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イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【14】

  

  「痛くない?」

  「ああ、心地好い」

  そんな会話を交わしながら、フラフィーには気づかれないように眼を細めた。

  毎朝。シーツだけのベッドに座って、俺の毛並みを梳かしてブラッシングするのが、俺の可愛い妻の日課だ。今日は休みだからだろうか、いつもよりも時間をかけて、俺の獣毛に櫛を入れてくれている。

  特に今は、俺の身体が換毛期に入ったのだろう。冬毛から夏毛への生え変わりの所為で、いつもよりも抜ける獣毛の量が多い。フラフィーの手のひらに収まるほどの大きさの櫛は、直ぐに俺から抜けた毛がごそりと絡みつく。今も、俺の腕を梳いてくれているフラフィーは、少し梳かしてはそれを櫛から取り除くと言う作業を繰り返していた。

  半年前までは、自分で行っていた作業だ。我ながら、面倒なことだとは自分が一番よくわかっている。それなのに、…俺のこの子は、それは楽しそうな顔で、俺に櫛を通すのだ。

  その顔に浮かべているのは、見ているこちらまであたたかくなるような、幸せそうに愛らしい笑顔。歳よりも幾分も幼く見える程に、無防備で屈託のない表情で。ごそりと櫛に絡む獣毛すら、手で摘まみながら『ふかふかだー!』と歓声さえあげる様は、本当に嬉しそうで。

  こんな時。俺は、獣人に生まれついて良かったとさえ、想うのだ。

  勿論、フラフィーは、俺が獣人だから、俺を選んでくれたわけでは無いと知っている。俺が獣人だろうが人間だろうが、この子はきっと、気にもせずに、『俺』を見てくれるのだろうと。

  …それでも、きっと俺が獣人であったから、この国で軍人という職に就けて。軍人であったからこそ、この子を妻に迎えることができて。獣人であるからこそ、この子が喜んでくれることがある。それを、俺がしてやれる。そう想うと、…昔は、呪わしくさえあった、獣人という人種も。良いものだな、と思うことができた。

  …今までなら。昔の俺なら、過りもしなかった思考に。小さく笑いながら、…胸の奥が、軋るのを感じた。

  獣人という人種に生まれたことを、呪いすらした、昔の俺。…俺のなかの、消せない過去が脳裏を過ぎって、眼を閉じる。獣人という人種に差別的な国に生まれてから、…この国に、来るまでの記。幼い頃にだって、平穏だった頃もある。幸せな時間だって勿論あった。けれど、…その幸せな時間が、俺にはもう思い出せない。それを全て打ち壊すほど、鮮明に蘇るあの国での最後の記憶。

  フラフィーには分からないように、深く息を吐いて。その記憶を振り払おうとした、時。

  俺の腕を梳いていたフラフィーの手が、止まる。そのまま、俺よりも幾分も小さな手が、俺に伸びた。そのままぎゅう、と抱きしめてくる柔らかい腕に、一瞬眼を見開いてしまう。まるで慈しむように、俺を抱きしめてくる、あたたかいぬくもり。

  「痛かったですか?大丈夫?」

  

  優しい声が、耳に響いた。見開いた眼が、自然と柔らかく細まっていくのを自分で感じる。

  

  …きっと。俺が、ブラッシングとは違うところで、様子がおかしくなったことに。機微に聡いこの子は、気付いたんだろう。

  けれど、…そこには深く追求しないで。ただ、俺の様子だけをこころから心配してくれている、その気持ちが嬉しかった。俺の頬に、柔らかな頬が擦り寄るように触れて。ふくよかであたたかな身体がひたりとくっつく。…それだけで、軋る胸が穏やかになった。小さく笑んで、俺に抱きつくその身体に、俺も腕を回して抱き締め返す。

