僕はトオミの笑った顔が好きだった。
幸せなんて、笑っていたらいくらでも舞い込んでくるもんだ、とそれが彼の口癖だった。歯茎の色が丸見えになるくらい思いっきり口角を上げて、狼人の大きな牙があらわになるような笑い方だった。僕も同じ狼だから分かるけどそんなに開けたら怖がられるよ、と言うのだけれど、それでも彼はよく笑った。
笑うのが先か幸せが先かというくらいの人だったから、いつしか僕はトオミに会うたびに笑い返すようになっていた。トオミと同じようにはいかないけれど、目を細めて微笑んで。
幸せだった。
もう僕には届かない、大きな幸せ。
彼が失った、幸せ。
僕が奪った、幸せ。
「クラキは考えすぎなんすよ」
土曜の昼にヤチが来て、言った。
「考えるんなら、もっと自分のためになることを考えたらいいんす」
「……うるさいな……」
表情に乏しいヤチが気に障ることを言うので、僕は腕を組みムスッとして言い返した。
ヤチは大学の頃からの知り合いで、お互いに就職してからはごくたまにメッセージアプリでやり取りをする程度の仲だった。
「おお、こわいっすね。あ、米、炊けたんでついでくださいっす。肉じゃがとみそ汁はウチがやるんで」
そう言ってヤチは台所から手招きをする。僕は眉間にシワを寄せたまま、のたのたと立ち上がってヤチの言うことに従った。
僕がトオミを失ったことを、ヤチにはすぐ話した。それからヤチは、週末のどこかで必ず僕の家を訪ねては、持ってきた材料で三人分の食事をこしらえて、ごくごく普通に一緒に食事をするのだった。決まって、土日のどれか一食分だけだった。
「いただきます」
「いただきます」
僕とヤチは、写真立てに向かっていただきますをした。写真立ての前にこんもりと盛られたご飯は、僕がついだ。彼はよく食べる人だったから。
ヤチの作る料理は全部美味しかった。あまり美味しかったので、トオミへのお供えは三人の中でいちばん量を多くした。最初、ヤチがおかずを控えめに盛るので、僕がそんなんじゃ全然足りないよとヤチに言うと、彼は素直に多めにつぐようになった。
食事中、僕らはいつも黙っていた。ヤチの作る料理について、もう特段言うことがなくなったからだ。
最初のときに、もう散々泣き腫らしたのだ。温かい食事が、ただそれを口に運ぶだけでこんなにも心を解きほぐすものかと、その心の揺れに耐え切れなくて、ボロボロ泣きながらごはんを食べていた。
泣きながら食事をしたのは、あとにも先にもこれっきりだ。
トオミは事故で亡くなった。出会い頭、乗用車と歩行者、即死だったそうだ。
覚えているのは、病院の受付ロビーで遠くから響いた、トオミの母親の悲鳴。
看護師にここでお待ち下さいと言われ、午後十時二五分から午前〇時五分まできっかり一時間四十分待った挙げ句に何も言う気が起きず、黙ってそこを去ったこと。
それから、メッセージアプリに確かに僕あてで、
「もうすぐ着くから待ってて」
と送信履歴が、事故の直近の時刻で残されていたと、僕の家を訪ねてきた警察が言ったこと。
そのメッセージは、僕には届いていない。
トオミの最期について、それ以外のことは知らない。
「クラキはもっとトオミ君のことを考えるべきなんすよ」
ごちそうさまをして食器を片付けたあと、ヤチが言ってきた。
「……はあ……?」
僕は心底恨めしい気持ちでそう返した。
「さっきと言ってること全然違うじゃん……」
「違う? なにが違うんすか」
ヤチは表情を変えずに言う。
「だって、さっきは自分のためになることを考えろって……」
「それとこれと、どう違うんすか」
「……もういい……分かったから……」
僕は一転して、僕自身のことを心底恨めしく思った。
ヤチは、トオミのことをきちんと考えることが、僕自身のためになるのだと、遠回しに言っているのだ。遠回しだが、彼の物言いに虚飾がないぶん、まっすぐに響いてきた。
