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イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【34】

  屋敷の廊下に。俺の足音だけが忙しなく響くのを、他人事のように聞いていた。

  「リジット」

  「……」

  「リジット」

  「………」

  「リジット、落ち着いてください」

  何度か呼ばれていたのだろう。耳に入っていても、そのまま通り過ぎてしまっていた俺の親友の声が、漸く脳に届いて。声を返すよりも先に、弾かれたように奴を見遣る。寝室のドアにほど近い場所に置かれた椅子に座ったスティケートが、心配と呆れの混ざったような顔で俺を見上げていた。

  …本当なら、待つための部屋も用意してあるのだから、そこで待っていてもいいというのに。あまりにも落ち着かずに、ずっと廊下に出ている俺に、スティケートも部屋から椅子を持ってきてまで俺に付き合ってくれている。そのことに改めて感謝しながら、彼に声を返した。…開いた口は乾いていて、最初の一音が喉で掠れる。

  「あ、ああ、済まない。…何か用か?」

  「落ち着きなさいと言ったんですよ。さっきからずうっと辺りをうろうろしっぱなしでしょう。…座れとは言いませんが、少し落ち着いてください」

  ため息交じりにそう言ったスティケートが、それでも矢張り落ち着かなげにモノクルを上げた。その隣には、空いている椅子。…俺の分まで持ってきていてくれたのか。それにも気づかないほどに、余裕を失っている自分を少々恥じる。

  「…ああ、分かった。済まない」

  大きく息を吐いて、有難くその椅子に座らせてもらった。そのまま腕を組んで、眼を閉じる。指先が勝手に動いて、時を刻むように手の甲を忙しなく叩く。…脈打つ心臓が、速すぎて息苦しい。

  数分も経たぬうちに、じっとしていることに耐えられず、またも椅子から立ち上がってしまう。そのまま一歩踏み出した俺に、スティケートが、椅子に座ったまま苦笑しながら俺を見上げた。

  「まあ、今の貴方に落ち着けという方が無理なことでしょうか。…今、あの子が頑張っている最中ですからね」

  そう言って、スティケートの目線が、…寝室へと移った。厚く閉ざされた扉の向こうからは、何の物音も聞こえない。この屋敷を建てた者の趣味なのだろう、荘厳に飾られた厚い扉は、防音効果もあるようだ。いつもは、この寝室のなかの一音も漏らさぬ程の、厚く重い扉を有難いと思っていたが。…今だけは、必要以上に中の様子を遮るこの扉が憎らしかった。

  

  俺の、誰よりも、何よりも大切な最愛の妻が。…産気づいた、と連絡を受けたのは。俺がいつも通りに王城へと出勤してから、直ぐのことだ。

  『リジット様、奥さまが、…フラフィーさまが産気づかれました!』

  俺にそれを知らせる為に、軍の施設まで駆けつけてくれた馬丁から、そう報告を受けて。慌てて上に言づけてから、俺を待つ馬車へと急いだ。

  あの子が産気づいて直ぐに、馬丁が出来る限りの速さで馬を飛ばし、馬車を引いてここまで来てくれたらしい。産婆も快く引き受けてくれていた犬獣人の老女医にも、俺より先に声を掛けてくれたそうで、彼女は既に屋敷に向かっていた。

  屋敷について直ぐに、今度はフラフィーの両親である男爵家とスティケート、それからアステールにも連絡してもらうよう、馬丁に頼んで。そのまま飛び込むように屋敷に入って、あの子のもとに向かう。…が、俺はあの子のいる寝室に入れてもらうことは出来なかった。

  『リジット様は、どうぞこちらでお待ちください』

  と、老女医からそう言われていたらしいメイドの一人に、俺たちの寝室の隣の部屋に促される。そこには茶の用意や軽食が用意されていて、…あの子の出産に決して短くはない時間が掛かることを、俺に知らせるようだった。

  ここで待て、と言われても、呑気に飲食をする気になど到底なれない。椅子に座る気にすらなれずに、部屋のなかをただぐるぐると何周も回って、…耐え切れずに廊下に出た。出産には、何時間と掛かることも、あの学術書のような本で読んで理解してはいる。けれど、…いざその時になると、まるで無限の時間のような気がした。どれだけ待っても、待ったと思っても、時計の針は少しも時を刻んでくれない。気が急いて、心臓が飛び出るような期待と、言いようのない不安に全身が襲われる。

