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イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【幕間2-恋も二度目なら③】
空を見上げれば、太陽が既に夏の様相を呈していた。もう大分暑くなってきたな、と、そんな空を見遣りながら眼を細める。
あの春の初めにあいつと、…シイスと出逢ってから。もうすぐ季節がひとつ、動こうとしていた。
「最近、なにかいいことでもあったの?」
のんびりとした口調で、それでも意味深にその耳を動かしながら、母さんが言う。それに、思わず眼を丸くして、目の前の母さんを見た。俺と母さんの前で、俺が持ってきた茶葉で淹れた紅茶が、ふんわりと好い匂いを漂わせているのが、まるで他人事のように暢気だ。
「何が?」
「あんたよ。最近、ずっとにこにこしてるじゃない」
今までは母さんとこに来ても、ずーっとこんな眉してつまらなさそうにしてたのに。言いながら、母さんが自分の眉間に指をあてて、ぎゅうっと上に引き上げる。一瞬で、怒ってるんだか困ってるんだか分からないような目元になった母さんが、可笑しそうに口元を上げた。…そんな母さんに、思わず口元を手で覆う。
「…なんだよ、俺、そんな顔してたか?」
「してたわよ。だから、…あんた無理してるんじゃないかって、ずっと気になってたんだけど。でも、ここ最近はいつも楽しそうだから、…母さん、安心しちゃった」
そう言って。母さんが眉間から指を離して、嬉しそうに笑う。そんな母さんに、…どんな顔をしていいか分からず、とりあえず黙った。そんな俺に、笑ったままで母さんが、肉球で器用にカップの持ち手を摘まむ。この街で買ったというカップは、当たり前だが人間用だ。『持ち手に指を入れたくても、肉球と獣毛で入らないのが不便だねえ』、なんて言いながら、それでもそのカップは母さんの気に入りらしい。今も、ゆっくりした動作で紅茶を飲むと、満足そうに母さんがその目を細めた。
「この紅茶も、すごく美味しいし。…でも、あんたの趣味じゃないでしょ。あんたが紅茶葉持ってくるなんて、母さん驚いちゃったわよ」
「え、なんでわかるんだ?」
「分かるわよー。母さん、あんたの母親だもの」
今度は、両手でカップを包むように持ち替えながら、母さんがまた笑う。その言葉に、…何故だか照れ臭くなりながら、俺も紅茶の入ったカップを、持ち手は使わず直接掴んだ。
この紅茶は、あいつが…シイスが選んでくれたものだ。いつも、俺が母さんにと買って行くのは、食べ物が多かったから。と言うか、茶葉を手土産に持っていくなんて、考えもしなかった。そもそも前にいた国では、俺たちが飲んでいたものはいつも水ばかりで、紅茶なんて飲んだこともなかったから。紅茶と言うものが俺にとっては身近じゃない、と言うのが正しいだろうか。
それでも、こっちに来てから、母さんが紅茶用のカップを買うほどに紅茶を好んでいる、ということくらいは俺にも分かった。それをこの間、シイスの家がやっている店に行ったとき、…なんとなくあいつに話し。その途端、あいつがあの円い目を更に円くして、目を輝かせて。『それなら、すごくいい茶葉があるんだよ!今から買いに行こうよ!そこの紅茶、すっごく美味いんだよ!』と、両手で俺の手を抱き込むようにして、ほとんど引っ張る勢いで、その店へと連れていかれた。
その時のことを思い返して、自然と緩む口元をさりげなく押さえる。…全く、あいつの勢いときたら。この俺の、周りの誰もが怯える、…黒豹なんて言う肉食獣人の俺の腕を、お構いなしに掴んで引っ張るとか。アイツ以外の他の誰もしねえし、出来ねえだろ。俺の腕を抱き込んで引くあいつの、豆がありつつも厚く柔らかい手のひらや、同じように柔らかくふくふくとした二の腕の感触が、腕にありありと思い出されるようだ。俺を、…こんな俺なんかを嬉しそうに見上げて笑う、弾けるように明るいアイツの笑顔も。
「なに、…もしかして、いいひとでもできたの?」
俺は今、どんな顔をしていたのか。それを見て、母さんはどう思ったのか。俺を見て、にやり、と擬音でも聞こえそうに眼を細めながら、母さんが言う。…その言葉に、口に含んだ紅茶を吹き出しかけた。
「は、は、はぁ!?」
「なんだ、違うの?てっきりそうなんだと思って、母さん期待してたのに」
思ってもない言葉に、動揺も何も押し隠せない。持っていたカップを乱雑にソーサーに置いてしまって、かちゃん、とカップが高い音を立てた。…割れてねえだろうな、と、頭の隅にそんなことが過ぎる。
いつもなら、そんな俺の行動に、『あんた、もっとカップは丁寧に扱いなさい!』と注意してくる俺の母親は、…それでも、今は俺の反応に気がいっているようだ。あからさまにがっかりした顔で、不満そうに少し耳を反らす。…そんな反応されてもな!