  「いいや、大丈夫だ。…ありがとう」

  俺の顔に頬を擦り寄せる、愛らしい俺の妻に、俺からも顔を寄せる。そのまま、柔らかなその身体に指を沈めながら、そう返せば。円い目を嬉しそうにぎゅう、と細めて笑うフラフィーの顔が、間近で映った。…俺が焦がれてやまない、幸福が詰まったように、幸せそうな笑顔。

  そのままぎゅう、と抱き着くように、抱き締められる。仔猫のように、俺に顔を寄せてくる様が愛らしくて。口角を上げながら、その髪に指を這わせた。そうすると、擽ったそうにフラフィーの顔がはにかむ。

  …俺の様子が、落ち着いたのが伝わったのだろうか。一際強く抱き着かれてから、その身体が俺から離れた。…少々名残惜しいが、致し方がない。俺も、フラフィーの髪から指を離して、先程までのように膝に置いた。

  「じゃあ、ブラッシングの続きするね」

  言葉と共に、また、丁寧な手つきで、俺の獣毛に櫛が入れられる。そのままゆっくりと梳かれて、知らず眼が細まった。勝手に尻尾が喜びに揺れているのが、自分で分かる。…この尻尾も、俺の妻の気に入りだ。

  肉球や爪と同じく、この子が気に入っているのなら、いつでも好きな時に好きなだけ触ってくれて構わない。それは常々思っているし、フラフィーにも言っているのだが。…律儀な俺の妻は、決して勝手に触ろうとはしない。いつも、俺の許可を得るか、ブラッシングの時に梳いたり、手入れをしてくれるかだ。

  …この子に撫ぜられたり触れられたりするのは、寧ろ大歓迎なのだが。この子のふくふくと柔らかい手で、優しく身体や尻尾の獣毛を撫ぜられたり、肉球や爪に触れられたり摘ままれたりするのは、とても心地好くて、もっと撫ぜられたいとすら思うのだが。…けれど、自分からそう催促するのは躊躇された。何故かと言えば、…やはり格好悪くないだろうか。誰にどう思われようが、構わない。ずっとそう思って生きてきた。

  けれど、俺の、この最愛の妻にだけは、そうは思われたくない。出来ることなら、格好良いと思われたい。あの幸せそうな笑顔で、『リジットさんは世界一格好良いよ!』と笑ってくれる、この子の愛らしい姿を思い返して、自然と笑みが浮かんだ。他の者なんてどうでもいい。この子だけには、いつもそう思っていてほしい。俺を格好良いと、世界一だと。他の誰かなんて入る隙間もないほどに、俺だけを、そう想っていてほしい。

  …自分に、こんな俗っぽい感情があるなどとは、思ったこともなかった。スティケート辺りに話したら、笑われるのではなかろうか。…いや、あいつなら、『よい感情です』とでも言って微笑むに違いない。…俺の、感情や表情が乏しいことを、あの親友は昔から心配してくれていたから。

  そんなことを思いながら。可愛い妻の、ふくよかで優しい手を享受する。何度か櫛が俺の身体を往復してから、フラフィーが感嘆の声をあげた。

  「リジットさんの獣毛って、すごくふかふかで、あったかくて、すごく気持ちがいいね!触ってるだけで、朝から幸せだよー!」

  弾むような声で言われるのは、俺の獣毛に対しての絶賛だ。丁寧に、俺の獣毛に櫛をいれては、丁寧に梳いていく。そんな行為が、余程楽しいのだろうか。その口から小さな歌声まで聴こえて、密かに笑った。

  

  俺の妻は、音楽を自分で奏でるということが、あまり得意ではないらしい。声楽も楽器も両方。幼い頃には、貴族の嗜みとやらの一環として、声楽もピアノも習わされていたらしいが、あまり上達しなかった、と嘆いていたし。それなら、と他の楽器にも挑戦させられたが、どれも匙を投げられた、と聞いたことがある。『聴くのは楽しくて、大好きなんだけど』、とも。

