「…レンもだけど、マジで登ってったな…」
亡霊鉱山の麓に広がる旧市街地、その廃屋の一つ。その中に座ってファンドの治療を受けながら呟いた。
最初作戦を聞かされた時も信じられなかったが、レンがするすると山に登って行った時も信じられなかった。
そして、ヴァンまでもが本当に登っていってしまうのだ。訳がわからない。
「大丈夫かしら、レンくん…」
レイヴンの腕の傷に包帯を撒きながら、ファンドがつぶやく。青い瞳を山の頂に向けて、心配の表情だ。そしてそれは、レイヴンも同じだった。
「サクラとリオンが大丈夫だってんだから、多分大丈夫なんじゃないか。……多分。」
あの二人の太鼓判ーーついでにノットも『レンくんなら大丈夫でしょ〜まる』と言っていた。真面目なのか真面目じゃないのか、相変わらず分からない物言いだったが。
「はい、おしまい。」
「あぁ…ありがとう…」
レイヴンの腕の傷、そして何度かこけてできた擦り傷を消毒し終えて、ファンドが立ち上がる。
それに続いてレイヴンも立ち上がり、ファンドと共に廃屋から出る。
「レンだってちゃんと鍛えてきてんだ…大丈夫…」
レンのことを弱いとは思っていない。剣も魔法も、真剣に訓練に取り組んでいるのを知っている。体が小さいため、剣の重さに振り回されないように訓練用の木刀をメインに使っていたり、魔法がやや頼りなかったりするが、それでもちゃんと戦える、『狩人』だ。
何人も立入れない亡霊鉱山。実際にレイヴンもファンドも入ってみようと試みたが、結果は言わずもがな。足場が不安定で、とてもじゃないがまともに登れるような場所ではなかった。
「レンくん…」
不安は尽きない。やはり、どんな形であれ『ノットを降した』という現実が、不安のタネを永遠に作り出す。
いざという時、レイヴンもファンドも助けに向かうことはできない。今はただ信じてレンの帰りを待つしかない。
「頼むぜレン…お前に、聞かなきゃいけないことだって、あるんだ。」
太陽は、もうすぐ赤く染まりそうだった。
→→→→→→→→→→→→→→→
正直、今でもヴァンが目の前にいるのはたまたまの偶然であると思いたい、というのが本音である。
だが、しかしーー
「よぉ、レン先生。」
「ヴァン…」
地面に着地し、そしてそのままこっちにゆっくりとヴァンが歩いてくる。それをレンは、遠くから見つめる。
この距離からでもなんとなくわかる、明らかに荒事があった後だ。衣服がところどころ裂いたような跡があって、そして燃えた後のような、焦げた後がある。
なんて声をかけたらいいのか分からない。
手を腹の前でこねくり回しながら、かける言葉を考える。
『お前が犯人だな!』『なぜこんなことをしたんだ…!』『お前の悪事はすでに暴かれている!』『浅はかな立ち振る舞いだな』『しらばっくれても無駄だ』『………』『』『』ーーーーー
どこかで見た、聞いたような言葉が一気に頭を駆け巡る。こんな妄想、何度だってやってきたはずだ。
犯人を追い詰めて、一気に相手のペースを崩してそのまま解決へと導く。そんな主人公のような妄想も、何度もしてきたはずだ。
実際に、脳内シミュレーションも何度もしたはずだ。
だがしかしーー
確信を突くその言葉を出すには、勇気が足りなかった。
「レン?なんかしたか?」
脳内をぐるぐると回し、同じように手をぐるぐる回すレンを不審に思ったヴァンが、腰に手を当てながら尋ねてくる。
「あ、えっと……」
言葉につまり、意味のない音だけが口から出る。
はぐらかすな、言え、ハッキリと。
主人公になると、そう決めたんだろうが。
グッと奥歯を噛み締め、目を閉じ、深呼吸する。
お前が魔導士狩りであると、そう言えばいいだけーー
「レン、一つ大事な話があるんだけどさ」
言葉に詰まるレンに、ヴァンが頭をかきながら話し始める。
「レンさ、オイラたちの仲間にならねぇ?」
言葉に詰まるレンを、さらにその言葉を喉奥へと押し込む言葉が、レンの耳に押し込まれた。
→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→
「オイラたちの仲間にならねぇ?」
「…は?」
戸惑うレンに発せられたのは、全くの予想外の言葉だった。というか、予想すらできない言葉だった。
まず、どこから聞けばいいのか。全く予想していなかった問いに、別の答えを用意しなければいけなくなり、余計頭が混乱する。
「えっと、仲間っていうのは…」
「レンさ、オマエ、狩人だろ」
「なっ…」
ヴァンの言葉の意味を問おうと思ったら、今度は斜め後ろ方向から、別の言葉を投げられる。なんで、といいたげな表情を浮かべるレン。狩人だとバレていたことがレンにとっては予想外のことだったようだ。
ヴァンは乱れた頭の毛をワシワシと適当に撫でながら、
「まだ狩人じゃねえって自分で言ってただろ、それに」
そういえば以前ヴァンに狩人かどうか聞かれた気がする。その時はまだ狩人として仕事をする前だったから、『まだ』と答えていたのだ。覚えられていたらしい。最悪。
