閑話二話『山麓から』

  「ねみぃ……」

  昨日の疲れが抜けきらず、身体中からだるけが伝わってくる。

  一日の殆どを寝転んで過ごしているカガチにとって、山を一つ登って降りるだけでもう体力的にはギリギリなのだ。『化』の家がある山を降りて、八代本山の神殿まで登って降りて、運動不足のその体を酷使するにはあまりにもハードすぎる運動量に、カガチの体は悲鳴をあげていた。

  それに加えて夜遅くまで出歩いたせいで、寝るのが遅くなった。まあ、夜遅くになったのは完全にカガチの自業自得なのだが。

  まあしかし、そんなだらしないカガチにも長年連れ添った生活リズムというのは案外健康的なものだった。

  

  「あぁ…ねむぃ…眠いけど…起きる…」

  夜寝て朝起きる。

  朝日が昇ったと同じ頃に、カガチは毎日目を覚ます。

  シノビとは思えないほど健康的な生活サイクルのカガチ。寝るのが遅くなったとはいえ、起きるのは遅くなってくれない。なんとも偉い体だ。

  一度目が覚めたら何をしても暫く眠れないので、仕方なしに身体中に残るだるけごと起き上がる。

  赤い目を擦りながら戸を開けると、温かい日差しがカガチに降り注ぐ。

  カガチの手入れの行き届いていない毛を、風が無理やり通り過ぎる。くすぐったい感覚がして、頭を手で乱雑に掻き回す。

  雨が降る季節まではまだ少し早いが、それでも風は少し湿った感覚がした。

  あくびをしながら体をいっぱいのばす。そうする寝起き特有のまどろみも、身体中を蝕むだるけも、一気に飛んで行ってしまいそうだ。

  陽の光は、この地を生きる誰にだって降り注ぐ。それは、こんな自堕落な狸にだってそうだ。

  怠惰の象徴である肥えた腹を日の下にさらし、熱を余すことなく全身に浴びる。

  「ありがてぇ、はなしだな。ふあぁ」

  こんな愚者にも太陽は毎日温度を与えてくれる。よほど寛大な心を持っているようだ。

  そんな寛大な太陽様をあおぎ、最後に深い深呼吸をして、

  「よし」

  と、己の頬を叩き、朝日を存分に味わった贅沢な目覚めは幕を閉じた。

  

  寝起きの習慣を終わらせて、懐から煙管を取り出して火をつける。

  チリチリと小さな火が鳴き、煙管の先からモクモクと煙が立ち始める。

  最初の一口を吸い込み、そして深い息と共に吐きだす。吐き出された煙は、カガチから逃げるようにそそくさとあちらこちらへと散らばっていく。

  空の植木鉢をひっくり返し、椅子がわりにして座り込む。

  植木鉢は少し地面にめり込んで土に支えられながら、三桁を超えるカガチの体重を支えていた。

  口端に煙管を咥えて立ち上る煙を見ながら、直近受けた仕事を思い出す。

  ーー『このことは他言無用で……』

  

  「……っち、誰が話したいってぇんだ…」

  あの女の、下卑た美しい声が頭の中に響く。

  最近受けた仕事、正しくいえば最近本家から受けた仕事というのは、当主からではなく、全てあの女からのものだ。

  

  そもそも、現当主ーーシナノがヤシロ家の当主となってからというもの、本家方からの依頼というのは殆ど無かったのだ。

  たまにある依頼も、賽銭箱の見張りだったりたまにある催し物の手伝いだったり、もはやシノビとしての生業を忘れてしまいそうなほど穏やかなものだったのだ。

  あとは、結界石を奪おうとする輩を追い払ったり、時折血を流すようなことがあった。命を奪ったことだって、忘れ難いことだ。しかしそれは、本来の『化』の字の仕事の範疇だ。

  しかし昨今の依頼はどうだ。とある遊女の暗殺、狩人の戦利品の強奪、キノコ狩り。どれもあの女からの依頼であり、そしてそれがどのように本家、ひいてはヤシロ家を守ることに繋がるのかーー。

  「……何を企んでやがる……」

  加えた煙管をゆらゆらと揺らすと、それに伴って煙もふよふよと不規則に揺れる。

  暗殺された遊女。

  指名が多く、かなりの人気があり、金もそこそこに有力者との繋がりもある。だが出自は一般階級の出で、親のこさえた借金を返すために遊郭へと打ち込まれたという、至極普通の経歴だった。

