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イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【幕間2-恋も二度目なら①】
恋だって、二度目だというのなら。
朝。軍にほど近い、下級兵用の寮の、俺の部屋で。いつもよりも、少しだけ遅くに眼が覚めて、慌てて飛び起きた。それから、今日が休みだということを思い出して、安堵の息をベッドの上で、大きく吐き出す。…ああ、よかった。
そのままついでに伸びをして、のそのそと起き上がる。訓練兵こそ数人の相部屋だが、等級が上がるごとに相部屋の人数は減っていく。一等兵にもなれば完全に個室になるし、二等兵でも、戦歴の良いものは個室をもらえるものも少なくなかった。俺も、その一人だ。
何事も起こらなければ、俺たち下級兵にも、休みくらいはある。勿論、戦いに赴くような事態になれば、話は別だが。少なくとも、今のように平和な日が続くときには、週に一度は休みがもらえた。勿論それは、日曜や祝日に準じた休日、というわけにはいかないが。
それでも、休日には他の奴らは街へ遊びに行ったりもするようだが、…俺に声が掛けられることは、余り無い。理由は明白だ。俺が、…この軍でも珍しい、黒豹と言う肉食獣人だから。それに尽きる。
こんな風な、…ある意味での肉食獣人差別は、どこでも珍しくはない。人間は勿論のこと、獣人の中でも肉食獣は恐れられていた。この国でも、獣人と言えば大半が犬か猫だ。そういうやつらから見たら、…矢張り、肉食獣人は脅威なんだろう。
それでも、…この国での生活は、以前の俺と母親の生活から見たら、天国だった。少なくとも、この国では、…あからさまに性別や人種で人を差別して、貶められたり、傷つけたりすることはないから。それどころか、軍に入隊出来れば、普通の人間よりも余程いい地位につけて、いい給金ももらえる。それを思えば、こんな肉食獣人差別なんてものは、些細なことだ。
俺の親は、母は猫の獣人で、…父親が豹獣人だった。だった、って言うのは…もう親父は、この世にはいねえから。
幼い頃から俺は、母の手で育てられた。俺の父親は、俺が物心着く前には、…死んでしまったそうだ。親父の姿は、2人が婚姻するときに、婚姻式代わりに書いてもらったという肖像画が1枚。そこでしか、見たことがない。しかも、便箋ほどの大きさしかない紙に書かれているうえに、その肖像画は全身像だった。だから、顔はほとんど分からない。同じ豹獣人だから、多分俺は父親似だろう、と思えるくらいだ。あと分かるのは、親父の獣毛が見事なレオパードだということくらいだろうか。それも、それを描いた奴の好みで、レオパードが誇張されている可能性もあるが。母さんの獣毛も黒ではないから、俺の獣毛の色は、所謂先祖返りというやつなんだろう。
その肖像画は、今も母さんが持っている。俺たちが、前に住んでいた国から、この国に渡ってきたときに、…俺たちが持ってくることのできた、数少ないものの一つだ。
俺たちが前に住んでいたところは、この国の隣国。その国は、獣人が差別こそされてはいなかったものの、この国ほど住みやすくもなかった。そして、…獣人差別よりも、なんというのか、…所謂男尊女卑、ってやつが酷かった国でもあった。
きっと、親父が生きていた頃なら、もっと暮らしやすかったんだろう。けれど、…そんな親父が死んでしまって。女手ひとつで、肉食獣の子を育てる猫獣人の母さんには、その国は厳しくなった。いい仕事は回ってこず、母さんは朝から夜まで働いて、俺を育ててくれた。そんな母さんを見て、俺も働こうとしたけれど、…獣人といえども、俺が子どもだったからだろう。矢張り、金になるような仕事は回ってこなかった。
