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イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【63】

  俺が、『俺』であったから。俺は、あの子を見つけることが出来たのだと。誰よりも愛しいあの子と共に在れるのだと。…今なら、こころからそう、想えるんだ。

  「リジット」

  軍の、廊下を歩く途中で。聞き慣れた声に呼びかけられて、そちらを振り返った。見れば、思った通りに俺の親友が、モノクルの奥から眼を細めて俺を見ていた。

  「スティケート。いいのか、此処に来ていて。今、忙しい最中だろう」

  彼のほうへと歩み寄りながら、親友へとそう問いかける。この間の休日に、スティケートと、彼の婚約者から貰った婚姻式への招待状。そこには、6月末の日付が記されていた。まだ日は有るとはいえ、逆に言えば二月程しかない。気配りと気遣いの素晴らしいこの2人のことだから、もうほとんどの準備を済ませてから招待してくれたのかもしれないが、それでも忙しいことには変わりないに違いない。…俺たちの時が、正にそうだったのだから。

  その思考から、想い出された俺とあの子との婚姻の儀に。口元が緩むのを感じて、慌てて引き締める。今でも鮮明に想い出せる、俺たちの婚姻の儀の日。

  あと二月後には、その日を迎えるという親友を眼の前にして。あの子との婚姻の儀、それを迎えるまでの記憶が、俺の脳内に溢れていった。

  ***********************************

  スティケートとアステールの婚姻の儀と同じ月、もう数年前となる6月に。厳かに、けれどあたたかく執り行われた俺たちの婚姻の儀。それは、『近衛兵団の兵士長』と『貴族の息子』としては、きっととても小さな、小ぢんまりとしたものだっただろう。

  普通は、特に貴族に連なる人間だったら、そのような儀式はとても盛大に行うものだと、俺でも聞いていたし。王家付きの軍人として、公侯爵の婚姻の儀に招かれたこともある。どれも、貴族や軍でも上の者を幾人も招待した、とても華やかなものだった。

  だから、…本来なら、俺たちの婚姻の儀も、そのように盛大に、華やかに行うべきだったのかもしれない。軍の者たちは勿論、貴族の人間たちも、例えそこまで親しくなくとも、それこそ名しか知らないような関係だとしても、俺の名を出せば相手は来てくれただろう。…俺の冠する階級は、それほど力のあるものなのだから。

  けれど、そんな関係のない者たちを俺たちの式に呼ぶことは、…俺がしたくなかった。あの頃の俺は、人混みや、人前に出るということを何よりも疎んでいたし、…人間の眼を、恐れてもいた。あの子が俺を見て、限りない愛情で以て笑ってくれる、あたたかな目。俺が映りたいのは、愛しいあの子の、その愛らしく円い、優しい目だけで。それ以外の、誰かの視界に映ることが、…怖くて仕方がなかった。

  それを、俺の愛するあの子は、誰よりも理解してくれていたんだろう。

  『俺たちの、大事な人たちをお招きした、あったかくて優しい式にしようね!』

  婚姻の儀の話を口にするようになってから、…あの子が繰り返し言ってくれたのは、そんな言葉だった。言外に、『大事な人たちだけ』、と言うように。それこそ、俺の親友や、あの子の親友や御両親、そんな身内しか呼ばないような小さい式にしよう、と、…あの子から言ってくれた。

  もしかしたら、他の者が行うような、大勢の者に祝われた華やかな式に憧れがあったのではないだろうか。いや、それよりも、誰よりも優しく愛らしいあの子こそ、誰からも愛されて止まないだろうあの子こそ、大勢の者から盛大に祝福され、その真ん中にいるべきだった。

  大勢の者の前には決して立ちたくないくせに。…あの子には、大勢の人間に祝福されて欲しい。そんなジレンマのような思いを抱えて。けれど、…まるで不安を吐露すように、そんなことを口にする、俺に。

  『俺は、華やかなお式よりも、リジットさんが笑ってくれる方が何倍も嬉しいし、幸せだよ!』

  そう言って、幸せが詰まったような顔で、俺に笑って。屈託なく俺に抱き着いて、柔らかな身体で俺を包んでくれた。そうやって、あの子が選んでくれるのは、…いつだって俺だった。皆に祝福される、華々しい式よりも、…俺と共に在る方を。俺が、笑って過ごせる方を。いつだって、誰よりも優しいあの子は、選んでくれた。