  

  だが、その女を通じてその有力者とのパスを作るならまだしも、殺す意味がどこにあるのか。

  

  その遊女が何か企んでいたのか、そんな話は調べても出てこなかった。暗殺した際、軽く部屋を調べたがあるのは借金返済の用紙と、客からもらったであろう簪や櫛。

  そして、家族であろう者からの手紙だけだった。

  これでもし何か企んでいたのだとしたら巧妙に隠したものだ。

  

  しかし、そもそもその遊女が何か企んでいたとして、あの女はどこでどのようにして気づいたというのだろうか。

  そもそも行っても気づかなさそうだが、シナノがその遊女と関係があったわけがあるまい。他の家の者がひっそり通っていてその可能性に気づいたとして、態々当主ではなく当主の嫁に相談するようなことがあるだろうか。常識云々抜きに、男としてそれは無いと思いたい。

  

  だとすると、まさか、あの女直々に遊郭に出入りしているとでもいうのか。

  まさかそんなはずはあるわけーー

  

  「……いや、ありえるか…。」

  煙管を手で取ると、口と煙管の間で細く糸が引いていた。それを乱暴に払い、煙管を片手に唇を拭う。

  

  あんな陽日に、境内の端とはいえ本殿の前で不貞行為を躊躇なく働くような女だ。遊女上がりだとしてもおかしくない。

  だとすると今度はそんな女を嫁がせているシナノの方に問題が出てくるのだがーー。

  「……いらん憶測か…やめよ」

  口を拭い、拭った方の手をいらない憶測を始めた思考と共に振り払う。

  

  もしその憶測が本当だとして、なんだというのか。

  『その女は遊女上がりの汚ねぇ女だ』とでも言うのか。そんなことしてみろ、カガチが追いやられるのが目に見える。

  敵わない女の過去は今更ながら洗いざらい調べるとして、思考は次の依頼の件へとうつる。

  狩人の戦利品の強奪ーー。

  言うなら、魔石、魔鉱石などの結界の『外』から得れる資材だ。だが、魔石、魔鉱石など奪わなくても、こちらから働きかければ提供してもらえるだろう。

  なぜわざわざ強奪する必要があったのかーー。

  「…記録に残らないモノが必要だった…?」

  購入、譲渡されれば記録が取られる。

  そうなると何か都合が悪いことがあるーー。だが、所詮は魔鉱石、魔石も学がなければただの石であり、そしてその石を有効に使える術ーーいわゆる『魔法』を扱う術を持っているのは、家の中でも極小数であった。

  カガチもその内の一人ではあるがーー。

  「…戦力の強化…ってぇわけじゃねぇな。だとしたら狩人に頼みゃあいい。」

  城でふんぞり帰ってる王族ほどじゃないが、ヤシロ家もほどほど権力を与えられている家だ。

  もしそれを望むのなら、狩人も答えてくれるだろう。

  

  それに、戦力だけで言うなら、それこそシナノ達本家の者は道場で剣の稽古をしているはずだ。全員が全員戦えるわけでは無いとはいえ、『化』の家の者だけでも戦力的にはかなりのモノのはずだ。

  それに、もし本当に戦力の強化目的で魔鉱石を欲したとして、わざわざ狩人から盗む必要があるのか。

  ある種の提携関係にあるのに、わざわざ不和を招くようなことをする必要性が無い。

  「キノコ狩りは……あぁ…まぁ…」

  物騒な要件が続く中、何があったのか、突然『山でキノコを採ってきてほしい』というなんとも腑抜けた依頼が来た。それもなぜかカガチ指名で。

  本来なら『ふざけるな』と言って突き返してるところだが、謎に大盤振る舞いな報酬が出たためそそくさと山をかけてそれはもう大量にキノコを差し出したのだが。

  「遊女…魔石……キノコ……?」

  何が目的か、ただの考えすぎか。

  むしろキノコは考えを巡らすノイズでしかないが、一体何を狙いとして動いているのだろうか。その一個前は普通に結界石の護衛であったし、何より期間が空きすぎる。

  「いや……考えるだけ無駄か…」

  どうせあの女は腹の底を見せはしない。

  きっとシナノや子供達の前ではその腹黒い側面を一つとして見せずにやり過ごしているのだろう。

  

