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イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【27】

  旅行第一日目は。あれから、旅荘に帰って、直ぐに眠ってしまった。

  早くに眠ったおかげか、二日目は、ちゃんと早く起きられたし。ベッドのなかからでも、カーテン越しに、今日も良く晴れた天気だってことが分かったから。

  今日は何をしようかと、弾む胸を、押し隠せないまま。俺の、世界一大好きな旦那さまの、ふかふかの獣毛に。浮かぶ笑顔もそのままに、擦り寄せるように顔を埋めた。

  「はなび?」

  旅荘の部屋で、朝ご飯を戴きながら。聞きなれない言葉に、思わず言われた言葉を繰り返す。はなび。。…なんだっけ、聞いたことはある。なんでも、大きな火の玉を、空に打ち上げる…んだっけ?でも、すごく綺麗なんだって。…火の玉を空に打ち上げて綺麗、ってどういうのなんだろう?

  「ああ、花火だ。年に一度、あの海岸で、打ち上げるらしい。今まで、見たことはあるか?」

  「ない!」

  俺の旦那さまから聞かれたことに、反射的に頭を横に振りながら答えた。聞いたことだって、薄っすらと覚えてる程度だ。見たことなんてある訳もない。…もしかして、見られるんだろうか?彼の言葉に期待しながら、朝ご飯のフォークを握り締めて彼を凝視してしまう。そんな俺に、リジットさんが満足そうに眼を細めた。

  「…毎年、この月に花火を打ち上げるということは聞いていたからな。それが見られるように日程を合わせた。花火があるのは、今日だ」

  今日!彼の言葉に、ますます期待が高まる。…ていうか、わざわざその日に合わせて、ここに連れてきてくれたんだ!そう思うと、彼の気持ちが嬉しくて。ただそれだけで、しあわせで胸がいっぱいになる。

  多分、俺の目はいつも以上に円くなって、輝いてたに違いない。俺を見る彼の眼が、ますます嬉しそうに、細まって。

  「滞在中は、昼夜問わず海岸を使っていい許可をもらっている。あの海岸からなら、誰にも邪魔されずによく見られるだろう。…観に行」

  「行く!絶対行く!」

  彼の言葉に被せるように。その途中で、両手に握りこぶしまで作って、食い気味で頷いてしまう。そんな俺に、可笑しそうに、満足そうに彼が笑った。その手が伸びて、俺の頭を撫ぜてくれる。そのまま、その指が俺の頬まで伸びて、俺の頬を優しく撫ぜた。

  「…それならよかった。お前の喜ぶ顔が見たくて、この日に合わせたのだからな」

  では、夜は花火を観に行こう、って。そう、優しい声で言われて。…俺はもう我慢できなくなって、お行儀も忘れてテーブル越しに、彼に思いっきり抱き着いた。

  少しだけ驚いたようなリジットさんが、可笑しそうに、…嬉しそうに笑う声が、身体越しに響いて。そのまま、俺の身体を受け止めてくれた彼が、ぎゅう、って俺を抱き締め返してくれて。…それだけで、また、俺は幸せで堪らなくなった。

  しばらくぎゅうぎゅうと抱き着いてから、ありがとう!って告げた声は、思いのほか大きくなる。それに、優しく笑いながら、俺の頭を撫ぜて応えてくれる彼の手を、目を細めて堪能していると。…こんこん、って控えめなノックの音が、部屋に響いた。それに、慌てて彼から離れて、きちんと席に座る。…ちょっとだけ、離れるのが寂しいって思ったのは、彼には秘密だ。

  はい、って彼が答える声に合わせて、部屋のドアが開かれる。失礼します、って一礼してから、部屋に入ってきたのは、この旅荘のご主人だった。なんでも、俺たちの泊まるこの部屋は、この旅荘の特別室なんだそうだ。だからなのか、この部屋のことは、全て他の方じゃなくて、このご主人がしてくれている。昨日、海水浴用の大きな日傘を貸してくれたのも、このご主人だ。