懐に手を入れ、ヴァンがあの魔法剣を手に取る。魔法剣は僅かに水色の光を放っていた。以前聞いた話の通りなら、それはヴァン自身の魔力ではなく、他人の魔力であるとのこと。
つまり、もう既に誰かと戦った後なのだ。
その魔力の持ち主は、おそらくーー
「そらよッ!」
ヴァンが水色の目を細めて、その魔法剣を奮う。
その軌跡が水の刃となって現れ、宙を舞う。その刃はレンの横を通り抜け、キラキラと輝きながら飛沫となって草むらへと消えていく。
「オイラと違って、ちゃんと自分の力で魔法が扱える。」
「…つかえるけど、でも勢いは」
別に魔法を使えるのは狩人だけじゃない。医者だったり農家だったり、他にも魔法を必要とする職はいくつもある。それに、レンがヴァンに見せたのは、治癒の魔法だけだ。それだけだったらまだ医者を志す優しい鼠さんの可能性だってある。
だが、レンの返答より先に、ヴァンが核心をついた言葉を放つ。
「その足の剣、それ、猫のおにぃさんのでしょ。」
顎を突き出して、レンの足を指す。そこには、ノットと剣を交えていた時に、ノットが使っていた短剣が刺さっていた。
「隠す気あんならちゃんと隠しとけよ」
ハハッと軽く笑いながら、レンの不備を指摘される。
猫のおにぃさんというのは、ノットのことだろう。確かに、ノットと同じ剣を持っている。
実際には違うのだが、今レンが足に携えている剣は狩人へ支給される短剣で、ノットがあの日持っていたのと同じ型のものだ。
そしてそれを知っているということは、
「やっぱ、そうなんだね。ヴァン。」
足から短剣を引き抜きながら、顔を俯かせる。
レンが聞きたかったこと、そして聞きたくなかったこと。それの答えをヴァンが自ずと明かした。
本来はレンが狩人ということがバレてない前提で、隙をついてヴァンをぐるぐる巻きにしてしまおうと思っていたのだが、どうやらレンの正体はバレバレだったらしい。
暗い面持ちのレンに対して、ヴァンは余裕の表情を崩さずに、短剣を胸にしまう。
「そう構えんなよ、レン。オイラだってさっきまでケンカしてきたばっかなんだよ。」
そう言って胸にしまった短剣と入れ違いにヴァンが取り出したのは、一冊の魔導書だった。
「これ、何かわかるよな」
「ヴァンーー!」
決定的な証拠、魔導書を取り出したヴァンにレンが喰ってかかる。ヴァンにその気があるかなんて関係ない。
レンは狩人で、そして目の前には盗難の実行犯。
レイヴンの仇で、ノットの仇で、そして、魔導士狩りの正体ーー。
ヴァンは無防備、なら今のうちに無効化してしまうのが最適解。
距離を一気に詰め、ヴァンの肩目掛けて奮う。
しかし、わかりやすい大振りの一撃は容易く避けられてしまった。
刃を奮う右腕に対して、ヴァンは左方向にサッと飛び退いて、レンの腹に思い切り打撃を入れる。
決して重くはない一撃、だが、ヴァンからの明確な意思を持った攻撃に、レンは心が殴られたかのようだった。
亡霊鉱山の中腹、ヴァンに会ったのはまだ二回だけ。
それでもレンにとってはヴァンは大事な友達だった。レンの好きな場所を共有して、悩みを共有して、そしてちょっと不思議な秘密の話をして。会った数も喋った言葉も少なくとも、この亡霊鉱山という特別な場所で得た思い出は、レンにとって特別だった。
「落ち着けって、レン。オイラは交渉したいだけなんだよ。」
手と膝を地面について緑の瞳で睨みつけるレンに、両手を高くあげて無抵抗の姿勢を表すヴァン。
「交渉ってなにさ、なんで今更?」
「なんでって言っただろ?オイラはもう十分暴れてきた後なんだって。だから、平和的解決にしようっていう優しい提案。イイだろ?」
「平和的に解決するならそもそもやるなって感じ。それに黒幕からの提案って、ろくなものじゃないってのが僕の認識なんだけど」
「まあ聞けって」
立ち上がり、再び剣を構えるレンに、ヴァンが両手を突き出して静止を促す。ヴァンの腰が引けた姿勢に、レンは一度構えた剣を下ろして口元を手で覆う。
そして少し考えた後、目線でヴァンに話すよう促す。
その視線の意図をヴァンは察したようで、再び腰に下げたポーチから魔導書を取り出すと、腰に手を当てて胸を張って話し始める。
「この本、狩人に返してやってもいいぜ。」
「じゃあ返して」
「だから交渉だって……」
聞く耳を持たないレンにヴァンが張っていた胸を引っ込め、頭をわしゃわしゃと掻き回す。
レンの睨む目がさらに鋭くなって、ヴァンは深くため息をつく。
「なぁレン先生何に怒ってんの?どうしたら話聞いてくれんだよ…」
「それを本気で聞いてるんだとしたら、僕はヴァンのことを殺さないといけないかも。」
「ンな極端な…」
呆れたような顔をするヴァンだが、そのレンの顔は本気だ。
実際に殺す気は無いが、それぐらいの意気であるのは事実だ。
レンが騙されてたとか、犯罪の片棒担がされてたとか、そういうのはレン自身の失態なので別に何をどう思うわけでもない。それは、レン自身が反省するべきところだ。ちょっと怒ってるけど。
ヴァンが魔導士狩りであることも、別にそこまで怒っていない。狩人的な感情でそこに対して思うことがないわけでもないが、それも些細なことだ。