一つ咳払いをして、母さんの言葉を反芻する。いいひと。…これは、恋人とか、好きな奴とか、そういう意味だろう。いねえよ。そう口に出しかけて、…脳裏に、自然とあの円い顔が浮かんだ。俺を怖がらない、円い目と円い顔と円い身体をした、…もう見慣れてしまった、あいつの顔。こんな俺を見て、まるで弾けるように嬉しそうに笑う、…ただひとりの。一年前の、…失恋にも満たない想いすら、蹴り飛ばすようにして。あっという間に俺のなかに入ってきた、まるで夏の日差しみたいに眩しい笑顔。
口を開きかけたまま、アイツの顔を、…想い出していた俺に。母さんの顔が、不満そうなものから、嬉しそうな笑顔へと変わった。逸らされていた耳も、今やぴん、と立っている。まるで喉を鳴らしそうな顔で、母さんがその大きな猫目を細めた。
「なんだー!やっぱりいるんじゃないの!」
「ち、違えよ!いない!いないって!」
母さんの言葉を、慌てて否定する。…も、時既に遅し、というやつのようだった。俺の言葉なんて聞き流すように、にこにこと目を細めたまま、母さんが一人で何度も頷く。
「あんたが好きになったひとなら、母さん大歓迎よ」
「だから、そんな奴はいねえって!」
繰り返しても、上機嫌な母さんは、俺の言葉を全く聞いていないように流される。…寧ろ、俺が否定の言葉を繰り返せば繰り返すほど、俺の言葉からは信憑性がなくなっていってる気さえする。顔が熱いのは、俺の頭に血が上っているからだろうか、…それとも。また、あいつの笑ってる顔が鮮明に浮かんで、顔の熱が更に上がった。
そんな俺を、目を細めて見遣っていた母さんが、…唐突に話を変える。
「そうそう、…あんたが最近、よく持ってきてくれるようになったクロケット。母さん、あれ大好きよ。絶品よね」
「!そうだろ!そうだろ、滅茶苦茶旨いだろ!」
漸く話が逸れたことにも安堵したが、それ以上にあのクロケットを褒められたことに、俺の思考は反応した。あいつの家がやってる揚げ物屋は、贔屓目なしに旨い。あいつに出逢った時点では、店を開いてまだ二、三ヶ月だというような話をしていたから、今は半年ほどだろうか。それでも、もう常連が通ってくるような、裏通りでは人気の店になっていた。…勿論、俺も常連の一人だ。
ここ最近の休日は、あいつの店に行って、あいつや、あいつの家族と他愛もない話をする。小さくて狭い店だが、店内には軽く休めるような、丸太の長椅子がひとつ置いてあるから。そこに座って、買ったばかりのクロケットを一つ摘まんでは、シイスやその両親、…おじさん、おばさんと話をするのが、今の俺の習慣になっていた。
『おじさん』『おばさん』。シイスの親を、そう呼ぶのにも、…少しは慣れた。今まで、母さん以外に親しく話す奴なんて、誰もいなかった俺に、…そんな風に呼べる相手が出来るとは。そんなことを思って、小さく笑う。不思議なことに、…アイツの親も、俺を見て怖がらなかった。この国の人間だって、市井に生まれて普通に生きてれば、関わりなんて持つことのない『獣人』。その上、ほとんど獣人しかいない軍の中でも珍しい『肉食獣人』の俺。それ、なのに。
あの日、シイスと初めて逢った日に、あいつを負んぶして店へと連れて行ったとき。俺と、初めて逢う筈のおじさんもおばさんも、俺を見て、…怖がりも、驚くことさえしなかった。
『まあ!まあまああらまあ、あんたどうしたの!』
