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青いくま編:お見舞いに官能小説を贈ってはいけない

  ◆「ドーナツを食べられる量には限度がある」の裏話です。そちらを先に見てね!

  今回は似顔絵描きの青いくま視点です。

  イーゼルとキャンバスが並ぶアトリエで、たった今描き上げた絵を見ながら頷く。うん、いい感じに描けた。今依頼されている絵はこれでひと段落といったところかな。気分もいいし、今日は久しぶりに駅前で似顔絵描きをしようかな。最近はお客さんも増えてるし、リピーターさんも出来てきた。普段の絵の仕事とはまた違った意味でやりがいを感じる。大変な仕事ではあるけど、その分喜んでもらえたときの楽しさもすごくある。

  出かける前にひと息つきたい。アトリエの後片付けを済ましてリビングに戻ると、大きなラッパのついた古いレコードプレイヤーでクラシックをかけ、お茶やお菓子の準備を始めた。お洒落なティーカップを出し、お茶菓子にラングドシャとスコーンを用意し、レモンを輪切りにしてテーブルに置いた。ケトルからカチッと音がすると、カップにアールグレイのティーバッグを入れて、ゆっくりお湯を注いだ。

  青い毛並みが自慢のくま手でカップを持ち上げる。今日はどこの駅に行こうかな。あまり人通りの多くないところでやるのも悪くない。稼ぎも悪くなるけど、今日はお客さんとの会話をまったり楽しみたい。しばらくの間お茶とお菓子を楽しむと、後片付けをして似顔絵描き用かばんを持ち、家を出た。

  しばらく電車に乗って、改札がひとつしかない小さな駅の前に来た。人通りはまばらだし、通勤通学の学生やサラリーマンがぱらぱらと通る感じだ。ターミナル駅のように次から次へとお客さんが来てくれるわけではないし、ベッドタウンのように一定のお客さんが見込めるというわけでもない。ただ、このあたりはよく絵画展や写真展が行われるような芸術や学問に造詣のある街で、街も人もどこかお洒落で独特の雰囲気をたたえている。

  ぼくは色んな人と話すのが好きだから、大きな駅で「ニイちゃんちょっと一枚描いてくれへんかぁ〜ヒック」というような酔っ払いのサラリーマンの絵を描くのも好きだけど、たまにはこういう街の空気に触れながら描きたいときもある。もちろんそんなんじゃあまり売上にはならないけど、今日は稼ぐのが目的というよりは、絵が描き上がった余韻に浸りながら描きたいのだ。色紙代と夕飯代程度に収入があれば儲けものだ。

  二人目のお客さんが椅子を立ったところでスマホの時計を見る。そういえばSNSで「今日は変わった形のサボテン展があるよ」とつぶやいている人がいたな。夕方までだったから、そろそろサボテンに熱心な来訪者が一気に出てくるかも知れない。ずいぶん変わった趣旨の展示会だし、面白い人がいたら嬉しいな。

  わくわくしながら次のお客さんを待っていると、突然カジュアルフォーマルのしろくまが立ち止まった。なかなかぽっちゃりしたおじさんで、シャツにベストを着てキャスケット帽を被っている。なかなかお洒落——ではあるのだけど、小太りな彼にはどこかコミカルな雰囲気がある。ふふ、なんか面白そうだ。ぼくは『似顔絵描きます』の看板を見ているしろくまに笑顔で椅子をすすめると、彼はその大きなお尻を椅子に乗せた。小さな簡易椅子が悲鳴を上げる。

  似顔絵を描いているときは、描きながら結構お話をする。どんな人なのかを知るためというのはもちろん、緊張した心をほぐして笑顔を引き出すためというのもある。今日はお仕事でしたか? とか、どんな感じの絵がいいですか? とか、本当にただの雑談とか。ぼくはただの雑談を結構大事にしている。その人の話し方や口調や振る舞いを知ると、絵からにじみ出てくるものがなんとなく違ってくると思うからだ。

  しろくまは企業でシュレッダーとコピー係を担当しているのだそうだ。うーん、笑っていいとこなのかな。彼はけろっとしているから、多分いつものこと、って感じなんだろうけど。見たところどこかぽわんとして愛嬌があり、天然なところもあるようだ。表情豊かなわけではないけど、全体の雰囲気がどことなくそう思わせる。

  さて、どんな絵をご希望なのかな。ひとくちに似顔絵といっても、ポップな感じとか、顔をぐにょーんと曲げたお笑い芸人みたいな感じのとか、イラストタッチとか、写実寄りだとか色々あるわけだ。すると——しろくまは遺影に使う写真を描いて欲しい、などと言いだした。えっと……遺影ってもちろん写真屋で撮るよね。ぼくの絵を遺影に使うという話は聞いたことがないぞ。でも本人がぼくの絵がいいと言ってくれるなら、それはそれで面白い経験かも知れない。ご遺族がどう思われるかは知らないけど。

  彼は自由に描いてくれればいいと言ってくれたので、どうせならとぼくはちょっと遊びのある絵を描くことにした。アインシュタインがドーナツを食べている、みたいなノリのさ、軽くウィットのある感じ。さらさらとラフを描くと、いよいよ世間話が始まった。どんなものが好き? 趣味はなに? 最近面白いことあった? なんて。

  最近食べたものの話になったところで、彼は食品宅配サービスで黒蜜のところてんを注文したら酢醤油のが来て噴きだしたという話をした。……のがなぜかぼくのツボにはまった。だってさ、三十と、まあ、そこそこの小太りのおじさんがだよ? ところてんを注文しているのもかわいいけど、ところてん噴きだして怒っ、ぷっ、ぶふふふ。必死に笑いを堪えながら、今ラフを描いた色紙をボツにして新しい色紙を取り出した。

