十二話『刃に魅せられた猫』

  経験がヒトを形作る、とはよく言ったものだ。

  好きなもの、嫌いなもの、楽しいこと、怖いことーーそれぞれの要素が含まれた経験を積むことで、ヒトは個人を形成する。

  その中でも特に、恐怖という経験は大きく影響を与える。

  シアルドの救護室ーーレイヴンとレンが他愛もない会話を繰り広げていた。

  「それリオンかなり怒ったんじゃないか?あれって結構作るの時間かかるやつじゃなかったっけ。」

  「そうだね。結構な勢いで叱られたね。けどまあ仕方ないというか。」

  こんななんともないひと時ーー

  そんな中、レンは煮え切らない衝動に襲われていた。

  昨日の夜ーーレイヴンを見つけて駆け寄った時の彼の目と爪と刃と。

  彼に襲われて、掠れた頬の痛みがズキズキとうるさく刺激して、なおのことその時のことを思い起こさせる。

  『これから話すのは、本当にあった妄言とでも思ってください。』

  『これは、僕の妄言の範囲内ですよ。』

  昨日起こったことをリオンに伝えた時に、そう言った。

  昨日、レイヴンが倒れていた現場にいたのはレンと、倒れていたレイヴンだけだ。

  だから、レイヴンがレンを襲ったという証拠はどこにも無いし、それを確かめる術ももちろん無い。

  この怪我だって、こけたとか、木の枝で擦れた、とかいくらでも言い訳のしようがある。

  あくまであれはレンの妄想であり、事実では無い。

  そうしてしまいたくなる。

  だってーー

  「……レン、どうかしたか?」

  会話の途中で急に黙り込むレンを不審に思ったレイヴンが声をかける。

  その声はいつも通りの気さくで仲間思いのレイヴンの声だった。

  「ううん、なんでもない。それでさーー」

  そう、あくまで全部レンの頭の中で起こった一瞬の現実味のある妄想である。

  今こうして会話してる中で、レイヴンの牙や爪が見えるたびに体が無意識に距離を取ろうとするのも、あの光景も全部が全部気のせいである。

  気のせいであってほしいーーーー

  →→→→→→→→→→→→→→→

  ライと離れて幾分か経った頃ーー

  裏路地を走る不審な足音を追っていると、さっきファンドを襲ったと思われるナタを持った刺客がが子供を肩に抱えて走っているのが見えた。

  「あいつ……私達が来るのを待っていたわね。音が不自然すぎたわ。」

  「そうなの?」

  「ええ、足踏みしてたのかなんなのか知らないけど、足音が急激に近づいたと思ったら今度は急に離れ出したもの。」

  常に走っていたのならその音はいきなり近づくわけではなく徐々に近づいていくか、徐々に離れていくかのどちらかだが、音は急激に近づいて、近づいたと思ったら今度は急に離れ出した。