  そろそろ生まれるだろう、とは、先生からも聞いていた。彼女から、『もういつ生まれてもおかしくない。産気づいたらすぐに知らせるように』、と言付かってもいた。だから、…あの子とともに、心の準備はしていた。少なくとも、そのつもりだった。それなのに、…いざこうなると、俺は狼狽えるばかりで、少しも落ち着いていられない。過去に戦場に出たことだって幾度もあるというのに、…微かに覚えている自分の初陣よりも、余程心が乱れていた。

  廊下に出たところで、状況に変わりはない。一所に立ち止まっていられずに、意味もなく廊下を歩き出した。何のことはない、歩き回る場所が部屋から廊下に変わっただけだ。何かに急かされるように、気ばかりが逸る。…そんな俺に。

  『リジット、フラフィーは如何ですか?まだお産の途中でしょうか?』

  後ろから掛けられた、聞き慣れた声。それに、まるで救われたような気になった。心底安堵し、長い息を吐きながら、彼の方を振り返る。…見れば、珍しく急くような足取りで、俺の方に向かってくる親友の姿がそこにあった。

  『ああ、まだ途中だ。本当に先程、産気づいたばかりらしい。俺も先程来たばかりだ、まだ当分時間が掛かるだろう。…来てくれて済まない、有難う』

  そう話しながら、俺からもスティケートに歩み寄る。…そう口に出すだけで、心が安らいだ気がする。…独りで待つことに、圧し潰されそうになっていたことに、その時気づいた。

  『…お前が来てくれてよかった。本当に済まない』

  大きく息を吐きながら、再度頭を下げる。そんな俺の肩を、スティケートの大きな手がぽんぽん、と励ますように軽く叩いた。…懐かしい、と不意に思う。俺がまだ訓令兵だった頃、指導兵だった奴に、落ち着けとばかりによくされていた行為。

  『こちらこそ、呼んで頂けて光栄ですよ。私には、あの子に何もしてあげられませんが、…待つのなら、せめて独りよりも二人の方が心強いでしょう』

  そう言って、俺を落ち着かせるように、モノクルの奥の眼が笑うように細められる。つられるように、俺もぎこちなく口角を緩めた。…今まで以上に、この年上の親友の存在が、頼もしく有難い。

  『それから、アステールはあまり大勢でいるとフラフィーの気も休まらないのでは、と。生まれたら直ぐにでも子どもに逢いに行きたい、と言っていました』

  『ああ、分かった。必ず彼にも、生まれたら直ぐに報告しよう。気遣い有難う、と伝えてくれ』

  親友の言葉に答えながら、フラフィーの幼友達であるあの金髪碧眼の彼を思い浮かべる。…スティケートに負けぬほどの、優雅で気遣いの出来る彼のことだ。フラフィーや俺の為を思って、今回は辞退したのだろう。申し訳なく思いながらも、彼の気遣いを有難く受け取る。

  『それから、君のところの馬丁から伝言を。男爵家に報告したところ、承知した、と。生まれたら、またご一報ください、とのことだそうです。』

  『…そうか、分かった』

  この屋敷と、フラフィーの実家である男爵家はそれほど遠くはない。…あの子の、男爵家での扱いは、理解していた。けれど、我が子の初産ともなれば、こちらに来られるかもしれない、と思って男爵家にも知らせたのだが。…矢張り、フラフィーのご両親は、こちらには来ないらしい。貴族のなかでは、『嫁がせたら、もうその子はその家の者』と言う考え方が罷り通っているらしいから、これは普通のことなのだろうか。…それとも。

  …自分の家のことを話すときの、フラフィーの少し寂し気な笑顔を思い出す。気づけば、両の手をきつく握っていた。あの子の両親が、…あの子をどう思っていようが、どうでもいい。低く唸りそうになる声を、喉奥で押しとどめる。

  今のあの子の家族は、俺なのだ。俺が、あの子のただ一人の夫で、…これから生まれようとする子の父なんだ。誰にも傷つけさせなどしない。決して、奪わせもしない。俺の最愛のあの子は、…俺の何よりも愛おしい家族だけは、俺が、必ず護って見せる。

  そう、俺自身に誓うように、強く想いながら。厚く閉ざされたままの寝室の扉を、射貫くように強く、見詰めた。

  

