体が、重い。
いや、まだ、倒れるな……まだ……
「うぁっ!あ、」
足を踏み外した、やばい、このままじゃーー。
いや、大丈夫。もう谷も崖も越えたはずだ。
このまま、このまま流れに身を任せるんだーーそしたら、………そし、たら
グッタリして体重を預けるヴァンの頭を腕の中に抱え込み、レンは山の斜面を滑り落ちていく。
血も魔力も足りていないレンには、もう、この流れに身を委ねるしか選択肢がなかった。
レンが滑り落ちていくと、土や枝や落ち葉が舞い、それが顔面に襲いかかってくる。
思わず目を閉じてしまう。
「うっ、ぐ、がっ」
小さな鳴き声が口から漏れる。
流れに身を委ねると言っても、道があるわけではない。
山を覆う木々に何度も何度も叩きつけられ、その度に口端から声が漏れる。
大丈夫、山を、麓まで降りればーー
「ーーレンっ!!」
滑り落ちてくる鼠の身体を、金色の獅子が腕いっぱいに受け止めた。
ーー助けてくれる、でしょ?
→→→→→→→→→→→→→→→
遠く近く、声が聞こえた。
体の揺らされる感覚があって、その感覚に、薄汚れた鼠が薄く目を開いた。
緑の双眸をのぞかせると、地平線の彼方にまだうっすらと太陽の残滓が見える。山の中だから分からなかったが、まだ太陽は完全に沈んでいなかったらしい。
「レン、おい、レン!」
名前を呼ばれて、そしてその声の主を薄く開いた目で見上げる。
そこにいたのは金色の獅子ーー赤い目を心配の表情に変え、その目からはレンを労わる気持ちが伝わってくる。
「レイ…ヴン…」
掠れた声でその獅子の名を呼ぶ。
その呼び声に、レイヴンはピクッと反応し、不安げに強張らせた表情を緩ませ、
「おう」
と、応える。
本当に頼もしいリーダーだ。
その声を聞くだけで、安心できる。心強いレン達のリーダー。
心に安堵の余裕がうまれ、レンは弱く二へっと笑う。
「捕まえてきたよ…魔導士狩り」
「あぁ、分かってる」
「すごい…でしょ?」
「あぁ、すごい。すごいよ、本当に。」
成果を報告するレンの顔は弱々しくも誇らしげで、その弱々しい状態になるまでレンが頑張ったことは一目でわかる。
レイヴンも、一度は負けた相手だ。
それゆえに、レンがいかに頑張ってくれたかが身に沁みて理解できる。それと同時に、そんな相手とタイマンさせてしまったことをすごく申し訳なくも思う。
ただ、その考えはレンの頑張りを否定するような気がしてぎゅっと心の奥底へと押し込み、忘れ去る。
自分の頑張りを報告して、レンは満足げに笑う。
だけど、まだ言わなきゃいけないことが残っている。
「レイヴン」
「あぁ」
山の中で、訓練の中で、出会った時から、ずっとーー
「ありがとうーー僕を、助けてくれて」
そう、感謝の言葉は本人に言わなければ届かない。
山の中で見たレイヴンは、レンの妄想だ。
だけど、それでも、窮地に立たされた時に瞬時に頭にレイヴンが出てくるのは、それだけレンがレイヴンに助けてもらっているからだと思った。
だから、ありがとうと、そう告げる。
その感謝の言葉をもらったレイヴンは、面を食らったような表情をし、しかし、すぐにいつもの、あの自信満々の笑みを浮かべる。
「あぁ、いつだって助けてやるさ。俺たちは、仲間だからな。」
レイヴンがレンを抱く力が一層強くなる。
その力が少し痛むが、今はその痛みすら心地よい。
最高の気分だ。
伝えたい言葉を伝え、レイヴンの反応も見て、そして、レンの意識は朦朧とし始める。
それは頑張った魔法使いへの、しばしの休息ヘの誘いだった。
「レイヴン……ちょっと、寝ていいかな…」
力が出ない、情けない話だが、もう魔力もカツカツで、自分で立つのも難しい。
レイヴンの言葉を、力を直に感じて、安心感で急に緊張の糸が途切れた。
体中にぐったりと圧力がかかり、起き上がるのもしばらくは勘弁願いたいところだ。
まぁ、でも、少しぐらいなら休んでも問題ないかーー。
「安心しろ、レン。あとは、俺たちに任せとけよ。」
「……うん」