  その時、動揺するような息遣いも声も聞こえなかったためおそらく想定内のことなのだろう、

  そう考えると、最初から待ち伏せされてたと思う方が自然だ。

  「狐の可能性はないかな?」

  「狐ができるのはあくまで自分の声を変えることだけだから、多分それは無いわ。」

  「そっか。」

  狐の固有本能ーーその可能性に一瞬頭を巡らせるが、それは無いと判断する。

  狐の固有本能は、聴覚の認識をずらす力だ。

  しかしそれはあくまで、自分の発する声色をおおよそ変えることができるだけで、音の距離感だったりを変えることはできない。

  しかし、考えられるこういった可能性を一つ一つ潰していくことで、行動に迷いが出なくなる。

  猪突猛進なレイヴンとはこうはいかないなぁ、と思いながらひた走る。

  さっき、奇襲に気づくことができなかったのが思い出される。

  普段なら確実に気付けるだろう屋根の上の足音。

  ライのことを深く考えてたのもあったが、それに気づくことができなかった。

  それは、完全にファンドの落ち度だ。

  ムラのあるレイヴンと違って、この二人には信じ切れる強さがある。

  ライがファンドより先に敵の攻撃に気づいて盾を張ったように、圧倒的な強さを持つこの二人にファンドのサポートは不要に近いのだろう。

  「なんて、私の言い訳だけどね。」

  そう、それはあくまでさっき犯した失敗に対する言い訳でしか無い。

  二人に無理言ってついていってる側だし、そもそもこうやって動いてるのだってグレーなことだ。

  「ノットくん、そこ曲がったところで足音が消えたわ。だから、警戒よろしく。」

  「おっけー、ファンドちゃんは後ろにいて。」

  今度は失敗しない。

  今、自分にできること。余計な思考は使わず今の状況に集中しよう。

  何のためについてきたのか、それを忘れないように。

  ノットが右足のナイフホルダーからナイフを逆手で持ち、ファンドの前に走り出る。

  走る位置を入れ替わったタイミングでファンドは自分の頬を両手で二回叩き、意識を入れ替える。

  ここから先は、ファンドの専門外ーー戦いにおいてファンドはいつも一歩引いた側にいる。

  だから、それ以外を。

  ーー『いいなぁ、戦う以外に何かできるって。』

  出かける前、レイヴンがファンドにそう言った。

  戦う以外でできることーー戦えない自分が、戦う以外でしか役に立てない自分が唯一出来ることをこれ以上無碍にしてなるものか。

  「そこ、右!」

  足音が消えた先、何かが動く音は聞こえないーー聞こえるのは微かに呼吸をする音だけ。

  息を潜めてるのか、何か仕掛けてあるのか。

  明らかに不自然に消えた足音に警戒をしつつ、ノットの後についていく。

  「ーーーーー」

  ノットが身を低くして警戒体制のまま右の道へと入っていくと、そこは少しだけ広くて、入り口以外は出入りできる場所がない、一方通行の旗竿地だった。

  そして

  「…!あの子だ、攫われた子。」

  旗竿地の一番奥の壁に寄りかかるように、猿轡と脚を縛られてそこに置かれていた。

  「……罠だね。」

  「やっぱりそう思うよね。」

  もしあそこまで行ってあの子を助けに行けば、逃げ道を塞がれる。

  しかし、そうは言ってられないのが狩人だ。

  国民の安全を第一に動かなければいけない。

  「私が、行く。ノットくんはここで警戒。よろしくね。」

  「りょーかい。気をつけてね。」

  行く前にノットに軽く笑みを見せてから歩いていく。

  もちろん、ノットだけじゃなくて自分も十分に注意力を働かせる。

  今のところ、自分の足音とあの子の息遣い以外きこえない。

  そして、今気づいたのだがノットが息を殺している。本当に、最低限の呼吸しかしていない。

  音を極力出さないように、ノットが手助けをしてくれている。

  それが意図的か無意識かはわからないが、これが強者たる所以かと思わされる。

  相手が何をしようとしてるか、それを考えて、自分はどうすればいいのか。

  理解して実行に移すまでの速さーーそれが彼の剣の強さを支えているのだ。

  「……大丈夫、生きてる。」

  猿轡を外して、脚の縄を解く。

  縄はキツく縛られているものと思っていたが、そんなことはなくゆるゆるだった。

  あくまで、縛られてるように見える程度に縄がぐるぐると足に巻き付けられているだけだった。

  「……この子……昨日の…」

  何の巡り合わせか、誘拐されていたのは見覚えのある犬の少女だった。

  何もかもお見通し、というやつだろうか。

  ノットに視線で合図して、それを受け取ったノットが頷いたのを見て、少女を背に乗せて少しづつ来た道を戻る。

  少女の安らかな、スヤスヤとした寝息が耳に入って来る。彼女の小さい心音と息遣いに同期してファンドの心臓の鼓動も落ち着いていく。

  そして、何事もなくノットのところまで戻って本当の安堵感に包まれた。

