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イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【55】

  俺たちの住む街で。『花火大会』が開催されることになった。

  8月になったばかりの今は、夏真っ盛りだけあって、夜も暑い。

  からん、と。久々に履いた下駄の音が、煉瓦を蹴って涼し気に鳴る。同じく、からころと愛らしい音を立てて、隣を歩く俺の妻が、俺を見上げて嬉しそうに笑った。やはり下駄は苦手なのか、たどたどしく歩くその足元で、浴衣の裾が淡くはためく。薄暗闇のなか、時折膝下まで露わになるその眩いまでの白色の膚が、あどけなくも艶めかしく俺の眼を奪った。

  「大丈夫か?」

  そう声を掛けると、大丈夫、と花のほころぶように笑う。髪につけた大きな花の飾りよりも、この子の笑う顔のほうが幾倍も愛らしく、鮮やかだ。誘われるように、そのふっくらと優しい線を描く頬に指を伸ばして、ゆっくりと沈めた。擽ったそうにフラフィーが笑って、俺の手に、そのあたたかな手を重ねる。

  今日。この街の外れを流れる、町一番の河川で。この街で初めての花火が上がる。

  まさか、あの海の在る町の名物だったものが、この街でも行われるとは、思ってもいなかった。そもそも、海や湖などの大きな水辺の近くでしか出来ないものだと思っていたのだが、どうやら河川の傍でも出来るらしい。いや、出来るようになった、だろうか?現に、今日行われるの花火大会も、川幅が広い河川だ。海だけでなく、街に近い河川でも、揚げられるようになったのかもしれない。

  街を挙げての初めての催しということで、今日の人出はすごいものだった。クリスマス時期の人出も多かったが、もしかしたらそれ以上かもしれない。街の様子も、幾つもの角灯や、紙のような入れ物に入った灯火が、至る所に飾られていて、夜だというのに昼のように明るかった。人出も多く、すれ違うだけでも一苦労だ。その光景は、クリスマスの時期にこの子と歩いた、賑わう街を思い出させた。懐かしい、と、自然と口角が上がる。

  「浴衣着るの、久しぶりだからなんだか緊張するね」

  そう言って。照れたようにはにかみながら、繋いだ手をゆるりと揺らす。『浴衣』を着るのも、あの時ぶりだろうか。フラフィーと、あの海に旅行に行ったときに、旅荘の亭主から譲り受けた浴衣。…あの旅行が、もう数年前のことなのだと思うと、感慨深い。あの時は、俺とこの子の2人だった俺たちが、…今は、5人家族だということも。

  「あの子たちが大きくなったら、今度はみんなで来ようね」

  俺が、家族のことを考えたのが分かったのだろうか。髪につけた飾りを揺らして、フラフィーが繋いだ手をぎゅう、と握る。俺を覗き込むように見上げたその円い目が、惜しげもなくぎゅう、と細められる様に、一瞬見惚れて。それから、俺も、繋いだ手に指を絡めながら、眼を細め返した。

  「ああ、そうだな」

  あの海の在る町では、花火は夜の早い時間から始まっていたが。この街で初めて開催されるこの花火大会は、大人の為の催しであるらしく、その開催は22時からと遅い時間だった。もっと早くに開かれるのであれば、子どもたちも連れてきたかったのだが。…流石に21時では、子どもたちが眠ってしまう。現に、いつも20時には眠る習慣が身についている子どもたちは、今日も20時前には眠ってしまった。今も、これだけの人出の中で、子どもの姿はほとんどない。

  2人きりの外出も、久々だな。そんなことを不意に思って、口元が緩んだ。この子と子供たちで出掛けることも、勿論とても楽しく、幸せだが。…こうやって、2人で歩ける時間も、俺には堪らなく愛おしい。子どもたちにがいる時には、溢れんばかりの母性とともに、愛情深く優しい母親の顔を見せてくれる子が。…俺と2人きりの時には、こうやって、何よりもあどけなく愛らしい、俺だけの妻となってくれることも。勿論、今でも寝室で2人の時には、この子は堪らなく愛らしい笑顔で俺だけの妻となり、俺だけの誰よりも愛おしい雌となってくれるのだが。こんな風に、外出先でその姿を見せてくれるのは、久しぶりだ。

  「やっぱり下駄は履きづらいね…っわ!」

  俺の隣で。婚姻当初から変わらず、幼く愛らしい俺の最愛の妻が、俺を見上げて笑った。その後で、ぐらりとふらついた身体を、抱きしめるように抱き留める。

  「大丈夫か?」

  「大丈夫!ごめんね、ありがとう」

  久しぶりだったから、ちょっとよろけちゃった。そう言って、照れたように笑う妻は、堪らなく可愛らしい。そのまま顔を寄せたくなる衝動を、人混みの中だという理性で抑えて、俺も、フラフィーに笑い返した。

