[chapter:1.]
くるりと巻いた尻尾の付け根を掴む。毛並みの奥にこわばった筋肉の束がうねり、それらが熱を帯びているのをはっきりと感じた。
「ぬ゛ぅ゛っ゛♡」
剥き出しの尻をこちらに向けたまま、柴本は小さく濁った喘ぎ声を漏らした。
尻尾の付け根はとても敏感な部位らしく、普段ならば[[rb:行為>・・]]の最中でも触らせてくれようとはしない。必要に迫られて仕方なくとはいえ、加減を間違えて力いっぱい掴み上げてしまったのだ。恥辱か、それとも快感なのか。布団に顔を埋めた柴本がどう感じているのか、尻尾の無いわたしには想像すら出来なかった。
40℃を超える高熱に浮かされた尻尾が、わたしの手の中でぶんぶんと暴れ回った。秋口に一緒に行った海釣りを思い出す。釣り針と糸に[[rb:抗>あらが]]い、甲板の上を必死に跳ね回る魚の姿。頭を振ってその幻を追い払う。今はそれどころじゃない。
彼のような[[rb:犬狼族>けんろうぞく]]に限らず、獣人たちは人間よりも体温が高い傾向にある。普段ならばじんわりと感じる程度の温かさが、風邪を引いている今は、茹だっているようだ。
尻の穴が[[rb:露>あら]]わになる。荒い呼吸のたびにひくひくと[[rb:蠕動>ぜんどう]]するそれは、単なる排泄器官の用途だけではなく、[[rb:親密なコミュニケーション>・・・・・・・・・・・・]]の手段としても使われている形跡があった。
わたし以外の誰かに使わせていたのだ。そう思うと、なんとも言いがたい気分に陥る。長さはともかく太さでは遠く及ばないわたしのモノでは、この男を満足させることは叶わないように思えた。
ていうか、このケツでバリタチとか嘘だろ。
お互い気が向いたときに時々する[[rb:憂さ晴らし>・・・・・]]では、常にわたしが見られ、弄られ、[[rb:挿>い]]れられる側だ。成り行きとはいえ、いつもと立場が逆転してしまった。そう思うと背筋がぞくぞくと[[rb:粟立>あわだ]]ってきた。呼吸を整えてそれを追い払う。
「ま、まだかよ……」
柴本がわたしに尻を向けたままの格好で、[[rb:焦>じ]]れたような声で[[rb:呻>うめ]]く。
それでようやく我に返って、白い坐薬を肛門に押し込んでやると
「ん゛ぉ゛ぁ゛♡」
また小さく声を漏らした。
[newpage]
[chapter:2.]
1月半ばのある日、同居人は朝から熱を出して動けなくなっていた。
ちょうどわたしは週に1、2回あるテレワークの日で、一日じゅう家に居られたのは不幸中の幸いだった。
在宅とはいえ、出社中の人とカメラ付きチャットで通話することもあるから、部屋着のままで過ごす訳にはいかない。
それで朝食を済ませた後、身支度を調えながら何となく玄関を見ると、柴本のランニングシューズが残っていることに気がついた。
同居人の柴本は、体を鍛えることに余念がない。
それはかつて[[rb:陸上防衛隊>りくじょうぼうえいたい]]に10年あまり籍を置いていた頃からの習慣なのだろう。ほぼ毎日、たとえ雨でも10キロほど走り込むなど鍛錬を欠かさない。
いつもならば、わたしが目覚めるよりも早くに起きて家を出ている。戻ってくるのはわたしが出社する間際の筈だ。
急に仕事が入ったのだろうかとも思ったが、他の靴を履いていった形跡もない。
それに仕事なら、携帯端末にメッセージを入れる約束になっている。けれども、それもない。
壁に掛かった時計を見る。さて、そろそろ仕事の準備に掛からなければ。
自室にあるノートPCを立ち上げるべく階段を上ったところで、柴本の部屋から小さく咳き込むような声が聞こえた。
入るよ! 短く告げ、返事を待たずに引き戸を開ける。
赤茶の毛並みの上から羽毛布団を巻き付けた部屋の主が、うつろな表情でこちらを向いた。
[newpage]
[chapter:3.]
