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イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【66】
「…リジット兵士長」
軍施設の廊下で。躊躇うように俺へと掛けられた声に、一瞬歩みを止めた。軍の中でも高い方だと思う俺の背、それよりも幾分か高い位置から聴こえたその声に。一瞬、反射のように警戒しかけて、…それから息を吐いて、警戒を解いた。もう、この声の主に警戒する必要などないと言うのに。…ほとほと反射反応と言うやつは厄介だ。そんなことを考えながら、改めて振り返る。
「どうした、ハンデット」
振り返った先にいたのは、俺の予想通りに精鋭師団の新鋭だった。未だ一等兵ながら、その活躍が目覚ましいと評されている黒豹の獣軍人。何某かの階級が付くのも目前だと言われているその長身が、青色の軍服も鮮やかに俺の前で直立した。
「あの、…失礼ながら、近々、お時間を戴けますでしょうか」
その雄渾な体躯に相応しく、ハンデットの声は、いつもなら大声を出さなくてもよく通る。それほどよく喋るような印象はないが、一声でも上げればその存在感は相当のものだ。
そんな彼が、考えるように言葉を選んで紡ぐ今の声は、いつもよりも大分小さかった。…この言い方と、彼の醸す雰囲気から、終業後に稽古をつけて欲しいと言う話ではなさそうだと分かる。そもそも、俺と彼では部隊が違うしな。同じ肉食獣人と言うところで、精鋭師団の上官よりも俺に、と言うこともないわけではないだろうが。
「それは、俺に話があると言うことでいいか?」
「そうです、話…といいいますか、その、ご相談が」
相談。思ってもみなかった言葉に、密かに眼を見開いた。この者が、俺に、相談?思わず彼の眼を見遣るが、その視線は搗ち合わなかった。故意に逸らされている、と言うよりは、…何だろうか。まるで狼狽えているように、彷徨っている目線。
しかし、ハンデットはスティケートとも親交がある筈だ。あの面倒見のよい親友は、俺などより余程皆から相談事を持ち掛けられている。それなのに、スティケートではなく、俺とは。
「分かった。それなら今夜でいいだろうか?そちらの上官には、俺から話を通しておこう」
「あ、有難う御座います!」
一体何事か、と思いつつ、ハンデットの言葉に頷いた。そんな俺に、安堵したような顔で、目の前の彼が俺へと綺麗に頭を下げる。それを手で制して、時間を決めた。終業から程ない時間を提案すると、即座に承諾された。
「では、夜に」
「はい!有難う御座います!」
俺の言葉に、もう一度ハンデットが深々と頭を下げた。それを、苦笑しながら制してから、…一体、彼の相談事とは何だろうかと、密かに首をひねった。
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「何でも好きなものを頼むといい」
「あ、いえ…いや、有難う御座います」
通された席に着き、その長身を縮こませながら居心地が悪そうに辺りを見回す一等兵に、木板に書かれたメニューを見せる。一瞬遠慮するような素振りを見せてから、俺に頭を下げてその手がメニューを両手で受け取った。遠慮したほうがよいのか、素直に馳走になって良いのか逡巡しての結果だと言うのがこの一瞬で分かる。…俺の方が上官とは言え、俺と彼では所属する部隊も違うのだから、そこまで畏まらなくても良いのだが。けれど、それを言ってもこの真面目であろう黒豹の獣軍人は、俺への態度を変えることはないのだろうが。
俺がハンデットを連れ訪れたのは、スティケートとよく訪れる酒場だった。年を通しての回数はそれほど多くはないものの、何年と通っていることもあり、すっかりとこの店のマスターや、その奥方とも顔馴染みだ。訪れた俺を見て、奥方が俺をいつもの席へ通してくれる。この酒場には個室などと言うものはないが、テーブル席の間隔は程よく離れており、何より賑やかだ。下手に静かな個室などよりも、余程気兼ねなく話が出来ることもあり、特に相談事があるときなどはいつもここを選んでいた。
だから、今日も当然のようにここを訪れたのだが。…どうやら、ハンデットはこのような酒場へ来たことは、あまりないようだ。まだ階級のない一般兵であっても、休みなどには届を出せば酒場へ行くことも可能だと思っていたが。この者は、そのようなことはしないのだろうか。そこまで考えて、俺もそうか、と微かに自嘲した。
…きっと、ハンデットもあまり他者との関わりを持ってはいないのだろう。それが、自ら避けているのか、…他人から避けられているのか。そんな周囲の態度には、俺も覚えがある。特に俺は、…この国へ来たばかりの頃は、誰のことも。…自分自身でさえも、何も、信じられてはいなかったから。それもあってだろう、皆から避けられていた。そんな俺と関わろうとしてくれた者など、スティケートくらいなものだ。…今思い返しても、本当に有り難い。