レイヴンの声が明るく、いつもの調子に戻り、その声にレンは一安心。フッと意識の波がとだえ、最後に
「無茶しやがって、まったく」
と、レイヴンがつぶやくのが聞こえた。
お互い様、と言い返したいが、もはやそんな余裕もなく、レンの意識は深い沈黙へと落ちていった。
→→→→→→→→→→→→→→→
「よし、これでいいか。」
山から滑り落ちてボロボロのレンを壁際に寄せて、レイヴンもひとまず安堵の息を吐く。
すやすやと眠るレンの寝息は、まるで何事もなかったかのように穏やかだ。しかし、衣服は綻び、ところどころかなりの血の跡があり、その状態は決して穏やかではない。
何があったのか聞きたいことはたくさんある。
だけど今は、
「今は休めよ、生きて帰って…それだけでお前は偉いんだ。」
いつかリオンに言われた言葉を思い出す。
狩人として背負いすぎるなと、そういう意味の言葉だ。
レンが帰ってきたこと、それだけでレイヴンにとっては嬉しいことなのだ。なんなら、普通に誰にも発見されず、そのまま死んで消えていた可能性だってある。
自身が倒れた時に、リオンも同じような気持ちだったのかと思うと少し申し訳ない気持ちになる。
壁に寄りかかるレンの、位置的にレンのクッションになってる鼠を見る。
この橙色の鼠が、狩人狩りの正体だ。
レンと同じく安らかに……とは言えないが、力の抜けた、年相応の眠り方をしている。
何度も対峙して、生意気なガキという印象しかないが、こうして眠っている姿を見ると、結構幼く感じる。
といっても、レイヴンもまだ十四歳なので、相当離れてるわけではなさそうだが。
逆に言えば、この年であれだけのことができるのだ。
狩人に来れば、レンやノットとしのぎを削る仲になっていたかも分からない。
さて、レンを運んだ時に気づいたことだが、この二人、すごく硬く結ばれている。腰あたりで、何か縄のようなもので結ばれており、レンだけを運ぼうと思ってもしつこくひっついてくるのでなんとなしにレンの下敷きとして置いてあるのだが…。
「流石にずっとこうしてるってのもよくねぇしな」
こんな質の悪いベッドに寝ていたら、レンの疲れが取れないーー。じゃなくて、捕虜は丁重に扱わなくてはならない。
それによく見ると、縄だと思っていたそれはレンが普段、自分の魔法の対象として使っているホウセンカだった。
ところどころにホウセンカ特有の袋ができており、なんともまぁ、おしゃれな縄に出来上がったものだと思う。
そんなおしゃれな縄と成すホウセンカ達を掴み、
「すまんよ、お前達。契約主様は今ご就寝なんだ。」
レンが可愛がってるのを近くで見てきたため、植物相手といえど少し罪悪感はある。レンに見られたら全力で止められそうだが、緊急事態ゆえやむなし。
そんな心の痛みをよそに、その拘束を解こうと試みるもーー
「かってぇ」
そのホウセンカ達は全くと言っていいほどその拘束力を緩めようとしない。むしろ、引っ張るたびに固くなっている気すらしてくる。
なんなんだ、これは。植物のふりをしたワイヤーかなんかなんじゃないか。
そう思えるほどに固い。
「そういや、リオンでも無理だったな…」
先日行われた訓練の末路ーーぐるぐる巻きにされたなんとも言い難い記憶と、無様なリオンの転び様が思い起こされる。
リオンの足に巻き付いた植物は、リオンが走ろうとする力に耐え、引きちぎれることなくリオンを離そうとしなかった。
レンの魔法の遅さは、この頑丈さに全振りしてるからじゃないか、とリオンも言っていた気がする。
当たりさえすればリオンのような巨漢も止められるとあればそれはもう心強いの一点なのだが、こうも対処する側になると厄介極まりない代物なのか。
もう一度言おう。ワイヤーが何かなんじゃないかこれは。
手で引きちぎるのは無理だと判断し、剣を取り出し、その刃を押し当てて、切ることにする。
「流石にこれはおかしいだろ!!なんで剣の刃も通さねぇんだよ!本当にホウセンカか?」
もう一度言おう、ワイヤーです。これ。
