閑話四話『祭囃子』

  案外、山の上というのは居心地がいいもので、疑心暗鬼になる間もなく馴染んでていった。

  開放的な場所では、みな心を開いてしまうのだろうか。互いが互いの領域を分かつ街道では、互いに無意識下で牽制しあい、監視しあって秩序を保っている。そこに僅かな亀裂が生まれないように、表と裏を器用に使い分けるのだ。

  互いが互いを守るため、他所行きの仮面を作り、仮面越しに挨拶を交わす。

  だが、山はーー鉱山では違った。限られた面子のみで毎日をすごし、世間と隔絶された場所だからだろうか。それぞれ取り繕わず、自然体であった。

  生まれ、育ち、種族、全てが異なる。

  だが、そこに壁はなかった。

  己がでであることを否定するための仮面作りは必要なかった。

  取り繕って、己を隠すことが苦手な自分にとって、それはとても好都合で、過ごしやすい場所だった。

  重労働、決して優しいわけではない鉱夫たち。でも山上で、この開けた心の上では、苦ではなかった。

  だというのにーー

  「…窓の外をながめて、どうしたんですか。大しくしててください。」

  窓辺み寄りかかりながらボーッと鉱夫たちの作業姿を眺めていると、すでに聞き馴染んだ声が聞こえた。

  上着を腰に巻き、袖のない作業着のハドマが休憩しに来ていた。

  何やら暇な時はこうして鉱山に来ているらしく、カガチのいうとおり、ここでは彼女の方が良い関係を構築できているらしい。こんなに淡白で仏頂面なのに。

  「やっぱ女だからなのかねぇ」

  「……何やら失礼なことを考えているな。」

  「いいえ、なんにも」

  舌を出して誤魔化すと、ハドマはふんと鼻を鳴らす。顔に浮かぶ汗を手袋で拭うと、汗のかわりに土くれが顔についていた。やってしまった、というような顔でタオルをとりにいくハドマの背中を見ながら、鼠はーーサギリはため息混じりにつぶやく。

  

  「あぁ、なんで俺山にいんのにこんなせまい部屋にいんだろぉ」

  忙しくも楽しそうに働く鉱未達。本来なら今頃自分もあの中に混ざって未熟者扱いされながらワイワイやっていたハズなのだ。

  実際、山に来て二日目まではそんなふうに楽しく厳しく、汗を流して頑張っていたというのに。

  「なんで俺布団にくるまってんのかなぁ」

  不満の声をハドマへと投げかける。

  するとハドマは冷蔵庫から二本、水の入った竹筒を取り出して、一本をサギリへと投げる。

  「おっと、あんがと」

  投げられた水筒を両手でキャッチして、お互いにその中身を飲む。鉱山を源泉とする水脈からくんだ水は、とてもおいしい。冷蔵庫に入れなくてもよく冷えていて、労働後の乾いた喉によくしみる。

  水を飲み、口を拭ったハドマが太短い尾を揺らしながら、サギリを見下ろす。

  「あなたは、魔素に酔い易い体質だ。いきなり鉱山の奥に入るなんて、中毒で死んてもおかしくない。」

  鋭い目で己の過ちを指摘され、サギリの心に痛みが生じる。

  サギリは、再び目を外へ向けると、

  「だってよお、売れる石は下の方で採れるって旦那が言うからよぉ….」

  目があった鉱夫の一人が、今日の収穫を手に持って、反対側の手をふってくる。それに小さく手をふりかえし、自分の小さな手を眺める。山に来てしばらくたったが、そのうち実際に鉱山で採掘をしたのは二日。もっと言うなら、二日目の途中で倒れたので、正しくは一日と半分だ。その一日半の労働ででダウンしているなんて

  「失態だ…こんな姿、姉貴にも太大将にも示しぁつかねえよ」

  

  豆が治ってきて、綺麗になっていくサギリの手。しばらく家に帰ってないせいで、姉に余計な心配をかけている。

  自分の素性を知っていながらも仕事を紹介してくれたホオズキへの示しもつかない。

  

  そんな自責にふけるサギリを見て、ハドマは短く息を吐く。

  そして、サギリの傍にしゃがみこみ、らしくないと自覚しながらサギリの小さな手を握り、

  「サギリ、あなたはお姉さんが好きか?」

  尋ねられたサギリはその質問を聞いて、目を見開く。そしてうーんと少し考え、

  「… 好きかどうかはわっかんねえけど」

  齢十四、ここまで育ててくれた。好き嫌いは、恥ずかしくて言えないし、本当にその感情があるのかどうかも分からない。

  しかし、一つ。確実な答えはある。

  「でも、感謝はしてる。」

  それだけは絶対で。それだけは忘れてはいけないことだと思う。どんなに恥ずかしくても、もしも姉のことが本当は大嫌いだったとしても。ここまでこうやって育ててくれたこと。今こうして、『サギリ』の名前をなのれていること。それに対する感謝の気持ちだけは、今後も一生抱えていくつもりだ。