そうやって2人で働いて、働いて過ごして。俺が14になった頃に、この国のことを知ったんだ。軍人となれれば、獣人でも待遇が破格に良くなるという、この国のことを。
それを知って、この国に移り住もうと決めた。母さんは、…やっぱり親父と暮らした家にいたい、って、引っ越すのを嫌がったんだけど。母さんの身体は、限界だった。無理に無理を重ねて、…あと少し無理をしたら、どうなるか分からない状態。そして、…そんな母さんを見てくれる医者なんて、その国にはいなかった。いや、もしかしたらいたのかもしれない。けれど、…見てもらう、金がなかった。
俺が、この国を選んだ理由なんて、ただの一つだ。金。…ああ、あと待遇もか。この国なら、俺が軍人になることが出来れば、今までよりも遥かに高い金がもらえる。そして、…その家族も、ただで医者に診てもらえる。住む場所も保証してもらえる。そうすれば、俺の給金だけで、母さんは暮らしていけるだろう。もう、母さんは働かなくてもいい。ゆっくり身体を休めながら、好きなことをして暮らしていける。
そう思って、…国を渡った。隣の国とは言え、母さんの身体は弱ってたし、馬車を雇う金もない。ほとんど歩いて、…俺が母さんを負ぶって、荷を引いて進む道のりは、大分遠かった。結果として、この国に着いて、俺が訓練兵として軍に入れたのは、…もう、15も過ぎたころだ。
それでも、軍に入るには遅い、と言うこともなく。肉食獣人は少ないこともあって、俺は順調に訓練兵を終えた。その後も順当に初年兵まで終えて、今の等級は二等兵だ。そろそろ、一等兵に上げてもらえる話も出てきている。今の俺が19だから、そこそこいいペースでここまできた、と思っていいだろう。
…でも、そうか。もう、二等兵になってから一年が過ぎたか。部屋に貼ってある、軍支給の羊皮紙のカレンダーを見遣りながらなんとなくそう思って。…それから、心臓が軋むように疼くことに、気づかない振りをして眼を、逸らす。
今から一年ほど前。…『もう』一年なのか。それとも、『まだ』一年なのか。二等兵になったばかりの俺は、…たった一日の恋を、した。
いや、あれが恋だったのか。それすらも、定かじゃない。あれが恋だと、…自分で認める前に。その想いが、芽吹くよりも早く。…それは、終わってしまったから。
相手は、俺よりも大分幼く見える、ふくよかに円い少年だった。俺が、軍にいる獣人の子どもだと、疑わなかったくらいに、その子どもは幼くて。…そのくせ、俺を怖がらなかった。恐れなかった。俺を見て、…笑ったんだ。初対面のはずの俺に、肉食獣人である俺に、…嬉しそうに。まるで春の日差しのように、あたたかく包み込むような、…そんな顔で。
そのまま、軍にいる家族に弁当を届けに来て迷ってしまった、と。そう言うそいつを、軍の出口まで案内した。途中で転んだそいつに手を差し出して、…その手を掴んだ。ふくふくとして、柔らかな手。俺の手よりも遥かに小さくて、あたたかった、その子どもの手のひら。…今でも、その手の感触を鮮明に思い出せてしまう。そのたびに、心臓が軋むように疼くというのに。
そんな風に。出逢って、たった一日で、俺の心を奪ったそいつは、…近衛兵長の妻、ってやつだった。この国の軍の中でもひと際強く、誰もが一目置くような存在である近衛兵長が、…愛してやまない存在。その姿を見たことはなくても、どれだけ近衛兵長がその『奥さま』を愛してるかっていうことは、誰だって知ってる有名な話だ。
俺が、…恋をしたのは。そんな想いを、抱きかけたのは。叶うことも敵うはずもない、そんな相手で。
…俺は、きっと、近衛兵長の。その地位でも強さでもなく、あの子どもを想う、想いの深さに、…戦うことも出来ずに、負けたんだと思う。
そんな、一年前の、失恋と呼ぶにも仄かすぎる、…想いの終わり。それでも、…恋と成る前に、終わってしまったはずの、この想いは。こうやって、思い出すように俺の心臓を軋ませては、ちりちりと疼かせる。