  そんな、愛しいあの子の優しさと愛情に支えられて。…俺たちの式は、フラフィーが最初から言ってくれていたように、あの子の御家族以外は、俺たちが大事だと想う者たちを招待するだけの、とても小規模なものになった。

  それを、…どうやらあの子の御両親は、本当は良く思っていなかったようだが。フラフィーではなく、『俺』がそうしたいと、そう強く申し出たおかげだろうか。それほど強い反対には合わずに、こちらの希望を通せることになった。

  それでも、婚姻の儀までの準備を忙しく過ごしたことも、今となっても懐かしい。小規模な式と言えども、いや、だからこその招待客の選出や、招待状。婚姻の儀の後の、参列へのお礼を込めた食事会のメニュー。婚姻の儀に身に着ける衣装。準備することは様々で、…それを、フラフィーと一緒に考えることすら、楽しかった。こうしたい、ああしようか、と、大きな円い目をきらきらと輝かせながら、嬉しそうに話してくれる、俺のあの子に。その弾けるような笑顔に見惚れつつも、俺も無い知恵を搾ったものだ。

  そんな中で、特に楽しみだったのは、…矢張り、あの子の衣装だっただろう。俺とあの子は同性だが、この国では『妻』となる側が花嫁となる。だから、あの子の衣装も花嫁が纏うと言う、白色の、普通のものよりも大分丈の長いドレスになる予定だ、と衣装係から言われていた。

  その種類も、ふんわりとしたものや、身体の線が出るほどにぴったりとしたドレス等、何種かある、と、これも衣装係の者が言っていて。ドレスだけでも、そのように種類があるのかと内心で驚いたのを覚えている。俺の格好は軍服の正装であったから、改めての準備をすることもなく。その分、あの子の衣装に、密かに胸を高鳴らせた。

  とは言っても、あの子は最初は、自分がドレスを着る、ということに対して、気後れでもしているようで。

  『そんな綺麗な衣装、俺が着ても似合わないし、恥ずかしい…』

  そんなことを困ったように眉を下げて、言葉通りに恥じらいながら、呟くように口にした。…そう恥じらうように呟くあの子の顔は、とても愛らしく。思わず、あの子を腕に収めてしまう程に、俺の獣欲を刺激してやまないものだったのだが。…それを聞いたときの、俺の心中を察して欲しい。

  この世で、俺のこの子以上に愛らしい者などどこにも、誰もいないと言うのに!フラフィーならば、どのようなものでも似合うに違いないと言うのに!ふんわりとした愛らしいドレスに花飾り、髪にはヴェールという薄い布を掛けて、手にはブーケと呼ばれる花束。そんな格好で、俺を見上げて。いつまでも焦がれて止まない、あの幸福の詰まったような顔で俺に笑ってくれる、…そんなこの子を想像するだけで、俺はこれ以上ないほどの幸福を感じると言うのに!

  

  …正直、あの子が恥ずかしいと言うのなら、俺とフラフィーだけで婚姻の儀を行ってもいいとさえ思っていた。その後で、この子がいいと言う衣装に替えて、俺たちの婚姻を披露すればよいのではないか、と。

  もし、その案を実行していたなら、俺の親友は『貴方らしい』と、呆れながら笑っただろう。あの子の親友には、ほんの少し恨まれたかもしれない。親友の、一番愛らしく美しい姿を、夫である俺が独占するのだから。

  けれど、…あの子を腕に抱きながら。フラフィーのその愛らしい耳に、その案を囁くように提案した、俺に。フラフィーは、驚いたように俺を見遣って、…それから笑った。おかしそうに、照れたように、…嬉しそうに。

  『リジットさん、そこまで俺のドレス見たいって言ってくれるの?』

  俺の膝の上で、向かい合うように変わった体勢。それから、少しだけ赤くなった頬で。花のほころぶように笑って。それから、俺に顔を寄せて、口を開いた。

  『……俺、こんなだし。やっぱり、俺なんかがそんな綺麗な衣装着ても、意味無いんじゃないかな、って…ちょっとだけ不安だったんだ』

  少しだけ寂しそうで、自信のなさそうな、密やかな声。それに、今度は俺が眼を見張る番で。それでも、俺が口を開くよりも早く、…あの子が、満面の笑顔で、俺に笑った。俺の焦がれて止まない、幸せの詰まったように笑う、あの笑顔。その笑顔に、見惚れる俺の、間近の距離で。

