リオンは言い終わると、ゆらゆらとカップを揺らし、口をつけてお茶を飲む。
その目は少し恥ずかしさと、期待の羨望を抱いていた。
「ふふ。だってさ、レイくん?」
「ブハッ…………ちょ、待って待って待って」
驚いたリオンが目を見開いてお茶を噴出させる。
「ゲホッ……待って、今のレイヴンに聞こえてたの?」
咽せて咳き込みながら、驚いた表情のリオン。
同様に、レイヴンもまた驚いた顔をしていた。
「レイくん、私がこっちに戻る前から起きてたよ?まぁ、本人が起きたくなさそうだからそっとしておいたけど。」
ふふん、と勝ち誇ったような顔をしながら、アリエイトは部屋から出ていった。
→→→→→→→→→→→→→→→
「や、レイヴン。調子はいかがかな。」
アリエイトの退出後、まるで何事もなかったかのようにベッドの傍らに立ち、声をかけてくるリオン。
そんなリオンに少し苛立ちを感じながら布団に埋めていた顔を出して、目だけリオンの方を見る。
「まだまだ全然ダメだな……。こうして喋るのが限界だよ。」
「そうか。まぁ、喋れればそれでいい。」
実際まだ動くのはしんどい。
それに、涙なんて見せたくない。これ以上、惨めな自分を晒すのは御免だ。
リオンがベッドの端に腰を下ろし、少しだけベッドが傾き、そっちの方へと流される。
「レイヴン、何があったのか聞いてもいいかい?」
「あぁ…まぁ、そうだよな……。」
何を期待していたのか、すぐに本題に入るリオンに少しガッカリする。
そして、目線をリオンに向ける。
「…魔道士狩りに遭遇した……。遭遇したというか……なんつうか、多分俺のことを待ってたんだと思う。」
「魔道士狩り……本当か。」
リオンの声の調子が少し上がる。
顔は見えないがおそらく驚いているのだろう。
「ああ、多分、間違いない。魔導書をちらつかせて、誘って来た…待ち伏せしてたからな。」
「なるほど…たしかにそれなら魔道士狩りと言っても差し支えないかも知れないな。それで…待ってたっていうのは?」
「それは……」
言おうとして、口をつぐんでしまう。
待っていた、というのはあくまでレイヴン個人を、なのだ。
初めてあの鼠と接触した時、間違いなくレイヴンを指して読んだ言葉がある。
それは他の狩人の誰でもなく、レイヴン個人を待っての行動だということの裏付けだ。
会うなりいきなり『エセ王族』呼ばわりだ。
レイヴンのことを知っている誰かの差金だということはすぐに、わかった。
そしてそれは個人の問題であり、狩人内に持ち込むべきではないーー。
「ーーーー」
「レイヴン?」
「待ってたってのは、アレだ。逃走経路が……用意されてた。うん、後は…戦闘の準備もしてたしな。」
待っていたという根拠になりうるものを想起させて適当に並べ立てる。
一番の根拠になりうるもの、それだけはどうしても言いたくなかった。
理由は単純。知られたくないから、知らせるべきではないから、だ。
「俺を呼び出して、そんで追いかけたら待ち伏せされてて……そのまま追いかけて……旧市街地に出たところで、戦闘になったんだ。」
「旧市街地……。そりゃまた辺鄙な場所だ。」
「それで、それで、そこからは……」
ーーそこからは、なんだ。
「そ、そこから……お、俺は……」
変な汗が流れてくるのを感じる。
心臓の鼓動が早くなって、うるさく打つのを感じる。
初めて実感した、命のやりとり。負ければ死ぬ。
そんな、生々しい命のやりとりを思い出す。
「落ち着いて、レイヴン。」
過呼吸気味になるレイヴンの首筋を、リオンが微弱な魔力で刺激する。
リオンの魔力に当てられて、精神に起きた波が落ち着き、呼吸を安定させる。
「……はぁ……はぁ……」
「レイヴン……」
リオンが憐れみの目で見つめてくるのが分かる。
純粋に、ただ我が子を心配する親のように優しい目で、その視線は不愉快なものなどではなく、レイヴンの心を落ち着かせてくれた。
呼吸を整えて、再びレイヴンは話しだす。
「なぁ、リオン。さっきお前は俺が…いや、俺以上に素質のある狩人はいないって言ったよな?」
さっきうっすらと聞こえたリオンとアリエイトの会話の中で、リオンがレイヴンを『素質のある狩人』と評していたのを聞いた。