  「お食事はお済でしょうか?」

  「ああ、美味かった。有難う」

  「それはよう御座いました。そう致しましたら、お済みのものをお下げしますね」

  そう言いながら、ご主人が、手に持っていた布らしきものを、空いていた椅子に掛けた。それから、食器を下げてくれる。それをなんとなく目で追いながら、そうだ、とばかりに口を開いた。

  「あの、ここって花火、があるんですね!俺知らなくて、すごく楽しみです」

  俺の言葉に、食器を下げてくれていたご主人がその手を止めて、俺たちを見遣る。それから、笑顔になって、椅子に掛けていた布を手に取る。…あの布、なんだろう?

  「では、本日は花火を観に行かれるのですね!それならば、浴衣を着られたら如何でしょうか?」

  「ゆ、ゆかた?」

  なんだろう、それは。花火と違って、薄っすらと聞いた覚えもない言葉に、きょとんと旅荘のご主人を見返してしまった。リジットさんも、初めて聞いた言葉らしい。不思議そうに、少しだけ眼を眇めて、やっぱりご主人を見遣っていた。そんな俺たちの反応も織り込み済みのように、手に持っていた布を、ご主人が広げる。白地に、鮮やかで綺麗な花がいくつも描かれている、…まるでバスローブみたいなかたちの布。…これ、洋服?

  「こういう衣装なのですがね。かなり遠国の民族衣装だそうです。多分この国ではこの辺りでしか着られないと思いますよ」

  言われて、驚いた。…これ、民族衣装なんだ!バスローブやガウンよりも大分薄くて、華やかな服。初めて見た!思わずリジットさんを見遣ると、彼も初めて見たみたいで。興味深そうに、その服を見ていた。

  「なんでも、その遠国では、普段使いにしている人もいるそうですが。特に、花火を見るときに皆が着るそうで。…なので、花火の日には希望の方にはお貸ししているのです。ですが、そんなに枚数はないので、優先的に。このお部屋の、特典です」

  言いながら、ご主人が内緒、とでも言いたげに人差し指を口元に近づけた。…ああ、この部屋が、この旅荘の『特別室』だからか。大きな日傘はみんなに貸し出してくれたけど、花火は年に一度だって、さっきリジットさんも言ってたし。だから、この浴衣は特別室だけの、特典なんだ。

  「勿論、着付けも致します。宜しければ、こちらを着られて花火を見に行かれては?」

  そう言われて、…伺うように、リジットさん見遣る。俺としては、とても着てみたい。でも、もしリジットさんが気が進まないなら、勿論彼を優先したい。俺には、浴衣よりもリジットさんの方が、やっぱり大事で、大切だから。

  そんなことを思う、俺を。…同じように、彼が見返した。その眼がふ、って笑んで、また、ご主人に向き直る。…もしかして、彼も、俺と同じことを思ってくれたのかな?何故だか、そんな風に感じて、人知れず赤くなった。でもきっと、…そう感じたのは、間違いじゃないと思う。勝手に緩んでしまう口元を、両手で隠すように覆いながら、旅荘のご主人と俺の彼を見遣った。

  「それならば、是非に頼みたい。俺とこの子の、両方をお願いできるだろうか?」

  「勿論です。それでしたら…」

  そう言って、花火に合わせて予定を組み立てていく、旅荘のご主人と。俺の、世界一大好きな旦那さまの会話に、俺も耳を傾けながら。今日の夜に思いを馳せて、楽しみだなあ、って。心のなかで、浮かれた声を上げた。

  *********************************

  花火が上がるのは、今日の19時半だそうだ。

  だから、それまでに海岸に着けばいいんだけど。全く着慣れない衣装だから、多分歩くのにも時間がかかるだろう、って。ご主人の言葉で、それよりも早くに着くように、一時間前には出ることを決めた。普通に歩けば、海岸から15分も掛からないところに、この旅荘はあるから。それだけ早くに旅荘を出れば、間違いなく間に合うだろう。