  『でも、ほんとはね、他のひとがなんて言うかなんてどうでもよかったんだ。リジットさんが見たいって、そう言ってくれるなら、俺、喜んで着るよ!』

  ありがとう、リジットさん!そう言って。俺に抱き着いて、弾けるような声でそう、言ってくれた。その柔らかで、あたたかな身体をしっかりと腕に抱き締めながら。…誰が、この子の晴れ姿を意味がないなどと思うもものか、と。そう、強く感じたのを、鮮明に覚えている。

  

  思えば、…あの子は、あれほど愛らしく、誰からも愛されるような子だと言うのに。婚約時代から、時折、…酷く自分に自信のない様子を見せていた。それは、…あの子の生い立ちも影響していたのかもしれないが。

  いつも、まるで春の日だまりのように優しく、あたたかく笑うあの子が。不意に見せる、寂しげに笑うその顔。いつだって俺を真っ直ぐに見て、惜しげもなく細めてくれた大きな円い目が、足元へと伏せられて。『俺なんか』、と、自分を下げるように言う、その自嘲するような口調。…それは、婚姻してからも、その時々に顔を覗かせて。

  『俺なんか好きになってくれるの、リジットさんだけだよ』

  いつだったか、おかしそうに笑って言った、あの子の言葉が耳を掠めた。そんな訳がない。あの子を愛する者は、俺以外にもきっと数多くいるだろう。婚約時代も、婚姻してからも、…もしかしたら、今だって。もう数年前の出来事だと言うのに、あの黒豹の獣軍人の姿が、また脳裏を過ぎった。俺が気づいたのが、あの者だけで。…あの子を愛した者は、きっと、他にも在たに違いない。

  その者と俺との差は、ただ、俺が幸運だっただけだ。俺が、その者よりも先に、あの子を見つけることが出来たからで。あの子を愛する者の中で、誰よりも上の地位と権力を、俺が持つことが出来ていたからだ。…例えば、あの子をただ慰み者にするためだけに、自分のものにしようとした、あの侯爵よりも。

  …もし俺が、近衛兵団の兵士長という地位でなければ。あの子を見つけられたとしても、…あの子を俺の妻にすることは出来なかった。もし俺が、この国に来ていなければ、俺はあの子を見つけられなかった。その全ては、俺が、獣人であったからだ。獣人として、犬獣人の父と、狼獣人の母の子として生まれることが出来たから。

  …あの村の起きた出来事全てを、赦せるなんて筈は、ない。その後で、良い関係だと信じていた村の人間から投げ向けられた、嫌悪と軽蔑の眼も。けれど。

  あの子に逢えて、俺のこころが救われたことで。俺は、俺を認めることが出来た。獣人として生まれて良かった、と。…そう、想うことが出来た。獣人でなければ、軍人にもなれず、…あの子を俺の花嫁とすることは出来なかっただろうから。それどころか、あの子を見つけることさえ、出来なかっただろう。全ては、俺が獣人であったから、…あの子を見つけ、共に在ることが出来たのだ。

  俺に、全てを与えてくれたのは、紛れもなくフラフィーだった。だからこそ、…俺も、そうでありたいと思ったのだ。あの頃から、あの子に出逢った時から、今でも欠片も変わらない、俺のあの子への原初の想い。全ての、あの子を傷つけるようなものからあの子を護り、誰よりも、何よりも幸福にしたいと。神にそう誓うよりも、何よりも、あの子に。

  ***********************************

  その誓いは、あの時から今も、一番強い想いとして、俺のなかに在る。無意識に、心臓の上へと拳を当てながら、目の前の親友を眼を細めて見遣った。…これから、この親友と、彼の愛する婚約者も、同じ誓いをするのだろう。それを、最愛の妻と一緒に見守れることを楽しみに思いながら、同じように眼を細めたスティケートの返答を待つ。

  「お気遣い有難う御座います。もう、一番忙しい時期は終わりましたからね。それに、式が近い方がまた忙しくなってしまいそうなので、寧ろ今のほうが時間があるのですよ」

  

  だから、今のうちに顔を出しておこうと思って。そう言って、悪戯っぽく笑いながら、スティケートが片眼を瞑ってみせた。そんな、親友の茶目っ気のある様子に、俺も笑う。…俺の親友は、以前からこんな風に茶目っ気を見せるところはあったが。アステールに出逢ってから、更にその頻度が増えた。

  前は、名門の軍人一族という生まれの為か、穏やかな中にも格式ばったところがあって、…それが、無理をしているような印象も受けたが。今は、そのような痛ましさを見せることもなくなった。…きっと、この親友と同じように優雅で穏やかな、彼の婚約者のおかげだろう。

  

  「それならいいのだが、…うん?」

  そんなことを微笑ましく思いつつ、スティケートの言葉に頷いて。そこで、彼の隣にもう一つ、姿があることに気づいて眼を向けた。…さっきからいた、のだろうか?いや、それなら初めに気づくはずだ。まさか、気配を感じなかった?…俺が?

