別館の扉を開くと秋の夜風が体を通り抜ける。
渡り廊下の床板を常夜灯が照らしている。
小さな垣根で囲われているものの、そこは紛れもなく屋外だった。
「うう……」
リョウは小さくうなりながら、体をさする。おむつ一丁の他、旅館のスリッパしか身に付けていない。すっぽんぽんの体には少し肌寒いが、耐えられないほどではない。
それよりもこの恰好で出歩くことのほうが、よほど耐えがたい辱めだ。
「夜風が気持ちいいですねー」
「あぅぅ……」
ユウタに手を引かれながら、一歩ずつゆっくりと歩みを進める。大きなおむつのせいで、足はがに股に開いたままだ。
上着は何もなく、上裸の素肌がなんとも心もとない。
パタパタ……パタパタ……
中庭を臨む回廊は外部を生け垣や樋で軽く囲ってあるだけで、旅館からは丸見えだった。
ひんやりと涼感の混じる夜風が、ここが外だと告げる。
体は心地よく涼しくなるが、下半身だけはふっくらと暖かい。
「うう……だ、誰もいねーよな……?」
誰に言うでもなく口走る。
クシュッ……クシュッ……
静かな中庭に、おむつの衣擦れ音が響く。
心臓がバクバクとうるさい。
はーはーと呼吸が浅くなり、耳が熱くなる。リョウは頬を赤らめてうつ向いた。ぷっくりとしたおむつから伸びるスラリとした足と、スリッパが見える。
「喉が乾きましたねー」
旅館の脇道、通用口らしいあたりに自動販売機を見つけるなり、ユウタはこれみよがしに言った。
「……別に」
リョウは唇を尖らせる。
「おごってあげますから、ちょっとおつかいしてきてくれませんか?」
「は?」
「荷物が多いんで、2つも持てないんですよ。ちょっと言って二人分買ってきてください」
チャリ……
ユウタに小銭入れを手渡される。
「なん……で」
リョウ言い返そうとするが、口をパクパクさせて舌が回らない。
荷物なんてリョウが代わりに持てば良い。そもそも、考えてみればそのリュックの中に、風呂の前に着てた学生服があるだから、それを着れば……
「じゃ、頼みましたよ」
ユウタはスマホを取り出して、すいすいといつものアプリを操作し始めた。
「い、いや……」
リョウの頭に浮かんだ様々な反論が、靄のように消えていく。
言い返そうと思うのだが、うまく考えがまとまらない。
ポンポン
ユウタに頭を撫でられる。
「僕はBLACK TEA, unsweetened。リョウくんは好きなもの選んで良いですよ」
「あぅ……うう……」
ユウタに引かれて向きを変える。商品陳列が光る販売機が煌々と光っている。
「さ、行ってらっしゃい」
パンッ
ユウタにお尻を叩かれる。分厚いおむつが、ぽしゅっと情けない音を立てた。
「い、嫌だってのに……」
いつもの調子でユウタに強く言われると、どうしても逆らえない。
なんとか言い返そうとしても、結局言うことを聞いてしまう自分が情けない。
ザシ……ザシ……
ユウタの手を離れ、一人で中庭の脇道を進む。
おむつで、がに股されて歩きづらい。
「ぐぅ……」
リョウは唇を噛んで喉を鳴らした。肩を縮ませて、ユウタの小銭入れをギュッとへその前で握り混む。薄暗闇にぽつんと見える販売機が、ずっと遠くにあるように感じる。
クシュッ……
おむつの音がいつもより大きく鳴る。夜風が吹いて体を通りすぎ、遠くに木々の揺れる音が聞こえた。誰もいない夜道とはいえ、おむつとスリッパしか身に付けていない。
こんなおむつ一丁すっぽんぽんの姿を、誰かに見られたらどうしよう。
そんな思いが、浮かんでは消える。
「えと、お茶で、良いのか……?」
リョウは、はーはーと息を荒げながら自販機にたどり着いた。誰かに見つかる不安からか、足がガクガクと震えている。
へその前で握った拳を解いて、こじゃれた革の小銭入れを広げる。
中身は中央の仕切りで、片方が五百円と百円、もう片方がそれ以外と、綺麗に仕分けられていた。
ピ……ピ……
小銭を入れると、自動販売機が明るさを増した。
「なんて言ってたっけ……なんとかティーだから、紅茶だよな?」
気になって振り返るが、またユウタに聞きに戻るには少し遠い。なるべく大声も出したくない。
「うう……」
ふと不安になって辺りを見ると、旅館の閉じたガラス窓にリョウの姿が写っている。室内は暗く、窓の反射で外に立つリョウの姿が鏡のように映って見える。
そこでは薄闇に置かれた光源の隣に、全身を照らされたリョウがぼんやり立っていた。
年相応に伸びた手足と筋肉質な体。そこに不釣り合いに明るい子供向け柄のおむつが一層際立つ。
白地の多い紙おむつは暗がりに目を引き、そこだけぼんやりと明るく見える。
クシュッ……
下半身のおむつが音を立てた。
「う……」
否応なしに自分の姿を自覚させられ、顔が真っ赤になる。
リョウはぶんぶんと頭を振って、自販機に目を向けた。
「えっと、紅茶だとして……何か言ってたよな」
ユウタが普段飲んでいるものを思い巡らす。紅茶が多い気がする。家ではミルクを入れてるけど、市販のミルクティーは甘すぎるとか、前に言ってた気がする。
ピ……ピ……ガコン
ユウタにはRuby紅茶の無糖、自分用に四つ葉サイダーを買った。
商品を取り出そうとして屈むと、大きな吸水部に邪魔され、大股開きに蹲踞のようなポーズになってしまう。なんとも情けない格好だった。
クシュッ……クシュッ……
おむつが大きく音を鳴らす。
ガゴッ
取り出し口からペットボトル2本を抱えて、足早に戻る。片方の手に1本ずつ手に取ったせいで、両手がふさがってしまう。
恥ずかしさが増してまた一層顔が赤くなったが、踵を返してユウタのもとへと向かった。
ザッザッ……クシュクシュ……
大きなお尻を左右に振って、歩くたびに恥ずかしい音が鳴る。リョウは両手のペットボトルをぎゅっと握りながら、唇を噛んで歩いた。
「ほ、ほらよ」
リョウが戻ると、ユウタはいつものアプリ片手に待っていた。
「ああ、ありがとうございます。無糖の紅茶って、よくわかりましたね」
「いつも飲んでるじゃねーか」
「へー……見てくれてるんですねー」
ユウタがニヤニヤした顔で覗き込んでくる。
「な、何だよ」
唇を尖らせてぷいとそっぽを向く。
プシッ
リョウはぶっきらぼうにギャップを回し、軽快な音を鳴らしてペットボトルを開栓する。
ゴッゴッゴッ……
気まずさを飲み込むように、喉へ流し込む。
甘味と炭酸の清涼感が駆け抜ける。
「ぷっはっ……」
一息で七割近く飲みきった。
風呂上がりの体に、心地よく染みる。
「良い飲みっぷりですねー」
隣でユウタもペットボトルの紅茶に口を付けている。
「ま、まーな」
気恥ずかしくなって、口許を拭う。
「夜中にそんなに飲んで、おねしょしちゃいますよー」
「ぶっ……あ、う、うっせ!」
思わず咳き込みながらも、必死に否定する。
大丈夫だと己に言い聞かせながら、残ったサイダーを口に運ぶ。
お腹が少し冷えた気がする。
二人とも飲み終わると、またユウタに手を引かれて、旅館へと戻った。