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イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【31】
「…うん、とても元気な心音だね。大丈夫、赤ちゃんはとても元気だよ」
軍医院のベッドに寝転んで。少しだけ捲り上げられたフラフィーの下腹部に、聴診器を当てながら、ドクターが笑う。
…その言葉に、思わず大きな安堵の息を吐いてしまえば。それが、フラフィーにも聴こえたのだろう、寝転んだままその円い目がこちらを見遣った。そのまま、その愛らしい顔が、はにかむようにほころんで笑う。そんな妻に、俺も、眼だけで笑って応えた。
フラフィーから、身籠ったようだと聞いて、一月。最近までそんなに目立たなかったこの子の下腹部は、この一週間で一回りは大きくなった。獣人の子の成長は、確かに人間に比べて、倍以上も早いものだが。…自分の子として目の当たりにすると、子の成長に感嘆してしまう。
それでも、流石にまだ臨月にはならないだろうとは思ったが。一度、医師に診てもらおうと思い、この軍医院にフラフィーを連れてきたのが、先程のことだ。
この軍医院は、軍の施設の一つで、この国で唯一の獣人の為の医院とも呼べるものになっている。獣人が軍人以外にほとんど存在しないこの国では、軍内に獣人を診られる医院があれば事足りるのだろう。
勿論、人間の医師でも獣人を診ることはできるし、その逆も然りだ。けれど、専門的なこととなれば、やはり同じ種族同士のほうが理解が早い。だからだろう、この軍医院の医師は、全て獣人だ。医師の数も一人ではなく、毎日毎夜数人常駐しており、病気や怪我のほとんどは診てもらえる。その上、軍の獣人だけでなく、その家族も診察を受けられることになっていた。
俺の妻は人間だが、…その身体は、獣人である俺の子を身籠れるように造り変わっている。おなかの子も、獣人の血が濃く出るにしろ、人間の血が濃く出るにしろ、俺の血を継いでいることは間違いない。だから、人間の医師に診てもらうよりも、獣人の医師に診てもらった方が良いだろうと思い、ここに連れてきたのだ。
フラフィーを診てくれたのは、くしゃりとして愛嬌のある顔が特徴的な、犬獣人の老女医だった。俺も初めて見るドクターだったから、もしかしたら出産や妊娠に関する医師なのかもしれない。その手が、慣れた手つきで聴診器を少し垂れた耳から外す。それから、捲り上げられていたフラフィーの下腹部の、その服を元通りに直しながら、ドクターが言葉を続けた。
「この調子ならば、あと一月か二月…冬が来る前には、生まれるだろうね。これからは、安静にするよりも、体力をつけないとだよ。勿論、過度な運動は禁止だけどね、歩くだけでもとてもいい運動になるんだよ。近衛兵長も、奥さんとおなかの赤ん坊と一緒に、たくさん散歩でもしたらいい」
言いながら、ちらりとドクターが俺を見る。その眼は、少しだけ可笑しそうに笑っていた。…今日、ここに来るときも、俺がフラフィーを抱いてきたことを言っているのだろう。
確かにこの一月、俺のいるときには、ずっと俺がこの子を抱いていた。歩くときもそれは変わらず、この子を歩かせないように、俺がこの子を抱えて抱き運んだ。…いや、それが自分でも過保護が過ぎる行為だとは、とは分かっているんだ。…だが、この子と、おなかの子になにかあったらと思うと、平静ではいられなくなる。もし、転びでもしたら。もし、何かにぶつかりでもしたら。…もし、この子を喪うようなことがあったら。最終的に俺が陥ってしまう不安が、今も過ぎって。震えそうになる指を、きつく握り込む。俺のなかの、消せない記憶が、まるで膿んでいるかのように、爛れて軋んだ。
…大丈夫。大丈夫だ、この子は此処に在るじゃないか。そんなことを、言い聞かせるように胸のなかで繰り返しながら、ベッドの側へと歩いた。そのまま、ベッドから起き上がった妻の頬に指を伸ばして、そうっと触れる。…あたたかい。
柔らかな頬に、俺の指がふんわりと沈んで。優しい、あたたかな感触が指から伝わる。…不安で凝り固まった胸の強張りが、ふうっと解けていくようだった。そのまま、きつく抱き締めたくなる衝動を、理性で抑える。
「…それならば、今度近くの森林公園にでも行こうか。まだ紅葉には早いだろうが、今ならばまだ花も咲いているだろうしな。屋敷の庭園には無い樹木を見るのも良いだろう」