そしてそれは、嘘偽りなく、リオンの正直なレイヴンに対する評価なのだろう。
「言ったね。」
その質問に、リオンは即答。当たり前の事のように、自信を持って答える。
「なんで……なんで俺なんだ?俺以外にも……いや、俺なんて比較にならない程それを持ってる奴はいるだろ?」
「レイヴン…それは」
「俺は……俺は今日、魔道士狩りに遭遇した。なんの巡り合わせかしらねぇがそいつは俺を狙って、狩人の俺を狙って、そして攻撃してきたんだ。」
「レイヴン」
「攻撃されて、怖かった…。ああ、そうだ。俺は怖かったんだ。初めて、初めて本気で死ぬかもしれないって思った。訓練とは違う、相手は俺を殺せれば勝ちだ。」
「レイヴン」
「それで俺がどうしたか分かるか?俺は……俺は逃げ出したんだよ。情けなく、死にたくないってそう思って、勝手に狩人を名乗って置いて、その責任も放棄して、ただ自分が死にたくないから逃げ出したんだ。」
「ーーー」
「俺は狩人になったんだって……狩人を名乗るだけの実力があるんだって、そうやって思い込んで分かりやすいニセモノの覚悟で、そうやって生活してれば、俺は、俺は強くなれるんだって、そう思ってたんだよ……。」
いつの間にか、再び涙は流れ出していて、声も途中から涙ぐんだ声になっていた。
「でも違ったんだ……。強くなったと思い込んでいただけで、俺は何も強くなんてなかった。相対した敵が、少し剣を振れるからってだけで、俺は戦いもせずに、逃げ出したんだ。逃げて、逃げて逃げて、逃げ続けて……そうしてたどり着いた先にあったのは、俺という小さい存在の醜態だった。」
逃げて路地裏を走り続けて、何もできない自分を見つけた。
逃げるための言い訳も頭の中を巡った。
何より、その逃げるための言い訳に、『狩人』の立場をいいように使ったことが、なによりも解せなかった。
「俺は……俺は、何もできなかった……。何にも…やろうとしなかった……。」
それは、どうしようもない事実で、現実だった。
自分の弱さを知った、虚勢を知った。
強さなんて一ミリも持ち合わせていなかった。
「なぁ、リオン、なんで俺なんだよ……。なんで俺が狩人なんだよ………。」
涙ながらに勢い任せに言いたいことを全部言って、最初の質問に帰結する。
リオンはレイヴンの自嘲をどんな顔で見ていたのだろうか。情けないと、どうしようもないと思っただろうか。
ならば、それでいい。どうしようもないと、情けないと、要らないと、そう言われた方が今は幾分かマシだ。
何より、それだけレイヴンは自分を許せなかった。
もう、出る涙もない。泣いている音だけが、嗚咽だけが響いている。
「ワシが初めての狩りに行ったのは、狩人に所属してから数日のことだった。」
「………ぁあ?」
その語り出しは、レイヴンの問いに答えるものとして用意されたにしては筋違いのものだった。
リオンの方を振り向くと、リオンは顔を俯かせていた。
「ワシは……正式に狩人として任命される前にその実力を買われて、いきなり実戦に駆り出された。あの時は、まだ自分が弱いだなんて微塵も思ってなかった。」
「…………。」
「ワシは、当時の狩人の誰よりも魔法の実力と才能があって、そして剣……対人技術も、当時の……今で言う、ノットみたいなヒトがいてね、そのヒトに続いて実力があったから、すぐに実戦へと駆り出されたんだ。」
リオンの過去ーーなんとなく聞いたことはあった。
昔からリオンは今と変わらず最強格の狩人であったことも知っている。
魔法も体術も、両方高水準に使いこなせる天才だったそうな。
「ワシは大敗を知らなかったからさ。というより、負けちゃいけないようなことばかりだったから撤退なんて考えたことが無かったんだよ。だから、初めて見るモンスターにもできる限りのことをして成果を上げてやろうって意気込んで、それで……」
そこで、リオンの言葉が止まった。
「リオン?」と一声かけるとリオンは一度深呼吸をして、
「…それで、気づいたらワシは一人死にかけてた。当たり前のことなのだよ。未知の相手を初めて相手して勝てるわけがない。ましてや相手は理性も知性も持ち合わせてない、モンスターだ。殺せば相手の勝ちで、負ければ死ぬ。ただそれだけのことだ。」