『転んだー!それで、このお兄さんが助けてくれたんだ!ハンデット、っていうんだよ』
『…そうか。そりゃあ、うちの愚息が迷惑かけたなあ』
『ほんとごめんねえ!うちの子円いから、すぐに転ぶのよぉ。お礼に何か食べていって頂戴な』
今でも覚えてる。これが、…あの店に初めて行った時の、あの家族の会話だ。円くて屈託のない、ともすれば何の危機感もなく無防備なアイツと。一目で、シイスは母親似なんだろうな、と分かるほどに、アイツによく似た体型と顔をした、朗らかでおおらかそうなアイツの母親と。そんな見るからに懐こそうな外見の、見た目も雰囲気も丸い二人に対して、強面の顔にがっしりとした体型の父親。
そんな家族の光景に、戸惑ってしまった俺に。背中から下ろしたシイスが俺の腕をまた、掴んで。早く早く、と急かすように俺の腕を引いて、店のなかに連れていかれた。
…初めてだった。あんな風に、何の畏怖もなく、迎え入れられたのは。俺の姿を驚きも怖がりもせずに、そのまま受け入れられたことも。
そこで、クロケットを山ほど御馳走してもらった上に、お土産だとやっぱり山ほどのクロケットを持たせられて。『また来てね!』と、弾けるように明るい笑顔のアイツに見送られて、店を後にした。その時からだ。俺が、休日にはアイツの店に向かうようになったのも。母さんへの土産に、アイツの店で買ったものを持っていくようになったのも。
まだ、思い出と呼ぶには新しすぎる、そんな出来事を思い返して。母さんの話を聞きながら、思わず口元を緩ませてしまう。そんな俺に、…また、母さんがにやり、とでも音のしそうな笑顔を浮かべて、目を細めた。
「もしかして、そこのお店の売り子さんとか?あんたが好きな子」
「あー!しつけえぞ母さん!今日はもう行くわ!また来る!」
そのまま、またも嬉しそうに聞かれた言葉に。慌てて大声でそう怒鳴りながら、わざとらしく音を立てて立ち上がる。いつもなら、俺のそんな行動にも、『もっと静かに立ちなさい!』って注意してくる母さんは。…今は、やっぱり嬉しそうにめを細めたまま、はいはい、と頷くだけで。
…そんな母さんに、俺は、面映ゆいような、居心地の悪いような、…照れくさいような。そんな心地になりながら、手を振って、母さんの今住んでいる家を後にした。
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俺が。母さんの家以外で行く場所なんて、アイツの店しかないのだが。今日は、…先に、普段はあまり寄らねえ表通りに足を向けた。目的地は、カフェも兼ねてるような洋菓子屋だ。…ああいう店は、裏通りにはないからな。もっと庶民的で、安い菓子を売ってる店はあるけど。俺も母さんも、甘いものはそんなに好きじゃねえから、普段はそういう安い菓子でも充分だし、だからそんな立派な洋菓子屋なんて、初めて寄った。
心底場違いと思うような、洒落た内装と。俺を見て明らかに怯えている店員に、気まずくなりながらも。…そこに並んでいるケーキを、とりあえず全種類買う。きっと、アイツなら一人でも全部食えるだろう。もう見慣れた、と言っていいほどに、逢うようになった暢気に円い、明るい顔が。このケーキを見て、ますます明るく、嬉しそうに笑う顔を思い描きながら、小さく笑う。
…いや別に、アイツが喜ぶ顔が見たいから、ケーキを買った訳じゃねえ!これは、アイツが母さんへの土産に紅茶を教えてくれたから、その礼だ!ただそんだけだ!
