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イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【67】

  その日は、普通の日のはずだった。

  朝、リジットさんがお仕事に行くのをお見送りして。ロバストを学校に送り出して。アレクやジーニャと遊んで、お昼寝するのを見届けてからみんなのお手伝いをする。そんな、いつもの平和で幸せな日常。その、筈だった。

  「奥さま!奥さま、リジット様が!」

  アレクとジーニャがお昼寝した後に、馬丁さんが、そう言って。

  「リジット様が、お怪我をされて軍病院へ運ばれました!」

  …お屋敷に、駆けこんでくるまでは。

  

  *********************

  がらがらと、いつもよりも倍は速いスピードで、馬丁さんが馬車を飛ばしてくれる。その分、いつもよりも揺れるけれど、そんなことは気にならない。手が凍えるように震えて、目の前が揺れる。心臓はどくどくと鳴っているのに、全身を巡る血液は酷く冷たく感じた。

  「奥さま、お気を確かに」

  一緒に馬車に乗ってくれたメイドさんが、俺の手を握ってそう励ましてくれる。でも、その言葉が、遠くから聞こえるようで、うん、うんと頷きながらも、…俺の頭に入ってくれない。彼女の手があたたかいことだけが、かろうじてはっきりと分かる。そのあたたかさに縋るように、俺も彼女の手を握り返した。きっと、凍ってるようだろう俺の手を、あたためるように彼女の手が懸命にさすってくれていた。

  アレクとジーニャは、他のメイドさんたちが見てくれている。まだお昼寝の途中で眠っていたし、…俺の顔色が一瞬で、あんまりにも蒼白になっていたからだろう。

  『お坊ちゃまとお嬢さまは自分たちが見ております、どうかお早く、病院へ』

  そう言って、付き添ってくれてるメイドさんと一緒に、俺の背を押すようにして送り出してくれた。…そうでもしてもらわなかったら、その場に崩れ落ちて、へたり込んで、動けなかったかもしれない。

  「きっと、リジット様は大丈夫ですよ!あんなにお強いんですもの、怪我と言ってもそんなに大したことはないですよ、全くあの馬丁と来たら慌て者なんだから」

  きっと、頑張って明るい口調で話してくれてるんだろう。語尾で笑い飛ばすようにそう言いながら、俺の手を握りしめてくれる彼女の手は、…俺と同じように、震えている。このメイドさんは、リジットさんが俺と婚約する前から、リジットさんのお屋敷に勤めてくれていた。だから、…リジットさんが心配なのは、俺と同じだ。でも、そんな彼女が懸命に明るく振舞おうとしてくれてる。だから、俺だって笑わないと。そうだよね!って頷かないと。

  でも、どう頑張ろうとしても、口が震えた。目を開いてるはずなのに、視野が狭くて、目の前が暗い。俺を励ましてくれてる彼女の顔だって、よく見えない。頭の奥が冷え切っていて、思考が上手く働かなくなっていた。

  どうしよう。どうしよう、リジットさんになにかあったら。彼を、…喪うことになったら。それを思うだけで、怖くて怖くて、仕方がない。まるで、こころが潰れるような。俺の身体の半分がもぎ取られていくような、痛みさえ伴った絶望感。

  いやだ、いやだよ。俺を置いていかないで。こころのなかでは泣き叫んでるのに、身体は麻痺してしまったみたいに涙は一滴も出ない。俺がしっかりしないと、って、頭の片隅ではわかってるのに。俺は、子どもたちのお母さんで、俺がこんな風になってたら、みんなを心配させてしまう。だからもっとしっかりしないと。そう思ってるのに、…リジットさんのお嫁さんの俺が、俺のなかで子どもみたいに泣きわめいてる。

  呼吸すらうまく出来ない気がして、息が苦しい。どくどくと低く鳴る心臓の鼓動すら冷たくて、身体が冷たくて気持ちが悪い。奥さま、って懸命に話しかけてくれる彼女の声すら、遠ざかっていくようで。震える唇を噛み締めて、何とか意識を繋ぎとめた。

  お屋敷から軍の施設までは、本当はそんなに遠くない。でも、今の俺には、永遠にも思える時間だった。漸く、…本当に漸く、馬車が止まって。馬丁さんが、とても慌てたように急いだ手つきで、馬車の扉を開けてくれる。

  

  「奥さま、参りましょう」

  俺の手をずっと握ってくれていたメイドさんが、促すように俺の手を引いてくれる。冷たくなり過ぎて止まってしまっていた思考が、少しだけ息を吹き返した。扉の向こうの景色が、漸く目に映る。…ああ、病院だ。それを認識すると、身体が勝手に動いた。椅子から転がるように立ち上がって、ドアへと足を一歩踏み出す。ああ、早く、速く!

