AdAd
  
イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【65-2】

  何に起こされたわけでもなく、ふ、と意識が浮上して。そこで、自分が眠っていたことを思い出した。

  どれだけ時間が経ったのだろう。先程眼を瞑った気もするし、大分長く眠っていた気もする。意識は浮上したものの、まだ半分は、頭が微睡んでいるようで。覚め切らない意識で、うとうととするように、眼を閉じたままぼうっとした。

  それでも、先程よりも体調は大分良さそうだ。少なくとも、眼を開くことすら億劫、と言う程の倦怠感は薄れていた。まだ頭は重い気もするが、重く響くような頭痛もそれほど感じない。確かめるように、眼を閉じたままで頭にゆっくりと指をやると、獣毛ではなく、濡れたタオルの感触が肉球に触れた。少し冷たい感触が、手のひらに心地好い。と言うことは、まだ俺の身体は熱いのだろう。

  どこかで、あの子と誰かが話す声が、微かに聴こえた気もする。あの子とは違う、誰かの気配も。けれどその時は、それに気づいて意識が多少浮上したものの、眼が覚めるまではいかずに、直ぐにまた意識が落ちた。俺の愛しいあの子の声と、もう一人。…あれは誰だったんだろうか。聞き覚えのある声だった気もするが、この屋敷の者ではない気もする。かと言って、スティケートやアステールでも多分、ない。

  ぼんやりとそんなことを考えながら、閉じていた眼を薄っすらと開けた。昼にしては薄暗い、柔らかなひかりが眼に差し込む。俺のすぐ傍で、あたたかな気配が小さく動いた。

  「リジットさん、起きた?調子はどう?」

  密やかに小さな、けれど明るく優しい声が、耳元に届く。その声に、ぼんやりと微睡んでいた意識が一気に覚醒する。耳がぴん、とそば立ったのが自分で分かった。口角が自然に弧を描いて、眼が細まる。瞬きをして、視界を鮮明にしてから、ゆっくりと傍らを見遣った。

  そこには、俺を笑って覗き込む、可愛い妻の姿があった。けれどその惜しげもなく細めた目には、確かに、俺を心配する色が見えて。…そんな愛しい妻へと、額のタオルに置いていた手を伸ばして、その頬を確かめるように撫ぜた。指先に感じる優しいぬくもりに、ほっとする。

  「ああ、大丈夫だ。…すまない、心配をかけたな」

  「ううん!さっきよりも少し良くなったみたいで、良かった。リジットさんが元気になってくれるのが一番だよ!」

  

  俺の言葉に、フラフィーがぶんぶんと顔を横に勢いよく振る。それから、眩いほどに嬉しそうな笑顔で、頬を撫ぜる俺の手にその柔く小さな手を重ねた。淡いひかりのなかで、俺の妻の、花のほころぶような愛らしい笑顔が一際鮮やかで。その笑顔に、俺も眼を細めて、暫く見惚れるように見つめる。

  ゆっくりと、フラフィーの柔らかな頬を撫ぜながら。…何故、部屋がこんなに薄暗いのかと言うことに、その時気づいた。確か、俺が最初に目覚めた時は朝だったはずだ。それならば、今はもう昼間の筈。…まさか、もう夕方になってしまったのだろうか?そんなことを思いながら、眼だけで部屋を見回した。そこで、カーテンが閉まったままなのが眼に入って、その所為かと少しだけ安堵した。

  どうやら、薄暗いのはカーテンが閉まっていた為らしい。俺が寝ていたから、カーテンを閉めたままにしてくれていたんだろう。それでも、カーテンの隙間から差し込む光は力強く、それが部屋を淡く照らしているようだ。…とは言っても、今は何時なのだろう?

  「フラフィー、今何時だ?」

  「うんとね、1時半過ぎくらいかな?」

  俺の問いかけに、フラフィーが部屋の時計を見遣りながら、答えてくれる。その時刻に、眼を見張った。夕方でなくてよかったとは言え、もう1時過ぎとは。と言うことは、数度の目覚めはあったと言えど、朝から今まで殆ど寝ていたのか。夜でもないのにこれほど長時間眠るということも、もしかして初めてかもしれない。元々、夜だってそれほど寝なくても大丈夫な性質だったからな。

  何をしたわけでもないのに、これほど長く寝られるとは。…病気とはすごいな。未だ、少し重い気のする頭に、そんなことが取り留めもなく浮かんでは消える。それから、…傍らのフラフィーを改めて見つめた。

  今、この子が座っているのは、いつもは部屋の端に置いてあるはずの椅子。サイドテーブルの片隅には、閉じたまま置かれている本。寝ている間も耳に届いた、この子の声。俺が目覚めたことに、直ぐに気づいて俺の顔を覗き込んできた、愛らしい顔。…もしかして。