レンの怒りは、レイヴンとノットの流血沙汰についてだ。レイヴンに関しては大きな怪我はなく、魔力の使いすぎというのが倒れていた原因らしいが、ノットは違う。
一歩間違えたらノットが死んでいた。ファンドが、ライが死んでいたかもしれない。
偶然や事故ではなく、明確な攻撃意思を持って、そしてそれをやってのけた結果がノットの戦線離脱だ。
ノット本人は『やらかしちゃった〜にゃはは』程度の認識らしいが、弱ったノットを見た時のレンの受けた衝撃は計り知れない。
今でもハッキリと思い出せる、弱々しい姿。もはやトラウマだ。
ノットが許そうが、レンには許すなんて簡単にできるものではない。三年間、同じ釜の飯を食って、同じように訓練して、同じ屋根の下で眠って、もはや家族同然の仲だ。
まだ申し訳ないと思う気持ちがあれば、ここまでヴァンに嫌悪感を抱く必要も無かった。
「僕が何に怒ってるか分かんないなら、話に応じる気は無いよ。」
「めんどくせぇ彼女かよ。分かってるよ、猫のおにぃさんのことで怒ってるんだろ?」
「分かってんなら…!」
「謝るよ、アレはやりすぎた、すまん。正直オイラもあそこまでやる気はなかったんだよ」
奇襲したのは事実だが、あそこまで深傷を負わせる気がなかったのもまた事実だ。しかしそれはあくまでヴァンの想像していた結末から見たら何倍にも大きな戦果だった。
だがーー、
「その話持ち出すんなら、オイラたちの仲間だってあの猫のおにぃさんにざっくりいかれてるからな。」
余裕ぶったニヤケ顔から徐々にその口角が下がっていき、ヴァンの顔に怒りの表情がこもる。
「そっちの自業自得でしょ」
「それをいうならそっちだって自業自得だろ、戦えないやつを戦場に駆り出すから、あのおにぃさんが余計なケガすんだ。」
両者互いに、この件は譲る気がないと言わんばかりに鋭い視線を交わす。
ヴァンが言う戦えないやつは、この際ファンドのことだろう。ノットがファンドを庇った結果というのは聞いていたが、ここまで悪様に言われる必要があるのか。
片やレンの主張に納得いかないのはヴァンの方だ。玉を蹴り上げるまではまだ良かった。それはノットの言う通り、命の取り合いというリングの中でいうなら軽いものだ。だがわざわざ無力化した敵の肩をバッサリと切る必要は無かった。
レンがノットのことを大事な仲間、家族だと主張するのなら、ヴァンにとってもそうだ。
ヴァンと同じ世界を夢見て共に戦う仲間。戦線離脱したその鼠は、しばらく斧を振れない。戦えないのだ。
ノットの剣劇は見事なものだし、その実力に感銘を受けたのは事実だ。だが、剣の輝きを尊敬するのと、その剣がもたらした結果に怒りを向けるのはまた別の話だ。
双方譲れないラインがある。そして、その話は平行線だ。
「この話は平行線だぜ、レン。オイラだって、家族の犠牲に怒る感情だってあるさ。」
「だから?お前も悪いんだって言って自分のしたことを水に流せってこと?無理でしょ、僕は許さないよ」
「だから、それはこっちも同じだ。オイラだって許せねぇよ。だから、別のとこで話をすんだよ。」
互いに視線をずらさず緩めず、譲らない姿勢。この話はいつまでやっても結論づくことはない。なぜなら双方とも、双方にとって大事な存在を傷つけられているから。
だから、そこじゃないところで決着をつけるべきだ。
再びヴァンが魔導書を胸の高さに掲げ、主張する。
「ここにシアルドから持ってきた魔導書がある。そんで、今まで持ち出した魔導書も、ちゃんと全部保管してある。」
「………」
「ボスに掛け合って、交渉が成立したら全部の魔導書を返すって約束もしてある。」
「……何が欲しいのさ。」
今まで時間をかけて奪ってきたはずの魔導書。それを全部返すと言われたら、流石に聞かないわけにはいくまい。どうせ碌でも無いものだろうという察しはついてる。
否、ーー何が欲しいか、それは最初にヴァンが言っていた。
レンが答えに辿り着いたのを察して、ヴァンが再び邪悪な笑みを浮かべ、そしてレン指差して宣言する。
「こちらが差し出すのは今持ってるコレと魔導書九冊、そして求めるのは」
その水色の瞳の中心にいる存在、すなわち
「オマエだ、レン」
「…は?」
回り回って戻ってくるのは最初の問いかけ。仲間になれと、そう言うのだった。
予想していた通りの要求。それ故に訳が分からなかった。
「なんで、なんで僕が」
狼狽えるレンにヴァンがさらに畳み掛ける。
「レン、さっきも言った通りオイラたちの仲間は今大怪我してる奴がいる。でもそれだけじゃねぇ、地下街で暮らすオイラ達にとって怪我は切っても切り離せねぇ問題だ。」
「だから…?」
「だからこそのレンだ。この前、オイラの傷を治してくれたろ?それに、オマエは鼠で、少なくともオイラ達の受けてる境遇を知ってる。それにーー」
そこで一息区切り、そして目を見開いて、レンに思いっきり接近し、再びパンチを繰り出す。
「……!」
咄嗟の攻撃、だがレンはそれをしっかり見切りかわしきる。再びさっきまでと同じ距離を取り、再び足から剣を取り構える。
