番外編『シナノの憂鬱』

  「はあぁぁぁ……おれの一日はこの時のためにある…。まさに極楽ですね。」

  狩人本部の地下に位置する大浴場。その一番広い湯船に、肩どころか首のギリギリまで浸かって蕩けた声が出る。

  今日一日の訓練の疲れが一気に抜けていくようで、この感覚に酔うのが最高の楽しみだ。

  「あいッ変わらず溶けてやがんな、溺れんなよ。」

  「大丈夫ですよ、レリオン。そんなへぼはしませんよー。ぶくぶくぶく。」

  「オイオイ……ッたく仕方ねぇな。」

  分かりやすく浴槽に沈んでいくシナノを見て、いそいそと体についた泡を落とすレリオン。

  白い泡が落ちて、焦茶色の毛が露わになるとレリオンはそのまま浴槽へ向かう。

  シナノがいたであろうところに向かうと、シナノはいまだに浴槽に潜ってぶくぶくと泡を上げていた。

  レリオンは悪い顔でシナノを見下ろすと、

  「邪魔ックセェから早く出ろ。」

  とシナノの尻尾を踏みつけた。

  尻尾を踏みつけられたシナノはその痛みに凄まじい速度で水中から顔を上げる。

  「何するんですか!別に踏んづけなくてもいいじゃ無いですか!!鬼畜!!」

  「溺れてねぇか確認しただけだ。いいじゃねえか別に。」

  とレリオンは悪びれる様子もなくシナノの隣に座り込む。

  シナノとは違って、浴槽に深く浸かるのではなく、腰までの半身浴の形だ。

  「溺れてないかの確認なら、普通に引き上げてくれればいいじゃ無いですか……。」

  「知らねぇよ。オマエがふざけたことすッからだろうが。風呂付きを公言すんならルールぐらい守れッてんだ。文字の読み方から再教育してやッか?」

  「……ぐう。」

  「ぐうの音出すならせめて意味あること言えな?」

  「言っていいんですか?」

  「ダメだ。死人に口なし、っていうだろ?」

  「勝手に殺さないでもらっていいですか?」

  「生きてるのか。」

  「生きてます。死んで無いです。」

  「そんじゃ尚更ダメだな。」

  →→→→→→→→→→→→→→→

  「死人に口なしって言いますけど、死人結構お喋りですよ?」

  「へえ。」

  「興味なさげですね……せっかく珍しく一緒にお風呂入ってるんですからおしゃべり付き合ってくださいよ。」

  というか、誘ってきたのはレリオンの方なのだから言わなくてもそれくらいして欲しい。

  「そういうスピリチュアルな話はレンとかケイセイあたりにしてやれ。俺様はどうにもそう言う話は胃が受け付けねぇんだわ。」

  「とかいう割にはおれの霊魂術には興味ありますよね。」

  霊魂術というのは、シナノが生まれつき持ってる術だ。この世にとどまる霊魂を観測し、力を借りて自身に上乗せする。

  そんな力のことだ。

  「それは実際に観測できる『現象』だかッな。でもその手前の霊がどうとか魂がどうッつう話は別。」

  「レリオンの後ろでぴょんぴょんしてるのがいるんですけどそれについても?」

  「そんなん言われても俺様にはなんの影響もねぇし、なんかあるッてんならオマエが先になんかしてんだろ。」

  「そうですね。彼はやけにハイテンションなこと以外は別に害はないです。取り込めばいい力になってくれそうです。」

  「オマエ、死人に口ありとか言っときながら割と容赦なく霊魂術使いやがるよな。」

  「ええ、飽和状態ですから減らしていかないと。それにどうせ霊魂術にハマったら嫌でも抜けられませんし、さっさと消してあげるのが優しさじゃ無いですか?」

  割と深刻な問題なのだが、未練が曖昧な霊が多すぎて現世は飽和状態なのだ。

  地獄や天国があるのかは分からないが魂があるべき場所があるなら無理矢理にでも現世から消してあげた方がいい。多分。