  まだ、花火が揚がる時間には大分早い。けれど、ここぞとばかりに様々な店が、街外れだというのに列をなすように溢れていた。大通りにも出店しているような見慣れた屋台のなかには、物珍しいストリートフードがちらほらと紛れている。薄く焼いたガレットを積み上げて、クリームをトッピングして売っている店。なにやら溶けた飴のようなものを器用に操って、鳥や花を作っている店。様々な果物を飴でコーティングしている店。

  勿論、普段はパブでしか見ることのないようなエールも、今日ばかりはそこらじゅうで売られていた。菓子以外の食べ物は、矢張り揚げ物だろうか。氷菓も人気で、いくつかある店の前にはどこも列が出来ていた。そんな光景に混ざって、普段はあまり見ることのない菓子が、灯火に照られされて淡い橙色に浮かび上がる。

  「なにか食べるか?」

  

  そう問いかけると、目を輝かせてうん!と大きく頷く。歳を重ねても、変わらずに素直で屈託のない俺の妻に、俺の顔も自然と緩んだ。

  どうやら、この子の行きたい店はもう決まっていたらしい。俺の手を引きながら、フラフィーの足は真っ直ぐに飴細工の屋台に向かっていた。その店では、どうやら、飴を好きな形に作ってくれるらしく、俺たちの前には既に幾人も並んでいる。その先頭に立っている客が鳥の形を店主に注文し、それを聞くなり店主が手際よく飴を捏ね出す。そのままあっという間に鳥を形作った飴に、周りから感嘆の声が上がった。

  「お待たせ、お客さん。お客さんは何がいい?」

  その鮮やかな手並みのなせる業だろうか。並んでそう経たないうちに、俺たちの番が回ってきた。店の前に立つ俺たちに、職人と言ってもいいような店主がそう問いかけてくる。

  「あの、狼をお願いします!」

  聞かれた言葉に、俺のこの子が即座にそう答えた。その言葉に、眼を見張ったのは俺だけで。にこにこと笑っているフラフィーと、その隣で眼を見張る俺を交互に見遣った店主が、一つ笑って飴を捏ね出す。先程と変わらず鮮やかな手並みで作られたのは、俺の眼と同じ琥珀色をした、狼の…獣人だった。

  「はいよ。仲良くやんな」

  笑いながら差し出された、琥珀色の狼獣人。その飴を屈託ない手つきで受け取りながら、フラフィーが満面の笑顔で笑う。俺の焦がれてやまない、幸せが詰まったように笑う、愛おしい笑顔。

  「ありがとう!」

  

  そう言って、フラフィーが頭を下げた。それから、手に提げていた巾着からお金を取り出す。それを遮って、既に用意していた分の金額を店主に渡した。毎度、と言う彼の声を聴きながら、次の客へと場所を空ける。

  「ありがとう、リジットさん」

  フラフィーが、大事そうに両手でその飴を持ちながら、俺を見上げてはにかんで笑う。その飴は、…あの短時間で善くもそこまで、と言うほどに、俺に似ている気がした。これは、俺だからだと思うから、そう見えるだけかもしれない。けれど、はにかむフラフィーの手元で輝く琥珀色の狼獣人は、どことなく嬉しそうに煌めいていて。その様が、…矢張り、俺によく似ている、と自分で思った。

  「すごいねえ!リジットさんにそっくりだよ!」

  

  フラフィーも、そう思っているのだろう。琥珀色の飴を空に軽くかざしながら、嬉しそうに笑う。愛おしそうで、優しそうな、…まるで俺を見つめてくれている時のような、この子の眼差し。

  「食べるのがもったいないなあ」

  そう言いながら。…口づけるように、フラフィーがその飴へと舌を伸ばした。そのまま、ゆっくりと丁寧に、フラフィーの愛らしく赤い舌で琥珀色の狼獣人が舐めとられていく。その様に、…何故だか、俺の下肢に熱が集まる感覚が起こって、慌てて眼を逸らした。そんな俺に気づいたのか、慌てたようにフラフィーが飴から口を離す。

  「あっ、ご、ごめんね!?狼の飴にしちゃって、いやだった?」

  どうやら、飴の形が不快だと、俺が思ったのだと思ったらしい。そんなフラフィーに俺も慌てて首を横に振りながら、口を開いた。

  「いや、そうではない。…お前が狼を選んでくれて、嬉しかった。俺のことは気にせずに、ゆっくり舐めるといい」

  そう言うと、安心したようにフラフィーが、その円い目を惜しげもなく細めて笑う。俺の言った言葉は、本心だ。この子が、こんな些細なところにまで狼を、…俺を選んでくれて、嬉しかった。けれど、…何故だろうか。この子が、俺を想って形作ってもらったその飴を口へ運ぶたびに、俺の気が昂って仕方がない。その柔らかな赤い舌が、優しく琥珀色の狼獣人をなぞるたびに、心臓が疼くのが分かった。その愛らしい浴衣姿も相まってか、その様がいつも以上に扇情的で、…俺の獣欲を刺激する。