「リオンが……そんな頃があったのか。」
今では考えられないことだ。
リオンは名実ともに最強の狩人として市井に知れ渡っている。
そんな最強の狩人様が、モンスター相手に殺されかけたと言うのか。
「狩人という仕事を舐めていたワシの不得だ。強ければなんでもできると思っていたし、実際自分が逃げ帰ることになるなんて思っても見なかったよ。」
「…だろう……な。俺だって…」
『同じだ』と言いかけてハッとする。リオンもレイヴンと同じような経験があったのだ。
同じように慢心して、崩れていった過去がある。
でも違うのは、リオンはそれでも狩人として立派にあるべき姿であるということだ。
「死にかけて、逃げ帰ってなんの成果も成せなかったワシを笑う人は誰もいなかった。むしろ、生きて帰ってきたことを凄くみんなに褒められたよ。当時は馬鹿にしてんのかって思ってたけど、でもそれだけのリスクを抱えているってことなんだよ。」
「……それで……何が言いたいんだよ。」
逃げて帰って生きててすごいね、えらいね、それだけで終わるはずがない。終わっていいわけがない。
そんなのできて当たり前で、そこからさらに一歩前進しなければ、それが狩人のはずでーー
「生きてるだけで満点なんて、言うなよリオン。そんなこと当たり前だ。生きて帰って、成果を持ち帰って初めて狩人だろうが!ーーそんな、そんな無責任なーー」
「レイヴンーー」
「お前は、お前が相手をしたのはモンスターでも、俺が相手したのはただのヒトだ!それ相手に逃げ帰ってそんなんでーー!」
感情のままに再び愚痴をこぼす。
生きてるなら戦え、生きてるなら成果を持ち帰れ、それができなきゃ死んでるのと同意だ。
何もしてない、何もできない。
結局結果論ではないか。
「レイヴン!!」
勝手な帰着を得て、好き勝手叫ぶレイヴンに、リオンの怒号が響く。
「……生きて帰って、それでいい。お前は納得しないかもしれないけど、それだけで十分だ。はじめの一歩は、狩人として生きて帰るのが仕事なんだ。」
「はじめの……一歩?」
「そうだ。最初から脅威に対して立ち向かえるヒトなんて、殆どいないさ。死にたいって心から思ってる奴だっていない。死にたくないし、生きてたいし、自分以外のために命を賭けるなんて正直どうでもいい。自分が生きてれば、それでいい。」
「でも……それは……狩人じゃない…」
他の、別の職業ならそれでもいいかもしれない。身の危険を感じたら、そそくさと逃げてもいいのかもしれない。でも、自分は狩人で、狩人は国民を守ることこそが徳で、それを蔑ろにしては何のために自分は狩人なのだーー
「そう思うだけで百点満点さ。なんせレイヴン、君はまだ狩人じゃ無い。狩人として動く前に、狩人として今後どうすればいいかを考える機会を得たんだ。」
「狩人じゃ……無い……」
もうすぐ日付が変わろうとしている。
今日はまだ狩人じゃ無い。ただ、この日付が変わった瞬間、レイヴンは狩人としての立場を得る。
「俺は……逃げた。自分の命が惜しくて、命が、奪いにくる敵が怖くて、逃げたんだ。」
「逃げていいさ。最初は。最初は逃げていい。逃げて帰って、みんなと考えればいいさ。」
「俺は、強いと思ってた。強ければ狩人として、輝けると思ってた。」
対人近距離戦闘も、対魔遠距離戦闘も平均以上に高水準でこなせるレイヴン。その実力は確かだし、実戦で効果的に使えば猛威を振るうだろう。
「でも、そもそも俺は強く無かった。強いと思い込んでいただけなんだ…。」
いい武器は持っている。でも、それの使い方が分からない。
「なぁ、リオン。どうして俺が、狩人なんだ?」
最終的に、リオンはなんでレイヴンを狩人だと思っているのだろうか、という質問に帰着する。
自分の命が惜しい、戦えなかった、逃げた、そして、レイヴンに身の覚えのないレンへの傷害。
それだけの醜態を晒しておいて、悪様に自分を罵るレイヴンを見て、リオンはそれでもレイヴンを狩人だというのか。
時刻は、日付の変わる1分前ーー
→→→→→→→→→→→→→→→
「レイヴン、ひとつだけいいことを教えてあげようか。」
「……?」
涙を拭うレイヴンの横で、リオンが人差し指を立てて、レイヴンを見下ろす。