その頑丈さは、もはやホウセンカの形をした何かだ。なんだ、これは。
サクッと拘束を解いて、ファンドと、何してるか分からないライを回収してさっさと帰るつもりだったが。
「え、これもしかしてこのままアリィのとこに持ってかないといけないやつ?まじで?」
アリィというのは狩人の保険医のことだ。
アリィは狩人に配属されてるだけのただのお医者さんなので、流石にヴァンごとレンを連れてくのは問題な気がする。
「うーん」と喉を唸らせる思案するレイヴン。
最悪燃やすという手段もあるが、それは流石にレンとヴァンが火傷ですまない事態に発展する。
考えるレイヴンーーその背後に黒い影が迫り、そしてーー
「助けてあげようか、利子付きで」
「ーー!?」
突然聞こえた声は、とても無機質で感情を感じられない冷ややかなものだった。だがしかし、冷ややかすぎるが故に背筋が凍り、恐怖が広がる。
咄嗟に声の主の方に振り返る、がしかし、そこに声の主の正体はいない。
しかし、声は続く。
「まったく、相変わらずだね、息子よ。」
その声が次訪れたのは、後方ーーレンとヴァンが横たわる方向からだった。
そして、声の主もそこにいた。
深くフードを被り、全身を黒い外套で覆っている。暗闇に溶けて消えてしまいそうな風貌をしている。細身の長身の男だ。押せば簡単に吹っ飛びそうなほど、その体はかるそうだった。そして、尻尾だけはやけに主張するように長く露わになっていた。
その黒男はレンとヴァンの拘束を解こうと、件のホウセンカに軽く触れ、
「なるほど」
何かに気づいたように一言発し、そして次の瞬間には男の指先に黒い波動が生まれていた。
その現象をなんと呼ぶのだろうか。
魔術と呼ぶにはあまりにも不規則で、魔法と呼ぶには異質が過ぎる。そんな歪な何かが、レンとヴァンをつなぐ縄へと向かう。
「ーーっ!?やめろ!!」
その何かが何かは分からない。
ただ、その術者がこれから何をするのか、嫌な予感がして止まらない。
レイヴンが叫び、止めに入ろうとする。
だが、その意思とは裏腹に、足は動かない。
しかし男は、その叫びに対し相変わらず無機質な声で
「黙っていろ」
と、一言。
そして、その何かがレンの作ったホウセンカの縄に触れた瞬間、それは弾け飛ぶ。
あれだけ頑丈に生命の強さを見せつけていたホウセンカ達がいとも容易く打ち破られたのだ。
「なっ……」
言葉が、出ない。
レイヴンの、種族がら恵まれた体格のレイヴンでも、あのリオンでもおそらく壊すことはできなかったであろうあの縄を、いとも簡単に壊してしまった。
男はそのままヴァンの腰に手を入れ、どこからともなく魔導書を取り出す。
その魔導書をペラペラと数ページめくり、少し、驚いたように首を動かして
「ふん。」
と、つまらなそうに投げ捨てた。
投げ捨てられた魔導書から、白紙のページが見える。
これは本物の魔導書ではなく、魔導書のもととなる『紙の本』と呼ばれるとのだ。
万が一のため、サクラが全部紙の本と魔導書をすり替えていた。それだけのことだが。
「あの女はまたつまらんことをする…」
レイヴンには聞き取れない小さな声でそう呟き、そして下げていた首をあげ、動けないでいるレイヴンを見やる。
見えないが、おそらく目が合い、レイヴンの瞳がゆれる。
「うちの小僧が要らぬ世話をかけたね。賭けは貴君らの勝ちのようだ。」
「…はぁ?」
つらつらと述べる黒男。だが、レイヴンには知らない話だ。なんの賭けだ。
戸惑うレイヴンを置いて、男は話を続ける。
「もともとあってないような賭けだが…賭けは賭け。少々惜しいが、持っていくといい。」
そう言って、袖の中から一冊の魔導書が取り出される。それは、レイヴン達狩人が資料で見た盗まれた魔導書と同じものだった。
そして、一冊の魔導書ーーそこから出るわ出るわの九冊積み重ねられ、シアルドから持ち出されたのも合わせて十冊の魔導書が払い戻された。
その細身の、どこに隠し持ってたというのだろうか。
「手品師かよ…」
