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イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【52】

  夢を、見た。

  「おとーさん!」

  声と同時に。胸の上に、どしんという勢いのついた振動を感じて、一気に意識が引き上げられる。肺で空気が詰まって、ぐ、と言う音が喉奥で響いた。

  無理やり引き上げられて、未だ覚醒しきっていない頭には、その衝撃は少々大きすぎたようだ。頭よりも先に身体が覚めたようで、眼を開く前に、肺から一気に溢れた空気で、咽るような咳が出る。…な、なんだ?

  「おとーさん!おとーさんおきてよ!」

  「てよー!」

  俺の胸の上から、…甲高い声が大きく響く。しっかりとしているようで、少し舌足らずな子供の声と。もうひとつは、更に舌足らずな、先程の声よりも更に幼い幼児の声だ。一体誰の声だろうか。こんな小さい子を、俺の可愛いあの子が預かったりしたのだろうか。いや、しかし、さっき。…さっき?

  この幼い声が、言った言葉ははっきりと聞こえているのに。一気に覚醒させられた意識は、まだまともな思考を紡いでくれない。この高く大きな声が、俺に向かって何を言ったのか。それを思い出そうとしている、俺に。

  「こら!お父さんの上に乗ったら駄目だって、言ってるでしょ!」

  誰よりも愛おしい俺の妻の声が、辺りに響く。同時に、胸の上の重みが、少しだけ軽くなった。その代わりに、ばたばたと動く気配が振動で伝わる。…今度こそ、俺の頭がその言葉を反芻した。…『お父さん』?

  「フ」

  「えー。だってぇ、今日おとーさんぼくと遊んでくれるって言ったんだもん!」

  「らもんー」

  反射で、可愛い妻の名を呼ぼうとした声は、…まるで反論するような幼い声に、呆気なく消された。口を尖らせている様すら眼に浮かぶように、まるで不満を隠さない声。それに、思わず笑ってしまいながら。未だ重い瞼を、こじ開けるように開く。見慣れた天井が、まず映って。それを遮るように、俺の視界に小さな影が飛び込んできた。

  「あー!おとーさんおきた!おはよう!」

  同時に、俺の耳の傍で、元気よく高い声が大きく響く。…大きすぎて、一瞬きぃんと耳鳴りがしたほどだ。けれど、…それは決して、不快ではなかった。苦笑しながら、何度かゆっくりと瞬きをする。いきなりの目覚めに、追いついていなかった思考が、ゆっくりと覚醒していく。俺を覗き込んでいた、琥珀色の眼と視線が合った。その眼が、俺が起きたことを認めて、嬉しそうに笑う。

  「おとーさん!おとーさんはやくおきて!きょうはおにわできゃっちぼーるだよ!」

  弾むように楽しそうな声とともに、小さな身体がもふり、と勢いよく俺に抱き着いてきた。それを慌てて抱きかかえながら、ゆっくりと上半身を起こす。そのまま、俺に張り付くように抱き着いていくその子を、確認するように見遣った。

  年のころは、2歳…か、成長が早い子ならば1歳半ほどだろうか。人間と合わせるなら、3歳か4歳、といったところだろう。獣人の子は、遅くとも15歳ほどでほぼ成長が終わり、大人と変わらなくなる。だから、獣人は15歳で成人、としている国もあるのだそうだ。この国では、獣人も人間に合わせて20歳で成人、とされているが。俺たちの息子であるロバストが、生まれて半年ほどだから、この子はロバストよりも多少年上、ということになる。獣人の子は、5歳までの成長が特に著しいから、歳の差以上にこの子が大きく感じるのだろう。それを思って、口元がまたも緩んだ。この子が、まるで、…ロバストの成長した姿のように、俺の眼に映ったから。

  俺と同じ、黒色の獣毛。耳は、…嬉しいからもあるのだろうか、ぴん、と大きく立って、揺れている。その眼が、…矢張り、俺と同じ琥珀色をしているのは、先程も見た通りだ。獣人用の可愛らしい子供服、そこに開いている穴から通された尻尾が、その子の機嫌を表すようにぱたぱたと揺れていた。その姿に、口元が緩みながらも、… 脳内で困惑する。