  だから、昼間は海に入って。昨日の分まで、たくさん遊んで過ごしてから、旅荘に戻って少しだけお昼寝した。泳ぐのが、思った以上に体力を使うって言うことと、夜の花火に備えて。

  ふかふかのリジットさんの獣毛は、夏でも俺にとっては心地好くて。彼の胸に顔を寄せて、彼に包まれてるだけで、気持ち好くて安心する。だから、ベッドは部屋に、少し大きめなサイズのものがふたつあったけれど、もうひとつのベッドは夕べも今も使わなかった。…きっと、今夜も使わないだろう。だって俺は、彼にぎゅうってくっついて、抱き締めてもらわないと、…よく眠れなくなってしまっているのが、自分で分かってしまってるから。

  そのまま、旅荘のご主人に起こされるまで、眠ってしまって。目が覚めた時は、もう夕方近くだった。そろそろご準備を、って促されて、着付けをしてくれる、って言う旅荘の方のところに急ぐ。

  俺が着せてもらった浴衣、は、紺色の布地に向日葵だった。ぎゅ、ってその浴衣を締めて留める、帯、って言う布は、向日葵とお揃いの黄色。でも、ふわふわと柔らかくて薄い布が幾重にも重ねられたそれは、黄色というよりもレモン色に見える。後ろでふわふわの帯布がまとめられて、ひらひらと揺れた。まるで魚みたいだな、ってなんとなく面白くなった。ここが海だから、余計にそう思うんだろうか。

  最後に、浴衣の一揃いだっていう、髪飾りをつけてもらった。浴衣の柄とお揃いの、大きな向日葵の髪飾り。…俺、男なんだけど。いいのかな、って思ってたら、それが分かったみたいに、大丈夫ですよ!って!って力強く、笑って言われた。とてもお似合いです、って。…なんだか、すごく照れてしまって。お礼を言いながら鏡に向き直れば。鏡のなかで、赤くなった俺が、照れたように笑っていた。

  他にも何着かあったけれど。…リジットさんが着られそうな浴衣は、ほとんどが紺だったから。…俺も紺地だったら、お揃いになるな、って思って。そんな不純な動機で選んだ浴衣も、綺麗に着付けてもらうと、なかなか似合ってる…と、思う。自分では!自分でだけど!でも、あと、着付けてくれた方だって、さっき似合ってるって言ってくれたし!…社交辞令かお世辞って言う可能性もふんだんにあるけど、それは頭の隅から追いやっておく。

  …リジットさんが、少しでも、似合うって思ってくれたらいいな。そんなことを、どうしても期待してしまいながら、着付けしてもらった部屋を出た。本当は履物も違うんだそうだけど、多分履きづらいから、って、旅荘内では靴のままでいいって言われた。だから、俺は浴衣に靴という格好だ。リジットさんは、もう着付けが終わってるって聞いたけど、どこにいるんだろう?部屋の前で、きょろきょろと辺りを見回す俺の前に、…俺とお揃いの、紺色の浴衣が見えた。リジットさんだ!

  「リジットさん!」

  大きく声を上げると、彼が俺を振り向いた。漆黒の獣毛に、明るい紺色がとても綺麗だった。…リジットさんは、いつも服も黒とか、シャツなら白色が多いから、紺色って言うだけでも何だかすごく新鮮に見える。しかも柄物だし!細い縦縞が描かれた浴衣に、黒い帯。俺とは、帯の生地も結い方も違うみたいで、リジットさんのはしっかりしたものみたいだ。もとから開いていたのか、それとも獣人であるリジットさんの為に、開けてくれたのか。彼のふかふかと触り心地の良い尻尾も、ちゃんと浴衣から顔を覗かせている。

  …どうしよう、すごく格好良い!一気にテンションが上がって、思いきり駆け寄ってしまう。…やっぱり着慣れないからか、裾の部分が絡むようで走りづらい。でもいいや!