  それに、腐ってもカガチは『化』の家の長だ。

  下手に首を突っ込んで家の立場を悪くするのだけは避けたい。自分がどうあれ、何かあったら家を継ぐのは弟達なのだ。自分がどうなろうと興味はないが、カガチのせいで得た不利益を弟達に残しておきたくはない。

  頭に煙管をコンコンと当てながら、喉を唸らせて考える。

  とりあえず昨日のアレだ。

  あのような強行に出て、そして話を聞くだけで依頼料を払ってくるほどの何かが次の祭りの時にあるのだ。

  一家総出ーー、そうまでして一体何をカガチに望むというのか。しかも、わざわざ祭りの当日に。

  ヒトが集まる。家の者達も集まる。良くも悪くもヒトが重なるようなその時に、何を成せと言いだすのだろう。

  めんどくささと、穏当ではない何かがある気がして正直行きたくない。

  後ろ暗い家業を継ぐ家を歓迎する者などいない。いつ寝首をかかれるか分かったもんじゃない。ヒソヒソと、陰湿な者を見る口と目で囲われる。

  たまったもんじゃない。

  「……めんどくせぇ……」

  不穏に不穏が重なり、よくない考えばかりが脳に浮かぶ。悪いことは考え出すとキリがない。

  

  だから、

  「兄者、朝食の準備が整いました。皆も揃ってますし、共に食べましょう。」

  「おーう、今行く。」

  今は何かあった時のため、蓄えておくに限る。とりあえず、腹ごしらえ。大事。

  

  フヂナに呼ばれて、煙管の火を消して懐にしまい、半分埋まった植木鉢を置いて、カガチの堕落した一日が始まるのだった。

  ふと、思い出したようにその名前を呼んだ。

  「カドマ、いるか。」

  虚空に向かって語りかけると、カガチの気配の裏側に、一人のシノビが潜む。

  「はい、カドマ。ここに参りました、兄者」

  影より薄く、月より暗いその声がカガチの耳にだけ響く。

  「しばらく本家の動向を見張れ。祭りの準備は俺がやっておく。」

  「承知しました、東西どちらに?」

  「西だ。ちょっと婦人がきなくせえ。」

  「承知しました、では行って参ります。」

  最低限の、それだけの音のやりとりがあって、影はスンっと姿をくらませた。木陰がゆらゆらと揺れて、それで完全に気配は無になる。

  「…さて、何も出ないといいがね…」

  何があったとて口出しできる立場ではないのだが、取れる選択が増える可能性は考慮しておかなければ。

  

  影を踏み潰して、カガチは戸を開きフヂナの後を追いかける。今度こそ、カガチの堕落した一日は幕を開けた。

  

  風に乗って煙管から立ち上った煙がゆらゆらと揺れていた。

  →→→→→→→→→→→→→→→

  朝飯を終えて、カガチはいつも通り上段の間に寝そべりながら、動き回る弟分達を眺めていた。

  カガチの目の前を通りすぎる弟分達は、その殆んがカガチと同じ狸だ。みな毎日慌しくしているため、カガチのようなデカブツはいない。

  この家の長として家をまとめるカガチ以外はみな、献身的で動勉である。木の実を山へ拾いにいったり、新を割ったり。表向けに開いている店の番をしたり、帳簿をつけたり。

  はたまた夜はシノビとしての彼割を果たし、朝に帰ってくる。毎日誰かしら何かの仕事をしているというのに、カガチはその立場に甘んじて、グータラしているのが常だ。

  そんなグータラ狸のもとへ、昨日と同じようにフヂナが近付いて声をかける。

  「兄者、お客様です。どうやら兄者の知人のようですが….」

  