  今、俺に抱き着いているこの子は、それこそ、俺の幼いころは、こんな風だったのだろうと。…それこそ、俺の愛する息子が大きくなったなら、このようになるだろうと。そう、容易に想像できるような、小さな狼獣人の子供。

  「リジットさん、おはよう!ごめんね、起こしちゃったね」

  思わず、ロバストとその子を重ねて見つめていた俺に。フラフィーの愛らしい声が、俺へと掛かる。その声に、その狼獣人の子を抱き留めたまま、振り返って。…そのまま、俺の視線が止まった。

  フラフィーが、腕に抱いていたのは。ロバストと同じ生後半年ほどか、それよりも少し大きいくらいの、…薄茶色に黒の混ざった、狼獣人の子だった。その獣毛の色に、一瞬息を飲む。その子の獣毛が、…俺の母親と、同じ色合いをしていたから。

  狼獣人の中で、黒色も、その色も珍しくはないらしい。けれど、そもそも狼獣人の数が少ない。その為、俺は、…その薄茶に黒の混ざった獣毛を、俺の母以外知らなかった。思わず、母の面影を探して、その子の顔を凝視ししてしまう。

  俺に見つめられて、嬉しかったのだろうか。愛する妻に抱かれて、嬉しそうに相好を崩したその幼い顔は。鋭利だと表現されてきていた俺や母親よりも、大分柔和で穏やかな顔をしていた。俺の最愛の妻に似た、くるりと円い目が特徴的な、可愛らしい子だ。

  けれど、その顔の穏やかさに、…なぜか、俺の父親の面影を見た気がして、更に息を飲む。母の面影を探して見つめた、この薄茶と黒の獣毛を持つ幼い狼獣人に、…まさか、俺の父親の面影まで見るなどと。自分の思考に動揺しながら、俺を見つめてきゃっきゃっと笑うその子に、俺も、眼を細めて笑って見せた。

  俺の両親の面影を、何故か残しながら。俺の最愛の妻にも似た目を持つ、狼獣人の幼い子ども。…この子は誰だ、と、根本的な疑問が過ぎって。それに、期待するように、俺の心臓が密かに、けれど強く跳ねた。

  「フラフィー」

  それを問いかけようと、妻の名を呼びかける俺に。その腕に抱かれている子どもが、俺へともみじのように小さな手を、広げて伸ばした。まだ肉球も柔らかそうに桃色で、皮膚もそこまで厚くない。矢張り、生後1年は経っていないだろう。そんなことを思いながら、その伸ばされた小さな指を、そうっと取った。

  「たーた、たーたん」

  不思議な言葉を発しながら、その子どもが、俺に向かって笑いかける。まだ生えてそう時間は経っていないのだろう歯が、それでも綺麗に生えそろっているのが、ご機嫌そうに笑う口から覗いた。まだ伸び切っていない犬歯が、牙というには丸みを帯びているのが可愛らしい。

  そんなその子に、フラフィーが笑いながら、…その小さな狼獣人の子を、俺へと差し出してくる。当たり前のように、俺の腕へと収まるその子が、嬉しそうにきゃっきゃっと、また楽しそうな声を上げた。

  「あー!アレクばっかりずるい!おとーさん、おれも!」

  そう言うと、先程から俺の上に乗っていた黒狼の獣人の子が、更に俺に抱き着いてきた。それすらも、遊びの一環となっているのだろうか。俺に競うように抱き着きながら、更に楽しそうな声を、2人で上げている。

  …その、黒狼の子どもが呼んだ名前に、一瞬俺の身体が固まるように止まる。『アレク』。それは、…俺の母の名に、よく似ていた。『アレクサンドラ』。それが、俺の母の名だった。随分仰々しい名だと、ぼやいていたのを何度か聞いたことがある。だから、普段は愛称であるサンドラと、皆には呼ばせていた。そんな大げさな名など、気恥ずかしいだけだ、と。

  アレクサンドラの、男性名はアレクサンダーだ。その愛称は、…確かアレクと言った筈だ。母と同じ毛並みを持ち、父のように穏やかな顔で、俺の妻によく似た目で笑う、狼獣人の子。その子が、アレクだと。