  「とりあえず、何もなかった、ってことでいいのかな?」

  「多分ね…。とりあえずこの子を親の元に送り届けないとーー」

  何もなかったーーそれで終わってくれるわけがない。

  突然の足音にファンドの耳が反応する。

  距離、場所ーーそれを割り出すのに時間なんていらない。

  「上!」

  ファンドがそう叫んだ瞬間、ノットがすぐ近くの壁を蹴って跳躍。

  そして、飛び出してくる黒いマントを羽織った刺客。

  刺客が振るった剣をノットは小さなナイフで弾き返す。

  弾き返してから刺客の胴体に蹴りを入れる。それをまともに食らった刺客は壁にぶつかる。

  「イテテ……ホンットに狩人って連中は容赦ないね…。」

  壁に叩きつけられた刺客がそう言いながら立ち上がる。ノットはナイフと、そして短剣をそれぞれ両手に持って完全に戦闘体制だ。

  「オッ、お兄さんは二刀流なんだ。昨日のお兄さんは爪だったケド。」

  その『昨日のお兄さん』というのが誰なのかはすぐに分かった。

  爪で戦う狩人、そして昨日ボロボロで帰ってきた狩人ーーレイヴン。

  昨日レイヴンを降した相手がこいつだ。

  「ファンドちゃん、すぐにその子を連れてここを封鎖してもらえる?」

  「え、ふ、封鎖?」

  「そう、封鎖。」

  ノットがその場にふさわしくない笑顔で告げる。

  逃がさないといけない理由は分かる。きっと直ぐに戦いになる。

  そうなったらお守りを背負っているファンドは足手まといにしかならない。

  でも、封鎖する理由はーー

  いや、考えている時間はない。ノットにはノットなりの考えがあって、それを事細かく聞いてる余裕はない。

  「分かった。この子を置いて、ライくんを連れて戻ってくる。」

  「うん、よろしく。」

  そう言って懐から投げ渡されたのは、ノットに支給された分の魔鉱石だ。

  それを掴み、旗竿地から出るとその入り口に手を触れてそこから勢いよく水が噴出する。

  「ほんっと、何回やってもコスパ悪いわ。私の魔法は。」

  魔鉱石の色がとんでもない勢いで薄くなる。

  水を噴出させるのに多くの魔力が持っていかれ、それを継続させようと思ったらもちろん継続しただけ魔力も消費する。

  ノットの考えは分からない。でも、ノットのいう通りあの場所を封鎖できるのは、魔鉱石の色が完全に消えるまでの数分ーー

  →→→→→→→→→→→→→→→

  勢いよく噴き出す水が、じわじわと足元を侵食して来る。

  「狩人って逃げるのがお仕事だったりする?」

  旗竿地から出て行ったファンドを目で追って、無事逃げ出したことを確認。

  目線の中心に敵を捉えて、手に持ってる刃物に注意を向ける。

  相手が持っているのは一般的な、ごく普通の短剣。そして、もう片方の手に握られているのは、三日月型の反った刃に塚に水色の宝石のようなものがあしらわれた剣。

  「昨日の狩人もそうだけど、狩人って逃げなきゃ戦えないの?」

  相手の言葉には耳を傾けない。

  剣の撃ち合いで大事なのは、相手の挙動の先を読むこと。そして、一撃目、二撃目を受けないこと。一撃目から繋がる二撃目ーー特に二刀流に関しては、二撃目の方が腰の勢いもあって威力が上がる。

  一撃目は避けて、二撃目を防いで、そして次に踏み込んで相手の懐に潜り込めるのがベストだ。

  精神を集中させ、構えを乱さず相手の手足、目線、息遣いを集中させる。

  相手の体つきは、エルドとレンの間くらい。

  やや小柄で、耳の形からしておそらく種族は鼠に近しいものだ。

  相変わらずぺらぺらと、何か言っているが全部無視だ。

  内容は、低俗な煽りでしかない。そんなので精神を乱せると思ったら大間違いだ。

  なんせ、ノットという男は底辺からここまで上がってきたのだから。

  どんなどん底よりもさらに低い奈落の底、そこから這い上がって来たのだから、どんな煽りも抽象も聞き飽きたどうでもいい内容だ。

  そして、何もしないで講釈垂れてる風を装っているつもりだろうが、その裏で何か企んでいるのはお見通しである。

  それこそどん底で何回も見て来た顔だ。

  悪巧みしてるヒトは、何もしてない風を装う演技をする。

  そして、極め付けーー

  「にしても、無反応ってのは酷くなぁい?オイラ達を煮るなり焼くなりするのが狩人の仕事でしょうよ。ホラ。」

  そう言って剣二本を高く投げる暫定鼠。

  剣を持っている相手に一瞬でも剣を手放すなど、舐め腐っているのにも程がある。

  剣が投げられたタイミングで地面を蹴り、腰を左に捻り右手のナイフを振りかぶる。

  「ッヘ。」

  そのノットを見て、剣を投げ捨てた両手を上げたまま不敵に笑う暫定鼠。

  そしてそのまま鼠の懐に潜り込みーー

  「君たち、奇襲って何かわかってる?」

  逆手で持っていた剣を准手で持ち直し、そのまま左に回していた腰を思いっきり右に回して、背後から迫っていた一人の刃を刃で受け、そのまま腰の回転と腕の力で刃を弾き飛ばす。