今は見るも無惨なこの男、[[rb:柴本光義>しばもと・みつよし]]は便利屋だ。
法律に違反しない範囲で頼み事を有償で請け負うことを[[rb:生業>なりわい]]としている。
が、風邪で熱を出しているらしい今は休業するしかない。
悪化させてはいけないし、他の誰かに[[rb:伝染>うつ]]すのはもっとダメだ。
わたしと柴本が暮らしているこの家は――本来の所有者から[[rb:眞壁邸>まかべてい]]と呼んでいる――、寒さに強い獣人向けに作られているせいで、夏は涼しいが冬は寒くなるような作りになっている。
築年数は80年あまり。数年前にリフォームした際、客間のある1階部分は機密性を高くしたようで、リビングには床暖房が入っている。が、2階部分は昔と変わらず、窓を閉め切っていてもどこからか風が通り抜けてゆくのを感じる程だ。
わたしはと言えば、ここ[[rb:淡海県河都市>あわみけん・こうとし]]より遥か北の街で生まれ育った。が、ほとんど毛の生えていない人間種であるため家主や柴本たちほど寒さには強くない。それで、冬は室内用テントを張って寒さを凌いでいる。
彼ら獣人たちの間では、冬にしっかりと寒さに遭っておかないと換毛期にトラブルが起こると言われているらしい。それでも、病人を寒さに当てて良いとは到底思えない。
この部屋、寒いよ! とりあえず下に行こう!
布団に包まり、ぶるぶる震え続ける重量78キロの毛玉に呼びかけると
「那由多ぁ……」
なんとも情けない声で、わたしの名前を呼んだ。
はいはい、[[rb:鴻那由多>おおとり・なゆた]]はここに居ますよ。
聞こえているかどうか怪しげだったので、少し大きめの声で返すと
「あの木がよぉ……見えるだろぉ……」
窓の外を指さした。
うん。柿の木かな。ピンポン玉くらいの実が沢山なってたやつ。柴本が作ってくれた干し柿、美味しかったね。
「おう。あの葉っぱがよぉ……」
そんな短編小説があったね。海外のやつ。大丈夫、10枚くらいしっかり残って……あ、風が吹いて全部散った。
「おれ、死んだわ……」
生きてる。しっかり生きてるから。しんどいだろうけど、ひとまず暖かい場所に移らなきゃ。
起こそうとして体に触れて驚く。……うわ何これ!?
わたしのような人間に比べ、彼ら獣人は平熱が1、2度ほど高いと言われる。柴本も確か普段は38度くらいだったか。
普段でも触れればかなり熱いのに、今はまるで茹だったようだ。40度、下手をすればそれ以上かもしれない。
待ってて、下の仏間に布団とか準備するから!
短く声を掛けてから、わたしは階段を駆け下りた。
[newpage]
[chapter:4.]