その様子を見たヴァンは満足げに笑い、
「これからだって、何度だってオイラ達はオマエらと……狩人とぶつからなきゃなんねぇ。だから、レンの持つ情報と、そして……その力で一緒に戦って欲しい。」
笑顔で、手を差し出された。
この手を取れと、ヴァンと一緒に来いと、そう言っているのだ。
「戦えって、何と…?」
奪われた魔導書十冊と、レン。そのトレードを、今ここでしろとーー。
「……なんで」
なんで、そう呟くことしかできなかった。
なんで、レンなのか、なんで魔導書を返すのか、そこまでしてレンを得る価値はなんなのか。
まさか、この魔導士狩りを行った動機が、レンにあったとでもいうのか。
呟いたなんでが、一気に脳をめぐる。
顔を強張らせ、冷や汗が垂れるレンに、ヴァンは顔を歪ませて応える。
「言ったろ、オイラ達は鼠だからだ。」
鼠だから。
「オイラ達は鼠で、散々虐げられてきた」
何故かーー鼠だから。
「地下街はそんな鼠の巣窟だ。なんせ、国がそうなるようにしてやがるからな。」
何故かーー鼠だから。
「地下街からでりゃ、汚物を見るような目で見られる。当たり前だ。実際に地下街なんて汚ねぇ場所で生きてんだ。」
何故かーー鼠だから。
「誰でもそんな場所で生きてる奴がいたら、そんな反応するだろうさ。実際、最悪な場所ってことに変わりわねぇ。」
鼠だから、そんな場所にいるのだ。
鼠だから。
「でも、それだけが理由じゃねぇ。レン、オマエはどうだ。」
「…………」
「オマエは地下街での記憶がねぇんだよな。じゃあ、地上で暮らしてたんだろ?他の種族と同じように。」
「………」
「地下街なんて汚れた場所に住んでねぇ。他の種族と一緒で、太陽の光を浴びて、月の光に照らされて、澄んだ空気を吸って、生きてきたんだ。」
「………」
「どうだ、オマエは生きやすかったか?オマエの記憶は、幸せなものばかりか?鼠だからって理由で悪く言われたりしなかったか?」
「僕は……」
「それとも、混じりもんだから許されてたか?」
「………」
ヴァンの放つ言葉に圧倒されて、レンはなにも言い返すことができない。
混じりもの、というのはいわゆる異種間の間に生まれた子のことを指す。
レンは純粋な鼠ではない。鼠の母、そして犬の父のもとに生まれた子である。それは、鼠の中に犬の遺伝子が混ざっていることを意味する。
犬と鼠の間に生まれ、しかしレンを構成する要素のほとんどは鼠であった。丸く小さい耳、小柄な体、そして疼く固有本能『近道』ーー鼠としての本能がレンの頭を支配していた。
姉はほとんど鼠だったそうだ。
しかし、レンには犬の遺伝子がひょっこり顔を出した。体の構成のほとんどが鼠、そして脳の作りも鼠のそれ。しかし、尻尾だけは違った。
ツルッと細いしっぽではなく、フサフサの毛を蓄えた、太い犬の尾が生えていた。
だから、レンは外見的にも純粋な鼠でないことは明らかだった。
だがしかし、結局は九割型鼠なのだ。鼠を蔑む悪習は、レンを逃すことはなかった。
ーーそれは、狩人のみんなも例外ではなかった。
「結局、そういうこった。レン。」
レンの曇っていく表情を見て、ヴァンが気の抜けた表情で告げる。
鼠という種族のしがらみ。どんな立場になろうと、地上に住もうと地下に住もうと、この国で、この体制が続く限り鼠に対する待遇は変わらない。
「だから、オイラ達が変えるんだ。」
ヴァンが拳を強く握り、握った拳を空に掲げ、声高に主張する。
「ぶっ壊す、全部。オイラ達が享受するはずだった幸せを盗んだ王族を、この国を!」
「その、ために……?」
「そのために、オマエの力は必要だ、レン。」
掲げた手をそのまま、今度はレンに突き出す。そして、この手を取れと言わんばかりに水色の瞳を向けられる。
「鼠族をーーオイラ達を救う手助けをしてくれ。」
その言葉には、悪ふざけも怒号も疑心もなにもなかった。ただただ助けを求める、そんな弱々しい声だった。
「ヴァン……」
ヴァンは少しも目を逸らそうとしなかった。それだけの意思と覚悟を持って、レンにこの手を取れと、そう言っているのだ。
ヴァンが言ってること、言いたいこと、ほとんど理解できる。そして、レンに不満があるかないかで言えば、あるのだ。
未だに街を歩くだけで、嫌な視線を感じることも少なくない。そしてそれは、鼠として生まれてきてしまった以上、避けられない問題なのだろう。今後もずっと続くだろうし、レンはそれに耐えなければならない。
そして、レンに対してどんな風に思っていようと、狩人としての務めを果たす時、そのヒトを守らなければいけない。
そんな理不尽な世界をぶっ壊そうと、ヴァンはそう言うのだ。
だけど、
「ごめん、ヴァン。…その手は取れない。取っちゃいけない。」
「レン…」
「僕だって、鼠だ。ひどい言葉も、痛いことも、沢山されてきた。なんなら狩人のみんなだって、最初は僕のことを変な目で見てた。」
先日レイヴンに受けた傷を撫でながら、かつて、まだみんなと出会って間もない頃を思い出す。
入隊早々レイヴンに胸ぐらを掴まれたことに始まり、エルドと共に鼠だからと除け者にされたことも少なくない。