そう言うと、頬に触れている俺の手に、あたたかな手が重なった。俺の目の前で、フラフィーが嬉しそうに顔を輝かせる。…まるで花の咲くようだ、と、甘い想いが胸に疼いた。
「行きたいです!嬉しいな、一緒にどこかに行くの、この間の旅行ぶりだね!」
にこにこと笑いながら、弾むような声でフラフィーが言う。そんな、俺の可愛い妻の様子に、俺の口元も知らずに緩む。そうか、とその頬を撫ぜながら、笑い返した頃には。…もう、先程までの不安は、微塵も残っていなかった。
そのあとで。もう、食欲不振も落ち着いて、逆に食欲が出てくるだろうこと。食べすぎは禁物だが、今はおなかの子の為にも、食べたいものを食べた方が良いこと。もうじき胎動が始まるだろうこと。また、なにか心配なことがあったらいつでも来ること。そんなことを話して、ドクターに礼を言い、軍医院を後にした。…ここ最近の癖で、フラフィーを抱き上げようとしてしまい、ドクターに笑われたことは置いておく。
馬車までの、短い距離を。フラフィーの柔らかい手を繋いで、ゆっくりと歩いて向かった。一回り大きくなった下腹の所為か、フラフィーの歩調は大分ゆっくりだ。その足元に何もないかを確かめながら、俺も、踏みしめるように歩を進める。
「何か、食べたいものはあるか?お前がつらくないなら、少し街を見て行こう」
「ううん、大丈夫。…あ、でも、そしたらどこかで毛糸が見たいです」
俺の可愛い妻が、そう言って円い目で俺を見上げる。そのまま、はにかむようにその目をぎゅう、と細めて笑った。その顔に見惚れながらも、…予想の範囲外だった言葉に、思わず首が横に傾く。
「毛糸?」
「うん!生まれる前に、靴下でも作ろうかと思って。あと帽子とか…あ、でも秋なら、毛糸の帽子はまだ早いかなあ」
弾むような言葉で、そこまで言ってから。少しだけ眉を寄せて、フラフィーが少し考える顔になった。そんな妻の頭を、安心させるように撫ぜる。擽ったそうに目を細めたフラフィーが、俺を見遣った。
「いいんじゃないか?秋でも冷える日はあるだろう。特に赤ん坊は暑さや寒さに弱いと聞く。あって助かることはあれど、困ることなど無いさ」
俺の言葉に、フラフィーの顔が嬉しそうな笑顔へと変わる。今にも跳ねそうに、その柔らかな身体が揺れた。…もうすぐ母になろうとも、俺の妻は未だ幼く、愛らしい。そんなフラフィーの様に、自然と眼が細まった。
「そうだよね!良かった、ありがとうリジットさん!」
安心したように笑うフラフィーの、その肩を緩く抱きながら。…その身体を抱きかかえたくなる衝動を、またも理性で抑える。
過保護だなんだと言われたが、…結局は、俺がこの子を一時も離したくないだけだな。そんなことを苦笑するように、心のなかで思いながら。到着した馬車で、待っていてくれた馬丁に、街に行ってくれるよう声を掛けた。
街に来るのは、あの幽霊サーカスという移動施設に訪れて以来だ。すっかり秋の仕様になった街中には、もう氷菓子の屋台は見えない。その代わりに、秋の野菜や果物を使った菓子が、そこらに並んでいた。街中に、甘い匂いが漂うようだ。
カフェの店頭では、アップルパイを切り売りしていた。その隣のテラス席で食べることも、そのままテイクアウトも出来るような仕様。俺の身体越しに、それを覗き込むように見遣っていたフラフィーが、『美味しそう』、とその顔をほころばせる。…その呟きに、俺も顔が緩んだ。ドクターの言っていた様に、食欲が戻ってきたのだろうか。今はまだ食べられなくても、美味しそうだと想える気持ちになってくれただけでも、安心する。
…矢張り、この子には、美味しそうにものを頬張って、幸せそうに笑っている顔が、よく似合う。見ているこちらにまで、幸せが伝わってくるような。特に食欲がないとしても、その顔を見ているだけで、こちらまで腹が減ってくるような。…初めてこの子を見たあの日を思い返して、小さく笑う。
あの日に初めて見た、あの子の笑顔。こうやって、この子の隣にずっといられるようになってからも。…俺が焦がれてやまない、幸福の詰まったように笑う、あの笑顔。その顔を、…この子の全てを護るために。俺は、此処に居るのだから。この子の傍に、在るのだから。
「ひとつ買って行こうか」
アップルパイの切り売りを指さして、隣の妻にそう告げた。円い目が更に丸くなって、嬉しそうに輝く。その目が、でも、と伏せられないうちに、言葉を続けた。
「安心しろ、お前は食べられるだけ食べたらいい。食べきれない分は、俺が食べよう」