「うん、うん。呼吸音は綺麗だね。ただの風邪だろう。暖かくして、よく休んで栄養のある物を食べればすぐ良くなるよ」
往診に来た医師、[[rb:藪隈>やぶくま]]氏が柴本の胸に聴診器を当てながら言うのに、わたしは心底から安堵した。
体毛のあちこちに白いものが浮いた[[rb:恰幅>かっぷく]]の良い[[rb:熊族>くまぞく]]男性で、その大雑把な診察から苗字をもじって『ヤブ隈』の愛称で親しまれて(?)いる。
けれども他の病院へのパス回しは慣れたもので、これまでガン患者をごく早い段階で発見するなど近隣の住民からの信頼はそれなりに篤いようである。
大雑把でも何でも、今は動けない柴本のところに往診に来てくれること自体が有り難かった。柴本を寝かせてから彼の方を向き、ありがとうございますとお礼を述べるが、わたしなど目もくれずに帰り支度を始めた。
藪隈氏の人間種嫌いは有名だ。異種族に対して嫌悪の感情を抱く精神疾患[[rb:異種族恐怖症>ゼノフォビア]]は獣人種では発症例が無いと聞いているが、彼を見る限り、それは間違いではないかと思えてくる。
そういえば、薬などはありますか? じきに治るとは言え40℃を超える高熱なのだ。一時的にでも症状が緩和されるものが欲しいと、藪隈氏に訴えた。ピーピーわめく人間を不快に思ったらしい氏は、露骨に眉をひそめ
「無いよ。薬なんか無くったって、休めば治る」
これがわたし自身のことならば、大人しく引き下がっただろう。無視されるのだって何とも思わない。けれども、二十数年の人生で初めて出会えた、家族同然のヤツが苦しんでいるともなれば話は別だ。
熱が酷くて苦しそうなんです。せめて解熱剤だけでもありませんか? つい、食い下がっていると
「ヤブ隈先生よぉ。那由多を、苛めねぇでやっていただけませんかねぇ?」
ざらついた声に驚いて振り向くと、寝ていた筈の柴本が布団の上に体を起こしているではないか。
片膝を立てて[[rb:跪>ひざまづ]]くような体勢。『いつでも戦える』意思表示か。
ダメだよ、寝てなきゃ! 布団の中に戻そうとするわたしに構わず
「先生にゃ日頃、お世話になりっぱなしです。けど、家族同然のコイツを、困らせるようなことがあるンなら話は別ですぜ」
言葉こそ丁寧だが、掠れきった声の端々には手負いの獣じみた気迫が滲み出ている。
これは放っておいたら大変なことになる。わたしのことはどうでもいいから、さっさと寝よう!
柴本の肩を掴み、軽く揺さぶりながら――軽くポンポンと叩くつもりが不要な力が入ってしまった――どうにか藪隈氏から意識を逸らさせるよう試みる。
氏はしかし、そんなわたしたちに特に驚いた様子を見せることもなく
「ほら元気だろ? [[rb:帝王熱>ていおうねつ]]から生き延びた子が、ただの風邪ごときで亡くなるようなことはないよ」
ふむ。喉奥から小さく唸り声を漏らす柴本に目を向けた。
[newpage]
[chapter:5.]
帝王熱。それは[[rb:内在性>ないざいせい]]キルケー[[rb:症候群>しょうこうぐん]]の古い呼び名のひとつだ。
かつて乳幼児期の獣人における大きな死亡原因となっていた病気である。長らく原因は分かっておらず、成人であれば体内で共生しているウイルスが宿主を攻撃する自己免疫疾患の一部であると判明したのはつい十数年前のことだ。
この病気を生き延びた子供は普通よりも頑強な肉体を得ると言われ、実際、歴史上の偉人の中にもこの病からの生還者と思われる人物が何名も確認できた。病に苦しむ我が子が生還するように。そして長じて立派に育つように。親たちの縋るような祈りから名付けられた呼び名だ。
柴本のふたりの兄はこの病気で生まれて間もなく命を落とし、彼自身もまた、幼少期に生死の境をさまよったと聞いている。
帝王熱の発症率と死亡率のいずれも、女児に比べて男児の方が圧倒的に多いことは経験的に知られていた。
それで当時、まだ治療法が確立されておらず、迷信に[[rb:縋>すが]]るほかなかった両親の手で、5歳になるまでは女の子として育てられた。
当時の写真は今も、写真立てに入れられて彼の部屋に飾られている。
そのように周囲から愛を受けて育ってきたからこそ、良く言えば情に[[rb:篤>あつ]]く、悪く言えば身内びいきが過ぎるところがあるのだろう。種族すら違うわたしが身内として受け入れられているのだと思えば悪い気はしない。ならばこそ、彼がわたしのせいで周囲から悪く思われる事態はあってはならない。
両手で肩を押さえ付けて[[rb:宥>なだ]]めるうちに、柴本は自制を取り戻していった。どうにかして横にさせ、布団をかけ直すと、藪隈氏は畳の上に小さな包みを置いた。
それは何ですか? わたしの質問に
「熱冷ましだよ。症状が酷くなったとき、1日3回まで。1回使ったら次に使うまで、間を8時間以上は開けるように」
それだけ答えると帰っていった。
「悪ぃな。那由多の仕事のジャマしちまってよ」
気にしないで。会社には連絡してあるし。それより早く元気になってよ。
「おう」
ぼんやり熱を帯びた手で、わたしの服の裾を掴みながら柴本が呻くように返した。
[newpage]
[chapter:6.]