  眼を見開いたまま、呆然と2人を見遣る。まるでロバストが成長したように、俺にそっくりな黒色の獣毛と眼をした、けれどロバストよりも大きな狼獣人の子と。…俺の両親と。愛する妻の面影を色濃く持った、狼獣人の子。…そんな2人に、先程胸に抱いた期待が、更に高まった。

  2人を膝に抱いたまま、硬直したように動かない俺を、どう思ったのか。少しだけ困ったように、それでも花のほころぶようにふんわりと笑いながら、フラフィーが2人に向かって、口を開いた。

  「ほら、ロバストもアレクも、お父さんの上から降りて。お父さんが、起きられないでしょ?今日はお庭で遊んでもらうって張り切ってたじゃない」

  …聴こえた、俺の妻の柔らかい声に。俺の心臓が大きく、跳ねる。『ロバスト』。確かに、この子はそう言った。俺たちの息子の名を、この、ロバストよりも大きな黒狼の獣人の子に向かって。では。じゃあ、…本当に?

  指も動かせないほどに、硬直したまま。ただ、その2人を、…俺たちの『息子』を見つめる、俺に。ロバスト、が少しだけ口を尖らせながら、フラフィーの言葉に『はあい』、とそれでも良い子の返事をした。そのまま小さな身体が俺の上から降りて、フラフィーの元へと駆けよる。…その足は、しっかりと床を踏みしめて、走っていた。俺の知るロバストは、よちよちと、たどたどしくも可愛らしい足取りで、歩き始めたばかりだというのに。

  胸がじんわりと、熱くなるのを感じて、口元が薄っすらと緩んだ。硬直した指先が、漸く動き始める。俺の膝に残ったアレクを、緩やかに抱き締めながら、フラフィーと成長したロバストの姿を見遣った。…そこで、気づく。あの子の、俺の最愛の妻の、…そのおなかが、まるで突き出るようにぽっこりと、膨らんでいることに。あの子の身体がふっくらと柔らかく、抱き心地の好いことは、俺が一番よく知っている。けれど、そうではなく、…あのおなかの膨らみ方は。

  それに思い至る前に、ロバストが。フラフィーのそのおなかに抱き着いて、顔を寄せた。まるで何かを聴くように、そのおなかに耳を寄せて、口を開く。

  「ね、おかーさん!おれたちのジーニャは、おなかのなかでげんきにしてる?」

  …その言葉に。視界が僅かに、けれど確かに滲んだ、気がした。俺の膝の上で、アレクもなぁ、にゃぁと大きく声を上げている。…もしかして、ジーニャと呼んでいたのだろうか。この国での獣人の起源とされている神話、そこに出て来る少女の名前。

  それを聞いて、フラフィーが可笑しそうに笑った。ロバストの、遠目からでもふかふかと心地よさそうな獣毛を優しい手つきで撫ぜて、抱き寄せる。

  「大丈夫、元気だよ。…ね、もうこの子は妹って決まってるの?」

  ふんわりと笑いながら、フラフィーがロバストに問いかけた。それに、妻のおなかに軽く顔を埋めながら、ロバストが勢いよく首を横に振る。それから、フラフィーを見上げて、元気よく口を開いた。

  

  「ううん!おとーとでもいもおとでも、このこはジーニャなの!ね!」

  

  そう言うと、勢いよくその顔がこちらを見て、同意を求めるようにきらきらした眼が俺たちを見つめる。それに、いち早く反応したのは、…俺ではなく、この子の弟だった。

  「なのー!」

  

  俺の膝の上で、舌足らずな言葉が、ロバストの語尾を真似するように、大きく響く。兄の真似をするのが嬉しいのか、兄の言葉に心から同意しているのか、その両方か。仲の良い兄弟の様子に、目元が緩んだ。…俺にはいなかった、兄弟という存在。ずっと独りだと思っていた俺に、…たくさんの家族。誰よりも愛おしい俺の妻と、何よりも大事な、俺たちの子ども。こんな俺に、与えられた眩いばかりの幸福に。…噛み締めるようにそれを享受しながら、まだ幼い膝の上の子を、ゆっくりと抱きしめる。そんな俺に、フラフィーが、その円い目を惜しげもなく細めて、俺を見つめた。どれほど時間が経とうとも、俺が愛して、焦がれてやまない、幸福を詰め込んだように笑う、その笑顔。