  もう、何時間前のことなのだろうか。ついさっきとも、遙かに前とも感じることを思い返しながら、きつく手を握って廊下の先へと歩を進める。いつの間にか、廊下の端まで来てしまっていて、慌てて踵を返した。再度寝室の前まで歩いてくる俺を、苦笑するようにスティケートが見遣る。いつの間にか、彼も椅子から立ち上がって、直立するように壁に沿って立っていた。

  「リジット、そんなに気負わずに。安心してください、獣人の子どもは、生まれるときは人間の子よりも小さいのですよ。母体のおなかが大きくなるのは、胎児を護る羊水と、胎児を包む膜が厚い為です。胎児そのものは、私たちの両掌から少しはみ出る出る程度だと、貴方も知っているでしょう」

  知っている。生まれたばかりの獣人の赤子も、人間の赤子も見たことがあるが、確かに獣人の子の方が、人間の子よりも幾分も小さかった。…だからだろうか、獣人の子の出産の方が、人間の子の出産よりも、母子ともに危険は少ない、と言われている。小さく生まれる分、母体への負担も少なくて済むのだろう。これも、種の保存の一部なのだろうか。そんなことを考えながら、スティケートを見遣って頷く。そんな俺に、『それに』、と彼が言葉を続けた。

  「それに、…今頑張っているのは、あの子なのですよ?貴方がそんなにおたおたとしていてどうするんですか。貴方は、…もう『父親』なんですから、もっと堂々と、あの子を支えてあげなさい」

  そう言って、スティケートが先程よりも強く、俺の肩を叩いた。痛いくらいの力に…それでも、俺の口元は薄く上がる。これが奴なりの、愛ある檄だと知っていた。もう何度も受けたことのあるあたたかな痛みに、親友の眼を見遣ったまま、更に口角を上げて見せる。

  「…ああ、そうだな。済まないスティケート、…お前は矢張り頼りになるな」

  俺の言葉に、少しだけスティケートがモノクルの奥の眼を見張って。…それから、その眼を細めて、奴も笑う。叩いた肩を和らげるように、その手が大きく俺の肩を擦るように撫ぜた、…その時。

  …扉の向こうから。小さな、けれど元気な声が聴こえた気がして。スティケートと共に、弾かれたようにその扉を見遣った。考えるよりも先に足が動いて、ドアへと駆け寄る。

  扉の前に立つと、寝室のなかは静まり返っているように思えた。手を伸ばして、押すように扉に触れる。必死で耳を峙てて、少しでも中の様子が分からないかと神経を集中すれば。厚い扉の向こうで、…淡く上がる声が僅かに、けれど確かに聴こえて。このドアを今すぐにでも開けたい衝動を、必死に抑える。

  …部屋のなかから、こちらへと歩いてくる足音を、俺の耳が捉えた。一歩引いて、ドアの前で、そのノブが回るのを息を飲んで待つ。かちゃり、と、ゆっくりとそのノブが回った。そこから、扉が開くほんの一瞬が、まるで永劫のように長い。逸る足が、知らず床を小さく踏み鳴らしていた。

  音の立たないゆっくりとした速度で、その扉が開いていく。その隙間から、産婆をしてくれていた犬獣人の老女医が、くしゃりとした愛嬌のある顔を覗かせた。…その顔が、ますます皺を刻んで優しく笑む。

  「…生まれたよ。安心しな、奥さんも赤ん坊も元気さぁ。…ほら、逢ってやりな」

  フラフィーと、…俺たちの子を気遣ってだろうか。まるで囁くような小さな声で、それでも、これ以上なく優しい声色で。その目を糸のように細めながら、先生が俺を中へと促した。

  「…あ、有難う御座います」

  緊張に張り付く喉からは、一瞬声が出なかった。掠れる声で彼女に礼を述べると、ますます先生が笑みを深くする。そのまま、中へ戻っていく先生の背を追うように、…俺も中へ入った。

  薄くカーテンを引かれた室内は、あたたかい淡黄色に染まっていた。何の物音も聴こえないように、静かな室内で。先生の助手だろうか、中にいた人間と獣人の女性が幾人か俺を見て、静かに頭を下げる。それに俺も頭を下げ返しながら、部屋を見回した。

  出産中はどうだったのだろうか。今はもう、見慣れた寝室へと戻っているその部屋の中央。…そこに置かれている、俺たちのベッドに、…フラフィーが横たわっているのが眼に映る。