  そんなサギリの心内での決意を感じとったのか、ハドマは満足そうな声を出す。

  「そうか。」

  その声は、今まで聞いてきたどんな声よりも優しかった。優しい微笑みを浮かべていた。

  そしてーー、

  「うわわ、なんだ、なんだあ?」

  実然体の中を、何が駆け巡る感覚があって、全身の毛が逆立つ。その流れの源泉は、ハドマが握る手だった。

  「一ー、お」

  

  「動かないでください。」

  体の中を巡る知らない感覚。その異和感にとっさに体を動かそうとしたスギナを言葉で静止させる。そして、手を包んでいた片方の手を、サギリの胸へ当てる。

  「私にも、弟がいます。反抗的で、私に強い対抗意識をもった、どうしようもない弟が。」

  カガチの命で、しばらく会っていない弟を思い浮かべる。姉心として、不安は絶えない。

  「私は、姉としてどう接していいのか分からない。あえばいつも、口喧嘩になってしまう。」

  不器用な己と、反抗的な弟。その噛み合わせは最悪だった。歩み寄ろうと思っても、カガチへ仕える身であることを、どうしても第一に考えてしまう。

  

  「だから、機会があれば、あなたのお姉さんに合わせて欲しい。」

  「うえ?姉貴に?」

  「動かないで。……そう、お姉さんに。あなたをここまで育てたお姉さんだ。私だってーー。」

  その模倣程度だったら、できるはず。

  上手な年上としての振る舞いを、カガチからは汲み取れない兄弟の御し方を。

  ハドマの話を聞きながら、体を犯すなれない感覚にサギリは不安そうな表情を浮かべる。しかし、少し経つとその流れはやがて、サギリの体に同調し、清流となる。

  

  体を内側からまさぐられるようなむず痒い感覚が消えて、代わりに訪れたのはサギリを型取り、表層を撫でるようなくすぐったい感覚だ。

  その流れは、発熱しているサギリの体を冷ましていく。

  サギリを蝕む魔素中毒由来の熱が、その流れに乗って遠くへと流れていく。

  

  少しづつ、余分な体温が奪われる。だが、それは必要以上に奪ったりしなかった。

  「なんだ……。すげぇ体が軽くなった…。」

  体を蝕んでいた熱がなくなり、意識がよりハッキリした。

  その言葉に、顔を俯かせていたハドマが顔をあげ、驚いた表情のサギリの手を離す。ただ、胸元に当てられていた手はそのままだった。

  源泉だった手が離されて、体を覆っていた清流が心臓へと集まっていく。

  「あなたの体に溜まっていた魔素を分解した。これで、淀んでいたあなたの魔力もよく流れるようになったはずだ。」

  そう言って深く息を吐いたハドマが、呆けているサギリを引っ張り起こす。

  「魔素を分解…?」

  「はい、正確には、あなたの体内にあった毒素を分解です。私が他者に施せる、数少ない優しい手段だ。」

  適度に取り込む必要のある魔素も、取り込み過ぎれば毒となる。そしてサギリのように中毒を起こす。

  

  他者の体内を浄化するーー『解毒』の術式を、ハドマは持っていた。そして、密かにそれを行使できるようになっていた。

  身体中を犯していた痛みや重さが消えて、驚きが隠せない様子のサギリ。そんなサギリにハドマは『もっとも』と微笑して、

  「あくまで応急処置だ。今すぐ鉱山に……とはいかない。私の術式でできるのはあくまで分解だけだ。弱った体まで元に戻せるわけじゃない。」

  「……の、割にはわりかし体はちゃんと動くけどな。」

  「若さだろうな、いずれ誰もが失うものだ。大切にするといい。」

  年寄りくさい発言をするハドマだが、彼女もそこまで歳はいってないような気がするが。

  「ともあれ」とハドマは続ける。

  「あなたは魔素への耐性がない。しばらくは鉱山には入るな。入るとしても、一層までにしてください。」

  「えー……。いいや、分かったよ。また迷惑かけれねえし。しばらくは大人しく……します、させてもらいます。」

  歯切れの悪いサギリへ鋭い視線が向けられ、大人しくすることを強制されてしまった。

  鉱山で稼ぐことが目的だったのに、どうしてこうなった。己の体の弱さが原因だ。分かってる。

  「魔素への耐性は、そう簡単にできるものではない。しばらく上層で他の鉱夫たちを手伝うといい。お頭殿も喜ぶだろう。」

  どうだか。猪の牙がでかいおっさんなのだが、あれは喜んでいるというより便利なコマ使いができて嬉しいという、ある種喜びではあるが、ハドマの言うようなポジティブなそれとは違う気がする。