  「すごいね、すごい格好良いよ!すごく似合ってる!」

  言いながら、今度は近くで、彼の全身を見つめるように見遣る。…やっぱり格好良い!勝手に弾みそうになる身体を押さえながら、彼に見惚れてしまった。勝手に顔が緩むのが止めらない。

  そんな俺に、『有難う』、って彼が言ってくれて。…それから、俺の頬を、優しく撫ぜてくれる。指先の肉球の、少し乾いてざらりと荒い感触が、頬に擽ったくて心地好い。思わず目を細めてしまう俺に、彼の顔が寄せられて。

  「お前も、とても愛らしいぞ。こんなに可愛らしいお前が、俺の妻なのだと想うと、堪らなく幸せだ。…本当に、良く似合っている」

  そんなことを。すごく格好良く、甘い声で言うものだから。一気に身体の熱が上がりながらも、堪え切れなくなって。

  「お、俺の方こそっ!ていうか、俺の方が絶対、いつもそう思ってるよっ!」

  そんなことを、叫ぶような大声で言いながら。世界一大好きな俺の旦那さまに、力いっぱい抱き着いた。

  気づけば、もう大分日も沈んでいた。橙と藍色が混ざり合う空のなか、お気をつけて、って、ご主人たちに見送られながら。リジットさんを手を繋いで、旅荘から海岸に赴く。

  外ではこちらを、って促されて、靴の代わりに、下駄、って言う履物を、足に履かせてもらったんだけど。…これが、地味に歩きにくくて、靴みたいに早く歩けない。女の人が履くヒールみたいに、少し高さのある履物。でも、ヒールみたいにかかとだけ高いんじゃなくて、かかとの他に指の付け根辺りも高い。二枚の板で、足を支えてるような代物。…俺は、勿論ヒールのある靴も履いたことなんてないから、ほんの少しの高さでも、足元がふらつく。

  リジットさんの履いているのは、雪駄、ていうらしい。サンダルみたいにぺったんこで、少なくとも下駄よりは歩きやすそうだった。…いいなあ!俺もそっちを履きたかった!一揃いで貸してもらったから、無理なんだけど!

  ほんの数歩で、ぐらぐらと不安定になっている俺に。手を繋いでいたリジットさんが、俺の手を取って。…彼の腕へと、俺の手を置いてくれた。

  「この方が安定するだろう。ふらついたら、俺にしがみつけばいい」

  そう言って。俺を見つめて、優しく眼を細めてくれる、リジットさんに。…一瞬で、頬に熱が集まるのを感じながら。ありがとう、って出した声は、我ながら消え入るようにか細くなった。…ぐう、もう俺の旦那さまは、ほんと世界一格好良い!

  リジットさんと、手を繋ぐのはいつもだけど。…腕を組んで歩く、って言うのは、そんなにない。だから、どのくらいの力で、彼の腕に手を回していいのか分からなくて。最初は、遠慮がちに、彼の浴衣を摘まむくらいの力で、彼の腕を持っていたんだけど。…やっぱり数歩もいかないうちに、足元がぐらぐらとふらついてしまって。あっという間に、両手で彼にしがみついてしまった。

  …あ、って思って。慌てて反射で離れようと、身体を離す。けれど、彼のもう片方の手が、それを止めるみたいに、俺の肩に回って。思わず彼を見上げてしまうと、…とても優しい眼で、俺をみつめてくれている彼の顔が、そこにあった。…その顔に、更に顔が熱くなってしまうのも、彼の腕から手を離せないから、隠せなくて。

  俺は、頬どころか、きっと耳まで真っ赤に染めながら。そのまま彼にしがみついて、海岸まで歩いた。

  下駄は、相変わらずすごく歩きにくくて、ぐらぐらしたけど。…下駄を貸してもらってよかったな、なんて。さっきとは裏腹なことを思いながら。しがみつく彼の腕に、抱き着くように、更にぎゅう、と力を込めた。

