六話『弱さここに極まれり』

  「取り返してみろよ、エセ王族」

  「………!」

  それまでの弱々しい態度とは打って変わって、挑発的な態度に豹変する鼠。

  その手に握られているのは、在るはずのない、あってはいけない魔導書だった。

  そして何より、

  「テメェ、誰の差し金だ!?エセ王族だぁ!?」

  手を大きく振りまわすが、鼠はそれをひょいと後ろへ飛び退きかわす。

  目の前の鼠が魔導書を持っていることより、レイヴンは『エセ王族』と呼ばれたことが、酷く心臓に突き刺さった。

  その呼び名を知っているのは、レイヴンを王族と、王様と呼び、囃し立てるのはーー

  「さぁな、気になるならオイラを捕まえてみな!!お・う・さ・ま!!」

  鼠は、手に持った魔導書を再び懐にしまうと、手をこまねき、レイヴンを煽って走り出す。

  商通りの人波を掻い潜って、その姿はどんどん小さくなる。

  「あ、待て………っぐ……」

  レイヴンも走ってそのあとを追おうとするも、突然訪れた心臓の痛みに襲われる。レイヴンは心臓を抱え、その場に崩れ落ちていた。

  ーーなんで、なんでまだ俺は……

  トラウマ。レイヴンをある一点から離さないための鎖。突然現れた、過去の遺物。

  置き去ったと、決別したと思っていた過去のトラウマが、完全に忘れていた筈の楔が突然顔を出し、レイヴンをその場に縛り付けていた。

  突然崩れ落ちたレイヴンを、周囲のヒトは何か、見せ物でも見るような目で見てくる。

  崩れ落ちた自分を、まるで嘲笑うかのようなざわめきが聞こえる。

  誰も彼も、弱い自分を嘲笑している。そんな感覚に襲われたレイヴンを、周囲のヒト々はーー

  「…あの、大丈夫ですか?」

  そんな不愉快な視線と騒めき中、レイヴンの後ろに並んでいた犬が手を差し伸べてくる。

  「…あ、あぁ。」

  その差し伸べられた手を取り、立ち上がる。

  未だ動悸は治らないが、魔道士狩りの容疑者を捕まえるせっかくの機会なのだ。逃すわけにはいかない。

  「クソッ……俺、しょうもねぇ。」

  突然抉られたトラウマに、被害妄想を広げていた自分に嫌悪感を感じる。

  実際に周囲のヒトはレイヴンを心配はしても、嘲笑ってるようなひとは誰もいなかった。

  そして何より、狩人の訓練生も総出で追っている『魔道士狩り』。どんな足跡も残さず、情報を掴ませなかった魔道士狩りを捉える絶好の機会だった。

  それを、レイヴンの個人的な問題で逃してしまったのだ。

  「でも、行くしかねぇ、よな。」

  嫌な予感しかしないが、ここで退く道理はない。

  何より、今あの鼠を捕らえたら、魔道士狩りの身柄と一冊の魔導書の回収ができる。

  深呼吸をし動悸をおさめ、鼠が逃げていった方へ走り出そうとする、その時、再び裾をつかまれる。

  「あの、大丈夫ですか?汗と息遣いが……」

  さっき手を差し伸べてきた犬の少女がレイヴンの異常を心配そうな目で指摘する。

  その指摘通り、レイヴンの息は荒く、尋常じゃないほどの冷や汗をかいていた。

  大丈夫か大丈夫じゃないかで言ったら誰が見ても大丈夫じゃない。

  が、ここで無理しなかったら狩人として失格だ。

  少女のレイヴンを気遣う気持ちをそんな複雑な心境で受け取り、

  「ああ、大丈夫だ。ありがとな。」

  と、我ながら酷い物だ、と感じる笑顔で返し、鼠の逃げていった後を無理やり追いかけ始めた。

  その後ろで犬の少女が、さらに心配そうな面持ちで

  「大丈夫ってなんだろう…」

  と呟いた。

  →→→→→→→→→→→→→→→

  かの少女と別れた後、レイヴンは鼠を追って商通りを走っていた。レイヴンが倒れる直前に鼠が走っていった方向に向かう。

  動悸はおさまったものの、レイヴンを縛る心臓の痛みは未だおさまりを見せない。

  まだ、呼吸も少々荒いが、それでも無理やり体を奮い立たせ、ひた走る。

  「エセ王族……」

  さっき逃げた鼠がそうレイヴンを呼んだ。

  王族、言ってしまうと獅子族の血を引く者の呼び名だ。

  この国を治める種族は、その素養を持った獅子族であり、実際に獅子族は王族として崇められている。