  あと、目が怖い。

  不完全燃焼が続くことを悟り、そんな不満が表情に現れる。

  「せめて太大将に一言行かせてくれよ、あんがとよって」

  紹介してくれたことへの感謝。と言うよりは、鉱山という縁を作るきっかけを作ってくれたことへの感謝だ。

  ここでは自分はサギリでいることを責めるヒトはいない。他所行きの仮面を誰もかぶっていない。

  皆が皆の汚いところを知っている。

  曰く、曰く付きの場所である。が、そんな場所がサギリには何より心地よい。

  生きやすい、そんな世界だ。

  「…なら、祭りに行ってみますか?」

  「あん?祭り?」

  「はい。ヤシロ祭、そこにうちも出店を出します。今年は珍しくカ……ホオズキ様も顔を出すらしいので。」

  「でも俺、金ねぇよ?稼ぐために来たってのにあれなんだが……。あ、もしかしてアンタが払ってくれたり?」

  「するわけない、甘えないでください。」

  「っち、ケチ」

  舌打ちまじりに悪態をつく。サギリとしてはホオズキに会えさえすればそれでいいのだが。流石に祭が行われていて出店もあるとなると流石に堪能したくなるってもんだ。

  それに今の話だとホオズキは屋台にいるという。ならばなおさら、金を払っていかなければ恩知らずというものだ。

  「…スルか…」

  自分の数日前までの常套手段が頭をよぎる。祭でみんな財布も目線も注意力もゆるゆるだ。祭にかこつけて、ここ数日寝込んでいた分をがっぽりとーーー

  あくどい思考を巡らすサギリに、ハドマはどこからか袋を持ち出して、

  「ほら、あなたの取り分だ。自由に使うといい。」

  「うぉ、投げんの好きだなアンタ。…って、俺の取り分…?」

  投げられた袋を揺らしてみると、その袋からは決して少なくな額の金が入っていることがわかった。

  「あなたが倒れた日、あなたの服の中にそこそこの魔力含有量の石が入っていたそうで。お頭の取り計らいであなたの取り分にしてくれたんですよ。」

  「…お頭が…」

  「ええ。だから、祭りを回りたければ、自腹で楽しんでください。」

  窓の外へ目をやると、件のお頭がちょうど採掘から帰ってきたのが見えた。こやの中から袋を掲げて降ると、それに気づいた他の鉱夫がお頭に告げて、お頭が長い牙を撫でながら手を振りかえしてくる。

  そして熱い投げキッスが飛んでくる。届く前に雨戸を閉めていると、ハドマがいつの間にかいつもの装束へと身を包んでいた。

  「行きますよ、私もホオズキ様に用事がある。せっかくなら共に山を降りましょう」

  装束に身を包むと、目しか見えないが、それでもなんとなく、ハドマは微笑んでる気がした。

  初対面で舌打ちしていた頃と比べて丸くなったものだ。

  

  「おう、先導頼むわ先輩。」

  そんないつかほっぽり出して、サギリも笑みを返して靴を履く。

  山を降りる前に、最後に再び鉱夫たちへと手を大きくふり、そして山を降り始める。

  なぜか、寂しい感覚が胸いっぱいに訪れる。

  きっと、あの場所はすでにサギリの居場所になっているからだろう。

  

  すぐに戻ってくるとわかっているのに名残惜しさを感じてしまう。

  

  「あ、そうそう」

  山を降りながら、サギリの思考に浮かび上がったのは、姉だった。

  「アンタと弟がどんな関係で、何があったかは知らないけどさ」

  ハドマは振り返らない。振り返らずに素早く木々を移動して、だけどサギリの話に耳を傾けるように少し速度を落とす。

  その変化にサギリは話をしていいと判断して続ける。

  「俺の姉貴の真似をしても意味ないと思うぜ。姉貴は俺の姉貴だし、アンタは俺の姉貴じゃねえ。アンタの弟は俺じゃねえし、姉貴の弟でもねえ。」

  つまり、何が言いたいのか。

  「仮面、外しちゃえよ。どうせ素顔もまともにみてないんじゃないか。そんな状態で、相手が何を思ってるかなんてわかったもんじゃない。」

  だから、サギリは街ゆく人が苦手なのだ。

  だから、サギリは山のヒト達が好きなのだ。

  「とりあえず笑ってやれよ、弟は姉貴に弱いんだぜ。……あ、俺は違うからな!」

  仏頂面、それを外すところから始めてはいかがでしょうか。それこそ、仮面を外せないなら、自分で、考えて新しい仮面を作ればいいのではないか。

  

  サギリにはできない、けど、ハドマならできる。

  なんとなくそう思うのだった。

  ハドマからはなんの反応もなかった。だが、結局山を降りるまで下がった速度はそのままで、否定してこなかったということは、何かしら考えるきっかけにはなったのではないか。

  ハドマと別れ、ヤシロ本山に向かう道中、自分の言葉を振り返ってニヤニヤしながら、一人鼠が街中を歩いて行った。

  →→→→→→→→→→→→→→→

  緊張ーー。

  珍しく自分の心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、座敷牢の戸を開く。

  「ようこそ、いらっしゃいました。」

  妖艶な女の声が、響く響く。

  大広間、その一番奥の上段の間。二つの呉座が敷かれていて、そのうちの左に女は座っていた。仰々しく毛を束ねて、体のラインをはっきりと見せるような着こなしは、その部屋の鬱屈とした雰囲気に合わず煌びやかであった。