「狩人として大成して来たヒトたちはね、いずれも個人の戦力はそこそこのヒトなのだよ。戦闘能力だけで言ったら並の、言ってしまえば代わりはいくらでもいるようなヒトばかりだ。」
「……そうなのか?」
「ワシの代では、一番戦果を上げていたのは戦うのは苦手なヒトだった。それでもなんで彼女が戦果を上げれていたか分かるかい?」
「…………」
戦えない狩人がなんで戦果を上げられたかーー
その答えが考え付かずに、黙り込んでしまう。
「そのヒトはね、ヒトを惹きつける魅力があったのさ。カリスマ性があるといえば分かりやすいかな?」
「……は?」
「誰よりも弱くて、誰よりも脆かった彼女はそれでもヒトを引きつけた。従いたくなる何かがあった。だから、班員は弱い彼女を信じて動いていたのだよ。」
「信頼……」
「レイヴン、狩人というのはね、一人では成立しない。私がなんで最低三人で班わけしているか分かるかい?」
「……安全面を考慮してじゃ、無いのか?」
「それもある。けどね、個人では限界があるからだよ。レイヴンだって思い知ったはずだ。自分でできることの限界に。」
その通りだ。
ファンドがいれば、レンがいれば、鼠を追っている最中に何度も思った。
レイヴン一人でできない事は、ファンドとレンがやってくれていたことを実感した。
「私はレイヴンに、その素質があると思っている。自分勝手で傲慢で、自信だけは一丁前なレイヴンを、あの二人はまるっと信頼している。
この前の訓練で、それを感じた。」
「……でも、あの訓練中でも、俺のせいで失敗しかけた。」
「それでも、成功しただろう?それは、ファンドがレイヴンの動きを考えて、レンがレイヴンを信じてたから成功したんだよ。」
ーー作戦内容は至ってシンプル
レイヴンが追いかけて、レンの罠まで誘導する。
レイヴンのすぐそばをファンドが耳と思考で補佐する。
そして、レイヴンが何かやらかした場合のことまで考えてある作戦ーー
今考えたら、適当にも程がある。
レイヴンのやることは、目標を追いかけるだけだ。
それなのに、罠の位置まで誘導してくれると信じて待つレンがいて、レイヴンが追いかけるじゃ足りない部分を埋めてくれるファンドがいた。
「私が……ワシがレイヴンに期待してる理由は、あの二人が、レイヴンを信用していて、レイヴンが二人に信用されるものを持っているからだ。」
「俺が、そんな物を…持ってるのか?」
「持ってる。それは確かだよ。じゃなきゃ誰がこんな自分勝手野郎に従おうと思うんだい?」
言い方に棘があるがその通りだ。
考えるより先に体が動くレイヴンを、理由なしに信じられるだろうか。
「もしあるとして……俺がそんなもの持っててもいいのか?」
「そうだね。才能はね、ヒトを選ぶんだよ。だから、レイヴンだからいいんだよ。レイヴンじゃなきゃ、ダメなんだよ。」
「………!!」
班を決める時、班決めの時も同じことを言われた気がする。
レンに、ファンドに、声をかけられた時も同じことを聞いて、そして
『狩人として一緒に何かできるなら、それはレイヴンがいいな。』
『私たちを使えるのはあんたしかいないんだから、レイヴンじゃなきゃ、だめなのよ。』
レンとファンドに、そう言われた。
当時はただ誘われたことが嬉しくて、その事実に浮かれていたが今思い出すと何という殺し文句だろうか。
そして、レイヴンはーー
「レイヴン、おめでとう。今日から、狩人だね。」
日付が変わり、秒針が刻々と進んでいく。
狩人としての立場を得た今日、狩人じゃ無い昨日までの自分。
それでも、期待してくれていた仲間が二人
「俺は……狩人になってもいいのか?」
「それは、ワシじゃなくて、明日の朝、直接二人に聞いてみな。」
立ち上がるリオンは、レイヴンを見下ろして、そう言って笑って見せた。
「それが、レイヴンの狩人はのはじめの一歩なんじゃないかな。」
はじめの一歩ーーそれを踏み出すことをリオンは笑って許してくれた。
きっとそれは簡単なことじゃ無い。はじめの一歩は、誰にだって用意されていて、誰でも踏み出せる物じゃ無い。
それでも
「俺は、狩人になるよ。」
その一歩を踏みそうと、そう決めた。