  「客だぁ?……シナノ…じゃあ、ねえよな」

  赤い目を細めて、わざわざカガチを尋ねてくるような存在を考える。

  フヂナが知らないということは、少なくともヤシロの家の人物ではない。

  ということはカガチだけが知っている間係ということになるのだが。

  「街の世話んなってるやつでもねぇな…..」

  「はい、多分街の方ではないです。僕は会ったことないので..」

  「んじゃ誰だ」

  「とにかく、待たせるのも悪いですし、行ってください、兄者」

  「ええ、嫌な子感しかしない」

  街のヒトじゃないとなるとますます当てがない。とはいえフヂナの言うとおり客人を待たせたままにするわけにはいかないので、ため息混じりに動き始める。

  両手で体を押し上げて、昨日と同じように狭い廊下を通り外へ出る。

  そして店の方へまわるとーー、

  「お、来たな太大将」

  と、小さなねずみがカガチを見上げた。

  そのねずみを見てカガチは、

  「……誰だお前」

  と見覚えのないねずみに問う。

  こんなちんちくりんと名前を交換した覚えはないし商売上でも家柄でもお付き合いした覚えはない。

  だが誰だと問われたこのねずみは、心底おどろいたような顔をして、小さい体で大きく終る。

  「覚えてねぇってのかよ、昨日の礼に態々来たってのに!」

  「昨日の礼…?」

  「そうだよ!昨日オレを逃がしてくれたろ?だから…なんだ…礼だよ、礼。」

  と、鼠はばつが悪そうに頼をかきながら、風呂敷のようなものをカガチへ差し出す。

  「それはわざわざご丁寧にどうも....って、あ、思い出した。お前昨日のチビミだろ。」

  「チビとねずみを足すんじゃねえ!っていうかマジに忘れてたのかよ。ボケてんのか?」

  「オイオイ俺がマジにボケてたらどうすんだよ。知らないやつからいきなり罵倒されるなんざ、名誉毀損で訴えるぞ。」

  「知らねえよ!」

  小さい体でよく動く、そんなことを考えながらねずみから風呂敷をひょいと取り上げ、その包みを開ける。

  が、開けようとする途中でピタリと手を止め、ネズミを見下ろしながら、

  「ちゃんと『お前のもの』なんだろうな」

  と赤い目で睨みつける。まさかとは思いたくないが、盗品をそのまま渡しているのではないだろうか。睨みつけられたネズミはカラカラと笑って、

  「心配すんなって、ちゃんと俺が持ってたものだから、さ」

  と、幼い顔立ちで笑って手で開けるように促す。

  「ほんとかねぇ…」

  疑わしげに眉をひそめなから包みをあけると、そこには小さなツヅラが入っていた。

  「ん、なんだこれ。」

  ツヅラを開けると、そこには小さくうっすらと光る赤い石が入っていた。カガチらその赤い輝きに見覚えがあった。

  「魔鉱石か?これ」

  箱から石を取り出して太陽にかざす。陽の光に目を細めたカガチは、己の目と同じく鋭く赤い光を放つ魔鉱石を眺める。

  わずかにジンワリとと手が温まっていく感覚があるが、それは太陽の熱か石由来のものか。

  ともあれ、

  「よくこんなの持ってたな、どこで拾ったんだ」

  魔航石は命知らずの狩人達が結界の外にはびこるモンスターを狩って手に入れる代物だ。

  あるいは、高農度の魔素が固まり、日の当たらない空間で冷えて固まって生成される。

  それこそ鉱山からは程々多く出土する。鉱山はヤシロ様から溢れた魔力が多く蓄積されており、その魔力が魔素へと還元され、固まって魔鉱石になっていると言われている。

  他にも魔素の濃度が高い場所は存在するが、鉱山はその最たる例と言ってもいい。

  というか、一般のヒトが出入りできるのが高山くらいしかない。

  それ以外にあるとすれば、それは結界石のある遺跡だ。魔素濃度が高く、役割を与えられたもの以外は入ることは許されない。

  それこそ、そこを守護するために武力を尽くすのが『化』の家の本来の役割なわけでーー。

  結界石は、この群青という国を覆う大結界の維持に必要なものだ。だから役割を与えられた者以外は場所を知ることもないし、本来なら知られることすらない。

  ただ、ヒトが動けば情報が動くわけで、結界石の力を求めて遺跡に辿り着くヒトも少なくない。

  つまり、この鼠がどこでこの魔鉱石を拾ったのか。

  返答次第では、カガチは『仕事』をしないといけないわけだ。

  赤い目で軽薄な鼠をじっと見つめながら、懐の暗器に手をかける。と言っても、あるのは昨日この鼠を引っ掛けた糸だけだが。

  吊るして吐かしてポイだ。いや、ポイはしない。吊るして吐かして剥いで廻して、ポイだ。

  最悪の拷問の手立てを考えるカガチに、鼠は頬をかきながら答える。

  「それなあ、拾ったんだよな、前に」

  「…どこで?」

  「狩人が落としてったんだよ、落ちてるもんを拾うのは、別に普通だろ」

  と、してやったりな顔で鼠が答える。

  落とし主が分かっていてそれを拾って私物化するのは立派な盗難だと思うが。

  嘘をついてる感じはなし、心の中で安堵してカガチは懐の糸から手をはなす。

  