そして、今撫でてる頬の傷もそうだ。この傷のせいで、今はレイヴンが少し怖い。あの時のレイヴンが鼠、鼠、とうわ言で呟いていたのを覚えている。
胸ぐらを掴まれたあの日から、頬を裂かれたあの日まで、レイヴンの中で、きっと鼠の価値観は動いていない。
そして、それは他の皆も同様で、鼠に対する暗い感情、偏見の目は消えていないだろう。
でも、
「でも、僕は、みんなのことが好きだ。」
怖いもの知らずで、貪欲で、負けず嫌いで、乱暴なレイヴンのことが、たくさん迷惑かけるし、でもその分ちゃんと怒ってくれるファンドが、能天気で無神経で、だけど出会った時から嫌な顔せず接してくれたライがーー
ノットも、リオンも、狩人の全員のことが、レンは好きなのだ。
ちゃんと『レン』のことを見てくれている、そう思う。
今もみんかが、レンを信じて待っている。
仲間が、レンのことを、信じているのだ。
そんな時、主人公ならばーー
「僕は、みんなの期待に応えなきゃいけない、みんなと過ごせる時間を、守らなきゃいけない。」
それが、主人公を目指す、主人公になろうと決めた、レンの志だった。
「だからヴァン、君の手は取れない。」
そう言い切って、レンの緑の瞳は決意の色に染まった。
レンの独白を、思いの丈を、ヴァンは黙って聞いていた。そして、レンが自分の意思を告げ終えて、明確な拒否の姿勢を示した。
取れないと言われた腕を、これ以上出す意味はない。
そう考えて、腕を下ろす。
「…そうか」
腕を下ろすヴァンの顔は、寂しさを孕んでいた。その表情の裏にどんな考え方があったかは分からない。
だが、ヴァンにも、レンの決意の表情には寂しさを感じさせられるものがあった。
共に二人の生きた世界があり、生活があり、仲間がいる。
ーーそして今、互いにそれは譲れない。
「馬鹿だな、レン。そんな上部だけの信頼なんて、すぐに崩れる。オイラが鼠で、レンが鼠でーーこの国で、鼠でいる限り。」
水色の瞳を細めながら、ヴァンがいう。それはレンを悪様に言ってるようで、どこか自嘲めいた言葉のようだった。
しかし、レンは竦んだりしない。自分の思いは、置くべき場所は、もう確信しているのだ。
「そうだね、そうかも。でも、今僕の周りにいるヒト達はさ、鼠族としてじゃない、僕を、レンをレンとして見てくれるヒトだから」
レイヴンもファンドも、ライもエルドもノットも、そして他の狩人のみんなも。
鼠族じゃない、レンを見て、レンを信じて待っている。
レンはヴァンの悪様な言葉に、口角を上げてーーそう、まるでレイヴンのように、凶悪な笑みを浮かべ、今までの、いつどんな時よりも強気な感情をぶつける。
「舐めるなよ、ヴァン。僕の仲間を」
木陰にいたはずのレンの顔が、明るく照らされ、そして、日向にいたはずのヴァンの顔に、暗い影が灯る。
魔導士狩りと狩人ーーそれぞれ異なる二人の狩人の、訣別の時だった。
「レン」
今一度、名前を呼ばれる。
「………」
しかし、それに対する答えはない。
その無言の答えを受けて、ヴァンは今度こそ諦めたように、肩を下ろし、
「…交渉決裂……だな。」
今度こそ、本当に、交渉の場は幕を閉じた。
対話による交渉ーーそれは、日が沈み始め、世界を赤く染めたのと同時に幕を下ろした。
そして、対話による交渉が終わったその先ーー
「ヴァン」
今一度、名前を呼ぶ。
「……」
しかし、それに対する答えはない。
その無言の間、永遠に感じるほど短いその無限、その間に互いに互いが倒すべき相手だと、決意させる。
「魔導書は返してもらう。」
足から剣を引き抜き、緑の目をヴァンへ向ける。
そして、橙色の鼠も胸から愛用の魔法剣を引き抜き、レンを見て薄く笑う。
瞬きの一瞬、そして、それが合図だった。
「やってみろよッ、狩人ッ!」
「ーーーーッ!!」
互いに剣を引き抜き、衝突ーー。
自然の宝庫で、甲高い金属音が鳴り響く。
→→→→→→→→→→→→→→→
なんとなく、ずっと言われてきて有耶無耶にしてきたことだが、やはりノットの見る目というのは確かなのだろう。
使い慣れない短剣を振り回しながら、なんとなく、そんなことを思う。
小柄なレンには、レイヴンのような金属製の剣を振り回すことができない。その剣の重さにレンが振り回されてしまう。
だから、レンはずっと訓練用の木刀をメインの武器として使ってきた。
切れ味は無いに等しい、ただ殴るだけの木偶の坊。
リオンのように、器用に振り回せればまた違ったのかもしれないが。
そんな木の棒を剣のように振り回すレンを見て、ノットは「レンくんはさ、ぼくとおんなじ風にしたほうがいいと思うんだよね」とよく言っていた。
何度も短剣を勧められたし、なんなら木刀を隠されて無理やり短剣を振ったこともある。だがしかし、レンの目指す狩人像とは違うと、のらりくらりその路線は避けて通ってきた。
だがしかし、そんなことも言ってられないのが事実だった。
レイヴンが敗れ、ノットが敗れ、今度は自分の番。
木刀という武器は、実際の戦場ではただの大きくて重たい木の棒である。