それを振り切るかのように、大きく頭を振って。机に置いた、紙封筒を握るように掴んだ。
「さて、行くかね」
疼く心臓を、誤魔化すように。大きな声で、誰ともなく口にして。そのまま、部屋を後にする。
今日は、軍人の家族用の官舎に住んでいる母さんに、給金を渡しに行く日だった。
元々、俺がこの国に来たのは、母さんに楽をしてもらいたいが為だ。しかも、俺の衣食住は、軍で面倒を見てもらえる。今までの生活もあって、俺が生活以外で金を使うことは、ほとんどなかったし、…そもそも娯楽としての金の使い方なんて、俺は知らない。だから、俺の給金は、ほとんど母さんに渡しているんだが。…母さんも母さんで、無駄遣いなんてする人じゃあないからな。結局、俺の渡す金は、そのほとんどを俺が持って帰る羽目になっている。おかげで、金が貯まって仕方ない。まあ、金はあるに越したことはねえからな。有難いことだ。
そんなこともあって、金以外にも物を買って、母さんのところに持っていくようにしていた。金では受け取って貰えない分、何かいいものを食わしてやりたい。そんなことを思いながら、今日もとりあえず街へと向かう。
…と言っても、俺が行くのは、街のメインである表通りなんかじゃない。そんなとこに行ったら、…人間も獣人も、俺を避けるように歩く姿を目の当たりにして、気がへこむだけだ。
そんな訳で、俺が街で向かうのは、もっぱら裏通りだった。人があまり来ない裏通りにも、店は色々ある。寧ろ、表通りの店よりも旨いんじゃないかって思うような、菓子や総菜を売ってる店も、少なくない。そんな中を、ぶらぶらと歩きながら、掘り出し物を見つけるのが、俺は好きだった。
だから、今日も。見慣れた裏通りを、半ば散歩のように歩きながら、並んでいる店を見て回る。休みのたびにこうやって歩き回っては店に寄っている所為か、俺の顔を覚えてくれる店も増えた。顏馴染み…と言ったら、おこがましいだろうか?でも、俺を見ても怯えない店が増えるのは、やっぱり有難い。
この間は焼き菓子を買っていったから、今日は総菜でも買っていこうか。そう思いながら、何気なく辺りを見回した。鼻先を、揚げ物の香ばしくいい匂いが掠めていく。…これは、芋のクロケットだろうか?そんな店はなかったような気がしたが、もしかして新しく出来たんだろうか。
一つ買ってみるか、旨かったら母さんにも買っていこう。そんなことを思いながら、その匂いにつられるように足を踏み出した時。…少し離れたところから、べしゃ、と潰れたような音がした。まるで、…誰かが転んだような、鈍い衝突音。
確かに聴こえたその音に、…心臓が、軽く引っかかれるような心地を覚えながら、ゆっくりと振り向く。そこには、…裏通りの煉瓦道に、まるで顔から突っ込んだかのようにひっくり返っている、誰かの姿があった。
道に転がるその身体は、傍から見ても、小さく、円く、ふくよかだった。多分、それほど年齢はいっていないだろう。少なくとも、俺よりは年下だ。転がるその様から見ても、身長も、そんなに高くはないに違いない。その姿に、…ますます、心臓の疼きが強くなる。顔も見えないそいつの姿は、それでも。一年前の、俺の、…恋にも満たないあの感情を、思い起こさせたから。
眼の奥に、…あの子どもの笑顔が、鮮明に思い浮かぶ。たったの数刻、一緒にいただけなのに。もう、一年以上前の出来事だというのに。手のひらにまで、あの子どもの。近衛兵長の、…『奥さま』だというあいつの。一度だけ握った、柔らかで、俺よりも小さな手の感触が蘇って。…それを振り切るように、強くこぶしを握った。それから。
「おい。大丈夫か?」
そう、声を掛けながら、その円い身体へと、…手を差し出す。一年前のあの日、俺があの子どもにそう、したように。
