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イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【番外編:平行世界の2人のはなし。】
「初めまして、どうぞよろしくお願いします!」
緊張のあまり、上げた声が裏返った。
そのままの勢いで。ベッドの上で、深々と正座して、指をついて頭を下げる。俺のそんな行動にか、俺の真向かいで、少しだけ面食らったような気配がして。
「…初めまして」
少し低い声と共に、ぎし、っとベッドが揺れる。その感触に、少しだけ顔を上げて、正面を見遣れば。
…黒い毛並も艶やかな、狼獣人だと言う、目の前の彼が。俺と同じように、正座をして頭を下げていた。
俺と、彼は。今日、と言うか今、初めて出逢って。…それから、初めて同衾する。
人間の世界と獣の世界。決して交わることがない、と言われていた世界が交わったのは、百年程前…らしい。
百年、っていうと身近な気もするけど。人間だけだった世界のことを、直に知っているひとは、もうほとんどいない。それでいて、獣人がどうして誕生したのか、それを正確に知っている誰かも、もういない。そんな、近くて遠い過去の歴史。
だから、どういうことかは分からないけど。獣人は、お互いの性別に関係なく、相手を妊孕させられる…んだそうだ。獣人の精液や愛液には、人間の身体のつくりを替えさせる能力があるんだって。だから、相手が獣人なら、同性同士でも子どもをつくることができる。産まれる子供が獣人か人間かは、どっちの血を濃く継ぐかで決まるけど。
俺が産まれたときには、数の多少はありながらも人間と獣人が共存していた。国家の重要なポジションにも獣人が就いているし、軍事関係の上位はほとんど獣人だ。人間の知能と、獣の身体能力。それを併せ持った獣人は、人間よりも数段強い。それに目を付けた各国家が、獣人を戦力として迎え入れたらしい。
そんなふうに、大体の人間は、獣人を共に暮らす仲間として認めている。けれど、権力があればあるほど、獣人を認めてない…言ってしまえば見下している人間がいるのも、また事実で。
『獣人を、人間よりも劣るものとして見下してるくせに、その力だけは欲しい』。俺の母親も、そういう思考の持ち主だ。母親と言っても、義理だけど。
俺の家は、末席ながらも貴族に名を連ねている。俺の実父と実母は、それで満足と言うひとだった。…けれど、実母が亡くなって、父の後妻となった今の母親は、それで満足するひとじゃなかった。もっと、上へあがりたいという、上昇意識の強いひとだった。
それに引き摺られるように、父もそう言う思考を強めていった。けれど、末席貴族が上へあがる方法なんて、そうそう無い。その数少ない方法のなかで、一番簡単なもの。それが、政略結婚だ。上級貴族や上位の軍事関係者や、王族と近しい誰かと子どもたちを結婚させて、縁を繋ぐこと。そして、その貴族の子をもうけて、その子にあとを継がせることができれば、嫁がせた側の地位も盤石だ。俺の両親は、当たり前のようにその道を選んだ。
俺のあとに生まれた異母妹、父と義母の実の娘たちも、両親が決めた相手のもとに嫁いでいった。伯爵や侯爵と言う、身分だけは立派で。けれど地位以外は、年齢も性格も考慮されてない相手。
実の娘ですら、道具と思ってなかった俺の親。母親にとっては血の繋がってない先妻の息子の俺なんて、それ以下だ。そんな俺にも、勿論相手は用意された。義母が最も見下している、獣人と言う相手。流石に自分の娘には、見下してる相手を宛がいたくはなかったなんだろう。けれど、軍事と繋がりたいなら、獣人は避けられない。だから、最もどうでもいい息子に。…きっと、そう言うことだ。