「ぼくが教えてあげよう、勿論口だけでだけどね。だいじょぶ、レンくんならいけるいける」
ヴァンと相対したノットが、レンに再び短剣を勧めてきた。そして、レンは短剣を握ることに決めた。
いつまでも木刀を背負って戦ってはいられない、そして、ずっと避けてきた短剣を手に戦場へと向かう。
そして今、短剣に変えて正解だったなと、なんとなくそう思うのだ。
殴る蹴る、斬る斬られる、そんな光景が繰り広げられていた。
遠巻きに見れば、それは小さな子供の喧嘩にしか見えないそれだが、しかし、実際に行われているのは、互いに譲れない部分を押し通す争いであった。
木剣とは違い、重さがほとんど剣にないため、振り回される感覚がない。バランス感覚をいちいち正す必要がなく、感覚的に動くことができる。
「ナめんな!」
猛攻を繰り出すヴァンの剣劇を、レンはひらりとかわし、時には剣で受けながらレンのその勢いを受け止める。
ヴァンの剣を見て、ひとつ思ったことがある。
それは、ノットの剣の振り方にとても似ている、ということだった。
「ショボい!」
「んなこた、分かってんだよ!」
剣を避け、交わしながら、レンはヴァンの剣をそう評価する。勿論避けるのはギリギリだし、攻めてに出る隙がなく、受けて避けてしかできない上での評価だが。
付け焼き刃の短剣でもなんとか凌げているのは、日頃のレンの努力の賜物と、ヴァンの剣の振り方がノットに似ているからだ。
「ヒトのこと、言ってる場合、かよ!オマエの剣も、あのおにぃさんに比べたら、痛くも、痒くも、胸もうごかねぇッ!アハハッ!」
徐々に速度が増し、それでもレンに剣は届かない。しかしそれは、レンの剣にも言えることだった。互いに決定打に欠ける攻防を繰り返していた。
度々訓練でノットと剣を撃ち合うレンから見て、ヴァンの剣は『しょぼい』の一言であった。
ノットのように軽やかで、手数が多く、それでいて、ノットより大胆で強欲だ。
ノットの戦い方は、手数の多さで確実に刺さる隙を作り、そこを逃さず拾い切る、まさに必殺の仕事人だ。絶対的な隙を敵が見せるまでは深追いせず、相手のペースに合わせて確実にーー。
それに対してヴァンは、細かな動作の中に時折、大胆な攻めの姿勢を見せる。
それは、予備動作が大きく、動きが予想しやすい。
その動きはまるでーー、
「レイヴン…」
その動きの影に、一人の獅子の姿が脳裏に浮かぶ。
「アハッ、よそ見してる場合かよッ!」
脳裏に浮かんだ影を眺めていたその刹那、ヴァンの強欲な剣がレンに迫る。
手の中で刃を回転させ、そのままレンの右腕を狙って振り下ろす。
「わわ、と」
木の抜ける声と共にそれを体ごと左へかわし、その凶刀の軌跡から逃れる。
しかし、強欲な剣は止まらない。
左へ交わすことを想定していたヴァンは、そのまま体を回転させ、レンの左肩を切り裂いた。
「あっ、っづぅ」
その一撃に、レンの顔が苦痛に歪む。まるで火傷したかのように、その傷口が赤く熱を放つ。
凶刀をレンの血で赤く染めたヴァンが、この機を逃すまいと、二撃、三撃と追撃する。
左肩に生じた痛みに意識がひっぱられ、反応が遅れ、ニ撃目がほおを掠め、薄い切り傷から血が垂れる。そして三撃目を十分な力で受けれず、そのまま切りはらわれ地面へと倒れ込む。
「っあ……くぅ…」
地面に生い茂る草がレンを受け止めて衝撃をやわらげる。
しかし、咄嗟に地面についてしまった手は、肩が裂かれた方だった。無理やり傷口が動かされ、熱のおさまらない左肩から血が止まらない。
流れ出た血は、美しい蒼い草原を真っ赤に汚す。
「ハァ……ハァ……」
焦りと痛みで冷や汗が止まらない。短い時間での剣の攻防は、確実にヴァンの有利な方へと向かっていた。
レンならいけると太鼓判を押していたノットだが、ヴァンとレンの間にできた差は、どこにあったのだろう。
形は違えど、共に同じ存在を師として仰ぐものどうし、その剣の振り方は互いに見知ったものの劣化であった。鋭さもさしどころも、身の振る舞いも、目の付け方も、その厄介さは最上のオリジナルには程遠かった。
体格はほとんど変わらないとはいえ、歳の差と生活環境でレンの方が優れている。剣に……というより、近接戦において、体格差は互いの有利不利に大きく左右する。
しかし、レンの僅かに優れる体格は、ヴァンの思い切りの良さによってほとんど帳消しにされる。
地下街で大半の人生を過ごしたヴァンに、ヒトを襲うことへの躊躇はない。
それに加え、レイヴンを想起させる思い一撃を度々織り交ぜて、ちょくちょくレンの思惑からはずれた攻撃をしてくる。
ノットを相手にしていると錯覚させられながら、突然レイヴンが間に割り込んでくる。
互いにノットの模倣、しかし、ヴァンの作ったレイヴンの動きーー単調なノットの劣化品の中に、レイヴンの動きを取り入れることによって無理やり作った差が、レンを翻弄していた。
剣の腕、振り方は、限りなくイコールに近い二人の実力。
共に実力が等しいならば、勝負は時の運ーーはたまた『別』のところで差を作るしかない。
その差を用意できた方が、こうして今、立っているのだ。
「よぉ、レン。痛そうだな」