  駆け寄らんとばかりに急く足を抑えて。足音を立てないように、ゆっくりと近づいた。心臓は、早鐘以上の速度で熱く波打っているというのに、…心持ちは酷く穏やかだった。床を踏む足が、少しだけふわふわと柔らかく感じる。床は硬い木製だ、柔らかいはずなど無いことは良く分かっている。長いことこの屋敷で過ごしていて、こんな感触は初めてだった。…それほど浮足立っているのかと、少しだけ可笑しくなる。

  ベッド脇まで歩み寄って、その傍らに跪く。眠っているのだろうか、フラフィーの目は閉じられていた。疲れているのだろう、…当然だ。それでも、その頬が緩やかに、呼吸に合わせて動いているのが見て取れて。…それだけで、解けるように安堵した。

  フラフィーのすぐ隣に、…小さなお包みが寝かせられていることに、喉奥が塞がれたように詰まる。そこに包れているのは、みゅうみゅうと、淡くも元気な声を上げて。…薄っすらと黒色の獣毛を纏わせた、けれどまだ耳も鼻先も爪先もピンク色の、小さな狼獣人だった。壊れそうなほどに小さな指が、微かに、けれど確かに動いている。…俺に似たのか、と。呟いたはずの声は、息にもならなかった。目の前が薄っすらと滲んだ気がして、親指で強く眼を拭う。

  音を立てないように、大きく、静かに息を吐いた。拭ったはずの眼は、どうにも目の前を滲ませたままだ。そんな自分に、苦笑するようにひとつ笑って、…俺の最愛の妻の頬に、起こさないように指を伸ばす。

  ふくふくと愛らしい頬に、俺の指が、静かに沈んだ。…あたたかい。その感触に、どうしようもなく安堵しながら、確かめるように沈めた指をゆっくりと動かす。…小さくその口から音が漏れて、フラフィーの閉じていた目が、ゆっくりと開いた。

  「…リジットさん」

  その円い目に俺を映して、…俺の妻が、花のほころぶように笑う。今まで通りに幼く愛らしく、けれど優しく慈愛に満ちたそれは、…母親の笑顔だった。その優しい笑顔に、…眼の奥が、更にじんと熱を持って疼く。

  「リジットさん、俺たちの子、生まれたよ。獣人の、男の子だって」

  円い目を、柔らかく細めながら。囁くような息だけの声で、俺の最愛の妻が、そう俺に告げる。まるで幸福が詰まったように、幸せそうに笑う、俺がいつまでも焦がれてやまないその笑顔。…それが、更に円熟して、あたたかさと優しさを深めていた。…息も詰まるほどに幸福に満ちたこの光景が、俺の前でまたも薄く滲む。

  「…ああ、ああ、そうだな。よく頑張った、本当に有難う。…ありがとう」

  繰り返しながら、フラフィーの柔らかな手を両手で包んできつく握った。ふくふくとあたたかな手が、健気な力で、俺の手を握り返してくれる。幸せそうに笑ったまま、フラフィーが更に目を細めて、俺を見つめた。

  「きっと、リジットさんそっくりな子になるね!きっと、すっごく格好良い男の子になるよ!」

  あ、でも俺にとって、世界一格好良いのはリジットさんだからね!それはこの子が大きくなったって、ずっと絶対変わらないよ!と。囁くような声でも、語尾を弾ませながら、嬉しそうに俺に言う。

  身体中を溢れんばかりに満たす幸福に包まれながら、その言葉に、ただ頷いた。目の前の滲みが強くなるが、今は眼を拭うよりも、この子の手を繋いでいたい。

  「そうだな」

  そう答えるだけでも、途中で詰まるように声が閊える。…眼を細めるだけで、目の前を滲ませるその水滴が獣毛に沈んだ。押し当てるように、両手で包んで握るフラフィーの手を、額に寄せれば。そこから、あたたかで優しいぬくもりが、俺の身体に染み込んでいく。

  そんな俺を、幸福の詰まったように幸せそうな顔で、笑ったまま。優しく見つめていた、俺の愛おしい妻の、その目が。段々と眠そうに蕩けて、瞼がゆっりと落ちていく。

  愛らしい顔で、眠りにつく、フラフィーの顔を。瞬きすら忘れて、見詰めながら。

  この、何よりも、誰よりも大切な、俺の最愛の妻を。俺とこの子との間に誕生してくれた、大事で愛おしい我が子を。この先も遙かに続く、俺たちの幸福を。

  …何があっても、必ずこの手で護り抜こうと、強く、固く、自分自身に誓った。

  

  

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