「よっと……んで、こっちか?」
山の中を縦横無尽に駆け回る一人の橙色の鼠ーーヴァン。
昨日とは違い、勢いだけではなく、観察眼と思考力を凝らしてゆっくりと、だけど確実に一歩一歩進んで行く。
「ここ行ったら……次はーー」
右へ左へ、上へ下へ、木の上をピョンピョンと跳ねて徐々に山の中へと入っていく。
亡霊鉱山の中腹ーーあの開けた、最高の『居場所』へ
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「と、意外と行けるもんだな」
両手を枝から離して、柔らかい草の上に着地をする。
閉じた、木々に囲まれた森から風の通るとても解放的な場所ーー最高の『居場所』へとたどり着いた。
「…………。」
橙色の毛を、緑の風がくすぐる。
その感覚に身を委ね歩を進める。
昨日と変わらない、その無音に身を沈めてここまで使った目と神経を休める。
やはり、大自然。
人工物で溢れた街と違って、一つ一つの『道』が小さくて、見つけるのが難しい。
それに、昨日は通ることができた『道』がいくつか通れなくなっていたりした。
「レン……すげぇなぁ……。」
昨日山中で出会った、あの自然と調和したような茶色毛の鼠を思い出す。
ヴァンを含めて、アレほど迷いなく正確に道を行けるヒトを初めて見た。
鼠の固有本能である『近道』は、あくまで『道』の認識の範囲を広げるだけであって、『道』を渡れるかどうかは本人の能力に左右される。
つまり、経験と身体能力と思い切りの良さ、そして何より観察力がなければ、レンほどのパフォーマンスを発揮するのは難しいと言うことだ。
それをひょいひょいと、他人に気遣いながらやるのだからすごい。
「ダァーー……疲れた……。」
大樹の麓に行って、深く息を吐きながらそこに座り込む。
座り込んだことで訪れた体の疲れで、そのまま姿勢を崩して寝転がる。
山登りにかかった負担を身をもって感じていると、尚更レンの凄さがわかる。
昨日山に登った時、息を切らす様子も見せなかった。
大樹の麓ですぐに寝始めたが、おそらくあれは疲弊によるものではない……と、思う。
そう考えると、あの鼠は色々と規格外に見えてくる。
というか、本当に規格外なのだろう。
この山が『亡霊鉱山』と呼ばれるようになってからの歴史は長い。
しかも、その長い歴史の中で亡霊鉱山に立ち入ったという記録はないらしい。
それが正確な記録なのか、一般的にそういう認識になっているのか定かでは無いが、どちらにせよそんな山に一人で入って、自由に出入りしている時点でレンの凄さは半端ない。
「そして、そんな山に入れるようになった……入れるようにしてもらった…?オイラも相当スゲェってことだな。」
勢い任せになんの目測も無く入っただけだが、その流れで亡霊鉱山に入ったヴァンも相当凄いということになるだろう。
「レンが……オイラ達の救世主……かな。」
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「ん?なんか……折れてる?」
山に入って数分、大樹を目指してひょいひょいと進む茶色の鼠ーーレン。
山を立体的に上下左右に飛び回りながら移動していると、ところどころ不自然に枝が折れている場所が数箇所あることが分かった。
「……?あ、ヴァンかな。」
昨日出会ったばかりの薄橙の鼠が脳裏に思い出される。
この山に入って来れるのはレンと、後はヴァンくらいのものだろう。
「もうここまで来れるのか。すごいなぁ。先生びっくり。」
次会う時までに登れるようになっておく、とは言っていたがまさか昨日の今日でこんなに来れるようになるとは正直驚いた。と、共に少し嬉しく感じる。
「会えるかなぁ。」
あの場所を共有できる仲間ができたことを嬉しく思い、足取り軽くささっと、小さな風が木々を跳ねて通り過ぎた。
→→→→→→→→→→→→→→→
「わぁ、いた。」
木から飛び降り着地する。
大樹の広間にたどり着いて、草木が青々としているなか、薄橙色はよく映える。
レンの望み通り、薄橙の鼠ーーヴァンはそこにいて、大樹の麓で寝転がっていた。
木から飛び降りた勢いのまま、緑の絨毯を踏みヴァンの元へ向かう。
走ってる途中でヴァンがレンの存在に気付いたらしく、寝転がったまま右手を振ってきた。
それに対し、レンは左手でかえして大樹の元へ向かう。
「ヨォ、レン先生。」