何故、そんなことをしたのかは、自分でも分からない。やり直しがしたかったのか、あの手の感触を忘れたかったのか。…それとも、その俺よりも背も年も小さいだろうそいつに、何かを想ったのだろうか。何も分からないままに、背を屈めて、そいつの顔の前で、差し出した手を留める。
煉瓦道の上で、潰れたように盛大に転んでいたその身体が、ゆっくりと起きあがった。いたたた、と、小さな声が、微かに聴こえて。…その声が、思っていたよりも高いことに、何故だか心臓が跳ねる。
片方の手で起き上がりながら、もう片方の手で顔を押さえる。…その手は、見るからに柔らかそうだった。また、心臓が何かを思い出すように、ちりりと疼いて。それを誤魔化すように、顔を押さえているその柔らかそうな手を、掴むように強引に取った。思った通りに、その手のひらは、俺よりも遥かに小さく。けれど、柔らかさだけを想像していたその手のひらには、…思いのほか豆が出来ていて。柔らかな中で一際目立つその硬い感触に、握ったこっちが驚いた。
「え、あ、ありがとう…」
ぽかん、とした声が、そのふっくらと円い顔から、漏れるように零れる。その目が、俺を見て怯えることを。…不安ではなく、望んでいた。ここで、本当は驚いて欲しかった。俺を見て驚いて、…そして、怯えて欲しかった。
何でだろうな?この、…一年前のあいつを思い出すような、円くふくよかな奴に、怯えられたら。怖がって、俺を避けてもらえたら。そしたら、…あいつを忘れられるような気がしたんだ。あのあたたかい手のひらを、俺を見て、…笑う顔を。あの想いすら、全部失くしたかった。だって、もう、…決して叶うことなどない想いなのだから。
だから、頼む、と。まるで祈るように、そいつを見た。どうやら、顔から矢張り転んだらしい。おでこには擦り傷、鼻の先も赤くして、ふっくらとした頬にも、擦り傷が幾つか。その顔の中で…団栗のように円い目が、俺を見つめた。あいつを思い出すようで、それでも全く違う眼差し。あいつよりも、しっかりとした眉の所為だろうか。それとも、その目があいつよりも濃い色をしているからだろうか。それとも。
…あの子どもと違う箇所を、無意識に幾つも考えてしまう、俺に。真っ直ぐに俺を見ていたその目が、唐突に崩れた。泣くのでも、怯えたのでもない。…笑ったんだ。その円い目をぎゅう、っと一気に細めて、大きく口の端を上げた、弾けるような笑顔。…あいつと同じように円い顔で。あいつと同じような、円い目なのに。その笑顔は、…まるで、夏の太陽を連想させた。まるで周りを、一気に明るくさせるような。その笑顔だけで、…俺のこころまで、眩く輝かせるような。そんな。
俺が、一方的に掴んでいた手に、…力が籠められる。ぎゅう、とあたたかなぬくもりが、俺の手を繋いだ。一年前の、あの子どもと同じように、俺を全く怖がらない目が、…俺を見つめて。弾けるように明るい笑顔が、真っ直ぐに俺に向けられる。あいつと似ているようで、…全く違う、眩い笑顔。当たり前だ、と心の隅で想った。だって、あいつは、…目の前のこいつとは、違うのだから。こいつは、…あの近衛兵長の妻では、ないのだから。
軋むように疼いていた心臓が、…大きく跳ねた。今度こそ、…今度こそ、期待をする。この心臓の高鳴りが、…このまま、膨らんでいっても、いいのかと。
人間からも獣人からも、怯え、恐れられる肉食獣人。そんな俺に、初対面で、…俺を見つめて笑ったのはこれで2人目だ。その笑顔に、目を奪われたのも、これが、2度目だ。
一度目の笑顔とは全く違う、夏の日差しのように眩い笑顔。同じように俺を怯えなくて。同じように俺に笑って。…けれどあいつとは、似て非なる、目の前のこいつ
けれど。それなら。…ああ、今度こそ。俺は、望んでもいい、のだろうか?
今、胸で微かに、けれど確かに根付いたこの想いが。…このまま、恋と成る、ことを。
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