  「俺様、オマエの近くでだけは死にたく無いわ。」

  「スピリチュアルな話は受け付けないのでは?」

  「スピリチュアル関係なしにオマエの近くで死ぬのだけはごめんだッて言ってんだよ。死体損壊どころじゃ済まない目に遭いそう。」

  「その辺はラルク殿にでも頼みますのでご安心を。レリオンの魂は遠慮なく利用させてもらいますが。」

  「そんときゃ文句言わせてもらうわ。全力で。」

  「死人に口なしなのでは?」

  「死人はおしゃべりだっつッたろ?」

  「ああ、無理矢理黙らせるので問題ないです。」

  「俺様が死んだらオマエも死んでると思うけどな。」

  「そうですか……そうですね。というかやめてください、そういうこと言うの。せっかくの癒しの場なのに不吉な話ばっかりしないでください。不安になります。」

  「そんじゃ話変えッか?」

  そう言われるとすぐに別の話が湧いて出てくるわけでもなく、広い浴場にしばらくの沈黙が響く。

  「……少しのぼせて来ました…。露天行きましょう露天。」

  そう言って湯船から立ち上がって、浴槽の脇に置いておいたタオルを肩にかけると、レリオンがやけに強い視線を送ってきてることにきづいた。

  「……?どうかしましたか?」

  「シナノ……オマエ……。」

  そう言うとレリオンは湯船から出てシナノの方へ行き、肩を掴むとシナノの顔をしっかりと見据えて

  「あの…?」

  「ちんこちっせえなオマエ。」

  「………はぁ!?」

  「いやぁ、初観測だわ。ありがとよ。」

  そう言うと、レリオンはタオルを頭に巻いて先にスタスタと露天へと出ていってしまった。

  「いや……別にまだ……成長期ですし……。」

  恥ずかしいやらなんやら。

  あんな真面目な顔でわざわざ面と向かって言わなくても。

  →→→→→→→→→→→→→→→

  露天風呂。

  天井が吹き抜けていて星がよく見える。上から見たら丸見えなのが不満だが、この時間なら見えないだろう。男性だけの特権でもある。

  ちなみに女性風呂には露天がない代わりにサウナがあるらしい。釣り合いとってるつもりなのだろうか。羨ましい。

  「それで、なんで今日はおれを誘ったんですか…?しかもこんな夜遅くに…。」

  「そりゃあ……オマエが悩んでッからだろうがよ。」

  「……バレてましたか。」

  「バレッバレだわ。隠す気あんのか?……ちんこ」

  「その話はいいんです!!おれだってまだ15歳ですし!!まだまだ未来ありますし!!」

  「そうか、ちなみに9歳のエルドはオマエよりデカいぞ。ドンマイ。」

  「それ以上この話続ける気ならレリオンの後ろのハイテンションな霊がタンコブに変わりますよ?」

  「風呂ん中で暴れんなよ。読めるか?静かに入りましょうって書いてあんだけど。」

  「それじゃあそこのハイテンションな霊と合わせてあなたを静かにしてあげましょうか?」

  「オマエが俺様に追いつけるわけねぇだろ。狼虎舐めんな。」

  「やってみないと分からないじゃないですか。あれだけテンション高ければワンチャン追いつけますよ。」

  「犬だけにってか?」

  「それ言ってからおれも思いましたけど……おれ15歳ですよ?わんちゃんって歳じゃないです。」

  わんちゃん呼びされるのは、犬族の子供達に対してだ。シナノは身長も体重ももうわんちゃんと呼ばれる規格を超えている。

  「あ!いま視線が下に降りましたね?流石のおれでも言いたいことわかりますよ?」

  「別にシナノのシナノはわんちゃんだなとか思ってねぇし。被害妄想甚だしいな。」

  「思ってないんだったらわざわざ言わないでもらっていいですか?そしてそれをおれのちんこに向かって言わないでください。不愉快です。」