12時を過ぎ、昼休みの時間となった。出勤中の後輩、[[rb:猫塚>ねこづか]]くんには大体の事情を話してある。彼が色々引き受けてくれたおかげで本当に助かった。何かお礼をしなくては。
さて、お昼は何にしよう。柴本が食べられそうなものを作ろう。温まって栄養もあって、お腹に優しくて……玉子おじやにすることにした。
大根とにんじんは小さく切って出汁で煮る。柔らかくなってきたところで椎茸とお冷やのご飯を入れて、醤油で味を調える。最後に溶き卵で[[rb:綴>と]]じて、刻んだ三つ葉を散らせば出来上がり。削り節を振り、仕上げにバターをひとかけら添えればもっと美味しくなる。
一人分の土鍋ごと、お盆に載せて仏間まで運ぶ。入るよー。
「おう」
返事があったので、襖を足で開けて――両手が塞がっているので勘弁していただきたい――中に入る。
おじや作ったけど、食べる?
「ん」
短い返事。いつもならば匂いを嗅げば美味そうだの早く食べたいだのと騒ぐ筈なのに、今はほぼ無言。おそらく鼻が利かなくなっているのだろう。[[rb:犬狼族>けんろうぞく]]のなかでも嗅覚の優れた柴本は、普段ならば匂いだけで人の感情の動き、喜怒哀楽だけでなく嘘をついているか否かすらも容易く嗅ぎ分ける。
この男にとって、鼻が利かないというのは、目が見えないあるいは耳が聞こえないに匹敵する事態なのだろう。
昼前、藪隈氏の前で見せた[[rb:敵愾心>てきがいしん]]の強さもまた、不安が原因になっているのかもしれない。
布団の脇に置いた折りたたみテーブルにお盆を置くのとだいたい同じタイミングで、柴本が体を起こす。Tシャツと派手な柄のボクサーパンツ。ローライズのウエストより上の位置にある尻尾が、いつもより力なく揺れている。
そんな格好じゃ寒いでしょ。ほら、羽織って。[[rb:褞袍>どてら]]に袖を通すのを手伝ってやる。
具合はどう?
「んー、朝よりは少しマシかも」
そうは言うけれども声に元気がない。やっぱり熱冷ましが要りそうだ。藪隈氏が置いていった白い紙包みを視界の端で捉えながら考える。
これ、薬飲む前に先に食べて。わたしが言うや、柴本はあんぐりと大口を開けた。鳥の雛か。
[newpage]
[chapter:7.]
普段ならば自分で食えと突き放すところだけれど、あきらかにしんどそうに見えたので食べさせてあげることにした。おじやを[[rb:掬>すく]]った木の[[rb:匙>さじ]]を口元まで運ぶと、柴本はそれをぱくりと[[rb:咥>くわ]]えた。それを何度か繰り返す。
食欲はあるようだけれど、熱が出ていてしんどいのだろう。食べるスピードはいつもよりずっと遅い。
そういえば体温何度だった?