とはいっても、俺自身は獣人が普通に好きだ。人間と獣人は対等だと思ってるし、王族のパレードとかで、貴人を護って周囲を歩くその姿は、とても格好良いと思ってる。現に、…今、俺の目の前にいるその方は、とても格好良かった。凛々しくて、毅然としていて、立ち振る舞いも堂々としていて。その姿には、さすが軍人だなあ、って感嘆してしまう。
だから、俺は、獣人のもとに、…彼の元に嫁ぐこと自体は、全然いやなんかじゃない。寧ろ、…嬉しかったり、する。今だって、密かに心臓が高鳴って、…けれど、そのたびに一筋の不安が俺のこころを沈ませた。
だって、俺がいいとしたって、…彼はどうだろう?俺の方が、顔は十人並みだし能力は平凡だし性格も地味で、その上体型は丸い。…政略結婚じゃなかったら、俺なんかと結婚したいと思う誰かは、人間獣人問わずいないんじゃないだろうか。政略結婚なら、結婚するその日まで、顔も名前も知らないって言うのは割と普通だから。…今の、俺と彼、みたいに。
大丈夫なんだろうか。今から、やっぱり断られるんじゃないだろうか。いや、でも政略結婚なんだから、俺自身がどうこうじゃなくて、俺の家と繋がることに、何かしらの意味があるんだろう。俺の異母妹たちが、名のある伯爵や侯爵のもとへ嫁いだことで、俺の家は急激に力をつけているらしいから。
そんなことを、不安への言い訳のように取り留めもなく思いながら、目の前の相手を見詰めた。艶やかな黒色の獣毛が、傍らの灯りを薄っすらと反射している。
彼は、軍人だとだけ聞いていた。若くして、なにかしらの地位に在るんだとか。それが、どんな階級にあたるのかまでは教えてもらってないけど。階位を戴いている軍人、ってだけでよかったんだろうな。俺の親は。
本当に、せめて、彼の名前くらい教えて欲しかった。そんなもの直接聞けって言われるんだろうけど。…こんな、出逢って三秒で初夜、みたいな状況で聞けとか!どうやって!そんな雰囲気知らないよ!
大丈夫なのかな。この方は、…俺相手でその、勃つ、んだろうか。ずっと考えていたそんな思考が頭をまたも巡って、ずん、と気が沈んだ。…こんな俺が相手じゃ、無理かもしれない。いやでもそしたら、名目上の嫁入りってことでもいいのかな?いやでも、やっぱり政略結婚と言えど、いや、だからこそ、子をつくるというのが何よりも重要なんだって母親からも言われてるから、…やっぱりしないと駄目だ。いやでも、俺相手にその気になるかって言ったら、やっぱり無理じゃないの!?
不安を打ち消しては、また同じ不安が頭をもたげてそれをなんとか打ち消す。俺の脳内はそんな思考の繰り返しで埋まってしまう。そんな俺をどう思っているのか、目の前で俺を見ている、その綺麗なかたちをした四白眼からは、感情が読み取れなかった。
…でも、本当に格好良い方だなあ。頭の中で繰り返す思考とは別に、片隅で彼の顔に思わず見惚れた。艶やかで、見るからにふかふかそうな、漆黒とも言えるほどに鮮やかな黒色の獣毛。鋭くもかたちの良い琥珀色の眼のなかに、四白眼気味の黒目。ぴん、と立っている耳は、右耳の付け根のあたりが少しだけ切れていた。…痛くないのかな、って少しだけ思う。
あまり感情を表に出すことがない方なのか。それとも、…やっぱり俺との同衾を、どうとも思ってはいないのか。やっぱり感情の読み取れない顔のまま、…その手が俺へと伸びた。ざらり、とした指の感触に、一瞬戸惑う。少しだけあったかくて、硬くて、ざらざらと荒い指の表面。…そうか、獣人だから肉球があるのか。それに思い当って、安堵のように納得しながら。…何故だかこの方が獣人だということを、一層強く意識した。