  それから程なくして、到着した砂浜は、当たり前だけど誰もいない。折角だから、と、広い砂浜の、真ん中辺りまで歩いて、そこに座るための布を引いた。長方形の布は、横に敷けば並んで座っても余裕のあるくらいの大きさで。だから、横に敷いたんだけど、…何故だかリジットさんが、敷いた布を縦に直した。

  「リジットさん?」

  不思議に思って、彼に呼びかける。…俺の言葉に、ただ、彼が優しそうに眼を細めた。もう、すっかり日も沈んで、辺りも見えづらくなってきた暗がりに。彼の琥珀色の眼が、海を反射するかのように仄かに、鮮やかに光った。…綺麗、と喉奥で自然と漏れる。

  そのまま、手を取って座るように促された。言われるがままに座る、俺の、…その後ろに、隙間を開けずに彼が座る。俺の両側に彼の脚がきて、後ろからぎゅうって抱き締められるような体勢。俺のこめかみの辺りに彼の顔があって。その頬の、柔らかい獣毛が、俺の顔にふわりと触れる。

  「り、リジットさん!?」

  驚いて。彼を呼ぶ俺の声は、頓狂にひっくり返った。彼を振り向きかけて、その近すぎる距離に、顔が戻る。…ちっ、近い!顔が近い近い!いや、こんな体勢だって、初めてじゃないけど!でも!

  一気に顔に熱が上がって、心臓が厚い胸脂肪すら突き抜けそうに跳ねる。そんな俺の身体を、更に彼が抱き込んだ。さっきはこめかみのところだった頬が、目の横にまで下りてくる。今まで着たことのない浴衣の、その裾がはだけて、彼の脚と密着する。素足の膚が、彼の獣毛にふかりと包まれた。…心臓は跳ねっぱなしなのに、やっぱり、彼の獣毛に包まれると、すごく安心する。でもやっぱり上がってしまう体温が、彼に分かってしまいそうで。…なんだか無性に恥ずかしくなって、砂浜に視線を落とした。きっと、今、俺の顔は耳まで赤い。…暗くてよかった、って、内心でほっと息を吐いた。

  「花火は、夫婦や恋人はこうやって見るものらしいぞ?着付けをしてくれた者が教えてくれた」

  そんな俺を、知ってか知らずか。リジットさんが耳元で、楽しそうに俺に告げる。…それ、本当なのかな!?教えてくれたって方は、嘘ついてない!?本当に、花火ってこうやって見るものなの!?みんな、この体勢でちゃんと花火見られるの!?内心で絶叫しながら、ただ、こくこくと頷いた。

  …彼にぎゅってされるのなんて、もう数えきれないくらいにしてもらってるのに。彼と、顔が触れ合うような体勢が、心臓の鼓動を速くするのか。後ろからぎゅうってされるのは、彼と、その…そういうことをする、時に多いからだろうか。それとも、この場所が、初めての。…彼と俺の、デートの場所だからだろうか?俺の気持ちも、あの頃に戻ってるみたいだった。彼に触れられるだけで、爆ぜそうになってたあの頃。…あれ?それは今もか?そんなことに気づいて、更に赤くなった。…俺は、あの頃から今も、全然変わってないらしい。

  「ほら、もっと寄りかかっていいぞ」

  言葉と一緒に、彼へと身体を凭れさせられる。ふかふかの獣毛の感触が、浴衣を通して伝わってきて、心地好い。更に彼と顔が近づいて、ふわふわの、彼の頬の獣毛に、俺の顔が埋もれて擽ったい。彼の息が耳にあたって、そのたびに俺の心臓が爆ぜそうに高鳴った。

