閑話 幕間『脳裏にチラつく憧憬』

  生まれた時からカガチという狸は、いつだって、他人は他人と線引きをして生きてきた。

  それは生みの親、育ての親、そして実の弟に至るまで。

  肉親である、ただ、そのヒトはカガチではない。

  カガチ本人ではないのだから、究極的にはどうなろうとカガチには関係ない。

  家族という関係も、結局は身近な他人の集合体だ。血が繋がってる、それだけの他人。

  産んでくれて感謝してる。カガチという名前をくれて、感謝してる。

  だが、それは自分では無い。

  カガチの家族は、カガチじゃ無い。

  だから、家族という共同体もカガチにとってはどうでもいいものだった。

  

  ヤシロ家の分家の一つ、『化』の家の本職は、ヤシロ家の存続を、結界の維持を脅威に晒すものからの守護であった。

  それは、いかなる方法を以てしても、必ずやり遂げる必要があった。

  

  結界がなければ、結界の外を彷徨く魑魅魍魎に押しつぶされてしまう。戦う術を持つ狩人達ならいざ知らず、それ以外の多くのヒト達は、その脅威に耐えきれず押しつぶされてしまうだろう。

  それはもちろん、『化』の家も、本家も、ましてや王家の者だとしても。

  対抗する術を持たない、多くのヒトがその脅威から逃れられずその血を散らすのだろう。

  実際に結界を維持するための力を行使するのは、王家、ヤシロ家、狩人の三体だ。

  それぞれから適正なヒトが選ばれ、それぞれが力を注ぎ結界を維持する。王家の守護は狩人が、狩人は己の身で、そしてヤシロ家の守護は分家である『化』の一家が担っていた。

  そして、カガチは『化』の家に生まれた長男であった。

  長男にして、親から恵まれた肉体を授かり、誰よりも強く大きく育った。

  と言っても、カガチは親の顔をほとんど知らない。

  幼い頃から、自分の家がどんな事をしていて、自分がどんな立場であるかは聞いていた。

  だが、子を産んでなお本家の願望機として懸命に働く父母は、カガチとの接触を最低限にし、そして弟二人をこの世に残して母はそのまま命を落とした。

  父も母も愚かだった。

  自分たち以外が、この地獄を見る必要はない、知らなくていいと抱え込み、そのまま崩れ落ちていった。

  母が死に、子ども三人だけ残された父は、遠からず仕事に対する精神的苦痛と、何度も高濃度の魔素に充てられて発狂した。

  そして、病床に耽り、死の間際まで起き上がることはなかった。

  「おまえが……もっと早く、使い物になっていれば……おまえが、カガチ、お前を、俺が使い物に、してやるべきだった……」

  死ぬ間際、青ざめた顔で、最期に我が子に言う言葉がそれしかなかった。母の願いは何だったのだろう。

  「おまえが、次期当主だ……カガチ、精々苦しみ、忌み嫌われろ」

  そうして、最期に呪詛を撒き散らして、カガチの赤い瞳に影を塗りたくった父は、『化』の字の長という立場の重責から解放されて、さぞ満足そうに死んでいった。

  カガチの心に、荒波は起こらなかった。

  ただただ静かに、死んだ愚かな父親を見て『めんどくさい』と、ただそう思った。

  何代目か、そうして正式に、半ば強引に『化』の家の当主になったカガチに、その責任感が芽生えるわけもなかった。

  その時カガチは、十二歳であった。

  フヂナもスギナも、まだ子どもだった。

  

  カガチも、子どもだった。

  →→→→→→→→→→→→→→→

  カンカンと、何かが打ち合って反発する音が響いていた。

  小さな子供と、ほどほど大きい少年が木の枝を剣に見立てて打ち合っている音だった。

  

  カンカン、カンカンと何度もぶつかって、そしてーー

  「あ、折れた!!」

  「おーっと、じゃあ俺の勝ちな」

  小柄な方、小さな小麦色の毛玉の枝が折れて、大柄な方、雑多なチクチクとした毛玉の枝が放り投げられ宙をくるくると舞う。

  「ふん、バカめ。敵を前にして獲物を捨てるなんて、剣士の名折れ!」

  大柄な毛玉ーーカガチが枝を放り投げたのを見て、小柄な毛玉ーーシナノがこれをチャンスと見て折れた短い枝を掲げ大振りで襲いかかってくる。

  「カガチ!この剣士シナノがそっ首を叩っ切る!」

  「んなろぅ、無抵抗の相手に襲いかかる剣士があるか」

  見え見えの枝の軌跡をかわして、そしてガラ空きのシナノの体を突き飛ばす。

  「背中がガラ空き、剣士の恥だな」

  歯を見せてカガチが不敵な笑みを浮かべる。

  転んだシナノは一瞬何が起こったのか分からなそうに周囲を見渡しす。そんな勝利を確信したカガチの卑しい笑みを見て、

  「隙あり!」

  と、カガチの隙だらけの大きな腹を思い切りペシっと枝で叩いた。晒しが緩んで晒しとしての役割を果たさず、顕になっているだらしない腹に枝の剣撃が振るわれる。

  