一体誰に言い訳してるのか。そんなことを、脳内で誰にともなく口にしながら、やたらとでかくなってしまったケーキの箱を両手で持って、店を出る。
さて、アイツの店に向かうか、と。一歩踏み出した歩調は大きく。…自分でも分かるほどに、その足取りは軽く、速かった。
「いらっしゃいハンデット!お母さんはどうだった?」
「おう、今日も元気だったよ。お前が選んでくれた紅茶、やたら喜んでたぜ。あんがとな」
「ほんと!?よかった~!あそこの紅茶美味しいから、絶対好きになってくれると思ったんだ~」
表通りから裏通りへと入って、それからほど近い揚げ物屋。それが、コイツの家がやっている揚げ物屋だ。
最早勝手知ったるように、その店に顔を覗かせれば。俺の姿が見えたのか、にこにこと笑いながら、俺のほうに丸い身体が駆け寄ってくる。それに、俺も笑い返しながら、いつも腰かけている丸太の長椅子に今日も座る。
シイスんちの店は、対面式の揚げ物屋だ。奥のほうが調理場だろうか、厚そうで長い布で仕切られた其処はこっちからは伺えない。そこで最後まで揚げてから、こっちに持ってきて並べているらしい。今も、いろんな味のクロケットや魚のフライとフレンチフライが、揚げたてらしく湯気すら立てて並んでいる。その香ばしくいい匂いに、知らず鼻が小さく動いた。
「あ、今日は何食べる?今日の俺のお勧めはねえ、じゃがいものクロケットだよ!」
「お前のお勧めはいつもそうじゃねえか」
軽口をたたきながら、手に持っていたケーキの箱を、押し付けるようにしてシイスへと差し出した。あまり馴染みがないように、その白色の箱を見て、シイスが円い目を更に円くして、俺を見上げた。なにこれ?とその柔らかそうな口が動く前に、俺のほうから口を開いた。
「…あの紅茶の礼。表通りの洋菓子屋のケーキだ。まあ、よかったら食えよ」
意識すると、いつも以上にぶっきらぼうになるのは、未だに直らない…と言うか、直せない。今も、まるで投げるような口調になってしまった俺の言葉に。けれど、そんなことにも気づいていないように、円い目を輝かせて、シイスが俺を見てぎゅう、とその目を細めた。
「いいの!?ありがとーハンデット!」
弾むような声でそう言うや否や、もう離すまい、ともで言うように。ぎゅう、と胸に押し付けるように、シイスがケーキの箱を抱きしめる。ふっくらと厚い胸に、減り込むようにケーキの箱が食い込んで、その肉がふにゅりとはみ出て撓んだ。…一その白色の箱が羨ましい。と、一瞬でもそんなことが脳裏を過ぎってしまって、慌てて頭を振って、その思考を追い払う。って、一体俺は何考えてんだ!
