五話『狩人の幕開け』

  狩人達の朝は早い。

  それは週に一度の休みの日であっても変わらない。毎日の訓練の日々で、早寝早起きの習慣がいやでも体に染みついてしまったからだ。

  しかし、そんな早起きの時間よりさらに早く、一日を始める者がいた。

  日が地平線から顔を出した頃ーーまだ空は紫がかっていて橙色が微かに見え始めた時間。

  まだ他の狩人の誰も起きていない時間に、水色の毛の獣ーーライは寮の屋上で一人風に吹かれていた。

  屋上の真ん中に腰を下ろし、空を見上げれば、まだわずかに輝いている星達が見えている。

  同部屋の鼠も隣部屋の相棒も、上司であり教官である熊猫も、誰もまだ活動していない時間帯。夜と朝の狭間ーーライはいつも、一人で寮の屋上に訪れていた。

  誰もいない、音もない場所で一人、高所から、風を感じながら空を仰ぐ。

  その時間だけが、ライの心が本当に休まる時間で。

  華時特有の少し強い、乾いた冷たい風に、ライの水色の毛がさらさらと撫でられる。ライの毛を通っていった風は、ライ自身から溢れる冷気で更に冷たくなって流れて行く。

  入っていない右腕の袖も同じように風に吹かれ、舞い上がる。

  全身で風を感じるライの顔は、どこか遠くを眺めて、寂し気な顔でーー

  「父さんーー」

  と、ただ一言呟いた。

  その一言は、誰に届くわけでもなく、風に乗って遠くへ流れていった。

  緑の瞳の求る場所へ、人知れずーー

  そんな儚げなライを、星々は消えゆく光で照らしていた。

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  朝日が昇り、窓から日が差し込む頃ーー

  狩人達はそれぞれの日常を始めていた。

  食堂やロビーで親交を温める者、部屋で自分の趣味に励む者、誰かを待って機を伺っている者、惰眠を貪る者。

  そんな十人十色な過ごし方をする狩人達の寮のとある一室ーー

  「レイヴン、ぼくのプリン知らない?」

  ノットが部屋に備え付けられている冷蔵庫を覗きながら尋ねる。

  「ん?ここ。」

  それに対して、レイヴンが立髪をそろえながら指で自分の腹を指して答えると、

  「おおー。そこにあったのか。……そいや!」

  「びみ!」

  と、レイヴンの腹に強烈なストレートが放たれた。

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  「悪かったって言ってるだろ!早くそこどけ!」

  「え〜?本当に本心から思ってる〜?」

  食べ物の恨みは怖い。改めてそう思う。

  一発目のストレートで床に倒れたレイヴンの上に

  またがるノット。既に4、5回腹パンされた。

  何が怖いってレイヴンを殴るノットの顔が、いつもと変わらずのほほんとしていることだ。今もすぐに殴れるようにと拳を振りかぶっている。

  ノットは、見定めるようにレイヴンの目をじっと見つめ、ため息をつく。

  「まったくもー。次は怒るからね?」

  「怒ってねえのにその所業ってやばくね?」

  あれだけ、結構力入れて殴ってきたのに本人曰く怒ってなかったらしい。

  怒らせたら今度は身の危険が危ない。

  レイヴンの上にまたがっていたノットが立ち上がり、ベッドの方へ座り直す。

  ベッドに腰を下ろしたノットを見て追撃は無いと安心したレイヴンも立ち上がり、頭に手をやり、

  「また買ってくるから、許してくれよ。」

  「おお。それはそれは嬉しいことだ。二つよろしくね。」

  ノットが黄色の目を輝かせながら指で二の形を作り差し出してくる。

  「俺とお前の二つか?」

  「何言ってるの?二つともぼくのだよ。」

  「ーーー」

  輝いてたノットの顔が一瞬ですーーっと真顔に変わり、レイヴンの肝が冷える。

  怒ってないとか絶対嘘だ。これは怒ってる。

  「へいへい、二つね。」

  「あ、もちろん専門店のおいしいやつね。そこら辺の安いやつじゃなくて。できれば限定品がいいにゃー。あのクリームいっぱいカラメルいっぱいのやつ!」

  「注文多くね!?」

  「誰かさんが食べちゃったプリン、美味しかったんだろうにゃってぼくは思ってたり。」

  嫌な言い方をするノットに対して言い返す術もなく、渋々ノットの注文を承諾する。

  そもそも悪いのはレイヴンなので仕方なし。

  「でもお前、そんな甘味ばっか食べてて大丈夫なのか?太ると剣振れなくなるぞ?」

  「んにゃあ、大丈夫大丈夫。ぼく天才だから。」

  実際そうだから困る。

  ベッドの上にご機嫌そうな顔で座っているノット。一見のほほんとして可愛らしい彼だが、剣を持つとその印象が一変する。

  ノットーー彼は剣術の達人だ。剣術と言っては語弊があるか、彼は刃物の扱いが誰よりも上手い。

  事実、剣での訓練でノットから一本取れた者はいない。狩人達を鍛えているリオンですら剣同士での戦いはノットに敵わない。

  そんなリオンからの彼に対する評価は『刃物なら最強』である。

  というのも、剣以外の獲物を持たせてノットとやり合ったこともあるが、剣以外でも刃が付いてさえいればノットには関係ないらしく、長物から包丁まで、ありとあらゆる刃物を難なく使いこなす。

