジット様を好きだった、彼女の。
そのくらい。長年の片思いを諦めさせるくらい、ある意味の恋敵への反発心も、…嫉妬心すら、無くすくらいに。
フラフィーさまは、あっという間にこの屋敷に、使用人たちに、馴染んでいった。まるで、最初からここにいたように。
ぼんやりと。フラフィーさまがここにいらした頃のことを思い返しながら、ドリッパーに湯を注ぐ。蒸らして、注いで、抽出。匂いだけでも感じる苦みが、味蕾にまで沁み込んでいくようだ。口の中に拡がる甘さも、多少は緩和されていく、…気がする。
「おー、いい匂い」
「だな」
相棒の言葉に頷いて。漸くドリップサーバーに落ちきったコーヒーを、カップに注ぐ。立ったまま、机にへたる相棒に、ほら、と手渡してやれば。砂糖も何も入れないまま、勢いよく彼がコーヒーを口に含んだ。その喉が嚥下に合わせて動くのを眺めながら、俺もカップに口をつける。相棒は熱いものに滅法強いが、俺は猫舌だ。あんな風に淹れたてのコーヒーを一気にいくなど、到底できない。
とりあえず、少しでも覚めるのを待ちつつ、俺も奴の向かいに座る。俺が椅子に座るのと同時に、濃い目だろうブラックコーヒーを半分ほど飲んだ相棒が、テーブルに音を立てて突っ伏した。…酔っ払いかお前は。
「あー…恋人欲しい…」
「それなー」
わかるわー。誰にともなく呟きながら、俺もマグカップに口をつける。苦みの濃いブラックコーヒーは、それでも口の中の甘さに太刀打ちできない。俺が熱さの所為で、少しずつしか口にできないから、尚更か。
「…やっぱりアレか、リジット様くらい仕事ができるクール系イケメンじゃないと、フラフィーさまみたいな笑顔が可愛いマシュマロ系の恋人は出来ないのか…」
「そうじゃねえの?」
ため息をつきながら、机に頬をつける相棒に、適当な相槌を打った。
もともと、男女問わずスレンダー系美人が好みだった我が相棒は、リジット様のご婚姻を機にその好みが真逆になった。一体何があったんだよ、って何気なく問いかけた時に、奴が真顔で返してきた『目覚めた。』の一言には、少し引いたもんだ。何に目覚めたのかなんて、その理由も一つしか無かったから、余計に。あーマジかー。おまえほんとマジかー。リジット様にばれたらクビになるぞ。…いや、逆に喜ばれるか?…それはないな。なんとなくだけど、あの方は独占欲が強そうだから。しかも大分。結構?…いや、酷く、かな。
まあ、でも実は、その気持ちは分からんでもない。俺は口には出さないけど。内心で思いながら、漸く冷めてきたコーヒーを啜る。苦い筈のそれは、未だに全くもって舌に甘い。…そうか、口に含む量の問題じゃなかったか。
暫く無言でコーヒーを口にする、俺と相棒。そんな俺たちの耳に、廊下を高らかに歩く靴音が届く。それから。
「コーヒー淹れていい!?」
飛び込むように、勢いよく厨房に入ってきた、仲間のメイドに、思わず笑った。嗚呼、お前もか。
「濃いやつで良きゃ、淹れてあるから飲んでいいぜ」
そう言って、サーバーを指さす。足音も荒く、メイドがそこまで歩み寄ると。一気に深めのカップにコーヒーを注いで、そのまま一気飲みする。…うわお。お前、俺の言葉聞いてたか?それ、多分大分濃いぞ?しかも熱いぞ?そんな水みたいに。
「ア―――っ、甘い!」
まるで酒でも飲んだテンションだ。ブラックコーヒーを一気に飲み干した口が吐き出す言葉に、それでも、俺も相棒も頷く。
「お前も見たの?」
「見たわよ!なんなの!?なんなのなんなのもう!」
主語のない俺の言葉は、けれど彼女には無事通じたようだ。大分荒ぶってるけど。その様子で、何を見たのかなんて一目瞭然だ。…確実に、あの庭園での、俺らの主人夫妻の光景だろう。
叫ぶように言いながら、足音も高らかに、彼女が今度はテーブルへと歩いてくる。椅子を引いて、勢いよく座り込んだかと思えば。頭を打ち付けんばかりに、彼女がテーブルに突っ伏した。ちょっと怖い。