「あらー、ハンデットちゃん!いらっしゃい」
「あ、どうも…おばさん」
そんな挙動不審な俺と、ケーキに浮かれるシイスに。奥から、シイスによく似て丸い姿がもう一人出て来て、俺に声を掛けてくる。その声に、天の助けとばかりにそっちを向いて、姿勢を正した。そんな俺に、俺に声を掛けてきた張本人…シイスの母さんが、可笑しそうに声を上げて笑った。俺を『ちゃん』で呼ぶ誰かなんて、幼い頃から考えても、母さんに呼ばれたくらいしか思い出せない。それが、この年になって呼ばれるとは。…なんだか、照れる。
「なぁに、そんなに畏まって!シイスと同じくらいに私にも気安くして頂戴な」
「母ちゃん!もう、ハンデットが困ってるじゃん!あとハンデットを『ちゃん』って呼ぶなよ!」
「おや、だってあんたと2つしか違わないんだろ?なら『ちゃん』でもいいじゃないか。でもハンデットちゃんがまだ19歳とはねえ!もっと大人っぽく見えるよねえ!あんたも見習いなよ、全くあんたときたら、まだ10歳ほどにしか見えないってみんなから言われてるよ!」
「い、いいだろ別に!俺はこれからもっと大人っぽくなるんだよ!」
2人が揃うと、一気に辺りが賑やかになる。その会話を聞きながら、こっそりと笑いを噛み殺した。…いやでも、コイツが俺と二つしか違わねえとは!俺よりも大分年下かと思ったんだが、やっぱり俺は見る目がねえのか。いや、でもさっきみんなから10歳にしか見えないっておばさんに言われてたし、やっぱりほかの奴から見ても、大分子供に見えるんだな。そんなことを思いつつ、頬を膨らませて反論しているシイスをこっそり見遣った。…やっぱりその顔は、少なくとも十代前半の子どもにしか見えない。でも、…それでも俺は、そんなコイツを、…可愛いと想った。無理に大人っぽくなる必要なんて、ないだろうと思うほどに。
「あ、そうだ!ハンデットがこれくれたよ。ケーキだって!」
「あら~!そんな、おもたせなんて気を使わなくていいのよぉ!」
「違うよ!俺が、ハンデットにいい紅茶のお店を教えてあげたから、そのお礼なんだってば!このケーキは俺のおかげだよ!?」
俺にも感謝してよね、と、シイスがその厚い胸を大きく反らした。きっとこういうところが子どもっぽいと言われるんだろう。でも、俺は、コイツのそんなところが、…嫌いじゃない。感情が駄々漏れで、嘘が吐けない…と言うよりも、吐くような頭が無くて、馬鹿正直で、お人好しで。そんな奴だから、俺は、…コイツの傍にいるのが、心地好いんだろう。きっと、こんなにも。
笑いながら、そんなことを密かに想って。…今度はその思考を、打ち消すことなく飲み込んだ。口になんて、出す気はねえ。けど、きっと、…こうやって、想うくらいはいい、だろう。そう、…久方ぶりに、素直に自分の想いを素直に受け止める。そうすると、こころが軽やかに跳ねるのが、自分で分かった。そうだ、きっと、…このくらいは。こうやって傍にいて、コイツを想うくらいは。俺にだって、許されてるさ。
「なんだ、賑やかだと思ったらあんたが来てたのか」
「あ、お邪魔してます」
「お邪魔してますってなんだい。こっちがいらっしゃいませ、だろ」
賑やかに言い合う2人を見ながら、そんなことを想っている俺に。…またも奥のほうから、少し小柄でガタイのいい人影が出てきて、俺に声を掛けてくる。その声に、俺も再度姿勢を正して、その声に言葉を返した。…どうしても、おじさんやおばさんに急に声を掛けられると、反射で畏まってしまう。そんな俺に、その強面の相好を少し崩して、おじさんが笑った。