  これはもう、花火が上がってもそっちに集中できないんじゃないか!?って、どきどきしながら思っていると。耳元で、リジットさんが小さく笑う。

  「…お前の心臓が高鳴っているのが伝わるな。心地好い速さだ。…そんなに、何を緊張してるんだ?」

  低い声が、俺の耳にダイレクトに響く。浴衣の上から、鼓動を聴くように手を胸に這わせられて、びくりと背が震えた。それすら、後ろから俺を抱き込んでいる彼には丸分かりだろう。

  「だ、だって…その、すごい近いから…」

  近い距離にだって、もう照れる必要なんてないくらいに、いつも一緒にいるのに。…やっぱり、爆ぜるように高鳴る心臓は、少しも治まってはくれなくて。言いながら、目線と一緒に無意識に顔も下がってしまう。その顔を埋める場所を求めて、膝を立てて抱き込んだ。そんな俺を追うように、彼の身体が後ろから、俺に覆いかぶさって。その口が俺のこめかみに触れる。

  「このくらい、いつもしているだろう?まだ慣れないのか?本当に、お前はいつまでも、愛らしく初々しいな。…可愛くて、堪らない」

  笑いを含んだ声が、俺の耳に吹き込むように囁いて。…そのまま、その声が甘やかな熱を帯びて響く。…身体が、発熱したみたいに一気に熱くなった。薄い生地の浴衣なんて通り越して、彼にもこの熱が、きっと伝わってしまってるだろう。…昨日、ここでいっぱい彼の子種を注いでもらったおなかが、それを思い出したように甘く疼いた。

  「あ、で、でも…っ」

  はなび。その声が、口にする前に、自分の心臓の鼓動で掻き消される。すごく、彼と一緒に花火を見たいのに。それは、絶対そうなのに。…このまま、彼とそういうことをしたくなってしまう。その気持ちが、膨らんでいく。

  そんな俺に、また、彼の小さく笑う声が響いて。俺に被さっていた彼の身体が、少しだけ起こされる。それから、また、後ろからぎゅって抱き締められた。

  「安心しろ。お前の為に、花火を見に来たのだからな。ここは我慢しよう。…これが終わるまではな」

  少しだけ、揶揄うような口調で。けれど、やっぱり甘やかに響く低い声で、彼の言葉が、耳に溶ける。ここは我慢、のところで、ちょっとだけがっかりしてしまった俺の身体が。…彼の最後の言葉で、また、期待するように熱くなった。『終わるまでは』。…じゃあ、終わったら?そんなことを思って、また心臓を高鳴らせてしまう俺は、本当にどうしようもなくて。…本当に、どうしようもないくらいに、俺は。彼が、リジットさんが、好きだ。

  「う、うん…!終わるまで、ね?」

  彼を振り向いて、俺も、彼に言葉を返す。その声にも、期待が滲んでしまったのが、彼にも伝わったみたいに。愉しそうに眼を細めたリジットさんが、また、俺のこめかみにキスしてくれた。

  

  それから、彼に後ろから抱き締められたまま、何気ない会話を楽しんでいると。ひゅるる、って音がして。ぽん、って煙が空に弾ける。その音に、慌てて空を見上げた。白い煙は、星も月もない夜空に、吸い込まれるように消えていく。…これが、花火?

  思わず首を傾げる俺に。リジットさんが、囁くように、『きっと、開始の合図だろう』、って俺に教えてくれた。狼煙に似たもののようだから、きっと何かの合図だろう、って。それなら、開始を告げるものなんじゃないか、って。

  そうかー!じゃあ、もう少しで始まるのかな、って期待しながら、空を見上げる。ひゅうぅ、って、さっきよりも少し大きな音と一緒に、夜闇に線が描かれて。

  …どぉんっ!大きな破裂音が、地すら揺らして、辺りに響いた。…予想もしてなかった大音量の破裂音に、何の準備も覚悟もしてなかった俺の心臓が、掴まれたみたいに一気に竦む。まるで、雷みたいな地鳴りに、全身が跳ねるように震えた。ひゅ、って思わず息を飲んで、身体が勝手に強張ってしまう。