  「なんで微妙にグレーなラインなものを持ってくんだ」

  が、完全に後ろ暗い代物というわけではなさそうなので、とりあえずありがたく貰っておくことにしよう。魔鉱石なんて、伝手でいくらでも入手できるとはいえカガチから見ても貴重なものであることに変わりはない。

  

  懐に石をしまい、そして煙管に火をつけて軽く吸う。ふーっと煙を空に浮かべて、壁にもたれかかる。

  

  「んで..まだなんかようか?」

  と、たたずむネズミを見下ろしながら尋ねる。

  

  カガチが他と比べてでかいというのは承知のうえだが、見れば見るほど小さく感じる。あの痴女ほどではないが、プチッと潰せててしまいそうな貧弱な体つきである。

  弟分にも何人か潰せそうな小さい輩がいるが、なんともその小さい体で頑張るなと関心することも少なくない。

  シノビとして体が小さい方がいろいろ得する場面もあるため一概に悪いとは言えないが、

  「やっぱ食が細えのは良くねえな。おん。」

  良く食べ良く寝る。その見本みたいな体形のカガチが己の腹をかきながら見下ろす鼠をそう評価する。

  「で、なんだ、お前」

  「ヒトの体見て失礼なこと言ったやつの台詞じゃねえって……じゃなくて」

  相変わらず突っ立ったままの鼠に視線を向けると、鼠も負けじとカガチに視線を合わせようと見上げる。

  そして、カガチの赤い目がまばたきした。鼠の表情は先ほどまでの軽薄なものとは違い、真剣だった。

  「あ、待て。めんどくさい気配を感じた。俺は帰る」

  「なっちょ、太大将、待てよっ」

  もたれていた壁から体重を離すと、壁が少しギィと音を立てた。

  そのまま玄関へと向かおうとするカガチを鼠が服ごと引っ張る。

  

  「おい、なんのつもりだ、離せ」

  「なあ、せめて話を聞くぐらいしてもいいだろ?」

  進もうとするカガチの巨体を、ネズミが全体重をかけて止めようとする。ゆるーんとたるんでいるカガチの服がぴーんと伸ばされ、カガチの進もうとする足が少し遅まる。が、それでもカガチは鼠を無視して少しずつ進んでいく。それに合わせて鼠もずるずると引きずられていく。

  「おい、ちょっおい、離せ。俺は忙しいんだよ。あと服ちぎれる、貴重な緩んだ服なんだよ!」

  寝転がってゴロゴロするのに最適な調子まで伸びた服を失ってたまるか。フヂナに察されて処分されないようにじっくり育てたゆる服。失うわけにはいかない。

  服を掴む鼠の手を引き剥がそうとするが、なんとその小さな体のどこから来ているのか、なかなかその手を離そうとしない。

  「いいや、お前めんでくさいっつったろ?それに知ってんだぜ、太大将は普段家で寝てばっかだって!」

  「その『太大将』ってのはなんださっきからうっとうしい。あと、誰に聞いたんだその話」

  「ふもとの街のみんなから、ホオズキの旦那は食っちゃ寝ばっかだって口を揃えて言ってたぜ」

  「あんの恩知らずども…っ!」

  特定の誰かではなく、「街のみんな」というのが少し悲しいところ。カガチの日常生活を知ってる奴は殆どいないが、普段街に出ても大体食べ歩いてるだけなのでその認識は仕方あるい。守りがいが無いというかなんというか、よく見ていらっしゃる、という嬉しさ反面、おおよそのイメージが『食っちゃ寝ばっか』というのが複雑な気持ちだ。