「や、ヴァン。」
大樹の元に辿り着くと、ヴァンは背を起こして右手で挨拶をする。
それに対して、レンは再び左手で返す。
そんな軽い挨拶を済ませると、ヴァンの隣に座り込む。
「ん?どうしたの?この傷。」
ヴァンの顔を見ると、昨日はなかったであろう切り傷ができていたのを指を刺して聞く。
が、よく見たら傷は顔だけでは無く、腕や足にも所々切り傷のようなものが付いているのがわかった。
全身くま無く細かい切り傷が入っていた。
「ていうか、え、何があったの?山登りでできた傷じゃ無いよねこれ。」
山を登ってる中、いくつか不自然に折れてた枝があって、おそらくどこかしら引っ掛けたんだろうなぁ、と憶測はしていたが、ヴァンの傷つき方はそれとは違って明らかになにか刃物のようなもので裂かれたような傷だ。
昨日の今日で何があったらこんな状態になるのだろうか。
レンに尋ねられてヴァンは腕を組んで、少し考える仕草を見せた後、笑顔で
「イヤァ、ちょっと喧嘩してきちゃってさぁ。それでこの様ってわけさ。」
と、膝をたたきながら、軽い口調で答えた。
「け、喧嘩…か。いやでもこの傷って……」
「あ、顔のこれは山登りの途中引っ掛けて来ただけな。流石に無傷でここまでは来れなかったわ。」
と、最初にレンが指摘した傷を人差し指で擦りながらヴァンがいう。
「いや……まぁ…。そうか。喧嘩ね、喧嘩。」
喧嘩にしてはちょっと程度が過ぎると思う。ただの喧嘩でわざわざ刃物でやりあうことになるだろうか。
「喧嘩にしては……物騒なこって。」
「ま、オイラは鼠だからな。喧嘩ふっかけられることなんてしょっちゅうあるし、今回はちょっと相手の腕が立ったってことさ。気にすんなよ。」
手をひらひらと振り回して、投げ捨てるように言うヴァン。
その言い方は、本当に日常の一コマに過ぎないことを語るような口振りだった。
「気にすんなって言われましても。」
流石に刃物で作られたであろう傷がこう目に見える形で何個も有れば何がどうしても気にしてしまう。
そんなレンの視線を汲み取ったのか、ヴァンは一回ため息を吐くと、
「レンは地下街って知ってるか?」
「んぇ?ああ、もちろん知ってるよ。僕だって、そこにいたから。」
ーー地下街
この国には表と裏が明確に存在していた。
地上を歩く、善いヒト達。そして、そんな善いヒトの踏み台にされる悪いモノ。
そんな悪いモノを押し込められていたのが、かつての地下街だ。
かつて鼠の大半は地下街へと追いやられた。
そして、かつてレンもそこで暮らしていた。
「オイラはさ、まだそこで暮らしてんだ。んでまぁ、大体の連中は……言っちゃえばお金に余裕のある連中は八年前のあん時から外での生活に切り変えたじゃん?」
鼠に対しての待遇が改善されて、地上での生活権を得られたのは八年前。
しかし、地下街から地上への生活へと切り替えができたのは、当時から現在にかけてそこそこお金に余裕のある者か、孤児として保護された者、又は奴隷として働く道を選んだ者だ。
「レンは覚えてるか?地下街がどんな場所だったか。」
「…覚えてない。…僕が地下街にいたらしいことは覚えてるんだけど、地下街がどんなところだったのかは。」
レンの人生十五年。そのうちの記憶の大半は地上での一般的な暮らしの記憶だ。
地下街で生まれて育ったことは聞かされてはいるが、その実地下街で過ごした記憶はほぼゼロに等しい。
「でも、鼠として生まれて過ごして来た……『鼠』としての思い出はある。いろんな人に殴られて蹴られて……」
地下街ではなく、地上での一般的な暮らしの中で、ごく普通にそこにいるだけで殴られ蹴られ、そんな記憶が頭をよぎる。
そしてその記憶を呼び覚ますように、かつえ蹴られた殴られた場所がずきずきと主張する。
ヴァンがいつも通りと言っていたがそんな痛々しい記憶は、思い返してみればかつてのレンにとってもいつも通りのものだった。
「だよ地下街のことはほとんど知らないんだ。今もどうなってるか殆ど知らないし…。」
「マジか。でもまぁ、そんな感じだよ。」
「そんな感じっていうのは….。」
「殴られ蹴られ。そして蔑まれ疎まれ馬鹿にされて、な。表に出ない分、余計タチが悪りぃよな。オイラが一体何をしたってんだ。まったく。」
イラついた、呆れた、そんな感情混じりにヴァンが吐き捨てた。
でも、それが現在の鼠族の現状なのだろうと思う。