  それでも、そんなことをこの人混みの中で言うわけにも、それを表すわけにもいかない。気を紛らわせるためにも、人混みの屋台群を見て回ることにした。

  指を絡めながら手を繋いで、浴衣姿のこの子と2人、下駄を鳴らして歩く。…ただそれだけで、今度は心臓が甘やかに高鳴った。婚姻前と似ているようで、矢張り違う胸の高鳴り。あの頃も、俺は、この子をどうしようもないほどに愛していたけれど。…きっと、今のほうが、この子を今まで以上に愛しているのだろう。これから先、この子と共に時を重ねるほどに、…俺は、この子を愛していくのだろう。きっと、それは際限のないほどに。

  横目で、この子の横顔を見遣ると。まるで同じことを想っているように、この子の目も、俺を見つめていた。音が鳴るように視線が合って、思わず笑う。そんな些細なひと時で、俺の全身は幸福に満たされる。

  そうやって、手を繋いで、笑い合いながらゆっくりと屋台を見て回る。暫くそうして、この子の舐めていた飴がなくなることを見計らってから、花火大会の会場へと足を進めた。

  この会場で、花火を見る場所は決まっている。花火があがる河川の川沿い、その大きく広い通りだ。街外れでも、そこから街道に出るだけあって、この河川沿いは広い道が多い。そういうこともあって、人が大勢訪れても大丈夫なようにこの河川が会場に選ばれたのだろう。

  もうじき始まる時間とあって、川沿いの通りはもう混雑していた。前に見た時には、良くして頂いている侯爵殿所有の海岸を貸してもらっていたから、俺たちだけで見ることが出来たが。今は、そうはいかない。たくさんの人間が押し合うように、川沿いを取り囲んだ。時折、俺たちの隣に来る者が、俺を見てぎょっとしたように目を見張る。それに、とりあえず会釈をすると、慌てたようにあちらも会釈をして俺から距離を取った。おかげで、俺の左隣に空間ができる。有難い、とばかりに周囲に押されていたフラフィーの肩に腕を回して、こちらに引き寄せた。俺も、先程までぎゅうぎゅうと押されていた身体を少し緩めて、一息つく。

  …以前は、このような態度を取られることが、怖かったな。そんなことを懐かしく思いながら、苦笑する。今でも、俺を見る周りの眼は怯えているのかもしれない。けれど、それすらも受け入れられるようになった。この子に出逢って、人の眼が気にならなくなって。この子が、俺の過去ごと俺を受け止めて、抱きしめてくれるから。…俺も、全てを受け入れられた。ずっと受け止められられずに凍り付かせていた、自分の過去も。俺が、肉食獣人だということも。そんな俺を怯える者が、獣人にしろ人間にしろ、存在することも。

  それを受け入れると、もう人混みも気にならない。俺を見て、怯える者がいても、それは当然だと思える。誰が悪いわけではない。…俺が、悪いわけでもない。俺がこの世界に在ってはいけない存在というわけでも、無いのだ。そう思えると、随分と楽になった。それに気づけるほどに、俺は、…俺を大事だと、そう想えるようになった。

  それは、紛れもなく。俺が、もう独りではないのだと言う安心感から来ていた。ほかの誰が、俺を何と思おうと。俺を限りない愛情で包んで、大切だと笑ってくれるこの子が。俺と血を分け、俺を好きだと慕ってくれる可愛い子どもたちが。…いつも、俺の傍に在てくれるから。

  溢れ出るような幸福に、フラフィーの肩に回した腕に、力を籠める。それを、どう受け取ったのか、俺に身を任せるようにして寄り添っていたフラフィーが、俺をの顔を覗き込むように見上げた。

  「大丈夫?」

  その、少し心配そうな顔に、眼を細めて口角を上げる。…どうやら、要らぬ心配をさせてしまったらしい。この子に俺の過去を話す前までは、この子と一緒の時でも、人通りの多い場所や人混みは矢張り好ましくはなかったから。あの頃は、この子が一緒にいて、俺の手を取って、俺に笑いかけてくれていたから、俺は周りを気にすることはなかったのだが。けれど、…どこかで、少し怯えていたのだろう。俺に向けられる、恐怖や侮蔑の視線を。周りから、奇異の眼で見られる自分を。そんな自分を、…誰よりも愛おしいこの子に見られることを。この子が、俺をどれほど愛してくれているのか、俺は分かっていたというのに。