彼の顔が、躊躇いもなく俺に近づく。あ、と思って、反射でぎゅう、と目を閉じた。…これで、キスをするのじゃなかったら、すごく恥ずかしい。というか、キスするときは目を瞑るのでいいんだよね?こういうことは全く経験がない上に、誰に習う話でもないから、全く分からない。心臓はどきどきと煩いくらいなのに、思考は不安でいっぱい過ぎて、申し訳なさに泣きたくなる。
重ねられる、と思っていた口を、ぺろり、と舐められて、驚いて目を開いた。きつく瞑りすぎていた所為かぼやける視界に、綺麗なその琥珀色の眼を少し細める彼の顔が、大きく映る。わあ、と思わず声を出しかけて開いた口に、…今度こそ、彼の口が重なった。そのまま、口のなかに彼の舌が滑るように入ってくる。俺の短くて厚い舌とは逆の、薄くて長い舌の感触。所在なく縮こまっていた舌を彼の舌で絡めとられて、ちゅう、と吸われた。彼の舌で、扱くように舌を吸われると、頭の中がふわふわしてくる。未だに申し訳ないような不安は消えない、けれど、…さっきよりも、その不安は僅かに、けれど確かに小さくなっていた。
ぽすん、と、俺の背中で少ししっかりとした柔らかさが弾む。薄く滲んだ視界に、間近の距離にある彼の顔と、高い天井が映った。…ああ、今俺はベッドに寝転がっているのか。そんなことを、頭の隅で納得するように思う。
彼の手が、服の上から、這うように俺の身体を撫ぜていく。…あ、そういえば服は着てるんだ。まさか全裸で初めましてのご挨拶は無いだろうと思って、俺は服を着たままだった。勿論彼も、ちゃんと服を着て、最初に正座した俺に付き合ってくれた。
そうだ、一体いつ服を脱げばいいんだろう?あ、でもその、…挿れるだけなら、上半身は服を着たままでもいいのかな?そしたら、このまま直ぐに挿れるのかな。…痛いのかな、痛いのはやだな。あ、でもその前に彼が勃つんだろうか。堂々巡りのように、不安な思考は最初へと戻っていく。
その間にも、彼の手は俺の身体を巡って、…するり、と服の下へと入ってくる。ざらざらと硬い肉球で、厚くて柔らかい肉を撫ぜられて、背筋が震えた。ひえ、って声が喉奥で漏れて、慌てて飲み込む。彼の顔が覗き込むように俺を見遣った。相変わらず感情の見えない、けれど吸い込まれそうに綺麗な琥珀色の眼。その眼に見つめられて、…何故か、何か言わなければと言う思いに駆られた。何を言うかも決まらないまま、更に慌てて、口を開く。
「あ、え、えっと、…俺はフラフィーですっ!」
「…ああ、知っている」
勢い込んで口にした言葉は、今更ながらの自己紹介になった。そんな俺に、まるで当たり前のように。逆に、何故そんなことを言うのかと、不思議そうな響きすら漂わせながら、彼が頷く。それに驚いて、目を円くして彼を見遣った。…え、俺の名前知ってたの!?母様はこの方には俺の名前教えてたの!?じゃあ何で俺には彼の名前を教えてくれないのさ!そんなことを内心で叫びながら、彼を見つめた。
…それじゃ、彼は、俺も彼の名前を知ってると思っているんじゃないだろうか?どうしよう、知らないなんて言いづらい!ていうかそれは失礼なんじゃないだろうか?ぐるぐると、そんなことが頭の中に巡っては消えていく。
そんな俺の思考に、気づいてくれたのだろうか。彼が、ああ、とでも言いたげに俺を見つめて、少しだけ眼を細めた。感情が見えない、と思っていた彼のその眼に、…何かの感情が見えた気がして。どきん、って心臓が一つ、大きく跳ねた。
「俺はリジットだ」
簡潔な言葉で、彼がそう名前を教えてくれる。短い言葉、けれど素っ気なくは聞こえなかった。俺みたいに緊張してる、って言うんじゃなくて、きっと、これが彼の素なんだろう。もしかして軍人だから、簡潔な物言いが身についているのかもしれない。