  額に汗かきながらニシシっと笑う鼠。昨日騒ぎを起こしたってのに肝が据わってるのか皆に聞いて回ったのか口から出まかせか。

  どちらにせよ恩知らずな野郎どもだ。絶対にモテない。

  「なぁあ、大将〜」

  ぎゅいーと服を引っ張られ、もはやその一部分だけ余計に伸びて既に不恰好だ。これは指を切断でもしない限り離してもらえまい。

  「服離せ、分かった、聞いてるから」

  これ以上やると家の中までついて来そうな勢いなのでカガチが折れることに。前に進もうとする力をゆるやかに弱めてやると、鼠に少し引っ張られる。

  「はぁ…意地の悪いやつ…」

  「旦那が言えたことじゃねぇだろ?」

  「ヒトの服引っ張って無理やり言いなりにさせるやつの台詞か?それが」

  「誤解されそうな言い方やめてくれる?」

  鼠が無理やり引っ張ったせいで服がよれよれであるまあ、いつも通りではあるが。無理やり引っ張られて伸びたせいで不恰好さに磨きがかかる。

  「んでなんだ話って。詰所か?あそこは予約なしで行けるぞ」

  「行かねえよ!」

  よれよれな服を片側だけ肩まで戻しながら、片手間に鼠の話に耳を傾ける。目線で鼠に話を続けるように促す。ネズミは不満そうな顔をしていたが、一拍おいて、また真剣な顔へと表情を変える。なんとなく、表情が強張っているような気がする。

  そして、鼠は真剣な表情のまま、腰を折り、不恰好な狸へと頭を下げて

  「オレを、太大将の下で働かせてくれ!!」

  と、これまた予想の範囲外の言葉が出てきてカガチの頭を唸らせるのだった。

  思いきっり顔を顰めたカガチの顔を、鼠がやりきったような表情で見上げていた。

  →→→→→→→→→→→→→→→

  「却下。」

  「働かせてくれ!!」

  「却下!!」

  「ここで!!オレを!!雇ってください!!」

  「うるせぇ、叫ぶな!却下だって言ってんだろ」

  頭を下げて、なんなら土下座までする勢いで頼み込んでくる鼠。

  流石にそこまで食い下がられるとなるとカガチの良心も多少揺らぐ。

  が、しかし

  「顔上げろ」

  「お願いします」

  「だぁ、もう分かったから、一回顔上げろ。」

  しかし、それでも顔を上げない鼠に。大きなため息をついて、背中をかきながらカガチが腰を下ろして地面を望む鼠の顔を持ち上げる。

  「ったく、強情っ張りだな。顔あげなきゃ大事な話もできねぇだろうが」

  「んむ……、頼むぜ旦那、どうしても金が必要なんだよ。」

  「言われなくても分かってるよ、金が必要、だから働く。それが当たり前のことだ。だがな」

  カガチは頭を下げる鼠の頭をわしゃわしゃと撫でつける。

  「生憎だが、俺のとこはお前のようなチンチクリン雇えるほど簡単な仕事はしてねぇんだわ。」

  「チンチクリンっていうな、でも旦那以外に頼れるヒトがいねぇんだ、頼むよ。下請けでもなんでもやってやる、だから」

  「そもそも、なんでわざわざ俺を選びやがった。お前の素性を知ってる俺が、コソ泥して日銭を稼いで生きてるお前を、俺が雇うとでも?」

  経営者なら、責任者なら当たり前だが前科持ちーー否、現行犯を繰り返す盗人を笑顔で受け入れるわけがない。

  信用に足らない、当たり前だ。

  