「手品師?あんな半端な真似事集団なんかと一緒にするのはやめたまえよ。あいつらは奇跡の安売り、いうなら、奇跡を騙った詐欺集団だ。私や貴様が扱う魔法や魔道と肩を比べることすらおこがましい。実に心外だ。」
軽く、なんとなく思ったことを言っただけだが、何やらブッ刺さったようで無機質な声に、少し呆れたような感情がおり混ざる。
男は額に手を当て、やれやれ、とでも言いたげな動作を取り、そして
「私はこれにて失礼するよ。その本は、貴君らが返したまえ。それでチャラにするとしよう。」
ヴァンを背負いあげ、魔導書を指差しながら淡々と男は告げる。その声は、先ほどの感情混じりの声から無機質なものに戻っていた。
「行かせるとでも、思うか?」
剣を構え、戦う姿勢を見せる。だが、レイヴンは小刻みに息をしていて、額には冷や汗が垂れている。
腰も引けている。
それは、黒男には見透かされていた。
「戦う姿勢を見せたことだけは、褒めようか。でもそんな弱腰じゃ、私は止められまい。」
黒男は不気味に喉を鳴らし、「それに」と続ける。
「貴様は私を行かせるよ、友達を失いたくはあるまい?」
そう言って、男が指差すのは、壁にもたれて眠りにつくレンのほうーー。
よく見ると、先ほどまで男がいた場所に、レンの傍らに、何か黒いものが小さく浮き沈みしている。
「おっ……、レン!!」
あの黒玉は、なんなのか。いや、そんなことはどうでもいい。確実に言えるのは、あれは攻撃であるということだ。
ろくなものじゃない、それだけは確実にわかる。
「ふん」
男が小さく笑ったのを起点に、黒い球は膨張し始める。膨張した黒い球は、相変わらず小さく浮き沈みしていて、その存在を主張する。
魔法で壊すかーー?
否、魔法は使えない。レイヴンの魔法では、レンまで巻き込んで爆発してしまう。
考えるレイヴンを待たず、膨張は進んでいく。
「だぁっ、くそ。動けよ、俺ぇぇえっー!!」
固まって動かない体を無理矢理奮い立たせる。固まっていた足が、その叫びに応えるように動き出す。
膨張は進む。
風船のように膨らみ続けるあの球は、今にも破裂しそうなほどに膨れ上がり、今か今かとその時を待ち侘びている。
「どらっせぇぇええ!」
レンの体をだきかかえ、黒玉を背にせるように飛び退き地面に倒れ込む。
危機一髪、というべき瞬間だった。
飛び退いた瞬間、黒い球は大きな音を立てて破裂し、内側から無数の棘が飛び出していた。
ギリギリ交わしたその棘を、飛び退いた勢いで転がりながら回避する。
心臓がうるさく鳴り響く。
「ハァ…アイツっ!」
レンを抱えながら黒服を見る。今の攻撃、まともに当たっていたら死んでいたに違いない。とんだ殺意を向かせるものだ。
いつの間に屋根の上まで登ったのか、黒服は満足そうに尻尾を揺らしながら
「ではまた近いうちに、愚息は貴君らに預けておくとしよう。」
そう言い残して、男はヴァンと共に姿を消した。
何事もなかったかのような静寂だけが、耳に騒がしく入り込む。
「くそ……くそっ、くそぉ」
悔しさ、惨めさ、情けなさ、もうとにかく自分の弱さが際立って腹が立つ。
男の姿が消えて、心に訪れた安堵。
立ち向かって、ヴァンを連れ去られるのを防ぐべきだったのに、足がすくんで動くことができなかった。
その心の弱さがとても醜くて、とても苦しくて、嫌になる。
「ごめん……、レン、ごめんな…」
レンが命懸けでとってきた成果をあっけなく消し去り、レンが誇らし気にしたあの表情の意味さえもなくし、本当に、何が『任せろ』なのか。
力なくレンを抱きしめるレイヴンを、星の輝きがちらちらと照らしていた。
ファンドとライが合流したのは、それから間も無くだった。
→→→→→→→→→→→→→→→
目覚めは自ら浮上する感覚に似ている。
まず最初に、体が何かに押し上げられるような感覚があり、意識に薄明りが生じる。そしてからだがふじょうするのに合わせて、徐々にまわりの音が聞こえてくる。
そして、水面にたどり着き、顔をあげ目を開けるーー。
「…………」