そんなことを思いながら、その硬くて低い声色を頭の中で反芻した。リジット、って、彼の名前を、こころのなかで繰り返して、…それだけで、心臓が疼くようにとくとくと弾む。さっきから、ずっと知りたかった、彼の名前。…ああ、名前まで格好良いなあ。そんなことを想いながら、口元が軽く緩む。
ひとりでにやけているだろう俺を、どう思ったのか。…リジットさん、が、また、軽く眼を細めた。…やっぱり、今、彼が何を思っているのかは俺には見えない。けれど、…そうやって、彼に眼を細めて見つめられると、何故だか浮かれるように、心臓が大きく、高く跳ねあがった。
そんな自分が恥ずかしくて、ぎゅう、と目を瞑る。真っ暗なはずの視界で、彼の指の動きに合わせて、目の奥がちかちかと瞬いていた。目を瞑ると一層、俺の身体を這う彼の指を鮮明に感じてしまって、心臓が爆ぜるほどにどきどきと高鳴る。
そのまま、彼の指が、…俺の乳首をつん、とつついて、思わず声が漏れそうになった。更にきつく目を瞑って、その声を何とか飲み込む。そんな俺を知ってか知らずか、リジットさんの指が、…俺の乳首をゆっく
りとその肉球でなぞりあげた。それだけで、背筋がぞくぞくってして、乳首がくすぐったくて、じっとしていられない。
このままだと、変な声が口から出てしまう、そう思って、何かを喋ろうと、…口を開いた。
「あ、あの、ごめんなさいっ」
「…何がだ?」
よく回っていない頭では、気の利いた言葉なんて出てこない。俺の口から出てきたのは、…今までの不安を形にしたような、謝罪だった。自分でも、口から出てきた言葉に驚いたくらいだ、いきなり謝られた彼には、意味が分からないだろう。不思議そうな声色でそう問い返されて、一瞬言葉に詰まる。けれど、その間にも、彼の指の、ざらざらと荒くて硬い肉球で、乳首を擦るように撫ぜられて。段々と膨らんで大きく勃ち上がっていく乳首に、更に頭が蕩けていく。
「あのっ、…何か、俺みたいなのが相手で…っ」
とろとろに蕩けていく頭では、言葉の制御ができなかった。結果として、この夜の最初からずっと抱えていた不安が、言葉となって零れてしまう。だって、…自分でも、そんなに容姿が良くないことなんて、分かってるんだ。何と言っても丸いし、顔だって地味だろうし。こんな、凛々しくて格好良い方の相手なんて、…本当なら、俺が務めていいはずがない。俺が、彼のお嫁さんになんてなれるはずがない。
それを知ってるから、ずっと不安だった。俺なんかが相手でごめんなさい、ってずっと思ってた。
そんな俺の言葉に、一瞬彼が眼を見開いて、…それから不思議そうに、眼を眇める。いや、不思議そう?と言うか、怪訝そうというか、…なんだろう。それよりも、もっと強くて、なにかが込められたような眼。
「聞いていないのか?」
「ひゃぁっ!」
声と同時に、ぱんぱんに膨らんでいた乳首をぎゅ、っと捻られて、返事の代わりに甲高い声が出てしまった。まるで全身に電気が走るみたいな、強い衝動。…これが何かなんて、俺には分からない。でも、乳首から、…下半身にまで電気が流れるようで、足が勝手に動いてしまう。
「あ、な、なにをれす、かっ?」
乳首をころころと、肉球に挟まれて転がされると。そこからくすぐったいような、ぴりぴりと背筋が痺れるような、そんな感覚が全身に回るようで、息が弾んで口が回らない。とろとろと頭が蕩けていくようで、思考もうまくまとまらなくなってきた。もじもじと、太腿が勝手に擦りあって、腰が動く。
そんな俺に、更に彼が、強い眼差しで眼を眇める。俺の目を覗き込むように顔が近づけられて、…射るような鋭い眼光が、俺を射抜いた。