  が、レイヴンは違う。レイヴンは獅子に育てられた記憶はない。

  物心ついた頃には鼠に囲まれて育った。レイヴンにあるのはその記憶とーー

  そして、虐げられた記憶だけだ。

  その記憶が邪魔をして、レイヴンを止めるために、心臓は痛みを手放そうとはしない。

  「見つ……けた」

  わざわざレイヴンを待っていたのか、鼠はレイヴンの姿を見てから、路地裏へと走っていった。

  目の端に鼠を捉え、レイヴンも路地裏へと入っていく。

  昨日の訓練のような追跡劇が展開される。

  違うのは、レイヴンが一人しかいないということだ。訓練の活かしどころ、但し一人。

  地理も詳しく把握しているわけじゃない。追って誘導して捉えるまで、全部一人でやらなければならない。

  そして大問題なのが、相手が本気で逃げに徹したら手のつけようが無い鼠だということ。

  レイヴンの体格は鼠と大差があるので、もしレイヴンが入れないようなところに逃げ込まれたらどうしようもない。

  そして、何より抜け道を使われたら本気で見失ってしまう。

  一人でいること、そして一人でいるのがレイヴンであることが、この状況をさらに困難なものにしていた。

  ファンドがいたら、見失ってもその耳で相手を再び捉えることができただろうーー

  レンがいたら、相手がどこへ逃げても追いかけることができるだろうーー

  ーー狩人訓練生レイヴン班

  そのメンバーの内、二人のお陰で、レイヴンは追跡に置いて最大の威力を発揮する。

  その二人を欠いた状態のレイヴンは、多少戦う心得があるだけの木偶の坊だ。

  相手を補足する手段があまりにも乏しい。

  なんなら戦うだけなら、レンでもファンドでもできる。

  ーーどこまでいっても、自分は役に立てない。

  だから今、ここで何もせずにはいられない。

  足りない自分は、何をやってでも役に立つ何かできなければ、いけない。

  ーーそれこそ、『最強の狩人』になってでも。

  長いまっすぐな路地裏の出口、そこでレイヴンの目の前を走っていた鼠の姿が消える。

  足取りが重く、いつも通り、思い通りに走れないレイヴンも、鼠が姿を消した数十秒後、路地裏の出口を出た。

  「……旧市街地……?」

  出た先は、すでに棄てられた土地、旧市街地だ。

  亡霊鉱山と呼ばれる棄てられた鉱山の麓にある町。

  その規模は棄てられた割には大規模で、亡霊鉱山を囲うように、それなりの規模で広がっている

  廃れた建物で溢れている旧市街地に逃げ込まれたら、もうそこは鼠側の土俵だ。

  これだけ建物で溢れていたら隠れる影、逃げ回る場も、相手の自由だ。

  そして、レイヴンはそれを探し出し、捉えるための手段を持ち合わせていない。

  「してやられた……」

  相手の掌の上で転がされた感覚がして、酷く落胆する。

  万全じゃ無い状態で無理に体を動かしたのもあって、疲れがどっと押し寄せる。

  捕らえることは出来なかった。でも、その魔道士狩りを行なっているのが『鼠』である可能性が大きくなったのは事実だ。

  「……結局鼠かよ……」

  昨日の夜、そんな種族への先入観は良くない、と信じた自分がバカらしく思えてくる。

  これ以上踏み込むことは不可能だと判断し、元の道へ帰ろうとすると

  「『結局』なんて、そんな言い方は聞き捨てならないかな?王様。」

  愚痴をこぼしたのと同じタイミングで、レイヴンの背後にさっきの鼠が現れた。

  「酷いなぁ、折角盗まれた魔道書?だっけ、それを持ってきてあげたのに。その言種はひどいなぁ。」

  調子を崩さず、煽るような口調で言う鼠。

  本調子じゃないながらも、鼠の一挙一動に集中し警戒する。

  レイヴンを挑発し鼠有利の場まで誘導してきたのだ。そしてわざわざ出てくる必要のない盤面で今レイヴンの前に出てきている。

  何も無いわけがない。

  「……持ってきてくれただけなら、それ、渡してくれてもいいんだぜ。それだけで見逃してやんよ、安いもんだろ?」

  「まあ、確かにね。」

  鼠はくすくすと笑い、懐に手を入れる。そして、「でもさぁ」と続け

  「お兄さん、狩人なんでしょ?」

  「……だったら、なんだよ。」