目を覚ますと、そこはシアルドの救護室のベッドの上だった。
天井の照明は付いておらず、しかし窓から入る光は淡く部屋の中を照らす。どうやら、もうすぐ夜明けのようだ。
硬すぎず柔らかすぎず、ちょうどいい塩梅のベッドの温もりを堪能して、そしてチラリと横を見る。
「レイヴン…」
ベッドの傍らの長椅子で、壁にもたれながら眠る獅子がいた。
椅子に座って腕をくみながら、寝息を立てて眠っている。多分、レイヴンがレンをここまで運んでくれたのだろう。
種族がら、結構厳つい顔をしているが、寝顔だけなら案外可愛いと思えるものだ。
と言っても、本人の性格が結構子供っぽいので顔立ちに反して結構普段から可愛らしいと、大人連中に揶揄われている。
本人に言ったら怒られそうだ。
「帰ってきたんだなぁ…」
体をベッドに沈ませて、天井を仰ぎながらつぶやく。
正直山を降り始めたあたりから記憶が曖昧なのだが、ちゃんと帰って来れたようで一安心。
レイヴンの寝顔を眺めながら、今一度自分の心のうちを確かめる。
「うん…大丈夫、怖くない…」
心は穏やかだ。
ちょっとだけまだ抵抗感がある気がしないでもないが、これぐらいなら日に日に、また勝手に埋まるだろう。
三日坊主の恐怖心だった。
レイヴンの手を取り、その凶悪な爪を眺める。戦闘の時だったり、驚いた時以外は基本しまってあるレイヴンの爪だが、これを向けられたんだなぁと思うと、やっぱちょっとゾッとする。
でも、レイヴンの手はとても温かい。
しばらくレイヴンの手をこねくり回していると、
「ん……お、レン」
と、レイヴンが目を覚ます。
開ききっていない赤い瞳でレンを見つめるレイヴン。まだ寝ぼけ中だ。
「ん、おはよ。」
「あぁ……おはよう…。なんで手握ってんだ…?」
寝起きの覇気のない表情でレイヴンが尋ねる。
弄ってる時はなんも思わなかったが、いざ声に出して指摘されるとなんだが恥ずかしくなってきた。
温かく大きいレイヴンの手を開放して、思いっきり体を縦に伸ばす。
寝起きのだるけもこれでばっちり、どっかに飛んでいくーーわけもなく、
「血と魔力が足りてねぇんだと、無茶しすぎだぜ全く」
目眩がして、体勢が崩れるレンをレイヴンが支えて、ゆっくりベッドへと降ろしてくれた。
「アリィが言ってた、二人とも命をなんだと思ってるんだぁーってな。」
「あぁ、言いそう…」
狩人という職業柄、大怪我するのは仕方がないとして、それがこうも立て続けにあったとなっちゃ、アリィの心も穏やかではないだろう。
レイヴンが一人で、気を失ったレンの代わりに叱られてたのかもしれない。
互いに無茶をする。そんな仕方がない狩人だ。
罰が悪そうに、二人同時にほおをかく。その動作がシンクロして、互いに目が合い、笑みが溢れる。
こうやって落ち着いて顔を合わせるのも久々な気がする。ずっと一緒にいて、一緒の寮に暮らして、同じご飯を食べて、同じ風呂に入ったりもしてたはずだが。
まるで長旅から帰ってきたような、そんな感覚だ。
「なんか、久しぶりな感じするな。こうやって顔合わせんのも」
「あ、やっぱそう思う?」
どうやらレイヴンも同じように思っていたようだ。
少し気まずそうに視線を逸らしながら、レイヴンが落ち着いた声で話す。
「…なん、だろうな。なんか無意識に、お前とは距離とってたんだ。一緒にいちゃいけないって、そう思う時があんだ。」
「レイ、ヴン…?」
そう語るレイヴンの顔は、寂しそうだった。俯きながら、レイヴンは続ける。
「俺は自分勝手で、一人で突っ走って、そんでいつも二人に迷惑かけて…いや、二人だけじゃねぇな。いうなら全員だ、全員。」
「そんな、こと…」
「俺が初めてあいつに会った時、俺が日和らなければレンも、ノットもこんな目に遭うことは無かったんだ。」
あの日、初めてヴァンと遭遇した時、レイヴンは怯えて逃げた。逃げ出した。
あの時死に物狂いで戦ってヴァンを捕らえることができていたら、ことはここまで大きくならなかっただろう。