それなら大丈夫だろう?とその髪を撫ぜると、円い目が嬉しそうにぎゅう、と細められた。繋いでいた手に力がこもって、その顔が大きく頷く。
「うん!ありがとう、リジットさん!」
弾むような声に、こちらまで心が弾んだ。…ああ、矢張り俺の妻は、こうやって嬉しそうに、幸せそうに笑っているのが似合っている。
そのまま、ひとつ持ち帰りで包んでもらい、紙の袋に入れてもらった。丁寧に包まれたアップルパイからは、もう甘い匂いは漂わない。それが少々残念だったが、これから手芸店に向かうのだからその方が良い、と思い直した。
街のメインだろう大通りの、その中ほどに手芸店はある。そんなに大きくも小さくもない外観のその店は、この子のお気に入りだった。俺も幾度か一緒に来たことがあるし、スティケートとも訪れたことがあるらしい。俺の縫いぐるみをつくるのだと張り切っていた時に、そんなことを言っていた。『先生に、リジットさんに似てる目や鼻を一緒に見てもらったんだよ』、と、そんなことを笑いながら言うこの子は、とても愛らしかった。…あの縫いぐるみの存在自体は、今でも俺は認めていないが。そんなものを作らずとも、本物の俺がいつもお前の傍にいるだろうに。
店の中は、休日だというのに、ほとんど人がいなかった。最早顔見知りとなった店主の老婦人が、いらっしゃい、と迎えてくれるのに軽く会釈を返す。…ただでさえ、静かで落ち着いたこの店に、俺のような獣人は浮いているだろう。けれど、俺が客だということを差し引いても、…このように、当たり前のように迎えてくれる存在というのは、有難かった。
この店の、大体の配置を、この子はもう覚えてしまっているのだろう。ゆっくりとした足取りで、それでも迷わずに向かうフラフィーに、俺も歩調を合わせてついていく。様々な生地や糸の置かれた棚を通って、この子が足を止めたのは。先ほど言っていた通りに、様々な毛糸の並ぶ棚の前だった。
毛糸にも、色々種類があるものだと、フラフィーに出逢って初めて知ったものだ。それまでは、衣類の素材など気にしたこともなかった。いくつもの毛糸玉から、フラフィーがコットンと書かれた毛糸を手に取る。つられて、俺もその毛糸玉に指をふれた。ふわふわと柔らかく、触れただけでも手に馴染むように優しい手触りのそれは。…なんとなく、すぐ隣にいる、俺の最愛の妻を連想させた。触れただけで柔らかくあたたかい、ずっと腕に抱いていたいような感触。
最近は、歩くときすらずっと腕に抱いていたその感触が恋しくなって。その毛糸を棚に戻すと、俺の可愛い妻の身体を、後ろからゆっくり抱き込んだ。俺の身体に馴染む、柔らかくてあたたかい、優しい感触。顔を寄せると、仄かにミルクを砂糖で煮詰めたような甘い匂いが、その頬から匂い立つようで。鼻先に漂うその匂いに、密かに喉奥で低く唸った。
「どうしたの?」
「いや、…その毛糸にするのか?」
頬に触れる、俺の獣毛が擽ったいのか。フラフィーが、その顔をほろこばせながら俺を見る。その円い目に映る俺の顔が分かるような、近い距離に、心が震えた。…ああ、今、この子の一番近くに在るのは俺なのだと。もう数えきれないほどに感じた歓喜が、今日も、俺の心を満たした。
自然と、俺の手は、この子の下腹部に伸びていた。ここ数日で、一気に大きくなった、この子の下腹。慈しむように撫ぜると、俺の腕の中で、嬉しそうにフラフィーがその円い目をぎゅう、と細めた。…俺の焦がれてやまない、幸福の詰まったように笑う、その笑顔。
俺の手の上に、フラフィーの柔らかい手が重なる。ふかふかと、その指が、俺の獣毛を撫ぜるように優しく這った。まるで、おなかの子を撫ぜているように優しい、母親の手つき。…もう、疾うに失くした感触が、不意に過ぎった。俺の、この子を抱く腕に、僅かに、けれど確かに力がこもる。
「うん!この毛糸、すごく触り心地がよくって、いいなって!」
リジットさんも、触ってみて?と。笑いながら、フラフィーがその毛糸を差し出してきた。先程、俺も手に取った毛糸。この子のことを連想させるような手触りの毛糸。それを、再度手に取りながら。腕の中の、俺に馴染む、柔らかく優しい感触に、…お前の方が万倍も心地好い、と密かに想う。柔らかくて優しい、ふわふわとあたたかい感触。腕の中に抱いたそのぬくもりを堪能しながら、受け取った毛糸を指でなぞった。俺の愛らしい妻には遠く及ばないが、それでも矢張り、その感触は妻に似て優しく心地好い。
「ああ、確かに心地好いな」