  「おれは愉快だけどな。てッか、不愉快ならそもッそもこの話を広げなきゃいいんじゃねえの?」

  「………っ!ほんっとにああ言えばこう言いますね……あなたは…。」

  「オマエがああ言うから俺様はこう言うしかねえッてだけだ。」

  「そう言うの屁理屈って言うんですよ?」

  「謂れのねぇ話だ。能動的じゃなくて受動的にこうなってるッつう話のつもりなんだがな。そう言う決めつけを理不尽ッてんだ。」

  「理不尽なのはあなたの脳内環境なのでは?」

  「オイオイ……流石の俺様でもそんなん言われッたら傷つくぜ?」

  「傷つく魂持ってないやつの何が傷つくってんですか?」

  「知るかよ。スピリチュアルな話はしねぇって言ったろ。」

  「そっちに怒るんですか?自分で言うのもアレですけど結構な暴言言ったと思うんですけど。」

  「そういうのはライにでも言ってやれよ。アイツはもっと理不尽なこと言ってくると思うぞ。」

  「ライ殿ですか?何故に。」

  「アイツの脳内環境が理不尽だからだよ。」

  「そんなこと言ったらライ殿が怒りますよ。言えるわけないじゃないですか。おれはそんな誰彼構わず暴言言いません。」

  「いまさっき誰彼に暴言吐いてッた気がするんだが。」

  「訂正します。誰彼に含まれないヒト以外には暴言言いません。すみません。間違えました。」

  「ごめんなさい、わんちゃんとは付き合えないの。別のヒトを探してくれッや。」

  「レリオンの彼女になるヒトは大変でしょうね。」

  「こんなこと誰彼構わずやるわけねぇだろ、シナノだからやってんだよ。」

  「理不尽…!!」

  →→→→→→→→→→→→→→→

  「そんじゃ、お先。」

  レリオンが浴槽から立ち上がり、露天風呂から出て行こうとする。

  「え、おれの悩みはいいんですか?」

  「あ?なんだ、聞いて欲しいのか?」

  レリオンはタオルで頭を拭きながら振り返る。

  心底めんどくさそうな顔をしている。なんなんだ本当に。

  「おれの悩みがレリオンの用事なのでは?」

  「あぁ、別に。悩みがあるッつうことがバレてッぞって言いたかっただけだ。それにどうせ俺様には有耶無耶にして話すつもりなかっただろ?」

  「…………まぁ……そうですけど……。」

  これはあくまで家庭の問題であって外に持ち出すべき話ではない。

  だが、こうして他人に勘付かれるほどに悩んでるとなるとなんとかしないといけないわけで。

  聞いてくれるだけでも、と少し期待していた部分もある。

  「レリオンはどうするべきだと思いますか?」

  「あぁ…?知るかよ。結局決めんのはテメェだろうがよ。そんな大事な話俺様なんかに振るな。……まぁ……そうッだな……。決めるなら、即決しろ。無駄に時間とって考えんな。」

  そう言って、レリオンは出ていった。

  なんとも曖昧なアドバイスを受け取ってしまった。

  まあ、もともと真剣に相談するつもりがあったわけでもないが。

  「即決……。おれには難しすぎますね…。なにせーーもう三年間、ずっと悩んでますから。」

  家を出て、三年。

  何か変えようとしてはいるものの、結局は流れ流されて何も変わらないままここまで来てしまった。

  『狩人』になれば、自然としがらみは消えて無くなるだろうと。家を出てさえ仕舞えば、生まれた家の繋がりが断たれるだろうと、そう期待していた。

  だけど、何も変わらないまま。

  「15歳……あと、一年…。」

  家を継いで『神』の御前に立つまでーーカウントダウンは始まっていた。

  「スピリチュアルな話は嫌い……か。おれも嫌いだよ。」

  騒がしくぴょんぴょん跳ねる霊魂を握りしめて、そして霊魂は消滅した。