「んー、40.6℃」
まったく下がっていない。
彼ら獣人種の体温は[[rb:人間種>わたしたち]]より2、3度℃ほど高い。柴本も普段の体温は38℃くらいだった筈だ。いずれにせよ、2℃も高ければ相当辛いだろう。
熱冷まし、使おうか。藪隈氏が置いて行った小さな紙包みから薬を出す。
出て来たのは銀色のシートに包まれた砲弾のような形の――[[rb:坐薬>ざやく]]だ。
…………。
食べ終えて横になった柴本と薬を交互に見る。自分で[[rb:挿>い]]れられるような状態ではない。
パンツ脱いで。お尻こっちに向けて。
「ん」
わたしが言うと、同居人はうつぶせの体勢で尻を突き出しパンツをずらした。
ルームシェアをはじめて1年と9ヶ月くらいか。裸は見慣れてしまったけれど、これはちょっと新鮮だ。
などと言っている場合ではない。
片手に薬を持ち、もう片方で尻尾の根元を掴む。熱い。
「あ゛っ゛♡」
あ、ごめん。強く握り過ぎちゃった。
「き゛も゛ち゛い゛い゛ん゛♡ も゛っ゛と゛♡ や゛っ゛て゛♡」
枕に顔を埋めて言うのはやめるんだ[[rb:ヤラシーヌ>やらしい犬]]。
普段なら小突いているところだけれど、病人相手にそれはいけない。
いろいろと自制心を働かせ、尻の穴に坐薬をねじ込む。ちょっと黒ずんでいて縦に割れている辺りに性の奔放さが垣間見える肉色の菊。このケツでバリタチなどと自称できるツラの皮の極厚さには恐れ入る。3ケタくらいの男のモノを食ってきたとかカムアウトされても驚けそうにない。
などと考えていると、今しがた挿れた白い薬が戻ってきそうになる。ティッシュを使って押し込むと
「ん゛ぉ゛っ゛♡」
聞いたことのない感じの声が漏れた。ひんやりと冷えた坐薬の感触は、熱で火照った体には刺激的だったらしい。ともあれ、[[rb:ポジションがいつもと変わると>・・・・・・・・・・・・・・]]眺めが新鮮だ。
などと言っている場合ではない。
パンツを元の位置に戻してから、終わったよと声を掛けると、柴本はふたたび仰向けの姿勢になった。
「なぁ」
今度は何だと返事をしかけて、ちょっと言葉を失った。
ローライズのボクサーパンツの前がもっこりと盛り上がっている。立体縫製のおかげで起伏がとても分かりやすい。
「なんか今のでムラムラしちまってよぉ♡ こっちも手伝ってくれねぇか?」
…………。
もう、昼休み終わっちゃうから。
柴本の返事を待たず、仏間を後にした。
[newpage]
[chapter:8.]
仕事に戻るため、リビングのテーブルに置いたノートPCの前に座ったところで溜め息が出た。
濡れ縁に面した南側の大きな窓からは、晴れた日ならば暖かな日射しが降り注ぐ。けれども今日は灰色の空から雨がしとしと降り続けていた。
PCにつないだヘッドセットを頭に着ける。
『あの、大丈夫ですか?』
後輩の[[rb:猫塚遍理>ねこづか・へんり]]くんの言葉に、ハッと我に返る。無意識のうちに、またしても溜め息が漏れていたらしい。
あ、ごめんね。
ディスプレイ越し、青灰色の毛並みをした[[rb:猫虎族>びょうこぞく]]の青年は、ちょっと困ったような、心もち引きつったような顔の笑みを浮かべながら
『無理しないでくださいね。鴻さんが色々教えてくれたおかげで、もう一人でも出来ますから』
親指をぐっと立ててウインクする仕草。入社してから9ヶ月。いつの間にか頼もしくなったなぁ。
『えへへ♪』
リビングと仏間を隔てる襖を横目で見る。また溜め息が漏れたらしい。
『中抜けしても大丈夫ですよ』
猫塚くんの小さな声で我に返る。またマイクに溜め息が入ってしまったか。
『今日は会議とか無いし、業務もいつも通りですから』
ありがとう。30分ほど離れるね。
『了解です。離れる前にマイクは切ってくださいね』
猫塚くんのアドバイスに忠実に従った。
[newpage]
[chapter:9.]