  鼠もそれを理解しているのだろう。頭を振ってカガチの撫でる手を振り下ろし、顔を俯かせる。

  「昨日も言ったが俺はヒトの罪を裁けるほど偉くねえし偉くもなりたくねえ。お前が俺の知らないところで悪事を働くなら、別に止めやしない。好きにしろ。」

  「……でも、それじゃあオレは、どうしろってんだよ」

  「知るか。自分の不幸を他人に押し付けんな。自分ばっか不幸みたいな顔しやがって。」

  「………」

  鼠は顔を俯かせて黙ったまま固まってしまう。その様子を見て満足げにカガチは口端を歪めて、そして立ち上がり手を伸ばす。

  「だから、俺はお前を雇ってやらねえ。けど、お前の働き場所を紹介するぐらいはしてやる。」

  「……いいのかよ、コソ泥を紹介するような真似……」

  「言ったろ、俺がわざわざ雇う理由はねえって。素性を知ってんのも俺だけだ、他は知るか。」

  手を伸ばして鼠の体を引っ張り起こす。立ち上がった勢いで鼠がそのままカガチの大きい腹に包まれる。

  ボヨンと跳ねて、鼠はカガチの赤い目を見る。

  強がってはいるが、不安げな子どもそのものだ。こんな子どもが、生きる術に盗みを選択に入れなきゃいけないなんて、そんな残酷なことがあるだろうか。

  裏家業に染まったカガチに正義のなんたるかなんて、冗談でしかないが、だからこそ、まだ変わる目のある子どもは放って置けない。

  それこそ、力があるのならなおさら。

  その盗みのために発揮されていた力は、必ず何かの役に立つ。

  「お前、名前は。」

  鼠の肩を掴み、腰を下ろして視線を合わせる。

  目つきが悪いのは後生憎、めいいっぱいの優しい目のつもりだ。だが、目つきは鋭く、赤い。

  鼠はカガチに負けじと再び目先を鋭くして、答える。

  「サギリ、オレが、姉貴にもらった名前だ。オレの名前はサギリ。」

  「そうか、サギリ。お前、なんのために金が必要なんだ。」

  「…姉ちゃ…姉貴に、恩を返すためだ。オレがここまで生きてきた、その恩を。」

  ここに立って、こうして息をしている。それまで支えてきた姉に、恩返しーーもとい、今度はサギリ自身が姉がしてくれたように支えてあげたい。

  それこそ、他人から奪ってでも、姉には幸せになってもらいたい。

  「じゃあ、盗みなんてしちゃあダメだろうが。」

  「……それは……まあ、そうだな……そうだよな…」

  声のトーンが落ちていく鼠ーー否、サギリ。自身の罪を自覚する、その時間だ。自分の罪、決してなくならない。けど、自分が許せなければ、前に進む足はひたすら後ろをむき続ける。

  許すためには、まず自分がよく分かっている必要がある。

  「サギリ、お前は今後、耐えきれなくなったらシロザと名乗れ。大事な名前で、盗みなんてすんじゃねえよ。」

  それが守りたい、助けたい人からもらったものなら尚更だ。

  「待て、オレはもう盗みなんてするつもりは…」

  「分かんねえよ、今後お前がまたなりふり構わずになったら、やるかもしれねぇだろうが。俺の前でやるんなら容赦しねぇが…別に俺の目につかないとこでやんならどうなろうと知ったことじゃねぇ。ま、適当にやりなさんな。」

  「……わけわかっかんねえ…」

  サギリの背中をポンポンと優しく叩き、体を伸ばしてカガチが店の方へと歩いていく。

  盗みを肯定してるのか否定してるのか、サギリに興味がるのかないのか、手のひらでくるくると表裏を永遠にひっくり返されてるようなそんな気分だ。

  釈然としない顔でカガチの後をついていき、そして椅子に座って再び煙管を焚き始めたカガチが、指を二本立てて、サギリに言う。

  「お前には二つ選択肢がある。両方とも出来高で、体力的にゃきついもんだ。」

  「おう、なんでもやるって言ったんだ。選択肢があるだけ贅沢ってもんだ」

  覚悟は、決まっているのだろう。目は揺れていない。サギリの表情を確認してカガチは片目を閉じて煙管を口端で揺らしながら

  「一つは払いがいいが、精神的にも体力的にも磨耗する。どんな客が来ても嫌な顔せず最後まで対応するんだ。お前くらいの歳なら、買い手も多いだろうさ。」

  「……精神的、か…」

  「そう、だが払いはいい。姉貴もすぐに楽させれるだろうさ。」

  「……もう一つは?」

  「もう一つはガチガチの肉体労働さ。見えんだろ、あそこの山だ。」

  そう言って指を刺した先にあるのは、八代本山より少し低い山ーーティアル鉱山であった。

  「あの山で、魔鉱石の採掘。それが仕事だ。毎日山に登って、出土する魔鉱石を掘りまくって、売り捌く……。ま、売るのは他の連中の仕事だが、お前みたいなノウタリンでもできる簡単な仕事さ。」

  「魔鉱石の採掘……」

  どちらもサギリの年齢を考えれば明らかに適正な仕事ではない。ただ、カガチがコネで、経歴を問わずに入れれそうなところで有力なのがその二つだ。

  前者は正直カガチ的にはあまりお勧めしたくはないが、素質はありそうなもんで、致し方なし。

  後者はまあ、真っ当にいくなら、という感じだ。

  どちらも辛さは兼ね備えている。

  盗人からノーリスクでジョブチェンジできると考えれば安いもんだろう。

  「さ、どうする?」

  考え込むサギリにカガチはプレッシャーをかける。

  迷うほど、決心は揺らぐ。

  なら、無理矢理にでもさっさと決めてもらったほうがいい。

  「……早く稼げんのはどっちだ?」

  「そうだな……魔鉱石採掘の方が早くはあるな。だが、売れるように採るまでの技術は、お前次第だが。」

  狩人がモンスターから得るのに比べて採掘の方はかなり繊細な技術が必要だ。

  だから、貴重品なのだが。

  