  その女の声と共に、全員の視線が一点へと集まる。

  「っち、だから嫌なんだ…」

  舌打ちをし、その視線への文句を放つ。

  切れ長の赤い目でその視線一つ一つへと睨み返すと、度胸のないのうのうと生きてるお飾りの各家の頭領は身震いをして、視線を逸らす。

  そしてヒソヒソとこちらへの悪意を共有して嘲笑うのだ。

  いつものこと、いつものこと。こんなことがいつものことだとは、なんとも腐ったものだ。

  

  とはいえこの場では礼儀を通さなければならない。

  膝をつき顔を伏せ、最も貴きとされるその者への敬意の姿勢を作る。微塵も、敬意なんて持ち合わせていないが、この場では振る舞ってやる。

  「『化』の字の家長カガチ、ここに参上いたしました。此度はこのような下賎に会する機会をいただきーー」

  と、形式張った挨拶を太々しい顔でしていると、

  「あぁ、そういうのいいから。とりあえずほら、座りな座りな『化』の字殿様よ。」

  「……『躁』の字…」

  上段の間に二つ、そしてその下の広間にある十二の呉座。そのうちの空いた一つ。その隣に座っていた分家の一つ、『躁』の家の長が、カガチへと手をこまねき隣に来るよう指差していた。

  「…しかし」

  「構いません。慣習は大事ですが、必ずしもそれはいかなる時も尊重される必要はありません。少々時間もおしておりますので、どうかお座りください。」

  「ほうら、奥方もそう言ってるし座った座った。」

  「……」

  皆が、視線を向けてくる。

  鶴の一声。それに不満を挙げるものは誰もいない。

  むしろ動き出そうとしないカガチを急かすように、瞬きをし、睨み、口を尖らせる。

  「っち……」

  居心地が悪いったらありゃしない。渋々下げていた頭を渋々あげ、渋々下ろした腰を渋々とあげる。

  そして渋々一礼をし、笑みを浮かべる『躁』の字の長の隣の呉座へと渋々体を下ろす。

  どかっと勢いよく腰を下ろし、膝に頬杖をつくと、

  「カガチカガチ、今日もお太り様だな。」

  「うるせぇ、黙ってろ」

  と、この中で唯一カガチへ不愉快な視線を向けない『躁』の字の長からの不愉快な言葉を適当に返す。

  

  そして、カガチが席につき本家含め十三の家の長ーー、否。本家の主であるシナノを除いた長が集まったのを確認して、

  「それでは、皆様。主人不在の中、お集まりいただきありがとうございます。……これより、緊急の家長会議を始めさせていただきます。」

  と、女が深々と首を垂れて、それに皆々が拍手を送る。

  カガチも適当に膝を叩いて音を鳴らし、「早く帰りてぇ」と頭の中で愚痴をこぼすのだった。

  それは、日が赤く山を照らし出すころ。祭囃子の音が鳴り始めた時。

  遊興な祭りの裏側で、正義の名の下に惨事を引き起こすことも知らずに、祭囃子はめでたきこの日を囃し立てる。

  →→→→→→→→→→→→→→→

  陰気臭い雰囲気が漂う、大広間。

  

  上段の間に座る女が深々と礼をして、家長会議は幕を開ける。

  

  「改めまして、この度はこのようなめでたき祭りの時に緊急の招集にも関わらずお集まりいただき、感謝いたします。」

  深々と下げられた頭には、花の髪飾りがしており、その女の輝きをより一層強調していた。

  深い礼が三秒ほど続き、ついぞ上げられた顔は綺麗に整えられていて、美しいの一言である。

  もっとも、

  「中身がアレじゃあな…」

  カガチ以外が知っているか否か、この女。おそらくここにいる誰よりも残酷である。はんなりと穏やかな笑顔をつくるその唇で、一体どれだけの男を騙くらかして堕としてきたのだろうか。

  カガチの推測でしかないが、こんなふうに自分の美貌に絶対の自信を持ち、あのように実力行使で問答無用なやり方をできる女は、大抵がその全てを消化された者だ。

  やり方をそれしか知らないか、自分の積み上げてきた経験が絶対の自信につながっている。

  でなければ、あんな昼過ぎの境内のど真ん中であんなふうに大胆な手管をとってくるはずがない。

  あれだけの度胸と胆力、もし彼女が人妻でなければーーシナノの女でなければその実力を買って色仕掛け専門のシノビにでもしていたところだ。

  女が顔を上げ、上げられた目にはめられている美しい瞳で集まっている家の長の顔を順に眺める。

  目を合わされた家長が次々に頭を下げて、そして隣に座っている『躁』の字の課長に目が合わせられーー

  「…?『躁』の字様、どうかされましたか?」

  顔を下げず、逆に見返してくる『躁』の字の主人に女が首をかしげて尋ねる。

  『躁』の字は、腕を組んで首を曲げ、わざとらしく『うーん』と喉を唸らせて、

  「いやね、ちょっとお尋ねしたいもんでね。」

  「『躁』の字!今は礼儀を通す時間であるぞ!不敬な真似はーー」

  「まあまあ、落ち着いてよ『業』の字のおじ様。すぐ終わるって。てことで、よろしいかな?」

  噛みついた『業』の字の長が、女の方を見る。それはこの場で最も尊ばれ、尊重されるべき意思がどのような選択を取るのか、指示を待っているのだ。『躁』の主の問いを許すのか、不敬をしたとして罰するのか。