地面に座り込み、右腕で左腕を抱えるレンに、ヴァンが刃の鋒を向ける。
赤く染まる太陽の光がヤイバに反射して、騒がしく目をつく。
「…治さないんだな、ソレ」
目を伏せるレンに、ヴァンが声のトーンを落として告げる。亡霊鉱山で怪我を治してもらった経験から、レンは自分も治せるのではないかと予想していたが、しかし、レンは肩を支えるだけでその傷を治そうとしない。
ヴァンの声は、レンに最後のチャンスだと告げているようだった。そしてそれは、とてもつまらなさそうに、遊び尽くしたおもちゃを捨てる時のように、失望したかのような声だった。
勝負は決した。そう告げているようだった。
しかし、
「直…せないんだよ…僕は……」
レンに諦める選択などなかった。
その声は未だ痛みに震えていた。血の止まらない左肩をぶら下げながら、右手だけで抗戦の構えを取る。
勝機はみえない。だが逃げることだけはしない、したくない。
だって、レンの憧れる主人公たちは、いつだってーーどんな時だって、最後は立ち向かうんだ。
「ヴァンはさ……魔法が使えるだけで、凄いって言って、言ったけどさ、ほんとに、つかえない……使い物にならないんだよ」
レンが魔法で腕を直さない理由ーーそれは、ヴァンの魔法剣があること、そして、自分の魔法への信用の無さからだった。
ーー魔法は苦手だ。
魔力はある、術式もある、師もいる。
でも、満足に発動することができない。
「遅いんだよ……僕の魔法は」
魔法ができるか、できないか、という質問ならば答えは『できる』になるだろう。
ただ、それが『使い物になる』か、『使い物にならない』かと尋ねられたら、『使い物にならない』と答えるしかない。
それが転じて、レンは自分は魔法が使えないと、そう結論づけるのだった。
「ついてけないんだよ、どこにも、僕にも」
何度もぶつかった壁
何度も、何度も、何度ぶつかっても、その壁を壊せたことはない。
足並み揃えて始めた魔法の訓練。
しかし、ある時を境にレンは置いてけぼりにされた。
みんなが魔法を発動『できる』ようになるまでは、レンも皆と一喜一憂していた。
が、そんな段階はとっくに過ぎ去って、そして、レンだけが前進しない。
いつか追い越す、いつか追い抜く、いつか追いつく、いつか追いつける、いつか、追いかけ始めるーーー
前進できないいつかは、今この時に至るまで訪れなかった。
でも、そんないつかは訪れないんだと諦めることもできなかった。
結局レンに出来ることは『相互贈与』という術式を、時間をかけて実行する、ということだけだった。
時間がかかる、何をするにも時間がかかる。
花を咲かすのも、蔓を延ばすのも、自分を直すのも、ヒトを直すのも。
実戦のスピードに追いつけない速度で、ずっと魔力に意識を向けていられない。だから
「だからーー」
「だから、なんだよ」
レンは、戦いの最中は剣を振るうことだけに集中すると、そう決めたのだ。
「だから、僕は、これで決着をつけるんだ」
剣を構えて、伏せていた目で、ヴァンを見上げる。
血を溢し、額に汗をたらしながら、小さな狩人は強気に笑う。
そんなレンの態度に、ヴァンは口角を小さく上げる。
退屈そうにレンの話を聞いていたヴァンの瞳は、再びいたずらっ子のように、悪く笑う。
そして、手に持つ魔法剣を高く、空へと投げ、
「手は抜かねェ」
水色の目に映る茶色い鼠は、今にも倒れそうだ。
軽く押しただけでも、すぐに倒れてしまうだろう。
だけど、手は抜かない。
ヴァンにとって、越えなきゃいけない壁。レイヴンに辿り着く、そのためにも。
「全力でーー」
そのヴァンの宣言に、レンも全力で応えると宣言する。
誰も見ていない、見ているのは、じっと佇む大木だけ。それでも、カッコ悪い姿を見せていられない。
くるくると、太陽の光を反射しながら、剣が舞う。
血は止まらない。
日が沈む。
互いに、これが最後の戦いになると察していた。
レンは先の怪我で、ヴァンは今日一日を通した戦いで体力的にーー。どちらにも限界が迫っていた。
若葉のような緑と、湧き水のような青の視線が交差する。
そしてーー
「シッーー!」
「ハハッ、来い!」
最後の戦いが、幕を開けた。
→→→→→→→→→→→→→→→
鼠同士の最後の戦いが始まったのと、ちょうど同じくらいの時間帯ーー山の麓で、魔導士狩りを包囲するために配置されていたライと、何者かの戦闘が行われていた。
「貴君の魔法は、少々厄介だからね。」
「そう?」
黒い外套に全身を覆われた、細身のーー多分、男だ。
ライの見せる氷魔法に対して、男は『』のような、黒い魔法のような何かを放っていた。
『』とは、なにか。
感覚的に感じるものすぎて、文字に起こすことが叶わない。それは、空間の捩れや歪みのような、概念的なものから生じる、何かである。
それゆえ、ライの魔法とは違うルールで動いている『』に対し、ライは引き気味に動くことしかできていない。
「キミ、なんなの?邪魔なんだけど」