「ほんと?」
頷きながら、その手に毛糸玉を返す。それを受け取りながら、フラフィーが目を輝かせて俺を見上げた。その顔に、俺の顔もまた、緩んでいく。
「まだ、男の子か女の子か分からないから、色は白か黄色がいいかなって思うんだけど。リジットさんは何色がいい?」
「…ああ、そうだな」
頷きながらも、密かに言葉に詰まる。この子に似ているなら、白や黄色はとても愛らしく、似合うだろう。だが、俺に似たことを考えると、それは少し…可愛らしすぎる気がする。俺を小さく小さく縮めたような赤ん坊が、白い毛糸の靴下や帽子をかぶっている様を想像して、頭を抱えた。…まずい、絶対に似合わない。
「…お前に似ていることを、心から願おう。こんな俺に似たのでは、子が可哀想だ」
ため息交じりに呟いた言葉は、…俺の本音だった。こんな、高圧的で威圧感のあるような顔をした俺などに似てしまっては、男だろうが女だろうが後々苦労するだろう。それが、この愛想も社交性もない性格も相まってのことだとは知ってはいるが。…外見にしろ内面にしろ、こんな俺よりも、フラフィーに似た方が、子どもも幸せに違いない。俺たちの子の幸せを誰よりも願うからこそ、…心底からそう想う。
そんな、俺の腕の中で。フラフィーが俺に向き直るように、体勢を変えた。そのまま、この子の円い目が、…少しだけ哀しそうに歪んで、俺を見詰める。…その目に、喉奥で言葉を詰まらせた、俺の。その頬に、柔らかな指が伸びた。
俺の頬を、その指が、獣毛の上からきゅっと摘まむ。獣毛越しの上に、その指にもあまり力を入れているわけではないのだろう。全く痛くはなかった。…それよりも、真正面から俺を真っ直ぐに見上げるフラフィーの。…怒る、というよりも哀しそうな目の方が、心に刺さる。
「もう、リジットさんはなんでそんなこと言うの」
俺に向けられ言葉も。咎める、というよりも、…哀しそうに、辺りに、…俺の心に響いた。
もう片方の手も、俺の頬に伸びる。同じように頬を摘ままれて、先程よりも強い力で、ぎゅう、と掴まれた。…そのまま、少し引っ張るように、俺の顔がフラフィーへと寄せられる。この子も、少し背伸びでもしたのだろう。ただでさえ間近だった俺とフラフィーの距離が、更に近づいて。
…俺とこの子の距離が、ゼロになった。
押し当てるように、触れるだけの唇は、柔らくて仄かに熱い。無意識に、きつく抱き締めかけて、…その身体を腕に収める前に、力を緩めた。口から離れたふくよかな顔が、俺の胸へと擦り寄るように寄せられる。
「…俺の大好きな旦那さまのこと悪く言ったら、リジットさんでも俺、怒るからね」
言いながら。フラフィーが、俺にぎゅう、と腕を回した。一瞬、意味を掴みかねて。…この子の言いたいだろうことに、口元が緩んだ。『例え俺本人でも、俺を悪く言うことは許さない』。きっと、この子はそう言いたいのだろう。…眼と胸の奥が、じん、と滲むように熱くなった。ああ、そうだな、と、答える声は、僅かに掠れる。
「悪かった。…もう、そのような物言いは止めよう」
フラフィーの髪を撫ぜながらそう言うと。俺の胸から顔を上げたフラフィーが、嬉しそうににっこりと笑う。
「約束だよ?もう、俺の旦那さまのこと、悪く言わないでね?…俺は、リジットさんのこと、世界一大好きなんだから」
そう言って。柔らかな指が、俺の服を掴んだ。そのまま背伸びをしたのだろう、フラフィーの顔が、またひとつ近づく。そんなフラフィーに、俺も顔を近づけながら。
『約束しよう』、と。俺の妻の、ふっくらと柔らかい唇に、吹き込むように囁いた。
穏やかに静かな手芸店の、棚に隠れて。俺の最愛の妻と交わした口づけは。幸福で満ちたように、甘い、甘いものだった。
その店で。フラフィーが買った毛糸玉は、白と黄色と、…あとひとつは、濃紺だった。
これはどうするんだ?との俺の問いかけに。返ってきたのは、内緒、という、子どものように口元で人差し指を一つ立てた、可愛らしい妻の言葉で。
…その、濃紺の毛糸玉の用途を俺が知ることになるのは。もう少し季節が過ぎた後、もうすぐ寒い冬が来るだろう、という頃になってからだった。
「リジットさんに似たら、世界で二番目に格好良い子になるね!」
「…一番目は、誰なんだ?」
「勿論、リジットさんだよ!俺の旦那さまは、世界一格好良くて、優しくて、俺の大好きな旦那さまなんだからね!」
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