  確かに、声楽に関しては、俺の妻は少々音程を取るのが苦手なんだろう。今聴こえてる歌声も、少しばかり音程を外して流れる。それが堪らなく可愛らしくて、喉奥だけで小さく笑う。

  …俺は。この子がこうやって、俺の前でだけ歌う、この声が好きだ。俺だけが知っているだろう、この小さい歌声が。

  フラフィーは、人前では、合唱だろうと決して歌わない。きっと自分でも、歌声が音程を外してしまうのが分かっているんだろう。聴く方が好きだと言って、いつも逃げてしまう。

  招待された晩餐会などでも、音楽隊などが招かれていると。合わせて歌を歌わないかと誘われる前に、俺の後ろに隠れるようにして。…俺の服を縋るように掴みながら、こっそりとそこから、彼らを覗き込んで合唱を聴いている。そんな時の、フラフィーの困ったような顔や、俺の服を頼りなく掴むその手も、酷く愛らしくて、好きなのだが。

  だから、…この子の歌声を、鼻歌でも聴けるのは、きっと俺くらいだろう。他の誰も知らないだろうことを、俺だけが知っている。それを思うだけで、何やらとても得意な気持ちが湧きあがる。…これは、優越感というものなのだろうか。誰に対してでもなく、けれど酷く誇らしい、この感情。…俺だけが、誰も知らないこの子を知っているのだと。この子の全てを知っているのは、俺だけなのだと。それを実感するだけで、胸が高鳴るほどに。

  小さくとも、明るく弾むような。それでいて優しく歌声は、そのままフラフィーを表しているようだった。少々音程が外れるところさえ、決して欠点には成り得ない。寧ろそれが酷く愛らしくて、庇護欲を誘った。俺の妻は、少々危なっかしくて、無防備なところがあるから。その放っておけないと思わせるところが、音程を外すところに現れているのだろうか。辻褄合わせのような思考も、あながち間違ってはいまい。

  いつも弾むように明るくて、誰よりも優しいこの子が、どうしてもと言って避けるのは、音楽関係くらいだろう。ああ、あと絵を描くのも苦手と言っていただろうか。要は、芸術関係が苦手らしい。

  絵に関しては、矢張り幼い頃に画家に師事して描いたというものが、俺の屋敷にも幾枚か飾ってある。勿論、俺たち以外の誰の目にも触れない部屋に。この子がこれなら飾ってもいい、と言ってくれたものを。

  フラフィーが俺以外の者に見られるのを恥ずかしがった、というのもあるが。俺も、この子の描いた絵を他の誰かに見せるなど、したくはなかった。この可愛い俺の妻が、俺だけに許してくれていることを、わざわざ他の者に見せてやる必要もない。この子のすべてを知っているのは、俺だけでいい。

  因みに、何故幼い頃に描いた絵が、この屋敷にあるのかは。嫁入り道具としてフラフィーのものは、ここに嫁ぐ際に全て持ってきてもらったからだ。。

  この子の両親は、嫁入り道具なら新しいものを、と言ってきたが、俺の方が断った。新しいものなら、こちらですべて用意するから、と。それよりも、生家と変わりないものに囲まれて、心健やかにここでも暮らして欲しかった。…というのも勿論だが、それよりも俺の方が、この子のすべてを欲しかったからだ。この子が描いた絵、愛用していたもの、愛読している本、そう言った思い出の品や日用品まで。俺が知らないこの子の姿を、そういったものから感じたかった。俺のもとに留めたかった。…この感情が、独占欲が過ぎるとは自分で理解している。だから、この子にも誰にも、知らせるつもりも知られる気もない。

  部屋に飾った絵を一緒に観ながら、『猫を描いたつもりが、可愛いラクーンだね、って褒められた。それは猫です、って言えなかった』という話や、『犬を描いたら、丸いキリンだと思われた』等、飾っていない絵の昔話でしょげる姿を思い返して、小さく笑う。