  そして同じように『躁』の字の長も女へと目だけ向ける。そしてーー、

  「……えぇ、構いません。『躁』の字様、何なりとお尋ねくださいまし。私に答えられることならば何なりとお答えします。」

  「お、だってさぁ、『業』のおじ様。」

  「……っ、しっ、しかし!」

  「良いのです、『業』の字様。円滑に話を進めるために、消化しておいた方がよい疑問もありましょう?ですよね、『躁』の字様。」

  「そのとおり、さすが。奥方は理解していらっしゃるね。」

  たしなめられて、奥歯を噛みながら呉座の上に再び腰を下ろす『業』の字。他の家の長達も、何がいいたげな雰囲気だったが女の選択は、意思はこの場で最も尊重される。

  それ以上、反感するヒトはいなかった。

  それを見て『躁』の字の長は尻尾を揺らしながら不敵に笑う。

  そして片手をつき、体を女の方へ向けて、礼をする。

  「お心遣いに感謝します、奥方。それじゃ一つ、尋ねさせていただこうか。」

  「ええ、なんなりと。」

  女の答えを聞き、不敵に歪めた口はそのままに、立ち上がり、ふらふらと歩きながらーー。

  「よっこいせ……とと、片手が使えないって不便だね。ほんと。」

  「な、何を、何をしているのだ『躁』の字!!」

  再び『業』の字の長が声を上げる。今回は、『業』の字だけじゃない。『業』の字以外の長達も、驚きのあまり声が漏れていた。ありえない、信じられないものを見るような目が向けられていた。

  さしものカガチも声は出ずとも、その表情が少し揺らいだ。

  そして珍しく、女の方もその完璧な、淡麗な顔に驚きの顔を浮かべていた。

  『躁』の字の主は、上段の間ーー本来シナノが座っているべき呉座に腰を下ろしたのだ。

  「おぉ、思ったより景色がいいね。カガチも小さく……いや、流石にでかいね。より大きく見える。」

  手で影を作り、遠景を眺めるように辺りを見回す『躁』の字の戯言を意図的に無視する。不要に巻き込まないで欲しい。

  そんなカガチをみて満足そうに笑い、『躁』の字の長は口を押さえて咳をし、女へと向き直る。

  「私が聞きたいのは一つだけ、本来ここに座っているべき我らが主人、シナノ様の行方それだけです。なぜこのような大事な日に不在なんでしょう?」

  「主人は忙しい方であられるのだ。『躁』の字、戯れがすぎるぞ!」

  「おじ様には聞いてないよ、ねえ。奥方。」

  『業』の字には目もくれず、『躁』の字の長はそのまま目を鋭くして女へと尋ねる。

  シナノ不在、その違和感。カガチも思っていたことだが。

  祭りのこの日、シナノがいないはずがない。当主には神楽の義務があり、そして、この祭りの管理をする責任もある。

  もし忙しくて参加できないとしても、ならばなぜ奥方はいるのか、シナノ不在で会議を始めようとするのかと、当たり前のように疑問は浮かぶ。

  「…………」

  「フッ………」

  何が面白いのか、『躁』の字が短く声を漏らして笑う。

  

  そして『躁』の字と女の間に長い停滞が生まれるーー。そしてその停滞は、その広間全体に広がる。

  シナノの不在、主人の不在。まるでその当たり前の疑問の答えが、琴線に触れるかのようなーー緊張感。

  なぜだろう、その答えをカガチは聞かない方がいいような気がしていた。

  耳を塞ぎ、ただこの瞬間のみ離脱して、後に何もなかったかのように再び不遜な態度でダルダルと会議に参加するーーー。

  その停滞の中、カガチは女と『躁』の字ではなく、他の家の長達を眺めていた。

  皆表情が豊かだ。それでは拷問にかけるまでもなくわかる。

  その表情が、言わずとも語っている。私はこの状況の理由を知っていると。この状況の答えを知っていると。

  この状況を作るのに加担していると。

  

  ーー『今、その質問はするな』、と。

  冷や汗が溢れるもの、手が震えるもの、奥歯を噛むもの。

  これから起こる何かに、葛藤の表情を浮かべるもの。

  ただただ顔を崩さず、静観しているだけのもの。

  そして、女へと迫る『躁』の字。

  微笑む、女。

  「我が当主ーー、シナノは家に穢れを持ち込むものーー。故に、この度、ヤシロ様の意向に従い、穢れを雪ぐこととなりました。」

  「へぇ……」

  その答えを聞いて、『躁』の字はつまらなさそうに声を漏らす。

  その答えを、皆が聞いていた。

  