何度目かわからない氷の矢を放ちながら、気だるげに告げる。放たれた矢は、男を目掛けて飛んでいき、男の体に突き刺さるーーことはなく、『』によってすりつぶされ、そしてすりつぶされた氷の破片が、ライに向かって跳ね返る。
「私は保護者。出来の悪い息子を迎えに来ただけにすぎない、ただの、保護者さ。」
「息子?キミ、お父さん?」
「父のようなものさ。」
無機質な声でライの問いに答え、そして黒い波動がライを覆う。
その黒い波動を地面ごと凍らせ、黒い波はライに届く前に動きを止め、地面へと消える。
無意味に魔力を消耗するだけの戦闘、答弁も、さっきからはぐらかされるようなものしか無い。
姿を明かすつもりもないし、おそらく、本気でライを倒すつもりもないのだろう。
戦う気のない相手というのは、本当に面倒臭い。
「さて、私も一つ貴君に尋ねてもいいかね」
「どうぞ?」
放たれた氷の刃は、またも同じように霧散する。
これはもう、やるだけ無駄だと判断し、少しでも情報を引き出した方が得かな、と思い、相手の話に応じる。
「君、その腕はなぜ動くのかね。」
一瞬質問の意味が分からず、思考に一瞬の停滞が生まれる。しかし、質問の意味を理解して、それと同時に一つ思い出した。
「キミさ、あの時の黒マント?」
「おや、気づいていなかったのかね。」
「忘れてた、ほら、影薄いから」
商い通りでの戦いーーその最後に、奇襲してきた鼠ごと姿を消した、黒い外套の男。
あの時ライは一瞬しかその姿を見ていないが、しかし、目の前の男が使う謎の術式と質問から、その正体が結びつく。
「あれどうやってみんな消えたの?」
氷の矢を空中に生成し、標準は男の体だ。
魔法を使って直接ヒトを殺すのはダメなので、先端は尖っていない丸いものだが、当たったら相当痛いことには変わりない。
まあ、さっきから謎の『』で潰されているのだが。
そして、ライの質問を聞いた男が、それに答えるように、あの時のように姿を消す。
そさて、その姿は、ライの背後に突然現れる。
「私の質問に答えるのが先だよ」
耳元でそう囁かれ、そして、左肩に衝撃が訪れる。
左肩に黒い棘が出現し、それは来ている服ごと貫通していた。
「やっぱ見えないだけだね、そこにいる。」
ライの展開する冷気の揺らぎ、明らかに走ってライの背後に動いてきたのがわかる。
腕に出現した棘が消えたことを確認し、そしてそのまま背後にいる男に向かって、凍らせた腕を振り回して攻撃。
「涼しい顔だ。なぜ、当たり前のように腕を振り回すんだね、貴君は」
抑揚のなかった男の喋り方に、少し驚きの感情が含まれていた。
「なぜ、答えてもらえると思ってるのかね、キミは」
その男の喋り方を真似しながら答える。
「まったく、厄介な者がいたモノだね、狩人。」
「あ、また消えるの?」
ライの腕を振り回す攻撃で、少々遠くに飛ばされた男が、裾の土埃を払いながら立ち上がる。
「少々、侮っていた。貴君には失礼だったね。」
「そう?」
左腕の袖に空いた穴を整えながら、ライは男に再び氷の矢を向ける。しかし、男はライに背を向け、
「さて、私はこれにて失礼するよ。そろそろ、息子を迎えに行かなければ」
「行かせないけど」
背を向け、廃屋をよじ登り逃げようとする男を追いかける。
氷の矢を再びけしかけ、妨害する。息子というのが誰を指すのか不明だが、あの集団にいた以上、魔導士狩りの関係者というのは間違いないだろう。
ならば、行かせるわけには行かない。
今度作った氷の矢は、今まで飛ばしてきたものと違って、一つ一つに濃密な魔力が込められている。
砕くにしろ、集中力を要する筈だ。
当たらなくとも、足止めにはなるだろう。
しかし、ーー
「あぁ、そうそう。そこは元々私がいた場所だよ」
「え?」
確かに、ここは先ほどまで男が立っていたあたりだがーー。
「………!?」
突如何の脈絡もなく、地面から棘の塊が出現する。
一つ一つの存在自体はそこまで強力ではないのだろう。だが、しかし
「防いだか…まぁ、しばらくそこで大人しくしていることだ。貴君とは、また会うだろうからね」
咄嗟に出した氷の盾によって、ライの元へ届いた棘は両足に二本だけだった。全部刺さっていたら、流石に大変だった気がする。
「あ、待って」
影の中へと消えていく男に、悪あがきの氷の矢が飛ばされる。しかし、氷の矢は何に当たるわけでもなく、ただ陽の光をキラキラと周りに反射させて、そして、ライの手から離れてキラキラと輝きながら消失した。
「おっとと、消えた…」
そして男の姿が見えなくなって数秒、黒い棘が消えて、固定されていたライの足が解放される。
「いてて……流石に、痛い…」
左肩と、足二箇所を貫通されて、流石に痛みがあり、その場に仰向けに倒れる。
「あーあ…」
どっと脱力感が訪れて、体が鈍重に感じる。
短い戦闘時間だったが、『』のせいで余計に神経を削られた。今日は、常に冷気の揺らぎから気配を探していたのもあって流石に疲れがくる。
「ふあ……ぁ…、眠い」
空を仰ぐと、今の短い戦闘の間に日が沈んだようで、オレンジから紫へ、さして、紺へと色が変わっていた。
星たちがキラキラと輝き出す。もうすぐ、閉ざされた山に夜の帳が下りようとしていた。