リビングと仏間を隔てる襖を小さくノックする。返事はない。
寝ているのだろうと思って戻ろうとしたところで、トイレの水がジャーと流れる音が聞こえた。
自力で動けるくらいにはなったのかとホッとしているところに、戻ってきた柴本がひょっこりと顔を出す。
その格好を見て、ちょっと呆れた。何も着ていない。
なんで裸なんだよ。せめてパンツくらい穿けよ。
「汗かいちまったからシャワー浴びようとしたんだけどよ」
なら早く行って来なよと返すわたしを、太い腕で抱き寄せてきた。背丈は低いが肩幅は広く、厚みのある胸元に収まる。解熱剤が効いているのか、さっきのように茹だるような熱っぽさは今はない。それに[[rb:安堵>あんど]]していると
「すぐ戻らなきゃならねぇんだろ?」
耳元にかかる吐息に背筋がぞくぞくと粟立つ。厚みのある手が服の中に[[rb:這入>はい]]ってくるのに、反射的に声が漏れた。
「マイクはオフにしてるか? 声、聞こえちまうぜ? ……それとも、あいつに見せつけてやるか?」
慌てて首を振る。わたしと柴本のだらしのない関係に猫塚くんは気付いているようだけれど、だからといってどんな感じで[[rb:ストレスを解消する行為>・・・・・・・・・・・]]をしているのかを見せ付けるつもりはない。ましてや、それを会社の備品のPCでやった日には職を失いかねない。お家賃とか払えなくなっちゃう。
同居人はわたしを仏間に引っ張り込むと、手早く襖を閉めた。
[newpage]
[chapter:10.]
ルームシェアをはじめて1年と9ヶ月あまり。世の恋人や夫婦たちがするような行為が、わたしと柴本の生活の一部に組み込まれつつあった。わたしは柴本の体を心地良く感じているし、柴本もわたしに仕方なく応じている訳ではなさそうである。けれども、恋愛感情らしきものが心に芽生える気配は一向にない。
そもそも、この同居人の見た目はわたしの好みから少々離れている。まず、背が低すぎる。身長は162cmだったか。それに対して骨と肉がみっしり詰まった体重78kg。防衛隊を辞めてから太ったと聞いているが、当時の写真と見比べてもあんまり変わっていないように見える。
手足は太くて短く、顔は[[rb:口吻>マズル]]が寸詰まりの[[rb:仔犬顔>どうがん]]。まぁ、見方によっては愛嬌があると言えなくもない。
見た目はさておき、この男の隣は心地良い。人懐こい感じの笑顔。全身を覆う赤茶の二重被毛。ボディソープのかすかな香料に汗と脂の混じった匂い。少し高めの体温――といっても普段は38℃くらいで、40℃を超えるのは明らかに異常事態だ。分厚い胸板に耳を寄せたときに聞こえる鼓動。それと――
「さっきの続き、しようぜ」
毛布の中、柴本の太くて短い指が器用に動き、わたしの服のボタンを外してゆく。すぐ仕事に戻るから、前をはだける程度に留めてもらう。
ふと横を向くと、壁に掛かった額縁のひとつ、先々代くらいの当主の写真と目が合った。[[rb:精悍>せいかん]]な顔立ちをした[[rb:馬族>うまぞく]]の男性である。ハイカラな趣味だったようで、洒落たデザインの背広を着こなしている。写真自体が若干色あせていることを除けば、現代の人物と言われても信じてしまいそうな雰囲気だ。
お茶目な方だったらしい。両手でピースサインを作っている。
遺影がイェーイ。……いえ、何でもありません。
[newpage]
[chapter:11.]