でも、どうすればいいんだ。トオミのことをいくら考えてもあの日の事故のことが蘇るばかりだった。もちろん彼との思い出ならいくらでもある。山にも遊園地にも温泉にも行った。あまり外が好きではなかった僕が進んで色んな所へ行ったのは、トオミが先々で見せる笑顔が好きだったからだ。特別なことでなくても、彼が僕のもとへ行き、僕が彼のもとへ行って、その度に愛を確かめた。彼は何をしていても楽しげに笑っていた。それが僕は本当に嬉しかった。僕は、彼の笑顔が好きだった。
その笑顔は、もうすでに失われたものなのだと即座に気づいてしまう。今はもうないトオミの笑顔。僕が奪ってしまった笑顔。
事故のことで覚えているもう一つのこと。覚えているけど思い出したくない後悔の記憶。僕がトオミへ送った最後のメッセージアプリの文面。
『早く会いたいよ?、トオミ?。何時に帰ってくる??』
事故は間違いなく、その直後に起きた。
あまりにも間が抜けていて、間抜けすぎて間抜けすぎて、心の底から自分を殺したくなる。
もうないんだ。僕のせいで。もう、どこにも……
「トオミの、笑顔……」
涙もなく、乾いた喉からほろほろと割れそうな僕の言葉に、しかしヤチは淡々と言葉を紡いだ。
「クラキはトオミ君がいっつもずーっと笑ってたみたいに言うっすけど、それが本当にトオミ君の全てだったんすかね」
「全て……?」
僕ははじめヤチの言っていることが分からなかった。
「写真見してもらったことあるし、笑ってんのが印象的な人、みたいなとこ確かにあるっすけどね。でも、……いや、難しいことっすね、これは」
「何なの……?」
「難しいことなんす。これは」
ヤチが勝手に一人で納得しているみたいで、僕は苛立った。
「ちゃんと説明してよ……」
「わかったっす。すまんかったっすね」
ヤチはすこぶる素直にそう言った。
「クラキは、トオミ君の笑顔が本当に好きだったんすね。クラキから耳に穴が空くほど何べんも聞いたから、散々よく理解したっすけど」
「耳にはもともと穴が空いてるけど……」
「まあ聞くっすよ」僕のツッコミを無視してヤチは続ける。「ウチが考えるに、トオミ君もクラキの前ではできるだけ笑顔でいるようにしたと思うんす」
「ん……」
それはその通りだった。トオミが僕にはっきり宣言したことがあったからだ。
「俺が笑ってるとさ。お前もつられて笑うだろ。だから俺、お前の前で笑ってたらすげぇ幸せなんだ。だからさ、俺お前の前ではずっと笑ってるよ」
ただでさえいつも笑ってるのに、なんだか笑顔が渋滞しているみたいで、そのことがことさらにおかしくて、声を出して笑ってしまったのを思い出した。
「トオミ君の気持ちにも偽りはないと思うっす。でも、クラキには本当はもっと、トオミ君のいろんなことを聞く機会が必要だったと思うんす。いずれそれはやってきたんだろうけど、機会が訪れる前に、トオミ君は、……」
めずらしくヤチが語尾をすぼめたので、彼の方を見た。ヤチはトオミの写真を見やっているようだった。
「残念す」
「……ありがとう」
感謝の言葉は意外なほどすぐに出た。僕はきっと考えていた以上に、ヤチに救われていたみたいだった。
「尻尾、振れてるっすね」
「あっ……」
突然言われたので僕は慌ててキョロキョロと背中を振り返った。
「なんかまじでクラキが尻尾振ってるの、久しぶりに見たかもしれないっす。トオミ君の前では、いっつもそうだったっしょ、きっと」
「……うん」
「そしたらさ、もうすぐ解決するっすよ」
「えっ?」
今度はもっと唐突で、一体何が「そしたらさ」なのか、全く見当が付きかねた。
「だってほら、もうすぐじゃないっすか」
「何が……?」
「ほらほら」
ヤチは棚の上のカレンダーを指した。
「もうすぐお盆っすよ」
「お盆……」
ヤチはその平坦な表情を、ほんの僅かにほころばせて言った。
「迎える準備は、十分にできてるっすよね。クラキ」
*
お盆の土日にヤチは来なかった。
代わりに、トオミが来た。