おじさん…シイスの父さんは、ぱっと見は漁師か樵でもやっていそうな雰囲気だが、ここに来る前も食堂で働いてたんだそうだ。シイスが変わった名前だから、また別の国から来たのかと思っていたが。聞けば、この国の、国境い辺りにある小さな村から来たらしい。それでも、この国もそこそこ広いからな。国境いの村と言えば、例えば馬車を休まず走らせても、3日か4日はかかるだろう。しかも、そんないい馬車なんて貴族やそれに相応した身分の者しかもっていない。市井の人間や、軍人でも俺みたいな下級兵には縁遠いものだ。…まあ一応、下級兵でも身分だけは伯爵と同等なんだけどな。給金もいいし。ただ、一人に一台、馬車が支給されるなんて訳はない。そんな風に馬車が支給されるのは、軍でもかなり階位が上の上官たちだけだ。
「丁度ひき肉のやつが揚がったよ。一つどうだい」
「あ、いただきます!」
言いながら、財布を出そうと軍服のポケットを探る、そんな俺の手を、無骨ながらも繊細な料理人の指が、軽く制した。
「ああ、いい、いい。コイツがいつも世話になってるからな。あんたから金はもらえねえよ。食っとけ」
言いながら、シイスの父さんがシイスの頭をたたくように撫ぜて、小さく笑う。まるで幼い子供にやるような行為に、『父ちゃんまで子ども扱いするー!』と、シイスが少し拗ねたように。…それでもどこか嬉しそうに、はにかんで父親を見た。…俺とは縁遠かった、家族の光景。
それを、…眺めるよりは強い眼で、…見遣りながら。ゆっくりと、貰ったクロケットを一口、齧った。まるでハンバーグのように、ひき肉や玉ねぎがたっぷりと詰められているそれは、贔屓目なしに旨い。俺が肉が好きだから、猶更だろうか。もごもごと口を動かして、それを味わうように噛みしめながら、…尚も、目の前の『家族』を見遣った。
今、俺の胸に去来するこの想いは、…なんなんだろうか。憧憬?羨望?…俺には到底手の届かない、二度と訪れない、『父親』と『母親』と『子ども』の姿。…心臓が、微かに、けれど確かに締め付けられるように疼いた。
「ここに来て、店開いてから半年くらいになるけどさ。もともとコイツぁ人懐っこい奴だけど、…あんた来てから、コイツはあんたの話ばっかしてるよ」
「へ」
そんな、柄にもなく感傷的になっていた、俺に。何気ない口調で、おじさんがそう、口にした。それに、…俺の口からは間の抜けた声が出て、シイスが真っ赤になって俺たちの間に割って入る。
「ち、ちょっと父ちゃん!俺、そんなハンデットの話ばっかなんてしてないだろ!」
「してるだろ。これはあいつが好きそうだの、今度来たらこんな話するんだだの、飯のたびにそんな話ばっかしてるじゃねえか」
「そうだよ!あんた、次はいつ来るかいつ来るかって毎日のように言ってるじゃない。前なんて、店番より買い出しの方が好きだったのに、今はなるべく店にいたがるし。ハンデットちゃんのこと待ってたんだろ?」
顔を真っ赤にして、シイスが怒鳴る。それを意にも介さずにおじさんが言葉を続けて。それに、おばさんも参入して、言葉を引き継ぐように話を続けた。…なんとかして口を挟みたそうに、口を開きながらそれを聞いてるシイスの顔は、今にも爆ぜそうなほどに真っ赤だ。かく言う俺も、黒色の獣毛の下は、暑いくらいに熱い。手のひらの肉球にまで、じんわりと汗が滲むほどだ。ああ、俺には獣毛があってよかった!多分、それが無かったら、…俺の顔は、シイス以上に赤くなっているに違いない。
「だっ、だからそれはっ」
「なんだい、別に照れるようなことでもないだろ。あんたがハンデットちゃんのこと好きなんて、ばればれじゃないか。それこそみんな知ってるよ!ねえ、ハンデットちゃん」
…まるで、さも当然のように、朗らかな口調。けれどその一言に、…俺の心臓が、それこそ爆ぜそうなほどに高鳴った。『好き』なんて言葉が、ここまで威力を以て俺のなかに響くとは!
