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すっかり暗くなった空の下を、マフラーを巻き厚手のコートを羽織った人達が手をこすりながら足早に通り過ぎる。カツカツという足早なブーツの足音は、まるで俺までをも急かしてくるようだ。俺も仕事帰り、コートとスーツに革靴で、コツコツと馴染みの店に向かうのだった。
表通りへ向かう道を通り過ぎてさらに先へ進む。やがて見えてきたのは、ログキャビン風のウィッディな料理店だった。電球色の照明が入り口をやわらかく照らす。Lusso(ラッソ)と書かれた看板がかけてある。
「いらっしゃ……ああ巧(たく)、こっち空いてるからどうぞ」
家庭的なエプロンをした人懐っこそうなしろくまは、お世辞にも人相がいいとは言えない虎獣人の俺の顔を見た瞬間、少し優しい眼差しになり、丁寧な仕草でテーブルに案内してくれたあと、アレでいいよね、と囁いてから厨房に戻った。
このラッソは、ヨーロッパ・フランドル地方の郷土料理を提供する家庭料理店だ。肩のこる高級料理店と違って和気藹々とした雰囲気だし、普段なかなか口にしない料理が食べられる。シェフ……と呼んでいいのだろうか、友人の白田蒼(しろたあおい)が調理からホール係まで一人でやっている。俺は料理をしないし、ラッソは近くにあるし友達の店だから、通わない理由がない。もっとも俺は薄給の新米サラリーマンだから、週二、三回通うのが限界というところだけど。
しばらくすると、白田はほかほかと湯気の上がる料理を持ってきてくれた。いつも必ず俺が頼むフランドル地方の代表的な料理、牛肉のビール煮込みだ。大きなお皿の上に小さな鍋が置いてあって、その中には煮込まれた牛肉がごろごろ入っている。お皿のほかのスペースには、フライドポテトやサラダが乗っている。白田は俺の前にお皿を置くと、テーブルの向かいに座った。
「それ、好きだねえ。気に入ってもらえてるのなら嬉しいけど」
「うまいし、それに冬に食べるなら煮込み料理だろ」
「何言ってんの、夏にも食べてるクセに」
肉じゃがじゃないけど、煮込み料理はおふくろの味の鉄板だ。よその国の料理だけど、なんとなくそういう味がする。それに白田の料理自体とてもあたたかい気がするし……。白田は小さなテーブルで俺と向かい合って、俺がおいしそうに料理を食べるのを嬉しそうに見ていた。この笑顔は昔からずっと変わっていない。
白田は学生時代にも人気者だった。人懐っこくて、明るくて、笑顔がかわいくて、昔から料理も上手かった。一方の俺はといえば、強面で、人と関わるのが苦手で、あんまり笑えなくて、特に取り柄もなかった。実習でたまたま同じ班になったときに白田が話しかけてくれなければ、こんな出来たヤツと友達になることなんてなかっただろう。だから白田はすごく大切な友達だと思ってる……一方、心のどこかで俺みたいなヤツが一緒にいていいヤツじゃない、なんてくだらないコンプレックスが拭いきれない。
ふと気付くと、白田は俺の顔を覗き込んで心配そうな顔をしていた。しまった。考えていたことが顔に出てしまったのだろうか。俺は感情表現が苦手なくせに、悪い表情だけすぐ表に出てしまうんだ……。
「巧はぼくといても時々悲しそうな顔をするね。なにか心配事? ぼくのこと?」
「え、いや、俺自身のことだからなんでもないよ」
「ふうん、また自信喪失?」
俺は答えずにビールのおかわりをオーダーした——けど、答えなかったということは肯定したも同然だよなあ。白田は、やれやれと肩をすくめてビールを取りに行った。
俺が悩んでいることはもうひとつある。このコンプレックスのせいで……つまり、白田に気持ちを伝えることができないのだ。こんないいやつに俺なんかはふさわしくないというのもある。白田が俺なんかを好きでいてくれるはずがないとも思う。それに何より、臆病な俺が白田に好意を伝えられるはずがない。ああ、たとえ白田と友達以上の関係になることは望めなくとも、ラッソに来ればいつでも白田に会えるのだから、ひとりの大切な友達としてそばに居られれば、それだけで俺は幸せなのかも知れないな。
翌週。俺は少し遅い時間にラッソに来た。メニューを見ずに——自動的に牛肉のビール煮込みが出てくるからだが——ひじをついてぼーっとしていると、白田はいつものね、とテーブルに水を置いた。オーダーをメモしながら白田は何気ない世間話をする。
「そういえばそろそろクリスマスだねえ。うちみたいな小さな店はお客さん取られちゃって大変だよ」
「大丈夫だよ、俺は来るよ」
「ふふふ、ありがとう。巧は優しいね」
そうか、もうそんな季節か。白田に何あげたら喜ぶかなあ。好きな人に中途半端なものをあげるわけにはいかない。そろそろ何か考えないとな。
「さてとクローズするけど、一杯飲んでくでしょ?」