  ペチンとほどほどいい音が鳴って、二人の間に停滞が生まれる。

  ふふん、と得意げな顔を向けるシナノに対して、カガチは

  「………」

  「…カガチ?」

  カガチの顔は呆然としていた、目がいつもより見開かれ、その三白眼がよく映える。そして口も開きっぱなしだ。そんな意識が彼方に飛んでったカガチの腹を、シナノはなんとなしにぶん殴る。

  「あ、痛ったあ!」

  突然鳩尾付近をぶん殴られ、カガチの思考が地に舞い戻る。腹に埋まったシナノの手を握り、赤い目でシナノを睨むと、

  「おお、カガチ生きてた」

  と、なんともいい笑顔でカガチを迎えた。

  まるで無害そうな小動物の顔で、シナノは確かに笑っていた。そこに悪意はなく、敵意はなく、当たり前だが殺意もない。

  

  カガチより小さく、カガチより脆く、カガチより弱い。

  のに、なぜだろうか。

  

  カガチの冷や汗が止まらない、止まらない。

  いつも通りのチャンバラごっこ。いつも通りカガチが圧倒して、諦めの悪いシナノが素手で襲いかかってきて、バカみたいに意地を張り合って終わるーー。

  それだけの、はずだった。

  それで終わるはずだった。

  だが、なぜだろうか。さっき受けた腹への一撃。

  あれは、シナノの剣劇だ。

  いつもの諦めの悪いシナノの不意打ち。

  だが、寒気が止まらない。怖気、かもしれない。

  今まで一度だって感じたことの無い感覚。

  今まで一度だって感じ得ることのなかった感覚、それはきっと、命の危機からくる警鐘だ。

  心臓の鼓動は恐ろしいほどにいつも通りで、脈も息も上がっていない。

  だが、生まれたあの停滞の一瞬、カガチは自分が死んだんじゃ無いかと思うほどの衝撃を受けた。

  そりゃあもちろん、あの攻撃が刃から繰り出されるものなのならば、カガチの腹は切り裂かれ血と水と脂肪と臓物と、様々なものが溢れ出して死に至る一撃になっていただろう。

  だが、それはチャンバラごっこで何度だってあったことだ。

  

  いつだって刃に見立てた枝が体に当たることはあったし、『ざんしゅ〜』などと言いながら首にペシペシしたことだってある。その時だって死の気配なんて感じたことはなかった。

  なんて不謹慎な遊びをしているんだろう、とは思ったが。それでも命の危機を脳が感じることはなかった。

  だが、なぜだろうか。

  シナノの持つ枝から放たれた剣は、かくも美しくそして凶悪なものに見えた。

  ーー剣客の才を垣間見た瞬間だった。

  「なんで急にぶんなぐりやがった!俺にもやらせろ!」

  「痛い痛いやめて!耳の下をぐりぐりしないでぇ!」

  カガチがシナノのこめかみをぐりぐりと両サイドから押し付けて、その痛みにシナノが声を上げる。

  感じた恐怖、それは一体なんなのか。

  こうして今、自分の中で痛みに耐えきれずわちゃわちゃと体を揺らすシナノは、なんなのか。

  当然だと思っていた力関係が逆転する。

  

  それを機に、シナノの剣才は芽を伸ばし、いつしかカガチとシナノは剣を模した遊びをすることは無くなった。

  シナノにとって、剣は遊びではなくなった。

  カガチにとって、剣を振るうことは遊びではなくなった。

  

  剣を振るうことの尊さを、シナノは知った。

  剣を振ることの無意味さを、カガチは知った。

  剣のなす軌跡の美しさを、シナノは知った。

  剣のなす現実の汚れを、カガチは知った。

  それでもカガチは、シナノの剣に焦がれている。

  それでもシナノは、カガチとの思い出に縋っている。

  淡く、葬るる。