  「…ずっと、俺の傍にいてくれたのか?」

  「うん。俺が、リジットさんの傍に居たかったから」

  俺の問いかけに。俺の誰よりも愛しい妻が、何でもないことのようにはにかんで笑う。わざわざ、部屋の端から椅子を、ベッド脇まで持ってきてくれたのだろう。サイドテーブルの上の本は、開かれた形跡がなかった。それとは反対に、同じくサイドテーブルに置かれた小さな盥は、幾度も使った跡がある。

  ただ眠っているだけの俺を、何時間も。傍らで、ずっと見守っていてくれたのだろうか。額のタオルを何度も濡らし替えて、俺の様子がどうかを見遣って。…まるで、それが当たり前のように。

  なんとなく、鼻の奥がつん、と鈍く痛んだ。嬉しいという気持ちと申し訳なさと、…何処か、幼い子供に戻ったかのような気持ちが混ざって、胸の奥で絡まる。俺は、小さな頃も病気などしたことがなかったが、…例えばロバストやアレクも、こんな気持ちになるのだろうか?

  今まで感じたことのない、何処かくすぐったくもあたたかい感情。病気の時に見守られている、見守ってもらっている、と言うのは、…こんな風に面映ゆい気持ちになるものなのか。これも、今日初めて知った。本当に、…この子は俺に、知らなかった感情をいつも教えてくれる。忘れていた感情を、思い出させてくれる。

  今朝がた、この子がいないと思った時に感じた、胸に穴が開いたような寒々とした想い。あの感情の名前は、今も分からないが、…あの想いも、俺の知らなかったものだ。

  胸にあふれるような衝動に任せて、愛しい妻へと腕を伸ばした。まだ、自分で起き上がるのは少々億劫だが、腕を伸ばすくらいは造作もない。そのまま、不思議そうに俺へと身を乗り出してくれたフラフィーを、両腕で抱き締めた。

  今の俺の体温よりも少し低く感じる、けれど何よりもあたたかなぬくもり。そんなあたたかく、柔らかな感触を感じて、息を吐く。口を埋めた首元から、花にもミルクにも似た甘い匂いが、鼻先を掠めて。…こうしているだけで、病気など直ぐに治ってしまいそうだ。

  フラフィーの小さな手が、寝ころんだままの俺の背に回る。ベッドと俺の背に挟まれたフラフィーの手が、もぞもぞと俺の背の獣毛を撫ぜて。まるで擽られているような感触に、小さく口元が緩んだ。幼い子どものような仕草と、母親のような手つき。相反するようなそのどちらもが、堪らなく愛おしくて。フラフィーの、その柔らかくあたたかな感触を、堪能するように抱き締め続けた。

  「リジットさん、少し起きられそう?まだ身体も熱いし、身体拭こうか、ね?」

  どれだけ、そうやって俺の妻を抱き締めていただろうか。耳に息がかかるような距離で、優しく聞かれた問いかけに眼を開く。…どうやら、無意識に眼を閉じていたらしい。一瞬だけぼやけた視界に、声と同じに優しい顔で笑っているフラフィーの笑顔が大きく映って。その愛らしい笑顔に、俺も自然と口角を上げた。

  …ああ、でも身体を拭くとなると、この子と一度離れなくてはならない。正直、身体を拭いてもらうよりも、この子を抱きしめていたい。俺のこの子は、触れているだけでとても心地好く、一度抱き締めてしまうとどうにも離し難いのだから。けれど、この子が俺を気遣って、折角言ってくれているのだ。矢張り、ここは頷くべきだろう。脳内で、そんな問答が頭を巡って。

  「…ああ、ありがとう」

  「うん!他にも、俺に出来ることがあったら何でも言ってね!」

  この子を離したくない躊躇いを隠しての返答は、どうやら上手くいったようだった。俺の言葉に、眩いばかりの笑顔で、フラフィーが嬉しそうに俺に大きく頷く。そんな、俺の妻の可愛らしい仕草と言葉に俺も笑うと、…フラフィーのあたたかな身体が俺から離れる。途端に、また、胸元から腹までが冷えるような感覚を覚えて。それを誤魔化すように、ゆっくりと上半身を起こした。そんな俺に、フラフィーが支えるように、手を伸ばしてくれる。

  その手が、俺の背や腕に触れると、…冷えたような感覚は、一瞬で消し飛んだ。この子のふくふくとして柔い手が、俺を労わるようにささえてくれる感触を享受しながら、ベッドの上に起き上がった。