久しぶりにすごく静かな昼で、あれだけうるさかったセミがどこへ行ってしまったかな、と不思議に思っていた。陽は真上から熱く差していて、向かいの公園の木々が時折ざわめくのもしっかりと聞こえたから、世界はちゃんと普通にしているななどと思わず考えた。でも実はひょっとしたら、僕は今おかしな世界に本当にいるのかもしれない、そんな風にも考えてしまうほどの全く変な昼だった。
その後すぐ冷静になって、いやきっとこれは無意味に期待をかけているだけだ、と自分をいさめた。先週ヤチに言われて、お盆が近づくに向けてトオミを迎え入れる準備をきちんと調えたからこそ、ありもしない願望を抱いたんだろう。キュウリの馬とナスビの牛なんて初めて作った。親族じゃないから位牌も何も無いけど、棚の周りを綺麗に掃除して、せめてもと思い線香を焚いた。
ヤチは、
「そこまで形にこだわらなくても、トオミ君は来るっすよ」
と言ったけど、僕が納得できなくて、そうした。
未だ静かな夏の空気の中で、僕は足をそろえて座り、そっと手を合わせた。目を閉じ、尾を下ろす。心の中で彼を呼んだ。
……トオミ。
僕は、やっぱり君のことを思い出すのがまだ怖いよ。たとえどんなに楽しかった出来事でも、最後には結局あの事故のことが過るんだ。
せめて君が今でも、笑顔を忘れないあのときの君のままだと信じられたら。
きっと僕は過去の思い出を、未来を生きるための力にできると思うんだ。
頭で分かっていても、気持ちはなかなか付いて行かないから。
怖いけど……君とのことをゆっくりと思い出しながら、できる限り君ともう一度向き合おうと思う……。
だから、見守っていてください。
どうか、ごゆっくり。
僕は心の中で言い終わると、大きく静かに息を吐き出し、そして目を開けた。
いつもの笑顔のトオミの写真と、線香の煙がそこにある。
「クラキ」
声がかかり、心臓が跳ねた。
右を見た。あの日々と同じ距離感を目覚めさせながら。
トオミは、そこへ来ていた。
「と、と、と……」
「おいおい、俺はニワトリかっての」
破顔する狼。あの日から何度も何度も求め続けた恋人の姿。
その笑顔。
僕はたまらなくなって彼に手を伸ばした。が、半ば予想したとおり、僕の腕は彼の身体をすり抜けた。
「あ、あ、あ……」
何度も振り抜く僕の腕を、トオミは薄く透けた手で覆った。
「落ち着けよ。ほら」
トオミがそう言うと、彼の手のひらがまばゆく光り、やがて輝きが落ち着くと、光っていた彼のからだの箇所が確かに、熱を持った肉体として感じられた。
「トオミだ……トオミの手……」
手のひらだけだった毛皮の温もりは気付けば肩、首、背中、胸のあたりにまで広がっていった。トオミは、僕を抱き寄せていた。
「ああトオミ、トオミ。トオミがいる。ここに……」
僕は脱力し、うわずっていた。このままずっと彼の温もりの中に埋もれたい。永遠という言葉が安易に脳を掠めた。
彼の頬が近い。耳が動いてる。尻尾が揺れてる。そうだ、トオミだってうれしいんだ。だったらさ、だったら、いっそ、……。
「クラキ」
最初と同じ抑揚で、今度は耳元で声がかかった。トオミが僕の身体から離れ、再び彼の顔が僕の目に映る。
トオミは、明らかに困った顔をしていた。
僕が戸惑っていると、トオミは口を開く。
「クラキ。俺さ、今のでクラキのこと、俺が死んでからクラキがどんな気持ちで過ごしてきたかってこと、なんとなく分かったような気がするよ。触れた先から、お前が流れ込んでくるような感じだった。これも、幽霊になったからこそ、なんかな」
トオミはまた笑ったが、それは今まで見た彼の笑顔のどれとも違う、悲しげな、消え入りそうな微笑みだった。
「でもさ、俺はこんなやり方じゃなくて、お前から直接話を聞きたいよな」
彼の笑顔に、少しだけ力が戻ったような気がする。
本当に。あっけなく。トオミはきっと本当に、笑顔だけで幸せを作り出せるような男で、それこそが本当に不思議で、だからこそ心からいとおしくて、僕にとってかけがえのないひとだったのだ。