「あーもう!あーもう可愛すぎるっていうのよおぉぉぉっ!」
そのまま、堪らない、とばかりに厨房に木霊した言葉。…あー。
「なんなの!?なんなの、お伽噺なの!?あのお2人は物語の王子様とお姫さまなの!?『2人は幸せに暮らしました』の具現なの!?あーもう恋人欲しい!」
最後は、私情が駄々漏れだ。まるで魂の叫び、とも言わんばかりの声に、軽く耳を塞ぎつつも、笑ってしまう。
「…ていうかお前、リジット様のこと好きじゃなかったっけ?」
「好きだったわよ!でもあんな可愛い方に敵うわけないじゃない!」
分りきっていることを、わざと問いかけても。何の衒いもなく、彼女は過去形で口にした。…『好きだった』、か。もう、多分完全に吹っ切ったんだろうな、あの方への恋心を。コイツは。
「あんな丸くて可愛くて柔らかくて丸くて可愛くていつもにこにこしてて丸くて可愛くて幸せそうに笑ってて丸くて可愛くて丸くて可愛くて丸くて丸くて可愛い方に!」
勢いのままに、彼女が続けた言葉に、思わず遠い眼をしてしまった。…うん。お前がフラフィーさまを丸くて可愛いと想ってることだけは良く分かった。ていうか丸くて可愛いを何度言うんだお前は。そして真横で相棒が、真剣な顔で頷いているのが眼に入る。…あー、お前も大概だ。
「はー…私にも、あんなに私を想ってくれるイケメンでクールで仕事の出来る、スパダリが出来ないかしら…」
「…なんだそのスパダリって」
「うるさいわね!『スーパーダーリン』の略よ!女の子向けの娯楽小説で流行ってるの!アンタも少しは本読みなさいよ!」
「…女の子向けのを?」
「いいから!貸すから!」
…良く分からないが、とりあえず、彼女にとってリジット様は『スーパーダーリン』、略してスパダリなるものに入るらしい。なんだそれ。そして、それを貸されるらしい。マジか。
「そんなこと言ったら俺だって、ふわふわで柔らかくて笑顔があったかくて幸せそうで、俺を大好きでそれをいつも全身で表現してくれるような、もう俺の恋人が可愛すぎてつらいっ!てなる恋人がほしいわ…」
「…なんだよお前もその可愛すぎてつらいって」
「スラングだ。気にすんな」
…なんのスラングだ。聞き返したいけど、本気でそう想ってるらしい相棒に、それ以上突っ込めないので放っておく。
まあ、とりあえず。そんな恋人は、そう簡単には出来ないってことだよな。スーパーダーリンだかがどうだとか、ふわふわで笑顔が可愛い子がどうだとか、そう言うことじゃなくって。
…あんなに、自分を好きになってくれて。自分も、あんなに好きになれる、誰か。
例えば、俺たちの主と、その奥さまのように。あんな風に、見てるだけで、お互い大好きなんだな、って伝わるくらいの。見てる方が照れてしまうくらい、にやけるくらい、味覚まで甘くなるくらいの。
ああ、あんな恋がしたいな、って。あんな相手に、巡り合いたいな、って。…そう、憧れるような。そんな。
思い巡らせてしまったそんなことに、自分でちょっと気恥ずかしくなる。なんだこのこっ恥ずかしい感じ。
それでも、多分、それは俺の本心なんだろう。目の前でため息ついてる、俺の仕事仲間で友人の、この2人にとっても。
…全く、ここにいると、恋愛がしたい欲求ばっかり上がっていくよな。それに比例して、恋人に関するハードルも上がっていくんだけど。
苦笑しながら、頬杖をつく。揃って机に突っ伏している2人が、また、大きなため息をついて。
「「「…あー、恋人欲しい…」」」
三者三様のテンションで呟かれた言葉は。厨房の天井に、コーヒーの湯気と共に消えた。
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