  懐に手を入れたまま近づいてくる鼠。

  今、改めてよく見ると、相手の鼠はレンよりも小さい。レンより小さくてエルドより大きいくらいか。

  その小柄ですばしっこい鼠が何をしてくるのかーー

  一歩一歩近づいてくるのに合わせて、徐々に警戒を強めるレイヴン。生憎剣は持ち合わせていない、だからやるとしたらーー

  「ふっーーー」

  軽く息を吐き、呼吸を整える。

  心臓の痛みはようやく落ち着きを見せてきたが、鼠が一歩一歩近づくにつれて、再び鼓動が速くなる。

  鼠が近づいてくる、その距離は数歩先ーー

  相手はレイヴンが狩人だと知って声をかけて、挑発してきた。

  相手の力量は分からないが、今戦闘になったら確実に不利だ。

  だから、

  「…ちょっと待て」

  「…ん?」

  鼠に向かって手を突き出し、静止を呼びかける。

  それに反応し、懐に手を入れたまま立ち止まる鼠。

  「妙な真似は、するなよ。いいか。もし、何か不審な動きを見せたらーー」

  突き出した手の先で、突然揺らぎが発生する。

  その揺らぎからは小さい炎が発生し、やがて火球となる。

  そして、その火球となったタイミングで

  「ーーこうだ。」

  発射された火球は鼠の直ぐ真横を通って後ろの廃墟にぶつかる手前で爆発し、消滅した。

  流石に驚いたのか、鼠も目を見開いて、その光景を無言で眺めていた。

  ーー頼むぜ、自分の魔力を削って打ったんだ。これで大人しく引いてくれーー。

  余裕な表情を崩さないように繕うレイヴンだが、その内はもう余裕なんてなかった。

  トラウマによる精神の刺激、それによって生じた心臓の警鐘、その状態で無理矢理体を動かした反動、そして自身の魔力を消費して放った魔法。

  突然ごっそり魔力を消費したことによって起こる頭痛

  これ以上は正直限界だ。

  正直、賭けだ。

  魔法の威力を見せつけて戦力の一端を見せつけ、脅しをかけて交渉する。

  我ながら最低の手段を取ったと思う。

  鼠は放たれた火球の顛末を見届けると再びレイヴンの方へ向き直る。

  その顔はさっきまでの余裕を持ったものではなくなっていた。

  「……どうだ、これで大人しくー」

  渡してくれる気になったか、と続けようとしたが、その言葉は鼠のとった行動によって封じられた。

  「アッハハ!お兄さん、やっぱホンモノだね!ホンモノの狩人だ!!」

  「ーー!ッぐぅ!」

  ーー無音の旧市街地に、金属が打つ音が響いた。

  鼠は懐に入れた手とは逆の手で腰に携えた短剣を取り出し、レイヴンの胸を目掛けて突き立てるように剣をふるった。

  咄嗟の攻撃に対し、レイヴンは手に揃う爪で弾き飛ばした。

  弾かれた鼠は、短刀を持った手を地面に突き、そのまま後方宙返りで着地する。

  着地した鼠の頭から黒いフードが外れその顔が露わになる。

  レンと同じく茶色の毛に、ファンドと同じく青い目を持った鼠だった。

  「あーあ、顔見られちゃったか。まぁ、いっか!にしても今の防ぐなんて、狩人ってすごいね。正直舐めてたよ。」

  「……はぁ…だろ?降参するなら今だぞ?特別サービスだ、見逃してやるから、その魔導書置いてけ!」

  短刀を手のひらで回転させながら余裕の態度を崩さない鼠。

  その一方で、歯を剥き出しなお余裕を繕おうとするレイヴンだが、体は警鐘を鳴らしている。

  これ以上はヤバい。と

  「ワァ、まあ確かにお兄さん強そうだもんなぁ。魔法まで使えるとなっちゃ分が悪い。」

  「だったらーー」

  降参しろ、と心の内で叫ぶ。

  が、しかしその心の叫びも虚しく、鼠は顔を上げ、その湧水のような青い瞳を輝かせーー

  「アッハハ!楽しいのはここからじゃん!ホンモノの狩人!そしてホンモノのエセ王族!こんな楽しい相手、きっと今後一生無いっしょ!」

  言い終わると同時に懐からもう一本、ナイフを取り出し、力一杯踏み出す鼠。

  「こんのッ……クソがぁぁああ!」

  頭と心臓とその他諸々がじわじわと削れていく中、咆哮と共に爪を振るうレイヴン

  目を輝かせ、絶好の獲物を狩る機会を得て、短刀を振るう鼠

  鼠と獅子の、一方的な命懸けの戦いが始まった。