  皆が聞いていた。

  皆が、聞いていた。

  ーーー。

  ーー。

  ー。

  「は?」

  ただ一人、どんな会議でも静観を貫いていた狸だけが、ひどく動揺していた。

  →→→→→→→→→→→→→→→

  

  その答えは、カガチにとってあまりにも突飛なものだった。

  「濁流が交わる川は、清流とは言えません。今後何十と代を継いだとしても、濁った水が流れる限り、清流に戻ることはないでしょう。」

  女は続ける。

  「だから、濁流そのものを断たなければなりません。持ち込まれた穢れは、時間が経てば浄化され、いつか見えなくなるでしょう。ですがーー、」

  女は続ける。

  「綺麗にしても綺麗にしても、濁流が交わり続けるなら、その浄化も間に合いません。なのでーー」

  「シナノを殺すと、なるほどねぇ。」

  穢れを根本から消す。要約するとそういうことだと。淡麗な口遣いで説明していた女の結論を、隣で胡座をかく『躁』の字が結論づける。

  「……シナノの坊が、穢れ……未だに信じがたきことだ…」」

  そして、その説明の終わりに言葉を紡いだのは、『業』の字の長だった。目を伏して、わなわなと口を振るわせる。重鎮の長だ。この中で一番歳をとっていて、一番長くヤシロ家を見てきた。

  故に、事前に知らされていたとはいえ、改めてその事実を突きつけられたショックは相当に大きい。どんどん顔が青ざめていく。

  しかし、それ以上に動揺を示す狸がいた。

  「おいおいカガ……『化』の字様座っときな、みんなに変な目で見られるよ?」

  「うるせぇ黙ってろ、待て、そうじゃない。おい、どういうことだ。」

  動揺が表立つ、というかここまで感情が揺れているカガチは珍しい。朴念仁を固めたような男が、何度とあった会議の場で、初めて感情らしい感情を見せた。

  細い目が見開かれ、その赤い瞳の全貌が見られる。目つきの悪い目が弱々しく震えていた。

  そのままカガチは女の前に迫り、

  「シナノが……主が穢れって、どういうことだ、ちゃんと説明しろ。」

  迫るカガチの圧をもろともしない女が、艶めかしく唇を舐める。

  それをカガチはある種の『脅し』のような気配を察し、背筋が冷たく凍る感覚を覚える。

  「…落ち着いてください、『化』の長様。説明いたします。」

  片手でカガチの鼻に触れ、もう片方の手で唇を拭い向け『ふぅ…」と小さく女が息を吐く。その吐息も当たりそうで、カガチは思わず息を止める。

  「我々の国を守る力を、我々の国を豊かにする力を、我々が住む場所を、私たちにあらゆる恵みを与えてくださるヤシロ様。代々私達ヤシロ家は、その契約を履行し、この国の存続に力を上げてきました。」

  「そんな、分かりきったこと聞いていないッ…!」

  ヤシロ家の成り立ちなど、今はどうでもいい。

  ここにいる皆が、耳にタコができるほど聞いてきたことだ。だが、カガチの言葉は遥か彼方へ放棄され、女は介せず続ける。

  「私たちは常に感謝を捧げてきました。代々、血を受け継ぎ、契約を履行し、紡いできました。この国が永遠であるよう、この国が盛況たるよう、強く強く、あり続けるように。この国が、この国たるように。」

  「………。」

  「ですが……穢れはいつの日か紛れ込んでしまった。それは、『翡翠』から訪れた異分子。この国を守り受け継ぐ立場にある我々が、別の『獣』の庇護に預かる異分子を、巻き込んでしまいました。」

  「………」

  「ヒトが信仰できるのは、一人だけ。唯一以外に信仰を捧げることができない。それがまさか、直接契約の履行に努める必要がある『ヤシロ家』の当主であるなんて、あってはいけないのです。」

  「……だが、シナノは…!」

  シナノはこの国で生まれ、この国で育ってきた。『翡翠』などという遠く離れた異地からの来訪者などではない。カガチだけじゃない。それは、横に座っている『躁』の字も、後ろで力なく項垂れる『業』の字も、知っていることだった。

  異分子などではない。直径の、真っ当な群青の地で生きている。

  「…シナノは、群青の生まれで、育ちだ。そんなふざけた話、まかり通るはずがーー」

  「穢れを持ち込んだのは、シナノ様のお父様です。」

  「……は?」

  シナノの父、先代当主。すでに亡くなった、先代。

  「先代様は、この地に穢れを持ち込みそれを償うことなく、自身の体と共に血を注ぎました。それがこの一族を穢し、蝕んでいるのです。」

  「…だから」

  「命で罪を犯したならば、その罪は、命でなければ贖えない。負の連鎖はもう始まってしまっているのです。」

  「……ッ、……」

  何か言おうとして、その言葉は出てこない。

  カガチの喉奥で突っかかるその言葉は、この場を収めたりしない。むしろこの場でさらに状況を悪くする。

  何度もわざとらしく撫でられる唇、それはカガチに対する脅しで、攻撃だと。

  