  ノット曰く、ハサミでも剣相手に勝てるらしい。

  訳がわからん。

  ちなみにレイヴンも、剣同士では勝ったことはない。

  「さてさて、そんな化け物様には逆らいませんよ……と。んじゃ行ってくるわ。」

  ノットに倒されたせいでぐちゃぐちゃになった立髪を再度整え、赤い服の上から灰色のパーカーを羽織り、ドアを開ける。

  部屋を出る前に後ろを見ると、そんな化け物剣士様がベッドの上でご機嫌そうに手を振っている。

  「じゃあね、レイヴン。気をつけてね。ファンドちゃんに怒られないように。」

  「お前以上におっかないからな……アイツは。」

  そんな忠告を受け、部屋を出てドアを閉じる。

  今日も、レイヴンのなんてことない日常が始まる。

  ちなみに、ファンドを怒らせると、待っているのは滝業と間接締めである。

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  群青親王国ーーラピスラズリ、『群青』と呼ばれるこの国は、大陸の北に位置しているためか、基本的に気温が低い。

  最も気温が上がる『雨時』でも、種族によっては肌寒さを感じるほどだ。

  その種族を主張する長い立髪を、いつも通りの冷たい風でたなびかせながら、レイヴンは街を歩いていた。

  向かう先は気の向くままにーー特にどこへ行こうと考えている訳ではなく、ただ気ままに歩いている。

  向かう先は決まってないとはいえ、街を歩く理由はある。

  休日を有効活用した街のパトロールである。

  『狩人』の仕事は大きく分けて二つある。

  その名の通り、結界の外でモンスターを狩る事。そしてもう一つが結界内の治安維持である。

  レイヴン達狩人は、正しくは『狩人訓練生』は結界の外に出ることをまだ許されていないし、結界内で『狩人』として振る舞うことも特殊な場合を除いて許されていない。

  昨日の訓練はその特殊な許可を貰うためのものだ。

  ちなみにレイヴンはまだ許されていない。リオンの言った通り、その特別な許可が降りるのは正確には明日からだ。が、レイヴンはあくまで散歩と言い張っているのでなんだかんだリオンに見過ごされてる節がある。

  「今年はあんま花が咲いてねぇな…。」

  『華時』と称される今の季節は、その呼び名の通り本来なら、花咲き乱れる季節なのだ。

  今レイヴンが歩いている商通りは、毎年、花の色で綺麗に飾られているのだが、今年はそこまで咲いていない。

  ぼちぼち咲いてはいるが、その様子を見てもお世辞にも華やかとは言えない。

  毎年の微かな楽しみの一つが失われたことを悲しみつつ、そのまま歩いて行こうとしたところで、とある匂いに引き止められる。

  「と、そうだった。ノットに頼まれてたんだった。」

  商通りを出る寸前でノットに頼まれていたおつかいを思い出し、Uターン。

  商通りの真ん中の方にある地味な建物。その建物が、ノットが御所望のプリン屋である。

  歴史を感じる風貌の建物からは、仄かに甘い香りが漂っている。

  その甘い香りに釣られるように、既に多くのヒトがその店に列を作っていた。

  「うわ、マジか……。買えるのか、これ。」

  行列を見て顔をしかめるが、ノット様は限定品をご所望なのだ。さっさと並んで買えることを願うしかない。ので、渋々列の最後尾に並ぶ。

  「買えなかった、とか言ったらあいつ本気でだだこねそうだしな…。」

  食べ物に関しては執着が強いノットなのだ。最悪別のもので手を打とう。

  まだ開店時間までは少し空きがある。

  ただ待つだけの時間だ。空をぼーっと眺める。昨日はやや曇り気味だったが、今日は曇一つない晴天そのものだった。花は、数は少ないもののその匂いを風に乗せ、その存在を主張する。

  プリンの甘い匂いと花の香りが鼻の奥で混ざってむせかえる。

  「だめだ、ここにいると甘さで頭が溶ける。早く離れてぇ……」

  むせかえる甘さに頭を抱えつつ、順番が来るのを待っていると、店が空いたようで、少しづつ列が店の中に吸い込まれていく。

  それに続いて、レイヴンも進もうとすると、

  「あの、すみません」

  と、声と共に裾が引っ張られる感覚があった。

  「んぁ?ああ、なんだ。」

  甘ったるい匂いにぼーっとしていた頭で振り向くと、そこには一人の、鼠が立っていた。

  鼠は黒いフードを深く被っていて顔は良く見えないが、その視線はしっかりレイヴンを捉えていた。

  「何かようか?あんまり時間をかけてくれないと助かるんだが……」

  列が進むのを見やり、鼠に伝える。

  鼠は表情ひとつ変えずに、レイヴンの顔を伺っている。その態度にどうしたらいいか分からず、顔をかいて立ち尽くす。

  「……なぁ、いいか?列進んじゃったし…」

  列を指差すと、かなり列が進んでいるのが見えた。レイヴンの後ろに並んでいるヒト達も困惑の顔を浮かべていた。

  「あの……狩人の方….ですよね?」

  「ん?ああ、まぁ、そうだな。」

  鼠が確かめるように問いかけた後、暫くの沈黙があった。そして鼠が懐から取り出したのはーー

  「取り返してみろよ、エセ王族。」

  今までの弱気な態度とは打って変わって、舌を出し、手を突き出す鼠。

  その手に握られていたのは一冊の魔導書だった。