  浮かぶ疑問を脳裏に巡らせながら、その姿を見詰めてしまう。俺よりも、少し低いだろう身長に、綺麗に立った大きな耳。黒の獣毛…だろうか。その中に、茶色の、まるで虎のような模様が見える。その外見からうかがえる種類は、犬だ。けれど、他の犬獣人とはまた違う雰囲気を醸していた。まるで、戦うことに長けているような。ピンと張った糸のように、冴え冴えとした気配。…少なくとも、戦闘に対して全くの素人ではない。それどころか。

  「…スティケート。彼は?」

  「ええ。彼を紹介しようと思いましてね」

  無意識に、身構えてしまいそうになるのを押さえながら、彼の隣にいる親友に問いかける。…穏やかだったスティケートの顔が、智謀のそれに代わる。彼が退官する前、一緒に戦場へと出ていた頃に見せていた顔。

  「リジット、こちらは玻璃と言います。この大陸でも逆端の、葦津江の国から来たそうですよ」

  あまり聞き慣れない国名と、この国では珍しい…というよりも、今まで聞いたことのないような名前。少なくとも、俺はこのような名前を初めて聞いた。葦津江と言えば、前に俺の可愛い妻と二人で旅行した時に観た花火や、着せてもらった浴衣のある国だ。あの国は、確かに大陸の中でもこの国の逆端にある遠国であるから、異動するとなれば相当の距離だろう。文化を伝えにこの国に来る者は在れど、その国の者に直接出逢ったことがないのも頷ける。それこそ、商人や何かでなければ、この長距離を異動しようとも思わないだろう。

  無意識に、スティケートの隣にいる彼を凝視してしまっていたのか。獣毛と同じく黒色の眼が、ゆっくりと俺を向いた。…俺を映しているようで映していない、無機質な眼。そこにあるのは、紛れもない警戒。…いや、違う。

  「玻璃と申します。先日より、精鋭師団に配属となりました。何卒ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます」

  丁寧で礼儀正しくありながら、無感情を越して、眼と同じに無機質な言葉。俺に向かって、綺麗に頭を下げながらも、…欠片も信頼を感じない。俺にだけではない、きっと隣にいるスティケートに対しても。この犬獣人は、…この世界の誰をも信じていないのではないか。それどころか、感情と言うものを、抱いていないのではないだろうか。そう思えるほどに、彼は無機質だった。…以前の、俺のあの子と出逢う前の。過去を砕かれ、絶望に身を浸し全てを凍らせていた俺と、…似ているようでけれど、違う。この者からは、世界への恐怖を感じない。他者への恐れも、怒りも、…絶望も感じない。そんな負の感情すら欠片も見えない、ただ、…ただ只管無機質。

  

  まるで、彼自身が何かの武器か、装置のようだ。そんなことを思いながら、俺もゆっくりと頷いて見せる。

  「近衛師団兵士長のリジットだ。こちらこそ、これから宜しく頼む」

  そう言って、手を差し出そうとして、…それが無意味なことを悟る。多分、俺が手を差し出したとして、この者はその手を絶対に握らない。俺を拒絶している訳ではなく、それ以前の問題として。

  「付き合ってくださって、有難う御座います。玻璃、もう持ち場へ戻って大丈夫ですよ」

  「畏まりました」

  敬礼の代わりに、先程と同じように正しい姿勢で一礼して、玻璃が俺たちとは逆のほうへと歩いていく。…その背を見ていなければ、彼が何処にいるのか分からない。そう感じるほどに、一瞬で気配が消えたことに。けれど、俺はもう驚かなかった。

  「…分かりますか、リジット」

  「ああ。…まさか、こうして眼にするとは思わなかった」

  同じように彼の背を見つめながら、スティケートがゆっくりと口を開いた。それに、俺も頷いて、正直な感想を口にする。俺の予想が確かなら、…彼は、決して表に出てくることのない存在だろうから。