「俺が、お前を妻に欲しいと、娶りたいと申し出たんだ。お前の両親は二つ返事で受けてくれたが、…お前は知らなかったのか?」
俺を強い眼で見つめたまま。…彼が口にした言葉は、俺の思ってもなかったこと過ぎて、…一瞬、意味がつかめなかった。
彼の言葉を、彼の視線を受けたまま反芻する。…そのままゆっくりと咀嚼して、漸く、頭に彼の言葉が浸透した。途端に、弾かれたように口が開く。
「…へ!?」
開いた俺の口から、頓狂な声が甲高く漏れた。聞いてない。そんなことは聞いてない!ただ、母様から事務連絡のように、『貴方のお相手が決まりました』って、そう言われただけだ。あとは、同衾する為の今日と言う日にちと、この場所だけ。リジットさんのことなんて、何も、名前すら教えられなかった。だから、…てっきり母様のほうがごり押ししてこの話を決めたのだと、…そう思っていた。
きっと、今の俺は、ぽかん、と擬音でもつきそうに、唖然としていたんだろう。そんな俺に、彼が、俺の上からゆっくりと離れる。そのまま腕を引かれて、最初のように、ベッドの上に向かい合って座る。ただたくし上げられていただけのシャツを下ろして、軽く身なりを整えた。…まだ膨れて勃ち上がっている乳首にシャツが擦れて、じんじんと甘く痺れる。
そんな俺の目の前に座ったリジットさんが、真剣な眼で俺を見つめた。…その射るような眼差しに、俺も思わず居住まいを正す。甘く痺れる乳首がまだぴりぴりと擽ったいけれど、それに気を取られている場合じゃなかった。
「お前は、俺のことをどう聞いていた?」
静かに、低い声でそう問いかけられて。一瞬、言葉に詰まる。母様から聞いていたリジットさんのことなんて、何かの階級についている獣人の軍人、それしか知らない。名前すら知らされていなかった、なんて言っていいのか分からなくて、どう答えようかと頭の中で一生懸命逡巡する。
そんな、俺の様子に。何かを察してくれたのだろうか、リジットさんがまるで天を仰ぐように、天井を見上げた。その口から、ため息のように長い息が、ふう、と漏れる。
「お前が、先程自分の名前を名乗りだした時から、おかしいとは思ったんだ」
まるで独り言のような口調で、リジットさんが息を吐き出すように言った。その言葉に、…さっきの光景を思い出す。俺が名前を言った時、リジットさんの返答は、不思議そうな声色をしていた。何故、そんな知っていることを今更?そんな声が聴こえそうに。
「お互いの名前を知っている上で、きちんと名乗りあいたいのかと思ってもみたが。…お前は、どうも俺の名前を知らないように見えたしな」
リジットさんの言葉に、ですよね!ってこころのなかで、思わず声を上げた。リジットさんが天井を見上げたまま、もう一度息を吐く。それは、…どこか諦めのようにも見えた。そんな彼の様子に、俺のこころがざわり、とざわめく。…なんだろう?どうしたんだろう。やっぱり、俺が彼の名前さえ教えられていなかったことに、呆れしまったんだろうか?今まで感じていた不安とは、…似ているようで違う不安が、ざわざわと俺のこころを不穏に揺らした。
「俺は、お前が俺を受け入れてくれているものだと。…少なくとも、少しは俺に好意を持ってくれているからこそ、ここに来てくれたのだと、思っていた」
そう、呟くように。…諦めたような声色で、そう言いながら。リジットさんが、天井から眼を下ろして、俺を見つめた。さっきまでは、感情が見えづらいと思っていたのに、…今は、その眼にはっきりと、何かの色が見えている。少なくとも俺には、そう、見える。…まるで寂しそうな、哀しそうな、彼の眼の色。
「…お前は、どうしたい?」
「え」
不意に問いかけられて、返事にも満たない声が零れた。ざわざわと、よく分からない不安が膨れていく。勝手に下がっていく眉が、まるで泣き出しそうだ、って自分で思った。