そうやってスティケートが俺と関わろうとしてくれたおかげで、俺は彼と友となれた。もしあいつがいなかったら俺は、未だにこのような店と縁などなかっただろう。そしてそれは、…もしかしたらきっと、ハンデットもそうなのかもしれない。その理由こそ、俺とは違うかもしれないが。…少なくとも肉食獣人と言うことで、周りから忌避されることはどうしてもあるだろうから。俺にも覚えのある、肉食獣人に怯え、恐れる人々の視線。俺にとって、何より辛かった、あの忌避と恐怖の眼。
…そんな俺をフラフィーが、受け入れて、寄り添って、いつも一緒にいてくれる。だからこそ、俺はこの世界で限りない幸福を見出せた。もう一度、生きていこうと。…この子と一緒に生きていたいと、そう、想えた。
それは、ハンデットもきっと、そうなのだろう。あのパーティーの日に、ハンデットの婚約者として再会したあの少年が、傍から見ているだけでも分かるほどに彼に愛情を寄せていた姿を思い出す。ハンデットが同じように、あの少年を何より大事に想い、共に生きていきたいと、そう想っているだろうことも。そうでなければ、…俺からあの少年を隠すような立ち振る舞いはするまい。
『この存在だけは、決して離したくない。誰にも渡したくない』。まるで、全身でそう言っているかのような、ハンデットの態度。あのパーティーの日に、俺が、この者の眼からフラフィーを隠したかったように。…ハンデットも、俺からの、…誰からの視線を遮るように、あの少年の前に立っていた。
『この子さえいれば、周りの眼も、何も怖くない』。俺は、フラフィーに出逢ってから、ずっとそう想っている。が、それは、…逆に言えば、この子が居ないと、この世界に耐えられないと言うことだ。
あの子に逢うまでは。この世界にどれほど絶望していても、それが当然となってしまっていた。だから、耐えることが出来た。けれど、…一度、どうしようもないほどの幸福を知ってしまうと、それを喪った世界にもう耐えられない。自分の全てだと想える最愛の存在が出来て、その子からも限りないほどの愛情を向けてもらって。そんな毎日が当たり前となる、幸福。
…ハンデットも、きっとそうだった。あの少年と出逢って、彼を愛し、彼から愛される、限りない幸福を知った。…だから、俺からあの少年を隠したのだ。一体どうして、俺があの瞬間に、ハンデットの脅威となったのかは分からない。けれど、…この者は、あの時確かに、『兵士長が婚約者を奪うかもしれない』、と、そう思ったのだろう。無論、俺には誰より愛するあの子がいるのだから、そんなことは絶対に在り得ない。けれど、それを理解していても、…本能がそれを恐れた。
思えば思うほど、俺とこの者は似たもの同士だ。だから、…きっとハンデットの思考も、恐れも怯えも、俺には分かる。分かってしまう。奴が、…フラフィーに惹かれたその想いまでも。
しかし、そう考えると、何故ハンデットは俺に相談など持ち掛けたのだろう。この者も、俺と自分が似ていると感じでもしたのだろうか。そんなことに思考を巡らせながら、難しい顔でメニューを睨めつけるように見遣るハンデットを眺める。
「…それでは、エールを」
「分かった」
その顔が、諦めたようにメニューから眼を離して、俺に告げた。この間のパーティーでは普通に酒を飲んでいたと思うが、好んで飲む方ではないのだろうか。俺に遠慮して、というよりも、酒の名前が分からないと言った方が合っているようなその素振りに、それでも頷いて注文をするべく手を挙げた。
直ぐに注文を聞きに来てくれた奥方に酒を頼み、彼女が去ると俺たちのテーブルは沈黙に包まれる。…正直、気まずい。この場にスティケートでもいてくれれば、俺も、もう少し気軽に口を開けると思うのだが。元々俺は喋りなど上手くないし、寡黙だ無口だ愛想がないだと言われて久しい。俺の愛するあの子や大切な子どもたちや、昔からの親友相手になら、俺も多少は饒舌になれるのだが。…今はもう疑念を抱いていないとは言え、この者は元恋敵だ。その上、相談とやらの内容も予想がつかず、しかも二人きり。この状況で、何かこの場が盛り上がるような話題を提供できるほど、俺の社交性や協調性は高くない。このような場に関しては、穏やかで面倒見の良い俺の親友が得意としていたから、それに甘えて彼に任せていた部分も少なからずある。
…ああ、矢張りスティケートも誘うべきだったか!いやしかし、わざわざ俺へと相談を持ちかけてくるくらいだ、もしかしたらスティケートには言いづらい問題なのかもしれない。…いや、スティケートより俺の方がいいなど、そんな問題があるだろうか?