「? ああ」
白田のほうから閉店後飲みに誘われるのは、何か話があるときだ。それも、すごくいい話か、すごく微妙な話か、どっちかが多い。今日はきっといい話ではないだろう。いつも人懐っこい白田が、今日はどこか影があるような気がした。白田は赤ワインとグラスを持ってくる。
「今日は愚痴なんだけどねえ」
「だと思った」
「ふふ。……ばあちゃんがいい加減パートナー見つけろっていうの」
青天の霹靂だ。白田が誰かのものになるなんて。この間は白田とずっと友達として一緒にいられればいいと思ったけど、改めて現実を突きつけられると、そんなのは絶対にいやだ。
「家にお見合いの釣書がどっさり届いてねえ」
「ど、どうするんだよ」
「もちろん断るよ。だから悩みじゃなくて愚痴だって言ったでしょ。ああでもこれからもっとうるさくなりそうだなあ、ばあちゃん」
「……その、白田はパートナーは作らないのか?」
「そういうのって自然に出来るのが理想だな。お見合いはちょっとね」
俺は白田に聞こえないように小さく安堵のため息をついた。
「巧はどうなの? 好きな人いるでしょ?」
「……どうせいないって言っても、いるの分かってんだよな……?」
「アプローチしないの?」
「え、だって、俺だぞ、その、わかるだろ?」
「またつまんないこと気にしてるんだろうなってことは、わかるかな」
否定できない。ただでさえ奥手な俺が、どう見ても釣り合いが取れない白田になんて告白できるはずがない、だからやめとこう、辛い目を見るくらいなら今までのままでいいよ、なんて考えてる。白田のことだから、もし俺が告白して敗れたとしても、きっとこれまでどおり付き合ってくれることなんて分かり切ってるから、やっぱり俺に勇気がないだけなんだろうな。
「あーあ、やめやめ。勇気のないぼくらが恋愛話なんてやめとこう」
「白田はそういうの得意じゃないのか?」
「……そう思う? じゃ、そういうことにしとこう」
白田はそろそろ終わろうか、といって俺を外まで送ってくれた。
今日はクリスマスイブだから、多くの店が遅くまで営業している。ラッソも日付が変わるまで営業するみたいだけど、小洒落たコース料理の店なんかと違って素朴な家庭料理の店だし、いつも賑やかな常連さんもちょっと少なくてまったりしている。白田はよかったら、とお客さんにケーキを配っていた。
俺はわざとゆっくり料理を食べて、閉店の時間を待った。すると白田が耳打ちしてきた。
(今日ちょっと残ってよ)
やがて店が終わり、酔っ払いたちは帰路につく。それを確かめたあと、白田は外の照明を消してドアに鍵をかけた。そして厨房からさっきより高そうなケーキとシャンパンを持ってきてくれた。店内の照明を少し暗くして俺の向かいに座ると、ケーキを切り分けシャンパンを注いでくれた。俺たちは乾杯して少し見つめ合うと、やわらかく白田が笑う。来てくれてありがとう、一緒に過ごせてよかったね、なんて。……期待しちゃうよなあ、なんて思いながら、俺はかばんからリボンのかかった箱を取り出した。それを差し出すと白田は大げさに喜んだ。
「わあ、うれしいなあ。ぼくは何も用意してなかったなあ」
「ケーキとシャンパンで十分だよ」
「ね、ね、開けていい?」
「ダメ。俺が帰ってからにしなさい」
俺はしばらく……といっても一週間ちょっとだけど、大晦日までラッソには行かなかった。今まで毎週二、三日行っていたことを考えれば、少し間が空いていることになる。ちょっと白田に会えなかっただけでやっぱりそわそわするけど、少し時間を置きたかった。
あのクリスマスプレゼントはチェンバロという楽器を模したオルゴールだ。形はグランドピアノに似ている。そのオルゴールの小物入れに、畳んだ便せんを入れておいた。
『もう分かってるんだろう? そろそろ答え合わせさせてくれよ。正解なら、次行くときにはいつもと違うメニューを出してくれ。不正解なら、いつものでいい』
俺は大晦日閉店三十分前のラッソについた。
「いらっしゃ……あ、ああ、こちらへ」
白田はプイと顔を背けた。気まずいのか恥ずかしいのかどっちかだろう。俺は席に着くと、人生でこれ以上は経験したことがないほどの激しい心音を感じていた。胸が締め付けられるようで、どうにもいたたまれない。厨房の方をふと見ると、こっちを見ていたのだろう白田の視線はサッと手もとに戻された。なんにせよ、今日はすべての答えが出るのだろうな。
「お、おまたせ」
……いつもの牛肉のビール煮込みが出てきた。ダメだったか。このままいるのも気まずいし、他に何か食べる食欲もないし、これを食べたら出よう。それよりこれから白田に合わせる顔がないな。ここに来るのも辛いしもう会うことはないのかな。それにしても、一番最後に見たのが白田のひきつった顔だなんて、いやだな。……ん?