  気ばかりが急いて、足がもつれた。馬車の階段から落ちそうになる俺を、メイドさんと馬丁さんが支えてくれて、漸くありがとう、って声が出た。…でも、その声は、自分でも掠れて、罅割れて聴こえる。こんな時、俺を支えてくれたのは、いつだってリジットさんだった。そんなことが脳裏をよぎって、噛み締めていた唇に力を籠める。…血のような味が、少しだけ口の中に広がった。

  メイドさんと手を繋いで、病院の廊下を駆ける。…本当は、病院で走ったらいけない、なんて分かってる。でも。でも!

  頭の中は、早く病室へと、彼の元へと行くことだけで、いっぱいだった。速く走りたいのに、膝が震えて時折転びそうになる。そんな俺を、しっかりとメイドさんが支えてくれて、また走った。そんな大した距離でもないのに、息が苦しい。それより何より、心臓が苦しい。

  教えられた病室へと、辿り着く。ドアを開けたいのに、気ばかりが焦ってドアノブすら回せない。何度もがちゃがちゃと、無意味にノブを鳴らしてから、ドアが開いた。

  「リジットさん!」

  ほとんど飛び込むように、部屋へと駆けこむ。口から、叫ぶように彼の名前を呼びながら、目を見開いて部屋を見回して。

  「フラフィー」

  …そこに、リジットさんが、いた。座って、上半身だけ裸になって、腕に包帯を巻かれている最中。俺の叫ぶような声に、…こっちを向いて。俺の登場に、少しだけ驚いたように、眼を見張った。綺麗なかたちの琥珀色の眼が、…真っ直ぐに俺を見ている。

  「どうした!?顔色が蒼白じゃないか、どうしたんだ!」

  どれだけ、俺の顔色は悪いんだろう。リジットさんが腰かけていたベッドから立ち上がって、俺のほうに駆け寄って来てくれる。…全身から、力が抜けた。床に、ぺたりと座り込んで、目の前のリジットさんを凝視する。

  目の前に色が戻って、そのままぐしゃぐしゃになる。気持ちがほどけたように、今まで一滴も出なかった涙がいっぺんにあふれた。リジットさんが生きてる。俺の前で、笑ってくれてる。よかった。…よかった…!

  「よかった…っ!よかったよう、りじっとさん、ぶじでよかった…っ!」

  わんわんと、子どもみたいに泣きながら、それだけを繰り返す。病院で大声を出すなんて、そんなことも自重できない。手で拭っても溢れる涙は抑えるどころか、なんの意味にもならなかった。手があっという間に涙で濡れて、手首にまで滴る。鼻が詰まって、息が出来なくて、それでも涙は止まらない。

  そんな俺に、…リジットさんが驚く気配がして。一緒に来てくれてるメイドさんが、『リジット様がお怪我をしたと聞いて』、って、俺の代わりに説明してくれる。

  「フラフィー、済まなかった。心配かけたな、俺は大丈夫だ。ただ、腕を少し斬り付けられて、怪我をしただけだ。処置もしてもらったし、何の問題もない」

  優しい声が、俺の上に振ってきて。そのまま、ぐしゃぐしゃに泣き濡れる俺の顔を、彼の手が両手で包んでくれた。芯まで冷たくなってしまってた俺の身体に、彼の手のあたたかさが、染みわたるようで。ぼろぼろと泣いたまま、縋りつくように彼に抱き着いた。

  ****************************

  通り過ぎる景色が、窓の外をゆっくりと流れる。どうやら、なるべく馬車を揺らさないように走ってくれているんだろう。いつもよりもゆったりとした風景をなんともなしに眺めてから、…腕の中にあるぬくもりに、小さく笑って抱きかかえ直した。

  病院で、泣き疲れてしまったのか。フラフィーは、あれから眠ってしまった。一緒に病院まで来てくれたメイドは、馬丁の隣に座ると言って、こちらには乗らなかった。がらがらという馬車の音と、フラフィーの寝息だけが聴こえる馬車の中で、…先程のフラフィーの様子を、思い浮かべる。

  俺の無事を、子どものように泣きながら安堵し、喜んでくれた、俺の最愛の妻。…病室に駆け込んできてくれた時、この子はどんな気持ちだったのだろう?いつも幸せそうに笑ってる、甘やかに白い膚が、…血の気の失せた、青すら越して蒼白になっていたあの表情を思い返して、胸が軋んだ。