  …そんな、俺の身体を。リジットさんが後ろから、俺を安心させるように、もっとぎゅうって、強く抱き締めてくれて。それと、同時に。…見上げる空に、大きな、綺麗な円が浮かんだ。まるで菊の花びらみたいに、円の中心から鮮やかな色が伸びる。…思わず、ぽかんとして空を見上げた。強張ってた身体から、ふうって力が抜けていく。花火、の意味が、漸く体感を以て分かった。…本当だ。

  「…大丈夫か?」

  「うん、…すごくきれい」

  

  きっと、俺が怖がってないかって心配してくれたんだろう。優しい声が耳元で聴こえて、目元が緩んだ。そのまま、彼を振り向いて小さく囁く。

  どぉん。また、地鳴りのするような大きな音が鳴ったけれど。…雷のときのように、彼が、俺をぎゅって、強く抱き締めてくれているから。もう、その音も、俺には何も怖くなかった。

  その音から一拍置いて、空がぱあっと明るくなる。…彼の顔が、鮮やかで柔らかい、赤のひかりで照らされた。彼の黒色に、赤のひかりがよく映えて。その琥珀色の眼にも、反射するように赤色のひかりが鮮やかに映る。

  

  …俺には、空を彩る花火よりも。…彼の眼に映る花火の方が綺麗に見えた。

  「きれい」

  さっきも、喉奥で漏れた言葉が。今度は、口から音になって零れる。まるで見つめ合うみたいに、俺を見遣る彼の眼が、不思議そうに少しだけ眇められて。…それから、その眼が、優しく細められた。

  「ああ、そうだな。とても綺麗だ」

  

  全然、花火なんて見てない彼が。目と同じくらいに優しい声で、囁くように、俺に告げる。どぉん、って大きな音が、辺りに何度も響いてるのに。…その声は、不思議なくらいに、俺の耳にはっきり届いた。

  彼の漆黒の獣毛に、鮮やかな菊の花びらが、反射するように浮かび上がる。あか、あお、きいろ。華やかなその色が、間近の距離にある彼の眼にも、鮮麗に映し出されて。見惚れるように、花火よりも、彼へと目を奪われている俺に。…その眼が。更に近づいた。綺麗な琥珀色の四白眼に、色とりどりの菊の花びらと。…それに見惚れる、俺の顔が、映り込む。

  まるで吸い込まれるように、彼の目から目が離せない、俺に。彼の顔が、重なって。

  …唇が、重なったとき。花火の上がる破裂音が、一段と大きく、辺りに響いて。閉じた目の奥で、鮮やかな菊の花びらが。…一際美しく舞い飛ぶのを、見た、気がした。

  それから。後ろから、ぎゅうって抱き締めてもらったまま。彼に寄り添うように寄り掛かって、打ちあがる花火を一緒に、見上げた。

  鮮やかな菊の花びらや。柳のように垂れさがって、金色の糸を空に紡ぐ花火も、とても綺麗だったけれど。

  俺には。花火を見るふりをして盗み見た、俺の彼の。その、色とりどりの花火に映える、艶やかな漆黒の獣毛と。赤や黄色や、金色の。花火を映して、反射するように輝く、琥珀色の四白眼の方が。

  なによりも一番、綺麗だと。こころのなかで、秘かに想った。

  あとで。そのことを、こっそりと、彼に打ち明けてみたら。

  『何を言う。花火よりも何よりも、愛らしく美しいのお前だろう。花火の最中もずっとお前を見ていた俺が言うのだ、間違いない』って真顔で言われて、赤面してしまった。

  言われたことには、すごく照れてしまったけれど。…でも、俺もリジットさんも、同じことを想ってたんだな、って言うのが分かって。それが、堪らなく嬉しかった。

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