  

  そんな俺を、隣で包んでくれていたからこそ。この子のなかで、まだその印象が強いのだろう。そっと気遣うように、肩に回した俺の手に触れるこの子の産のぬくもりを感じて。安心させるように、その柔らかい円い肩をゆっくりと撫ぜた。

  「大丈夫だ。…お前も、もっとこちらへ来るといい」

  言いながら、もう片方の手でその手を取って、抱き込むようにこちらへと引き寄せる。そのまま、後ろから俺よりも幾分も小さく柔らかな身体を、腕に閉じ込めるように抱き締めた。俺の顎の下辺りを、この子のふわりとした髪が擽るように撫ぜていく。…この子は、俺の獣毛をふわふわで気持ち好い、と言ってくれるが。俺からしたら、この子の髪のほうが、俺の獣毛よりも余程触り心地が好い。埋めるように、鼻先をその髪へと押し当てれば、ふんわりと甘い匂いが鼻腔に広がった。ミルクと砂糖を煮詰めたように、優しくて甘いこの子の匂い。

  「ふふふ、くすぐったいよリジットさん」

  寄せた身体を伝って、フラフィーがころころと笑う声が、俺へと響く。抱きしめる腕にフラフィーの柔らかな手が重ねられて、俺の獣毛を優しい仕草で撫ぜていく。それは、子どもたちを撫ぜる手つきと似ているようで、矢張り違う。俺にしか向けられることのない、優しくて、愛らしく甘い、煽情的な指先。ただ腕を撫ぜられているだけだというのに、身体が高揚してくるのが分かった。

  不意に、ぎゅう、と左右から押される感触がして、顔を上げる。先程までは俺の周りにだけ空間が出来ていたが、どうやら人が多すぎて、俺を怖がるどころではなくなったらしい。左右に眼を走らせれば、間もなく始まるであろう花火に目を輝かせている人の姿が映った。その眼は、こちらを気にする風でもなく、まだ暗い空へと注がれていた。

  「フラフィー、もっとこっちへ来い」

  このままでは、この子が周囲に潰されてしまう。…と言うよりも、このいつも以上に薄い衣装の、誰よりも愛おしいこの子を、俺以外の奴に触れさせたくない。その一心で、先程よりも更に強く、俺の腕へと抱き込んだ。同時に足も開いて、全身でこの子の身体をガードする。洋服よりも薄い浴衣は、この子の身体の柔らかさやぬくもりを、まるで裸で抱き合っているように俺へと直接的に伝えて来て。…その柔い感触に、俺の身体がまたひとつ昂った。この子から香る甘く優しい匂いが、俺の獣欲を刺激してやまない。先程、この子の飴を舐める姿に気が昂っていたから、更に。

  …大勢の前だというのに、このままだと、抑えが利かなくなるかもしれない。この子に回した手が、抱き締める以外の意思を以て、動きそうになる。その、前に。

  ひゅんっ、と風を切る音が辺りに響いた。そのまま、ぽん、と小さな音を立てて、煙が夜空に薄く広がる。…始まりの合図だ。

  「始まるね」

  俺の耳を、囁くような愛らしい声が擽る。それに、そうだな、と頷いて。この子の柔くあたたかい身体を、包むように抱き込み直した。

  ひゅぅぅっ、と、先程よりも鋭く風を切る音が、周りに響いて。輝くような火の筋が、夜空を駆け上がっていく。皆の視線は、初めて見るだろう花火に釘付けで。俺の最愛の妻も、その火玉の後を追うように、顔全体で空を見上げる。

  一拍分の、静寂の後。どぉんっ、と、地を震わせる音が、地面から響いた。それと同時に、夜空を大輪のクリサンセマムが、大きく花開いた。桃色にも見えるような、赤い火の花。

  その、眩いばかりの光が、辺りを照らして。フラフィーの、ふっくらとあどけない顔も、赤色に染まる。その様が、…まるで、この子が照れたときの愛らしい表情を、思い出させて。その顔に、誘われるように。…鮮やかな光に染まる、その唇に。密かに、自分の顔を寄せた。

  唇を重ねた瞬間に。足元から全身までを、震わせるような音が響いて。…まるで、俺の心臓の高鳴りのようだと、口元が緩んだ。

  この花火を。子どもたちにも見せてやりたいと、と強く想うと同時に。

  …子どもたちが大きくなるまでは。この花火が揚がる日は、俺とこの子だけの日でありたい、と。そんなことを想ってしまったのは。…この子にだけは、秘密にしておこう。

  (ああ、でも、もしかしたら。俺の、誰よりも大事なこの子も。…俺と同じことを想ってくれていたら、良いのだけれど)

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