  一気にイメージが湧き出たので、時折思い出し笑いをしながら、しろくまさんがところてんを噴きだしている絵を一気に描き上げた。しろくまさんに渡すと、目を丸くして驚いた後、彼は喜んだ。うん、喜んでくれたらなによりです。ぼくとしてもよく出来たと思うし。

  ただまあ、遺影がそれで遺族と弔問客はどう思うのかという心配はあるけど、故人がいいならまあいいんだろう。彼はお礼を言ってお金を払うと、ぼくに名刺を渡してくれた。……湯川優大(まさひろ)さんか。でかでかと『官能小説家』と書いてある。やっぱり面白そうな人だ。また来ますと言ってくれたし、そのうち会えるかもな。SNSのアカウントなんかも載ってるからフォローしておこうかな。

  *

  朝食のエッグベネディクトを食べ終わり、レコードをクラシックからボサノヴァにかけかえると、空色のソファに体を沈めてダージリンティを飲み、タブレットでゆったりとSNSを眺める。なぜか炎上しまくっている湯川さんのタイムラインを見にいくと、昨日似顔絵を描いてもらったらとてもよかったと、やたらと興奮気味につぶやいていた。よかった、気に入ってもらえて。遺影に使ったら遺族は苦笑いするしかないような絵だけど。

  *

  「今まで似顔絵を描いていて、なんか面白いのありました?」

  「そうですね……ところてんを噴いてる遺影を描きました」

  「なんで?」

  *

  今朝はお気に入りのシャンソンをかけながらルイボスティを飲み、タブレットでSNSを見ていると、湯川さんが『うんこがとまらない たすけて』とつぶやいている。風邪か、それとも食あたりだろうか。リロードすると湯川さんのつぶやきが新たに追加された。『三日前の惣菜パンは無理だった』……食べたの?

  仕事の合間にちょくちょくタイムラインをチェックしていたら、湯川さんはどうにか落ちついて、今は寝られないけど横になっているみたいだ。うーん、心配だなあ。印象的な人だったし気にはなるな。けど一度会っただけの似顔絵描きがお見舞いにいくのもなんか違う気がするな。じゃあぼくが出来ることはひとつだけだな。色紙を取り出すと、ぼくは湯川さんを思い出して似顔絵を描いた——

  この似顔絵をお見舞いということでポストに入れておこう。色紙をポストに入れると、湯川さんちのインターフォンを連打して逃げた。

  *

  翌朝SNSを見ると、湯川さんは大喜びしているみたいだ。よかった、これだけ喜ぶ元気があれば大丈夫だろう。病み上がりでカツ丼を食べるのはどうかと思うけど。

  *

  ある日、少し懐かしい雰囲気の街並みの中で絵を描こうかと、小さなベッドタウンの高架橋下で絵を描いていると、湯川さんが突然差し入れにドーナツの袋を持っ——なんで逃げるの。よくわからないけど中を覗くと、ドーナツが食べきれないほど入っていた。……なんだろう、この間のお礼とかかな。それにしてもこの量はなにか普通じゃないような気がするんだけど。ふふ、たまには早く帰って甘いものを食べるのもいいかな。数枚描き上げると、ぼくは商売道具を片付けて改札に向かった。

  *

  ……不覚。食べ過ぎた。あの後ドーナツを数えてみたら三十個も入っていた。当日中にお召し上がりくださいと書いてあったけど、さすがに無理だからがんばって昨晩十個食べたらこのザマだよ。こういうときにつらいよね、自由業というものは。さすがに今日は似顔絵描きは無理そうだな。恥ずかしながらぼくにもいくらかファンの方がいてくれるし、「今日仕事が終わったら似顔絵を頼もうかな」と考えている人もいるかも知れないので、早めにSNSに書いておこう。今日は似顔絵はお休みです、と。

  するとしばらくして湯川さんからメッセージが来た。珍しいな。メッセージには……なんだこれ。テキストファイルが添付されている。あ、そうか。彼は官能小説家を自称していたな。ぼくが似顔絵を贈ったように、なにか作品を送ってくれたのかな? ……いやな予感がする。彼は官能小説家だ。そしてファイル名にはkumasan_h.txtと書いてある。このhはなんだろうか。

  おそるおそる開くと、案の定青いくまのエッチな小説だった。顔がほてる。熱が上がったらどうしよう。というか体調不良のお見舞いとしてどうなの、官能小説は。……まあ、でもせっかく書いてくれたものだし読もうかな。

  ……う、うーん、青いくまってあんまりいないから、やっぱり自分と重ねちゃってへんな気分だなあ。自分が主人公の官能小説を読んでるみたいだ。……エロを飛ばして読んでも意外と面白いな、コレ。湯川さん、こういう方向に才能があるのかな。

  すると続いてメッセージが来た。申し訳なさそうにドーナツが多すぎたことを謝られた。でもドーナツが多かったのは事実だけど、食べ過ぎたのはぼくだもんな。だから湯川さんのせいじゃありませんよ、小説面白かったですよと返信しておいた。

  *

  一晩眠ると体調はすっかり良くなった。今日もピアノ曲のレコードをかけながら、パンケーキを食べてアッサムを飲む。今日はどんな絵を描こうかな。ちょっといつもと違う感じの絵を描いてみようかな。ふふ。

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