  「ね、リジットさん。この子はジーニャで決まりみたいだよ?」

  ロバストに回した手とは逆の手で、フラフィーが大きく柔らかなおなかを撫ぜた。いつになっても変わることなく、優しくふくよかで、愛らしいこの子の手。それが、その大きなおなかと、俺たちの大事な息子を、愛おしげに撫ぜているのを見つめながら。俺も、笑って頷いた。

  「ああ、そうだな。…この子は、ジーニャだ」

  ***************************

  リジットさんが。寝言のように、けれどそれにしてははっきりと呟く小さな声を、彼の腕の中で、心地好く聞いていた。ロバスト。アレク。ジーニャ。さっきから、ロバストさんが口に出した名前。もちろん、他に俺の名前も呼んでくれてた。それが聴こえた時、嬉しくって密かに彼にキスしたのは、誰にも秘密だ。

  でも、リジットさんはそ一体何の夢を見てるのかな?もしかして、あの神話の夢でも見てるのだろうか。…少し前に、リジットさんにその神話の絵本を読んでもらいながら眠ってしまったときに、見た夢を思い出す。神話のなかの、獣人の起源と呼ばれる2人が、俺とリジットさんになっていく夢。その時の、幸せな心地を思い出して、俺の顔が更に緩む。

  でも、アレクとジーニャ。…ジーニャか。女の子だったら、それもいいなあ。男の子だったら、アレクだよね。でも、この子はどっちだろう?そんなことを思いながら、…そうっと、おなかに手を、当てた。おれのなかで、まだ小さな、小さな命が。微かに、けれど確かに、とくん、と脈打つのが、胎内で分かる。

  あの時。お風呂で彼に愛してもらってから。…俺のなかに、二人目の命が宿っているのを、感じた。ロバストを授かったときと同じ、あたたかくて愛おしい感覚。

  それでも、今回は食欲がなくなったりすることがあんまりなくて。少し眠い気もするけど、前よりかは普段と変わらないから、まだ誰にも言ってなかった。でも。

  「…ね、アレクとジーニャ、どっちがいい?」

  こっそりと、誰にともなくそう独りごちた。眠っているリジットさんにも、きっと聴こえてないだろう声。そんな、帰ってくるはずのない、問いかけに。

  …それに応えるように、俺のおなかの奥深くで、とくん、とあたたかく脈打つのが、身体中に響いた。まるで、自分は『アレク』だと、そう言っているみたいに。

  ゆっくりとおなかを撫ぜながら、じわり、と目元が薄く滲んだ。そんな俺に、リジットさんが、俺に回した腕に緩く力を込めながら。

  「…アレク…」

  そう、息だけの声で、囁くのが、確かに聴こえて。

  彼の腕のなかで、おなかに手を当てて、笑いながら。彼の獣毛に顔を埋めて、溢れるように零れてくる幸せに、しゃくりあげるように肩を揺らした。俺の幸せの詰まった涙は、あとからあとから零れ出て、彼の獣毛に、吸い込まれるように染み込んでいった。

  

  もうすぐ。俺の世界一大好きで大切な旦那さまが、眼を覚ますだろう。そうしたら、一番に彼に抱き着いて、このことを伝えるんだ。

  そう伝えたら、リジットさんは。きっと、俺の大好きな笑顔で優しく眼を細めて、俺を見つめてくれるだろう。そのあとで、ぎゅう、って強く、けれど優しく抱きしめてくれる、その時を思い描きながら。彼の腕の中で、彼が眼を覚ますのを、今か今かと待ち侘びた。

  『あのね、リジットさん!今ね、俺のおなかのなかにね、…リジットさんと俺の、2人目の子が、いるんだよ。あのね、この子はアレクっていうの。ロバストの、きっと弟だよ!』

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