そんなことを取り留めもなく考えながら、ハンデットが口を開くのを待った。しかしながら、ここまで話を切り出さないとは、余程言いづらい話なのだろうか。それならば、俺から口火を切るべきか。
「…してハンデット、俺に相談とは?」
このような聞き方で良いのだろうか。そう思いつつも、良い口上が思い浮かばず、切り出し方は直接的になった。そんな俺に、ハンデットが姿勢を正し、口を開き…かけたところで、注文した酒が席へ運ばれる。そこでハンデットも口を閉ざし、各々の酒が目の前に置かれるのを待った。
このような状況で、乾杯も何もあったものじゃない。お互い、運ばれて来た酒に手を伸ばすこともせず、再度、ハンデットが口を開くのを待った。…目の前で、ハンデットが俺のも分かるほどに大きく息を吸う。
「あの、…このようなことを兵士長にお聞きするのは大変無礼だと存じているのですが」
ゆっくりと、先程吸った息を吐き出すように。緊張している声が、そう俺に告げる。声だけでなく、その態度からも醸す雰囲気からも緊張を滲ませたその様子に、俺も思わず姿勢を正した。
「ああ、どうした?」
緊張を越して、緊迫したようなハンデットの気配。正しい姿勢で座っている、その肩や二の腕に力が入っているのが軍服越しにも分かった。きっと、テーブルの下で膝上に置かれているだろうその手は、きつく握りしめられているに違いない。
躊躇うような、数秒の沈黙。その後で、意を決したように、ハンデットがその口を開いて。
「…ど、同性の人間との、その、『夜』を迎えるには、どうすればよいのでしょうか!?」
半ば、叫ぶように言われた言葉は、途中でひっくり返っていた。騒がしい酒場の中でも一際大きく響いた声に、店中のざわめきがしん、と止まる。その叫びを投げられた俺も、彼の目の前で思わずぽかんと眼を見開いた。当のハンデットは、周りの静寂にも俺の表情にも気づく余裕がないようで。テーブルを見つめるように俯きながら、一仕事終えたように肩で息をしていた。…いや、何と言うかそれは。
「…は?」
予想もしていなかった方向からの、それでも限りなく真っ直ぐな質問に。何の言葉を返したら良いのか分からず、出てきた言葉は一音だけだった。そんな俺に、ぐう、と喉奥で押し殺したような呻き声を一つ上げたハンデットが、それでも堰を切ったように話し出す。いつの間にか、その両手はテーブルの上に置かれて、思った通りにきつく握られていた。
「私事で大変恐縮なのですが、兵士長も御存じのように、先日自分はその、人間の少年とその、こ、婚約をしましてっ」
「ああ」
緊張のし過ぎで、声量の調整が出来ないのだろうか。時折声を裏返しながら、軍人仕込みのよく通る声でハンデットが俺に話す。それほど広くはないこの酒場の店中に、彼の声は響いていた。…俺だけではなく、今この場にいる酒場の面々も、ハンデットの話に聞き入っているようなのだが、それは良いのだろうか。けれどそれを問いかけることも出来ずに、ただ、ハンデットの言葉に頷いて見せる。
「それまでも俺たちはこ、恋人として付き合っていたのですが、なんというか俺としてはその、け、結婚を前提は当然として、それまでは真面目に付き合っていくべきだとずっと思っておりまして」
「そうか」
一口も飲まれていないエールから、泡が消えていく。それを凝視するように見つめながら言葉を募らせていくハンデットは、その実エールなど眼に映っていないのだろう。その黒色の獣毛すら、赤く色づかせる様に話していくハンデットに、俺も続けて頷いた。
彼の言う『真面目な付き合い』が何を意味するかは俺の予想でしかないが、…多分性交渉の類だろう。要は、結婚が決まるまでは性的なことはしない、とハンデットは決めていた。そういうことだ。…俺も、フラフィーと婚姻するまでは、最後の一線だけは越えるまいと自分に課していたが。ハンデットは、更に自分に禁欲を課していたのか。そもそもが真面目過ぎるほどに真面目で、一途な男なのだろう。俺の知るハンデットの範囲など微々たるものだろうが、それでもこの者らしいと思える思考に、俺の口角が微かに上がった。