「……僕もね」
僕は、静かにトオミの霊に語りかける。
「もっと、ちゃんと知りたいって思ったんだ、本当に今更かもしれないけれど、トオミのことを、ちゃんと」
「……そっか」
「だから、聞かせて。生きてたとき、それから死んでからも、トオミが考えてたいろんなことを」
いとおしい気持ちを、愛していた気持ちを、綺麗なままで取っておけたのなら、それはそれでよかったのかもしれない。
でも僕は、前に進む方へいく。彼の死を乗り越えるために。
*
「ヤチ君。前に話したことあると思うけど、覚えてるかな」
「ああ、あいつな。いっつも仏頂面だったけど、面白い奴だよな」
「話したことあったっけ? ヤチ君とトオミ」
「通話つなげたまんまお前、どっか買い物でかけた時とかあっただろ。ああいう時にな」
「ええ……ど、どんな会話してたの」
「それがよ、ヤチのやつ、クラキからトオミのことはよく聞いてるから、まずは噂の笑顔を見せてくれっつって、ビデオ通話に切り替えてきやがってな。で、ご対面だ」
「ヤチ……あいつなんだよ、既に知ってたんじゃん……」
「ん?」
「いや、こっちの話」
「そんでな、あいつムツーッって顔しながらもお前の秘密べらべら話しやがるからさ、もう素で笑えてきて笑えてきて」
「ちょちょちょっと待って、何言ってんの」
「お前が真剣になってるときに腕組んでるの、アレ実は両脇を指で掻いて緊張ほぐしてんだって? なんだよそれ、変な癖だよなー」
「あーもうやめてよほんと最悪最悪……」
「そうか。ヤチはお前を支えてやってたんだろうな。そっか。そうか……」
「トオミが生きてたときは、僕が料理担当だったよね。おいしそうにたくさん食べてくれて、本当にいつもうれしかったよ。でもトオミがいなくなって、全然意味がなくなったように思えて、調理器具片っ端からゴミ袋に放り込んじゃったりした」
「おいおい」
「でもね。ヤチが来て、全部中から引っ張り出したんだ。『これは余りにも勿体ないっす』とか言って」
「ああ。そっか。本当に、ヤチってのは、スゲェやつなんだなぁ」
「うん」
「あのな、クラキ」
「うん?」
「俺さ。ほんとは料理できるんだ」
「えっ」
「シングルマザーでさ、うち。母さんが仕事で忙しいときは、俺が用意してたんだ」
「そうだったんだ……」
「母さんは褒めてくれたし、いつもごめんって謝ってもいた。だから、これで母さんの助けになれるんならって思ってがんばってたんだ」
「すごいね。えらいね、トオミは。お母さんのこと、大切にしてたんだ」
「ん。……でもさ。中坊ン時だと、いろいろからかったりしてくる野郎もいてさ。何で俺こんながんばってんだろう、誰か代わってくれよ、とかって、思ったりもしてさ。そこまで綺麗な思い出ってわけでもないんだ。だから、お前と付き合い始めて、お前が飯作ってくれるってなったとき、なんかこう、胸ん中がじんわり、温まってくような感じがしたんだ。だからさ、俺、あれは心の底からうれしくて、笑顔になれたんだ。お前のおかげなんだ」
「トオミ」
「うん」
「いとおしい。愛してる。本当に。できるなら、もっともっと君を愛したかった」
「……俺もだよ。クラキ」
僕たちは、飽きることなく話し続ける。
「クラキさ。毛皮の手入れ、追い付いてない感じだろ」
「ああ、うん。ぼやかさないで、はっきり言って良いよ、ボサボサでしょう」
「なんでこんな……俺ショックだよ、さっきハグしたときもさあ、なんか、くたびれちまったようになっちゃって、って」
「ごめん」
「謝んなって。ヤチは何も言わねぇのか?」
「いや、ヤチは……毛皮の少ない種族でしょ。だから、『ウチの手には負えないっす。すまないっすね』って」
「なんだよお。頼りねぇなあ」
「海に行ったよ」
「は?」
「海に連れ出してくれたんだ。ヤチが。どうせボサボサなら潮風浴びてもなんともないっすよねって」