大元、レイヴンが臆病なことがここまでの被害を狩人に産んだんだ。
「俺は強いんだって虚勢はって生きてたら、強いんだって、いつでも虚勢はれるくらい胆力があればって…。一人じゃ俺は何にもできないんだって思い知らされた。」
掌を握って自分の力不足を嘆くレイヴンを、レンは黙って見ている。
その視線にレイヴンが俯かせていた目をあげて、レンの目を見る。
こんな寂しそうな顔をしているのに、やはり目だけは燃えているかのように真っ赤だ。
「なんでお前は俺と一緒にいてくれるんだ?こんな俺を、なんで班に選んでくれたんだ?」
一人じゃ何もできない、そう嘆くレイヴンが尋ねてくる。
レイヴンがそんなふうに思ってたなんて、レンは知らなかった。だって、レンの目から見たレイヴンは、獅子で、強くて、乱暴で、それでいて常に自信に満ちて燃え上がっている。
だけど、そうじゃない面があることも、レンはすでに知っているのだ。
レンは己の服の裾を掴み、
「レイヴンさぁ、最初に僕と会った時に胸ぐら掴みにきたでしょ。覚えてる?」
と、レンとレイヴンの原点を語り出す。
初まりは、あの場所だ。
予想していなかった切り口に、レイヴンが驚き、目を見開く。そして、顔が瞳のように真っ赤になり、目を逸らして言う。
「……覚えてるに、決まってんだろ…。忘れねぇよ」
胸ぐらを掴み、壁に叩き尽きた記憶。
あまりにも濃すぎるファーストコンタクトは、流石に下手人側も忘れることはできなかったらしい。
逸らした目をレンに向けて、話を続けるようにレイヴンが促す。
「僕がレイヴンと一緒にいたいのはね、あの時胸ぐらを掴んでくれたからなんだよ?」
「…….復讐?」
「違うよ!」
だとしたら性格が悪すぎるにも程がある。
こほん、と咳をして、その誤認を解くために話し出す。
亡霊鉱山でも、シミュレーションはしたのだ。
小っ恥ずかしい話だが、ヴァン相手にしどろもどろしたような気まずさなどない。
それはきっと、心の底から伝えたいと思う言葉だからだ。
「胸ぐらを掴まれた時にさ、気付いたんだ。レイヴンだって……鼠じゃない誰かだって、世界の何かに怯えて生きてるんだって。」
鼠だから、そんな理不尽な、どうしようもない理由で嘲笑われる日々。そんな中で生きてきて、他の種族のヒトはさぞ幸せに生きているんだなと思った。
でも、違った。
何かに怯えて生きてるのは自分だけじゃない、鼠だけじゃない。犬も猫も牛も羊もーーなんならそれらの頂点に立つ獅子でさえ、怯えた目をすることがあるのだ。
「あの時僕たちは、互いに何も知らなくて、ただの鼠と獅子だった。それでも、僕たちはあそこで出会って知り合って、それで今は友達でしょ?」
「あ、あぁ」
「つまり…えっと、何が言いたいかっていうとね」
頭の中を整理して、言うべき言葉を探す。
レイヴンと仲間でいたい、一緒にいたい理由。
それはーー、
「知らない世界を、レイヴンと一緒に見たいんだよ。」
知らない世界、それを知るきっかけを作ってくれたのはレイヴンだった。
「僕たちはまだ知らないことがたくさんある、知らないことを知るのは怖いし、多分難しいことだらけだけどーーでも」
顔を上げ、レイヴンの目を見る。
「知らない世界はーー、とても輝いてるんだよ」
「レン…」
「あの最悪のスタートから、僕たちがこうやって友達になってるなんて、誰も知らなかったんだよ。」
それこそ、現在の狩人訓練生のエルドを除くみんなが知っている事件だ。
あの時、あの場面を知っていたら、今こうしてレンとレイヴンがベッドに腰掛けて語り合う場面なんて想像できないだろう。
「あの時胸ぐらを掴んでくれたから、僕はレイヴンと一緒にいるのが楽しいんだよ」
あの時、あの目をレンに見せてくれなければ、今頃びくびくと、レイヴンや他の狩人達の目に怯えて生きていたかもしれない。
「最初に僕を、暗闇から引っ張り出すきっかけをくれたのはレイヴンなんだよ。」
だからーー、
「ありがとうレイヴン、僕を助けてくれて」
「レン」
「僕を、『レン』を見てくれてありがとう」