「お前が、…俺を受け入れられないのなら、形だけの夫婦でも、構わない」
え。彼の言葉に、…俺の喉奥で、音にならない声が、ぽとりと漏れる。え。え。…それは、どう、いう。そう問いかけたくても、喉奥で張り付いたように、声として出て来てくれない。
「俺は、お前がこういうことが初めてだろうから、怖がっているのだろうと思っていた。…そう、思いたかった。けれど、…違うのだろう?」
ゆっくりとした口調が、その眼差しと同じに、諦めたような、…哀しそうな色を帯びていく。リジットさんが何を言いたいのかが、俺には掴めない。でも、不安ばかりが膨れ上がって、そして。
「お前は、…俺が怖いのだな」
まるで自嘲のように、彼が呟く。その、言葉に、思わず目を剥く。驚いたのか、…その言葉に怒りたかったのか、自分でも判断がつかない。不安だったこころが弾けて、考えるよりも先に、弾かれたように、声が出た。
「はあ!?」
多分、俺の人生で、一番力のこもった『はあ!?』だ。一体このひとは、何を言っているのか。こんな格好良いひとを目の前にして、怖いなんて誰が思うのか!そんなわけない!そんなこと、誰も、…俺が、思うわけがない!
きっと俺は、今、すごい顔をしているに違いない。哀しそうだった彼の眼が、驚いたように眼を見張るのを見て、…彼の言葉に憤りながらも、頭の片隅で、良かった、と思った。良かった、リジットさんがもう、哀しそうな眼をしてなくて。
「そ、っ、そんなわけない!俺は、俺が怖かったのは、不安だったのはっ、リジットさんのほうが、俺なんかが相手でがっかりしてるんじゃないかってっ」
もう、怒りなのか興奮している所為なのか。敬語も忘れて、うまく言葉を紡げない。それでも懸命に、そこまで口にして。…そこで、今度はリジットさんのほうが、見開いた眼を更に剥いた。まるで吼えるような声が部屋に響く。
「そんなこと、俺が思う筈がないだろう!俺がどれだけ、お前を欲しかったか!どれだけこの日を待ち望んでいたか、俺は!」
…この彼の、感情が見えないなんて。俺は、リジットさんのどこを、さっきまで見ていたんだろう。唸るような、吼えるような声が、身体に響くのが心地好い。今まで感情の色が分からない、と思っていた彼の眼は、…今は、まるで燃えるようだった。赤じゃない、赤よりももっと熱くて鮮やかな、蒼い炎。それが、…彼の眼のなかにはっきりと映って見える。
…そうか。リジットさんは、俺を好きでいてくれたのか。政略結婚じゃなくて、嫌々じゃなくて、仕方なくでもなくて。…俺を、欲しいと想ってくれていたのか。
俺のなかに渦巻いていた憤りや不安が、…跡形もなく消えていく。代わりに、くすぐったいような、でも心地の好い、甘く蕩ける、…幸福が。俺のなかを、満たしていく、。
「リジットさん」
「…なんだ?」
もう一度、居住まいを正して。背筋を伸ばした正座のまま、彼を見つめた。そんな俺に、リジットさんが、未だにその眼に炎を残したまま、それでも俺を見つめ返してくれる。…ただそれだけで、心臓が蕩ける想いがした。
「俺は、リジットさんのことを何も教えてもらえてなくて、何も知らなかったです」
「ああ」
正直に、そのことを口にする。俺が何を言おうとしているのか、…彼が身構えているのがなんとなく分かった。…おかしいな、さっきまでは、彼が何を考えているのかさえ、俺には何も分からなかったのに。今は、彼の眼のなかに、彼の想いをみつけることが出来る。そんな自分が、堪らなく嬉しかった。
ねえ、リジットさん。俺は、貴方のことを何も知らないけれど。名前すら教えられなくて、本当に、ついさっき、貴方に逢ったばっかり、だけど。でも。