  動物としての犬や猫と同じく、犬獣人や猫獣人も普段は身体からは汗をかかない。それは狼獣人である俺もそうなのだが、…今はなんとなく、全身の獣毛が濡れている気がする。手のひらの肉球からは汗が流れるほどで、軽く握るだけで手のひらが滑った。…ここまで汗をかいたことは、夏場でもそうはない。ここまで汗がかけるものなのか、とびしょ濡れになった自分の手のひらをまじまじと眺めている俺に。横からフラフィーが、水の入ったグラスを差し出してくれた。零さないようにか、両手で丁寧にグラスを持っている、愛らしい仕草。その手の中で揺れる透明な液体に、一気に喉が渇くようだ。いや、もともと渇いていたのだろうか。

  「ありがとう」

  そう言いながら、グラスを受け取ると。フラフィーが、そのふくふくと愛らしい顔をほころばせて、花の咲くように笑う。俺が水を飲むだけでも嬉しくて堪らないようなその様子に、俺も口角を緩めながら。…それだけ、俺のこの子に心配をかけてしまっていたのかと、今更ながらに実感する。

  「ううん!いっぱい汗かいたから、喉渇いたよね。たくさん飲んで、汗で熱を出しちゃった方がいいよ!」

  にこにこと笑いながら。俺の誰よりも可愛い妻が、そう言って俺の獣毛を撫ぜてくれる。その感触を、眼を細めて享受しながら、もう二度と熱なぞ出すまい、と強く決意した。熱だけじゃない、病気も、怪我もだ。…もう、俺のこの子に心配をかけるようなへまだけはするものか。

  その決意を、水とともに飲み干す俺の傍らで。フラフィーが、俺の身体を拭く準備をしてくれていた。飲み終わったグラスへと手を差し出してくれ、それをサイドテーブルへ置くと、そのあとで、フラフィーの俺よりも幾分も小さな手が、俺に触れた。水で濡らしたタオルは冷たく、それが快い。

  腕、背中、脇腹。特に汗にまみれている手のひらの肉球から、指の一本一本まで。途中でタオルを濡らしながら、俺の上半身の隅々までをフラフィーが丁寧に拭いてくれる。その心地好さに、自然と目が細った。喉がゴロゴロと小さく鳴っているのが自分で分かる。俺の喜びを表すかのように、知らず揺れる尻尾は我ながら元気がよく。尻の下に敷いて座っていなければ、きっと勢いよく揺れていただろう。…ああ、尻尾を布団で隠していて良かった。そんなことを思いながら、俺の身体を拭いてくれるその丁寧で柔らかな手を堪能する。

  数度、水でタオルを濡らしながら。喉元から耳から、上半身の隅々まで拭ってくれたフラフィーが、俺の身体から顔を上げた。仕上げ、とばかりに、俺の頬に両手で触れて、満足そうに笑う。こんな時のフラフィーの笑顔は、昔から変わらない、幼くて無邪気なもので。出逢った頃から変わることなく、稚く愛らしい俺の妻に、俺も眼を細めて笑い返した。

  

  「そうだ!リジットさんが眠っている時に、お医者様がいらしてね?きっと、風邪だろうって」

  お薬ももらったからね、ご飯食べたら飲もうね。、大事なことを思い出した、と言うように。フラフィーがサイドテーブルの上に置いてある、白い包みを手に取った。…眠っている時に?一瞬、疑問符が頭に浮かんで、それからああ、と納得した。寝ている時に、微かに感じた俺の妻以外の気配と、聴こえた話し声。あの声の主が、来てくれたと言う医者だったのだろう。

  俺たちのこどもを3人とも取り上げてくれた、犬獣人の老女医の顔が思い浮かぶ。怪我も病気も、産婆も任せられると言う、獣軍病院のなかでも万能の軍医。彼女が風邪だと判断したのなら安心だ。…フラフィーが、俺が目覚めた時から安心したような笑顔なのも、あの老女医が俺を診てくれたからかもしれない。本当に有り難い。

  そんなことを、一人密かに納得している俺の前で。フラフィーが、布団へと身を乗り出すようにして、俺の顔を覗き込んだ。その愛らしい丸い目が、俺を映す。

  「リジットさん、ご飯食べられる?それとも、他に欲しいものとかあるかな?」

  色素の薄い丸い瞳が、躊躇いなく俺を見つめて、そう問いかけて来る。…その問いへの答えなんて、ただ一つだった。食事は大事だ。それは勿論知っている。その後に飲む薬も、それと同じ程に大事なのだろう。けれど。

  俺にとって、今、一番大事なのは。欲しいものは。

  返事よりも先に、腕が動く。無防備に俺を覗き込んでくる、その柔らかな身体を、捕まえるように抱き締めた。そのまま俺の膝の上へと抱き上げる。…どうやら、体力のほうはほとんど回復したらしい。頭の芯が、浮かされたように熱いのは、風邪だと言われた所為か。それとも。