「ですがその、この度婚約という関係になったからには、こ、この先に進んでも良いのではないかと…っ!」
良く通る声が一段と大きくなり、語尾が上がった。獣人は汗を掻かない筈だが、その獣毛に汗が浮かび滲んでいるようにすら見える。…ここまで来て、ハンデットが何故俺に相談したいと申し出てきたのかを漸っと悟った。
俺の愛するあの子と、ハンデットの婚約者は、特徴こそよく似ている。『ふくよかで背の低い、人間の少年』。そして俺とハンデットも、獣人の中でも数の少ない『肉食の獣人』だ。…そもそも人間と結婚する獣人が少ないなかで、このような特徴を持つ人間と獣人が結ばれた例なぞ、長い歴史の中でも然うは居なかったに違いない。勿論今現在、そのような婚姻をしたのは俺たちだけだ。
そうすれば、…ハンデットがあの婚約者の少年と『夜』を迎える―つまりは性交渉をしたい、結ばれたいと思った時に、どうすればよいかを聞けるのも、また、俺だけになるだろう。そういうことか、と会得して頷いた。それならば、この者が俺を相談役に選んだのも納得できる。
「要は、あの婚約者殿と性交渉をするためにはどうすればよいか、と言う相談か?」
となれば、ハンデットが俺に聞きたいと言うのもそういうことだろう。そう思って、何ともなしに口に出した問いかけに、…今度こそ、ハンデットの顔が爆ぜる勢いで赤面した。それはもう、獣毛の上からでも分かるほどに、見事に。…これは、表現が直接的過ぎたか。
「…はい」
テーブルの上で握られている、彼の両の拳から、滴ったのだろう汗が小さく溜まっている。机に突っ伏すのでないかと思うほどに、顔を俯かせたハンデットが、それでもしっかりと力強く頷く様に、思わず口角が上がった。
「そうか」
俺も頷き返してから、もうすっかり温くなったウイスキーに口をつける。…俺とフラフィーの話を、スティケートに聞いてもらっていた頃が、脳裏を過ぎった。あの子と夜を共にするために、どう準備したらよいのか。あの子が痛がらない方法は。あの子に気持ち好くなってもらうには。そんなことを相談できる相手は、俺には親友しかおらず。頻繁にここへ誘っては、そんな話を聞いてもらっていた。
…あの頃のスティケートの立場に、まさか俺がなるとはな。そんなことを感慨深く思いながら、この後の店はどうすべきか思考を巡らせる。
流石に、今のこの、店中の者が聞き耳を立てているような状態で、俺のあの子の話をする訳にはいかない。夜のあの子がどれだけ愛らしく扇情的で、甘く蕩けながら俺を求めてくれるのか。そんなことを、面前で口にするつもりなど毛頭ないからな。あの子のとろとろに蕩けた愛らしい顔も、甘く俺を呼ぶ声も、俺を受け入れてくれる柔らかな身体も何もかも、俺だけが知っていればいい。
かと言って、俺の家へ呼ぶのも、…きっと、俺のあの子は恥ずかしがるだろう。例え、ハンデットとあの婚約者の少年の為とは言え、そんな話を俺の可愛いあの子の前では出来ない。
『そんな話しちゃ駄目!』と、真っ赤になって俺の口を押さえて来る、誰より愛しい妻の姿が鮮明に浮かんで、顔が緩んだ。…そんな可愛い姿を見たい気もするが、あの子を困らせるのは俺の本意ではない。だとすれば、余り行ったことはないが、個室のある酒場だろうか。
「では、少し店を変えよう。ここでは、そういう話は少しし辛いだろうからな」
そう言って、グラスに残ったウイスキーを呷る様に流し込んだ。それに、ハンデットもすっかり気が抜けたであろうエールを同じように一気に呷る。それを見遣ってから席を立てば、目の前で同じように、勢いよく席を立つハンデットと眼が合った。
…きっと、この後の酒場では。相談を口実に、普段あまり口に出せない『惚気』というやつを、この機とばかりに俺がこの者へ話すのだろう。それに対してハンデットも、同じように俺へと惚気返すに違いない。その光景と感情が、手に取る様に予想がついて。…矢張り、俺とこの者は、似た者同士なのかもしれないと、小さく笑った。
今日の夜は、長そうだ。
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