  「ええ。彼は、『暗殺者』です。尤も、彼の国では、別の名で呼ばれているようですが」

  俺の言葉に頷いたスティケートが、静かに彼の以前の生業を口にする。その言葉に、自分の予想があっていたことを理解した。

  「なるほどな。だから、…彼も特例でこの軍へと入隊したのか」

  親友の言葉に納得しながら、その名称を脳内で反芻する。…『暗殺者』。密かに、隠密裏に対象人物の元へと赴いて、…音もたてずに殺す者。遠い国に、そのような者がいる、と言うことは、兵法で読んだことがある。しかし、俺が知る限りは見たことがなかった。まあ、暗殺者自体が表には出てこない存在なのだから、それも当然だろうか。

  それに、本によれば、そのような存在は軍などの国家単位ではなく、貴族等の地位がある者が独自に雇っていたとあった。そこに目を通した時は、それほど貴族同士の諍いが絶えない国もあるのだな、と思ったものだ。特にこの国では、貴族同士の争いや諍いはあるにはあるが、何が在ろうと殺し合いなどには発展しない。軍が、王族や上流と呼ばれる貴族と交流があるのも、そういったことを防ぐためだろう。

  ただ、そういう隠密裏に行動することが必須とされる彼らには、猫獣人が選ばれることが多い、ともその兵法には記されていた。猫獣人は、小柄で行動も素早く、気配を消す能力にも長けているからだろう。その能力に戦場で助けられたことも多々ある。その分、大剣や大槍といった大柄の得物を使うものは少ないが、…例えば暗殺となるならば、短剣等の小さな得物でも、一撃で相手を屠れるのだろう。

  そんな役目を、犬獣人で。そう思うと、…彼の戦闘能力の高さが察せられた。俺もそうだが、イヌ科の獣人はあまり身を隠すことに長けていない。逆に隠れている者を探し出すことなら、他種の獣人よりも得意なのだが。だから、隠れて襲撃するよりも、正面切って撃破するほうが向いているし、寧ろ楽なのだ。

  けれど彼は、犬獣人の身で、隠れ、気配を消し、襲撃も出来る。勿論、相手を探し出すことも出来れば、正面突破することも可能だろう。そうなれば、この軍にとっても言わば『即戦力』。実力の程は、折り紙付きだ。だからこその特例なのだろう。

  先程の彼は、既に精鋭師団へと配属された、と言っていた。となれば、訓練兵も飛ばして、既に一兵卒だ。いや、もしかしたら。

  「…彼は、本当に精鋭兵団なのか?」

  不意に浮かんだ疑問を、そのまま親友へとぶつけてみる。苦笑するように、けれど、まるでその問いが来るとでも分かっていたかのように。スティケートが眇めるようにして、眼を細めた。その顔は、先程と変わらず智謀のそれだ。

  「流石ですね。お察しの通り、彼は所属こそ少数精鋭の前線である精鋭兵団ですが、諜報や権謀と言った事柄も任される、そんな位置づけになるそうです。彼のような前職を持つ者はこの軍でも初めてなので、彼の動きやすいように、とのことでした」

  矢張り、戦いを制する一番の策は敵情を知ることですからね。スティケートの言葉に、俺も同意を込めて頷いた。相手が何を考えて、どのような作戦で来るのか。それを事前に知ることが出来れば、様々な対処が可能だ。自軍のダメージは勿論、…相手へも、余分な攻撃や、…危害を加えずに済む。俺たちは、自分の国を、大切な存在を、ただ護りたいだけだ。…過剰な殺戮をしたいわけでは、決して、無い。

  だから、きっとあの犬獣人―玻璃へも、この国が一番に求めるものは諜報であり、暗殺ではないのだろう。彼自身が、それを必要だと思わない限りは。

  あのような、諜報を得意とする獣軍人は、この国はおろか、近隣の国にも今までいない存在であろう。そうなれば、彼の存在は非常に心強い。しかし。

  「…しかし、彼の国から見たら、ここは相当遠いだろう。確かに、この国は獣人に住みよい国だとは思うが、…ここまで来なければならないほどに、あの周辺は獣人にとって酷い状態なのだろうか」

  彼を紹介されてから、浮かんでいた疑問を口にする。それに、スティケートは軽く頷くと、…彼の去って行ったほうを再度、見遣る。

  「私も、深い事情は聞いていないのですが、…どうやら、『彼ら』は自分の国から逃げてきたそうです」

  無意識にか、少しだけ潜めるように小さな声で。スティケートが言った言葉に、俺も、少しだけ眼を見張った。親友の台辞の中で、特に引っかかる言葉は、二つ。『彼ら』、という複数人を指す言葉と、最後の一語。