  俺としては、全部飾ってもいいと思っているのだが、それは許可されなかった。だから、その昔の話に出てきた猫や犬の絵は、大事に仕舞われたままだ。…本当に勿体ない。とても可愛らしい絵なのに。

  けれど、『幾ら俺がリジットさんのこと大好きでも、こんな下手なの全部飾るとか駄目!』と、この子に涙目で言われたら、引き下がるを得ないだろう。この子の嫌がることなど、どんなことだろうと俺ができるはずもないのだから。

  俺は、この子の描く絵が下手だとか、おかしいなどとは全く思わないのだが。そもそも芸術というものは、その者の感性による部分が大きいだろう。世の中の絵画だって、写実的なのが良いとも、抽象的のが良いとも言われる世界だ。

  この子の描く絵は、色合いも鮮やかに、人物も風景も丸く、優しく描かれていて、とても素敵だと、俺には映る。…この子に見えている世界は、これほど明るく、優しいもので構成されているのだと。きっと、俺とは全く違う、優しく美しい世界が見えているのだろうと。

  …正直、俺が見ていた世界は、フラフィーが見ているだろう世界ほど、いいものではなかったのだろう。俺には、この世界が、何も美しくも、優しくもなかった。…きっと、そう思っていた。

  だから。この子と一緒に見る世界の美しさに、驚いたんだ。フラフィーが隣にいる、ただそれだけで。俺の眼にもこの世界が鮮やかに、優しく映った。…この子と出逢う前の自分には、想像もしていなかった世界。もう、その頃の世界の色合いが、思い出せない程に。俺の見ていた世界は、どんな世界だったのかと、不思議に思うほどに。…フラフィーとともに見る世界は、美しかった。

  フラフィーが在る場所だけは、そこだけが色鮮やかで。この子を見ていると、世界はこんなに眩しかったのかと。これほど優しかったのかと。…自分の世界がどれだけ灰色だったのかをも、思い知る。この子の在る場所にだけ、そこだけにひかりが溢れているかのような、そんな。

  心地好さで、思考が分散しているのだろうか。そんなとりとめもないことを頭に巡らせながら。後ろから聴こえる、小さくも愛らしい歌声に聞き惚れながら、眼を閉じる。

  優しく俺の獣毛に櫛をいれては、丁寧に梳かして。その跡を消すように、ふくふくとした柔らかい手が、櫛を通した後の俺の獣毛を撫ぜる。…櫛よりもなによりも、その指が、俺にとっては何よりも心地好かった。俺よりも幾分も小さくて、柔らかいこの子の掌。俺とは違って、ざらざらと硬い肉球も、鈍く伸びたまま仕舞うことも出来ない爪も、何もない、その。

  「リジットさん、眠いですか?寝てていいよー、終わったら起こすね」

  優しい声がして、笑いながら眼を開けた。目の前で、円い目が俺を覗き込んでいる。首を軽く振って、フラフィーの手に梳かれていない方の手で、その柔らかな頬を撫ぜる。

  「お前に梳いてもらっているのに、眠るなんて勿体ないからな」

  そう言うと。フラフィーが嬉しそうな顔で、はにかむように笑う。俺の手を、頬に押さえるように。あたたかな柔らかい手が、俺の手に重なって。

  「じゃあ、終わったら一緒にお昼寝しようね」

  まだ朝だけど、と笑いながら言われた言葉。その言葉に、俺も笑って頷きながら。額を寄せて、その唇にキスをした。

  このあとは。この子の言葉通りに、2人でもう一眠りしてから、食事にしよう。

  そのあとはどうしようか。また眠ってもいいし、庭園で日向ぼっこをするのもいい。この子を腕に抱きながら、読書をするのも、楽しいだろう。

  何処かに行くのもいいけれど。こんな風に、2人で一緒に、ただのんびりと過ごすような。こんな休日も、悪くない。

  

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