表立って鼠差別をするようなヒトはいない。それでも長年背負って来た鼠族嫌われ者の役目はそう
そう無くならないらしい。
「レンはいないのか?鼠であることを理由にいろいろしてくる連中は。」
「今はあんまり無いかな。鼠ってことだけで因縁かけてくるヒトは。どっちかっていうと鼠であることを有効活用しろってうるさいヒトならいる。」
レンを慕ってくれてるエルドや、個々の能力を見て、客観的に加減なく評価を下すリオンがそうだ。
リオンに関しては少々買い被りすぎだと思うが。
「今はもうそんな時代に変わって来てるんじゃ無いかね。少なくとも僕はそう思うけどね。」
種族がどうだから、という考えは廃れつつある、と思う。
レンの周囲を取り巻く環境がそう見せているだけなのかもしれないが、それでも目に見えて差別的な視線、言動は少なくなって来たと思う。
少なくとも、レンの周りはそうなって来ている。
「ああ、そんな世界になるさ。もっと大々的に。な。」
それは、決意を固く結んだ青い目だった。
近い未来、希望を目指しているようなそんな目をして言った。
「そうなると、いいよね。」
レンだって、そうなったら嬉しいなと、思う。
→→→→→→→→→→→→→→→
「怪我、治してあげようか?というか治させて。見ていてこっちが痛くなってくるわ。」
見るところにある切り傷だけでも十数個あるだろう。見ているとその切り傷の痛みが伝わってくるようで、たまらなくなる。
あと、かさぶたをペリペリ〜っと剥がしたくなる衝動だ。
これはどうでもいいか。
「そうか?こんなの舐めときゃ治るだろ」
「治るかもしれないし実際治るだろうけど、見てて痛いから治させろ!」
「いやいやいいって、大丈夫だって!!」
頑なに距離するヴァンに、レンは不満の表情。しかし、そこから一転ニタニタと嫌な顔をして
「そんじゃぁ…ヴァンが観念するまでカサブタを一枚一枚ペリペリってする。」
「地味に痛いやつやめろ!怪我治したいのかオイラをさらに苦しめたいのかどっちだ!」
「いやいや?ペリペリ〜ってやっても僕が治してあげるから……。」
「ダァーもうわかった、わかったからその手の動きやめろ!!」
指をまばらに動かすレンの手の上からヴァンの手に握られてその動きを強制的に停止させられる。
しかし、言質は取ったと言わんばかりに、レンは満足げな顔で
「ほい!じゃあ行くよー!」
「ぬわ!おいおいおい。」
手を握るヴァンの手を無理矢理振り解き、腕を背に回して抱擁する形に。
ヴァンは一瞬驚いたように腕を上げたが、観念したのかレンの背に腕を回してくる。
「いくよ?」
「お、おう。どこに?」
歯切れの悪いヴァンの返事を受けて、レンは目を閉じて魔力へと意識を集中させる。
他人の体へ干渉するので、より集中する。
魔力を通して、ヴァンの怪我の位置と程度を把握。
「おぉ、なんかくすぐってえ。」
魔力の干渉を受けて、ヴァンが小さく呟く。
そのまま、ヴァンの体を魔力と魔素が行き来して、ヴァンの小さな傷の数々を淡い光と共に癒していく。
「あれ?」
「ん?どうした?」
「いや、なんか……あれ?」
「え、何。怖い。」
魔法の行使中、違和感を感じたが、魔法の行使に支障はないと判断しそのままヴァンの治療を続ける。
なんとも言い難い違和感はあれど、その治療は問題なく終わった。
「…はい、おしまい。なんか違和感ない?」
腕を戻してヴァンを解放すると、ヴァンは解放された体を腕ごと縦にぐいっと伸ばし
「いやはや、スゲェな。これがホンモノの治癒魔法か。」
「だいじょぶ?違和感ない?」
「アァ、多分大丈夫だわ。にしてもスゲェなレン。なんか疲れも吹っ飛んだわ。」
全身を確かめるように体を見回して感激するヴァン。
その様子を見ながら、レンは魔法の反動で来た頭の痛みに頭を抑え、
「僕の魔法は緑属性だからね。水属性の治療と違って、植物から生命力を直接借りるから、体力も回復する……らしいですはい。」
詳しい仕組みはあまり理解してないが、リオンがそんな感じのことを言ってた気がする。
ちなみに水属性の治療の場合は、逆に体力を奪うらしい。謎だ。
「植物から生命力借りるのか。なんかスゲェスケールの大きい話に聞こえるな。あ、返す時が来たりとかする?返したらオイラまた傷だらけにならないか?」
「そんな心配しなくていいよ。代価が用意できてないとそもそも借りれないからさ。」
緑属性の魔法の定石。力を借りる代わりに、術者から魔力と魔素を徴収する。