「別に化けて出たりしねぇっての」
壁の写真から目を逸らそうとするのが、まるでお化けを怖がる子供のように見えて面白いらしい。わたしの上に覆い被さりながら柴本が笑う。
万が一にも[[rb:伝染>うつ]]ると大変だから、キスは止めておこう。あと、フェラや挿入も。柴本からの提案だった。
快楽に忠実な助平のくせに、妙な所で律儀さを発揮する。
わたしが柴本の二重被毛を面白いと思うのと同じように、彼もまたわたしのほぼ無毛の肌の感触を楽しんでいるようだ。指先で触れ、手のひらで撫で、匂いを嗅ぎ、舌で舐める。
「んー、まだ鼻は利かねぇか」
動作チェックを兼ねてか、わたしの首元や脇の下辺り――男としては体臭が強い部類ではないが柴本には分かるらしい――に鼻先を埋めてから首を傾げる。
無理しない方がいいんじゃない? わたしの言葉に同居人はむしろやる気になってしまったようで
「大丈夫だって。……ほら、こんなになっちまった」
促されるまま、股間で硬くなった太短いモノに触れる。根元に近づくにつれ太さが増し、付け根近くは握ると親指と中指の先が軽く付く。トイレットペーパーの芯より太く、コーヒーの缶には若干及ばないくらいか。長さはちょっと可愛らしいもので、片手で握ると亀頭の先端が少し顔を出す程度。
「ん、っ……」
[[rb:勃>た]]っても被ったままの皮を擦り、先端を露出させてはまた戻す。それを繰り返すと柴本は低く息を漏らした。
お返しとばかりに、肉体労働に慣れた頑丈な手が、パンツの中に[[rb:這入>はい]]り込んで来る。丸っこい見た目からは想像も付かない細やかな手つきに、わたしは持ち物――"初心者向け"以外の特記事項なし――を何度も暴発させそうになった。その都度、柴本は手を緩め、わたしが平静を取り戻したと見るや、また激しく[[rb:弄>まさぐ]]りにかかった。
わたしはと言えば、悲しいことに足元にも及ばないくらいに拙い手つきで、息を乱しながらどうにか同居人の硬くなった太いモノを[[rb:慰>なぐさ]]め続けた。お粗末過ぎて情けなくなってくるのだが、それが逆に気持ち良く感じているようだった。
もう限界かも。太短い指と分厚いてのひらの責めに降参すると
「おれも、もう……っく、[[rb:射精>で]]る、っ……!」
手の中で太竿がビクビクと震えながら、温かい液体を噴出させる。わたしもまた、ほとんど同じタイミングで、柴本に触れられながら持ち物を暴発させた。
そういえばこの布団、来客用だったな。
後先考えずに致してしまったことに[[rb:僅>わず]]かに後悔の念が沸くも、気持ちよさの[[rb:余韻>よいん]]が遥かにそれを上回った。
体温が混じり合った温かさに押し寄せてくる眠気に抗えず、ついうっかり、目を閉じてしまった。
[newpage]
[chapter:12.]
満ち足りた気分で目を覚ました。もうすっかり日は暮れているらしい。
――あれ?
仕事の最中、ちょっと中抜けしたまま居眠りしてしまったことになる。頭が[[rb:明晰>めいせき]]さを取り戻すにつれ、自分が何をやらかしたのかを認識して背筋が凍り付くようだった。
ど、どうしよう!?
がばりと布団の上に体を起こし、どうしようもなくて頭を抱えていると襖が開き
「どうしたー?」
柴本が顔を出した。何度も洗濯して若干くたびれたスウェットの上下を着ている。
わ、わたし仕事サボっちゃった!!
「とりあえず落ち着けって。なぁ」
後ほど聞いた話では、このときのわたしは世界の終わりが来たかのような表情をしていたらしい。
柴本はそんなわたしの傍に屈み込むと、へらりと笑いながらポンポンと肩を叩いて
「連絡ならしておいたぜ。『本人が体調不良で動けなくなっているようなので代理でお伝えします』ってな」
うーん……まぁいいか。猫塚くんには明日、お礼を言っておこう。
PCを片付けるために立ち上がろうとしたところで、足元がふらついてその場に倒れそうになる。
あれ、何だか体が熱くて寒いや。
「おい、大丈夫か?……って、おい……」
わたしを受け止めた柴本の表情から、すーっと笑顔が抜け落ちた。
「熱っぽいな。伝染しちまった、かも。…………申し訳ない……」
**********
熱は翌朝になっても下がらなかったため、柴本の車で病院に向かった。
結果、季節性のインフルエンザに[[rb:罹>かか]]っていると分かり、その後1週間ほど休むことになったのだった。
(了)