  「逃げてきた?」

  「ええ。どうやらその国で当時、彼が雇われていた家で、何かがあったそうで。とは言っても、何分遠い国での出来事なので、詳細は彼から聞かないと分からない状態なのですが」

  流石に、いきなりそこまで踏み入ったことを聞くことは憚られますから。そう言って、モノクルを軽く押し上げながら、スティケートがまた、眉を下げて笑う。けれどその穏やかに柔らかな笑顔は、もう智謀のものではなく。相手を気遣うその思慮も、皆から慕われる、いつもの『スティケート教官』のものだ。

  

  「けれど、逃げると言う程ですから、近隣の国には行けなかったのでしょう。遠ければ遠い方が、彼らにとって安全だったはずです。ですから」

  「大陸の逆端であるこの国、というわけか」

  スティケートの言葉を引き継いで、俺が続けた。それに、スティケートがゆっくりと頷く。

  「ええ、多分そうではないかと」

  「…そうか」

  彼の言葉に相槌を打ちながら、…無意識に手をきつく握った。革手袋が、擦れて軋む音が、微かに。けれど確かに、耳に届くほどに。

  あの犬獣人の感情が、…俺にも分かる気がしたのだ。俺も、きっと、…あの国から。自分の在た国から、…血に塗れ、恐れと軽蔑の眼を向けられた場所から、逃げてきた存在であろうから。

  俺の、誰よりも愛おしいあの子が、俺を。現在の俺も過去の俺をも救ってくれた今ですらも、…俺は、あの国からこの国に来るまでの経緯を思い出せない。如何やって、この国まで来たのか。…どんな思いで、ここまで来たのか。

  それは、あの村での出来事を、…受け止めきれなかった俺が。そのあまりの辛さと絶望を処理しきれず、その後の数日を記憶すら出来なかったのか。あの村での出来事を、凍てつき罅割れた記憶を、全て思い出して受けとめることが出来た今でも。その間の記憶だけは、…俺のなかに無い。

  もしかしたら、あの者にも、…俺が受けた絶望と、同じくらいの出来事があったのではないだろうか。だからこそ、このような遠距離を『逃げて』きたのではないだろか。…ぎゅ、と、握りしめた手から。革手袋の鳴る微かな音と共に、…あの子の笑顔が浮かんだ。

  何故。あの時の俺が、この国へ来ることを決めたのかは、自分でも分からない。この国が、獣人にとって住みよい国だと言うことを、何処かで聞いたのを覚えていたからだろうか。ただ単に、体力が尽きたのがこの国だったのだろうか。浮かぶ理由は幾つもあって、…けれど、そうではないことを、今の俺は知っていた。

  きっと、俺がこの国に来たのは。この国で生きることを選んだのは。…あの子が在たからだ。俺にとって、誰よりも何よりも大事な、最愛の存在。俺の生き全てであり、俺を。…此処に引き留めてくれた、救ってくれた、俺のあの子。

  これが、他の者からしたら結果論でしかないことも分かっている。ただの偶然だと、そう言われるだろうことも。けれど、…俺は、そう信じている。俺がここに来たのは、…俺が、あの子を見つけたからだと。運命などと言う曖昧なものでもなく、俺が。俺こそが、自分であの子を見つけ出したからだと。

  「…そうであれば、俺も、微力ながら助力しよう」

  

  あの子の笑顔を、脳裏に想い描きながら。スティケートに向き直って、そう伝えた。俺が、…この国で、あの子を見つけ出すことが出来たように。あの子と出逢って、かけがえのない、限りない幸せをいつも、感じているように。あの者も、共に来た誰かと、この国で何かを見つけられたら良い。この国で、幸せを感じることが出来たら、良い。そう思った。俺と、…よく似ているようで決定的に何かの違う、無機質な犬獣人に。

  俺の言葉に、親友が笑って頷く。その、俺の思考を理解してくれているような笑顔に、俺も頷き返して。再度、玻璃と言う名の犬獣人が去って行った廊下を、見遣った。

  過去の俺が。何も、誰をも信じられずに、ただ心を凍らせていた、あの頃の俺が。俺のあの子に出逢って、世界が色づいたように。

  あの、まるで本人が武器か装置そのもののような、何の感情も持たぬような犬獣人が。…何か、それこそ自分よりも、大事だと想う何かが、誰かが、…在ればいい、と。不意に、そんなことが、脳裏をよぎった。

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