  背を向けたノットに、剣を再び手にした暫定鼠が振りかぶる。

  「ダメだね。君の剣はなまくら未満だ。」

  剣を弾き飛ばされその勢いで倒れていった刺客を右足で思いっきり踏み込み、そして左手の剣で暫定鼠の刃を受ける。

  思いっきり腿を踏まれた刺客が激痛に悶え、悲鳴をあげる。

  そして、踏み込んだ右足をバネにして、鼠の懐へ左手の短剣で切り掛かる。

  「うっは、おっかねぇ。」

  暫定鼠は受けられた方と逆の手に持っていた剣先でノットの剣を下側へと打ち払う。

  打ち払われた剣を一度手放し、そのまま地面に手をつき、相手の足を払おうとするが、そのまま鼠は後方へと飛び退いてその蹴りは当たらなかった。

  それをすぐに確認して、剣を拾い再び二刀を構え直す。

  一瞬の攻防。

  その一瞬だけで相手の力量をはかるには十分だ。

  ノットのすぐ足元で、踏まれた腿を抱えうずくまっている一人。

  彼は剣どころかおそらく対人の技術すらほぼ持ち合わせていない。

  そして、今目の前で余裕そうな格好を崩さずにゆらゆらと、気を誘うように揺れている鼠。

  彼はしっかりと訓練を受けた動きをしていた。

  が、あくまでその程度であってレイヴンがあんな一方的にめったうちに会うほどの力を持っているわけではない。

  さっきの、刃を撃ち落とさんとする攻撃には少し驚かされたが所詮はその程度ーー。

  おそらく真面目に一対一をするように、戦うようには訓練されてない。

  奇襲と合わせて、相手を一方的に屠るようされているのだ。

  「つまらないなぁ……ほんとに。」

  剣同士での真剣な撃ち合いを望んでいたノットにとっては不服以外でのなんでもなかった。

  狩人の仲間内で、二刀流を主にして戦うのはノットだけ。

  レイヴンが一応両手の爪で戦っているのでギリ二刀流と言えるぐらいで、それ以外は基本的に一本だけーー。

  せっかくの二刀同士の争いができるかと思ったが拍子抜けだ。

  足元をびちゃびちゃと水で濡らしながら、鼠の方へと歩いていく。

  その足取りは少しづつ速くなっていって、そして駆け足となって鼠に突進していく。

  ーーさっさと終わらせよう。

  そんな、どこか暗い感情が湧いてきて、顔に陰か生じる。

  そのまま鼠の方へと剣を向けて、軸足をてて、回転を加えながら剣を向ける。

  「おにいさん、もっともっと見せてよ。」

  それを笑顔で、刃に刃を当てがあって対応する鼠。

  装飾された剣でノットのナイフを防ぎ、かがんでからノットの脇腹目掛けて質素な短剣が向けられる。

  それに対してノットは即座に距離をとり、鼠の持つ短剣の描く軌道が止まる瞬間を目掛けてその剣を持つ手を目掛けて回し蹴りをする。

  「ッててて、おにいさん強いね。そんじゃまだまだ!!」

  蹴られた手から持っていた短剣を地面に落とし、それを拾おうと鼠がかがんだところにナイフを振り下ろすと、鼠は持っていた方の剣でナイフを弾き、それによってできた隙を逃さず、剣を拾いそのままノットの右手を目掛けて発射される。

  剣と剣が交差するたびに、キンキンと甲高い音が鳴り響く。

  何度か撃ち合ううちに、鼠のかぶっていたフードが顔から外れ、その顔面が露わになる。

  その顔は、まるで心からこの戦いを楽しんでいるようでーー

  「なんだ……振れるじゃん。」

  何度か撃ち合ってさっきまで鼠に抱いていた嫌悪感が払拭される。

  と、いうより撃ち合うたびに鼠の技術が上がっていくのを肌で感じる。

  拙い、ただ力に任せた振りから少しづつ軽やかに流れるような撃ち合いへと変化する。

  刃同士が当たる音も、重い一撃の音から軽く流れるようなものへと変化していく。

  その音が鳴り響くたびに、ノットの心は高揚していく。

  剣の撃ち合いは、こうで無くてはつまらない。

  何度も何度も仕掛けて、守って様子を見て…相手の作った隙を見逃さずまた仕掛けてーー

  刃の見せる表情を感じて考えて、一番効果的な一撃が入る隙を探す。

  それが、ノットのーー刃に魅せられた猫の唯一の戦い方だった。

  「だから、水は刺してほしくなかったかにゃ。」

  突如屋根から二人、新たにノットを狙うものが現れて、心底つまらなさそうに、剣を奮い出した。

  ーーーーーーーーーーーーーー

  「ライくん、あの子預けてきた。行こう。」

  誘拐された犬の少女を親元に預けたファンドが走ってライの元へと戻ってきた。

  そして再び、ライを先導して来た道を戻っていく。

  「ファンドちゃん、ちょっといい?」

  「走りながらでよければね。」

  「ボク達以外に、なんか音を出してるヒトいたりしない?」

  「………。」

  商通りで、いきなり目の前で姿を眩ました敵達のことが引っかかった。

  姿を消したと思ったら、背後から一撃食らわされた。

  「どう?なんかあった?」

  「……まずいかも…。」

  ライの言葉を受けて耳を澄ましていたファンドが、苦い顔をしてライの方を見る。

  「ノットくん、多分囲まれてる…。というか全員とやり合ってる…?」

  「わぁ、急がないとねぇ。」

  「そう、そしてこれさっき気づくべきだったんだけど……」

  「私の魔法、奪われてるーー。」