  サギリはカガチの答えを聞いて、決心したように笑みを浮かべる。

  そして、鉱山の方を指さして、

  「じゃあ鉱山だ。オレ次第ですぐに稼げんだろ?なら、鉱山。体力もそこそこ自信はあるぜ」

  「決まったな……ならば、」

  サギリの選択を聞き届け、椅子から立ち上がる。

  そして

  「ハドマ、いるか?」

  と、再び虚空へと話しかける。

  サギリが「なんだ?」といいたげな顔をして周囲を見渡す。そしてサギリの視界が一周したその時ーー、

  「ハッ、ハドマ、ここに推参しました。主、御用命ですか。」

  と、光がそこに立っていた。

  突然現れたハドマの姿に、サギリが少したじろぐ。

  「何度も言ってるが、主は俺じゃなくてシナノな?」

  「いいえ、私達にとって主はカガチ、あなた以外にいません。シナノ様はカガチ様の主であって、私達にとっては遠すぎる存在ですので。」

  「……カガチ?」

  「……失礼、ホオズキ様。」

  サギリがカガチの名を聞いて頭に疑問符を浮かべたのを見て、ハドマが訂正する。ハドマの堅物っぷりにカガチは頭を掻き、それでも忠実なその姿に感銘をうけていた。

  「お前は相変わらず、芯の通ったやつだな。」

  「お褒めの言葉、感謝します。それでご用件は?」

  恭しく礼をするハドマの横で、ハドマのシノビの装束に「すげぇ」とサギリがジロジロと見つめていた。

  その視線が不愉快だったのか、ハドマが口の中で小さく舌打ちをする。

  そんな様子を見てカガチは苦笑していた。そして煙管でサギリを指して、

  「そこの鼠、サギリを山に紹介してくれ。お前名義で。」

  「主、あなたの名前でなくてよろしいのですか?」

  「俺よりお前の方があそこは融通効くだろ、ま、頼むわ。無理だったら俺の名前使ってもいいから。」

  「承知しました、では…」

  ハドマをジロジロと見つめるサギリに向き直り、目線を合わせてハドマが言う。カガチより圧のある視線に、サギリは一瞬気圧される。

  「今からお前はティアル鉱山の一員となる。私を見失わないよう、ついてきなさい。」

  「お、おう、鬼ごっこは得意だぜ。ついてってやるよ。」

  「では、いきましょう。主、行ってまいります。」

  そう言って再びカガチに礼をしてハドマは一瞬にして姿を消した。

  そして姿を見失ったサギリは驚いたように辺りを見回す。

  「ほら、置いてかれんなよ、あっちだあっち。」

  置いて行かれて慌てふためくサギリの姿に思わず笑ってしまう。煙管でハドマの姿を指してやると、サギリは

  「あれ…か、いや、速すぎねーか。オレついてけるかな…」

  「見失うなよ、ちゃんと見てれば付いてけるはずだ。ほら、行った行った。」

  サギリの背中を思いっきり押してやり、そして再び煙管を吸い始める。

  背中を押されたサギリが、その勢いでそのまま走ってサギリの方へと走っていき、

  「太大将!ありがとな!!」

  と、振り返って手を振ってハドマの跡を追って消えていった。

  あれでハドマも器用な男で、『化』の家の中でカガチが一番に腕を信用している男だ。サギリがついていけないようなやり方はしないだろう。

  ひと段落して、カガチはそのまま店番として椅子に座る。

  たまには陽の当たるところでのんびりするのも悪くない。

  ふと、懐から魔鉱石を取り出して陽の光を通して照らしてみる。

  カガチのように真っ赤な光を放つその石は、なんだかとても、綺麗に見えた。

  「ふー……たく、めんどくせぇやつだ。」

  懐に魔鉱石を抱えながら、陽の暖かさに包まれて、カガチは目を閉じた。

  

  祭りの日はーー、刻一刻と近づいている。