だから魔法を行使できた時点で、その代価は既に支払い済みなのだ。
「代価?植物のクセしてご立派に代価を要求なさるんだな。」
「あー、そんな風に言っちゃダメだよ。植物だって命が宿ってるんだもん。もちろん取引は対等だよ。」
「そんなもんかねぇ。対等な割には尻に現在進行形で敷いてる気がするんだけどナァ、先生?」
「揚げ足取るんじゃありません!」
植物を軽んじる発言に頬を膨らませつつ、さっき魔法を使った際に生じた違和感について考える。
なんの補助も無く魔法を使った影響もあるのだろうが、それでは説明できない違和感があった。
というより、不調ではなくいつもより魔力の通りが良かった気がする。
その感触を確かめるように手をグーパーさせるレンをよそに、再び草の上に横たわる。
「アァ……疲れがどっと消えたら眠くなって来た……。疲れが取れたのに眠くなるっておかしくね?」
「力抜けたんじゃないの?喧嘩して山登って来たんでしょ?」
「…アァそういやそうだった……。あ、今思い出した。」
目を閉じて今にも寝そうだったヴァンが、急に目を開き飛び起きて、
「レンさぁ、さっき魔法使ってた時なんか変な感覚しなかったか?ていうか、してたよな。オイラちょっと恐怖感じたもん。」
と、懐を弄りながら、レンの中でちょうど考えてた内容に触れるヴァン。
「それさぁ、コイツのせいなんだわ。」
と、その違和感の原因と思わしき物を懐から取り出した。
ヴァンの懐から出て来たのは、水色の宝石のようなものがあしらわれた、短い剣だった。
水色の宝石は淡く光を放っていて、剣先にかけて水色の光を発していた。
「なんか……光ってるね。」
「この光の正体、これがおまえの違和感の正体だな。触ってみ?」
剣を差し出され、言われた通り剣の先にちょん、と軽く触れてみる。
すると、その光は居場所を見つけたといかんばかりにレンの方へ移動していき、
「うわわ、なにこれなにこれ!これ大丈夫なやつ?」
光はレンの指先を伝って、全身に周りその光は散るように消えていった。
正しくは消えたわけではなく、レンの体に吸収された、の方が正しい。
なんとも言い難い、むず痒い感覚に襲われて、身をよじるレン。
それを見てヴァンは、
「この剣に溜まってたレンの魔力を返しただけだから大丈夫さ。安心しな。」
と、光を失った剣を空中でクルクルと回転させながら言った。
「この剣はな、空気中に出てきた魔力を吸収するんだよ。んで、オイラの持ってる魔力に反応して魔法として打てるようになるんだ。言うところの、魔法剣ってとこだな。」
「魔法剣なんて、そんな物よく持ってたね…。初めて見たよ。」
とは言っても見た目はちょっと派手なだけのただの短剣なので、言うほど新鮮味はない。
見た目の派手さだけで言えば、ノットの持ってる短剣の方が勝る。
「もしかしてあれも魔法剣だったりするのかなぁ。」
ノットの持つ短剣は狩人の支給品ではなく、自前のものらしいので、もしかしたらあれも魔法剣なのかもしれない。その効力を発揮してるところは見たことないが。
魔法剣ーー
言ってしまえばただ術式が編み込まれた剣なのだが、簡単に作れるものではない。
材質自体は他の剣と大差ないのだが、問題なのは、その剣に術式を編み込むことの難易度の高さだ。
術式は複雑になればなるほど長くなるし、それに誰が触っても暴発しないようにしっかりと安全性を確保しなければならない。
ただ魔導書や魔術書を書くだけならいざ知らず、道具に術式を編み込むなんて、それこそ年季の入った魔術士や魔道士でなければどうにもーー
「……魔法剣…?」
魔法剣を含むいわゆる魔道具、魔法器は、作るのに魔術士や魔道士が不可欠である。
そして、それらはそう簡単に作れるものではないし、入手も困難である。
そして何よりーー
「オーイ、レン、こっち来いよ!今からいいもん見せてやっから。」
「あぁ、うん。はいはい。」
いつのまにか、大樹から離れ川の方へ向かったヴァンが剣を振り回しながらレンを呼ぶ。
その大声に思考が上書きされ、一旦考え事を中断して、急いでヴァンの元へ走っていく。
「考えすぎかな…。」
ヴァンが魔道士狩りの一味かも知れない、なんて飛躍した思考を彼方へ放り出す。
魔道士狩りを追ってるから、レイヴンをあんな目に合わせたから、過敏になってるだけだと、そう考えてレンは走っていった。
頭に浮かんだ思考をかき消して。