  「り、リジットさん?」

  「…安心しろ、お前に移すような真似は決してしない」

  唐突な俺の行為に驚いたのだろう。俺の膝の上で、俺の誰よりも可愛い妻が、動揺したように赤くなった。出逢った頃からどれほど時間が経っても、夜を共に過ごしても。いつまでも初々しく、愛らしい俺の妻。そんなフラフィーに、安心させる様に小さく笑って。それから、その首筋に再度、顔を埋めた。そのまま、このふくよかな身体を強く抱き締める。…それだけで、俺の全てが満たされるようだ。

  「だから、…少しの間、こうさせていてくれ」

  喉元から零れ落ちるような声は、自分でも懇願のようだった。…この子が離れた時に感じる、胸に穴の開いたような寒々とした感情。あれは、俺が病気だったから感じたものなのか。それとも、…本当はいつも感じていて、病気になった今、顕著になったものなのか。でも。ひとつだけ分かったことがある。あれは、きっと――『寂しい』、だ。

  そんな感情も、きっと、…俺は知らなかったのだろう。この熱と、病気と同様に、感じていたとしてもその名を知らなかった。これが『寂しい』ということなのだと、…幼い俺に教えてくれるひとは、その前に在なくなったから。俺が知ったのは、寂しいよりももっと深い喪失と、…憎悪だけで。

  この子を胸に抱くと俺は満たされて、この子が離れると、…酷く寂しい。まるで子どものようだ、と自分でも思う。これも病気の一つなのか。ただ、それなら、…俺に効くものは、薬よりも何よりもこの子の存在だ。だから。

  「食事も、薬も後できちんと摂る。…だから」

  繰り返してしまう接続詞。何が『だから』なのか。その先に続く言葉なんて、さっきと同じだ。だから、…だから。

  「もう少しだけ、俺の、傍に」

  そこまで言いかけた時に。フラフィーが、俺の身体から少しだけ、身を引いた。その柔らかな手が、再度俺の両頬に添えられて。それから。

  柔らかな唇が、俺の口に重なる。未だ熱のある俺よりも、あたたかな心地好さの、妻の唇。優しく重なるだけの口づけは、数秒とも数分ともつかなかった。フラフィーの身体に回した腕に、力がこもる。頭の芯に感じる熱が、強くなった気がした。けれど、それは先程と違って、決して不快ではない。それどころか。

  「少し、なんてそんなの俺がいやだよ」

  唇を離して。俺を覗き込むように、真っ直ぐ見つめてながら。屈託のないその大きな丸い目しが、惜しげもなくぎゅう、と細められる。その淡い色の唇が言った言葉で、…俺の想いが、この子にちゃんと伝わっていることが分かった。つん、と、また鼻の奥が鈍く痛む。けれど、これも決して不快でない痛みだ。

  「だって、俺のほうがリジットさんの傍にいたいんだから!」

  そう言って。今度はこの子の方から、俺の胸へと飛び込んで、俺の背に腕を回してくれる。そのまま、俺を慈しむように、その手が俺の背を撫ぜた。いつだって、俺を救ってくれる、あたたかで優しい手のひら。この子がいないと、穴が開いたように冷えて感じた胸中は。今はそれが跡形もないように、幸福で満ち溢れる。

  そのまま、その身体をもう一度、ぎゅうと抱き締めれば。…この子の方から、俺を寝かせるように、ベッドへと倒れ込む。ころん、とそのまま転がって、俺の目の前で花のように笑った。

  「起きたら、みんなでご飯にしようね」

  そう言って、俺と、自分の身体に、フラフィーが布団を掛ける。夜の寝室と同じようで、けれど少しだけ違う光景。それに、俺も笑って返して。いつも、夜にこの子を腕に抱いて眠るように。…少しだけ、この子に甘えるように。その甘やかに柔らかな身体に腕を回して、胸に収めた。

  もう、熱も病気も怪我などもするまい、と心に誓ったばかりだが。…ほんの少しだけ、心の隅で。…風邪と言うのも悪くない、と密かに思った。

  今日は、このまま。この子を腕に抱いて、もうひと眠りさせてもらおう。眼が覚めたら、まずは子どもたちに心配をかけたことを謝って、たくさん頭を撫ぜて抱き上げて。それから、皆で一緒に食事をしよう。その後で、勿論薬を飲んで。明日には、いつも通りに俺へと戻れるように。だから。

  だから、今は。もう少しだけ、このままで。…子供の頃に戻ったように、俺の、この誰よりも愛しい妻に、甘えさせてもらおう。

AdAd