感謝の言葉は、惜しまずに。隠さずに。
はっきりと伝える。
そうした方が、気持ちはちゃんと伝わるから。
「本当に、俺でいいのかよ。言っちゃあれだが、本当に最悪だぞ?俺たちの最初。」
「最悪でも、僕にとっては人生の転換期なの!」
もちろん、いい意味で。
レイヴンが目元を拭って顔を上げ、レンの肩を掴む。
「俺が怖くないか?レン」
肩を掴む力は強い。
けど、その力強さはレンの、レイヴンへの頼もしさを表しているようでーー。
「俺は、お前達に迷惑かけっぱなしだ」
「そうかな?僕だって同じくらい迷惑かけてると思うよ?」
「俺は、お前達が思ってるほど強くない…むしろ、弱いとこばっかだ。」
「知ってるよそんなの、会った時からずっと。」
「なんで、俺を選んでくれたんだ?」
レイヴンの瞳が揺らぐ。
班分けのとき、レイヴンを選んで班長に推薦したのは他の誰でもないレンとファンドの二人だ。
二人が共にレイヴンを選び、そして、レイヴンはそんな二人の気持ちが嬉しくて、班を組むことを決めた。
ならば、なぜその二人はーーレンはレイヴンを選んだのか。
「レイヴンと、一緒に新しい世界を見に行きたいからだよ」
新しい世界ーーレンの知らない世界はいつだって輝いていた。
ならば、そんな場所に一緒に行きたいと望むならそれはレイヴンしかいないのだ。
結界の外ーー知らない世界を見て見たいと、狩人を志した時のレンは一人だった。
だが、今、知らない世界を知る楽しさを共有したいと思った時、
「レイヴンが一緒だったら、僕は嬉しいな」
それがーーレンの、亡霊鉱山の魔法使いの掛け値無しの本音だった。
レイヴンがレンの肩を掴む力が緩み、そのまま肩を撫で下ろし、レイヴンが目を拭う。
そして、目を拭った後立ち上がって、レンを見下ろしながら言う。
「新しい世界を怖いなって思うのは、俺の我儘か?」
「その時は、今度は僕が胸ぐら掴んであげる」
怖いと思う、むしろそれが当たり前だと思う。
でもきっと、それが前に進むために必要で、人生はそれの繰り返しなのだ。
「レイヴンが怖いと思って、立ち竦んじゃう時は、僕が胸ぐら掴んで『行こう』って言ってあげるから」
きっとそれが、レンがレイヴンにしたいと思う、恩返しなのだ。
ギリギリで堪えていたレイヴンの涙腺が崩壊する。
赤い瞳から涙が出てきて、それを再び手で拭う。
「あぁ、ああ、そっか….。お前は本当……あぁ、くそ…」
「素直に泣くレイヴンは珍しいね、ふふ。」
「茶化すな、もう…本当に……」
涙脆いのも我らがリーダーの魅力である。感情豊かで、一緒にいてとても楽しい。
そんなリーダー、頼まれても離れるわけにはいくまい。
「一緒に行こうぜ、どこまでも。お前がそう望むなら、俺はついて行くさ。」
レイヴンが牙を見せながら笑う。
それに対して、レンも満面の笑みで応える。
「うん、一緒に見に行こう。いろんな世界を」
それがきっと、レンとレイヴンが紡ぐ物語なのだ。
それがきっと、レンがこの世界を生きる意味なのだ。
それが、レンという鼠が、レイヴンという獅子を求める全てなのだ。
「まずはさ、亡霊鉱山一緒に見に行こうよ。すごいんだよ。」
「あそこ物理的に行けねぇやつだろ!どうやって行くんだよ」
「大丈夫だよ。僕が『道』を教えてあげるから」
そのための鼠の『近道』なのだ。
自分だけじゃない、誰かと歩む道を見つける力ーー。
きっと、その力はこれから進む新しい世界への道を見つけるのに大いに助けになってくれるだろう。
「約束、だからね」
「あぁ、約束だ。」
指切りをする二人の顔は笑顔だった。
獅子と鼠ーー天と地の種族間の差など、ここには存在しない。ここにいるのは、レンとレイヴンだけだ。
そこに鼠も獅子も関係ない。
窓から入る太陽が、静かに二人の約束を祝福していた。
→→→→→→→→→→→→→→→
ちなみに、この後ファンドとライが部屋に訪れ、レイヴンがヴァンを取り逃したことを知ったレンがとんでもなく渋い顔をしたのはいうまでもない。