「だから、今日、…俺は、貴方のことが、好きになりました!」
大きく口を開いて、息を吸って。…まるで叫ぶように、リジットさんへとそう告白する。『告白』。そうだ、これは告白だ。…俺が、生まれて初めて誰かを好きになって。それを、そのひとに伝える、俺の一大イベントだ。もしかしたら、政略結婚のための同衾よりも、…俺にとっては意味のあること。リジットさんのことが好きだ、って。それを、自分の言葉で伝えることのほうが、きっと。
「…は」
「だから、…その、俺をリジットさんのお嫁さんにしてもらっても、いいですか!?」
顔が熱い。燃えるように熱い。正座をした膝の上で、いつの間にか握りしめていた手が、力を籠めすぎて震えていた。ほんとは、恥ずかしくって今にも俯きたい、でも、…目にもおなかにも力を入れて、懸命に彼を見つめた。ぽかん、と俺を見つめている彼の顔が、…ゆっくりと破顔する。とても嬉しそうに。…とても、幸福そうに。それだけで、…俺の顔も、勝手に緩んだ。彼が笑っているのが、すごく嬉しい。
その手が、俺へと伸びた。一瞬で、俺の身体は、彼の腕のなかへと抱きすくめられる。ぎゅう、と俺の身体に回る彼の手は、力強い。まるで痛いくらいの力が心地好くて、彼の腕のなかで、うっとりと目を細めた。俺も、…彼の背中に手を回していいのか、一瞬逡巡して。思い切って、彼のシャツを指先で摘まむように握る。これが、今の俺の精いっぱいだったけれど。それを分かってくれたかのように、俺を抱きしめる彼の腕に、またひとつ力がこもった。
「ああ。…ああ、勿論だ。お前は、俺の妻で、…俺のものだ。誰が何と言おうと、俺の花嫁だ」
耳元で、少し硬質の低い声が、蕩けるように甘く響く。その言葉に、背筋が震えるのを感じながら、俺も、彼のシャツを握る指に、力を込めた。
そのまま、ゆっくりと身体が傾ぐ。あ、って思って、…けれど、もう、さっきみたいな不安はなかった。それどころか、とろとろに溶けるみたいな、桃色の期待が、胸のなかに渦巻いている。未だに勃ち上がったままだった乳首が、俺の期待を表すように、じんじんと甘く疼いた。
さっきみたいに、ベッドの上に倒される。リジットさんが、俺の上に圧し掛かるように重なった。ざらりと硬い肉球が、まるで宝物でも扱うみたいに丁寧に、俺の頬を撫ぜてくれる。それが嬉しくて、思えず目を細めた。
そんな俺に、リジットさんも、眼を細めて、俺を見つめる。その眼が、すごく優しくて、…俺は、頬が熱くなるのを止められなかった。ああ、本当に、俺は、さっきまで彼の何を、どこを見ていたんだろう?リジットさんは、きっと最初から。…こんな風に優しい眼で、俺を見つめてくれていたのに。
そのまま、彼の顔が、俺へと近づいた。こつん、と額が触れ合って、ふわふわの獣毛が、俺の額を包む。あったかくて、心地好いぬくもり。
「愛してる。俺は、お前に永遠の愛を誓おう」
囁くような声が、俺の耳で優しく溶ける。その言葉に、…泣きだしそうになりながら。それでも懸命に、満面の笑顔で彼に応えた。嬉しくて、幸せすぎて、…泣きたくなることって、本当にあるんだ。
「俺もです!リジットさん、大好き…!」
俺から伝えた言葉の語尾は、彼の口のなかで、甘く溶けて消えた。さっきみたいに、彼の舌で、舌を絡めて吸われながら。…さっきとは全然違う、全身が蕩けるみたいな心地よさに、身を委ねて。彼のシャツを握っていた指を開いて、力いっぱい、彼に抱き着くように腕を回した。
今日、この夜から。…俺は、リジットさんの。大好きなひとの、お嫁さんになりました!
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