  女の麗しい目は、カガチの全身を収めて離さない。

  口籠るカガチを見て、女はふっと笑い、正面に座るカガチの顔を両手で抱えて、

  「どうか、夫の罪禍をーーー、私たち一族の穢れを断ち切ってくださいまし。『化』の字の長ーーカガチ様。あなた様以外に、この使命を果たせるものはいません。」

  『化』の字の家ーー、その本来の役割。

  なぜシノビなのか。

  それは、一族みなからも存在を悟られないため。

  こういうイレギュラーが起こった時に、家が本来の役割を失わないようにするため。

  だから、もし本当にシナノの罪が本当なのならば、カガチにはそれを排除する役割がある。

  だがーー、

  「……一つ尋ねてもよろしいか。」

  「…はい、なんなりと」

  女ははんなりと唇を緩ませて、カガチの顔を自身の方へと向けさせる。

  一族みんなが見てる前だというのに、この女は相変わらず自身の毒牙を振るうことを厭わない。

  

  その美貌に目が眩みそうになる己の心中に嫌悪を感じ、カガチの視線が自然と鋭くなる。

  「主人が……シナノが穢れっていうのは、間違いないのか?」

  「えぇ、それは確実です。もし不安でしたら、ご自分で調べていただいても構いませんが……」

  女はチラリと襖の外の明かりを見やる。すると、儚げな顔をして

  「……それは神楽には間に合いません。」

  「…ッ、だとしたら、それは『躁』の字の役目で、うちの役割ではない」

  「……初めはそのつもりでした、ですが…」

  上段の前、女の横の呉座でつまらなそうに胡座をかく『躁』の字の長へと視線が集まる。

  すると『躁』の字の長は「あー、はいはい」とその視線の意味を察して上着を半分脱ぎ、自身の腕を露わにさせる。

  「…ま、見ての通り怪我してしまってね?みなさまが望むような動きができないんだよね、いやぁ、参った参った。」

  包帯を巻かれた腕が露わにされて、それを見て他の家のもの達がどよめきだつ。

  なぜならば、『躁』の字の家はヤシロ家の中の最高戦力であるからだ。『化』の字が暗躍、暗殺メインの部隊で、『躁』の字が表立って戦闘をする。

  最強の戦力、そのトップが怪我をしているとなればその動揺は当たり前だった。

  「安心しなよ、この怪我は別に誰かにやられたわけじゃないから。階段から落ちただけだからさ」

  