「強引だな」
「でも良かった。まあ、なんとなく気持ち的に避けるからね、海は。種族柄さ。それでも、海、行って良かったよ。泳いだりはしないで、眺めるだけだったけれど。ずっと広がる波と、青色を見てたらさ、あのときだけは、悩みとか苦しみとか全部ちっぽけに感じて、まだ生きてても大丈夫かもしれないって、ほんのり思うようになった」
「そうか……海か。海だけは行ってなかったよなあ。俺も行ってみたかったな」
「ああ。少し、後悔させたかも。話さなくて良かったね。ごめん」
「言うなって。それに、大丈夫さ」
「大丈夫? 何が?」
「いや。すまん、言えねぇ」
「えっ。どうして」
「その、なんだ。幽霊にも、ルールってのがあるんだよ。生きてるやつには言えねぇことがある。だから……うーん、でもなあ」
「いい。大丈夫。分かったよ、僕には。ありがとう」
「ほんとかよ。え、ほんとか?」
「甘く見ないでよ。ね、トオミ。僕は、君がいつか君じゃなくなっても、どこかに君がいるって信じて生きるから……だから、こっそりと楽しみにしておく。海で、君に会えるのを」
「ああ……んー……」
「トオミ?」
「うん。今のならセーフっぽい」
「あはは」
飽き足らず、話し続けた。
たくさん話して、たくさん笑って。
でも時々怒って、悲しくなって。
不満があった。してほしいことがあった。逃げてしまいたいとも思っていた。
きれいなことも、きたないことも。
感じたことを、とめどなく。
それでも話は止まなかった。
笑顔でいなくとも。
あらゆる感情が、僕たちを前へと推し進めていた。
ヤチの姪っ子も僕の家に来たがっているという話をしている最中だった。
トオミの足が、消えていることに気付いた。
僕は思わず手を伸ばす。何度も、何度も、腕が空を切る。だけど、今度はいくらやっても、僕の身体がトオミに触れることはなかった。
窓の外は朝を迎えていた。
セミが、鳴き始めた。
「トオミ、トオミ」
「ごめんな。もっとゆっくりしたかったけど、一日が限界みてぇだ」
そう言うトオミの顔は、あの笑顔だった。
歯茎丸出しの。牙が剥き出しの。
「分からなかったの。限界があるって始めから言ってくれてたらもっと、もっと」
「すまねぇな。うっかりしてたわ」
「馬鹿!」
僕はトオミに飛びついた。触れられなかったが、それでも僕は、トオミの熱を感じた気がした。
顔を上げると、トオミは困ったように笑っていた。
「本当にすまん。でも、俺はお前の幸せを見届けるまで、きっとどこかにいるから」
幸せ。僕の幸せ。
いまこの時まで、取り戻しかけていた僕の幸せ。
でももう、彼と別れることで幸せまで離れていくなどとは思わない。
「クラキ。お前ももう分かってるかもしれないけどよ」
「……なあに」
「ヤチはいいやつだぜ。アイツなら、お前を幸せにできる」
今までで一番優しい笑顔で、トオミは穏やかにそう言った。
「なんで……どうしてそんな大事なことを、こんな最後になって言うんだよ。分かってるさ、ああ分かってる。きみが僕の幸せを願ってることなんていくらでも分かってる、僕だって君を幸せにしたかった。ヤチなら叶えてくれるんだってそれも分かってる。それでも僕は! ……」
僕は、ぐっと言葉を飲み込んだ。
彼が、僕の後悔を癒やしてくれることを信じて。
トオミを幸せにできなかった後悔を。
絶対に消えないと思っていた後悔を。
「なあクラキ。俺、ヤチと話してたんだ。そしたらお前のことで、これだけはふたりとも完璧に気が合うぜーってのをひとつ見つけてな」
そうして、満面の笑みで、かき消しやがったのだ。
「クラキのメッセージはゆるゆるでいつも癒されるってな! だから大丈夫だ、お前とヤチは!」
そんな、下らない捨てゼリフひとつで。
僕は思いっきり笑ってしまった。
歯茎丸出し、牙は剥き出し、涙はボロボロでみっともなくても。
僕は幸せだ。
「じゃあな!」