あらためて料理を見ると、いつもは乗っていない香草がぽつんと乗せてある。そして、器と皿の間に紙切れが挟まっている。それを開くと殴り書きしてあった。
『終わったら残りなさい!』
ふふ。OKでもNGでも、少なくとも関係がこじれることはなさそうだな。これからもうまくやっていけそうだ。ニヤニヤしながら白田のほうを見るとあいかわらず顔を背けるけど、じーっと見ていると、観念したように困ったような笑みを浮かべた。
閉店時間。白田はいつものやわらかい声とは違う、緊張して震えた声で客を見送った。そしてドアのほうを向いたてうつむいたまま、呆れたような声でバカ、と言った。
「もう、営業中に返事なんて緊張するじゃんか! 『閉店したら飲もう』とかでいいじゃん!」
「あのなあ、俺が面と向かって『好きです』なんて言えるわけないだろ」
「……そうだね、ぼくらにはこうして合図し合うくらいが一番良かったのかな」
「それよりあの香草はなんなんだよ」
「……正直、ちょっと好き」
「ちょっと?」
「だ、だってずっと友達だったからピンとこなくて。でも大事で大好きなのは本当だもの。オルゴールをくれてから、その『好き』が友情か恋かどっちなのかずっと悩んでさ。『もし巧が来てくれなくなったら』って思ったとき、『いなくなってほしくない』だけじゃなく、どこかで『離したくない』って思う自分を見つけたとき、ああ少なくとも巧にそういう気持ちがあるんだって素直に思えたんだ」
白田はゆっくり俺のほうへ向き直ると、俺の椅子の後ろへ歩いてきて覆い被さるようにぎゅっと抱き締めてきた。俺は心臓が激しく跳ね回っている一方で、やわらかさ、あたたかさ、耳元から頬にかかる白田の息に心地よさを感じていた。俺が白田の腕に触れると、白田は我に返ったように両腕を離す。
「ああもう、好きになっちゃうじゃん!」
「……ダメなのか?」
「う、いや、その……はい、だいじょうぶです」
それから俺は白田のことを蒼(あおい)と呼ぶようになった。白田いわく、ずっと距離が遠くて寂しかったとのことだけど、俺の臆病さや蒼へのコンプレックスをようやく乗り越えられたのだと思う。いつも白田と呼んでいたのに急に蒼と呼ぶようになったのを妙に思ったラッソの常連さんに問い詰められ、散々冷やかされた。といっても、俺はまだ蒼と付き合っているわけではない。学生の頃からずっと友人として付き合ってきた蒼は、やっと友情の中のちいさな恋心の芽生えに気付いただけで、相変わらず俺たちは親友として付き合っている。
俺としてははやく付き合えればいうことはないんだけど、俺たちはもう十分仲がいいし分かり合えているのだから、友人とか恋人とか、関係をカテゴライズする必要なんてない気がする。そのうち蒼のほうからキスしたいとか体を重ねたいとか望んできたら、それに応えればいいのだと思う。あ、でも閉店後にハグしたり手を握ったりなんて初々しいスキンシップをすることは増えたかな。きっと今まで通りバカやって過ごしているうちに、いつか自然と結ばれると確信している。
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