  これまで、…自分の怪我や体調について、そこまで深く考えたことはなかった。獣人は、人間よりも遥かに強靭だ。体力もあれば、獣毛のおかげか傷もつきにくく、怪我の治りも早い。人間であれば致命傷になるだろう傷でも、獣人ならば重傷とまでならない場合がほとんどだ。せいぜいがちょっと深い傷、くらいで済む。特に肉食獣人は、戦闘能力が高いこともあるのだろうか。他の獣人よりも、その強靭さも治癒能力も更に上だった。

  だから、…今回も、この程度の怪我ならなんの問題もない。誰にも迷惑も、心配もかけないだろう。そう思っていた。自己犠牲、などと格好の良いことは思っていないが、…皆の上に立つものならば、率先して部下を守るべきだとも。

  フラフィーの髪を、梳くように撫ぜながら。…先程、昔から屋敷にいてくれるメイドの少女から言われた言葉を、思い返した。

  泣きつかれて、俺にしがみつくようにして眠ってしまった、俺のこの子を。を慈しむように、悼ましそうにひとつ、見つめて。

  『リジット様、どうか、…もっとご自愛ください。リジット様に何かあったら、哀しむ人がたくさんおります』

  真っ直ぐな目で、そう言ってきた彼女の言葉。差し出がましい物言い、申し訳ございません。そう言って、頭を下げて、馬丁の方へと歩いて行った後ろ姿が脳裏を過ぎる。

  自分を蔑ろにしてきたつもりはない。けれど、…自分に頓着していなかったこともまた、確かだ。

  

  もしこれが、俺のこの子や大事な子どもたちであれば、どんな些細な怪我でも心配になるだろう。例え指を切った程度の怪我でも、病院に連れて行きたくなるに違いない。けれど、…自分が怪我をしたときは、俺のこの子が哀しむ。その可能性を、忘れていた。

  目の前で、両親を喪ってから…何があっても独りで生きていくものだと思っていた。自分が怪我をしても何をしても、…それを哀しむ者はもういないと。だからこそ、自分の身を削るような攻撃にも転じることが出来て、それを見込まれて軍人としての道が開かれた。だから。

  だから、…自分の在り方は、正しいのだと。己の身を挺して戦うことが、自分には適しているのだと。そうやって戦うことで、…俺の誰よりも大事なこの子や、大切な家族を護っていけるのだと。…心の何処かで、そう信じていた。

  フラフィーの髪を梳いてた指で、今度はそのあどけない目元をなぞる。まるで泣きはらしたように真っ赤な目元は、きっと鋭敏になっているのだろう。肉球の表面でゆっくりなぞると、柔らかな身体が小さく震えた。触れた肉球の先から感じる体温は、いつもよりも大分高く、熱く感じて。フラフィーの髪に顔を埋めるように、その身体を腕のなかへと抱き込んだ。花ともミルクともつかない甘い匂いが鼻腔を満たして、そのぬくもりに、安堵する。

  …俺が怪我をしたことで。俺の、誰よりも大切なこの子が、あんなに蒼白になるなんて。俺が無事であったことを、あんなに泣いて、喜んでくれるなんて。これまで、思いもしなかった。

  

  今まで、俺が何よりも留意し、心を砕いていたのは。俺の最愛のこの子と、大切な子どもたちの幸福と、無事と安全。俺の何より大事な家族が、何も心配することなく、俺の傍で幸せに暮らしてくれること。それは、勿論これからだって変わらない。けれど。

  『其処』に、自分を置いていたか。家族の無事と安全、その中に、自分の存在を考えていたのか。それを自問すると、…答えは否だ。きっと、あのメイドの彼女が言いたかったのも、そう言うことなのだろう。

  勿論軍人であるからには、自分の身を二の次、三の次にすることは当然だ。けれどそれは、…決して自分を蔑ろにして、死に急ぐことではない。自分の犠牲を当たり前として、家族を護るものでもない。

  

  寧ろ、この身を全て捧げてでも、護るべきものがあるならば。…どれだけ醜態をさらそうとも、生き抜くべきなのだ。怪我や死を当然と思わず、もっと足掻くべきなのだ。…俺の怪我で、こんなにも哀しんで、心配して、泣いてくれるこの子の為にも。俺のこの子を、二度と、こんな風に哀しませないように。

  「俺も、もっと自分を大事するべきだな」

  小さく呟いた言葉は、まるで自戒のように、馬車のなかに微かに、けれど確かに響いて。腕のなかに抱き込んだ、俺のこの子が、…嬉しそうに小さく笑った気がした。

  

  今まで。自分を大事にする、なんて、考えたこともなかった。けれど、…大事な誰かを護るためには、自分も大事にする必要があるのだと、この子が俺に教えてくれた。

  (俺に、本当に大事なことを教えてくれるのは。いつだって、お前なんだな)

  

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