心臓の音で、おばさんの声すら聴きとりづらい。俺が、その何気ない言葉に、これだけ心臓を高鳴らせていることになど、何も気づかないように。いつもと同じに朗らかな笑顔で、おばさんが俺を見た。その隣では、シイスが茹蛸のような顔で、円い目を更に丸くして、俺を凝視している。…いや、茹蛸よりも赤い風船だろうか。柔らかそうで、でもつついたら割れそうな頬が、特に。
そんなことを思いながらも、…俺の皮膚も、更に熱い。もう、獣毛に覆われていても隠せていないほどに、俺の顔は赤いんじゃないだろうか。心臓の音も煩いが、俺の息遣いも更に煩い。
ただ、お互い真っ赤になって。凝視するように見つめ合う、俺とシイス。そんな俺たちに、小さく笑う声が聞こえて。
「まあ、そんなわけだからさ。…これからも、コイツのこと頼むよ。な」
そう言って、…おじさんが、俺へと手を伸ばした。それが何を意味するかも分からずに、無意識に屈んでしまう。そんな俺に、…その武骨な指が、俺の頭を撫ぜた。さっき、シイスにしていたように。まるで、子供にするように。
生まれてから、…一度も享受したことのなかった、『父親』の手。それが、…俺にも与えられた気がして。思わず、正しく子どものように、眼を瞑る。そうすると、肖像画でしかみたことのなかった俺の親父が、…まるで目の前にいるような。俺の頭を今撫ぜているのが、俺の親父のような。そんな、変な気持ちになった。胸がむず痒いような、照れくさいような、…切ないような。そんな、ごちゃまぜで変な気持ち。
「そうだよ、もうあんたはこの家の子どもみたいなもんなんだからさ。もっと気安くおいでよ!この子も待ってるし!」
ばぁん!と。声と同時に背中を勢いよく叩かれて、瞑った眼を見開きながら、軽く咽た。…おばさんの一撃は、何気ないようでなかなか重い。じんじんと余韻のように痛む背中を、気づかれないように伸ばしながら、それでも知らずと口角が上がった。こう笑うと、…俺の口からは、鋭く伸びた牙が覗く。いつもなら、それだけで…周りの奴らがみんな怯えて遠ざかるような、俺の顔。でも、…今この場では、誰もそんなこと気にしない。周りを見回しても、…この3人は、笑う俺を、同じように笑ってみていて。それから。
「…っそ、そうだよ!俺、…いつでも待ってるからさ!」
おばさんの隣で、真っ赤になっていたシイスが。俺の傍へと、大きく一歩、寄ってくる。その手がいつも通りに、…全く躊躇いのない仕草で、俺の腕を掴んで。
そう言って、…弾けるように、大きく笑った。まるで夏の日差しを想わせるような、眩しくて、明るい笑顔。…ああ、と思う。そうか、俺は。…俺のなかを、照らしてくれるような。…そんな、コイツの煌めくような笑顔に、きっと惹かれたんだろう。そんな、…夏の太陽を想わせるような、その笑顔に。
気づけば、…俺の腕を掴むその柔らかい手に、俺も、手を重ねていた。汗ばんだ肉球が、コイツの手の上でざらり、と滑る。それを防ぐために、…いや、違う。俺が、コイツの手を離したくないから。だから、その手に力を込めて。…おじさんとおばさんに、向き直る、
「若輩者ですが、これからも、どうぞ宜しくお願い致します!」
我ながら、声を張って告げたその言葉は。…まるで、婿入り宣言のようだった、と。これから後に、…義母さんとなるおばさんに、笑って言われた。
もう少しして、夏になったら。…コイツに、太陽代わりの向日葵でも、持って来てやろうか。
それを渡した時に、コイツが。…どんな顔で、俺に向かって笑うのか。それを想像して、この先が。…これから先の未来、ってやつが。どうしようも、なく楽しみになった。
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