  「だとしても……だとしたら、お前の家の他の奴らはどうなんだ。俺よりもそっちの方がーー」

  「他の子達は加減を知らないから、神楽の前ってなるとことが大きくなりすぎちゃうんだよね。みんな良い子なんだけど思い切りが良すぎるというかさ」

  「だとしても、それは俺の仕事じゃない。役割を履き違えるな、俺は、俺は絶対にーー」

  「カガチ様」

  女がより一層大きな声を出し、それが空間を震わす。

  その声に、皆の視線が再び女の元へと集約する。

  そして、その視線は女の目の前に座っているカガチにも降り注ぐ。珍しくその視線は、不愉快な、侮蔑と感情のものではなく、真剣なものだということはすぐにわかった。

  冷や汗を流すカガチの脳裏に、『一家総出で頼みたいこと』という言葉が思い出される。

  それは一週間ほど前、境内で女と言葉を交わした時に告げられた言葉の一つだ。

  何を、めんどくさいこと頼まれるのかと思っていたがーー

  「くそッ、最悪だお前ら…」

  女が上段の間から降りて、小さな歩幅を繰り返してカガチの背後へと回る。

  そして、畳の座敷に座を正し、手を地面に合わせて

  「『化』の字の長様ーー、どうか我らが一族の汚点、シナノの穢れを、どうか断ち切ってくださいまし。一族者共、皆からの願いを、あなたに託させてください。」

  カガチは振り返らない。その背中で何が起こっているのか。だがそれは、『躁』の字の長の動きでなんとなく察せた。

  皆がカガチに頭を下げている。

  普段あれだけ見下して、普段あれだけ嘲笑して、普段あれだけ侮蔑して、下に下に下に下に見ている存在に頭を下げている。

  そこには多分、スギナのいうところの『誇り』があったのだろう。

  「……下賎が、主人の剣に届くとお思いですか。」

  「今、私たちが頼れる最大で最高が貴方様です。どうか、貴方一人に背負わせる私たちをお許しください。」

  「…下賎が、主人を下せるとお思いですか。」

  「主人様は、貴方様を心から信頼なさっています。」

  虚をつけ、そう言われてる気がして。

  否、そう言われていた。だから、カガチを選んだのだと。

  幼少からの馴染みを、その心の隙につけこんで殺してしまえとーー。

  「……仮に、殺せたとして、」

  暫く沈黙があって、その沈黙を裂いたのはカガチの声だった。いつも通り覇気がないその声に、今、全員が耳を向けている。

  「何を土産にすれば良い、神楽まで、と言ったか。だが祭りの中、体や首を持っていくわけにはいくまい。どうしても、穏やかにはーー」

  「あぁ、目でも持ってくれば良いんじゃないかな?」

  カガチの問いに被せるように、『躁』の字の長があっけからんと答える。そのまま『躁』の字は自身の目を指さしながら、

  「シナノ殿の目は結構独特だし、目の一つ簡単に投げ出すような方じゃない。目を引きちぎれるほど弱まってるとしたらもう死んでるだろうし、ちょうど良いでしょ?」

  →→→→→→→→→→→→→→→

  「『躁』の字、おまえどういうつもりだ。」

  会議が終わり、各家の長達がゾロゾロと扉から外へと出ていく。そして、女も立ち去り、カガチと『躁』の字の長だけが残される。

  「どういうつもりって何が?なんの話?」

  「惚けるな!お前、わざわざなんであんな助け舟寄越しやがった。」

  『躁』の家は、介入しない。

  シナノの死亡確認は目玉だけあれば良い。

  

  どういう腹づもりで言ってるんだと思ったが、よく考えればその意味は明白だった。

  カガチの技量に全部任せる、という意味だ。

  それも、他の家の者達になるべく違和感なく納得させるべく差し出された助け舟だ。

  詰め寄られた『躁』の字の長が、カガチの腹をぷにぱにとつつきながら、

  「そりゃね、僕だってシナノにもカガチにも死んで欲しいわけじゃない。怪我してるのはほんとだし、うちの子達じゃ、そもそもシナノに勝てない。僕にとってもこれは必要なんだよ、カガチ。」

  「だからってなぁ…」

  「どうせ断れないんだから、できるだけ意向に沿った上でどうにかするしかないんだよ。その時間も、あるでしょ?」

  全てに納得したわけではない。だが、あの場でぐだぐだと無意味な問答を続けたところで向こうは譲らないだろし、果てに、カガチが折れるしかないのは明白だった。

  話し合いという無駄な経路を省き、かつカガチのできる最低限を密かに提示してくれた『躁』の字に、頭が上がらない。

  「めんどくせぇやつだな…俺もか…」

  互いに視線を交わして、不器用に笑って見せる。

  最大限の譲歩をしてくれた『躁』の字には感謝しかない。

  「じゃあ、僕は祭りを回るとするよ。訃報朗報……ま、待ってるよ。上手くやりなね。」

  赤い光に満たされる境内へと向かう『躁』の字の背中を見送り、カガチも外へ出て、境内ーーではなく、そのまま森の方へと抜ける。

  そして、

  「ハドマそのまま聞け。すぐに家に戻って客間を準備しろ。最悪今日一日寝過ごせるぐらいにできればそれで良い、なるべく早くだ。」

  「ーーーー。」

  返事はなかった。だが、影が揺れてその言葉に従うように動き出したことはわかった。

  そして、

  「カドマ、暗記を全部寄越せ。そして俺に化けて店にいろ。今ならスギナがいる、説明不要だ。」

  「……」

  「……スギナは怒っちゃいねえよ、時期当主だからちゃんと媚び売っとけよ。」

  「……では、主人、あなたはー」

  「…ほら、余計な心配してんなよ、頼む。」

  何がいいたげなカドマが姿を現し、懐に抱えていた暗器の数々をカガチへと渡す。

  そしてーー、

  「おん、やっぱうちの一番の『化け』上手だよ、お前は。」

  カガチの前に、カガチが立つ。

  側から見れば、瓜二つの双子のように見えるだろう狸の固有本能が、正常に発動している証拠だ。

  

  その姿の模倣の出来に、カガチは満足気に頷き、カドマの頭をポンポンと撫でて

  「めんどくせぇこと頼んですまんな、じゃあ頼むわ。」

  「……どうか、ご無事で」

  「俺の姿でひざまづくなよ……ったく…」

  カドマの見送りの言葉を受けて、自分自身が自分にひざまづくという滑稽な様子に苦笑いし、カガチは風となる。

  

  木々のいただきを揺らしながら、かけていく。

  『化』の家ーーその家長、カガチ。

  心のうちにわだかまるモヤモヤを抱えながら、月夜と夕日の狭間の時間をかけていく。

  →→→→→→→→→→→→→→→

  約束の時、木の葉の揺れる音がして、そしてーー

  「やぁ、カガチ。」

  「久しぶりだな、ーーシナノ」

  境内の外れ、少し降りたところにその存在はいた。

  小麦色の毛を風に揺らしながら、剣を腰に携えて、酒瓶片手にカガチを待つ存在がーー。

  灰色の目に、自分の存在が映り込む。

  赤い目に、小麦色が小さく揺れる。

  間も無く、山が真っ赤に燃えようとしていた。